山猫アウトドア備忘録

最近は一人寂しく外で遊ぶ男の備忘録です

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登山など戸外遊び

18東北巡業登山旅行(その1・磐梯山八方台コース往復)

今年も東北の山に行きたくて6日間の行き当たりばったり旅をした。東北の山はなぜか何度でも行きたくなる。仕事山行で各地の山を訪ねているし、個人的にも家族でお手軽登山をしたり、個人的にも16年夏に飯豊連峰縦走や17年夏の一人登山旅、18年春の山スキー旅をしてきた。今回は一人旅でなく、最初から最後まで女房連れの二人旅、今まで逃してきた山を4日間連続で登ってきた。概要は以下の通り。

8月1日 移動&磐梯山八方台コースピストン
8月2日 南蔵王連峰・屏風岳までピストン
8月3日 東成瀬コースで焼石岳ピストン
8月4日 阿仁ゴンドラを使って森吉山ピストン、北上市まで移動
8月5日 北上市から三陸沿岸を南下、郡山市まで移動
8月6日 帰京


昨年のような鳥海山ピストンや月山ピストンのような大きな日帰り山行がないのは、女房連れなのでなるべくライトな登山にしたかったのと、白山の仕事山行で疲れ気味だったことがある。しかし、昨年登り残した磐梯山に登れたし、最近あこがれていた焼石岳に登れたことも収穫だったし、昨年旅の積み残しだった森吉山の山頂に立てたことも嬉しかった。

毎日の宿泊は女房連れなので車中泊では疲れが取れないだろうと思い、その日その日にネットで安いビジネスホテルや公共の宿などを予約して宿泊した。もういい歳だし、運転疲れも出てくるので、車内ベッドではなくちゃんと休息が取れる方が結果的にはよかった。

8月1日(水)晴れ
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磐梯山地図(標高1194mの町村境から中ノ湯を経て頂上往復)

朝6時台に東京を出発。本当ならもっと早く出るべきだが、二人になるとそうも行かない。それでも9時台には磐梯山の西の肩を通る磐梯山ゴールドラインを登り、磐梯山の肩にあたる標高1200mの八方台に到着し、準備して10時直前に歩き始める。駐車場がいっぱいになっていることを恐れたが、平日なのでかろうじて駐車可能だった。
八方台コースはあまりにも短くお手軽コースなので、本当は裏磐梯スキー場から火口原からの急斜面を登って頂上を極め、中ノ湯から裏磐梯に戻るループコースを計画していた。しかし出発時刻が遅くなったことや女房にとっては久しぶりの登山(しかもこれから連チャン)となることから最短コースを選択。
中ノ湯まではウォーミングアップ、崩壊した中ノ湯の建物を横目に次第に急登になってくる。1630mの弘法清水で汗だくの顔を洗って水を汲み、弘法清水小屋でおいしいナメコ汁を注文して頂く。磐梯山は日帰りが原則なので小屋といっても売店だが、管理している女性は赤埴山直下まで延びる林道を使って毎日1時間程度かけて小屋まで登ってくるという。それはそれで大変な仕事だ。
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吾妻連峰(ここもいつか薮漕ぎ縦走しなくては)
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弘法清水小屋

弘法清水から山頂までのコースタイムは20分程度だが、登山道はさらに急になり、左方はかつての爆裂火口のガケになっている。山頂に着くと、ようやく猪苗代湖を見下ろすことができ、周囲の山々も遠望できた。飯豊連峰の稜線が雲で見えないが、残雪はしっかりと見える。登山口から標高差600m。
下山は弘法清水小屋からお花畑を経由して15時頃(メモを取っていなかったのでアバウト)下山する。
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猫魔ヶ岳の手前にアルツ磐梯、向こうに猫魔スキー場。背景に会津盆地と右手に飯豊山
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猪苗代湖。東北屈指のいいロケーションである。

汗だくの登山ウェアから着替えて車内で登山ウェアの消臭をして車内干しして移動開始。この日は檜原湖沿いから白布峠を越えて天元台を横目に米沢に入り、その北の高畠町の高畠駅に併設されたJR直営の宿に投宿。宿は安普請だが、駅に立ちより温泉が併設され、通勤・通学者とクロスしつつ風呂に入ったり食事をとったりしたのが新鮮であった。
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18東北巡業登山旅行(その2・南蔵王連峰稜線歩き)

8月2日(木) 晴れ
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南蔵王地図(エコーラインの「ー」あたりから屏風岳往復)

朝、普通に食事をして8時に高畠駅を出て上山から蔵王エコーラインを刈田峠まで上がる。蔵王猿倉スキー場と坊平スキー場を横目に、夏用リフトを通り抜けて宮城県側に入り、刈田峠近くの路肩の駐車場に着いたのが9時過ぎ。結構時間がかかった。しかしもうここは標高1600m弱であり、下界が20度台から30度に達しようという中、20度ちょっとで大変涼しい。このままここで昼間読書などして過ごしたい衝動に駆られるが、登山の支度をして歩き始める。だいたい10時過ぎ(メモ取り忘れ)。とりあえず宮城県最高峰の屏風岳までのピストンである。
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肌触りのいいコケ

道路は刈田岳直下なので、本当の刈田峠までは登山道を下る。屏風岳までの縦走路はさほどアップダウンがないので磐梯山のような苦労はなかろう。まず刈田峠避難小屋を外から見学し、1530mの鞍部に下り、そこから1700m弱の前岳に登り、標高差30mほど下ってから1750m弱の杉ヶ峰に登る。1650m程度まで下降すると芝草平である。女房は体調がすぐれず、芝草平で行動食を食べて戻るというので11時30分に別れる。こういうことはあまりしたくないが、同じコースを戻るのだし、視界もよく分岐はないので大丈夫だろう。
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芝草平へ下っていく
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屏風岳山頂には誰もいず
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立派な木道があった

一人で芝草平を過ぎてペースを上げて屏風岳に12時着。山頂の三角点は1816mで、その手前の樹林帯のピークの方が数メートル高いようだ。行動食のパンをかじりながら東を見ると、蔵王町や村田町方面が見える。時間があれば南屏風や不忘山まで脚を伸ばしたいところだが、今回はここで終了し戻る。雲も湧いてきて、暗くもなって来た。芝草平では風が強く、ウインドブレーカーが欲しい。
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刈田岳頂上までジグザグに有料道路が通っている

駐車場に戻ったのは14時頃か(メモ取り忘れ)。先に帰ってきて車内ベッドで寝ていた女房の調子はあまりよくないようで、後部座席で横にさせながら移動開始。
蔵王エコーラインを戻って上山から東北中央自動車道に乗り、13号線と部分供用している自動車専用道を使って秋田県入り、湯沢市内のビジネスホテルに到着。夕方、湯沢駅前をぶらつくが、駅舎が新しいのに駅前商店街は寂れていて悲しくなる。なぜかトヨタのディーラーに付設された書店が意外にも売り場が広く、秋田の山を扱った無明舎出版の本
「ばりこの『秋田の山』無茶修行」をゲット。近くのスーパーで朝食を買い、ホテル内のレストランで夕食。明日はメインイベントの焼石岳である。
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18東北巡業登山旅行(その3・焼石岳東成瀬コース)

8月3日(金) 晴れ
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朝6時台にホテルを出て、空いた国道13号を北上、十文字から国道397号でジュネス栗駒スキー場方面へ。パークゴルフ場を過ぎてしばらく登ると左手に焼石岳登山口への林道分岐があり、比較的フラットな砂利道を数キロ進む。標高930mに駐車スペースがあり、登山口だ。すでに2台のクルマが駐車されているが、神戸ナンバーと滋賀ナンバー。ずいぶん遠くから遠征に来ている。

7時45分、登山開始。焼石岳登山は今回の東北巡業のメインだが、最初は岩手県側の中沼登山口か、つぶ沼登山口から登ろうと思っていた。しかし女房連れなのでなるべく短い登山ルートが好ましく、登山口の標高が高いほどありがたい。気づいてみると秋田県側の東成瀬村からのルートは好条件で、歩いている最中も変化があって飽きさせない。途中に避難小屋こそないが、結果的にこちらを歩いてよかったと思った。

登山者が極端に少ないので熊に警戒しつつ、歩き始める。まもなくすずこやの森ルートと合流し、大森山の中腹をトラバース。すでに岩手県に入っている。標高1050m前後だが、6合目くらいまでほとんど標高が変わらない登山道であり、歩きやすい。途中、5合目の「釈迦ザンゲ」で高台に登って視界を得られるが、ずっとブナの樹林帯である。
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釈迦ザンゲから西焼石岳方面

「釈迦ザンゲ」とはユニークな名前がついているものだが、そこからはゆっくりと標高を下げ、胆沢川に近づく。幅5m程度に細くなった胆沢川を3回徒渉する。最初は水が左から右に流れていたが、2回目の徒渉は右から左に流れている。3回目は左から右だ。沢が何本もあるみたいに感じられて頭が混乱してくるが、要するに川が蛇行しているところを串刺すように登山道が貫いていると考えると納得がいった。登山道に徒渉が入るのは変化があっていいが、増水時は渡れない。6合目は「与治兵衛」。胆沢川の水を秋田側へ引こうとした人物の名前だそうだが、いい名前だ。胆沢川から少し離れて尾根の上を登山道は延び、7合目「柳瀞」。ちょっとした広場があって小川もあり、浄水すればテント泊できそうだ。8合目が「長命水」。長命水はいい清水が2箇所からジャンジャンわき出ている。まもなく焼石沼があるが、過去にはこの辺で牛の放牧が行われていたらしい。電子地形図には沼のそばに建物が描かれているが、そんな建物はすでに撤去されて存在しない。沼の見学は下山時にして、平坦でお花畑になっている沼周辺を後にする。ようやく登りがきつくなってきて、9合目の焼石神社に詰めていく。登山道の脇には細くなった胆沢川の源頭部があるようで水の音がさかんにして、植物も豊富だ。樹林帯をすでに抜けているので日差しが強い。
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徒渉点
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ハクサンシャジン
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タカネナデシコ
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ヤマハハコ
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長命水

焼石神社で標高1430m。溶岩ドームのようになった焼石岳山頂に向かうルートは大きな岩の連続で歩きにくい。20分ほどで11時30分山頂着。山頂は3人ほど。休憩と行動食摂取。しばらくすると岩手側からおばさん3人組、さらに泉水沼の方から団体が登ってくるのが見えたので、11時50分には山頂から下る。同じ道の下りではなく、泉水沼方面に下り、東焼石岳方面への周回路を使って焼石神社へ散策する。登りに使った岩だらけルートを回避した。若干時間は要したが、焼石神社から下山する。焼石沼に近づくと、源頭部の沢水が一時的に集まっているだけなので水はきれいで浄水すれば飲めそうだ。沼のほとりは平坦地があって快適な幕営ができそう。
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山頂到着

長命水で帰りの水を汲んで長い下山ルートに入る。釈迦ザンゲで14時45分、登山口に降り立ったのが15時30分。東成瀬ルートを使った登山者がおそらく我々の他に4〜5人(先方に見かけるか追い抜かれた)、最後に作業者3名とすれ違っただけだった。静かで変化に富み、景色も良くて水も豊富、文句なしの登山路だった。こんな登山ルートを頻繁に歩ける秋田の人が羨ましい。
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泉水沼と山頂
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標高1500mに雪渓がまだ残っている
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焼石沼(正面のポコが焼石山頂)

