福島・昭和村の王博士

奥会津の昭和村と柳津町、会津美里町の町村境に、博士山(1481m)という山がある。西側の琵琶首という集落の外れからアプローチするらしいが、下部は尾根が細く難儀しそうであまり行く気が湧かなかった。博士山の南に冬季閉鎖される国道401号線の博士峠があり、博士峠と博士山ピークの中間に1455mのピークがある。地形図では博士山から南にのびる稜線中の名無し1ピークということになるが、近隣では王博士(小博士山)と言われているらしい。尾根も博士山よりは広く、等高線の混み具合もいい感じで、博士山よりも取っつきやすそうだ。ウェブ上にある滑走記録をいくつか見て、3月末がチャンスだと思っていた。最終週の週末の天気が不安定なので、その直前の晴れ間を縫って行ってみることにした。

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道路とトラックが合致していない(赤=登り 青=滑り)

29日の朝5時30分に出発。順調に東北道を北上し、いつもの西那須野塩原インターから南会津町へ下道を走る。気温は1〜3度くらいで、もう路面に雪や氷はない。高畑スキー場へ行く時に使う352号線檜枝岐方面には行かず、会津田島方面に右折して田島の町をかすめ、舟鼻山に接近し、峠を越えて昭和村に入る。さすがに舟鼻トンネルの前後は雪が多くなる。峠道を降りきったところで国道401号線に乗り換えて山を一つ越え、小野川集落に至る。そのまま401号線を博士峠方面に向かい、トンネル工事現場を過ぎて標高850mにある冬季閉鎖ゲート前に駐車。9時過ぎ。宇都宮ナンバーの車が1台停まっていて、どうやらスキーヤーのようだ。

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除雪も済んでいる標高850mのゲート(帰路に撮影)

準備して9時45分出発。携帯の圏外なので、あらかじめ「道の駅たじま」でウェブ利用の登山届は出しておいた。ココヘリのスイッチを入れるクリップを家に置いてきたため見つからず、車の中から精密ドライバーをやっと見つけてスイッチを入れる。


尾根に乗る

最初は除雪済みの道路をスキーを担いで歩く。無理矢理雪の上をスキーで歩くよりも早そうな気がしたから。直線的な道路をたどり、沢を橋で渡ったところからシール登行を開始。つづら折れの道路をショートカットして、1138mに伸びていく尾根に取りつく。10時過ぎ。宇都宮ナンバーの方が先行者としてトレースを付けてくれていて、トレースを拝借した。尾根はあまり広くはなく、1138mの下はちょっと急になっていたので下から見て左側から巻き気味に登った。ほぼ11時。すると尾根がだんだん緩くなってきて、順調に1356mに達する。11時40分。なんだか風景が鍋倉山の山頂近くにそっくりだ。あとはゆっくりと残り100mの標高差を詰めれば王博士のピークに12時到着。北に会津盆地と磐梯山、安達太良の山並みが見え、20日の西大巓とは逆方向の眺めになる。


鍋倉山を彷彿とさせる斜面とブナ林
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山頂に着いた。細長い王博士ピークから博士山本峰方面
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これは東方面。遠くに見えるのは那須北方の山々だろうか?
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北方面に広がる会津盆地と磐梯山、安達太良山系

あまり途中で休憩を取らなかったので、12時も回ったので、パンをかじって昼食とする。家で淹れてきた紅茶をすすってパンを胃に流し込む。しばらくしたら、ゲート前に駐車した宇都宮ナンバーの方が西斜面の方からハイクアップしてきた。聞けば、博士山には行かず西斜面を1300mまで滑って登り返してきたという。まずトレースのお礼を伝えておく。こちらはこのピークから南西方向の広い尾根を1290mあたりまで滑って、1356m方向へ登り返して登ってきた尾根を滑走し、途中1200mから南に伸びる尾根を滑るつもりなので、南側の尾根を歩いたことがあるかどうか情報を頂く。幸い、かつて登りに使ったことがあるようだ。どうやら滑れそう。

