山猫アウトドア備忘録

最近はたまにしか外で遊べない男の備忘録です

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福島第一原発に接近

こどもの日、日帰りで南相馬まで往復してみた。

昨年秋から「帰宅困難区域」に指定されている大熊町や双葉町、浪江町を国道6号線で通過できるようになった。生身をさらす徒歩や自転車やオートバイではダメで、四輪車のみ通行が認められている。自分の目で福島第一原発近くの様子がどうなっているのか実際に見てみたくて、行ってみることにした。

常磐道を広野で下り、国道6号で北上する。まずJヴィレッジの脇を通る。子供が小学生の時に合宿でここへ連れてきたことがある。さらに北上すると楢葉町の道の駅が警察に使用されていた。

福島第二原発近くを通過、常磐線の富岡駅は立ち寄れる区域なので、国道を逸れて寄ってみた。
駅舎はなく、津波が襲った時の被害がそのまま周辺の建物に残っていた。ウェブのストリートビューでは駅ホームの屋根が残っていたり、階段が半壊のまま写っているが、すでに解体されて一面更地になっていた。
無残で悲惨。もう4年も経ったのに、言葉が出ない。

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富岡駅南側の建物

国道に戻って、さらに北上する。まもなく国道両脇のガソリンスタンドやらカーディーラーやらコンビニやら、建物はあるのに人気が全くない、というエリアに入る。帰宅困難区域なのだ。全ての建物や脇道には折りたたみ可能なフェンスがつけられていて、道路に面した住宅には厳重なバリケードが施されている。脇道のフェンスの前には警備員が立っているが、彼らはマスクはしているものの防護服は着ていない。線量は0.2〜5.5マイクロシーベルトと高速道路に表示されていたが、長時間の仕事を防護服なしでやり続けられるのだろうか?

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閉鎖されガードされたスタンド。当然歩道に人なし。脇道へは曲がれない。信号機は黄色点滅が基本。

当然ながら、周辺の田んぼや畑と思しきところは全く手が入っておらず、荒れるに任せている。除染ではぎ取った表土などが真っ黒な袋に入れられて積み上げられている。道路脇にはそこかしこに「帰宅困難区域」という表示がある。並行して走っている常磐線の線路も当然使われていない。国道の交通量も極めて少なく、警察車両がよく通るし、バスとすれ違うとフロントガラスに「1F直行」と紙が貼られている。第一原発の作業員を乗せるバスだ。国道は第一原発の西1kmほどのところで最接近する。丘になっていて原発の状況は見えないが、多くの作業員の人が日夜戦っている・・国道脇の「原子力運送」という看板がとても空しい。

浪江町を抜けて南相馬市に入るとガチガチのガードが緩くなった。小高区の海岸近くまで行ってみる。
田んぼや畑だったところは津波で壊滅し、住宅があったところも土台しか残っていない。海岸まで2km以上は何もない原野に帰ってしまった。小高駅近くの商店街もほぼゴーストタウン化しているが、わずかながら人は見かけるし、駅前でアンテナショップが開いていた。

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小高地区
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小高地区の海岸近く

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小高駅

10時30分、南相馬市の中心まで来た。がぜん車が多くなり、歩行者や自転車に乗った人々も見かけるようになった。帰宅困難区域から10kmほどしか離れていないのに・・道の駅ではこどもの日のイベントがあって駐車場は満車、子供の歓声が聞こえている。ものすごいギャップを感じる。道の駅の食堂で「浪江やきそば」を食べて帰路につく。

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再び海岸近くを走ってみるが、バリケードに阻まれて国道に出る。ネット上のストリートビューで見られる場所を無条件で走れるわけではないようだ。

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同じ国道6号線を広野まで走るが、なるべく目に焼き付けるようにしたつもりだ。行きも帰りもそうだったが、体に寒気が走る。実際に目にしても理解を超えるような場所で、すぐに腑に落ちるような景色ではない。

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早めに帰路についたので、全く渋滞なく東京へ戻ることができた。たった200km離れたところで起こった現実とは東京の様子はかけ離れていた。ここまで書いても、うまく言葉にすることができないもどかしさがある。

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