スポンソン交換

奄美で破裂したスポンソンを購入しに鴨川セタスへ。途中内房の海を見たくて金谷から下道。予報みたいには波立っておらず、風も弱いのでどうにか漕げるような海況。こんな時、インフレータブルSUPだったらちょっと漕ぎだしてみることが容易だなぁと漠然と思う。

セタスで左右のスポンソンの他、カヤック修理用の靴底修理パテと安売りしていたボディボード用フィンを購入。スポンソンはかつて穴が空いて修理した左側だけが破裂したのだが、わがカフナも10年目だし、片方だけ交換すると空気注入パイプが左右異なるものになってしまうので両方交換。さすがに新しいタイプのスポンソンはナイロンコーティングがされていて少しは丈夫そうな感じだ。

で、早速駐車場をお借りして交換作業をする。まず潮まみれの船体布をコックピットから裏返す。これをやると船内もきれいになっていいのだが、面倒くさいので普段はしない。おかげで微量ながら日本各地で拾った塩が船内で精製されている。奄美でも撤収時に裏返してみたが、あまりに放置してあるのでバウやスターンの先端から塩分濃度の濃い水が出てきたくらい(でも、潮抜きするとカビが生えます)。

破裂の状況を確かめた時に左側のスポンソンは奄美で抜いてあり、ガイドとしての細引きが替わりにスリーブに入っているが(交換の際、長い細引きは絶対に必要)、ふとしたことから細引きがスリーブの奥に入ってしまい、それを取りだすのに一苦労。そして新品のスポンソンを細引きに結んでスリーブに入れるのだが、スリーブを通している間に細引きがほどけてしまってまた一苦労。これをやるとスポンソンのねじれを取る作業が大変。ちょうど日が照ってきて汗みどろである。


船体布を裏返して作業する。これは作業終了時。

何とか障害を乗り越え、右スポンソンも交換して12時過ぎに終了。ついでにいろんな片づけもさせてもらい、13時ちょっと前に帰路についた。帰りも、やっぱりせっかく房総にきたんだから軽ーく海に出られたらいいよなぁと思いつつ、組み立てに時間がかかるカヤックよりもSUPがあれば・・などと考えてしまった。カサハラ氏も一押しのインフレータブルSUP、いいかもしれない・・・

楽園へ・・(大島をウロウロ)

23日はツーリング最終日。もう漕がないが、帰りの準備&島内観光で締める。
午前中にレンタカーで湯湾岳展望台まで行き、滝めぐりをしながら大島の西海岸を北上して大浜海水浴場で軽く昼食、一足先に帰るbaron-papaさんのカヤックを郵便局で送り、名瀬でバスに乗るbaron-papaさんと別れる。


焼内湾全景。次第に雲が多くなってきた・・

マテリヤの滝

その後残った3人は再び大島西岸を南下、湯湾岳に近い宇検村の焼内湾の南岸を湾口まで下見のため行ってみる。大島南部の焼内湾や大島北部の笠利湾は、風が強かったり外海が荒れている時の代替プランを立てるのに有用な場所だからだ。


屋鈍海水浴場

いちばん西端の屋鈍(やどん。ポケモンにいたな)という集落まで行ってみる。養殖生け簀の多い焼内湾だが、ここまで来るとエメラルドブルーの美しい海となる。海水浴場と駐車場、トイレ・シャワーがあって完璧。湾の反対側にはハブ発祥の地とされる枝手久島が見え、島を一周してくるだけでも十分に楽しめそうだ。少し湾の奥に入ったタエン浜もよさげ。近くの郵便局でカヤックを発送すべく、再度カヤック収納バッグのパッキングをするが、ゆうパックの最大重量を越えていていてあえなく断念。名瀬に戻り、営業所からあらためてヤマト便で発送することにする。

この日の夜は名瀬市内の居酒屋で夕食。久しぶりのホテル宿泊で、疲れがどっと出た。

24日もYoshidaさんと大島北部めぐり。午前中にカサハラ氏と空港で別れ、あやまる岬、最北の笠利崎、笠利湾に沿ってカヤック出艇適地を探す下見の旅になった。最後に奄美パークで田中一村の絵画を見て終了。名残惜しいが奄美を後にする。


あやまる岬。北部東岸は平坦でリーフが多い。南部の瀬戸内町は山が迫りリーフは少ない。

笠利崎近くでパラグライダー愛好者のフライトを見る。

笠利湾も非常にきれい。

帰りのフライトは大阪伊丹経由。伊丹から羽田の飛行機の到着が若干遅れ、羽田着は夜10時。
折しも台風が複数発生し、北上してきていた。

奄美の旅、終了

楽園へ・・(加計呂麻島を越える)

8月22日はヤドリ浜へ戻る。請島水道を東に向かい、諸鈍湾を突っ切り、諸鈍の集落でいったん上陸して、カヤックをバラさずにカートで引っ張り、加計呂麻島の北側の生間(いけんま)まで1kmちょっとの山越えだ。その後大島水道を北東に横断する。約23kmほど。


準備中。だいぶ荷物がこなれてきて、カヤックに入れやすくなってきた。

流されなければいいが・・

出てみると以外と流れを感じない。だがその後若干パドル重くなる。

珍しく貫通岩を発見するが、水路狭くて通過は無理(諸鈍湾口)。

久しぶりに真水を被る。

請島水道で若干の流れを感じ、大島海峡でも流れを考慮して進路を北にとった。とはいえ、核心部はカヤックを引っ張っての島越えだった。一日で最も暑い昼時にこの重労働をし、スポンソンの空気はあらかじめ3分の1ほど抜いておいたのだが、あえなく左スポンソンが生間の港で破裂していた。空気を入れてもすぐに抜けるので、大島海峡を漕ぎながら何度か空気をつぎ足してごまかした。でも、ほとんどパドリングには影響がなかった。さすがは安定したカフナである。


