11月に読んだ本

09年11月29日:記
・荒山徹「徳川家康 トクチョンカガン 上・下」(実業之日本社)



徳川家康を主人公とし、その名をタイトルとした小説は、山岡荘八「徳川家康」、隆慶一郎「影武者徳川家康」が他にある。残念ながら山岡荘八の長い小説は読んだことがないが、この荒山版徳川家康は隆慶一郎へのオマージュとして作られた第3の家康像といえる。だが、タイトルがすでにネタをバラしてしまっており、今までの荒山の小説が朝鮮の日本に対する「恨」を根幹としていることからすれば、おおかたの想像はついてしまう。本物の徳川家康は関ヶ原で戦死し、影武者としてあてがわれていた朝鮮半島出身の元信(ウォンシン)が家康を騙り、朝鮮からの忍術師を用いながら秀忠及びその補佐役の柳生宗矩と対立していく、というものだ。隆慶一郎の「影武者徳川家康」とは善玉悪玉の設定が逆なだけ。
読んでいて、朝鮮忍者の術があまりに超人的で、その技の種明かしもされない。子供向け特撮番組の類とほとんど同レベルで、そこかしこにそのようなしかけも見受けられる。同世代の作家がこういう時代小説を書いていることを歓迎する人も多いのだろうが、私の趣味ではない。単行本で2巻も買って損した。

・佐藤育子・栗田伸子「通商国家 カルタゴ」(興亡の世界史03 講談社)



フェニキア・カルタゴの通史で大部な1冊の本になるということがすごい。フェニキア人の植民活動と航海技術はもっと注目されるべきだ。この本には、フェニキア人がアフリカを東から南下して喜望峰を回ったと書かれている。1488年にポルトガルのディアスが喜望峰に到達した2000年以上前のことだ。本の後半は、地中海での通商覇権とローマとの対立進行、そしてポエニ戦争が克明に描かれている。ハンニバルはポエニ戦争でローマを苦しめたカルタゴの将軍だが、戦に敗れたあとも東地中海沿岸の都市国家で政治手腕を振るっている。塩野七生の「ローマ人の物語」で少しは知っていたが、あらためて勉強になった。

・岡敬三「港を回れば日本が見える ヨットきらきら丸航海記」(東京新聞出版局)



たまたま弊社図書館の新刊本にあったので読んでみた。なかなか面白くて一気に読んでしまった。筆者はアパレル業界(ヴァンヂャケット)で活躍(ペンションブームや女性旅ブームを巻き起こした人だそうだ)していたが、おそらく一線を退いた後にヨットで各地を回るようになったのだろう。沼津のヨットハーバーから数回に分けて沿岸を旅し、各地の様子を描いている。ヨットだと、カヤックと違って航海は遠距離になる。停泊するのはたいがい漁港で、その際にはどこに係留するのか、難しい場所選びがあるようだ。そして漁港でヨット見るやあからさまに係留してはいけないだの、わざと悪い場所を指定するだの、とにかくよそ者を排除しようとする嫌がらせによく遭うらしい。カヤック旅とはまた違った苦労があるようだ。だが、筆者はそういう意地悪い人をペンで罵倒したりはしない。漁師たちと仲良くなっていろいろな差し入れをもらったり、いい思いもしている。それにしてもヨットの中で自炊しながら航海し続けるのはそれなりに大変そうだ。

・中島岳志「朝日平吾の憂鬱」(筑摩書房 双書zero)



久々に中島岳志の著作を読んだ。相変わらず読ませる。朝日平吾とは、1921年に安田財閥の安田善次郎を大磯の自宅で刺殺し、自らもその直後自決した若きテロリストである。朝日平吾の一次資料は別の人間が持ち去ってしまったにも関わらず、中島は他の資料を用いて朝日の生い立ちから説き起こす。どうも朝日は若い頃から自己中心的で、せっかくついた職も放擲してしまい、どこに行っても嫌われるタイプの青年だったようだ。プライドだけは高いのでまともに就職も出来ず、家族からも厭われる。追いつめられた朝日は自分の夢を実現させるための資金寄付を渋沢栄一を始めとする財界人に迫り、それが撥ね付けられて成金や財閥への恨みをつのらせていったようだ。朝日が安田善次郎を刺殺したのち、世の風潮としては朝日を英雄視する論調が目立った。こういう状況が昭和初期にかけてのテロ事件を次々に生み出す素地となっていった。筆者は秋葉原での無差別殺人にショックを受け、この作品を書いたと述べている。
それにしても他人事ながら、北大の准教授でもある中島岳志は一般向けのこのような本を書いていていいのだろうか?

