連休はざまの江戸スポ

ちょっとゆっくり目に10時過ぎから滑走開始。久しぶりに千住のKさんがいらしていて、挨拶をして滑り始める。連休はざまの平日なので子供はいないかと思いきや、親子連れで何組かいた。学校はどうなっとるんじゃ?

いつものようにフォア、バックのアップをして、バッククロスの練習やバックでのワンフットへ。

その後、壁際で「不知火」の練習を始めるが、どうしてもクローズターンで脚が後方へ流れてしまい、方向転換ができない。徹底してやってみるが、部分的にクローズターンだけをしっかり練習したほうがよさそう。あまり根を詰めると飽きてくるので、時々
Drunken SailorBarrel Rollともいうらしい)の練習をしたり、同じような足の運びでフォアからバックへターン(grapevineというらしい)して、脚を前後にしたまま左右にカーブを描いてみる。grapevineからもクローズターンは練習できるはずである。

11時30分にKさんが上がったので、少々休憩。少し会話したら、Kさんはこれから仕事に行かれるらしい。ジャージの下にワイシャツを着ていた。私など汗だく(半分は冷や汗)でそのまま仕事に行くことなどできないのだが・・お互い、あとひと月でこのリンクのスケートシーズンが終了してしまうので、6月からは千葉のアクアリンクへ行こうかと考えていることがわかる。Kさんは私が2シーズンくらいやっていると思っていたようだが、本格的に始めたのは今年になってからと答えたら、少々驚いていた。まあ、本業の趣味のスキーも忘れるくらいスケートバカになった4ヶ月だったのだから、それなりに上手くなっていないとめげてしまう。

Kさんと別れ,その後12時30分まで滑走して終了。まだまだ課題は多そうだ。家に帰って動画を確認したら、クローズターンの脚の運びが少しはわかったような気がするのだが、現実にまた次にできるかどうかは怪しい。

五月場所稽古総見

五月場所直前の一般公開稽古総見を見に行ってきた。

今年は向こう正面の升席3列目。記者席のすぐ後ろで、すぐ前には新聞社の記者、NHKの刈谷アナがいた。

7時過ぎから幕下上位の稽古開始。非常に精力的に土俵に上がり、頑張るのは若手の注目株、竜電である。近い将来きっと十両に上がり、末は幕内であろう。

そのうち白いマワシをつけた十両力士の稽古が進み、幕内力士の登場。隠岐の海に注目する。なかなか一所懸命に稽古をつとめているが、まだ幕内中位、3場所目では立ち会いのスピードが劣る。

大関は魁皇がベテランにも関わらず何番もこなしていた。新大関把瑠都もなかなかのものだが、さすがに横綱白鵬と申し合いをすると、白鵬の前さばきの上手さ、考えて一番一番取っている姿には及びもつかない。

最後にぶつかり稽古で、ホープ隠岐の海が魁皇にかわいがられていた。バテバテで土俵上に倒れ込んだ隠岐の海の顔に、白鵬がひしゃくで水をぶちまけけていた。これも隠岐の海に対する上位力士の期待の表れである。特に魁皇にとっては隠岐の海の上位進出があって初めて心置きなく引退できるというものだ。

数場所後、魁皇に引導を渡すのは隠岐の海かもしれない。

あっというまに4時間以上が経った。来る五月場所は12日目に観戦に行く予定である。

江戸スポ04.23

平日午前中のスケートが待ち遠しかった。
勇んで朝9時30分に江戸川スポーツランドへ。この3ヶ月でもう何度通っただろうか?でも一回一回は500円なので総額にしても1万円ちょっとだろう。

入場時の滑走者は、ホッケー、フィギュア、スピードと各1名の計3名。そこに私が加わった。

何周かアップしてフォア・バックの片脚滑りとシザーズを練習し、前回日曜日の
Drunken Sailorをやる。この数日動画の見過ぎで、イメージレベルが脳内で勝手に高くなってしまい、現実の自分の足さばきがあまりにのろいのでちょっとガッカリするが、これが当然なのである。

