利尻山へ

7月24日の朝、3時に起床して4時20分に北麓キャンプ場を出発。
パーティは少年9人、大人2名の11名である。前日稚内でザックごと持ち去られた少年はもう一人の大人と靴サイズがたまたま合致したのでその靴を借り、サブザックなしで登る。見た目ほとんど登山シロートに見えてしまうが、登山靴だけはしっかりしているので(スニーカーにジーンズで登っている大人もいる)よく見ればそれとわかるはずである。

最初はゆるやかなすそ野を登るトレイルで、なかなか標高が上がっていかない。前日キャンプ場までの舗装路アプローチでバテていた最年少の少年の足取りは重い上、11人のパーティになると誰かの靴ひもが緩んだり、段差を越えるのに時間がかかったりして、他の中高年登山者にどんどん抜かれる。いつもはサブザックでのピストン山行はかなり速いペースで登ってしまうのだが、このくらいゆっくりだとこちらは疲れなくてよい。それにしても少し遅すぎる。

森林限界の標高はだいたい600m以上だろうか。しかし笹藪が高かったり、低木が伸びていて視界が開けることがなかなかない。そのうち低木の枝に頭をぶつけ、目から星が出ることしばしとなる。登りでも降りでもこんなに枝に頭をぶつける登山は過去になかった。

6合目の第一展望台(7時50分)で初めて視界が開け、目の前に長官山、背後に海を眺める。しばし休憩。やや北東風が強いか。すると後方からガイド付きの中高年登山パーティが登ってきたが、ガイドの名札を見たら利尻をベースに登山・シーカヤックガイドをしている渡辺さんだった。「先日テレビで見ましたよ」と声をかけたら気さくに礼文島西海岸の状況(特にどこから風が吹き抜けてくるか)を教えて下さった。船泊から元地のコースは一日で漕げるでしょうと教えてくれた。この中高年パーティにも抜かれる。

第一展望台から

6.5合目に簡易トイレブースがある。利尻登山は大雪山系と同じくトイレがなく、簡易トイレのビニール袋持参での登山が推奨されている。私も自分用に一袋持っていったのだが、使用せずに済んだ。何せ私は排便時間がほとんど決まっている、「6時30分〜7時の男」であり、しかも「二度○ソを頻繁にする男」なので、こうした早朝出発の山行では排便のタイミングが非常に気になるのである。この日は4時の排便で事足りたのでラッキーであった。利尻山ではその他に2ヶ所(避難小屋と9合目)簡易トイレブースがあった。

長官山の斜面を眺めながら登っていると、実にこの前衛峰がスキー向きの斜面を持っていることに気付く。登山道から見て右手の浅い沢あたりは山頂1,200mからのほぼ一枚バーンである。スキーするためだけに利尻に来る、というのはあまりに遠くて現実的ではないが、面白いのではないかと思う。

長官山

長官山山頂(1,218m、8時30分)でようやく8合目。その後平坦な尾根を少し歩くと小さな利尻山避難小屋。いままですべてのパーティに抜かれてきたので、最年少の少年にこの後登りきれるか尋ねてみる。ここまででも2歩歩いては立ち止まりため息をつくような状況だったうえ、この休憩で半べそをかいている状態である。ムリはさせずここで同僚に付き添ってもらってエネルギーを補充し、また歩けるようになったら9合目くらいまで登っておいで、と告げて二人を残す。あまりこういうパーティ分割はやりたくはないが、まだ少年には体力と根性が身に付いていないうえ、このままさらに険しい場所で11人が頻繁に立ち止まるのはまずい。もちろん、ここまで4時間以上何も食べずに登らせているパーティリーダーの計画にも問題がある。平地とは違って登山中は頻繁に間食させるべきであった。

ようやく山頂が・・

9名になってややスピードアップ。山頂に近づくにつれ、トレイルがざれて足場が悪くなる上、トレイルの右側がぱっくり崩壊している部分もある。オーバーユースで溝状になってしまったところもあって危険度は増す。2名〜3名で登っているパーティを今度はごぼう抜きして、10時20分に山頂着。山頂部で強い風が吹いていなくてよかった。
360°の視界が得られ、絶景である。

山頂直前

山頂の祠

北峰とローソク岩

11時少し前に下山開始、登りよりも危険を感じるザレ場の急坂を下り、再び避難小屋で最年少の少年たちと合流。聞けば体力回復して9合目まで登ったらしいが、「泣き言を言わない、ゆっくりでもいいから止まらない」という約束をして歩かせたら、意外といいペースで登っていたという。ということは体力不足なのではなく、精神力不足ということか。パーティの中に入ると弱気になってしまうというのは私としては初めてで、どうしたら皆とともに歩けるかわからない。

降りでも何度も枝に頭をぶつけ、小さなコブを作りながら無事14時ころ下山。振り返ってみるとこの日に登頂できたのは大変ラッキーであり、今夏の登山好適日の中でもかなりいい条件だったのではないかと思う。