駐車台数がゼロになった林道のどん詰まりから移動。横手市を過ぎて真昼岳のふもとの美郷町の公共温泉宿泊施設へ。久しぶりの和室でゆったり休んだ。真昼岳、和賀岳登山はまたの機会に。
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18東北巡業登山旅行(その4・阿仁ゴンドラから森吉山)

8月4日(土) 晴れ・曇り
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森吉山地図

朝8時に美郷町の宿を出て、農道と105号線を使って森吉山阿仁スキー場へ。2時間強かかった。角館から105号線を使ったアプローチは遠くて時間がかかり、女房は車酔い。10時30分頃ゴンドラ乗り場にたどり着いて、ゴンドラ往復券(大人1名1800円)を買い求めてゴンドラに乗る。二人分だと財布に響く。11時10分頃ゴンドラを降りて歩き始める。昨年時間切れで途中までしか行かれなかった森吉山のリベンジである。
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雲が垂れ込めてきた森吉山
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ニッコウキスゲ
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ヤマブキショウマ
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トイレ工事中の阿仁避難小屋

15分ほどで昨年の到達点である石森、そこから山頂に向かって右手へ。避難小屋は立派で、屋外トイレの新設工事中。資材が小屋のそばに置かれていた。ゆったりした登山道を登って12時20分山頂着。ゴンドラを使って10時以降に登ってきた登山客が子供や団体も含めて20名ほどか。さすがに登りやすい山である。前日の焼石岳とは事情が異なる。
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山頂

風もやや強いので山頂直下のベンチで風をよけて行動食を摂り、30分ほど休憩して下山にかかる。まっすぐゴンドラ駅には降りず、森吉神社と敷設の避難小屋を見学する。女房は冠岩の隙間を通ってみたらしいが、私は避難小屋内部の整備状況に関心があった。避難小屋は広くて床も新しく、何よりトイレが充実している。トイレは飯豊の門内小屋で見た自転車ペダル漕ぎによるおがくずと汚物を混ぜるタイプのものだが、合理的で悪臭もせず、いい設備だった。しかし、森吉神社の避難小屋とトイレ増設中の阿仁避難小屋の距離が近過ぎないか?歩いたら20分程度だ。冬のことなどを考えたら避難小屋は複数あって決して悪くはないが。
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冠岩
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神社の立派な避難小屋
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小屋内部
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自転車漕ぎトイレ

ゴンドラ駅14時15分。機械力で下山。せっかくなのでヒバクラ岳方面へも脚を伸ばしたかったが、またの機会に。

日曜日から雨になるらしい。移動してどこに行くか悩んだが、もう山登りを連日続けるにも疲れてきた。岩手県の北上市のビジネスホテルがたまたま取れたので、北から五城目まで回り込んで秋田自動車道でワープ。昨年末の単独スキー場行脚の途中で宿泊した北上市のホテル近くのスーパーで買い物、ついでに夕食も済ませる。
さすがに疲れ、泥のようになって寝る。

8月5日(日) 雨
朝から雨なので、登山はせず、震災後初めて三陸沿岸を通って車窓から状況を監察することにする。
国道107号線で大船渡へ。盛駅に寄ってみる。三陸鉄道南リアス線は来ているが、JR大船渡線はBRTというバスだ。ほとんど復興しているように見えるが、津波によって更地になっている場所は多く、津波がきた場所には必ず標識が立っている。防波堤や河川の土手のかさ上げなど土木工事がすごい。
もっともすごかったのが陸前高田だった。平地はまたかさあげ工事の途中で、巨大な防波堤が築かれ、かつて中心街だったところにはまだほとんど建築物がない。
気仙沼まで行くと大船渡と同じような景観があり、陸前高田の違いが際立つ。
南三陸町はプレハブの商店街が有名になったが、「さんさん商店街」に立ち寄ってみた。ちょうど豪雨が降り始めた時分だったが、観光客は多く、プレハブの店が繁盛していた。ちょっとお高めの海鮮丼を雨宿りしながら食べ、津波被害を撮影した写真館に立ち寄って記憶を呼び覚ます。
大谷海岸の道の駅に震災前に立ち寄ったことがあるが、震災以来道のつき方も変わってしまい、三陸自動車道が延伸したりしたので、今回はどこが道の駅なのかよくわからないままに通り過ぎてしまった。おそらく、海水浴をしている家族を見かけたあたりだったのだろう。
三陸自動車道で石巻を通過し(高速からは震災の名残は何も感じない)、仙台東道路、仙台南道路を経由して東北道に乗り、結局郡山のビジネスホテルへ。日曜日夕方に無理矢理東京方面へ車を走らせても、渋滞にハマるだけである。
ホテルは駅から遠くインターに近い場所だったが、ホテル近くに隠れ家のようなレストランを見つけて夕食とする。

8月6日(月) 雨・曇り
郡山から国道294号線をもっぱら使ってケチケチ一般道走行。栃木県に入る頃には雨が上がった。前日夜、山形県では豪雨に見舞われ、最上川ですら水位が危険になったらしい。
烏山、茂木と南下して、益子あたりから新4号バイパスに接近し、新4号バイパスを南下、五霞インターから圏央道・東北道を使って帰宅。東京は蒸し暑い。先日の広島・岡山・愛媛の豪雨災害で心配していた愛媛の友人から暑中見舞が届いていた。豪雨の直後、こちらからメールを出して心配を伝えたら、大変な思いをしたに違いないのに大丈夫だと返信してくれた。その彼がわざわざハガキで暑中見舞を送ってくれ、恐縮する。
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仕事山行・白山加賀禅定道

例年の夏の仕事山行。今回は荒島岳と白山がターゲットで、2013年の同時期にも同じ山に行っている。ただし、13年は荒島岳のふもとの幕営地で雨に降られ、冬用フライシートをまちがえて持ってきたために1つのテントが漏水、白山では幕営できず、南竜ヶ馬場のケビンを借りるはめになり、さらに御前峰へのアタック途上で雷雨に遭って二度目のアタックで頂上を踏んだ。このような忌まわしい記憶(荒島岳ふもとでのアクシデントには私は立ち会っていない)がある。

それから5年経ち、例年になく早い梅雨明け、そして連日「烈暑」という条件の中、今回は白山からの下山にロングルート、加賀禅定道を選択した。白山は標高2702mの御前峰とその周辺の火口湖ばかりではない。御前峰だけに注目すれば、高山の中ではかなり短時間で山頂に立つことができ、お花畑もあちらこちらに見られるお手軽登山が可能だ。しかし白山の稜線は南北に長く、南の岐阜県西部や福井県東部から別山を経るロングアプローチが可能だし、北部は中宮温泉や岩間温泉、今回の一里野温泉などへ長い稜線を歩くこともできる。東西の横断も可能だ。多くは昔から修験のために使われてきたルートでもあるが、近代登山と昨今のマイカー登山の隆盛で南北の長いルートで人に出くわすことは稀である。そのぶん、なかなか手ごわいルートともいえる。

7月24日
朝いちの新幹線「かがやき501号」で金沢へ。金沢から登山口の市ノ瀬への路線バスもあるが、朝東京から新幹線でアプローチすると金沢駅6時・7時発の急行バスには乗れず、歩き始めが12時を回ってしまう。そこで、JRで金沢から小松まで行き、乗合タクシーに乗って1時間早く登山口にたどり着く。
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別当出合から砂防新道を登る

登り始めは11時20分。砂防新道という現在人気の最短ルートで登る。13年は雨の中の登山だった。その記憶も薄れていて、登り始めの石段の急登行が辛い。中飯場というところにトイレと水場があり、みな休憩するところだが、またそこからの登りがきつかった。バルトロ75を背負うのは6月の金峰山以来だが、今回は個人持ちの食料、水、バーナー、簡易浄水器まで背負っている。重い。最短のルートということは平坦地が少なく一本調子の登りであり、次に休憩するポイントの甚ノ助避難小屋までがとても長く辛い。コースタイムよりも時間を使ってたどり着いた。ここで大休止。幸い、午後になっても雨が降る感じはしない。甚ノ助避難小屋からしばらく登った南竜分岐からは20分のトラバースで南竜ヶ馬場の幕営地に着く。白山には大きな登山小屋が2箇所あり、一つは室堂センター(750人も泊まれるらしい日本屈指の山小屋。ただし幕営不可)、もう一つが南竜ヶ馬場(150人宿泊可。少し離れた場所にケビンが数棟、幕営地は広く水は豊富、高山植物に囲まれロケーション最高、しかしトイレ老朽化し強烈な臭い)がある。南竜ヶ馬場の幕営代は1泊300円と破格に安い。今どきの北アルプスあたりの幕営代は高すぎる。到着は15時だった。マイテント(カミナドーム2)を張ってくつろぐが、夕方までは暑い。
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お花がきれい(としか言えないのが悲しい)
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別山を望む
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崩壊しそうなトイレ棟を除けば天国のような南竜ヶ馬場の幕営地

7月25日
天気はよい。この日は朝5時30分に出発して御前峰とお池めぐり。サブザックや大型ザックの雨蓋だけで身軽に行動する。展望新道というルートで室堂まで登るが、途中によさげな水場が2箇所ほどある。高山植物が豊富で、高度を上げていくと植生も変わっていく。室堂が近くなるとかなり密度高くクロユリが咲いていたり、コバイケイソウやハクサンコザクラが目立つようになる。しかし高山植物の花の名前がいつまでたっても脳内で豊かにならない。歴史の人名はよく記憶できるのに、どういう訳だろう。
御前峰は数年前のようにガスることもなく、風も穏やかでよかった。剣が峰は登れないはずだが、山頂に立つ人が1名。御前峰から下り、剣が峰や大汝峰の間にある池をめぐって歩いていく。大汝峰の登りは岩場で、少年たちもあまり登りたくなさそうなのでパスして室堂センターへ下る。南竜ヶ馬場への帰路はトンビ岩コースを歩いたが、岩場の急下降部分が少しあって、翌日の登りに使うにはしんどそうだ。
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展望新道を歩く
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御前峰山頂から大汝峰方向を望む
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剣が峰はその名の通り
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私でもわかるハクサンコザクラちゃん

7月26日
いよいよ山頂部を越えて七倉山・四塚山方面へ縦走する。5時50分発。室堂までは年長者だけが持った水を回し飲みして耐え、室堂からは年少者も年長者も水を各自2L以上満タンにして歩く。なぜなら、加賀禅定道の水場に期待ができず、この日宿泊する奥長倉避難小屋にも水がないからである。私もかれこれ4L弱は背負った。ザックがずっしり。室堂で子供たちを連れて毎年白山登山をしているらしい40代と思しき女性ガイドから、私はもう45Lザックが限界だけど、百四丈の滝が見えるから禅定道はいい、と言われる。確かに幕営なしで禅定道を45Lクラスのザックで歩ければもっと軽快でベストだろう。70L以上のザックで歩く道ではないことは後にわかった。腰もついでに痛くなった。
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室堂センター
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2600mまで登る

御前峰の中腹を巻いて火口湖のある場所を通過し、大汝峰の西側の巻き道をたどる。昆虫研究をしているように見えた男性と会ってからは、誰一人ともスライドしないし、前後に登山者は全く見かけなくなった。御手水岩という岩があり、その脇には宿坊があったと思われる石垣の残骸があった。いまや白山北面にはあまり人が来ないようだ。七倉山への登りがとても辛そうに見える。これから尾根を下っていくのだがアップダウンはそれなりにあり、小ピークに登り下るルートが尾根が狭いゆえにすべからく直登・急下降なのである。重いザックでは辛いゆえんだ。四塚山で標高2500m。そこから2100m台へ下降していく。稜線上にある油池という水たまりから下方に水場があると標識に書かれているが、実際降り始めてみるとザレた急下降の道になったので諦めた。天池という稜線上の池は比較的大きめだが、ここで池の水を補給するにはかなり勇気がいる。もともと室堂から多くの水を運んで来ているので、いまさら補給したくもない。

