やっぱ平日

激混みの日曜日の翌日、仕事が速く終わったので午後から1時間少々滑ってきた。

準備をしていたら師匠が休憩に入る所で出くわし、しばらく話をする。今日の師匠は5足のスケート靴を持参。2足がスピード、2足がホッケー、1足がフィギュアである。そのうち1足のホッケー靴を見せてもらったが、革製でもう何十年も前のCCMの靴だった。ブレードが今のホッケー靴についているものとはだいぶ違う。レア物の靴を見せていただき、光栄である。

リンク上にはフィギュア少女軍団がそれぞれコーチと音楽付きでマンツーマンで滑っているほか、初心者の親子連れが数組、ホッケーおじさんが数人、戯れている学生が数人。

学生以外はほとんど邪魔にならないレベル(超うまいか超ヘタ)なので、安心してスピードを出したりバックスケーティングができる。学生は男が女の子を突き飛ばしたりして大変危険。近寄らないようにする。

技術的に特に収穫のない日だったが、氷上練習を積み重ねていくことで少しづつ技術が習得されていく。

歯医者の予約を入れてあったので1時間と少しで上がろうとしたら、最後の周回でまた師匠に話しかけられ、ゆっくり滑りながらいろいろと世間話をした。師匠は高校生時代にアイスホッケー部の選手だったらしい。道理で年季が入っている滑りを見せてくれるはずだ。師匠は見た感じ確実に60過ぎだが、一度スピードに乗ると全く追いつけないのである。

急いではいたが丁寧に挨拶して別れた。帰り支度が済んで歩き始めたら、リンク上の師匠から挨拶された。大変光栄である。

45分だけ江戸スポ

アジアカップサッカー決勝戦を観て寝坊した朝、どうしても滑りたくて、電車とバスを乗り継いで江戸スポへ。公共交通機関で行ったのは、駐車場が混んでいるはずだから。

10時30分チョイ前から滑り始めるが、ものすごい氷上人口密度。スピードは当然出せず、バックスケーティングも厳しく、ひたすら前進滑走、それもスピードを抑えて、人と人の間をすり抜けるように滑るのみ。ずっと滑り続けているとそれなりに負荷はかかるが、いつものように汗をかくようなことはない。

11時30分まで1時間滑るのが限度かと思いながら周回していたら、10時15分に整氷アナウンス。開場後1時間15分で整氷というのは初体験。滑走者の数が尋常ではないということだろう。パトロールもリンク管理会社だけでなく、スケート連盟のジャンパーを着た人が補助しているくらいだ。

整氷休憩時間に何だかイヤになって、靴ひもを解いてリンクを後にした。たった45分の滑走だったが、こういう日はこのくらいで我慢しておいたほうが事故がなくていい。

1月末のスカイツリー

30日朝のスカイツリー。やはりてっぺんの部分が下から伸びてきていることがわかる。
22日現在で559mらしいが、約1週間後なのでもっと高いはず。

さようなら、浅間国際

今回も屋外スケートの話題。

いま、各地の屋外スケートリンクが次々に閉鎖に追い込まれている。冬の平均気温の上昇の中でコストがかかる屋外スケートリンクは維持が難しい。地域住民の手弁当でつくられる天然氷の地元密着リンクは細々と北海道・東北・長野・埼玉あたりに見られるようだが、私たちが子供の時分には至る所にあった400mトラックを持つ屋外スケートリンクはもう長野県にも数えるほどしかない。例えば、小学校低学年まであった中信スケートセンター、小学校高学年の時に学校で連れて行かれた木曽駒スケートリンク。どちらも閉鎖されてだいぶ経つ。

そしてまた、松本市の美鈴湖畔にあって、かつては日本はおろか世界の名リンクと言われた浅間国際スケートセンターも今シーズンいっぱいで閉鎖だという。浅間国際はレジャーのためのリンクとは違い、標高と地形の恩恵を受けてハイレベルな大会が開催される高速リンクであり、いまでもリンクレコードが飾られている。オリンピックメダリスト清水宏保、加藤条治たちが競ったリンクなのだ。

実は私は隣の美鈴湖で滑ったことはあるが、浅間国際はレベルと敷居が高すぎて(思い込みに過ぎなかったが)滑った経験がない。わが女房は浅間国際が思い出のリンクのひとつだそうだ。今年で閉鎖、と聞いて行かないわけにはいかなかった(私にとっては最初で最後の滑りだが・・)。入場料は今シーズン無料である。早朝から250km離れたリンクへ高速を使って向かう。最近スケートを始めた吐月工房氏も現地で合流するというので楽しみは増えた。