ということで、宇都宮ナンバーの方よりひと足早く南西斜面に滑り込む。12時35分。広い尾根でブナ林なので快適に滑れた。昨夜少しだけ降ったようなので雪質はこの季節にしては上出来だが、午後になって片栗粉状態になり、やや重くなってきている。1300mまで滑ってシールを貼って登り返す。王博士山頂には行かず、右にトラバース気味に登って1370mあたりに出た。13時15分。シールを外して、しばらく宇都宮ナンバー氏のトレースを追うようにして滑る。登ってくる時にマークしておいた標高1200mからスキーヤーズレフトに向かい、南にのびる尾根を滑る。思ったほど急ではなく、快適に滑れた。13時30分過ぎ、道路が見えてきた(本当にスキーだとあっという間だ)ので、スキーヤーズライト方向に転進して道路脇の雪壁の上を滑るが、一か所道路の山側を切り通してある個所があって通れず、スキーを脱いで道路を歩かざるを得なかった。再び左カーブのところ(登りで尾根に登り始めたところ)から道路右脇の斜面に入り、登ってきた尾根の末端をクリア。すると宇都宮ナンバー氏と思われるトレースがあった。しばらく利用させてもらったら、登った時にシールを貼った橋で道路に降りず、その上で上手いことスノーブリッジを使って対岸に渡っていたので、橋のところでスキーを脱がずに済んだ。そのまま道路の右脇をゆるゆる滑っていったら、ゲートのところまで滑り降りることができた。14時ちょい前。

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どうしても一か所道路に降りなければならなかった(ここからは登りにも使えそう)

無事下山できた。宇都宮ナンバー氏がちょうど片づけ終わって出るところだったので少し会話を交わす。どうやら、20日の日も同じく西大巓南西尾根を滑っていたようだ。あの日の先行トレースも彼のものだったのかも?

ゆっくり方付けして、400号線に戻り、昭和村役場の方へ足を伸ばして昭和温泉・しらかば荘の温泉に立ち寄る。500円で源泉掛け流し。建物もきれいで、露天風呂もあり、午後早い時間なので独占できた。

帰りも結局同じ道をたどって19時過ぎに自宅着。首都高おりていつのもGSへ給油に行くのが面倒になって蓮田で満タンにするが、いつものところよりリッター20円も高くて失敗した。400号線の舟鼻峠中腹で砂利道を走ったので田島の南で洗車したが水洗い300円と安かった。

王博士は3月末が旬で賞味期間は短い。天気予報が芳しくないので4月上旬ならゲートも開いて楽に登れるかも?

王博士登行と滑降の動画(約3分30秒)
最近はチェストハーネスでなく、ショルダーストラップを挟むクリップマウントを使って撮影しているが、カメラが容易に回転してしまい、地面と水平に撮影できないのが悩み。今回も滑っている動画が傾いている。

王博士のトラックデータ
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仕事山行・4年ぶりの神津島

3月22日夜から25日夜まで仕事で神津島へ行ってきた。2015年3月以来の神津島である。

お彼岸の週末の竹芝桟橋は夜にもかかわらず大変混んでいた。
22日の22時、2等イス席しか取れずリクライニングシートで寝ていくしかない状況で出航。大島でトレッキングするのが目的らしいオッサンたちの会話が大変うるさく、目の前のテレビでコナン君をずっと見ている誰かがリモコンを独占してしまっているのでテレビ音声も被って地獄だ。耳栓をして自分の音の世界に入り込んで強引に寝るしかない。
それでも少しは寝たと思うが、船内放送で大島が近づいた朝5時に叩き起こされた。昨夜酔っぱらってトレッキングトレッキングとうるさかったオッサンたちが下船して2等イス席もだいぶ空席が増えて静かになった。うつらうつらしているうちに新島まで来てしまったので船内探検をしてデッキに出てみる。風がすごく、海上は白波も立っている状態。船に弱い人には過酷なコンディションだ。