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御手水岩(左端に窪みがあるが干上がりそう)
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天池と四塚山

天池に向かうトラバース道の途中に小さな雪渓が残っていて、斜度もあって雪も硬めなので少年たちには雪渓を下から巻くようにさせた。雪渓を私が横断してみるとやはり雪慣れていないとここは難しい。キックステップで足場をきちんと作れることが前提である。
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四塚山山頂のチングルマと塚(ケルン)
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写真中心部の小雪渓の横断は慎重に

標高2000mを割り込んで樹林帯になってきた。足下は借り払われた笹が落ちていて脚の置き場が見えにくく、下手をすると足をひねる。肩のあたりにも低木が迫っている。フラフラしながら1750mほどの奥長倉避難小屋になだれ込む。15時。他に宿泊者はないが、2階の引き戸が外れている。これは雨のときに吹き込みそうだし、これから冬になったら釘などで止めないと雪が入り込んで困る。我々では修繕できないので扉を立て掛けて窓を下半分カバーしておいた。台風で水浸しにならなければいいが。
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登山道から見える百四丈の滝
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奥長倉避難小屋

この日の夜は暑く、また食欲も湧かず、提供された夕食がノドを通らない者がいた。私も水をかけて流動食化しないとノドを通過しない。疲れがピーク。

7月27日
下山コースタイムは3時間強で、2ルートある。檜新宮参道は標高1000mから急下降があるのでパス。多少距離は長くなっても、加賀新道を使って一里野スキー場のゴンドラ駅近くまで下れば林道がある。林道の方が斜度は緩い。この日も樹林帯の中を狭い尾根をひたすら歩く。風もなくなり、汗が乾かないのでぐっしょり。6時から3時間かかって林道に下り立ち、ひたすら林道を歩く。ローカル色が濃いスキー場の中の迂回コースになっている林道を歩いて一里野のゲレンデボトムに着いたのが10時40分。11時オープンの温泉施設「天領」で汗を流して清涼飲料水をがぶ飲みし、13時30分のコミュニティバスに乗る。乗る間際、近所の民宿のおばさんが冷えたキュウリとトマトをおすそ分けしてくれた。野菜が全く摂れていなかったので最高のご馳走だった。

幸い、雨にたたられず縦走が終了した。加賀禅定道はタフな道だった。飯豊連峰の縦走路を思い出したが、白山の方が人影がなく、水場や避難小屋もない。もう好んで二度と行きたくはないルートの最右翼になってしまったが、今回歩き通せたことは幸いだった。
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仕事山行・金峰山(怒りモード含む)

先月に続いて今月も仕事山行で金峰山へ行ってきた。

6月16日土曜日、午前中いっぱい職場で仕事して、12時にきっぱりと職場を離れ、新宿に向かって、13:00発の中央本線特急「あずさ」に乗る。久々に乗る「あずさ」は昔とちがって立川に停車したりして、どことなく急行チックであるが、大月や勝沼、石和温泉には停車せず、韮崎には停車する。本来の特急としての格は「スーパーあずさ」に譲っているのだろうか。だとすれば、どちらも同じ特急料金というのは解せない。

韮崎に14:40に到着し、10分後のマイクロバスで増富ラジウム鉱泉を経由して登山口のみずがき山荘(標高1,510m)へ。乗車料金は2,060円。始発から終点まで乗客は私一人だった。さすがに標高が上がってくると涼しい。みずがき山荘前に16時過ぎに到着し、登山靴の靴ひもを縛り、バルトロ75をよいしょっと背負って登山口から歩き始める。最初はゆるい登りだが、標高1,600mあたりからつづら折れになって急斜面を登ることになる。下山してくる数パーティとスライドするが、この時間から登る人は皆無だ。一頭のニホンジカが目の前を横切り、興味深げにこちらを見ていた。
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シカさん

急斜面を登りきり、やや緩くなったら、もうひと登りで富士見平小屋である。若干ガスっているが、明るいうちにたどり着けた。若人たちのテントを探し出し、その近くに我がテント(今回はファイントラックのカミナドーム2)を張る。地面はしっとりしていて、腐葉土が厚く、ペグが刺さりやすい。林間なので風も遮られている。なかなかいい幕営地だ。しかし料金は1,000円とお高めで、トイレも小さい(男性用は大1、小1のみ)のが難点。しかしトイレは掃除が行き届いているのか、換気扇が始終回っているためか、キツイ臭いがしない。この日は若人たちが作ったカレーを食べて、シュラフに潜り込む。すべて着込んでぺらぺらシュラフに入ったが、持っている中で一番薄いシュラフだったからか、夜間に雨が降ったからか、枕の高さがよくなかったのか、何度も起きた。
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わが家カミナドーム2

17日は朝4時過ぎから起きて若人が作ったラーメンを食し、カロリー的に足りないので消費期限切れのクリフバーを無理矢理口に入れた。快便。6時出発だというので濡れたテントを撤収して、パッキングを済ませ先に小屋前で若人たちを待っていたが、例によって計画通りの時間に出発できない。出発までに30分のロス。登り始めるとたびたび誰かの靴ひもが緩み停滞、後から登ってきた登山者に道を譲り、しだいに下山者とスライドで時間を食う。もちろん、抜いていった登山者はみな日帰りの軽装であり、こちらはテント・シュラフ・マット・ガス・コッヘルといった生活道具フル装備で70〜80リットルの大型ザックを背負っているのでスピードは遅くなるのは仕方ない。今回初めて大型ザックを背負う12〜13歳の少年のペースが上がらないということもある。少年たちの背中と大型ザックはフィットせず、ショルダーベルトが肩から浮いている。背面長が伴わない成長前の少年にはかなり無理がある。それでも夏の長期合宿の訓練だから、今のうちに苦労しておいた方がいい。

樹林帯を抜ける頃、南アルプス北部がくっきり見えてきた。さらに中央アルプス、御嶽山、八ヶ岳、乗鞍岳、北アルプス、富士山、妙高・火打・焼山、その手前に浅間山から小諸の山々がくっきり見えてきた。感動である。さらっと山座同定してやったら若人たちに感心された。亀の甲より年の功である。
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南アルプス(甲斐駒・仙丈、北岳・間ノ岳・農鳥岳)

森林限界を超え、尾根が細くなってきて「千代の吹上」で息が上がった若人が苦しみ始め、6人テントを担いだ年長の若人が「脚が攣りそう」というので、持っていた薬を与える。自分自身では用心のために持ってはいるが服用したことがない薬が役立った。あとで聞いてみたら、だいぶ楽になったらしい。登山道にはイワカガミがよく咲いている。
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イワカガミ
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八ヶ岳と瑞牆山

五丈岩前に着いたのが11時少し前。コースタイムよりも30分ほど遅い。山頂部には登山者がひしめき合っていて、ノーヘルで五丈岩に取りついている人も10人ほどいる始末なので、簡単に行動食を摂って11:15下山開始とした。しかしここでもわずかにロス。出発は11:30となった。原因は、靴ひもの縛り直しに手間取ったため。最近の若人はヒモ靴に慣れていないのか、靴ひも縛りがものすごく下手である。
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五丈岩と富士

金峰山小屋まで下山のコースタイムは15分なのだが、おっかなびっくり歩いているからか、30分もかかってしまう。数年前の春、八丈島の幕営地で金峰山小屋の主人とその子供に出会ったことがあるので、主人に声をかけ、1,200円の高級山小屋手ぬぐいを購入し、下山続行。当初の予定では14:40川端下発の川上村営バスに乗る予定だったが、この歩調では間に合わないことが確定。たまたまこの日、逆コースで途中合流してもらう予定になっていた同僚に電話連絡を取り、金峰山荘までタクシーを呼んでもらうことにした。

標高1,900m弱で林道に出て、あとは林道をひたすら歩く。14:30、金峰山荘に到着。ジャンボタクシーが2台来るというので金峰山荘前で30分弱タクシー待ち。14人で均等割りすれば信濃川上駅まで一人1,500円程度になるが、列車の接続がいいかどうかはわからない。
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シャクナゲも咲いていました


ここから怒りモード!
タクシーが到着し、乗り込もうかというところで金峰山荘の男性が出てきて、「環境整備費」なる金を支払ってくれと言われる。我々は山から下山してきただけで、廻り目平キャンプ場の施設は利用していない。タクシー待ちをしていただけで一人当たり100円、全員で1,400円を支払えというのは納得が行かない。あちらは決まりだから、と言い張るが、こちらも食い下がった。

金峰山から川上村の廻り目平へ下山すると一人100円の料金を徴収される、とは山頂からここまでの道中、どこにも告知されていないし、事前に見た関連ホームページにもその旨は記されていない(この記事アップ時)。もともと我々は村営バスに乗る予定だったので、ここで休憩するつもりもなく、突然言われて金を支払わされるのは不本意である。他にも同じような行動を取る登山者をいちいちつかまえて100円の料金を徴収しているのか?と聞くと、「徴収している」などという見え透いたウソを言う。午前3時や4時に徴収するはずがないではないか。これを聞いて若人たちは納得が行っていない様子だし、小海町から来たタクシー運転手も呆れていた。

廻り目平キャンプ場一帯が私有地だというならまだ理解できる(村の職員によれば、村営地らしい)。先日の四阿山登山口の菅平牧場は私有地であり、通行に200円が必要だった。しかしここは国立公園の一部?でもあり、こんな金を徴収しているのは川上村だけである。登山口の山梨県側では徴収などしていない。金峰山荘の男性は、山梨側で金を徴収していないことを知っていた。また、トイレなどの美化に利用する金ならば利用者からチップ制で徴収すればよい。トイレを利用する場合には山荘に一声掛けるように張り紙があったので、若人にはそうさせたが、トイレを利用したのは私が知る限り一人であった。

「環境整備費」なんていう名目で利用者から金を取っても、金を取られた利用者にはどのように環境が整備されたのかなど、知るよしもない。キャンプ場を管理する「川上村振興公社」(三セク?)は徴収した「環境整備費」の活用の内訳を聞けば教えてくれるのか?教えてはくれないだろう。通過しただけの者から金を取ってキャンプ場を整備しました、という使途だとすると、お門違いも甚だしく、ありえない。登山道でもある林道を整備しました、というなら、別の費目の「予算」ないし「交付金」が投入されるべきであろう。要するに「環境整備費」とは利用者をバカにした金の徴収方法である。いかにも環境に配慮しています、という正義面しやがって、本当は何に使っているんだかわからない。

川上村だけがこんなことをしていると、川上村を通って登山しようという気が起きなくなる。それとも、川上村は登山客に敬遠してもらいたくてこのような措置をとっているのだろうか?