諸鈍に上陸

諸鈍〜池間をカヤック&荷物運びで2往復した。折角なのでデイゴ並木が見事な諸鈍を散策。

パックカートは2組。二人づつカヤックを運び、残り二人は荷物を運ぶ。

諸鈍に上陸したらほどなく駐在さんが原チャリに乗ってきた。理由はこれか?我々は見事に条件にハマっている。

不審な人、不審な船、行動もおかしい。ただ、ここでシーカヤックマラソンが行われ、認知されていることが唯一の救い。

背後の屋根は定期船待合所。裏の日陰で昼食を摂った。出艇準備中だが、スポンソンが破裂していた・・

これでツーリングは一応終了。しかし、スポンソンがすぐに補修できない状態になってしまったので、オプションツーリングは困難になった。Yoshidaさん、ごめんなさい。

この日は撤収の後、ヤドリ浜に置いてあったレンタカーで元ちとせの生まれ故郷、嘉徳(大島東海岸)へ行き、海岸でキャンプ。西側が山に遮られているので満天の星という訳には行かなかったが、東側の星がよく見えた。一番盛り上がったのは「便所サンダル」についての話題だった。

うら寂しい嘉徳の浜。砂の色が違う。

楽園へ・・(大島をウロウロ)

楽園へ・・(ハンミャ島へ)

8月21日は請島と与路島の間、ハンミャ島まで。距離は12kmほどだが、キャーマ島の北側でシュノーケリングを楽しみ、移動途中で請島の集落である請阿室に立ち寄った。請阿室は非常に素朴な集落。店の看板もないので冷たいものを売っている商店がどこにあるかわからず、地元のおばちゃんたちが集まっているところで店の場所を聞く。港のすぐそばに1軒、民宿も兼ねた店が1軒あった。

その後港の待合所の日陰を利用して休憩と昼食。1晩目の夕食に使うはずだったレトルトご飯が余りそうだったのでここで食べる。港の横の上陸地は砂浜になっており、水のシャワーがスロープのところにあったので体の冷却のために浴びさせてもらう。


漕ぐ前の儀式

今日もいい天気


サンゴ礁にて


請阿室の海岸

古仁屋から定期船(せとなみ)も来る

サンゴの石垣

奄美はどこに行っても土俵がある

待合所の日陰で休憩


請阿室から請島水道を西に向かう。与路島水道から徳之島が見える。与路島水道に入ったとたん、カヤックのバウが左に向き始める。潮流が速い時で4ノット近くあり、流されるのだ。この日は小潮だったので慌てふためく必要はないが、ひたすら左スイープを繰り返して進路を北西にとるようにしないとハンミャ島から南に流されてしまう。なんとか流れをクリアし、ハンミャ島到着。先客がいたので全くの無人島ではなかったが、サンゴの白い砂の上で快適なキャンプ生活となる。夜、涼しくなって再び満天の星を眺めながら語り合った。


流されつつもなんとかハンミャ島に上陸

到着後の儀式

白いサンゴ砂の島でした

楽園へ・・(加計呂麻島を越える)

楽園へ・・(キャーマ島へ)

8月20日、前日夕方に組んでおいたカヤックに荷物をパッキングし、いよいよ出艇。
前の晩に歓待してくれた方々に見送られて、大島海峡を東南方面に向かう。漕ぎ始めてすぐ、海上にウミヘビ発見。出艇時にも遠くでウミガメが泳いでいた。猛毒と聞く海ヘビは怖いが(実際はおとなしいらしい)、南国ムード全開である。


大島海峡の東の出口を臨む


準備整いました


加計呂麻島東の断崖を漕ぐyoshidaさん


今回初めてご一緒したbaron-papaさん

神ノ鼻を左手に見ながら、加計呂麻島の東部の断崖地帯を漕いで行く。奄美大島でも加計呂麻島でもそうだが、地盤が弱いのか、土砂崩れ・がけ崩れの爪痕があちこちに見られる。あまり断崖に近寄る気もしないし、洞窟も多くはないので、ドンドン漕いで行く。島の東海岸は普段荒れぎみだそうだが、この日はかなりおとなしい海況。若干のうねりと向かい風があるが、向かい風は適度に体を冷却してくれるのでありがたい。


絶妙なバランスによって穴ができている

前夜の影響で体調がすぐれないカサハラ氏の休憩を挟みながら、リーフに囲まれた中間点の徳浜に上陸。ここで長く休憩する。ケンムン茶屋(ケンムンは妖怪のこと)でかき氷など注文して食べていたら、福岡からきたという子供たちが引率されて来て、シュノーケリングを楽しみはじめた。カヤックに興味のある子がいくつか質問してきてくれて(特にビルジポンプが気になるらしい)、中年のおじさんとしてはとても嬉しい。


加計呂麻島の東端にある徳浜海水浴場





子供たちに負けじと我々も泳ぎ潜ってみるが、サンゴはかなりダメージを受けていて生きたサンゴが見当たらず、魚もそう豊富ではない(かわりに黒いナマコばかり)ので、ちょっとガッカリ。