動画はアイススケートのみならず、インラインスケートのスラロームトリックの動画も見ている。日本ではインラインのフリースタイル、スラロームの解説HPは充実している。インラインの動画を見ているうちにやりたくなってきたのが「不知火」という技。
Drunken Sailorと前半部分は同じ。後半部分でクローズターン(つま先を内側に入れた状態でのターン)をして次第に横方向へ滑っていく技なのだが、頑張ればできそうな気配だ。

ところが、両足がオープンの状態からバックに滑り脚が前後になったところからクローズターンへ移行するのが難しい。やっているうちに何が何だか訳がわからなくなってくる。「不知火」は横方向へ移動するということを完全に忘れていた。ついつい足もとを見てへんてこな動きを繰り返してしまったので、平衡感覚もちょっとおかしい。頭を打っては困るのでヘルメットを被り挑戦した。それでもいつになく何度もコケた。まだまだヘタクソだ。

今日は何を獲得目標にするのか、明確でないままに2時間が過ぎてしまった。もう一度きちんと確認してから滑り直しに来たほうが良さそうだ。ということで11時30分にリンクをあとにした。

家に帰ってきてからもう一度動画を見直したら、「不知火」の動きが腑に落ちてすっきりしたのだが、実際にできるかどうかはかなり怪しい。

追記。いまオランダでアイスホッケーの世界選手権が開催中だ。日本代表はディヴィジョン1のAグループで戦っていて、オランダ、セルビアに勝ちオーストリアに負けて現在2勝1敗。オランダに勝つとはサッカーより有望だぞ。この前サッカーでチンチンにされたセルビアにも勝っているし。エキサイティングな試合なのに、どこかテレビ中継はないのだろうか?ニュースでも新聞でも扱ってくれないのは悲しい。ちなみにカナダやロシアが登場するトップディヴィジョンは2週間後に開催される。

また追記。実は先日アイスホッケーの防具をでかいバッグとともに貰ってしまった。内容はショルダー、ガードル、シンガード、エルボー、グローブ、ヘルメット。とても嵩張る大きなバッグに入っている。とはいえ、防具を付けてホッケーをやるつもりは今のところ、ない。バッグは何かに使えそうだなと思っているのだが、もう少し大きなホッケー用バッグだと、ハンドルとホイールがついているらしい。これはバッグの長さが1mあるので、カヤックの船体布とフレームが十分入る大きさだ。しかも実売価格1万円程度と安い。ただし、幅が40cmくらいあるらしいので、フォールディングカヤックをばらして入れたとしても、バッグ自体が組み立てたカヤックの中に入るかどうかはわからない。ひょっとしたらカヤック運搬にいいかもしれない、と思っている。

災い転じて・・

本当は18日の日曜日、女房と二人でかぐらスキー場から霧ノ塔〜雁が峰の周回コースへスキーに行くことにしていた。実は女房とバックカントリーに行くのは初めてだったのだ。

ところが、直前のアクシデント(子供が熱を出した)ので急遽中止。ガックリ来てそのまま午前中私も寝てしまった。天気のいい休日に惰眠をむさぼり尽くしたのは何年ぶりだろうか?単独でカヤックにでも行けばよかったんだが、気持ちを切り替えられなかった。

幸い子供の熱はそんなに大変でもなさそうだ。夕方になって何もしなかったことを悔いるよりは何かしようと思い立ち、午後3時くらいにスケートリンクへ行く。駐車場がいっぱいだったら帰ろうと思っていたが、空きスペースはそれなりにあった。

3時30分滑走開始。いつもの平日に比べ混み混みなので、狭いスペースでも練習できるメニューを調べてきた。で、取り組んだのは”
Drunken Sailor”(リンクは動画です)という技。

かなり最初は戸惑うが、リンクのコーナーでゆっくり動作をやってみたら、左足リードで行けそうになってきた。右足リードだと最初うまくいかなかったが、脚の切り替えの時に腰と体重を移動することでスムーズになってきた。ゆっくりならば、その場でスクエアを描いてグルグル回ることができる。慣れてきたらそのままバックスケーティングにも入って行かれる。これは面白い。特にスケートのブレードのかかと部分だけで乗る感覚が新鮮。まだお手本のように上半身を揺らしながら酔っ払い水兵さんのようにはならないが、今後の課題としよう。

