山猫アウトドア備忘録

最近は一人寂しく外で遊ぶ男の備忘録です

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都バスに乗って、運河漕ぎ

強風と午後からの強い雨が予報される中、朝からカフナのパックカートを引きずって都バスに乗る。運河から花見をしようという、過去にもやったツーリングだが、強風と河川護岸工事のおかげでわずかな距離で断念を余儀なくされた。

P3310060都バスでカヤック運搬

今回、私の呼びかけに集まって下さったのは7名。いつもフェザークラフトのツーリングでお世話になっている方々だ。はるばる群馬から来られたkawamuraさんは間もなく新社会人となるご子息を伴い、旗艦K2でのご参加だ。その他の方はカフナかウィスパーのシングル艇。河川敷に並べたカヤックはなかなか壮観だ。

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当初予定していたのは、荒川ロックゲートを荒川側からくぐって江東・江戸川・墨田3区にまたがる海抜0m地帯の運河を漕いでスカイツリーを直下から見上げ、扇橋閘門をくぐって大横川の桜並木を水上から愛で、海洋大学越中島キャンパスまで行って帰ってくる約20kmのルートだった。だが自転車で前もって下見までしたにも関わらず桜はまだ蕾、おまけにこの日ピンポイントで寒冷前線通過による強風と雨の予報。さらに護岸工事でスカイツリーにも接近できず、三重苦の結末となってしまった。今月いっぱいまで、2つの閘門は平日と土曜しか動かさないので、無理を押してでもこの日しかなかった。

集合時間より少し早くに出艇場所の偵察に行ったら、荒川には白波が立ち、とても出艇などできない状態。日曜日にはまだ通過できないロックゲートを諦める。次善の策として旧中川から出艇したが、ブローで10m超の強風に押され、勢いはいいものの南向きに漕ぐことが思いやられる。北十間川では狭い川なのに大規模な河川工事(これもスカイツリー絡みの護岸美化工事である)で現場のオッサンに進むことは罷りならんと剣もほろろにダメ出しされ、強烈な向かい風の中をスゴスゴと引き返す。出艇場所まで戻ったが、さらに小名木川を漕ぐ気力は失われ、これから降るであろう雨におののきながら午前中のうちに撤収とする。漕いだ時間は1時間ほど。残念。きっと桜が満開になるだろう来週日曜にリベンジするかも?ロックゲートも扇橋閘門もついに日曜稼働開始(毎月第一日曜を除く)とのことで、運河(今までドブなんて蔑んできましたが・・)はスカイツリー効果で脚光を浴びつつあるのだ!

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撤収時、カフナのリベット止め部品が壊れる。わが初期型カフナももう11年目だ。そこかしこに不具合が出始めている。アルミ製リベット止めの部分は腐食が進みやすいのか、経年劣化が出やすい部分だ(アルミパイプの中が乾きにくいからだろう)。せめてリベット修理は自分でやりたいものだ。近日中に修理にトライする可能性あり。

12時42分の都バスを待っているうちに、雨が降りだしてきた。これを打ち込んでいる午後3時には台風並の風雨だ。早めに撤収してよかったかも?
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鍋倉山・夫婦バックカントリー

平日の晴天を狙って、女房と2人で鍋倉山へ出かけた。最近、体力作りに励んでジョギングをしている女房が以前から山へスキーに行きたい、と言っていたので、数少ないチャンスを逃したくなかった。

早朝出発で朝9時過ぎに温井集落に到着。平日にしてはたくさん車が並んでいるのに驚く。ほとんどが地元ナンバー。9時45分に準備完了して最終除雪地点からシール登行を始める。天気予報通り、とても暖かい晴天だ。今朝刻まれたトレースがあるので、拝借して順調に歩く。ザラメ化しつつある雪質で、滑りは重そうだ。30分ほどで田茂木池のある台地の小屋に到達し、そのまま尾根に乗る。
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出発

