仕事山行・東赤石山と石鎚山

四国の山に登ることになった。仕事とはいえ、西日本の山にはほとんど関心がない上に、連日暑くて気力が減退していく悪循環に陥った。幸い、雨にたたられることはなく、この時期に北陸や東北の山行をしていたら悲惨なことになっていたかもしれない。

7月21日
東京を早朝に出発し、6時間かけて愛媛県の新居浜へたどりつく。駅前からタクシーを拾って産業遺跡となった別子銅山の東平(とうなる)へ駆け上がり、そこから歩いて1時間強の銅山峰ヒュッテへ。銅山の遺構があるので、登山道もかつての銅山の中にあった山道が転用されているのだろう、コンクリートで固められ、登山道とは思えぬ道だった。銅山峰ヒュッテに私は14時過ぎにたどり着いたが、東平よりも低いマイントピア別子からコースタイム約3時間を午前中から歩いているはずの少年たちが着いていない。私の方が先着してしまったようだ。銅山峰ヒュッテの管理(というか、ここで生活しているらしい)をされているおばあさんに断って、テントを設営し、待っていたらようやく16時に少年たちがやってきた。聞けば登山口での道迷いと飲み水の不足から時間を要したという。相変わらず初歩的なことをやらかしてくれるものだ。

計画上では銅山峰ヒュッテから笹ケ峰、瓶ヶ森を経て石鎚山まで縦走するという、彼らの実力からすると無茶な予定が立てられていたが、すでに初日にコースタイムの倍以上の時間がかかっているのでは心もとない。翌日はコースタイム6時間、その翌日はコースタイム8時間なのだ。アップダウンの多い縦走路を年少者まで引き連れて歩くのは無理だろうということでこちらから提案し、銅山峰ヒュッテに連泊して計画にはなかった東赤石山の往復を軽装で行うこと、その後一度下山して石鎚山に登ることにし、赤石山系と石鎚山系を繋ぐ長大な縦走は諦めさせた。

7月22日
朝4時過ぎに起きて5時30分に出発、銅山越・西赤石山・物住頭・赤石山荘を経て東赤石山に向かう。軽装でのピストン山行だが、コースタイムは往復10時間。午後3時台に帰ってこられるか?
軽装なので歩きは順調だが、標高が低いのでメチャクチャ暑い。滝のような汗を流す。物住頭のピークを越えると、稜線上に岩が増えてきて稜線の南面をトラバースするようになるが、急斜面な上に岩場のルートが不明瞭で不安が強まる。岩場に慣れた少年もいるが、岩場になると極端に遅くなる年少者がおり、見ていて不安。何とか東赤石山山頂に立ったのが10時過ぎ。岩場の稜線を歩いていたら12時までに着けなかったかもしれぬ。
帰路は同じルートなのでやや安心だが、上記の岩場では後ろから見ていて不安を拭えなかった。幕営地帰着はちょうど15時。
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西赤石山を振り返る
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ピンクのヤマアジサイ
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一番危なそうな岩場トラバース

7月23日
いったん下山する。朝6時に銅山峰ヒュッテを後にして、初日に少年たちが歩いたコースを逆にたどってマイントピア別子へ。9時のバスに乗り新居浜駅に降り、JRで2駅松山寄りの伊予西条駅で下車、3時間後のバスを待つ。とにかく暑い。新居浜から石鎚山中腹までは少年たちの帯同者が私一人だ。時間は有り余っているのでさびれた市街地を少し歩くが、伊予西条が地下水豊富な街だということを学んだ。「うちぬき」といって地下にパイプを打ち込めば石鎚山系からの地下水が出てくるのだそうで、その水が良質で飲んでも美味しい。
昼食は奮発して生のものをと思い、寿司と天ぷらのセット。また夜からは貧弱で栄養バランスを欠いた食事に耐えねばならぬ。
13時台の石鎚山ロープウェイ方面行きのバスに乗って、「ふれあいの里」で下車し、廃校になった小学校の敷地を利用したキャンプ場でテント設営。サイト代が200円と破格に安くて助かるが、日差しを遮るものがない旧運動場で設営したので日が沈むまではテント内には入れない。標高は300mに満たない低さだ。暑いから河原での水遊びを黙認するが、だんだんエスカレートしてきて淵に大石を投げ込んだり、ボルダリングまがいのことをして岩から飛び込んだり、いちばん岩場で遅くパッキングが下手なぽっちゃり君が淵でペットボトルを浮輪代わりに泳いでいるのを見て、本人たちは楽しいに違いないが、厳しく注意せざるを得なかった。彼らが四国までやってきたのは山に登るためであり、川で羽目を外すために来たのではない。またこのキャンプ場に来ることになったのは自分たちの力不足からコース変更した結果であり、キャンプ場を見つけ提案したのは彼らではなく私である。他の者が夕食準備を始めているのに一部の者だけが川でのんびり遊んでいるのは勝手過ぎる・・・要するに気遣いが不足しているのだ。
夜、案の定暑くて寝られない。薄手シュラフは無用の長物と化した。
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ふれあいの里近くのきれいな川