昭和レトロな雰囲気

10時過ぎに現地到着、リンク内側では少年選手たちが練習中。滑走スピードが恐ろしく速い。夫婦揃ってまずスピードスケートを借りて滑走開始。高校生以来のスピードスケートに最初かなり戸惑う。マイシューズのホッケー靴とはブレードの形状、靴の深さが違い、かなり違和感がある。氷を蹴れないのである。転倒までは行かなかったが、かなり恐る恐るのヨタヨタ滑りになり、しかも足が痛い。リンク3周でスピード靴を諦め、マイシューズに変更。このころ吐月工房氏も合流して、3人でめいめい滑る。スピード靴を諦めなかった女房が昔の感覚を呼び覚まして滑っていた。こちらはホッケーシューズに変更したらまた違和感を感じるが、しばらくして普段通りの滑りに戻る。

貸スピード靴とマイシューズ

2時間いっぱい滑り倒す。かなり汗ばんだので、グルグル周回するのを止めてリンクの一角でクロス、バック、バッククロス、いろいろ交えた8の字、grapevineなどをして遊ぶ。フィギュア少女は2名、アイスホッケー少年が1名、いろんな技を試す同志のような白髪のホッケーおじさんが1名、残りは地元の家族連れでスピードかフィギュア靴である。さすが信州で、子連れのお母さんがチョイスしている靴はスピード靴(一般的にまずフィギュアである)だったりする。栃木のホッケー(女性はやはりフィギュア多し)とはまた違うスケート文化がここにはある。

12時30分に終了。かなり滑った。屋外リンクということでハンディGPSを持っていってトラックログを取ってみたが、滑走総距離は30km弱(前のトラックログの記録が加算されているかもしれないので実は怪しい)だった。意外と滑っていることが判明。ちなみに最高スピードは29km。満足と一抹の悲しさを感じながらリンクを後にした。


「リンクを閉じないで」悲痛な叫び。

こういう閉鎖されそうなリンクは一度滑っておきたい、と思う人はそんなに多くはないと思うが、長年培われてきたスケート文化が新しいリンクによって更新されていくならまだしも、次々に減少していくのは悲しいことである。帰りの高速からかなり結氷している諏訪湖を見ながらその感を強くした。

まだまだスケートは追求していくつもりだが、しばらくスキーを履いていないので、そろそろゲレンデ練習でもいいのでスキーに行く予定である。今年は積雪もなかなか落ち着かないので、プライベートツアーとしては里山・棚田・段々畑をフィールドとするステップツアーを2月になったらしようかと思っている。

江戸スポ01.21

金曜日はスケートの日。9時30分から滑走開始。いつも見かけるストップ&ゴーのホッケーおじさんの他、スピードのじいさんが1名。このじいさん、ほぼ同時に入館したが、独り言が多くてなかなか面白い人だ。残りはフィギュアの女性たち。

空いているうちにスピードに乗った練習をする。フォアのワンフットはかなり良くなってきた。バックのワンフットは最初なかなかアウトエッジに乗れないで苦労したが、何度かやっているうちに少しづつよくなってきた。

今日は子連れファミリーがちらほらやって来る。あっという間に11時になり、水分補給して小休止。再び滑り始めたら、師匠登場。今日はまずホッケー靴で滑るらしい。前進滑走で滑っていたら、「なかなか良くなってきた」と声をかけられた。ちょっと褒められて嬉しい。しかし師匠の後をついて滑ろうとしたら、師匠のスピードは速くて距離がなかなか縮まらない。まだまだ精進しなくては。

12時、脚がヘロヘロになったので終了。
最近スキーをぜんぜん履いていないが、今度の日曜日は今シーズンで閉鎖する松本の浅間国際スケートリンクへ遠征する予定。

久しぶりに気持ちいい滑走・江戸スポ01.14

小学生たちの冬休みも終わり、空いた江戸スポへ。
10時滑走開始。滑走者はフィギュアの女性たちが10名ほどと、いつも見るストップ&ゴーのホッケーおじさん、ヘルメットを被った初心者学生二人。快適である。リンクはこうでなくっちゃ。

スピードを出した練習を主体に滑る。前進のワンフットスラロームは左右ともリンクの長辺ほぼいっぱいに滑れるようになってきた。バックのワンフットは、浅い弧を描くレベルだがリンクの長辺の半分くらいまでは耐えられるようになる。