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目印になる小屋

鍋倉山の東に伸びる尾根は南北に2本あり、そのどちらからも登れるが、先行トレースが北側尾根を選択していたのでそこを使わせてもらった。過去には南側の尾根からと、北側尾根のさらに北の平地から1000mあたりで尾根に乗っかるルートで登ったことがあるが、最初から北側尾根を登るのは初めてかも知れない。標高800mあたりの尾根末端は急で、歩ける場所も狭いが、まもなく広くなり、1000m近くではやや平坦になる。ここまで1時間。
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尾根取り付きは急で狭い

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しだいに尾根は広くなり、斜度も緩くなる

休憩を取って、ブナの巨木に絡みながら深いボウル状の谷を左手に見つつ、1150mまでさらに1時間。ボウル状の沢が終了し、南側の尾根が近くに見えてくる。ブナの巨木はどれも立派で、どれが「森姫」なのかも判別がつかない。

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ブナ巨木のひとつ

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巨木の谷の上に出ると、関田山脈の緩斜面と越後山脈が見える

最終休憩の後は、樹氷を見つつ頂上まで直登。12時20分ころ1288mの山頂着。女房連れで3時間切ったのは速かった。山頂はやや風が強いが、景色は最高で、360度の山岳パノラマである。特に山頂で初めて見える妙高・火打が美しい。日本海もうっすら。

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まもなくピーク

先行していた夫婦とお互いに記念写真を撮って、先行夫婦は黒倉山との間の沢に向かった。風が冷たいので長居はできず、我々も12時45分に滑降開始。登って来た尾根を途中まで滑り、薮が薄い部分を狙って北斜面を滑るつもりである。

が、雪が重い。上部はクラスト気味で、降っても、昨日の新雪の下に重いネバネバ雪があってスキーの方向づけが思うようには行かない。尾根も狭い部分があるので、慎重にアルペンターンで降りる。女房がコケたり止まったり息遣いが荒かったり(名誉のためにフォローしておくと、久しぶりの山滑りにしてはいい感じで滑っている)なので、待ちながらである。

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尾根上部

さて、尾根北側の大斜面。ここも急な上に粘っこい雪でテレマークターンを華麗に、というわけには行かない。それどころか滑ったところから雪の塊が大きくなりつつ落ちてくるので、途中で止まると雪塊が上から直撃する可能性があり、ストップできない。急な斜面が3分の2ほど残っているが、一気に滑る。下に行くにつれ状態が良くなってきて、少しだけテレマークターンを交えることができた。

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何とか大斜面をクリア

女房を待つ。こわごわだが、着実に滑ってくる。よしよし。無事800mあたりの「どうまん平」に降りた。後はトラバースしつつ田茂木の小屋を経由して降りるだけだ。調子よく先行して待っていたら、だいぶ遅れて滑ってきた女房が途中で転倒したという。やはり後続者を肉眼で確認できるところで待たないとトラブルの元だ。私の方はというと、今日は無転倒。

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温井集落

下は暑くて汗だくだ。滑降はゆっくりペースだった割には約1時間、13時30分ころには車に戻ってしまった。スキーウェアは暑いので急いで撤収、着替える。その後、戸狩温泉望の湯の浴槽を独占して、帰路につく。暑いし、そのまま高速で帰るのも芸が無く思えて、しばらく下道を走る。いつのまにか菅平を越えて東部湯の丸から高速を使う。年度末で首都圏高速大渋滞であり、渋滞回避のため新しいルートを使うが、結局大宮で軽く夕飯をとって帰宅は21時近くになってしまった。

女房の転倒によるヒザ痛、しばらく癒えそうにない。春の粘っこい雪は怪我のもとである。私は4月5日にまた関田山脈の稜線ステップソールツアーをする予定だが、怪我だけは気をつけたい。

12.3.29nabekurayama
青:登行 赤:滑走
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3年ぶりだよ!全員集合

