3.11に都内ポタ40km

今日はあの地震からちょうど1年。遠くへスキーなどの遊びに出る気分にはならず、かといって雨も降らないのに外に出ずゴロゴロするのはもったいなく、考えた結果、自転車に乗って女房とポタリングに出かけた。
目的地はない。とりあえず北千住まで行って、その後は気の向くまま。

荒川サイクリングロードを手始めに走ったら、案の定昨日までの雨で土手から水が滲みだしている場所が何か所かあった。日曜日も10時を過ぎると自転車交通量がが多くなり、河川敷でのサッカーや野球が随所で行われるのでスピードは控えめ。20km平均で走る。だが吹き始めた南風に押されて出そうと思えばスピードは出てしまう。

北千住の東口駅前から西新井大師・総持寺へ向かう。西新井大師参道でちょっと贅沢な昼食を食べて、参拝してから近くのカバン屋に立ち寄る。秋に通勤用のショルダーバッグを買った工房兼店舗で、女房を初めて連れてきた。カバンに目がない女房だが、今日のところは衝動買いを避けたようだ。

その後はメチャクチャな道取りで鹿浜橋を渡り北区に入って、王子近辺から都電沿いに明治通りに出て、浅草千束のソープ街を走る。吉原って、回りの土地よりもちょっとだけ標高が高いことに気づく。江戸時代は田んぼの中にちょっとだけ土地を盛って遊廓をつくったのだろう。ソープ入口に呼び込みのお兄さんたちが何人も立っていて異様な雰囲気。「吉原御免状」(隆慶一郎)を再読したくなった。

浅草寺は人ごみを避けるために裏側から抜けて、隅田川沿いの待乳山聖天でお参り。ちょうど1年前の今ごろ、東日本をあの地震が襲った時刻だ。あの日は職場で宿泊し、若人400人を預って大変な一日だった。震災で亡くなったりいまだ行方不明の方々の鎮魂と、おびただしい数の被害者の幸せを願った。
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待乳山聖天の庭園からスカイツリー
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移植された河津桜が咲いていた

間近に見えてきたスカイツリーを目指して隅田川を桜橋で渡る。橋上でチアガールの女の子たちが群をなしていて、走りづらい。

墨田区に入ったら、やはりスカイツリーの周辺は人が多いので、北側から押上界隈を抜けて、休日はいつでも人が多い亀戸天神も北から回り込んで午後3時過ぎに亀戸の小さな自家焙煎コーヒー店でブレイク。

自宅に着いたら、サイクロコンピュータの距離計がだいたい40kmだった。
ゆっくり走ったので汗だくにはならなかったが、家を出た時からだいぶ気温が上がり、途中で中間着を脱いだ。都内のポタリングとしてはまあまあではなかったか?なにより、一人で黙々と走るよりもずっと楽しい。

もう少し暖かくなったら、しっかり汗をかくようなサイクリングをしよう。
夕方から大相撲大阪場所初日の模様をを観戦。初場所から真剣にウォッチ(もちろん幕下から注目はしていたけど)しているのは、前頭筆頭の栃乃若。先場所13日目に惜しくも敗れた稀勢の里に厳しいおっつけから恩返しをした。前にも書いたけれど、彼は来年には大関になる、と断言する。