アウトドアには行かれなかったが、いい汗をかいてスケートで収穫があった。

江戸スポ04.16

金曜日恒例の午前中練習。9時30分ころ入館。スケーターはフィギュアを中心に数名。よく見る男性フィギュアスケーターが華麗なターンを繰り返し、フリップジャンプを繰り返している。

まずアップで数周滑り、バックスケーティングの練習。片脚バックでインエッジ・アウトエッジに乗る練習。さらにバッククロスの練習。

今日はステップシークエンスの入り口みたいな練習を少しやってみた。両足をクロスして前方の脚を後方に回してイーグルターン(開脚のまま回転)、半円を描いてから前方にけり出してまた両足をクロス(前後脚は逆転)、反対向きのイーグルターン、の連続。

最初戸惑いがあったがゆっくりやっているうちに慣れてきた。

11時30分ころにはもう脚がいっぱいいっぱいの状態になり、右ヒザが少し痛くなってきたので12時に終了。そろそろ終わろうかという時間に先週声をかけた同じくらいのスキルの男性が登場。挨拶して12時の整氷作業中に片づけて少し会話。南千住からいらしているKさんという方のようだ。今後ともよろしく、午後頑張ってくださいと別れの挨拶をして帰路についた。スケートリンクで同じ志向を持つスケーターと週に一度会うのは気持ちがいい。

丸の内丸善「松丸本舗」

木曜日は仕事が昼で終わるので、東京駅近くの丸の内丸善の4階にある「松丸本舗」へ初めて行ってみた。

松岡正剛プロデュースの「本屋の中の本屋」である。5万冊の本を普通のジャンル別でなく、ちょっと分かりにくいキーワードで分類して書棚に縦横無尽に置いてあるらしい。本の迷宮のようなところなので、一度行ってみたかった。

丸の内の丸善は他の本屋に比べなぜだか疲れない。照明のせいもあるのかもしれない。
文具・洋書売り場の中の一角に松丸本舗はあったが、入ってみるとかなりの違和感を感じる。本当に書棚が迷路のように配置されていて、狭いくせに迷いそう。おまけに書棚が入り組んでいて、本も縦置きだったり平積みだったり、棚からせり出しているのもある。

で、ゆっくりぐるっと2〜3周してみたが、じっくり時間をかけて本を探すには面白い配置になっているようだが、目当ての本がある場合や、私のように新刊本の中から目星をつけて買うような探し方にはそぐわない配置。今日は特に目的もなかったので、どうにも掘り出し物に出会えない感じがして、松丸本舗を出たら書店員さんからアンケートを依頼された。

正直に印象を書き、書店員さんには「特に書棚の下の方が見えにくく、本を探しにくい」「本の配置は普段見慣れていないせいもあるが、ちょっと奇をてらいすぎ」と口頭で伝えておいた。その後3階フロアに戻ったら、いつものジャンル別分類、すっきりした本の縦置きに妙に安心感を抱いた。

やっぱり本屋って、ちゃんとジャンル別に本が並んでいないと気持ち悪い。個人的な書斎の中が松丸本舗のように並んでいるのは一向に構わないが、こと「本を探す」「本を買う」ということになると別だと思う。

まだ行ったことがないなら、一度行ってみるだけの価値はある。

スカイツリーこんな景色も・・

ついにスカイツリーの最上部よりも低いところにかかる雲を見た。
これからこういう景色をよく見ることになるのかもしれない。
現在の高さ、約350m。

江戸スポ04.09

仕事を昼過ぎに終えて江戸スポへ。14時40分入館。もう氷はガサガサかと思いきや、整氷直後だったようでいい状態。

滑走者はフィギュア少女とそのコーチが多く、ほかにまったく初めての幼児がいる。

今日は空いているのでバックスケーティングを集中的に。少女フィギュアスケーターのバックシザーズをお手本にアウトエッジに乗って滑る練習をこなす。練習の甲斐あってだいぶアウトエッジに乗れるようになってきた。バッククロスもだいぶ慣れてきた。もっとスピードに乗せて練習したいが、いまのところ安全を考慮してこのくらいがいいだろう。