長い休憩の後に、崎根鼻から請島水道を横断して木山(キャーマ)島へ。無人島のキャーマ島の西海岸でキャンプとする。南の島はガシガシ漕ぐよりも、途中でのんびり休憩やシュノーケリングを挟みながら漕ぎ、キャンプ地でマッタリするほうが楽しい。漕行距離は約16km。


請島をめざす


だいぶ近づいてきた


キャーマ島にて

夜が更けると満天の星で、星を眺めながら会話を交わす。

楽園へ・・(ハンミャ島へ)

楽園へ・・(アプローチ)

8月19日、猛暑の東京から脱出する。とはいえ、カヤックの収納バッグを引きずり、パドルを抱え、ダッフルバッグを背負って行くので早朝にも関わらず夜逃げ同然の怪しい格好。さすがに混雑時の電車は社会的に迷惑なので、羽田まで女房に車で送ってもらうことにした。

早めに9時ころ出発カウンター前に行くと、すでにYoshidaさんが同じような格好で待ちかまえていた。その後、初めてお目にかかる
baron-papaさんが到着、最後にカサハラ氏が現れた。

すでにカヤックを奄美に送ってしまった
baron-papaさん以外の3人は乗る飛行機に荷物として預けるべく手続きを始めるが、カヤックバッグの重量が当然20Kgをオーバーしており、超過料金を支払う。ここまでは予想通り。私の超過料金は甘めに見てもらって11Kg、3,300円(1Kgあたり300円)であった。この金額はあらかじめ宅配便で送ってしまったほうが安い。うまくいけば(最近は重量制限が各社厳しいようではあるが)1,000円近く安くなる。ちなみに帰りは名瀬からヤマト便で送り返したが、飛行機に乗せた金額より若干安かった。



預けた3名はサイフに響く超過料金に、「こんなハズではなかった」「以前はもっと安かったのに」「ショック」と意気消沈するが、そこはリジッドカヤックを送る金額に比べればはるかに安いわけで、互いに慰めあって搭乗する。

急に暗雲が垂れ込めてきた羽田を後にし、昼過ぎには奄美空港に到着。日差しが非常に厳しい。ドピーカンの6日間の始まりであった。


暑い・・


昼食は奄美名物・鶏飯(けいはん)を食す

レンタカー(トヨタプロボックス)に3艇のカヤック収納バッグを積み込み、それぞれのキャンプグッズを満載して、奄美大島南端の瀬戸内町古仁屋へ。途中、国道沿いのホームセンター兼スーパーで買い出しをする。各自用意するのは3日分9食プラス4日目の朝食の10食分。大ざっぱに夜はレトルトご飯にレトルト丼の具、朝はパン、昼は東京から持ってきた煮込むだけのパスタということにして、そこに果物や野菜や魚肉ソーセージなどを付け加えることにした。それと、パドリング中の飲み物が不可欠なので、水出しできる紅茶パックとスポーツ飲料の粉末を購入。ともにスクイーズボトルがあれば飲みやすい。

古仁屋郵便局でカヤック収納バッグがさらに1つ増え、さらに冷たいものを買い足して、古仁屋の東方のヤドリ浜へ。海水浴場の裏手の無料キャンプ場だが、その夜はカサハラ氏の知り合いのカヤックガイドからの差し入れ、キャンプ場脇の知り合いのお店に招かれての宴会(故人を偲ぶ宴であった)で、のっけからディープな世界にはまりこんだ。


夕暮れの大島海峡

楽園へ・・(キャーマ島へ)

楽園へ・・(準備編)

明日から1週間弱、東シナ海の楽園、奄美群島へ行ってくる。セタスツアーである。

おかげさまで恐れていた台風も今のところ発生しておらず、天気も上々、潮回りも小潮が3日ほど続き、風の予報も弱め。これがホントなら絶好のコンディションになる。

今回は宅配便でカヤックを送るのではなく、自分とともに飛行機に乗っていく。20kg以上の荷物は1kgあたり300円取られるらしいのだが、いったいいくら超過料金を払うことになるのか、戦々恐々としている。

ベース(相棒のカヤック)はより軽いカフナにしたが、トラベルパックに詰め込んだのは、普段常に入れているビルジポンプ・パドルフロート・コーモラントパドルに加え、スプレースカート、PFD、デッキバッグ(その中にシュノーケルグッズとレスキューグッズ少々)、一人用テント・ポール、クレージークリークの座イス、コッヘル・ガスヘッドなどである。すでにそれだけで収納パックはパンパン。予想重量は30kg弱。

あとはシアトルスポーツのロールダッフルS(36L)と剣道竹刀袋に入れたクラトワを持っていく。ダッフルの中には、スポーツマンブランケット(テントマットの他、カヤック組み立て・解体時のシートにもなる)、お着替えポンチョ(上陸時の服にもなり、テントの中では丸めて枕になる)、ヘッドランプ(相変わらず大ぶりな古いLEDランプのBDベクトラIQ)とコンパクトな懐中電灯、着替(濡れない時の服を1.5セット。下着に秘密兵器あり)、ファーストエイドキットや洗面具、携帯充電器やラジオなど電気関係の小物、自転車用保冷水筒(500cc)、地図、嗜好品、若干の食糧(奄美では手に入れにくいエスプレッソパスタ6食分とパワーバー、パワージェル2つづつ)くらいか。

