仕事山行・鳥海山登れず

以前「梅雨明け」に書いたような日程で鳥海山へアプローチした。

往路は新潟経由で羽越本線で羽後本荘へ。羽越本線の特急「いなほ」では笹川流れを間近に見たかったのでわざわざ海側の席を確保した。羽後本荘から由利高原鉄道で終着駅・矢島へ。自宅最寄り駅から7時間の移動でたどり着いた矢島駅は途中の無人駅とは違い、新しく立派な駅舎だった。駅舎の中に観光案内所兼売店があり、70代くらいの女性が係を務めていたので、1時間後に到着する本隊のためにタクシーを呼ぶ相談をした。実はその女性は由利高原鉄道応援大使という肩書きで、その筋では結構有名人の佐藤まつ子さんという方だった。



矢継ぎ早にいろんな質問をされ、お菓子やらさくら茶をご馳走になる。初手からものすごい歓待ぶりだ。まつ子さんはわずか1時間の間に駅に立ち寄った地元の人と必ず会話をされ、由利高原鉄道と周辺観光の問題を鋭く指摘していた。鳥海山登山に対する羽後本荘市の姿勢にも注文があるらしい。確かに、山形県側のアピール度に対して秋田県側のそれは弱い感じがする。地元の振興のことを真剣に考えアイディアを絞り出しているまつ子さんには圧倒されつつも引き込まれてしまった。


帰りに見送られる。まつ子さんは常におしゃれ。

で、結局我々は14人なので、タクシー会社とまつ子さんの交渉の結果、マイクロバス1台で祓川までアクセスすることに。祓川登山口の最大の欠点は、矢島駅や羽後本荘駅から安い価格のバスがないことだ。タクシーを使うと1台数千円になってしまい、マイカー登山だとピストン山行になってしまう。

無事本隊と合流し、18時過ぎに祓川ヒュッテ着。ここまではよかった。


ヒュッテ前から

14人で祓川ヒュッテを独占できたのだが、翌日朝は土砂降りの雨。私と同僚はレインウェアを着込み登る準備万端なのだが、若人のリーダーが日和って結局この日は沈殿。朝祓川に着いたじいさんグループは土砂降りの中を登り始めたのに・・土砂降りの雨は午前中にいったん上がり、晴れ間も時折出てくる。もう少しで七高山山頂まで見えそうなところまでガスが上がる時もあったのだが、やはり天候は全体的に不安定で断続的な激しい雨があった。風も強い。山頂部では風速15mくらい吹くこともあるとの携帯での予報だ。沈殿と決まれば朝寝、読書、ラジオを漫然と聴くくらいしかない。ラジオは日中AM1局(NHK第2のみ。なぜ第1が受信できないのか?)、FM1局(FM秋田)しか受信できず、すぐにつまらなくなる。午後になるとやることもなくなり、晴れ間を見て一人でヒュッテの目の前にある竜が原湿原の散策路を一周歩いてみる。祓川神社ってのが地図には載っているが、トタン張りの物置ないしは作業小屋のような建物に過ぎず、鳥居ひとつない。
若人たちは沈殿と決め込んだら一歩も外へは出ない。少しでも歩いてみれば翌日のルートミスはなかったと思うのだが・・


一時的でも晴れ間が見えた。まだ雪渓が残っているのがわかる。

翌日は4時起きの5時出発。若人のリーダーが七高山・新山ピストンに変更したいというので判断を尊重して認めたが(ただし七高山までで許可)、サブザックを使う予定は組んでいなかったため持っていない者もいて、レジ袋に入れて出てくるような状態。だったら昨日無理しても登ればよかったのに。

歩き始めは湿原内のフラットな木道で、ピストン山行のような荷が軽い時には若人はペースも考えず(ペースだけじゃなく実は何にも考えてない)一歩目からズンズン進んでしまう。見る見るうちに後ろを歩く私たちと距離が離れ、祓川神社の小屋前に私が着いた時には若人の姿は見えなくなっていた。どうやら私が昨日歩いた湿原散策路へ何も考えずに折れたらしい。登山道は直進で、事前に地図を見ておけば普通は間違えようもなく、すぐ登りが始まって雪渓もあるので、彼らが正しい道を選択していれば傾斜が急になった場所でペースが落ち、雪渓でさらにペースが落ちるので目視できるはずである。