久しぶりに2人の子供を連れてゲレンデスキーに出かけた。
行き先は子供たちが小さな時から通っていた赤倉観光ホテルスキー場。
シャケが生まれた川を遡る原理と同じ。私も毎年シーズン初めにはここへ帰ってくるし、シーズン中も2度3度は訪れる。

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私のお古ウェアをそれぞれ着た子供たち

すっかり子供たちも大きく(20歳と15歳)なってしまい、親として面倒を見ることはなくなり、まったくほったらかしでいいのは楽だが、寂しい思いもする。彼らが小さかったころの思い出に必然的に浸ってしまう。リフト上などから観察していると、3年ぶりに滑る長男のパラレルターンが非常にきれいなのに驚く。かかとが固定されていないスキーを久しぶりに履いて、きれいに弧を描けるのには感心した。

AKAKANも全リフトを動かすのはこの3月最終週末まで。なのに日曜日には雪が降り積もった。とても3月末の湿った重い雪ではない。客がほとんど引けた日曜午後、ラストランはゲレンデ脇の薄いパウダーを子供と滑った。リフトの「いらっしゃいませおじさん」に今シーズンの感謝の言葉をかけたら、とても嬉しそうにしてくれた。寒い中リフト運行を管理してくれた彼らのおかげで、今シーズンもゲレンデでの練習を楽しむことができた。ありがとう、妙高。

次はいつ全員で滑れるだろうか?
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仕事山行・八丈島は寒かった

船中1泊、キャンプ2泊で八丈島へ仕事で行ってきた。私自身は3度目の八丈島。

竹芝桟橋を22時20分に出航する客船「さるびあ丸」に乗船、二等船室のカーペットでひたすら寝たら、朝9時過ぎに八丈島底土港に着く。砂浜はなく、岩礁帯に囲まれている八丈島の海は常に風が吹いており、沖には白波が立っている。それでもまだおとなしい方だ。外海に面し、断崖の続く八丈島や青ケ島でカヤックをやるのは無理である。伊豆七島でやれるとすれば、式根島・新島・神津島あたりだが、ここだって砂浜はほとんどなく、あってもサーフポイントばかりである。マリンスポーツはシュノーケリング、ダイビングという島。

初日は船酔いが抜けない若人もおり、登山はせず島内探索。5年前の春にも来たのだが、今回はレンタサイクルを調達して八丈富士を回る海岸沿いの道路をぐるっと回ってみた。島の北半分を回るルートはざっと22km。寄り道もしたので25km以上は走ったと思う。借りた自転車は6段変速がついたママチャリだが、6速のうちロー側4速までしか使えなかった。海岸沿いとはいえ、ママチャリには厳しいアップダウンが延々と続き、自転車を押して坂を登ることもあった。八丈に来る客船にはロードレーサーを積んできた人もいた。あれだったら楽しくサイクリングできそうなのだが、サイクリング中に彼らに遭遇することはなかった。

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緩くてもママチャリ泣かせの道
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八丈小島と相棒(サドルを思いっきり上げたのは言うまでもないが、空気圧が・・)

八丈小島を右手に見つつ、島の西側の八重根港まで走り、大賀郷の集落の中で「明日葉うどん」を食べて昼食とする。八丈のグルメは島寿司(づけの寿司を和辛子醤油で食べる)か、明日葉を用いた料理だ。以後島を出るまで貧弱な食事になる。

八丈島ではフリージア祭りをやっていたが、実はフリージアがほとんど開花していない状況。今年はそれだけ寒い冬だったと言うことか。少しは観光も、と思い直し、以前立ち寄ったことがある歴史民俗資料館と島の古民家を開放した「ふるさと村」へ寄ってみる。資料館は初めて八丈を訪れた時(10年以上前)とまったく変化なく、少しは変化と工夫をしてもらいたいと思う。ふるさと村ではおばさんにお茶をいただく。