山とは違って海辺の砂浜キャンプになるだろうから、マットやシュラフは不要。代替品で何とかする。本も持っていかない。奄美に行くからと先日、島尾敏雄(特攻隊員として加計呂麻島に赴任、加計呂麻出身のミホを妻とした)の「死の棘」を文庫で買って少し読み始めたら、あまりに凄まじい内容で、南の島にカヤック旅しながら読むにはふさわしくないと思った。この小説は行くまでに読み切る予定。

何日もかけてジワジワゆっくりと準備したが、忘れ物はないか不安。さらに向こうに行ってからアクシデントや参加者の足を引っ張るようなことをしでかさないか不安。天候の急変も不安。不安だらけ。ま、明日羽田に行って飛行機に乗っちゃえば全ては動き出す。なるようにしかならない。

今回、新たに買ったものは先日のカフナの快適性アップのための100円グッズくらいしか無いのだが、せっぱ詰まってからスノーケルを買ってしまった。もうこれ以上ものは持っていかない!と決意した直後である。すぐに翻意する情けなさだが、これで水遊びが楽しくなりそうだ。

ついでに、ブログ記事の訂正。先日の若狭内浦湾のエントリーで、高浜原発は停止中と書いたが、実際は4基の原子炉のうち2基は稼働している。

楽園へ・・(アプローチ編)

お盆の三浦

吐月工房氏と平日、ただしお盆の三浦へ行って漕いだ。

未明に地震があって起きてしまい、4時以降暑くて眠れないままに5時出発。
東京から各地へのびる高速道路は早朝から激しい渋滞だが、三浦方面はスカスカ。
順調に到着し、カフナを組む。

カフナをチョイスしたのは、来週末から奄美・加計呂麻島近辺に出かけるため、その時の装備の確認を兼ねてのこと。

とはいえ、特に気張ったことをするわけではなく、先日100円ショップで買い求めたグッズがシート周りの快適性向上につながるのではないかと思ったので、その実験である。

まず、下の豆腐のようなものはビルジスポンジ。今までセーム革を使っていたが、もう少し吸水性のいいものはないかと探した結果、100円ショップにぶら下がっていたので購入。ロール後には必ず若干の水が船体内に入り込むが、それを吸水するにはもってこいだった。


次いで、この白と緑のダンダラはお風呂での背中洗い用ボディブラシ。材質はミカンのネットみたいなナイロンであろう。タイラップで背もたれ直後のリブに取り付けて、シートのクッション代わりとする。



さらに、シートの背もたれ部分には、これまた100円ショップにあったプラティパスもどきのぺちゃんこになる水筒。3.9Lタイプを買って入れたらちょうどサイズ的によかった。水を入れてもシートクッションになると思うが、今回は息を軽く吹き込んでスクリューキャップをしただけ。それなりに背中が快適になった。
まだ他にも、首回りの空気枕(O字型)を入れる手も考え、持ってきたが、背中に入れず試しにお尻の下に敷いた。これは座面が高くなってしまうのであまりよくはないが、空気を抜けば小さくなるものなので、本来の使い道にも用いることが可能だ。


上下逆の方がキャップが邪魔にならずいいかもしれない。

ということで、準備が整ったので城ヶ島を一周するいつものコースへ。出艇時はかなり潮が引いていた。


二人で赤羽根海岸に上陸してペットボトルゴミを拾いまくった。ゴミ袋6つ分となり、大漁。各自3つのポリ袋を積んでいくのは至難の業だが、バイク用の荷物固定用バンジーコード(バイクに乗っていた時から持っていたもの)を今回持ってきた。私の初期型カフナのスターンデッキは予備パドルを固定するのもノーマルでは心もとないので、このバンジーコードがツーリング時にも役立ちそう。



戻ってきてからロール。もちろんゴミ袋をいったん下ろし、右のロングスタンダードロールのみ行う。カフナをロールで起こすのはこの手段が一番。3回ほど連続してロールを成功させ、左のロングスタンダードロールを試みたが失敗し、右で上がって終了。カフナの場合、最初から右から上がることだけを考えて、余計なことはしないほうがよさそうだ。それと、水中でまず落ち着いてセットすること。サイブレイスバーがない私の初期型カフナは、両ヒザが適切な位置にあること、上半身がデッキに前屈していることを水中で確認した上でパドルを振り回さないと、絶対に失敗する。

山陰・若狭の旅(4・若狭内浦湾と彦根城)

朝、tsさんに指示された集合場所のヒロセオートキャンプ場の駐車場に到着。すでにtsさんは到着され、ウィスパーも組み立てが終わっている。ここは福井県の高浜町、内浦湾の最奥の入り江だ。京都府内の東舞鶴からはすぐなのだが、小さな塩汲峠を越えると若狭である。

今日はカサラノを組んで出艇する。2日間の山陰ツーリングで疲労が蓄積しており、特に手のひらにはパドルダコ、肉刺ができ、むくんでいる。tsさんは若狭から京都の海を堪能できるようなコースを設定してくれたのだが、疲労した私の身が持ちそうもないので、お願いしてライトツーリングに変更していただいた。



カサラノも順調に組み上がって8時前に出艇。湾口に向かって右手の岸沿いに進んでいくと、南方向からの吹き下ろし風に押されて進む。ダンノ鼻をかすめると右手奥に高浜原発がそびえている。原発関連施設が立ち並んでいるが、そのすぐ左手には音海という普通の漁村があり、この集落も出艇地も、原子炉から2kmも離れていない。若狭湾というのは入り組んだ美しい海岸線に14基もの原発がひしめいているらしい。いま現在は停止状態
(←これはまちがいです。8月半ば現在、高浜原発は4基中2基稼働しています)にあるが、こういう特殊な場所を漕ぐのは初めての経験だ。