途中で少年ホッケー選手がすごい勢いで個人練習を始めた。これもお手本になった。
今週は3日も滑ってしまった。おかげで1時間以上滑っていたら右ヒザが痛くなった。
16時に終了。リンク脇で片づけていると汗が冷えてくる。外がだいぶ暖かくなってきたので、動いている時と止まっている時の衣服調節が大事になってきた。

江戸スポまわりの桜はなかなか元気で散り始めてはいるが満開状態を維持している。
これからは週1回のスケートになるだろう。

4月のスカイツリー

スカイツリーの高さが東京タワーを越えたとかで急にテレビの露出が多くなってきた。
ついでに錦糸町のロッテシティホテルも話題になっている。

46日の昼下がりのスカイツリーはこんな感じ。若干自宅からは距離があるので東京タワーを越えたという実感は全然ない。


ついでに定点観測をしてちょうど半年だから、昨年9月以来の写真をすべてのっけてみる。ずいぶん早い成長する巨大木のようだ。なんてったって「ツリー」ですから。


9月


10月


12月


1月


3月

二日続けて江戸スポ

まだ小学生の春休みが終わっていないので多分また混むだろうと思いつつ、雨だから小学生の出足はきっと遅いに違いない、と判断して5日9時開館直後の江戸スポへ行く。案の定まだ滑走者は少ない。

最近右ヒザが痛くなるので、登山の時に装着するサポーターをつけ、その上からK2のインラインスケート用ヒザパッドをはめて滑ることにした。それでも右足に負荷がかかると少し痛くなってくる。あんまり長い時間右足だけに乗るような滑り方はしないほうがよさそうだ。

今日の課題は
バックスケーティングで片脚になるべく長く乗り、特にアウトエッジに乗って弧を描く、バックシザーズを試みること。さらにできれば片脚バックでインとアウトを交互に使えればいい。大事を取って右ではあまりやらず左で。

結論、とても難しい。まだまだ道のりは長い。バックスケーティングでインエッジに乗ることはちょびっとできるが、アウトエッジはまね事程度。段階としてはバック&インエッジでの滑りをきちんとしたほうがいいんだろうな。

時折隅っこでバッククロスで回ってみる。まだ反時計回りの方がヘタクソだが、少しずつ慣れてきた。

10時20分を過ぎる頃から小学生が増えだし、ヨタヨタ滑りと逆走が気になるようになってきた。11時までと決めて、時間通りに終了。小学生組が来なくなったらもう少し伸び伸び滑れるだろうか?



続いて6日、今日は区内の小学校の入学式だから、小学生の出足は遅いに違いない。
9時20分ころ入館。滑走者は大人数名と中学生か高校生の女子フィギュアスケーターとそのコーチのみ。いつも見かけるアイスホッケーの男性が滑っていた。彼に挨拶して滑り始める。最初はアップでスピードを出してリンクを数週。カーブは4回のクロスで回る。

数名の小学生の一団(多分他区か千葉から来た子供だろう)が入ってきたのでヘルメットを被り、まだ空いているうちにバックの練習。だんだんバックでも片脚に乗れるようになってきた。今まで足首を曲げつつ股関節も折っていたので前に重心がかかりすぎたのでスケートの前の方に乗っており、これがよくなかった。もっと背筋と股関節を伸ばし股関節を伸ばしてバックスケーティングをしたらブレードの真ん中に乗ることができ、片脚に乗り続けることができる。最初は片脚のインエッジのみに乗ってCの字を描き、だんだんアウトエッジに乗ってC字を描くように心がける。
今日はアウトエッジで曲がりながら滑ることができた。

それでバッククロスをするようにすると少し楽になる。バッククロス時も股関節が曲がって前のめりになっていたのでつま先過重になりコケることが多かったが、ずいぶん解消された。

あとはフォアからバックへのターンとストップのバリエーション練習。
比較的長い間空いていたのでかなり練習できた。11時過ぎには汗びっしょりである。

11時30分過ぎに団体貸し切りがリンクの半分で入るのでその前に終了。
朝声をかけた何度もリンクでお会いする男性に声をかけたら、彼もアイスホッケーチームに入っているわけではなく、私と同じく好きで滑っているらしい。週2回来られるらしいが、また金曜日の午前中に来るのでその時はまたよろしくと挨拶して上がる。
何だか同志を得たようで嬉しい。