夕方から北西風が強くなり、テント内でもかなり寒い思いをした。シュラフカバーを持たず三季用のダウンシュラフだけだったので、着込んで寝たのだが寒くて夜中に何度か起きた。管理が行き届いているのにサイト代無料の底土キャンプ場には、ワンポールの三角テントで寝泊まりしている父子がいたのだが、あれだと下からすきま風がすごいだろうなあと思う。後でわかったことだが、お父さんはさる山小屋の管理人の方だった。それを聞いて納得。

翌日朝も北西風強く、時折テントがひしゃげるくらいである。天気はいいので、三原山へ登山に行く。八丈島の北部には標高850mほどの八丈富士、南部には標高700mの三原山がある。登山自体はほとんど電波塔管理のための舗装道路で、ほんの一部が階段状の登山道なので、まったくワイルドさはない。山頂は案の定強風で、手がかじかんでくる。そそくさと下山する。下山途中に唐滝という滝に立ち寄り、樫立という集落で温泉(入浴料300円)に入って、キャンプ場に戻った。下山したら風が弱まった。この夜も冷え込んだ。出発時に読み始めた、「原発と権力」(山岡淳一郎著・ちくま新書)を読了。つづいて「吉原御免状」(隆慶一郎著)を再読。

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唐滝。落水量が少ないので、強風で水が巻き上げられている。

最終日、やっと春らしくなってきた。だが翌日からは雨の予報である。隣のワンポールテントの父子も島を離れるようだ。9時40分に出航が早まった「さるびあ丸」に乗船。沖に出ると往路よりも激しく揺れる。ローリングとピッチングが複雑に絡み合い、再後端の船底にある二等船室の揺れは激しかった。みなカーペットにへばりつく。昼まで御蔵島には到着しないので、寝る。お昼に起きて八丈のパン屋で買ってきたパンを噛り、読書。船内のテレビではBSだけが受信できる状況なので、大相撲春場所の中継を三段目から観戦。しかし、16時でBS放送は終了し、地上波になると言う。船は新島から大島へ北上中で、地上波は受信できない。

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さようなら、八丈島

そこで揺れまくる船の最上部デッキに出て、携帯ラジオで十両以降の中継を聴く。誰もデッキには出てきていない。船の船尾をみていると、盛んに当て舵しているのがわかる。風と波浪が強い。うねり2m〜3mといったところか。カヤックだったら確実に沈&漂流&死に至るような海況である。海は恐ろしい。

だが、大島を通過して房総の洲崎から勝浦にかけての海岸線が見えてきたら、急に波がおさまってきた。東京湾って、ありがたい。やがて三浦半島もしっかり見えるようになり、いつもカヤックで漕いでいる海岸線がしっかりと見えてくると、船は12ノット以下に速度を落とし、湾内航行して竹芝桟橋に到着。若人の中には船内で5度も吐いたという者もいた。
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江東運河漕ぎ

日曜日午前中の雨上がりを活用して、江東運河(近所のドブ川)をぐるっと漕いできた。

旧中川から北上し、北十間川、横十間川、小名木川の周遊ルート約9kmだ。日曜日は荒川ロックゲートも扇橋閘門も稼働しないので、旧中川から出艇するとこのルートしか漕げない。しかし、東京スカイツリーが建設されてから、神奈川や千葉のアウトフィッターもここで半日ツーリングを企画するようになった。この日も三浦のコア・アウトフィッターズさんの車がシーカヤックを3艇ほど積んで駐車していた。さらにリバーカヤックをルーフに積んだ車も駐車しており、旧中川の河川敷ではボート、ドラゴンボート、体験カヤックなどが行われるようである。