湿原散策路は周回路なので歩いているうちに方向がおかしいことに気づくはずだし、すぐに引き返してくるだろうと高をくくって神社前の分岐で待っていたのだが、いっこうに戻る気配がない。それでも20分くらいすれば祓川ヒュッテに戻るはずだから、まず問題はないと思ってのんびり構えていた。しかし待ち時間がだんだん長くなり、後から出発した中高年グループが雪渓を先行するのを見送る。ボーッと立って待っているので小さなブヨが顔周辺にまとわりつき、何箇所も噛まれる。ヒュッテが見える湿原まで何度か戻って目視してみるが若人の姿なし。

さすがにおかしいということで同僚が携帯で連絡をとってみる。幸い繋がるが、あちらは湿原にいるとの返答ばかり。小一時間経って、周回路に一箇所分岐があって「カラ滝」に向かう降りルートがあり、もしかしたらそれを降りてしまったのでは?と推測する。携帯でそれ以上先に進むのは止めて登ってきたルートを忠実に降りるよう指示し、迎えに行く。「カラ滝」への分岐を折れると足跡が複数あり、湿原状の薮漕ぎに近いルートになる。赤テープが頻繁に見られるのだが、地形図にも昭文社の登山地図にもルートは描かれていない。登山靴がドロドロになるような道を踏み分けて行くと高さ10mくらいの滝があった。滝の脇にケルンが積まれた広場で若人を待つ。5分くらいで無事合流。いったんヒュッテに戻るが時間はかなりロスしたので、登山を諦めさせる。


カラ滝


ちなみに迷い込んだ道は祓川ヒュッテのかつての管理人が開いた道で「康新道」といい、
上部では残っているが下部では廃道となり、上級者の薮漕ぎコースとなっているらしい。

そもそもどうしてこんな小学生でもしないようなミスをしでかすのか、あきれ返るばかりだが、若人自身にその原因を考えさせないとまたルートミスは起こる。「ルートミスを犯さない」ということを完璧に求めることは誰に対してもできないが、ミスを犯さないような事前の判断と行動は要求できるだろう。前日の晴れ間に偵察してみる、人工の構造物があるところで立ち止まって現在値確認、集団で注意力散漫なまま歩かない、ミスコースかもしれないと誰かが感じたら遠慮せずに意見して立ち止まって判断する、そのくらいは大人にアドバイスされるのではなくて自分たち自身で見いだして欲しいものだ。

ということで鳥海山はお流れ。またの機会に譲ることになった。スキーでも山頂まで到達していないので、今回は本当に残念。

鳥海山を下から回って吹浦へ。再び矢島駅で佐藤まつ子さんたちに熱烈に見送られる。朝日連峰からずっと若人につきあってきた同僚は秋田経由で帰路につく。お疲れさま。


由利高原鉄道「おばこ号」

吹浦では若人はキャンプ、私は軽量化のためテントも持参しなかったので駅前旅館に投宿。泊まった丸登旅館さんは昭和初期から登山客や海水浴客を受け入れてきた宿で、普通の民宿風だが料理は魚介尽くしで素晴らしかった。


贅沢過ぎます

翌日は若人を連れて酒田観光へ。酒田では無料のレンタル自転車を借りて山居倉庫や本間邸、美術館をめぐった。サドルも固着したママチャリなのが残念だが、最上川を越えて土門拳記念館まで行ってきた。映画「おくりびと」のロケ地にも立ち寄ってみた。観光スポット以外は街の中心街も閑散としていて、少し寂しげな酒田だった。


NKエージェント。元は割烹の建物だったらしい。

折しも新潟と福島は豪雨災害が拡大している。庄内はほとんど雨も降らず、隣接地域なのに申し訳ないくらい。帰路は新庄経由で初めて山形新幹線に乗った。新庄駅でもらった「神室連峰」のパンフレットはいつかの山行の時に役立ちそうだ。