高浜原発

湾口はこんなふうなのだが・・

その後は岸ベタで押回鼻から音海断崖へ。tsさんが「プチ隠岐」と呼んでいる断崖を右手に今戸鼻まで出て若狭湾の全貌を眺めてUターン。今度は内浦湾口を突っ切って正面崎に向かい、わずかに京都府に入って馬立島を反時計回りに周回し、再び正面崎近くまで戻って、最後は内浦湾の定置網を避けながら広瀬鼻を経由して戻ってきた。総距離は20km弱。
tsさんによるレポートは
こちらで。





途中、ゴロタの浜に上陸して少し早い昼食・休憩タイムとした。湾口からの出入りは、途中で風向きが変わって風に押され、楽ができた。しかしとにかく酷暑。最後にロールを数回やって、ちょっとひんやりしたが一瞬だけだ。舞鶴の予報では最高気温35度か36度というから、午後は早めに撤収したほうが身のためだろう。12時過ぎに出艇地に戻って装備を乾かしながら撤収。しばらくマッタリして、14時ころにtsさんと別れる。





この山陰・若狭の旅ではオオタガキ氏、tsさんに大変お世話になった。初見の海岸を無事漕げたのもお二人のおかげだ。いいツーリングをさせていただき、感謝。

再びクルマの一人旅になる。若狭の海岸沿いを走り、海水浴場の駐車場が満杯なのを横目に進む。小浜線に沿って走り、若狭街道で琵琶湖の西岸今津へ。琵琶湖を時計回りに回って8号線で彦根へ。今夜の宿は彦根駅前のホテル。日曜日は渋滞必至だし、京都府内に下宿している長男と合流して東京へ帰るのだ。

夜、食事がてら駅前の本屋を覗き、地方出版の本とひこにゃんグッズを買い求めたら、彦根城に行きたくなってきた。明日チェックアウト前に彦根城散歩だ。

ということで翌日は朝8時30分の開場を待って彦根城を見学。ほぼ一番乗りだったのでスムーズに回れた。国宝の城郭は姫路城、松本城、犬山城とこの彦根城4つである。圧倒的なスケールと存在感は姫路城にはかなわず、天守の大きさも姫路・松本城には劣る。私は特に郷里の松本城に対する思い入れはあるので、彦根と犬山はあまり関心がなかったが、実際に行って見るとさすがに徳川譜代筆頭の井伊家のシンボルである。小振りだが美しい。完全な平城ではなくて琵琶湖沿岸にある小山を利用しているので、櫓などと一体の建造物と捉えれば、平城の松本城よりも存在感は上回るかもしれない。


玉砂利にひこにゃん


石垣




城下の庭園(玄宮園)から眺めた天守はなかなかよい。

さて、見学が終わって汗だくでホテルに戻り、長男を拾って帰路につく。往路に使った東名はストレスが溜るので、迷わず中央道を選択し快走する。実は東京までの距離はさほど変わらない。駒ヶ岳のSAには立ち寄ったが、標高が低くなるにつれ休憩する気が失せ、結局16時に、先週とはかわって暑くなった東京下町に無事到着。

今年は「悔いなき夏」がテーマなのだが、十分な旅が楽しめた。

山陰・若狭の旅(3・浜坂〜大谷)

自然と早起きして出艇準備に取り掛かる。7時ちょっと前に出発。本日漕ぐのは、浜坂から岩美町の大谷まで。前日とほぼ同じくらいの20kmだが、またロックガーデンや洞窟でウロチョロしながら漕ぐと距離は少し長くなる。


朝の海はいいもんです

出発

山陰本線の駅でいうと、浜坂→諸寄→居組→東浜までは駅が海岸沿いにあるが、その先の岩美、大岩駅はだいぶ内陸だ。車は浜坂に置いていくので私はテントなど不要な装備は車において行くことにしたが、車の回収が面倒だ。

オオタガキ氏は過去に漕いだことのあるエリアとなり、次第に郷里に近づいているので土地勘もある場所で、私は付いていく感じ。コースは先日のような人気をあまり感じない海岸線ではなく、岩礁帯の岬と海水浴場がある浜が交互にあって人気も多くなる。まして週末の土曜日である。




虹が・・

まず東の洞門と西の洞門をカヤックでくぐる。迷路のようなロックガーデンを彷徨い、居組の港近くの島でいったん上陸して腰を伸ばし、泳ぐ。


大人の夏休み

東浜の海岸は条件によってはサーフエリアになるそうだが、今日は風も弱く波も立たず、とろんとしている。浦富海岸のロックガーデンがツーリングのラストを飾るハイライト。崖上の道路からデイキャンプグッズなどを持ち込んで思い思いに磯の観察に来ている人々がいる中をそろそろ漕いで、暑さに負けて船隠しのような洞門奥にカヤックを入れて再びシュノーケリング。結構多様な生物がウロチョロしているようで、海中を見ていて飽きない。


だいぶ岩の色合いが異なる。山陰ジオパークは飽きない。舟隠しの洞門の奥で。

浦富海岸の複雑なロックガーデン

すると、ポリ艇の集団が岩場にきていた。近くの網代港から出てきたカヤック体験のツアーらしい。挨拶だけ済ませて先に進む。網代の漁港の防波堤を内側から抜けるが、今まで漕いできた場所の水質がグッと落ちてしまったので閉口する。そのまま港に隣接した海水浴場に上陸。12時過ぎである。無事ツーリング終了。