私は9時少し前に到着してカフナを組んだ。実はカフナを組むのは昨年の奄美以来で、その後スポンソンを交換する際に船体布を広げたことはあるが、その後半年以上組み立てていない。おかげで船体布が縮んでいてキールフレームのテンション掛けに若干苦労した。それでもカフナは20分もあれば組み上がり、9時30分ころに江戸川カヌークラブが使っているポートから出艇。江戸川カヌークラブ所属のおじさんに見送られて漕ぎだす。出艇作業中のボートより先に旧中川の水面へ一番乗りである。

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旧中川を北上

過去は小名木川から漕ぎ始めていたが、今日は逆コースで旧中川を北上する。自宅のすぐ近くの川だが、水面に油も浮いている状況。いくつかの橋をくぐり、総武線の鉄橋をくぐったら左方向の北十間川へ進入。最初の橋(新小原橋)は人道橋なのだが、橋脚が危うそうだ。

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江戸川区と江東区を結ぶ人道橋・ふれあい橋。スカイツリーは下しか見えない。
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総武線各停列車の通過

北十間川もスカイツリー建設にあわせて護岸を整備しつつあるようだがまだまだ不十分。雨樋の中を漕いでいるような感じで、川の外の風景はほとんど見えない。大きな工事箇所もあったが、十間橋を越えてスカイツリーたもとまで漕いでみた。昨年よりもスカイツリーへは接近できた。

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スカイツリー最接近(押上1丁目付近)

少し引き返して横十間川を南下。再び総武線をくぐると、京葉道路の南側は近所の中学生のボート練習場だ。シングル4艇ほど、フォア1艇が練習していた。クローバー橋まで漕いだらバウを東に向ける。小名木川の単調な直線を漕ぐ。ところどころで橋の上からカヤックを見つめる人、護岸の遊歩道から声をかける人がいて、飽きない。だが声をかけるのはみんなおじさんであった。

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今度は総武線快速が通過(錦糸4丁目付近)
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ボート練習中(江東橋4丁目付近)

旧中川まで戻ると、今度は江東区側でポリエチレンのカヤックが3艇。聞けば亀戸にカヌークラブができ、初心者の中学生の指導をしているというおじさんだった。確か先週もふれあい橋のたもとで見かけた人だ。少し話した後、東大島駅をくぐり、出艇地へ。11時ちょっと過ぎで、のんびり漕いだ割には約1時間40分で終了。静水だとやはり速い。

一応カフナに水をかけて清め、天気は回復しそうにないので完全に乾かないうちに撤収。船内にはほとんど水は入っていない(正確には結露した水分が残る)ので、多少生乾きでもよしとする。31日には花見も兼ねてまたこのドブを中心に閘門をくぐるツーリングをする予定である。
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3.11に都内ポタ40km

今日はあの地震からちょうど1年。遠くへスキーなどの遊びに出る気分にはならず、かといって雨も降らないのに外に出ずゴロゴロするのはもったいなく、考えた結果、自転車に乗って女房とポタリングに出かけた。
目的地はない。とりあえず北千住まで行って、その後は気の向くまま。

荒川サイクリングロードを手始めに走ったら、案の定昨日までの雨で土手から水が滲みだしている場所が何か所かあった。日曜日も10時を過ぎると自転車交通量がが多くなり、河川敷でのサッカーや野球が随所で行われるのでスピードは控えめ。20km平均で走る。だが吹き始めた南風に押されて出そうと思えばスピードは出てしまう。

北千住の東口駅前から西新井大師・総持寺へ向かう。西新井大師参道でちょっと贅沢な昼食を食べて、参拝してから近くのカバン屋に立ち寄る。秋に通勤用のショルダーバッグを買った工房兼店舗で、女房を初めて連れてきた。カバンに目がない女房だが、今日のところは衝動買いを避けたようだ。