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新島近辺から利島方向を振り返る

23日10時、神津島に着いたが強風のため東側の多幸湾・三浦港に着岸したので、村内バスで西側に移動し、「まっちゃーれセンター」にある観光協会に立ち寄ってキャンプ場の手続きをし、徒歩で15分くらいの沢尻海岸キャンプ場へ移動する。向かう途中でも西側からの波しぶきが道路まで飛んでく始末だ。数年前の同じ時期に神津島でキャンプした時、夜ずっと潮が飛んできてテントが塩だらけになった。その記憶が呼び覚まされる。今年の沢尻海岸は、他のパーティのテントも多く、なかなか賑やかだ。強風のなかテントを設営し終わった。数年前にここで使った時と同じアライテントのエアライズ2(2015年の神津島以後、塩を拭ってその後放置)をろくに事前チェックせず持ってきたが、出入口のファスナーが塩を噛んでやや渋かった。以前の神津島以後、ファイントラックのカミナドームを購入したが、また塩だらけになるのがイヤで持ってこなかったのだ。

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この日の昼食は「よっちゃーれセンター」で漬丼定食。

翌24日、天気はいいが風は相変わらず。天上山に登山する。いつものように出発予定時刻から20分遅れて6時50分キャンプ場出発。今年は迷うことなく順調に山頂巡りをしたが、どこも風が強くて厳しかった。窪地の池でしか長い休憩はできない。ただし視界はよく、伊豆七島がよく見えた。天上山は伊豆七島の山の中では標高差、山頂部の地形、眺望など総合的に一番登山向きではないかと思う。標高8mのキャンプ場から572mの山頂までの標高差も日帰り登山としては十分。だが楽しみは短時間で終わってしまう。今回は3月中に2回も登山してから来たので、脚に負担もなく楽々だった。

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天上山に登る途中から神津島村の集落を見下ろす
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山頂部の「裏砂漠」。荒涼とした風景だが、降った雨は浸透して地下水になる

この日は近くの温泉センターに立ち寄る。通常800円、観光協会で前売りチケットを買うと600円。やや高い。温泉施設も結構老朽化していた。塩分が強く鉄分を含んだ泉質。

最終日、やはり客船は風を避けて東側の多幸湾に到着するので、ゆっくり撤収して観光協会前からバスに乗る。空港を経由するバスだったので景色がよかった。10時30分出航で式根島・新島・利島・大島とアイランドホッピングしていく。この時期、離任して異動する教員や本土の学校に進学する学生の別れにほろりとさせられるが、今回はずっとデッキに出ず船内でゴロゴロしていた。例によって東京湾に入ってからが長かった。

西大巓・南西尾根滑走

半月以上もスキーに乗れていなかったので、仕事の合間を縫って日帰りで吾妻連峰の西大巓に行ってきた。

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登行&滑降ルート(不動沢まで。滑降で標高がおかしく表示されていたので、赤と青が交互に表示されている。下りながらもピークを12個も踏んだことになってしまった。データを提示しても意味がなく、割愛する)

朝5時30分発、グランデコ スキー場に9時過ぎに到着。着替えて支度をして、リフト券は1回券を3枚購入し、登山届をポストに投函し、9時45分リフトに乗る。ゴンドラは動いていないのでリフトを3本乗り継いで第3クワッド降り場からシールを装着して登行にかかる。10時15分出発。すぐにシラビソなどの密林に入って斜面もやや急でうねったものになる。

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密林斜面

すぐ先を単独で歩いている女性がいて、付かず離れず、会話などかわしながら登った。関西から単独で福島県まで車を運転してきて、安達太良山、箕輪山にスキーで登ってきたそうだ。失礼ながら私よりも年上と見たが、足取りもしっかりしていて登るスピードもそれなりに速い。聞けば登山・フリークライミングをやっていて、50歳からスキーを始めたとのこと。そのガッツに脱帽である。

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磐梯山を振り返る
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西吾妻山が見えた

