飯豊連峰主稜線全山縦走(最終日)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ


8月3日

最終日。下山の前に朳差岳をピストンする可能性を残した。言い回しが微妙なのは、身体の疲労を感じていたのと、食欲が湧かないのがネックになっていたから。とりあえず頼母木小屋から大石山まで行って天候を観ながら判断だね、とIさんと話してから6時30分に小屋を後にした。同宿した千葉からの単独男性は一足先にサブザックで朳差岳を目指して行った。

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飯豊連峰地図(その3)
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朝焼け
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山頂直下に小屋が見える朳差岳(右)と鉾立峰(左)
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最後にお世話になった頼母木小屋

30分で大石山の分岐まで達してしまう。昨晩から今朝にかけては、「宿題の1つも残しておいた方がまた飯豊に来る理由ができる」などと言っていたけれど、いざ大石山から朳差岳へのトレイルを見ると、若干の体調不良でも行きたくなる。新潟ファミリーも本当は朳差岳まで行くつもりだったらしいが、お子さんたちが強く下山を主張してご両親も折れたそうだ。特にお父さんは本当は朳差まで行きたかったのに残念。千葉の単独男性が大石山から稜線を下っているのも見えた。
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大石山近くから振り返る
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イブキジャコウソウの群落

意を決して大型ザックをデポし、またウエストバッグを斜め掛けして朳差に向かう。Iさんの方が元気があって先行して歩いていく。一番いやらしかったのが朳差手前の鉾立峰(1572m)への登り。いったん1420mまで下ってからの急登に喘ぐ。7時45分到着。鉾立峰の頂上に立てれば、あとは標高差80mほど下ってゆるゆる登れば自動的に朳差小屋とそのすぐ先の頂上にたどり着く。8時10分に山頂に着いたら、ガスが晴れて少し明るくなった。山頂から伸びる登山道が2本、大石ダムに向かう権内尾根と、通行止めになっている大熊尾根が見えた。大熊尾根の方には大きめの池も見える。胎内市の市街地方面に開けた谷の出口も見え、うっすら日本海の海岸線も見えた。

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朳差岳山頂から朳差小屋

これには大満足。20分ほど山頂に滞在して、朳差小屋内部も閲覧させてもらい、小屋前のベンチで少し休んでから大石山に戻る。小屋に泊まっても水場までの道が滑りやすいらしいので泊まらなくて良かったかも。
大石山には9時20分に戻り、30分ほど大休止して足の松尾根の下山ルートに進入した。Iさん母娘は母が大石山で娘を待っていたので体力・気力ともに十分なようで、先に下山開始してもらった。

あと標高差1000mの下山だが、狭くて岩場もある尾根をこの疲れた身体で無事に降りられるだろうか?やや不安を抱きながらも下山にかかる。9時50分歩き出し。アップダウンが若干あり、狭い尾根なのでロープを張った箇所がいくつも続く。誤れば相当下まで滑落しそうだ。実は飯豊の主稜線よりも足の松尾根の方がよほど危険が待ち構えているように思った。蒸し暑い中、4〜5人の登山者とスライドする。よくぞこの尾根を登る気になると思う。と同時にもう一度この尾根を登って朳差岳まで行く気にはならないよなと思う。つくづく今日朳差岳に行っておいて良かった。
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足の松尾根(崩壊や落石もあり、2箇所ほど迂回路があったが迂回路も滑りやすい)
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狭い岩場

時間にすれば、下山開始9時50分、水場の分岐近くで10時35分、狭い岩場を抜けた標高800m姫子の峰で12時ちょうど、足の松登山口に12時53分、となり、標準コースタイムの3時間40分よりも40分早く降りたことにはなるが、気が遠くなるほど足の置き場を慎重に選ばなければならない辛い下山だった。

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緊張した尾根が終わってブナの巨木が迎えてくれた

登山口の広場の日陰ででひとしきり休憩し、まだ13時台なので乗り合いタクシーには頼らずに奥胎内ヒュッテまで林道と舗装路を歩く。すぐに水場があったので、ここで登山靴の汚れを落とし、頭から清水を被り、タオルを絞って持ち帰り用の水を水筒に詰める。さっぱりした。林道から舗装路に出てからは奥胎内ダム建設のための工事車両が頻繁に行き交う道路脇を1時間弱歩いて奥胎内ヒュッテにたどり着いた。午前中に下山した新潟ファミリーに出迎えてもらった。一足先に登山口から歩き始めたIさん母娘も無事に到着。これでこの山旅はコンプリート。歩いた総距離はスマホによれば13km(31日)+16.5km(1日)+18.7km(2日)+22km(3日)の合計約70kmにも及んだ(直線距離だと45kmほど)。朝日連峰の総距離が52km程度なので、それを上回る距離となった。やはり飯豊連峰は東北の横綱である。

奥胎内ヒュッテの大浴場で4日分の汗を流し、ソフトクリームを食べてコーラを飲んだが、体重は5kgも減っていた。ひもじかった学生時代の体重に近くなった。暑さと体力低下による疲れと食欲減退が原因だと思うが、体重が落ちすぎだ。無理は禁物である。
Iさん母娘とタクシーに相乗りして中条駅まで向かった。料金は9000円弱。弥平四郎に車を回収に行かなくてはならないIさんと新発田駅で別れ、新潟駅を経由して新幹線で上野に戻った。長岡の花火大会当日で新潟県内は浮かれていた。上野から通勤列車に乗るのはもう面倒くさく、ものすごく久しぶりに上野駅から自宅までタクシーを使った。東京でタクシーに乗ることはまずないが、ご褒美としてたまにはいいでしょう。

ついに飯豊連峰を全て自力で歩き通すことができ、嬉しい。一日だけ天気がすぐれなかったが、宿題は残してこなかったと思っている。しかしもうこんなハードな縦走はしばらく避けたい。飯豊ならば、今度は主稜線ではなく、新発田の湯の平小屋のような麓の避難小屋を使って温泉に入りに行きたいものだ。