10月に読んだ本

09年10月31日:記
今月はあまり何冊も読まなかった。しかも読んだのは江戸時代を扱った小説のみ。こういう月があってもまぁいいだろう。

・飯嶋和一 著「雷電本紀」(小学館文庫)



飯嶋和一の小説は初めて読んだ。雷電といえば、過去においても現在においてもほとんど幕内力士を出したことのない「相撲不毛の地」と呼んでもいい信州が生んだ、史上最高・最強の大関(この時代は横綱という地位は確立していない)である。信州出身者として是非読んでおかなければと思って月の上旬に携帯して少しづつ読んでいた。
この小説では浅間山噴火と連動して飢饉に見舞われ、江戸の都市部へなだれ込んできた信州・上州出身のあぶれ者を「シナノモノ」「ジョウシュウモノ」と呼んでいたというが、私はまずこの語感に魅かれた。自分もれっきとした「シナノモノ」である。

読んでいて、場面転換と時間の遡及が多くて戸惑うことが多かった。歴史考証はとてもしっかりしていてリアリズムがあるが、この小説に登場する人物はあまりに善人が多すぎる。善人たちの美談を積み重ねたような内容になっているところも読んでいて少し首をかしげたくなる。だが、それもフィクションだからと割り切れば非常に感動的な小説で、涙も誘う。

この著者の他の作品も読んで見たいとは思うが、同じような善人美談のリフレインだったら飽きそうだ。

・五味康祐 著「柳生武藝帳(上)(下)」(文春文庫)



再読である。面白い剣豪小説は何度読んでも読むに耐える。夏に隆慶一郎の「影武者徳川家康」を再読したが、それ以上に精読することにして月の後半は毎日電車の中で少しづつ読んでいた。

「柳生武藝帳」と呼ばれる3巻の巻物があった(もちろん著者のフィクション)。それぞれの巻物には特別の秘密が書かれているわけではないが、読み解ける人が読むと、そこに皇室と柳生家および幕府の秘匿すべき関係が明らかになるらしい。秘匿すべき事柄とは、紫衣事件を契機に皇子を柳生一党の誰かが殺害し、その下手人が「武藝帳」に書かれた柳生新陰流の免許皆伝者の中にあるらしいのだ。「らしい」と推測が入るのも、「柳生武藝帳」が持つ秘密についてはこの小説の最後まで明らかにされない上、この小説自体が中途半端なところで終わっている未完の小説なのである。

未完の小説ほどはぐらかされるものはないが、この小説は違う。「武藝帳」の秘密をめぐる江戸初期の実在・架空の剣豪・忍者たちが目まぐるしく暗闘を繰り返していく。その対立関係を読者が整理するのも大変だ。主人公格の霞の忍者・双生児の多三郎と千四郎とその主人たる山田浮月斎(疋田陰流)、「武藝帳」の何たるかを知り巻物の流失と秘密の拡散を防ごうとする柳生宗矩と十兵衛・友矩・又十郎父子、宗矩とは距離を置きながらも抜群の剣さばきを見せる柳生兵庫介(新陰流)、兵庫介へのライバル心から「武藝帳」に一時近づく新免(宮本)武蔵(二天一流)、公卿の息子だが朝鮮由来の直刀を取らせたら十兵衛や霞兄弟と比肩しうる剣技を持つ神矢悠之丞、さらに鍋島家や伊達家など有力大名、大久保彦左衛門をはじめとする幕閣たち・・・
男達ばかりではなく、登場する女達も非常に魅力的だ。端役にも魅力的な人物やつい笑ってしまう名前の人物が登場する(吉行淳之介や安岡章太郎そのまんまの浪人が登場)

こうした登場人物の多くが、江戸から京都までの東海道を行きつ戻りつしながら暗闘を繰り返していくのだ。「大菩薩峠」ほどのスケール感はないが、漂泊小説としても魅力がある。

この小説がなかなか厳しいのは、次々に挿話が挟まれ、脱線が非常に多いことだろう。本来はシンプルなストーリーのはずなのだが、挿話を読んでいるうちに本筋を見失いかけることしばしばだ。また、候文が多いのも特に若い人の読破を困難にしている。

再読してみて、初めて読んだ時には気づかなかったストーリーに気づかされることが多かったし、再読だからといって飛ばし読みすることもなく、初回と同じようにワクワクしながら読めた。この小説は私にとって時代小説・剣豪小説の最高峰である。今後も折りに触れて読んでいきたい。