11時30分まで、水分を摂る以外は氷上に乗ったまま。整氷が入ったのでブレイク。以後はリンクの3分の1が幼稚園の子供たちのスケート教室に変貌した。

かなり汗をかいたうえでgrapevine(映像は
こちらの21秒あたりから)を試してみたら、フォアからバック、バックからフォアへのターンにキレが出た。何かつかんだ感じ。少し追求してみると、バックからフォアへのターンでエッジを食い込ませているとスムーズにターンできることがわかる。今までは腰のひねりを先行させてエッジはこじるように回していたが、エッジに乗っていると腰を先行させなくてもきれいに回る。何度も練習して、左右とも結構いけるようになってきた。しかしまだ連続して回るとスピードが落ちてしまう。もっとブレードを倒し込んでエッジを食い込ませる必要があるかも。

かなり気を良くして12時30分に終了。技術ってゆっくりでも向上するものだ・・

アクアリンクちば11.10

相撲観戦後の10日は一日空いていたので、日帰りスキーに行こうかと考えたのだが、帰りの渋滞がイヤで日和った。

かわりにスケートに行こうと思い、先日も行った日光霧降へ電車で行くことを考えたのだが、冬型が強まる日光は相当寒そうで、同行の女房の体調もいまひとつだったので、結局朝決断してアクアリンクちばの営業開始の9時から混んでくるまで滑ることにした。

案の定寒い日で、風が強い。稲毛海岸からは富士山が大きくクッキリ見えていたが、海上は白波だらけだ。

きっちり9時にリンクへ。すでにシューズを履いていたフィギュア少女たちに混じって滑走開始。最初のうちにスピードに乗った練習をしておいて、一般の貸靴スケーターたちが出てきてからは速度を落として練習した。そのうちリンク中央のフィギュアレッスンも終わって周回コースが拡張されたのでありがたかった。しかし氷上スクート(イスみたいなもの)を押す親子連れがちらほら出てくるとリンク上は芋洗い状態に。まったく休まず滑り続け、11時の整氷を待たずに終了。かなり汗ばんだ。

ワンフットスケーティングの練習がかなりできた。この連休が終われば、ようやくリンクもスキー場も平常に戻るだろう。スキーについてはいくらパウダーだろうが混んでいるところでは滑りたくない。スケートの練習はかなりスキーにも応用が利く。例えばワンフットスケーティングができれば、スキーで一本脚滑りが楽にできる。ターン内足の処理につながるのである。実際に雪の上に立たなくても、スキー技術の維持向上には怠りなしと肯定的に考えよう。

大相撲初場所初日・天覧相撲

2011年、今年も大相撲が始まった。もう昨年のような相撲以外の話題で振り回されないような一年にして欲しい。土俵上での取組内容が話題として先行しますように・・・


この人はだれ?(先日引退して親方になりました)

ということで、正月ご祝儀なので初日に国技館へ。
午後1時過ぎに入ったら、やけにセキュリティが厳しく、持ち物検査までされた。ここのところ毎場所ごとに厳しくなっているので特段変には思わなかったが、あとで天覧相撲だったことがわかる。私たちの席はロイヤルボックスの約10m脇である。いいのか、俺たちで?


聖地

まだ土俵上では幕下の取組なので、館内を眺め回したらすぐそばに現代書館という出版社のブースがあり、「相撲大事典 第3版」が平積みになっていた。ブースの人に、「『相撲大事典』は版が変わったんですよね?」と声をかけたら、この初日に国技館先行販売で5,000円に値びいているという。まだ一般の書店には並んでいませんよ、との甘い言葉に唆されて高額なこの本を買ってしまう。ついでに九重貢(千代の富士)著『綱の力』サイン本も買い求めてしまう。

相撲グッズにはすこぶる弱い私であるが、初場所初日、ご祝儀である。

地下大広間で放駒部屋ちゃんこ(250円)を食べて、2階正面2列目のイス席Aへ。職場同僚と幕下上位の対戦から観戦を始める。またまた相撲について突っ込んだ会話を同僚としていたら、前列や隣の好角家たちから声をかけられてしまった。前列のジイサンは相当な好角家で、うんちく話をありがたく聞く。毎日マス席最前列を確保して派手な装束で目立ちながらも相撲そのものはあまり見ていないどこぞのジイサンよりよほど入れ込んでいる方とみた。

幕下では、唯一のチェコ人ソップ型力士、隆の山(稀勢の里の付き人)が勝利。幕下であれだけ応援される力士はいない。細身の体形で故国にも帰らず頑張っている姿をみて応援したくなるのである。

十両では若手(平成生まれ)の高安が勝利。このまま来場所は入幕か?


協会挨拶

17時、やんごとなき人来場。豊ノ島が把瑠都を破り、魁皇は栃煌山を退け、白鵬は鶴竜を一蹴。とりあえず無事場所が始まった。



18時、無事終了。弓取り式が終わった後、やんごとなき人が退場する中、場内アナウンスがいつになく丁寧に「ゆっくり帰れ」(いままではとにかく早く国技館の外に出よと言っていた)と指示していた。これも協会の態度の変化なのか、それともやんごとなき人の警備上の発言なのか?