その後はメチャクチャな道取りで鹿浜橋を渡り北区に入って、王子近辺から都電沿いに明治通りに出て、浅草千束のソープ街を走る。吉原って、回りの土地よりもちょっとだけ標高が高いことに気づく。江戸時代は田んぼの中にちょっとだけ土地を盛って遊廓をつくったのだろう。ソープ入口に呼び込みのお兄さんたちが何人も立っていて異様な雰囲気。「吉原御免状」(隆慶一郎)を再読したくなった。

浅草寺は人ごみを避けるために裏側から抜けて、隅田川沿いの待乳山聖天でお参り。ちょうど1年前の今ごろ、東日本をあの地震が襲った時刻だ。あの日は職場で宿泊し、若人400人を預って大変な一日だった。震災で亡くなったりいまだ行方不明の方々の鎮魂と、おびただしい数の被害者の幸せを願った。
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待乳山聖天の庭園からスカイツリー
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移植された河津桜が咲いていた

間近に見えてきたスカイツリーを目指して隅田川を桜橋で渡る。橋上でチアガールの女の子たちが群をなしていて、走りづらい。

墨田区に入ったら、やはりスカイツリーの周辺は人が多いので、北側から押上界隈を抜けて、休日はいつでも人が多い亀戸天神も北から回り込んで午後3時過ぎに亀戸の小さな自家焙煎コーヒー店でブレイク。

自宅に着いたら、サイクロコンピュータの距離計がだいたい40kmだった。
ゆっくり走ったので汗だくにはならなかったが、家を出た時からだいぶ気温が上がり、途中で中間着を脱いだ。都内のポタリングとしてはまあまあではなかったか?なにより、一人で黙々と走るよりもずっと楽しい。

もう少し暖かくなったら、しっかり汗をかくようなサイクリングをしよう。
夕方から大相撲大阪場所初日の模様をを観戦。初場所から真剣にウォッチ(もちろん幕下から注目はしていたけど)しているのは、前頭筆頭の栃乃若。先場所13日目に惜しくも敗れた稀勢の里に厳しいおっつけから恩返しをした。前にも書いたけれど、彼は来年には大関になる、と断言する。
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鵜原で波にもまれたけど寒い!

セタスの笠原氏から、注文してあるのとは別のインフレータブルSUPボードの試乗をしてみないかというお誘いを受けたので、いそいそと外房へ向かった。朝から一日中雨で、寒い一日だった。

集合が鴨川漁港朝8時というので、5時起きして市原SAでトイレに寄って7時30分過ぎに着いた。東京からずっと雨である。しかも予報は真冬並に寒いらしい。こんな時に海に入るのはちょっと勇気がいる。

笠原氏とお誘いしたオオタガキ氏の3台で鵜原へ。しとしと雨が降る中、ウェット(アンダーにサーフ8のジョンを着て、リーフブーツを履く)に着替えて果敢に入水。最初はそれなりに暖かく感じる。

試乗ボードはスターボードのアストロ。10フィートで、かなり幅広だ。ロッカーもしっかり入っている。が、ヘタクソな私が乗ると回転しやすく、立って漕ぐのはいいが波なんかぜんぜん乗れない。乗ろうとして漕ぎ始めるとふた漕ぎで横向きになってしまい、持ち替えると波が過ぎてしまう。そのうちドボン。一度落水すると、もう何度でも落水してやる、という気分になる。そのとおり何度もコケた。

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手前がアストロ

リジッドボードに乗る笠原氏、自前のインフレータブルボードを持参したオオタガキ氏はさっそうと波に乗っているのだが、こちらはぜんぜん乗れず。あげくに沖から来る波を乗り越えようとしてバランスを崩し、ボードの先端をパドルを握った拳で思い切り殴ってしまい、その時に指の皮がすりむけて出血する。同じことを繰り返して右手の小指と人さし指の3ヶ所ほど擦りむく。おまけに薬指は打ち身でどす黒く変色した。擦りむいたところは出血する。海水なので滲みはしないが血が止まらず、痛い。やはり寒いのだから手袋はした方がいい。ケチってパドリングミトンを着けてこなかった代償だ。