あまり時間をロスしてタクシーを待たせる訳にも行かず、個人ではなく団体として来ているので、本格的なケンカをしてもいいことはないと判断し、その場は1,400円を支払うことにし、あとで川上村役場に問い合わせることに決めた(その後二日間にわたり、川上村の企画課の職員とやりとりしたが、見解は変わらなかった。振興公社と直接連絡を取ってみて欲しいといわれたが、無理筋のルールを作った村役場の見解が変わらない以上、振興公社と交渉しても無駄であり、まどろっこしい電話のやり取りで終わってしまうのが嫌だった)。

たった100円とはいえ、不愉快きわまりない。村営地とはいえ、公の性格が強い場所で曖昧な「環境整備」を名目に金を徴収することに法的な根拠はあるのだろうか?例えば環境省はこういう行為を許すのだろうか?聞けば、環境省に正当性を問い合わせたことはないという。そんなことま勘ぐらなければならないなら、いっそ、500円程度の「入山料」としてしまって山梨側でも徴収するようにしてもらった方が私としてはさわやかだ。村の職員たちは、この100円の徴収が無理筋だということを半分理解しつつも、20年以上にわたって継続しているらしい。

この一件後、ようやく廻り目平キャンプ場のHPに「環境整備費」「施設維持管理」として「入場料」100円を徴収する旨書き込まれた。今まで20年以上告知もせずに徴収していたことから考えれば、今回の追記はアリバイ作りであり、抜本的に今までのあり方を再考することにはなっていないので失望した。私有地でない限り、ある区画の土地の中を「歩いて通過する」という行為を「歩くことで利用した」と見なして金銭を要求するというのは社会通念として受け容れられていないのではないだろうか。
仮に金銭を取るにしても、場内を歩き施設を確実に利用するキャンプ場利用者の入場料が300円(幕営料700円)で、歩いて通過するだけの登山者が100円というのはバランスを欠いていると思う。また、「環境整備費」と「入場料」の費目設定に矛盾を感じる。本当に環境整備に充てるのであれば、川上村だけでなく広域で「入山料」を設定したほうが明快であるという私の意見は変わりない。(2018.07.08)

怒りモード終了

信濃川上駅からは、佐久平経由で新幹線を使うのが最も早かったが、埼玉から参加している若人以外は小淵沢経由なので、私も小淵沢から「スーパーあずさ」に乗ることにした。休日の夕方の上り列車なので、指定席は必須である。若人や同僚は自由席に乗ったようだが、座れなかったに違いない。
何とか無事20時過ぎに帰宅。
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四阿山と根子岳

6月最初の週末、仕事を放り投げて女房連れで登山に行ってきた。仕事なんて日曜日までやるもんじゃない。天気がいい日曜日は外せない。

ということで2日の土曜日、昼過ぎに仕事から帰ってきてすぐさま準備して14時30分に車で出発。17時30分に金曜日に予約した菅平のペンションに到着。バイク・自転車・車・スノーシュー・スキーが所狭しと置かれている宿で面食らうが、食事などはよかった。

翌朝早起きして通常の朝食代わりに頼んでおいたおにぎりを食べ、菅平牧場まで上がり、6時50分に登山開始。四阿山に先に登り、根子岳に縦走して菅平牧場の駐車場へ戻ってくる周回コースである。牧場を横切って、牛舎の脇から登山道に入る。沢を横断して、しだいに斜度を増し、1917mの小四阿で最初の休憩(8時前後)。岩陵があらわになった2106mの中四阿を経て、あずまや高原ホテル方面からの登山路と合流するあたりで緩やかになる。根子岳方面からの縦走路と合流、鳥居峠からの登山道とも合流して、少々上り下りをすると2354mの四阿山山頂である。山頂着は9時35分。2つの祠があって、東側の祠は建て替え作業中。今年が山頂の山家神社1300年にあたるそうだ。東側の祠の前にいた学生を連れた女性が、2つの祠があるのは利根川水系と千曲川水系の分水嶺に当たるのでそれぞれの水系の守り神としてあるのだと教えてくれた。東の祠はいままでコンクリート製だったが、3年前に木造に建て替えられた西の祠と同様に木造にする基礎工事をしているらしい。どうも女性は開山祭にもかかわっている人のようで、長野県の人のようだ。祠のさらに先、2333mにある三角点は嬬恋村に奪われたと主張していた。
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牧場で牛とふれあう
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まず沢を渡る
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比較的よく見えた白馬連峰

10時に山頂を後にして、根子岳への縦走路に入った。樹林帯の急下降で、火山特有の岩と木の根が絡みついている登山道だ。岩が結構滑りやすい。根子岳方面から登ってくる人と多くスライドした。四阿山は百名山の一つで、登山ルートも四方から集まってくるので狭い山頂に人が溢れるのはわかるが、根子岳との縦走路でもこんなにすれ違うとは思わなかった。根子岳との鞍部(2039m)まで下ると、笹原にかわり、根子岳山頂まではずっと笹原の中の登山路になる。植生が大きくかわるのも面白いが、この笹原はスキーで滑ると楽しそうに見える。しかし山頂直下の岩場がネックになる。
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四阿山山頂での写真は人も多く、撮り忘れた。根子岳に向かって急下降中
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鞍部から振り返った四阿山
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鞍部からの根子岳。双耳峰に見える

北アルプスのような笹原と岩場を縫うルートを登り詰めて、根子岳山頂には11時30分到着。無雪期に山頂に来たのは久しぶりだし、根子岳そのものに最後に来たのもだいぶ前のことだ。
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根子岳に向かってアルペン的なトレイルを標高差200m登る

午前中は北アルプスや頸城の焼山・火打・妙高が見えたのだが、お昼近くになると西山は雲に隠れ、東に志賀高原周辺の山々や草津白根、南に浅間山などが見えるだけになってしまった。
12時下山開始。等高線から見てなだらかなハイキング道で終わるのかと思いきや、ザレ気味の小石道で、ずっとつま先下がりな上に浮き石が多くて歩きにくく、思いの外時間がかかる。女房は鳥海山スキー以来の山で、こんなゴロタ道の下りは久しぶりなため、股関節にきたようで、最後はヨレヨレになっていた(他の登山客も同じような歩き方になっていた)。13時15分駐車場着。もう歩きたくなさそうな女房にソフトクリームを買い与え、後部座席で楽にさせながら帰路につく。菅平でも気温20度を越えていて暑い。温泉になど立ち寄る気も湧かない。
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今回の足回り。モンチュラの軽登山靴、ALPINE TREK GTX。今年カタログ落ち。

まだ午後も浅いので上田から高速に乗る。しかし案の定15時を過ぎると関越道に渋滞発生。花園あたりの渋滞は軽微なのでそのまま、高坂SA前後の渋滞は10kmほどまで伸びていたので躊躇したが、結局鶴ケ島から圏央道・東北道経由で帰ることにした。17時30分に帰宅。
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那須・三本槍岳

単独日帰り山行として那須連峰の北にある三本槍岳に行ってきた。山頂は栃木県と福島県の県境になる。

4時20分起きで5時出発。東北道で那須インターまで走り、山麓の道路で7時20分に北温泉上の駐車場に着いた。計画では8時歩き出しだったが、30分早く出発できた。北温泉のプールのような露天大浴場の脇を通って簡易な橋で沢を渡り、登り始めた。最初はつづら折れで急登行だが、標高差100mも登ればゆるい尾根に乗る。ゴヨウツツジの花びらが地面にたくさん落ちている。高度を稼ぐと花びらがついたゴヨウツツジが目に付くようになる。いま、マウントジーンズスキー場の那須ゴンドラを降りたところでは満開になっているようだ。
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満開のゴヨウツツジ

マウントジーンズの1462mピークからの道との合流点で行動食を少し摂取し(8時35分)、三本槍岳に向かう中の大倉尾根に入る。すぐに樹林帯から抜けて両脇が笹になってくる。シャクナゲも咲いている。洗掘されて登山道の中心が掘れてしまうので、登山道に火山岩を積んで金網で覆ってあるようになると、しだいに急登になってくる。1700m〜1800mあたりが一番キツイ。登り始めは曇りでヒンヤリしていたが、日も出てきて暑くなってくる。赤面山方面への登山道との分岐で9時30分。
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三本槍岳山頂が見えた
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とんがった朝日岳とその裏に茶臼岳

1800mを越えて清水平との分岐を過ぎると、いったん下ってから三本槍岳山頂に登り返す。山頂は結構広くて15人くらいが休んでいた。10時05分。登り始めから2時間30分で到着。
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山頂の標柱は倒れていた。向こうに会津下郷町が見える
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大峠の向こうに流石山・大倉山・三倉山。大峠からの標高差が300mほどあるみたい

菓子パンを食べて、10時25分下山開始。清水平・朝日岳方面に行くことも考えたが、計画変更になってしまうし、車道を歩かなくては駐車場にたどり着けないのでパス。素直に来た道を降りることにする。下山しながら登ってくる登山者とかなりスライドする。岩を金網で覆ってある部分は金網に靴が引っかかりそうで歩きづらい。ゴンドラ駅近くなって、登山の準備なしに登山道へ迷い込んでくる観光客がチラホラ。丁寧に注意の看板も出ているのに、日本語が読めないのだろうか。ゴンドラでもらう絵地図だけで勝手に判断して登ってきてしまうようだ。
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シャクナゲ
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ゴヨウツツジと茶臼岳(少し曇ってきた)
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普通のツツジもきれいです

ゴンドラ駅隣のレストランでトイレを借りて、北温泉への急下降を下り、12時30分北温泉着。下山は2時間だった。せっかく来たので、秘湯・北温泉に立ち寄って汗を流した。日帰り入浴700円で、江戸時代に建てられたという木造宿の奥に入って「天狗の湯」に浸かる。どうやら混浴のようだが、こんな昼日中は当然おっさんばかりだ。この天狗の湯、湯の中の浮遊物は湯の花なのか、藻なのか?湯船も朽ちているし、浮遊物は緑色をしていて木の破片に藻が付いた物のようにも思える。体にまとわりつくので気持ち悪い。あまり長く入っていると運転に支障をきたすし、あまり気持ちのいい湯ではないので早々に上がって駐車場へ。
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北温泉の温泉プール
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北温泉の古い建物(映画『テルマエ・ロマエ』のロケに使われたらしい)

昼過ぎの那須高原観光ドライバーは道路脇の店舗などにしょっちゅう出たり入ったりするので県道が渋滞する。観光地はやだなと思いつつ、我慢して渋滞を抜け、高速に乗る。渋滞が始まるには時間が早く、ストレスなく帰宅でき、大相撲千秋楽と全仏オープン初日を観戦することができた。

北温泉から三本槍岳の往復は標高差800m。若干軽めの登山だったが、6月も時間を作って仕事ではない山行をしたいものである。
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仕事山行・百蔵山と扇山

4月半ばから毎週連続で山。今回は仕事山行で大月市の中央本線猿橋駅から百蔵山に登り、稜線縦走して扇山山頂に至った後、猿橋駅の一つ東京寄りの鳥沢駅に下山するという計画。

朝7時の電車で新宿経由、高尾乗換えで猿橋へ。8時50分ころ到着。奥多摩駅方面へ行くよりも時間がかからないことに気づく。
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冬の間にソールを張替えたスカルパキネシスプロ。革の手入れはバッチリ。

9時に猿橋駅を後にして路線バスには乗らず歩き始める。今回の若人は全体で8人。まだ登山の経験がほとんどない少年も含まれている。最近の少年は靴ひもの結び方もまともにできなくなってきている。
桂川を渡って中央高速をくぐり、かなりキツイ坂を登って大月市のグラウンド脇を通ると百蔵山登山道の標識が出てくる。東ルートと西ルートがあるらしいが、今回は東ルートで浄水場の上で舗装路を外れる。もうここまででかなり汗をかいている。浄水場から振り返ると、笠雲をかぶった富士山が見えるが、笠雲がかかっているということはこれから天候が悪化することを示している。
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うーむ、笠雲が厚くなっていく・・