西大巓山頂手前の偽ピークを巻いて、山頂に到着。11時45分。すこし霞んではいるが、素晴らしい展望。南東に安達太良山系、南西に磐梯山と会津盆地、西に飯豊連峰が際立って白く鎮座。北西に朝日連峰から月山、北東に蔵王連峰、近くに西吾妻山。少し休憩して上記の女性Mさんと会話して、12時過ぎに誰も滑っていない東側のオープンバーンを中ほどまで滑ってみる。急斜面だが、雪質は悪くなく5〜6ターンして偽ピーク直下までトラバースし、シールを付けて登り返した。

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東斜面の我がシュプール。右の立ち木まで

ゴンドラが動かなかったために時間切れで西吾妻山を諦めた、重いカメラを持ったつぼ足ご夫婦は来た道をひきかえしていった。Mさんも西吾妻までのピストンの予定だったようだが、私が滑ろうとする南西尾根について行きたいというので一緒に滑ることにした。

12時45分滑降開始。偽ピークの西側に少しオープンバーンがあったが南向きなので雪は悪く快適ではなかった。これが終わるとひたすらシラビソなどの視界の効かない密林になり、スキーヤーズライトへ針路をとりながら高度を下げていく。ほとんど横滑りやボーゲンになり、快適な滑降とはいえない。Mさんを待ちつつ、頻繁にジオグラフィカで現在地を確認して広い尾根に乗れるようにルートを取る。何度も現在地確認が必要だった。GPSなしにはルートミスしそう。1700mで13時、1500mで13時25分。ゆっくり滑ってもスキーでの下りは速い。

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滑ってきたコースが密林の中にあるはず

標高1500mくらいからブナ林になり、遠くが見えるようになる。しかし高度でいうと滑降の後半部になっていて、斜度も緩い。この山は豪快な滑走を求める山ではないようだ。1400m以下になると少し斜度が増すのだが、50mほど降ったらトラバースする登山道に出た。13時30分。その下のやや急な斜面はブナの若木の密林なので、登山道をトラバースして1291mの尾根の東側に出て、やや疎林になる沢沿いを滑る。小沢がいくつか出てきてスノーブリッジを越えるが、場所によってはホールが空いているので低速で慎重に。不動沢を越える橋のところへ出たかったが、その上流で不動沢のスノーブリッジを越えたので、不動沢左岸を滑って橋のところへ出た。13時53分。あとは林道を歩いてゲレンデに出て終了。14時15分。上り標高差が400mほどと少なく、下り標高差が800mほどあるスキー向きのコースだが、ほとんど密林の中でのオリエンテーリングのようなコースであった。
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不動沢にかかる橋

この日の動画(約3分20秒)

筑波連山北部の縦走

3月になるとお彼岸が近づくせいか、日曜日の東北道渋滞予測が激しくなってくる。日曜日の日帰りでバックカントリーへ一人向かうにはちょっと厳しい。

そういうわけで、普通のトレッキングをすることにした。エリアは先週の筑波山のすぐ北方、筑波連山の中の加波山近くの稜線。車での移動はせず、公共交通機関で東京まで周回することにした。

朝6時20分前後の電車で上野に向かい、宇都宮線の快速ラビットで小山まで行き、水戸線に乗り換えて岩瀬で下車。8時56分。岩瀬は自転車道の筑波りんりんロードの終点にあたり、何度か来たことがある。駅前から10分待たずに桜川市のコミュニティバスが筑波山口まで運行している。これに乗って、途中の雨引観音で降りる。バス代200円。雨引観音まで登ってくるバスは限定されている。

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雨引観音

9時30分トレッキング開始。ガイドマップなどでは登山口がわかりにくいのだが、境内の一番奥へ向かっていくと軽自動車1台分くらいの幅の未舗装路が上方へ伸びており、これを上がっていくと「関東ふれあいの道」の標識が出てくる。雨引山・燕山・加波山の標識に従って歩いていく。平日は道の整備中らしく、小さなパワーショベルが置いてあって、道がまだ踏まれていずに柔らかい。まもなく雨引山との分岐点に至り(9時52分)、右方向へ曲がって燕山・加波山へ向かう。緩やかな登山路は歩きやすくて快適だが、至る所で土が掘り返されているのはイノシシがいるからだろうか?10時30分、365mの三角点通過。

