8月に読んだ本


・渡辺 京二 著「黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志」(洋泉社)


面白かったので一気に読んでしまった。特に、さまざまな歴史研究を踏まえて、アイヌに対する日本人のオリエンタリズム的でステレオタイプな見方をしていないところが気に入った。もう少し著作を読んでみたくなる。「逝きし世の面影」などはいずれ読もうと思う。

・鎌田 慧 著「沖縄 ウチナー」(七つ森書館)

鳩山政権から菅政権に代わってまだ3ヶ月経っていないというのに、次の首相が取りざたされている。そしてあれだけ騒いだ普天間問題はすっかり下火になってしまった。高校野球で興南高校が優勝して、政治家たちは問題の再燃が少し遠のいたと思っているのではないだろうか。鎌田慧の長い取材録であるこの本は、そんな簡単なことではこの問題が終わらないことを物語っている。しかしちょっと一面的な記述のようにも感じられる。もっと実際は錯綜した複雑な問題なのだろうと思う。


・ドストエフスキー 江川卓訳「罪と罰」(岩波文庫)



先月に呼んだ本のエントリの中で予告した、ご存知「罪と罰」である。恥ずかしながら中学生の時に「罪と罰」のダイジェスト版(中学生が読むに耐えられるもの)を読んでそれで済ませてしまい、きちんとした訳本を完読したことがなかった。ストーリーは単純なので、わかった気になっていたのである。「カラマーゾフの兄弟」は正真正銘2度読んだが、「罪と罰」はこれが初めてといってよい。
なぜ今になってちゃんと読んだかというと、ある少年にこの夏の課題図書として勧めたのだが、勧めた自分がちゃんと読んでないのはまずいと思ったからだ。ということで買い求めた。「カラマーゾフ」に続いて巻末解説の詳しい亀山訳にしようかとも思ったが、大学時代に「謎解き罪と罰」(新潮選書)を読んで感銘を受けた故江川卓(えがわたく である。えがわすぐる ではない。ちなみに後者が野球で活躍する以前から使っていたペンネームである)の岩波文庫版を3冊同時に買った。
いやー、面白い。1週間で読了。ロシア小説特有の、登場人物のさまざまな呼称に惑わされる混乱は必ず起こるが、クリアすればどんどん読める。主人公ラスコーリニコフは中学生の時に読んだのと同じニヒルなイメージであったが、やはりソーニャのイメージ、スヴィドリガイロフのイメージは中学生の時とだいぶ違った。中学生版ではソーニャは娼婦とは書けないからなぁ・・そしてすべての登場人物の饒舌なことといったら!
ドストエフスキーの小説は深遠な哲学も含んでいるけれど、まずは小説なので楽しんで読まないと面白くない。この夏の最大の果実であった。


・臼杵 陽 著「大川周明 イスラームと天皇のはざまで」(青土社)



大川周明の「回教概論」はかつて中公文庫版で読んだ。戦時中の書物であるにも関わらず、古めかしさを全く感じさせない内容であったのに驚いた。イスラーム研究の核となる部分がすでにここに記されていた。
大川周明はイスラーム研究やコーラン翻訳をしていたことよりも、戦前の「右翼」であり皇道派青年将校のブレーンであり、東京裁判で東條英機の頭を叩いた奇人(あるいは本物の精神錯乱者かそれを偽装した?人物)として知られていると思われる。この本はイスラームおよびイスラエル研究の臼杵氏が上記のような大きなギャップを埋めた書物である。内容はなかなか難しく、一読だけで理解できたとはいえない。
イスラーム研究の中で、戦前の大川たちと戦後の研究のつながりを埋める作業が今になって少しずつ進んでいる。

・加藤 聖文 著「『大日本帝国』崩壊 東アジアの1945年」(中公新書)



8月になると必ず先の戦争を振り返る特集があらゆるところで取り上げられる。中公新書でも腰帯をつけて何冊かアジア・太平洋戦争本を売り出しているが、この本も近代史の加藤陽子が推薦する短文が腰帯についていた。ごく最近でたばかりの本なので、買って読んでみた。内容がすばらしい。
1945年の国際状況から説き起こされる。日本が受諾したポツダム宣言が実質トルーマン単独の宣言だったことにまず驚かされる。確かに、ドイツのポツダムで会談をしたのは米英ソの首脳。しかしポツダム宣言は米英中首脳の名前で出されている。ソ連のスターリンは意図的に宣言から排除され、会談に加わっていていない中国の蒋介石が宣言に署名しているのはおかしい。
ポツダム宣言を受け入れるまでの日本国内での苦悩、そして「玉音放送」。8月15日をもって戦争が終了したと日本人は思いこんでいるが、当時の大日本帝国版図の各所を子細に見てみればどうなのか。南洋諸島はすでに米軍に制圧されており戦闘はなく、樺太や千島では本格的戦闘はそれ以後だった(浅田次郎の小説が話題になっているが)。朝鮮半島では?台湾では?満洲では?
というように各章が非常に興味深い。現在の日本人は現在の日本の領土の枠からかつての戦争を考えてしまいがちだが、そうではない視点から見るべきことに気づかされる。

ところで問題の「玉音放送」。ラジオで8月15日正午に発表されたが、昭和天皇の声はレコードへの録音盤だった。これは昔の映画「日本のいちばん長い日」で知っていたが、NHKラジオの出力はいかほどだったのだろうかと思った。それというのも、ほぼ同時刻に現在の日本列島全域はもちろんのこと、植民地である南洋諸島や朝鮮半島・台湾・満州・中国各地で聞けたというのだ。調べてみると、中波放送は10kwから60kwに出力を上げ、短波放送でも放送されたとのことだ。なるほど、短波であれば「外地」であっても受信は可能だと思われるが、短波受信機の所有ということになると、聞けたのは軍関係者だけだろう・・「外地」の一般人はどうやって敗戦を知ったのだろうか?