ボードを3人で取換えたりしてみるが、そう大きな進歩はない。強いて言えばオオタガキ氏のボードは過去に借りて漕いだことがあり、そのためか2度ほどスープに押される感覚があったけれど、ほとんどの時間は波乗り以前の問題である。

そのうちサーファーも入ってきて、SUPの人も一人入ってきたのだが、その人が波をかなり横に広く使うので初心者としてはだんだん遠慮がちになる。だが別に私が悪いことをしているわけではない。

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だいぶ人が来ました。一足先に挫折です。

いっこうに乗れないのと、寒いのがしんどくなってきて、自分にはSUPの素質はないのか、と思い始める。そしたらとたんに頑張る気がなくなって、止めて上がることにした。それでも12時少し前。何度もくじけたにしては頑張った方ではないか?

暖かくなったら、内房でクルージングすることが優先だろう。外房で波に乗るなんて、まだまだ先の話。

3人で興津のラーメン屋で昼を食べて解散。久しぶりに久留里から市原インターまで下を走った。どんどん雨足が強くなってきた。
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2年ぶりの夫婦スキー

女房とスキーをするのは2年ぶりである。1月に購入したウェアの特典として、妙高一帯のスキー場リフト券がペアで入手できていたので、土曜日夜は手前の長野で宿泊し、日曜日に一日ゲレンデで滑ることにした。次男はしばらくヒマなのだが、友人と遊ぶことを優先したので置いていく。

土曜日の夕方、さっそく首都高渋滞。練馬まで1時間近くかかってしまった。その後は順調に21時、松代のホテルに到着。初めて泊まったホテルだが、比較的安かった割にさまざまな点で立派なホテルだった。

日曜日に妙高に向かう。9時到着ですでにAKAKAN駐車場がほぼいっぱい近くになるくらい盛況だ。親子連れが多く、のどかだったけれど幼児連れには大変だった昔のゲレンデを思い出す。ここに通い始めてから20年近く、ずいぶんスキー場の景観も変わった。変わらないのは周辺の山の風景と昭和12年に建てられた赤倉観光ホテルだけだ。

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前山を従えた妙高山

この日はスカッと晴れていつも変わらない妙高山の雄姿がバッチリ。前日に新雪がうっすら降ったのか、雪質も上々。3月で雪質は全く期待していなかったのに、嬉しい誤算であった。前山に登るスキーヤー・ボーダーがリフト上から小さく見える。かなりの数が登っているように見えた。次回はしっかり準備して、比較的楽な山に女房を連れていきたいものだ。今シーズン中に一度行かれればいいが・・・

ゲレンデではチャンピオンBコースで学生のレースが行われていて(運営がスムーズでなくて選手の滑走をほとんど見られなかったので応援のしようもなかった)、一般スキーヤーが滑れるコースが限定され、おまけに日曜なので午前中は場所によってかなり混んでいたが、ホテル前のオークラスロープや、急斜面のチャンピオンAはガラガラ。特にチャンAのコブは未発達で、ちょっと雪が重めだったけれどいい感じで滑れた。コースを変えながら、女房に時々アドバイスして、自分は片足滑走やノーストック滑走などいろいろ試してみた。

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チャンピオンAコースはこのようにガラガラ
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お昼は「めいぷる」でスキー汁定食。やはりスキー汁はなくてはならないメニューである。

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食べかけスキー汁

午後になるとめっきり滑走者が減り、人を気にせず滑れるようになってきたが、脚も疲れてきた。3時に終了し、「ふれあい健康館」で地元の人々と風呂を浴び、素直に高速に乗って帰路につく。関越道がまたも激しく渋滞していたが、北関東道・東北道経由で渋滞なく20時40分に帰着。

2年前のエントリ記事を読み返したら、全く同じような天気、状況で女房と2人で滑っていたことがわかり、進歩のなさにちょっと驚く。
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