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分岐を右へ

そのうち、登山道の真ん中が異様に掘れているようになる。タイヤ痕があるなあと思っていたら案の定トライアルバイクが2台ソロソロと降りてきた。この山域一帯、登山道に入り込んで道を荒らしているトライアルバイクライダーがいるようだ。やんわりと注意したが、「知りませんでした」などと見え透いた嘘をつくから腹が立って、通報してやろうかと言ってしまう。トライアルバイクに乗ってブーツやプロテクターをして走っていながら知らなかったなどという理屈は通用しない。地形図で344m地点の少し南の登山道まで西側から作業道らしきものが繋がっているらしく、ここへ下から上がってきてしまうようだ。雪山でのスノーモービルよりも地面を掘り返す分、タチが悪いかもしれないが、若い頃は自分も林道をバイクで走っていたのでこういうところへ来たくなる気持ちは少しわかる。だが走っていいトレイルと、ハイカーと出くわす可能性のあるトレイルの見極め、日曜日はさすがにまずいという感覚くらいは持ち合わせて欲しい。

燕山に近づくと尾根が急になり、階段が出てくる。さすがにここまではトライアルバイクも来ていない。息が上がる中登り切ると701mの燕山頂上。11時30分。頂上を過ぎるとすぐに放送局の中継所があって興ざめである。中継所までは車が上がってこれるので、簡易舗装の道路を歩くことになる。

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燕山へ最後の登り

加波山への登山道に入り、すぐに加波山神社の境内になる(11時55分)。登山道は石が大きくなってきて、頂上近くは大岩の合間にいくつかの祠が点在している。「たばこ神社」などという面白い祠もあった。山頂の加波山神社本社の前には赤い字で「自由の魁」と彫られた石がある。周辺には注連縄が至る所に貼られていて、大岩の陰にも神垂〔シデ〕があり、神秘的な雰囲気がある。山頂部一帯が神聖なエリアなのだろう。「自由の魁」の石は自由民権運動の激化によって民権運動を弾圧した栃木県令三島通庸やそこに集まった大臣らを爆殺しようとして未遂に終わり、加波山山頂に立てこもった民権運動家の業績を讚えたものである(民権運動家たちは300名ほどが逮捕され、死刑になった者もいた)。

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加波山神社
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たばこ神社
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山頂の加波山神社祠から燕山方向を振り返る

そこから下りきると以前自転車で走ったことがある舗装林道に出た(12時30分)。石で櫂を模した「自由の櫂」の碑があり(これはさすがに最近作られたもの)、2本の風力発電のプロペラが威圧的に回っている。風車のある丸山は林道でトラバースして、足尾山に登っていく。足尾山山頂にも石垣の上に祠があり、樹木よりも高いので眺望がいい。13時30分。ここから下山する。

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足尾山山頂の祠
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筑波山が近づいてきた

下山ルートは白井集落へ直接降っていく登山道で、分岐点はわかりやすかった。最初は笹が茂ったあまり歩かれていない道で、すぐに急下降になる。少し斜度が落ち着いてきたら、燕山の手前で見たような掘れたトレイルになり、タイヤ痕が目につくようになる。一本杉峠から白井方面への道が大荒れの未舗装路であることは自転車で体感していたが、麓のトライアルパークで飽き足らないライダーがここまで登ってきているようだ。そのうち縦横無尽にタイヤ痕が見られるようになり、どこが登山道なのかわからなくなる。おそらく、この道は登山者よりもトライアルバイクの方が頻繁に走っているとみられる。沢の水が流れ込んできて、とても登山道には見えない。沢を下るのはまずいなと思いつつも、バイクが上がってきているのでいずれはしっかりした道路に出ると思われたので石伝いに降りていくと、トライアルバイクのエンジン音が響いてきた。ハスクバーナとヤマハセローが遊んでいた。さらに歩いていくと石切場のようなところでトライアルが1台練習をしていた。そういえば、自転車で一本杉峠から下りてきたらトライアルパークがあった。登山道には入らずこういうところで練習して腕を磨いていれば好感持てるのに。