・三谷博・並木頼寿・月脚達彦「大人のための近現代史 19世紀編」(東京大学出版会)



東大出版会という大学出版局がこういう本を出したことが面白いが、内容はいかにも東大出版会的な硬い内容だ。19世紀編ではアヘン戦争以後の東アジアの各国史を詳細かつ有機的に組み合わせていく。そこには琉球史も台湾史も、ロシア極東史も組み込まれる。特に幕末から明治にかけての日本史の部分で、いままで常識とされてきたこと、高校の教科書には記載されてこなかった新しい視点が描かれており、目を見開かれた感じがした。
但し、その内容は相当東アジア史に精通していないと理解しにくい。「大人のための」と銘打ってはいるが、大人にとってかなり難しい本だ。むしろ大学受験生や歴史学専攻の学生にふさわしいかも知れない。20世紀編が近々刊行されるらしいので、揃ったら個人的にも買っておこうかと思う。

・佐藤優編「現代プレミア ノンフィクションと教養」(講談社)



ムック本ではあるが、これもまた弊社図書館から借りた。著名人が選ぶノンフィクション作品も興味深く読んで見たいと思う本がいくつもあったが、後半にある対談やコラムが面白かった。なぜ新聞は創価学会のことを取り上げて批判しないのか?→新聞の印刷局が正教新聞の印刷を請け負っており、創価学会は新聞社のスポンサーだから。朝日新聞が自衛隊海外派遣について政府の御用新聞と化した背景。中川昭一の死の背景にあるものは?興味は尽きないが、こういうのばかり読んでいると陰謀史観に取り込まれてしまいそうだ。

・佐々木敦「ニッポンの思想」(講談社現代新書)



80年代の「ニューアカ」ブームのころ、ちょうど大学生だった。だが、浅田彰も中沢新一も、併せてここで紹介されている蓮實重彦も柄谷行人もまるで読んでいない。今読もうとも思わない。柄谷の「世界共和国へ」を読み始めて「何言ってんだコイツ」と思い、放り投げた。「ニューアカ」の著名人は文体が難解で何をいっているのかわかりゃしない。ハッキリ言って悪文家たちだと思っている。彼らが紹介するフランス思想も積極的には理解しようとは思わない。この本はそういう食わず嫌いの私を少しはほぐしてくれるかと思いきや、全くそのようなことはなかった。筆者は1964年生まれというが、ご自身は理解できたという「ニューアカ」の思想展開を一般読者レベルまで咀嚼して紹介していないと私には思える。いくら引用しても読者は引用文についていけないのだから。
読んでいるうちにどうでもよくなり、読書放棄。東浩紀の紹介までたどり着けなかった。だが挫折感はない。

・竹内正浩「地図だけが知っている日本100年の変貌」(小学館101新書)



小学館まで新書を出し始めたか!とにかく気楽に電車の中で読めるもの、と思って借りたのだが、案の定気楽にすぐ読めてしまった。地形図の歴史的変遷の中で失われたり新たに現れたものを中心に全国各地の例を挙げている。一つ一つの紹介が短い。地形図も一つのトピックにつき3枚くらい載せてあるのだが、いかんせん新書判なので詳細がわかりにくい。読んでいて一番興味を持ったのは横須賀の海岸地形。これを読んで先日のカヤックの帰りに戦艦三笠の見学に行った。

・野中広務・辛淑玉「差別と日本人」(角川ワンテーマ21)



角川の新書である。野中広務という政治家の出自についてはこの本で初めて知った。現役の議員時代には、小渕首相の密室指名をした「五人組」の一員で、「毒まんじゅう」発言などあまりいいイメージの無かった自民党の重鎮、という印象しかなかったが、この本を読んでたたき上げ政治家のしたたかさと暖かさを感じ、野中広務という人に対する印象がずいぶん変わった。こういうスタンスで汚れ役を常に買って出るのは、2世議員たちにはできない芸当だ。小泉、阿倍、福田、麻生、さらに与党がかわっても鳩山と、およそ庶民感覚とはほど遠い政治家が日本のリーダーとなっている。都知事の石原にしてもそうだ。どうしてこうも人間味も思いやりも欠けた人物が人の上に立つのか。麻生や石原の暴言には怒る前に呆れてしまうのが普通の感覚だ。
もちろん、海千山千のたたき上げ政治家の野中だから、ここで述べていること全てが正しいとは思わないが、少なくとも野中は知らなかったことは知らなかったと述べ、政治家として恥ずかしいとあとがきで述べている。辛淑玉が在日としての怒りや苦しみを率直に述べながら野中と対峙していく中で、野中も胸襟を開いて対話している様子がよくわかる。なかなかいい本であった。

・「怪力 魁皇博之自伝」(ベースボールマガジン社)



特に目新しいことはないけれど、タイトルの通り大関魁皇の「自伝」。インタビューに基づいて書かれたもので本人が書いたものとは思えないが、ゴーストライターの名前はない。九州場所も今日で千秋楽。早々と白鵬の優勝と年間最多勝記録更新が決まり、おそらく今日も朝青龍に勝って全勝優勝となるだろう。今場所幕内通算勝ち星が北の湖を抜いて単独2位となった魁皇が、何度もあった引退の危機を乗り越えて現在に至るまでどのような心境で土俵を務めてきたのか、それがよくわかる。
初場所前半に魁皇は幕内通算勝ち星で現在1位の千代の富士を抜くことだろう。また春場所まで務めれば幕内通算100場所を達成する。だがそういった数字には魁皇はほとんど興味がないらしい。いつまで現役でいられるのか、同じく長く地位を守ってきた千代大海が大関から陥落することが明らかな現在、その去就はますます注目される。