7月24日
バスで石鎚山ロープウェイ下に行き、ロープウェイを使わせてもらう。暑過ぎて下から真面目に登るのは馬鹿げている。山頂を一気にめざすのではなく、長大な縦走計画の時から宿泊することになっていた土小屋の宿舎を目指す。石鎚山に登るのに、銅山峰・笹ケ峰・瓶ヶ森の方から縦走してくると土小屋にだけキャンプサイトがない。本来の姿とは遠のくが、苦肉の策で宿での素泊を予約しておいたのだ。
土小屋に行くには、ロープウェイからだと登山道の途中からトラバース道を使う必要がある。地図上では中腹の成就社の先の八丁鞍部から左手に別れるはずなのだが、分岐を見つけるのにひと苦労した。トラバース道を歩いていてわかったことだが、八丁からのこの道はかなり荒れており、一般登山客に迷い込んで欲しくないのだろう。分岐と思しき踏み跡はトタンの看板に隠れるようにあり、それをたどっていくと先にはじめて標識があった。
標識を見つけてからも厳しいルートだ。尾根・沢・尾根とずっとトラバースしていくのだが、登山道の路肩が軟弱で崩れやすく、斜面下へずり落ちる。沢を渡る丸太梯子は腐っていて不用意に歩くと折れる。コースタイムは十字分岐までで45分などと「山と高原地図」には書かれているが、コースタイム通りには到底歩けない。今年になって下草刈りをした形跡もなく、実踏による調査もきちんと行われていないように思えた(悪路なのに地図上に注意書きも添えられていない)。それでも途中の沢は美しく、時間に余裕があれば沢で水遊びなどすれば気分転換にはなりそうだ。しかし、一時でも早く土小屋に着きたいし、先のルート状況がわからず、時間がかかるのかどうかもわからないのでは、余裕はない。休憩も含め、八丁分岐から4時間弱(地図上コースタイムでは2時間強)かかって土小屋の駐車場に抜けた。

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写真だとよくわからないが沢水が岩をナメている

土小屋には舗装道路が通じており、今まで苦労して半薮漕ぎみたいな登山をしてくるとガッカリするような場所だ。ここには白石ロッジと国民宿舎石鎚という2軒の宿があるのだが、少年リーダーの勘違いで宿を間違え、白石ロッジから引き返すはめに。国民宿舎石鎚の方が正しかったのだ。昭和感たっぷりの国民宿舎だったが、連日幕営の我々にとっては贅沢な宿泊である。風呂で汗も流せ、米も炊いてもらえた。夕方、新たな帯同者(同僚)が2名到着。彼らも先行した我々と同じルートで上がってきて、相当苦労したようだ。それというのも、舗装道路が久万高原から土小屋までは延びているのに、平日はバスがやって来ないという決定的な弱点が大きい。

7月25日
土小屋から石鎚山の二の鎖までトラバース気味に登って行く。ガスがかかり視界は利かない。途中で2名くらいの登山者と遭遇し、ようやく登山者が集まる山にやってきたことを実感する。トラバースは前日と違って順調で、コースタイムよりも早く到着した二の鎖元小屋に大型ザックをデポし、鎖を登る少年たちと迂回路を登る少年たちの2班に分けて登った。10時に弥山山頂に到着。天狗岳の方が16mほど高いのだが、ナイフリッジの岩場を少年たちに歩かせるわけには行かないので、ここで登頂完了とする。帰路はメインの登山道を成就社まで下り、ロープウェイで下山した。下山路では平日にも関わらず多くの登山者とスライドした。
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三の鎖取り付き
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天狗岩はガスって危険
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成就社前の宿と土産物屋(昭和感あります)
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もっとも昭和感を感じる寂れたロープウェイ乗り場下

とにかく、この時期緯度が低くて標高2000mに満たない山に登るのはしんどい。昨年の朝日連峰だって山頂部で2000m未満だが、涼しさが全く違う。体力を消耗して非常に疲れた仕事山行だった。25日のうちに東京に帰ると深夜23時台の激混み総武線緩行列車に乗らねばならないので、伊予西条でビジネスホテルに投宿して汗を流し、さっぱりしたものに着替えて翌日帰京した。この夜も少年たちのアクシデント報告があって気が気じゃなかった。いろいろあって寿命が縮まる・・