人家が道路の左右に出てきて、白井集落に降り立ったようだ〔14時25分〕。このまま西へ向かって桜川市のコミュニティバスが通っている道路に出る。14時50分。バスの時間まで30分以上あるので、近くの喫茶店に寄って、15時23分のコミュニティバスに乗る。筑波山口でつくバスのシャトルバスに乗り換え〔乗り継ぐとつくバスの運賃が100円割引)、つくば駅からつくばエクスプレスで一気に東京へ。1時間足らずで秋葉原に到着した。

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麓に降りてきた日暮れが近づいている

JR・TXの列車とコミュニティバス、トレッキングもワンウェイにして、充実した山歩きだった。
歩数は28,000歩、距離は12.4kmほどだった。一日の行程にしてはかなり歩いたほうではないか?
しかし、そろそろ雪山へ行きたいんだけど・・22日から25日に神津島へ出張して、その後月末の計画を立てよう。

筑波山・薬王院ルート

3月第2週の週末も、さまざまな要因からバックカントリースキー・ゲレンデスキーを諦めた。
土曜日の夕方から夜にかけて用事ができて、日曜日早朝出発が難しくなったのが最大の原因。西大巓か雄国沼周回を狙っていたが、早朝出られず天気も下降気味で日和った。久しぶりに会津高原高畑での早朝ゲレンデスキーも考えたが断念。

ということで、天候が悪くなる前にサクッと登って下山できる筑波山に登山に行った。ただし、今回のコースは標高50mの完全な麓からハイクアップする筑波山で最も標高差が大きい(820m)薬王院ルートで登る。ほとんど女房を騙して(標高差のことは触れず)同行させる。

朝普通に6時に起きて7時過ぎに出発。久しぶりの常磐道で土浦北から筑波山にアプローチ。遠くで観ると小山にしか見えないが、近くに来ると大きく感じられる。筑波山へ登る場合、まず南面の中腹にある筑波山神社か、つつじヶ丘までバスや自家用車で行ってから歩くのが普通だが、今回は筑波山の北西麓にある「つくし湖」へ向かい、湖畔の市営駐車場か道の脇に駐車する。8時20分、市営駐車場に空きスペースを見つける。ここにはトイレもあって便利だ。

湖畔の道路から山手へ向かう石畳のスロープか階段で展望台に登り、そのまま谷すじを詰めていくと小さな沢と絡んでトレイルが延びている。このあたりは神聖な場所らしい。やがて舗装路に出ると、薬王院の境内が一段上に広がっている。中に入って立派な建物を横目に墓地を通って薬王院ルートに入る。登山者は多くはないが、早朝に登った人が下山してくるのすれ違う。コースは最初緩やかで歩きやすいが、舗装林道と交差した後、500mあたりから長い階段になり、700m近くまでずっと続く。ここで皆息が切れる。階段は800段くらいあるらしい。710mの三角点(坊主山)のあるピークを巻いてからはまた緩やかになり、男体山の山頂部を巻いて御幸が原に出る。そこまで2時間ほど。

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登り始めは小沢と絡む道。修験に使われたのか?神聖な水源とされていた

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薬王院の山門のひとつ

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薬王院境内の池

山頂部はあちこちから登ってきた人、ケーブルカーやロープウェイで上がってきた人が溢れるが、まだ10時過ぎで人は多くなかったので女体山山頂まで往復する。でも女体山山頂は人が多く、逃げるように下山し始める。途中のベンチで行動食を食べ、御幸が原で女房が肉まんを食す。御幸が原からは日光の男体山や女峰山、遠くに那須連峰や吾妻連峰っぽい白い峰も見えた。女房が何となくヒザ周りが痛いというので男体山へは登らず、来た道を引き返す。再び静かな山歩きになりホッとする。

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延々続く階段の写真を撮り忘れた。階段以外は歩きやすい踏まれた道だ