登山道もかなりキツイ。登山道入口から山頂まで標高差400m強あるが、南東尾根に乗ってからの斜度がハンパない。登山道は当然ジグザグだがふくらはぎが痛いくらいだ。かなり汗をかいて10時30分に百蔵山山頂に到着。開けていて気持ちいい。

15分休んで、北北西に延びる尾根を下りていく。こちらも斜度はきつく、あっという間に標高800m台になる。標高800mほどで稜線歩きになり、楽になる。振り返ってみると百蔵山がピラミッドのように見えた。
扇山に突き上げていく尾根を登る前に休憩し、標高差300mの最後の登りにかかる。1,109mのピークまで登れば山頂は目と鼻の先。扇山山頂直下から登山道が広がり、高尾山や陣馬山あたりのような広々した山頂広場に出た。山頂にはおばさん3人組のみで、ゆったりできたのだが、小雨がぱらついてきた。スマホのアプリで雨雲の動き予想をみると、あと1時間以内に確実に降ってくる。20分の休憩の後、下山にかかる。急斜面をジグザグに下降していく登山道で、樹林帯なので雨の影響はほぼないのだが、急下降でだんだん飽きてくる。

標高600mまで下りきると、大月カントリークラブの北側の舗装道路だ。しだいに雨が強くなってきた。ゴルフ場を西側からぐるっと回るのが面倒くさいが、延々と歩いて中央高速をくぐり、国道20号を渡ったら鳥沢駅だ。14時30分。雨には見舞われたが、舗装路に出てからだったのでカッパを着ずに折りたたみ傘でことが済んだ。
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新型車両の特急あずさが雨をまき散らして通過していった。

14時54分の普通列車で高尾へ。乗り換えて17時近くに自宅着。
また今日も標高差1,000m以上歩いてしまった。
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筑波山と山王峠

世間では3連休ということだが、土曜日は仕事、11日も仕事で若人たちと筑波山、ようやく12日にスキーでちょっとした山へ。帰りに渋滞に巻き込まれたくないので、早々に帰宅してしまった。

11日 筑波山登山(晴れ。気温高め)
7時45分発の筑波エクスプレス区間快速に乗る予定だったが、若人の一人が遅刻、もう一人は連絡が取れないとのことで8時発の快速に乗った。いいかげん、遅刻や無断欠席は止めて欲しい。今回は「筑波あるキップ」なるものを秋葉原から3,300円で購入した。TXと往復のバスが一枚のキップで乗れるというお得キップだ。

筑波山神社脇から登り始め、いったんつつじヶ丘までトラバースぎみに登り(迎場コース)、女体山まで急登を登った(おたつ石コース)。この日は暖かく、汗だくだ。若人たちはアタックザックだとやけに勢いがよくてガンガン登ってしまうので、つつじヶ丘までは間隔をおいて付いていった。その後の急登になると他の登山客も増えて勝手なペースでは登れなくなるので、列の最後尾で何とか登れた。

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女体山山頂から

山頂近くなると先日の雪がアイス化して残っており、登山道はグチャグチャ、滑りやすくなる。こういう時は軽アイゼンよりもチェーンスパイクの方が利きそうだ。何人か履いている人も見かけた。私も土曜日の仕事帰りに御徒町の登山洋品店を覗いたが、サイズに合うスパイクがなかったので購入しなかったが、見つけたら購入に踏み切りたい。
男体山にも一応登り、御幸ヶ原コースを下る。ケーブルカーに沿った道で、傾斜がきつい。ここも上部は残雪とアイスと泥であり、かなり滑る。私も一回お手付きをし、アイスに足を取られて一度しりもちをついた。やれやれ。

TXつくば駅で若人たちと別れ、駅前のサザコーヒーに立ち寄ってみた。茨城では有名なコーヒーショップだ。美味しかったので、「筑波ブレンド」なるものを購入してしまった。

12日 山王峠スキー(曇り。気温氷点下)
連休最終日の残り一日、家で仕事するのは嫌だったので土曜日に前倒して仕事しておいた。連休最終日で午後からは渋滞が発生するので、関越方面、中央道方面は避ける。東北道も南会津まで行くと帰りが辛い。日光まで行って光徳牧場から山王峠までのコースを登ることにした。もう3年連続で山王峠には登っているが、今回はステップソールではなく、ピナクル95用のシールを先日買ったので、NTNビンディングでの登行を試してみる。標高差300m程度の山王峠では「牛刀を以て鳥を割く」のに等しいが、今日は実験ということで。

出発は6時。光徳牧場着が9時。いろは坂のある国道120号には雪はなかったが、国道から外れると見事にアイスバーンだ。到着直前、進行方向右のアストリアホテルから出てきた乗用車のタイヤがロックして滑っていた。外気温はマイナス8度。

準備して9時30分ころ登り始める。昨年と同様に学習院大学の保養施設近くから高度を上げて行く。前日気温が上がったせいで、雪がクラストしていてちょっと難儀する。しかしシール登行はステップソールで刻むよりも楽で、NTNはつま先から足が上がるので、拍子抜けするくらい軽い。板の重さを補ってあまりある。
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そのままスタスタ休憩もなしに11時に山王峠に着いた。ときどき強風が吹く中、あんパンとカップラーメンで行動食とする。寒いのでカップラーメンのスープがすぐに冷えてきてしまう。
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お約束の写真

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寒くて味わうどころではない!

滑降は、まず林道に出て途中からカラマツ林を滑り、右にトラバースして登ってきた斜面近くを学習院大学の保養施設の上まで滑り、左にトラバースして終了。この日のクラスト雪ではテレマークターンはできない。休憩なしで20分で下山してしまった。まだ12時だ。

着替えて帰路につく。いろは坂に雪がなくてありがたい。そのまま往路と同じルートで15時帰宅。
来週はコマーシャルツアーに参加するかな?
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17東北巡業登山旅行(その5・天元台から西吾妻山)

8月5日(土) 晴れときどき曇り

米沢から天元台スキー場を目指す。体調若干回復傾向の女房のリハビリトレッキングで、天元台から標高差の小さい西吾妻山一帯を歩くつもりだ。

9時、天元台のロープウェイには初めて乗ったが、設置年が我々の生年と同じらしく、あちこち老朽化した施設に同情を禁じえない。だがまだまだ現役感は強い。
ロープウェイを降りると、やはり「天元台」という名前にふさわしい台地が広がっていて、高校生の陸上部が練習をしている。スポーツ合宿の宿泊先としては最高の場所だろう。


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西吾妻山一帯

長めのリフトを3本乗り継いでいく。機械のおかげで、リフト終点では標高1800mを越えている。ここで9時50分。ただし、ここまでの乗り物代はスキー場一日券の価格に近い。もう中大巓までは標高差150mほど。山頂へのルートがない中大巓の標高は、天元台ロープウェイの設立年と同じであった。

まずは人形石まで視界の利かない樹林帯の道を斜登行し、人形石に10時30分、そこから南の西吾妻山との鞍部である大凹(おおくぼ)へ降っていく。この下り道の景色が良く、高山植物も豊富だ。大凹ではきれいな水が出ていた。
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人形石

標高1900mあたりで凡天岩・天狗岩に向かって登るようになり、少々疲れた頃に平坦な岩場に出る。11時30分、凡天岩で行動食摂取も兼ねた休憩を取る。
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ワタスゲが多い
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池塘の周りにワタスゲの楽園

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ゆったりした風景
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西吾妻小屋は利用するのによさそうな感じ

天狗岩の社から西吾妻小屋、西吾妻山頂(展望全くきかず)、天狗岩と1時間弱かけてゆっくり周回し、その後は大凹を経由してリフト乗り場に戻った。13時45分、リフトで下山にかかる。女房の疲れ具合を見ながらのトレッキングだったが、まあまあ歩けるようにはなってきたか?

午後は裏磐梯へ移動。我々には似つかわしくない高級リゾートホテルに投宿。温泉に癒される。最後になって、左腰に張りを覚え、足がむくむようになってきた。日曜日に磐梯山登山を考えていたが、日曜日は登山客が殺到するし、磐梯山ならまた東京から出てきても苦にはならないので計画は延期とし、日曜日は別の場所へ移動してライトトレッキングするか、渋滞を避けて素直に帰京するかの選択とする。
結局、五色沼散策も東吾妻山でのトレッキングもせず、猪苗代湖畔の道路、天栄村・白河への国道、そして4号線を走り繋いで高速道路を全く使わず帰宅した。

今回の車を使った山行は、気楽だった。まだまだ東北には登っていない山々がある。森吉山はもちろんのこと、焼石岳や和賀岳などだ。それらは今回のようなロープウェイやリフトなどはなく、もっとアプローチが長い山なので、厳選して慌てず騒がず登ることにしたい。
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17東北巡業登山旅行(その4・月山と蔵王熊野岳)

8月4日(金) 晴れときどき曇り

月山リフトの運行開始は8時らしい。それを待って登ったのでは午前中いっぱいを使ってしまうので、登りはリフトに頼らず、牛首分岐まで1時間30分ほどハイクアップすることにした。
ガスっていた姥沢駐車場を6時30分に出発、自然保護協力金とやら200円を支払い、リフト駅を左手に見ながら山腹を巻くように登って行く。ガスはしだいに晴れ、1500mあたりから森林が薄くなり、月山の大きな山体が迫ってくる。登山路は木道になり歩きやすい。やはり朝から自分の足で登ってくる人は少ないが、それでも数組が頑張って登っている。
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月山とニッコウキスゲ

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1700mの牛首分岐で8時。この先は急登になるが、整備されていて歩きやすい。観光客でも足下さえしっかりしていれば十分に歩けるくらいの登山道整備が行われている。山頂の月山神社に8時45分着。お払い料金500円を払わないと山頂は踏めず、神社内部の順路も決められていて帰りにお守りなど買う羽目になってしまう。結局金のかかる山だった。
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月山神社とその奥に鳥海山山頂部
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南方に朝日連峰
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スキー部の練習

9時に下山開始し、リフト乗り場まで1時間。駐車場はガスっていたが10時30分に月山登山が終了した。

ここからは蔵王へ移動する。間違って旧道を鶴岡方面に進んでしまうミスをやらかしたが、無事月山インターから高速に乗り、途中のSAで食事を済ませて蔵王ロープウェイ乗り場に13時少し前に到着。
JAF会員優待割引でチケットを買い、ロープウェイを乗り継いで13時20分地蔵山頂駅着。機械力を使って登るのはとても楽だ。午前中は機械に頼らず登ったのだからいいだろう。
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熊野岳に向かって木道を歩く
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ワサ小屋のヤマンバ
まずは地蔵岳の巻き道を使って熊野岳への鞍部に出る。ワサ小屋跡などと言われていて、ヤマンバの像がある。ここは鞍部なのでひときわ風が強い。そこから熊野岳山頂に向かって岩場の近道をとり、14時少し前に熊野岳山頂に到着。他に誰一人いない。
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御釜の絶景

山頂の避難小屋を経て御釜が見える馬の背へ行き、そこからちゃんとした避難小屋を経て地蔵岳山頂に戻った。山頂部でも携帯の電波がつながり、余計な情報を得ながら歩いていたので、全く舐めたライトトレッキングをしてしまった。


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夕方、米沢駅で女房と合流。市内のビジネスホテルに泊まったが、料金が高い割にいまひとつのホテルだった。
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17東北巡業登山旅行(その3・鳥海山・祓川コース)

