さようなら、浅間国際

今回も屋外スケートの話題。

いま、各地の屋外スケートリンクが次々に閉鎖に追い込まれている。冬の平均気温の上昇の中でコストがかかる屋外スケートリンクは維持が難しい。地域住民の手弁当でつくられる天然氷の地元密着リンクは細々と北海道・東北・長野・埼玉あたりに見られるようだが、私たちが子供の時分には至る所にあった400mトラックを持つ屋外スケートリンクはもう長野県にも数えるほどしかない。例えば、小学校低学年まであった中信スケートセンター、小学校高学年の時に学校で連れて行かれた木曽駒スケートリンク。どちらも閉鎖されてだいぶ経つ。

そしてまた、松本市の美鈴湖畔にあって、かつては日本はおろか世界の名リンクと言われた浅間国際スケートセンターも今シーズンいっぱいで閉鎖だという。浅間国際はレジャーのためのリンクとは違い、標高と地形の恩恵を受けてハイレベルな大会が開催される高速リンクであり、いまでもリンクレコードが飾られている。オリンピックメダリスト清水宏保、加藤条治たちが競ったリンクなのだ。

実は私は隣の美鈴湖で滑ったことはあるが、浅間国際はレベルと敷居が高すぎて(思い込みに過ぎなかったが)滑った経験がない。わが女房は浅間国際が思い出のリンクのひとつだそうだ。今年で閉鎖、と聞いて行かないわけにはいかなかった(私にとっては最初で最後の滑りだが・・)。入場料は今シーズン無料である。早朝から250km離れたリンクへ高速を使って向かう。最近スケートを始めた吐月工房氏も現地で合流するというので楽しみは増えた。

昭和レトロな雰囲気

10時過ぎに現地到着、リンク内側では少年選手たちが練習中。滑走スピードが恐ろしく速い。夫婦揃ってまずスピードスケートを借りて滑走開始。高校生以来のスピードスケートに最初かなり戸惑う。マイシューズのホッケー靴とはブレードの形状、靴の深さが違い、かなり違和感がある。氷を蹴れないのである。転倒までは行かなかったが、かなり恐る恐るのヨタヨタ滑りになり、しかも足が痛い。リンク3周でスピード靴を諦め、マイシューズに変更。このころ吐月工房氏も合流して、3人でめいめい滑る。スピード靴を諦めなかった女房が昔の感覚を呼び覚まして滑っていた。こちらはホッケーシューズに変更したらまた違和感を感じるが、しばらくして普段通りの滑りに戻る。

貸スピード靴とマイシューズ

2時間いっぱい滑り倒す。かなり汗ばんだので、グルグル周回するのを止めてリンクの一角でクロス、バック、バッククロス、いろいろ交えた8の字、grapevineなどをして遊ぶ。フィギュア少女は2名、アイスホッケー少年が1名、いろんな技を試す同志のような白髪のホッケーおじさんが1名、残りは地元の家族連れでスピードかフィギュア靴である。さすが信州で、子連れのお母さんがチョイスしている靴はスピード靴(一般的にまずフィギュアである)だったりする。栃木のホッケー(女性はやはりフィギュア多し)とはまた違うスケート文化がここにはある。

12時30分に終了。かなり滑った。屋外リンクということでハンディGPSを持っていってトラックログを取ってみたが、滑走総距離は30km弱(前のトラックログの記録が加算されているかもしれないので実は怪しい)だった。意外と滑っていることが判明。ちなみに最高スピードは29km。満足と一抹の悲しさを感じながらリンクを後にした。


「リンクを閉じないで」悲痛な叫び。

こういう閉鎖されそうなリンクは一度滑っておきたい、と思う人はそんなに多くはないと思うが、長年培われてきたスケート文化が新しいリンクによって更新されていくならまだしも、次々に減少していくのは悲しいことである。帰りの高速からかなり結氷している諏訪湖を見ながらその感を強くした。

まだまだスケートは追求していくつもりだが、しばらくスキーを履いていないので、そろそろゲレンデ練習でもいいのでスキーに行く予定である。今年は積雪もなかなか落ち着かないので、プライベートツアーとしては里山・棚田・段々畑をフィールドとするステップツアーを2月になったらしようかと思っている。