例の長い階段にうんざりして、私も右ヒザ周りに痛みを感じるようになる。途中の林道近くまで降りてきたら相当疲労が出てきて脚が震えている。駐車場着は12時45分ころ。駐車場の隣にある蕎麦屋で昼食とし、帰路についた。渋滞なく眠気とは闘いつつ15時には帰着。明日は筋肉痛になりそうな気配。

ココヘリに入会した

今週末はスキーは休みにした。本当は日曜日の日中いっぱい天気が持ちそうな裏磐梯まで遠征して、グランデコスキー場から西大巓に登り南西尾根を滑ってみようかと計画を立て、朝ちゃんと起きられれば行かれるだけの準備はしておいたのだが、夜中あまり眠れず、睡眠不足のまま出かけるのを躊躇した結果、取りやめとした。

西大巓は昨シーズンも行こうと思っていて行かずじまいだった。縁があれば3月中にリベンジしてみたい。針葉樹林の密林地帯を滑ることになるのであまり気が進まないのだ。振り返れば昨年末からほぼ毎週スキーを履いていたから、これを中休みとしてバックカントリー中心の後半戦に切り替えることにする。東京は日曜日午前中から雨が降ってきた。

ところで、計画倒れに終わった西大巓行きの前日に「ココヘリ」の発信機が届いた。数日前にウェブ上で入会手続きをしたのだ。ココヘリとは、登山者が小さな発信機を持って入山し、遭難した時に家族からの通報でヘリが飛び、ヘリから発信機を探知して遭難者の位置を特定、捜索にあたるというものだ。初年度は入会金が3,000円、年会費が3,650円。一日あたり10円という費用設定がされている。バックカントリースキーをやっていると、ビーコン発信器の小型版で遠距離受信が可能なもの、と捉えればわかりやすい。

最近は登山届がスマホから届け出られるようになっていて、私も「コンパス」というサービスをここ2年くらい使ってきた。「コンパス」では届けに必要な情報を入力して、最終的にスマホから発信して届け、下山後は下山通知を促すメールに従って通知を出すことで無事下山した報告がメールで緊急連絡先に届くというしくみになっているが、必要事項の中に「ココヘリ」のID番号を入力する欄がある。ここへ情報を入れておけば、遭難した時にこの番号をヘリ上から探すことができ、迅速に発見される原理である。

もちろん、ココヘリとコンパスだけでは不十分で、捜索費用を捻出できる山岳保険がさらに要る。これはずっと昔から木村総合保険さんの山スキー・山ボード保険に入っているので、ココヘリと提携しているJROという山岳捜索の費用を補填できるものには今のところ入っていない。ココヘリのシステムで出動するヘリは遭難者の位置を特定するだけで、ピックアップまではしないだろうと思うので、実際の捜索は地上から警察や消防、地元の遭対協が対応してくれることになる。すると驚くような捜索費用が家族にのしかかることになる。これを捻出するためには捜索費用に対応した山岳保険か、捜索費用カバーに特化したJRO加入が必要になる。

私の場合、一人で山に入ることが多く、山行の度に緊急連絡先の妻には説明をして出かけてはいるが、「コンパス」の通知だけでは少し心もとない。行方不明になってしばらくしても生存が確認できないとか、最悪遺体が見つからない、ということになると残された人に厄介が及ぶことになる。まあそういう時のためのお守りとして入会した。本当は早速西大巓に持っていこうと思っていたが、上記のように取りやめてしまったのでまたの機会になる。

ココヘリの発信機は証明写真を一回り大きくしたくらいのサイズ(縦5cm、横3cm)で、嵩張らない。発信機の電波(925Mhz)は最長16km飛ぶそうだ。電池はUSBによる充電式で、1回の充電で3ヶ月ほど持つらしい。2月中に入会したのでおまけとして発信機ホルダーが付き、それをシリコンラバー製のスキーストラップに通してザックに括り付けてみた。スイッチのオンオフがピンを穴に押し込むやり方(昔のMacのリセットスイッチと同じ)なので誤操作は避けられるが、いちいち面倒ではある。この機械のお世話にならないよう、慎重に行動することはもちろんだ。