8月3日(木) 晴れ

ホテル宿泊にも関わらず、朝4時に目覚めてしまう。惰眠をむさぼるよりも朝食を摂って登山口まで早めに移動しよう。由利本荘市内から1時間30分かかって祓川ヒュッテ近くの登山口駐車場へ。ほぼ6時に到着して支度を始め、6時20分には出発。スマホから登山届けは出しているが、現地にも登山計画書と下山届があるのでこちらにも記載して登行開始。鳥海山は他の山よりも残雪が多いはずだが、ストックを持つかどうか悩む。車に積んであるストックはスキー用の伸縮ポールしかなく、雪渓では役に立つが、石突きにキャップがない。さらに七高山から新山へ向かい戻るとき、それほど短くなるわけではないので邪魔になりそう。結局、いつものようにノーストックで雪渓を登ることにした。
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祓川登山口に向かう途中から秀麗な鳥海山

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祓川駐車場から

祓川ヒュッテを抜け、竜ヶ原湿原を抜けて、登山路に入る。6年前の震災のあった年の夏、仕事山行でここまで来たにもかかわらず、
悪天候と少年たちの道迷いで敗退を余儀なくされた登山路である。

いきなり雪渓歩きから始まり、七ツ釜避難小屋までの登山路前半だけでも3ヵ所くらい長い雪渓を歩くことになった。今年はかなり残雪が多い。スキーを担ぐ体力と汚れた雪面滑走を厭わなければ、十分スキーができそうである。避難小屋を越えて康ケルンで休息し(7時30分)、前後して歩いてきた単独登山者と声をかわした。うち一人の方が康新道を登るとおっしゃるので、私もそちらのルートで登ることにした。もう一人の単独登山者は雪渓の際でコンパクトカメラと水筒を雪渓深くに落としてしまい、往生していた。ストックで手が届く距離ではないので、諦めざるを得ない。私も他山の石としてスマホなどを落とさないように注意することにした。
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いきなり雪渓登り
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近づくとかなり急である

康新道への分岐がわかりにくい。特に雪渓に入ってすぐに直登するコース取りは分かりにくいようで、登路に康新道を選ぶ登山者は少なかったようだ。先行する単独登山者に追いつき、彼の方が鳥海山には慣れているので同行させてもらう。だいぶ年上には見えるが、高校時代に山岳部に属していた地元の方で、リタイア後に登山を楽しんでいるらしい。腰に蚊取り線香を引っかけ、毎歩「よいしょっと」と小声を出しながら登るスタイルが彼の独特なスタイルだ。康新道は鳥海山北面の崩壊地(崖)の際を縫っていて、崩壊地の中には分厚い残雪が氷河のように見えるし、登山道周辺にはお花畑が広がって気持ちがいい。
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康新道の途中からしだいに急になってくる
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新山北面の残雪はものすごく分厚い

同行させてもらった方の話によれば、鳥海山は山形県の山のように思われていて、登山客の大半は西側の鉾立コースか、南側の滝の小屋コースから登ってくるが、鳥海山の山頂を常に見上げながら登れるのは祓川コースなので、最近はいつもこちらから登っている、という。
何となくわかる。前日の夕方、鳥海山を由利本荘市の北部から眺めたり、朝祓川まで移動してくる間、ずっと見えていた鳥海山の北面はとても美しい。個人的には山形側から見た鳥海山より秋田側から見たそれの方が「秋田おばこ」と言ってよく、身震いがするほど美しいと思う。

しかし登山路はしだいに急登になる。多くの山は山頂に近づくにつれて斜度が緩む傾向にあるが、鳥海山の七高山まではザレた急登がつづき、しかも登った跡があちこちに見られてガスった時は見分けにくい。この日は晴れていて、錆びた鎖を目安に進んだが、それでも間違いそうになる。9時55分、七高山山頂到着。同行させて頂いた秋田の方にお礼を述べて、10時に新山に向かった。
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七高山から新山。ここにも残雪がべっちょり

中央火口丘の新山までは一度火口部に降りて、再び登り返す必要がある。火口部に降りる下降路が急でザレていて落石を誘発しやすそうなので慎重に降りる。そこから残雪をトラバースして登り、岩だらけの山頂部に取りつく。雪慣れていないと滑落しそうな場所だが、ヘルメットもアイゼンもなしで急な雪面を登ろうとするトレラン者がいたり、ルートを無視して雪上を歩く不届き者がいる。雪慣れていないのにそんなところを歩くのは止めて頂きたい。トレランシューズは決して雪渓歩きには向いていない。
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新山から日本海を見下ろす

新山に10時35分着、5分だけ堪能して再び七高山へ。11時に七高山に戻った。帰りは雪渓歩きの多い旧道で下降する。氷の薬師まではザレた急斜面下降、その後整備された歩道を歩き、11時50分に氷の薬師に到着。
さらに降ると長大な雪渓を横断するルートが続く。ガスっていると雪渓の向こうの赤布が見えにくい。自分自身で雪慣れていると思ってはいるが、ストックも軽アイゼンも履かずにキックステップだけでコケずに降りられる雪渓ばかりではなく、3度ほど後ろにひっくり返った。
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楽しい雪渓歩きがずっと続いた

登山口に戻ったのが13時。雪渓のおかげでヒザに負担もかからず、予想よりも早く下山できた。

車で由利高原鉄道の終着駅、矢島駅に向かう。
震災の年にお会いした佐藤まつ子さんに一目会いたかったのだ。まつ子さんは駅舎の中で働いておられたが、ちょうどテレビの取材を受けている最中だった。思い切って声をかけてみたら、かすかに覚えていて下さり、少し会話が弾んだ。再びお会いできて嬉しかった。

外気温が30度を超える中、矢島駅から国道108号線、13号線を走り繋いで山形県に入った。山形盆地を南下し、寒河江から月山方面へ。道の駅「にしかわ」が今夜の宿。温泉施設も隣接しているのでありがたい。ただし、夕食は近くでは摂れず、コンビニで買ったもので簡素に済ませる。明日は月山に登る予定。
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17東北巡業登山旅行(その2・早池峰山と森吉山)

8月2日(水) 晴れ
朝5時から準備を始め、早池峰山の登山ベースとなる岳地区を過ぎ、6時に河原の坊の駐車場に着く。先着している車が3台ほど。この先県道が小田越まで伸びていて、そこが早池峰山への最短ルートになるが、小田越には駐車場がないらしい。したがって30分ほど舗装路歩きが入る。

6時15分に舗装路を歩き始め、30分で小田越到着。登山道に入っていく。早池峰ではトイレ対策として簡易トイレ持参(なければ購入)が勧められているが、すでに大きい方は道の駅で済ませてきたし、小は発汗が大量な上に我慢もできるので私は持たない。
最初は樹林帯の中を歩き、木道もあったりして整備されている。まもなく岩だらけの道になり、樹木はなくなって朝の日差しが強烈に降り注ぐトレイルになる。標高1400mあたりから増えてくる岩は蛇紋岩で、大変滑りやすい岩だ。登山靴で踏まれて摩耗しているところは特に滑りやすく、尾瀬の至仏山と同じだが、至仏山に比べ登山客が少ないからか、摩耗した岩は少なく滑ることもあまりなかった。
標高1800あたりから稜線に乗る最後の登りで鉄梯子が出てくるが、さほど恐ろしい障害物ではなく、河原の坊を出てちょうど2時間、8時15分に山頂到着。信仰対象の山なので立派な祠があり、お参りすることで敬虔な気持ちになれる。10分後、下山開始。山頂にある避難小屋は計画的に利用することはできないが、なかなか立派な作りだ。登山口にも避難小屋がいくつかあるようで、複数人で来たら利用価値がありそうだ。
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早池峰山で出会った花々
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イブキジャコウソウ

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タカネナデシコとナンブトウチソウ?
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ナデシコは好きな花だな
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大味になってしまったハヤチネウスユキソウと手前にまたタカネナデシコ

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岩稜帯になる
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鉄梯子2箇所
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山頂の避難小屋
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一等三角点

小田越まで戻って、監視員と言葉を交わしたが、早池峰山一帯でバッジや手ぬぐいを買えるところはなさそうだ。百名山のひとつなのに、この商売気のなさはすごい。地元の人が信仰の山として大事にしてきて、山を儲けの道具として見ていないということなんだろうか?麓の宿に泊まってみれば真相がわかるだろう。
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舗装路を下りながら山を仰ぎ見た

10時に駐車場に戻り、再び移動開始。この日は移動距離が長くて、次の森吉山は不安要素が強い。
とりあえず道の駅「はやちね」に戻ってトイレと飲み物補給の休息。しかし「日本一静かな道の駅」を謳っている割に建物の前で大音量で女性歌手の歌が流されている。看板に偽りありなので、先を急ぐ。道幅の狭い折壁峠を越えて紫波町に下り、東北道を使って盛岡までワープ。ずんぐり、どっしりした岩手山を眺めながら国道46号線で田沢湖方面へ。田沢湖北岸でiPadのカーナビアプリが現在地をロストしたために大回りして国道105号線にようやく出た。

秋田内陸縦貫鉄道と平行する105号線もかなり田舎の国道で、交通量が少ない。先日の豪雨の影響なのか、片側交互通行箇所も頻繁にある。縦貫鉄道が走っているところは残念ながら見られず、腹も減ったので旧西木町上桧木内の紙風船館で総菜を買って昼食とする。その後も、縦貫鉄道の駅の看板はあっても、道路沿いに集落が見られないところをひたすら走り抜けて、北秋田市に入り、荒瀬という集落からUターンするように阿仁スキー場に向かっていく。阿仁スキー場は聞いたことはあるが、こういう地形の中に存在するということは実際に来てみて実感した。冬に田沢湖方面から気楽に来れるような場所になく、北秋田市、大館市、能代市あたりのローカルスキー場のようだ。
14時に阿仁スキー場に着いてみると、なかなか立派なゴンドラが動いている。早速ゴンドラに乗ろうとしたが、14時出発では森吉山までの往復は無理だという。ゴンドラ乗車時間が20分、山頂駅から森吉山山頂までの歩行時間が1時間20分で、往復すれば3時間以上かかってしまう。ゴンドラの最終運行時間に間に合わないことになる。ちょっと私の見込みが甘かったようだ。しかしせっかく来たので、途中の石森までは行ってみることにした。石森は14時45分着。
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石森から眺めた森吉山は素晴らしかった。雪のある時期にスキーで登ったら気持ちがいいだろう。石森からすぐ先に見える森吉避難小屋を見学して、ゴンドラで下山した。15時12分。森吉山には行かれなかったものの、手ぬぐいだけはゲットしておいた。
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石森から眺めた森吉山
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森吉避難小屋

さて、ここから翌日のための移動。もう105号線を田沢湖まで戻ることは非現実的であり、北秋田市、五城目町を経由して秋田自動車道で一気に県南部へワープすることにして、いったん北上し、一気に南下する。
由利本荘市内のホテルの予約ができたので、暑くて寝られない車中泊は避けることができる。由利本荘市街が近づいてくると、鳥海山がくっきりと見える。その秀麗さは、山形側から見た鳥海山以上だと思う。

明日は今回の東北巡業のメイン、鳥海山登山。翌日の朝食はコンビニで調達、夕食は周辺に食堂がないのでホテル内の和食レストランで親子丼を食べる。
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17東北巡業登山旅行(その1・栗駒山)