スポーツランドを出たら実に春めいたいい天気で暖かい。桜並木の中を運転して帰宅。思わず帰りに洗車してしまった。

3月に読んだ本

和田春樹著「日露戦争 起源と開戦 上・下」にチャレンジしていたため、冊数は少ない。

・長山靖生著「日本SF精神史」(河出ブックス)



中学生・高校生のころはよくSFを読んでいたが、最近はほとんど読んでいない。著者によればSFにつながる科学(空想)小説は明治期から見られ、その足跡を追ったのがこの本である。どこまでを「SF」というジャンルに入れるかは難しいところだが、明治・大正期にも面白い題材が小説として扱われてきたことがわかる。押川春浪や夢野久作は知っていたり作品を読んだことがあるが、それ以外はほとんど知らない作家や作品ばかりだ。

・香川貴志著「バンクーバーはなぜ世界一住みやすい都市なのか」(ナカニシヤ出版)


以前、自分のブログで「住んでみたい街」というのを書いてみたことがあるが、海外だったら断然バンクーバーである。バンクーバーに行ったのはもう15年くらい前のことで詳しく覚えていないが、高緯度の割に暖かく、都市もコンパクトで非常にいい印象を持った。スキー場も近いし、アイスホッケーチームもあるし、何よりフェザークラフトの生まれた街だ。永住するのは難しくても、最低1年間住んでみたいとは思う。
この本では都市内交通事情や住宅街などの説明もあり、15年前のことをわずかに思い出す手引きにもなったが、まあほとんどのことは初めて知るようなことで、現地に再度行ってみないとわからないことが多かった。ただ、フェザークラフトの「カサラノ(khatsalano)」とは、バンクーバー周辺の先住民の長の名前で、現在でもキツラノビーチという地名で残っているそうだ。もしかしたらカサラノという名前はスクォーミッシュ族では一般的な名前なのかもしれないが、「湖の支配者・貴族」という訳語は当たらないのかもしれない。

・松岡正剛著「連塾 方法日本II 侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力 」(春秋社)


松岡正剛が行った連塾の「八荒次第」と称する全8回講演をまとめた本の中巻。「神仏たちの秘密 日本の面影の源流を解く」の続刊である。「神仏たち」は自分で勝って弊社図書館に寄贈したので、今回は図書館に買ってもらい、いの一番に借りた。
この巻も読んでいて面白く、神津島に行っている間に読み通してしまったのだが、何せライブ収録の本なので、ところどころリアリティが伝わらなかったり、わからない部分が残る。話も飛びに飛びまくるので、中心を押さえておかないと面白さだけで読み通してしまう。
ここで紹介されている芸術家たちに関わるものを読みたくなってくる。

・和田春樹著「日露戦争 起源と開戦 上・下」


あまりに大部でまだ下巻の半分くらいまでしか進んでいない。ソ連・朝鮮史を掘り下げてきた和田春樹氏の渾身の論文であろう。日本にはロシア語一次資料、朝鮮語一次資料、日本の軍事資料や政治家の日記などの一次資料があるが、3つの言語を駆使して日露関係の始まりから日露戦争開戦に至る詳細な歴史を書き切れるのは、和田氏をおいて他にない。

専門的な論文ではあるが、一般の読者にも読みやすく、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を一読した人ならば上巻の冒頭と日清戦争以後の日露関係を扱った部分については根気よくつきあえば読めるはずだが、詳しすぎて最後まで読めるか自信を失いそうだ。

司馬遼太郎が「坂の上の雲」冒頭で述べたように、日露戦争時の日本は本当に「まことに小さな国」だったのか、そして日露戦争はロシアの南下に対する防衛戦争と捉えていいのか。和田氏は自らは直接語らないが、日・朝・露関係を詳細に見ていくと決してそんなことは言えないことがわかる。日本の軍隊や政治家たちは非常にしたたかに戦争を準備していった。日露戦争までの日本がまともで、以後アジア太平洋戦争までの日本が狂っているなどと単純に二分化して考えられない。
あと1週間で何とか下巻を読み切りたい。