郷里に向かって漕ぐ男は絵になる(砂丘が見える)

カフナや装備を干しながら、私は車の回収に向かう。海水浴場の駐車場管理の人たちに駅への行き方を聞くが、「歩いたら相当遠い」という漠然とした返答のみ。バス停でバスに乗れば岩美駅まで行かれるが、週末ダイヤで真っ昼間のバスはかなり待たないと乗れないだろう。頭に残っている地図の残像(ツーリング中に地図はオシャカになりました)を頼りに炎熱道路をひたすら歩く。2.8kmくらい離れた無人駅の大岩駅に到着するころには、暑さで死ぬかと思った。だが途中、田んぼの中に鷺の群れを見つけたのでよかったことにしよう。不思議なことに、漕いできた山陰海岸では海鳥が圧倒的に少なかった。洞窟でイワツバメ、時々トンビを見るくらいだった。

待ち時間15分で汽車に乗れ、浜坂駅まで戻る。駅からキャンプ場までまた炎熱地獄を歩くのは敬遠したかったのでタクシーを捕まえる。無事車を回収し、今日漕いだ海岸を眺めながら大谷に戻る。ありがたいことにオオタガキ氏が私のカフナも解体しておいて下さり、収納バッグに収めるだけで撤収完了。ご実家に向かうオオタガキ氏を岩美駅まで送り、別れる。

もう灼熱下でのパドリングで体にダメージが蓄積されているが、漠然ともう少し漕いで帰ろうかなと思い始めていた。明石のtelemarkstyle(ts)さんに連絡を入れ、無理を言って日曜日にご一緒していただくことにした。瀬戸内海方面は風が強いということで、京都あたりの日本海に移動することになる。こういう時クルマは気楽だ。

浜坂まで戻る間(東浜居組道路というトンネルが無料で通行できた)に夕立があり、国道9号線に乗ってからも湯村温泉で夕立に出くわした。ハチ北のスキー場近くを通り、福知山の手前から舞鶴に向かった。非常に快適な道路で、こういう道を法定速度で走っていると旅をしている感じがする。

午後に予約を入れた東舞鶴のビジネスホテルに投宿。

山陰・若狭の旅その4へ

山陰・若狭の旅(2・香住〜浜坂)

キャメル号に乗ってきたオオタガキ氏と6時30分に落ち合い、私の車で浜坂へ。山陰本線では鳥取から7駅分京都よりの兵庫県になる。

浜坂に置いた車は後ほど回収するつもりなので、なるべく駅に近いところに停める。さるおばちゃんの許可を頂いて事無きを得る。おかげで、浜坂からさらに4駅分京都よりの香住まで、8時台の列車に乗ることができた。これを逃すと10時台までないのだ。


気動車です。


香住の海岸のボードウォークでカフナを組み立てる。すぐ近くには業務用スーパーがあり、安く品物が手に入るようだ(オオタガキ氏談)。特に問題なく準備ができて、10時過ぎに出艇。相変わらずオオタガキ氏の装備は細かいところにさまざまな工夫がほどこされ、見るたびに感心する。



北東風がやや強めに吹き、崖近くでは少し乱れた波が立つが、カフナならむしろそのくらいの方が刺激があってよろしい。なるべく岸ベタで忠実に海岸線を辿り、見つけた洞窟や岩の間の水路には丹念に入ってみるが、あまりに多すぎて、写真を見てもどこがどこに相当するのか不明なものがあり、また岩が入り組み過ぎていて、実際漕いでいて何気なく通過してしまったところに見どころ(カヤック突っ込みどころ)があったりして、事前に直線的に測った距離よりも相当長く漕いでいる。


漕ぎ始めのころの洞窟


岩場に見事な松。その下にまた洞窟が・・


見事な柱状節理。岩の造形も少し漕ぐとだいぶ様相が変化する。


ちょうど昼くらいに餘部の旧鉄橋と新コンクリート橋が見えてきて、上陸し昼の休憩とする。上陸したところにはトイレがついた公園があり、飲み物の自動販売機もあって思わず気付け薬としてコーラを買ってしまう。

3分の1ほど残してある鉄橋が虚しい。



再び西に向かって漕ぎ始める。餘部からはしばらく集落も稀な「但馬御火浦(たじまみほのうら)」だ。今回のツーリングで最も北にあたる伊笹岬をまわり、香美町と新温泉町の境界にあたる鋸岬を越え、ほとんど唯一の集落といえる三尾の先の入り江で休憩。シュノーケリングを楽しむ。


その後もずっと海岸線に忠実に進み、入れる洞窟は入り、凝り固まった腰を海中に浮遊して伸ばしながらのんびりと浜坂に向かっていく。


16時過ぎに無事浜坂の海水浴場に到着し、キャンプを申し込む。まずテントを設営し、着替えてから食事に出かけ、刺身と煮魚中心の豪勢な夕食を食べた後、駅前の車を回収し、迷いながらもスーパーで無事買い出しを済ませる。大型スーパーは郊外にあるので車が使えてよかった。仕上げにキャンプ場裏にある立ち寄り温泉に入って本日終了。若者の嬌声や花火がうるさいということもなく、むしろ自分も含めテントで寝ているオッサンのいびきが轟く程度だった。

ここは宿泊もできるらしい。

山陰・若狭の旅その3へ

山陰・若狭の旅(1・鳥取砂丘)