8月だ。今年は昨年のような長い体力勝負の縦走ではなく、気ままに車で移動しながら登山をしようと考えていた。行き先は大きく北海道と行きたいところではあるが、北海道では移動がメインになってしまう可能性があり、もっと身近に感じられる山々をめぐるために東北にした。北海道の山は西日本の山ほどではないが、強い関心が向かない。しょせん私は中部日本と東北日本をベースに生きてきた人間である。

緻密に計画を立てたわけではないが、アバウトな脳内プランをもとに目的の山々を巡ることができた。結果的には素晴らしい旅ができたと思う。

概要は以下の通り。
8月1日 東京から東北自動車道で北上、栗駒山登山と早池峰山近くへの移動、車中泊。
8月2日 早池峰山登山の後、岩手から秋田へ移動、阿仁スキー場ゴンドラを利用し森吉山登山(途中まで)
     由利本荘市のホテルへ
8月3日 矢島(祓川)の登山口から鳥海山登山、月山近くへの移動、車中泊。
8月4日 志津登山口から月山登山、蔵王温泉ロープウェイへ移動、蔵王熊野岳トレッキング
     女房と合流し米沢のホテルへ
8月5日 天元台ロープウェイを利用して女房と西吾妻山登山、裏磐梯のホテルへ。
8月6日 欲張って磐梯山登山を計画したが、激混みの日曜日ということもあり、そのまま帰京。


8月1日(火) 仙台以北で晴れ
発車時刻の決まった公共交通機関に乗るわけではないので、出発は極めてアバウト。
適当に45リットルのザックに必要な品をたたき込み、日帰り登山なので25リットルのサブザックも突っ込み、登山靴をぶら下げてサンダルで移動開始。一応、テントも持っては行ったが、結局使わなかった。そのかわり、忘れ物に後から気付いた。とりあえず登山には大きな支障はなかった。

東京の天候は曇りで、雨が降り出しそう。東北道北上中も断続的に雨に降られた。仙台以北になるとようやく晴れてきてほっとするが、すでに運転疲れが出ている。
一関インターで東北道を降り(高速料金9500円!)、須川高原温泉方面へ向かう。そろそろ保険として車に燃料を入れておきたいが、インターから西の国道342号線にはスタンドが一軒もなかった。須川温泉までは細い峠道だったが、着いてみると広めの駐車場があって安心する。13時に到着して、登山靴に履き替え、登山開始。須川温泉一帯は硫黄泉がふんだんで、宿の脇を流れている川がすでに温泉だ。温泉を起点に周回ルートを取ろうと思ったが、途中で下山中のグループとすれ違った時に昭和湖経由の方が風もあり景色もいいのでオススメと言われ、素直に従った。
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ルート。名残ヶ原、昭和湖、稜線、山頂、1573mピーク近くを経て往路を戻った。

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須川高原温泉の豊富な湯量

硫黄ガスが漂う昭和湖を経由して天狗平へ直登して宮城・岩手県境稜線に出、稜線を東に進めば栗駒山山頂(1626m)だ。登山口から1時間30分。帰りは天狗平からちょっとだけ秋田県境寄りに緩く登って景色を堪能したのち、同じ道を引き返して16時に須川温泉に下山。
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栗駒山頂から北側を見る。まだ雪田がある

なお、今回の山行は行き当たりばったりになる可能性があるので、登山届はスマホのアプリ「コンパス」を用いて登山前日や直前に提出した。緊急連絡先にもメールが送られ、登山計画と下山完了が通知される。なかなか便利なものだ。いちいち紙で提出するよりはスマートだと思う。

汗だくの化繊Tシャツや日焼け防止のアームカバー、汗を吸った速乾性タオル、ウールの靴下などにファブリーズを吹きかけて車内で乾燥させつつ、移動開始。連日の登山はこれの繰り返しであった。

山道を一関インターに向かって国道342号線を降っている途中、湧き水がふんだんに出ている場所があり、迷わず汲んでそれを飲みながらのドライブになる。一関インター近くで給油(軽油でも108円程度と高目)して、国道4号線や北上川の左岸にある県道を走りつつ、平泉町・奥州市・北上市・花巻市と北上する。花巻市で夕食にしようと思って探すがいつの間にか市街地を通り過ぎてしまい、少し戻ってファミレスで夕食を摂り(夕食を楽しむ感じではなく摂取する感覚)、コンビニで翌日の朝食と行動食を手に入れて、花巻空港で北上盆地から離れて山道へ入っていく。旧大迫町に入り、早池峰ダムを目の前にする道の駅「はやちね」がねぐらとなる。トイレもきれいで、泊まっている車も皆無で快適だった。
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仕事山行・東赤石山と石鎚山

四国の山に登ることになった。仕事とはいえ、西日本の山にはほとんど関心がない上に、連日暑くて気力が減退していく悪循環に陥った。幸い、雨にたたられることはなく、この時期に北陸や東北の山行をしていたら悲惨なことになっていたかもしれない。

7月21日
東京を早朝に出発し、6時間かけて愛媛県の新居浜へたどりつく。駅前からタクシーを拾って産業遺跡となった別子銅山の東平(とうなる)へ駆け上がり、そこから歩いて1時間強の銅山峰ヒュッテへ。銅山の遺構があるので、登山道もかつての銅山の中にあった山道が転用されているのだろう、コンクリートで固められ、登山道とは思えぬ道だった。銅山峰ヒュッテに私は14時過ぎにたどり着いたが、東平よりも低いマイントピア別子からコースタイム約3時間を午前中から歩いているはずの少年たちが着いていない。私の方が先着してしまったようだ。銅山峰ヒュッテの管理(というか、ここで生活しているらしい)をされているおばあさんに断って、テントを設営し、待っていたらようやく16時に少年たちがやってきた。聞けば登山口での道迷いと飲み水の不足から時間を要したという。相変わらず初歩的なことをやらかしてくれるものだ。

計画上では銅山峰ヒュッテから笹ケ峰、瓶ヶ森を経て石鎚山まで縦走するという、彼らの実力からすると無茶な予定が立てられていたが、すでに初日にコースタイムの倍以上の時間がかかっているのでは心もとない。翌日はコースタイム6時間、その翌日はコースタイム8時間なのだ。アップダウンの多い縦走路を年少者まで引き連れて歩くのは無理だろうということでこちらから提案し、銅山峰ヒュッテに連泊して計画にはなかった東赤石山の往復を軽装で行うこと、その後一度下山して石鎚山に登ることにし、赤石山系と石鎚山系を繋ぐ長大な縦走は諦めさせた。

7月22日
朝4時過ぎに起きて5時30分に出発、銅山越・西赤石山・物住頭・赤石山荘を経て東赤石山に向かう。軽装でのピストン山行だが、コースタイムは往復10時間。午後3時台に帰ってこられるか?
軽装なので歩きは順調だが、標高が低いのでメチャクチャ暑い。滝のような汗を流す。物住頭のピークを越えると、稜線上に岩が増えてきて稜線の南面をトラバースするようになるが、急斜面な上に岩場のルートが不明瞭で不安が強まる。岩場に慣れた少年もいるが、岩場になると極端に遅くなる年少者がおり、見ていて不安。何とか東赤石山山頂に立ったのが10時過ぎ。岩場の稜線を歩いていたら12時までに着けなかったかもしれぬ。
帰路は同じルートなのでやや安心だが、上記の岩場では後ろから見ていて不安を拭えなかった。幕営地帰着はちょうど15時。
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西赤石山を振り返る
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ピンクのヤマアジサイ
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一番危なそうな岩場トラバース

7月23日
いったん下山する。朝6時に銅山峰ヒュッテを後にして、初日に少年たちが歩いたコースを逆にたどってマイントピア別子へ。9時のバスに乗り新居浜駅に降り、JRで2駅松山寄りの伊予西条駅で下車、3時間後のバスを待つ。とにかく暑い。新居浜から石鎚山中腹までは少年たちの帯同者が私一人だ。時間は有り余っているのでさびれた市街地を少し歩くが、伊予西条が地下水豊富な街だということを学んだ。「うちぬき」といって地下にパイプを打ち込めば石鎚山系からの地下水が出てくるのだそうで、その水が良質で飲んでも美味しい。
昼食は奮発して生のものをと思い、寿司と天ぷらのセット。また夜からは貧弱で栄養バランスを欠いた食事に耐えねばならぬ。
13時台の石鎚山ロープウェイ方面行きのバスに乗って、「ふれあいの里」で下車し、廃校になった小学校の敷地を利用したキャンプ場でテント設営。サイト代が200円と破格に安くて助かるが、日差しを遮るものがない旧運動場で設営したので日が沈むまではテント内には入れない。標高は300mに満たない低さだ。暑いから河原での水遊びを黙認するが、だんだんエスカレートしてきて淵に大石を投げ込んだり、ボルダリングまがいのことをして岩から飛び込んだり、いちばん岩場で遅くパッキングが下手なぽっちゃり君が淵でペットボトルを浮輪代わりに泳いでいるのを見て、本人たちは楽しいに違いないが、厳しく注意せざるを得なかった。彼らが四国までやってきたのは山に登るためであり、川で羽目を外すために来たのではない。またこのキャンプ場に来ることになったのは自分たちの力不足からコース変更した結果であり、キャンプ場を見つけ提案したのは彼らではなく私である。他の者が夕食準備を始めているのに一部の者だけが川でのんびり遊んでいるのは勝手過ぎる・・・要するに気遣いが不足しているのだ。
夜、案の定暑くて寝られない。薄手シュラフは無用の長物と化した。
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ふれあいの里近くのきれいな川

7月24日
バスで石鎚山ロープウェイ下に行き、ロープウェイを使わせてもらう。暑過ぎて下から真面目に登るのは馬鹿げている。山頂を一気にめざすのではなく、長大な縦走計画の時から宿泊することになっていた土小屋の宿舎を目指す。石鎚山に登るのに、銅山峰・笹ケ峰・瓶ヶ森の方から縦走してくると土小屋にだけキャンプサイトがない。本来の姿とは遠のくが、苦肉の策で宿での素泊を予約しておいたのだ。
土小屋に行くには、ロープウェイからだと登山道の途中からトラバース道を使う必要がある。地図上では中腹の成就社の先の八丁鞍部から左手に別れるはずなのだが、分岐を見つけるのにひと苦労した。トラバース道を歩いていてわかったことだが、八丁からのこの道はかなり荒れており、一般登山客に迷い込んで欲しくないのだろう。分岐と思しき踏み跡はトタンの看板に隠れるようにあり、それをたどっていくと先にはじめて標識があった。
標識を見つけてからも厳しいルートだ。尾根・沢・尾根とずっとトラバースしていくのだが、登山道の路肩が軟弱で崩れやすく、斜面下へずり落ちる。沢を渡る丸太梯子は腐っていて不用意に歩くと折れる。コースタイムは十字分岐までで45分などと「山と高原地図」には書かれているが、コースタイム通りには到底歩けない。今年になって下草刈りをした形跡もなく、実踏による調査もきちんと行われていないように思えた(悪路なのに地図上に注意書きも添えられていない)。それでも途中の沢は美しく、時間に余裕があれば沢で水遊びなどすれば気分転換にはなりそうだ。しかし、一時でも早く土小屋に着きたいし、先のルート状況がわからず、時間がかかるのかどうかもわからないのでは、余裕はない。休憩も含め、八丁分岐から4時間弱(地図上コースタイムでは2時間強)かかって土小屋の駐車場に抜けた。

