2月に読んだ本から

・安冨歩 著「原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語」(明石書店)
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新聞の複数ある読書欄のうちの一つから目に留まり、買ってしまった。
文体は平易で非常に読みやすかったが、ご自身のブログ記事の整理とまとめで成り立っているらしい。

前半の3章分は「東大話法」の分析とそれを用いたブログ上の意見に対する筆者の批判が書かれる。それ自体に対して特に強い賛成や反対の意見を私は持ち合わせているわけではないが、ちょっとくどい、という印象を持った。やり玉に挙げられている意見の全文も読んでみないことには何とも判定できない。

「東大話法」は現役東大教授である筆者の研究対象で、20項目もその特徴が挙げられているけれど、東大という狭い世界の中だけに留まるものではなく、責任回避社会である現代日本のどこでも見られる、もう一般的かつ陳腐になってしまった論法の一つであろう。特段カギカッコをつけて強調するものでもないとは思うが、東大の権威主義的な研究者の社会から官僚や政治家、そしてメディアを通じて一般にも広がったものであろうから、本を売るためには刺激的な惹句かも知れない。確かに、項目20番目の『「もし○○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける』というのはずっと自分自身も気になっている言葉遣いで、全く人を小馬鹿にするような物言いだと思っていた。

ちょっと不満足な本かな、と思いつつ読み進めていったら、第4章『「役」と「立場」の日本社会』は違った。この本の最も優れた部分はこの章であると思った。自分の「立場」とそれに付随する「役」を守ることが一般的な日本人にとって非常に重要となっており、ひとたび何かのアクシデントや失敗で「役」を失ったり面目を潰したりすれば、その人の「立場」がなくなり、社会の中で立ち位置を失う、という主張は、腑に落ちるものだった。かくもストレスフルな社会にこの日本はなってしまったのか?

それにしても、筆者の専門とはいったい何なのだろう。経済学に始まって満洲国の研究や理科系の学問にも興味を持ち、共著ではあるが専門外の対象にも首を突っ込み、はたまた原発事故の後にこのような本を東大の内部関係者でありながら出版する、というのは「専門バカ」よりもはるかに面白い人である。調べてみたら、同い年であった。

1月に読んだ本から

・酒井啓子 著「<中東>の考え方」(講談社現代新書)
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いま、一番手軽に中東全体の状況を知るにはうってつけの本ではないだろうか。
著者がかつて中東へ赴く時にアエロフロート便に乗って「強制収容所」のようなホテルに泊まったという感想は、私が86年にソ連経由でトルコへ行った時と全く同じである。その一文を読んだだけで嬉しくなった。