鳥取を郷里にもつ、オオタガキ氏からのお誘いがあり、1泊2日で鳥取・兵庫の日本海沿岸をツーリングすることになった。

折しも台風9号・ムイファーが大東島から沖縄本島、先島諸島を通過する予報だ。その後中国大陸に接近していくものの、西日本の波・風予報はかなり厳しい方向のもの。初日は漕げても二日目は漕げないかもしれない、というイヤな予感から、二日目の代替案をお互いに抱えつつ、私はカヤックを2艇持っていくために自家用車で鳥取へ移動(当初はカフナ1艇を持ち新幹線と在来特急で移動する予定だった)。疲れる・渋滞あり・カネかかるの三重苦ではあるが、マイカーでの移動は気楽で自由だ。

首都高の早朝渋滞を極力避け(とはいえ東名の横浜町田で軽い渋滞)、静岡の由比あたりで太平洋の様子をチラ見し(でも静岡で結構深刻なピタ止まり事故渋滞)、新名神を使ってショートカットしながら京阪神へ。幸いスムーズに中国道に乗れ、佐用ジャンクションから無料供用している鳥取道へ。ずいぶん道路は繋がっていて、1ヶ所だけ下道を走るがストレスなく鳥取市へ。
生まれて初めて来た鳥取!

何と言ってもまずは砂丘でしょう、ということで市街地を通過して展望台駐車場へ。駐車場代は無料なのだが、砂丘に行くには300円のリフトに乗らんとイカン。なら近いところへというわけで近い駐車場に行ったら駐車料金が410円だった。


展望台から俯瞰

気温36度以上という暑い中での砂丘の上り下りは苦行の一言。便所サンダルで歩くが、足裏に砂が入ると熱い。熱中症に備えて帽子と飲み水は不可欠。砂丘の「馬の背」まで普通の男女が歩いていくので、鳥海山に登れなかったとはいえ、くじけては中年男がすたる。「馬の背」の頂上から海に向かう斜面は、スキーヤーには若干そそるものがあったが、この暑さでは戻ってくるのが辛い。ということでやられないうちに退散。ところが帰りのダラダラ坂が辛かった。


キツイ登りだけどここの砂は熱くなかった

雪だったらね・・

向こうのダラダラ坂の砂が熱くて辛い

「山陰海岸ジオパーク」の紹介施設で海岸の地図付きパンフレットがないか探すが見当たらず、鳥取市内へ戻る。駅前のホテルに投宿、翌朝着くオオタガキ氏を待つ。

失礼ながら山陰本線の列車は編成が短いのに、鳥取駅がやけに長大な建物であるのに驚く。駅前のデパートが19時で閉まってしまうのは悲しく、ギリギリセーフで翌日の行動食(パン)を仕入れる。ホテルの部屋で「無事着いたメール」などを送っていたら携帯の電池がすぐに消耗していくのがまた悲しい。

山陰・若狭の旅その2へ

仕事山行・鳥海山登れず

以前「梅雨明け」に書いたような日程で鳥海山へアプローチした。

往路は新潟経由で羽越本線で羽後本荘へ。羽越本線の特急「いなほ」では笹川流れを間近に見たかったのでわざわざ海側の席を確保した。羽後本荘から由利高原鉄道で終着駅・矢島へ。自宅最寄り駅から7時間の移動でたどり着いた矢島駅は途中の無人駅とは違い、新しく立派な駅舎だった。駅舎の中に観光案内所兼売店があり、70代くらいの女性が係を務めていたので、1時間後に到着する本隊のためにタクシーを呼ぶ相談をした。実はその女性は由利高原鉄道応援大使という肩書きで、その筋では結構有名人の佐藤まつ子さんという方だった。



矢継ぎ早にいろんな質問をされ、お菓子やらさくら茶をご馳走になる。初手からものすごい歓待ぶりだ。まつ子さんはわずか1時間の間に駅に立ち寄った地元の人と必ず会話をされ、由利高原鉄道と周辺観光の問題を鋭く指摘していた。鳥海山登山に対する羽後本荘市の姿勢にも注文があるらしい。確かに、山形県側のアピール度に対して秋田県側のそれは弱い感じがする。地元の振興のことを真剣に考えアイディアを絞り出しているまつ子さんには圧倒されつつも引き込まれてしまった。


帰りに見送られる。まつ子さんは常におしゃれ。

で、結局我々は14人なので、タクシー会社とまつ子さんの交渉の結果、マイクロバス1台で祓川までアクセスすることに。祓川登山口の最大の欠点は、矢島駅や羽後本荘駅から安い価格のバスがないことだ。タクシーを使うと1台数千円になってしまい、マイカー登山だとピストン山行になってしまう。

無事本隊と合流し、18時過ぎに祓川ヒュッテ着。ここまではよかった。


ヒュッテ前から

14人で祓川ヒュッテを独占できたのだが、翌日朝は土砂降りの雨。私と同僚はレインウェアを着込み登る準備万端なのだが、若人のリーダーが日和って結局この日は沈殿。朝祓川に着いたじいさんグループは土砂降りの中を登り始めたのに・・土砂降りの雨は午前中にいったん上がり、晴れ間も時折出てくる。もう少しで七高山山頂まで見えそうなところまでガスが上がる時もあったのだが、やはり天候は全体的に不安定で断続的な激しい雨があった。風も強い。山頂部では風速15mくらい吹くこともあるとの携帯での予報だ。沈殿と決まれば朝寝、読書、ラジオを漫然と聴くくらいしかない。ラジオは日中AM1局(NHK第2のみ。なぜ第1が受信できないのか?)、FM1局(FM秋田)しか受信できず、すぐにつまらなくなる。午後になるとやることもなくなり、晴れ間を見て一人でヒュッテの目の前にある竜が原湿原の散策路を一周歩いてみる。祓川神社ってのが地図には載っているが、トタン張りの物置ないしは作業小屋のような建物に過ぎず、鳥居ひとつない。
若人たちは沈殿と決め込んだら一歩も外へは出ない。少しでも歩いてみれば翌日のルートミスはなかったと思うのだが・・


