正月スキー

高校1年生の次男が年末・年始と学校のスキー教室&スキー同好会合宿で出かけている。同じスキーヤーとして羨ましい限りだ。

そこで、合宿の期間中、残った夫婦でスキーに行くことにした。初日はちょうど女房が小諸で用事があり、次男は菅平で合宿第2日目だ。何かあった時にすぐに駆けつけられる、という口実で、またまた一つ覚えの妙高に行くことにする。

女房を小諸で下ろし、まずは一人で移動する。もうお昼なので、スキーではなく上田か長野のエムウェーブでスケートをするか、妙高に行って同僚が引率する青少年雪遊びをフォローしに行くか、コンビニ弁当を食べつつ考える。マイスケート靴は持ってきていないので貸靴になってしまう。雪遊びの森に入るにはうってつけのステップ板(カルフXCD10thマウンテン)は積んできた。となればおのずとそうなる。

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雪の森もいいですね

妙高の森にスノーシューで入る青少年の引率お手伝いだが、スノーシューが外れるトラブルが多数発生。森に入れば前日からの大雪でラッセル、汗をかく。橇あそびのトラックを作ってやろうとスキーで最初に滑ってやるが、橇のコントロールがなかなかうまく行かないのか、カーブもキッカーもあるのに最後まで滑りきる少年はいなかった。

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南国生まれ同僚もチャレンジ

夕方、妙高高原駅で女房を迎える。待ち時間に駅構内で昭和30年ころの妙高高原駅(当時は田口駅)前のスキー客の賑わいを影した写真を見つめた。貴重な資料だ。当時は馬そりにスキーを積んでいったんだね。その頃はおそらく私の母親が長野からスキー教室に妙高へ来たころと一致するはずだ。池の平で滑って、駅までスキーで滑り込んだと言っていた。それもスキー100年史の一コマであるはず。

その夜は新井で豚汁を食す。大量のタマネギと豚肉だけだが、それが旨し。

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翌日、快晴。気温は氷点下5度くらいで冷え込む。アカカンで滑る。雪がキュキュキュと鳴って、寒さを実感する。その分いい雪質だ。チャンピオンが比較的空いていたので一人でチャンA、チャンBの壁、女子国体コースを一渡り滑る。午後になるとだいぶ気温が上がってくる。5日土曜日の午後、ということでだんだんと滑走者が減少してくる。皆さん日曜日を自宅で迎えたいのね・・

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妙高山から火打山までクッキリ
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絵になりますねぇ

6日、さらに減少して快適になったゲレンデで滑る。早朝は曇っていたが、9時過ぎからずっと細かい雪が降りっ放し。昼食後、女房と別れて一人で滑っていたら、午前中にも見かけたテレマーク3人組から声をかけられた。何かずっと話しかけたかったよう。突然滑りのアドバイスを求められたけれど、じっくり滑りをみていたわけでもないし、ワンポイントだけにする。

自分で意識しているのは、ターン初期のモモからヒザの返し、ターン前半からきちんとエッジに乗っていく中回りの丁寧な滑りだが、なかなか意識通りには行かないものである。リフト上などから見ていても、きちんとエッジに乗った中回りをきれいにこなしている人は驚くほど少ない。アルペンスキーヤーの多くも、スピードだけ出したなんちゃって大回りカービングターンか、板の反発を利用した小回りをするだけという人が多いのである。テレマークだと、アルペンよりもテールのズレが発生しやすいので、意識的にズラしているか、スキーが勝手にズレてしまうのか、その違いはおおきい。

年末から感じてはいたが、今シーズンの赤倉は外国人が増えた。確かめたわけではないが、おそらくオーストラリアあたりから来られている方が多いのではないか?ニセコあたりは前から人気らしいが、その影響が本格的にあらわれたのかもしれない。ゲレンデで英語で教えている外国人イントラも見かける。昼時にレストランに入ると、本当に大柄でウチの女房など子供に見えてしまうくらいの大男・大女が闊歩している。ラーメンをすする姿や、甘い炭酸ドリンクやアイスクリームをガンガン飲み食べる外国人少年を遠目からウォッチしていると、非常に面白い。

最後は観光ホテルの喫茶室でマッタリして、例によって「ふれあい会館」でゲル化して帰路についた。渋滞なく、関越道ですんなり帰宅。遅くに次男も帰宅、無事SAJのバッヂテストに合格したようだ。