同僚と3人で両国のお店に入ったら、しばらくして小野川親方(もと北桜)が後援会の方々とお店にやってきてびっくり。

12月に読んだ本

年末は忙しかったうえ、緻密な内容の本を読んだので冊数は3冊だけ。

・瀧井 一博 著 「伊藤博文 知の政治家」(中公新書)

サントリー文芸賞を受賞した作品なので前から気になっていた本だが自分で買ってみた。内容はかなり緻密で、内容の薄い新書とは違って読み進めるのにかなり時間がかかった。
伊藤博文のイメージというのは一面的ではなく、一言では言い表しにくい。この本では「漸進主義」というキーワードで伊藤が辿った政治家としての道を追っていく。特に初代内閣総理大臣となった伊藤は自由民権運動から発する政党を当初認めようとしなかったのに対し、日本史の教科書でも書かれるように立憲政友会という政党を組織することになるのはなぜなのか、またなぜ「政友会」なのかが読み進めるうちにわかってくる。晩年の朝鮮支配に対してどのように臨んでいたのかも描かれている。ドラマ「坂の上の雲」では加藤剛が演じていて、ドラマの中では日露開戦を最後まで拒絶する平和志向の政治家、という一面性しか描かれないが、本当の伊藤はもっと深く、多面的である。

・セルジュ・ミッシェル ミッシェル・ブーレ 著、中平 信也 訳 「アフリカを食い荒らす中国」(河出書房新社)


中国のアフリカへの経済進出については知られてはいるが、その実態はなかなかリアルに伝わらない。でも南部地域の分裂が話題になっているスーダンのような国にも、中国人は数万人規模で進出している。在アフリカ華僑の集団は想像以上に大きく、アフリカ経済に食い込んでいる。その功罪について書かれた本だが、いろいろと考えさせられた。

・佐藤 優 著 「甦る怪物(リヴィアタン) 私のマルクス・ロシア編」(文藝春秋)

11月に文庫化された「私のマルクス」の続編を単行本で買って読んでみた。これもまた面白い。もちろん、佐藤が外交官となり、ロシアで活動していた時代(ペレストロイカ期〜ロシア連邦初期)を扱った内容である。
せっかく単行本で買ったので、弊社図書館に寄贈しようかと思っていたら、図書館には「私のマルクス」は入っていないのになぜかこの本だけは入っていてガッカリ。

日光霧降スケートセンター・栃木

アイススケートは今までほとんど屋内リンクで滑ってきたが、ン十年ぶりの屋外スケートリンクで滑ってみた。スケートの記事はこんなことを想定していなかったので、「インドア」になっているが、今回はアウトドアである。

場所はタイトル通り、日光の霧降高原近くの400mスケートリンク(屋外)。日光アイスバックスのホームリンクであるアイスアリーナ(こちら屋内)と併設されている。屋外・屋内ともにそれぞれ1,500円もかかってしまうが、今回は奮発した。ちなみに、この金額はエムウェーブの通常料金と同額だ。

400mリンクでの滑走は久しぶり。屋外だけに氷の質は良くなく、整氷車も滑っている間一度も出てこなかったことを考えると、料金は高い。しかし屋外の開放感は何物にもかえがたい。

オープンの10時直後から12時30分ころまで滑った。リンク内側は少年ホッケーチームがグルグル回ってガサガサにしてくれたので、なるべく真ん中から外側を回る。しかしそちらも次第に増えてきた滑走者によって次第に荒れてきた。

日光だけあって、ホッケー靴・スピード靴の滑走者が多く、フィギュアクルクル少女たちは屋内リンクへいってしまうのか、滑走ラインが邪魔されなくていい。リンクが大きいので、かなりの人数が滑っていても芋洗い感は弱い。やっぱ400mリンクはいいよ・・・

同行の女房、一度アウトエッジに乗り過ぎて転倒。以後筋肉痛を訴える。たぶん30周くらいはしたんじゃないかと思うが、結構脚に来たので昼上がりで今市郊外まで車で走って昼食、その後Uターンラッシュが始まる直前に東北道で戻ってきた。

次に行きたい400mリンクは浅間国際である。

2011年・元旦のスカイツリー

初詣でから帰ってから撮影してみた。
12月との違いを見つけるのは少し難しいが、先端部分が下から伸びてきたようにみえる。
こうやってツリーの高さが高くなっていくのか!12月25日現在で539mで、10mのびたことになる。