一時的でも晴れ間が見えた。まだ雪渓が残っているのがわかる。

翌日は4時起きの5時出発。若人のリーダーが七高山・新山ピストンに変更したいというので判断を尊重して認めたが(ただし七高山までで許可)、サブザックを使う予定は組んでいなかったため持っていない者もいて、レジ袋に入れて出てくるような状態。だったら昨日無理しても登ればよかったのに。

歩き始めは湿原内のフラットな木道で、ピストン山行のような荷が軽い時には若人はペースも考えず(ペースだけじゃなく実は何にも考えてない)一歩目からズンズン進んでしまう。見る見るうちに後ろを歩く私たちと距離が離れ、祓川神社の小屋前に私が着いた時には若人の姿は見えなくなっていた。どうやら私が昨日歩いた湿原散策路へ何も考えずに折れたらしい。登山道は直進で、事前に地図を見ておけば普通は間違えようもなく、すぐ登りが始まって雪渓もあるので、彼らが正しい道を選択していれば傾斜が急になった場所でペースが落ち、雪渓でさらにペースが落ちるので目視できるはずである。

湿原散策路は周回路なので歩いているうちに方向がおかしいことに気づくはずだし、すぐに引き返してくるだろうと高をくくって神社前の分岐で待っていたのだが、いっこうに戻る気配がない。それでも20分くらいすれば祓川ヒュッテに戻るはずだから、まず問題はないと思ってのんびり構えていた。しかし待ち時間がだんだん長くなり、後から出発した中高年グループが雪渓を先行するのを見送る。ボーッと立って待っているので小さなブヨが顔周辺にまとわりつき、何箇所も噛まれる。ヒュッテが見える湿原まで何度か戻って目視してみるが若人の姿なし。

さすがにおかしいということで同僚が携帯で連絡をとってみる。幸い繋がるが、あちらは湿原にいるとの返答ばかり。小一時間経って、周回路に一箇所分岐があって「カラ滝」に向かう降りルートがあり、もしかしたらそれを降りてしまったのでは?と推測する。携帯でそれ以上先に進むのは止めて登ってきたルートを忠実に降りるよう指示し、迎えに行く。「カラ滝」への分岐を折れると足跡が複数あり、湿原状の薮漕ぎに近いルートになる。赤テープが頻繁に見られるのだが、地形図にも昭文社の登山地図にもルートは描かれていない。登山靴がドロドロになるような道を踏み分けて行くと高さ10mくらいの滝があった。滝の脇にケルンが積まれた広場で若人を待つ。5分くらいで無事合流。いったんヒュッテに戻るが時間はかなりロスしたので、登山を諦めさせる。


カラ滝


ちなみに迷い込んだ道は祓川ヒュッテのかつての管理人が開いた道で「康新道」といい、
上部では残っているが下部では廃道となり、上級者の薮漕ぎコースとなっているらしい。

そもそもどうしてこんな小学生でもしないようなミスをしでかすのか、あきれ返るばかりだが、若人自身にその原因を考えさせないとまたルートミスは起こる。「ルートミスを犯さない」ということを完璧に求めることは誰に対してもできないが、ミスを犯さないような事前の判断と行動は要求できるだろう。前日の晴れ間に偵察してみる、人工の構造物があるところで立ち止まって現在値確認、集団で注意力散漫なまま歩かない、ミスコースかもしれないと誰かが感じたら遠慮せずに意見して立ち止まって判断する、そのくらいは大人にアドバイスされるのではなくて自分たち自身で見いだして欲しいものだ。

ということで鳥海山はお流れ。またの機会に譲ることになった。スキーでも山頂まで到達していないので、今回は本当に残念。

鳥海山を下から回って吹浦へ。再び矢島駅で佐藤まつ子さんたちに熱烈に見送られる。朝日連峰からずっと若人につきあってきた同僚は秋田経由で帰路につく。お疲れさま。


由利高原鉄道「おばこ号」

吹浦では若人はキャンプ、私は軽量化のためテントも持参しなかったので駅前旅館に投宿。泊まった丸登旅館さんは昭和初期から登山客や海水浴客を受け入れてきた宿で、普通の民宿風だが料理は魚介尽くしで素晴らしかった。


贅沢過ぎます

翌日は若人を連れて酒田観光へ。酒田では無料のレンタル自転車を借りて山居倉庫や本間邸、美術館をめぐった。サドルも固着したママチャリなのが残念だが、最上川を越えて土門拳記念館まで行ってきた。映画「おくりびと」のロケ地にも立ち寄ってみた。観光スポット以外は街の中心街も閑散としていて、少し寂しげな酒田だった。


NKエージェント。元は割烹の建物だったらしい。

折しも新潟と福島は豪雨災害が拡大している。庄内はほとんど雨も降らず、隣接地域なのに申し訳ないくらい。帰路は新庄経由で初めて山形新幹線に乗った。新庄駅でもらった「神室連峰」のパンフレットはいつかの山行の時に役立ちそうだ。