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写真だとよくわからないが沢水が岩をナメている

土小屋には舗装道路が通じており、今まで苦労して半薮漕ぎみたいな登山をしてくるとガッカリするような場所だ。ここには白石ロッジと国民宿舎石鎚という2軒の宿があるのだが、少年リーダーの勘違いで宿を間違え、白石ロッジから引き返すはめに。国民宿舎石鎚の方が正しかったのだ。昭和感たっぷりの国民宿舎だったが、連日幕営の我々にとっては贅沢な宿泊である。風呂で汗も流せ、米も炊いてもらえた。夕方、新たな帯同者(同僚)が2名到着。彼らも先行した我々と同じルートで上がってきて、相当苦労したようだ。それというのも、舗装道路が久万高原から土小屋までは延びているのに、平日はバスがやって来ないという決定的な弱点が大きい。

7月25日
土小屋から石鎚山の二の鎖までトラバース気味に登って行く。ガスがかかり視界は利かない。途中で2名くらいの登山者と遭遇し、ようやく登山者が集まる山にやってきたことを実感する。トラバースは前日と違って順調で、コースタイムよりも早く到着した二の鎖元小屋に大型ザックをデポし、鎖を登る少年たちと迂回路を登る少年たちの2班に分けて登った。10時に弥山山頂に到着。天狗岳の方が16mほど高いのだが、ナイフリッジの岩場を少年たちに歩かせるわけには行かないので、ここで登頂完了とする。帰路はメインの登山道を成就社まで下り、ロープウェイで下山した。下山路では平日にも関わらず多くの登山者とスライドした。
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三の鎖取り付き
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天狗岩はガスって危険
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成就社前の宿と土産物屋(昭和感あります)
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もっとも昭和感を感じる寂れたロープウェイ乗り場下

とにかく、この時期緯度が低くて標高2000mに満たない山に登るのはしんどい。昨年の朝日連峰だって山頂部で2000m未満だが、涼しさが全く違う。体力を消耗して非常に疲れた仕事山行だった。25日のうちに東京に帰ると深夜23時台の激混み総武線緩行列車に乗らねばならないので、伊予西条でビジネスホテルに投宿して汗を流し、さっぱりしたものに着替えて翌日帰京した。この夜も少年たちのアクシデント報告があって気が気じゃなかった。いろいろあって寿命が縮まる・・
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仕事山行・八ツ天狗岳

6月の仕事山行で八ヶ岳へ行ってきた。
土曜日の仕事を途中で切り上げて、同僚と東京駅13:04分発の新幹線で佐久平から小海へ。
タクシーでみどり池登山口に行き、登山開始は16時30分頃。幅広の登山道で林道と交錯しながら登る。始めは傾斜が緩く歩きやすいが、次第に傾斜が増してくる。しかも北から南下してきた雨雲が予報とは裏腹に近づいてきて、17時を回るとポツポツと降り始めた。コースタイムよりだいぶ早くしらびそ小屋の幕営地には着いたのだが、その頃はしっかり降ってきた。先行した少年たちと合流し、自分のテントを隅っこに立て始めたが、雨と風が強くなってきていて焦り、かえって時間がかかってしまった。

少年たちと翌日の相談をするが、テントを置いて身軽になってピストンすると言い始めたのでぴしゃりと否定した(計画段階でも否定したのに)。軽い荷物で往復するんだったら、夏山の仕事山行(私にとっては仕事山行)の訓練にはならない。撤収に時間がかかるという彼らの理屈は甘えに過ぎない。寝坊したり朝食準備に手間取るから撤収に時間がかかるのだ。4時起きなら5時には出発できる、そうせよ、と厳命した。
しかも到着時に小屋に挨拶に行ったら、少年たちの中に「汚物はどう処理したらいいですか」と聞いた奴がいたという。汚物と聞いて体調を崩して吐いた者でもいるのかと一瞬心配になったが、汚物はゴミのことらしく、ゴミは持ち帰って下さいと小屋の方はおっしゃったそうだが、ついでに小屋の方から「そういう指導を少年たちにしているのか」と詰るように言われた。うーん、そんな指導するわけないじゃん!言われた方が心外である。
とはいえ、世間的にはそう見られるのも仕方なかろう。でも、そんなのは私の指導によるんじゃなくて、家庭の躾の問題だ。
常識外れの少年が徐々に増えてきているのは困った問題だ。

テント設営はちょっと苦労した。雨具は上半身しか着ていないが、身体は結構濡れている。最悪の心理状態でテントに潜り込み、少年たちが作ってくれていたカレーを頬張り、シュラフに入った。テント設営場所もあまりよくなかったので寝心地が悪く、シュラフもコンパクトさを優先したので暖かくなく、夜中に何度も目が覚めた。寝しなに聞くラジオも乾電池が空しく切れた。幸い、雨は夜半には止んでいた。

翌日、4時起床で撤収作業。朝食は何だったっけかな?いつも少ないので持参したパウンドケーキも一緒に食べる。朝のお通じも完全排出とは行かなかった。

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朝のみどり池

5時20分にしらびそ小屋を出発、中山峠に向かうルートを取り、峠への最後の急登を登りきって7時頃峠に立つ。黒百合ヒュッテ方面からの登山者が多い。

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穂高・槍方面
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天狗岳への稜線

風が冷たい。そこかしこに霜柱も立っている状態だし、わずかな残雪も凍っている。西側の視界はよく、乗鞍岳から白馬岳まで北アルプスが見通せ、火打・焼山・金山・天狗原山に残雪が見える。天狗岳に向かうトレイルは樹林帯が薄くなると風の通り道で、身体が冷える。千葉東高校の山岳部とスライドするが、あちらは60人という大所帯で女子も多い。あんなに部員が多いのでは行動が制約されて大変だろうなと思う。おそらく黒百合ヒュッテで幕営して天狗岳を往復してきたところだろう。こちらも少年たちは12人いるが、男子だけだし、年少のトレーニング不足者を除けば足もとは快調である。目の届く範囲に全員の少年たちがいるサイズはまだ安心できる。

9時過ぎに東天狗岳山頂に着き、西天狗岳を往復する。ほぼ同じ高さのはずだが、どう見ても険しい東天狗の山頂の方が高く見える。西天狗は何故か風が弱くてありがたい。唐沢鉱泉方面から登り詰めてきた登山者がやってくる。

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南八ヶ岳を一望
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乗鞍岳
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蓼科山の向こうに白馬・五竜・鹿島槍など

再び風の強い東天狗に戻り、強風吹くなか根石岳方面に降り、白砂新道で本沢温泉方面に向かう。稜線直下に残雪があって、雪慣れしていない少年たちにはおっかなびっくりの下降となり、後ろで見ていて少し不安になった。こういう時に少年の中の年長者が先頭を交替して年少者を誘導できればいいのだが、こういう場所に限って余地がないので先頭交替は難しい。幸い、トラバース部分を除いて雪が緩んでいたのでなんとかクリア。

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天狗岳を振り返る

本沢温泉に11時過ぎに到着、何故か最近山中で温泉や風呂に入りたがる傾向が生まれてしまい(一昨年は幕営なのに尾瀬の小屋風呂に入りまくったようだ)、私としてはあまり賛成できないのだが、30分に時間限定して入浴を許可した。下山する前に温泉に入ってしまうと、その後が辛い。ちょっとした登りでもうんざりするようになるし、長風呂すればするほど歩くのが億劫になる。まあ少年たちには実感してもらうのが早道だ。

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本沢温泉

バスの時刻が14時なので、ここからは焦らず急いで1時間でしらびそ小屋、そこから1時間でみどり池登山口。何とかバスまで20分を残して下山できた。朝から行動時間約8時間、八ヶ岳は平坦な所でも岩がむき出している登山道が多いので、体重を支える下降を繰り返しているとダメージが大きくなる。まだ昼下がりだがこの時間に降りてきてよかった。それでも東京に列車を乗り継いで着くのは18時過ぎだ。

帰りは小海線で小淵沢に出て、久しぶりに特急あずさに乗って帰京した。
久しぶりの無雪期登山で、岩を伝うような登山・下山だったので身体がだるい。5年履いてきた登山靴、スカルパのキネシス・プロもソールがだいぶ減ったようだ。ソール張り替えを考えよう。でも今から出しても夏の仕事山行までには間に合わないな・・
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仕事山行・武甲山

日帰りで秩父の武甲山に行った。週末スキーはおあずけ。

西武池袋線に乗るのは本当に久しぶりで、両神山へ行った時以来のような気がする。西武線から秩父鉄道への直接乗り入れ列車が朝7時過ぎにあるので、それに乗っていくと飯能でスイッチバックして西武秩父でも前4両がスイッチバックして三峰口方面へ向かう。池袋駅では長瀞方面へ向かう車両の方に山に向かう人が多いように見えた。

9時過ぎ、浦山口という駅で降りると、8名の少年たちの数が少ない。どうやら6名が寝ていて乗り過ごしたらしい。初っぱなから緊張感の無い奴らだ。幸い次の駅で対向車両に乗り換えて戻ってくることができたので、15分ほどのロスで済んだ。これがしばらく先まで対向車両に乗れなかったら即刻登山中止にするところだ。

浦山口駅から林道を武甲山の南面に向かって進む。1時間ほど歩いてから登山道になる。前日未明に降った雪が3センチほど積もっていた。武甲山の北面は石灰岩の採石場になっているので山頂部まで無残に崩されているが、車窓からそのあたりで雪煙が舞っているのが見えたので、稜線はかなり風が強いと予想した。谷あいでも風はあり、休憩するとすぐに身体が冷えてくる。

山頂に近づくにつれて雪の量は増えるかともったが、さして増えることもなく、日陰はさらさらの雪がうっすら積もっているが日なたはほとんど雪がない。12時20分頃に山頂の神社前にたどり着き、神社裏の展望台から秩父市街と遠くの山並みを眺めた。東は筑波山、北は日光の男体山や日光白根、北西に浅間山、樹間でよく見えないが南西に南アルプスが見えた。

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武甲山神社
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秩父市街。フェンスの向こうは石灰の採掘場
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浅間山遠望

昼食は先日の山王峠と同じようにテルモスの湯でカップラーメン、さらに秋田大館山口製菓店の「アンドーナツ」。このアンドーナツは近くのスーパーで時々売っているものだが、全体に油ぎっていて餡もぎっしりで腹持ちがする。

下山はいわゆる「表参道」で斜度が緩く歩きやすい。雪でやや滑るが、2時間で生川まで下山した。生川は地名こそあれ、日常的に暮らしている人家はなく、無人の別荘が点在するだけのさみしい場所だった。登山口の駐車場では携帯がつながらず、しばらく道路を下ってタクシー会社に連絡をとり、横瀬駅までタクシーで。午後3時40分頃の列車に乗ったのだが、帰宅は18時となった。

久しぶりの脚で稼ぐ登山となったが、標高差は登り1,000m、下り800m。今のところ筋肉痛もなく、50代半ばの自分としてはそこそこじゃないかと思っている。しかし少年たちの弛緩ぶりは列車での乗り過ごし以外にも計画段階からいろいろとあり(しかも毎回反省会やっているのに同じことの繰り返し)、自分たちで好んで作っている団体なのにもう少し自分たちで何とか矯正できないものかと思う。大人の私らはアドバイスだけで、自ら手を出すことは自重しているのだが、年々弛緩ぶりが甚だしくなってきた。

やはり山は自分で計画して一人ないしは少人数で歩くのが一番気楽で、緊張感もあってベストだ。
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北ア・雨から退避(3日目)

8月26日 晴れ(笠ヶ岳近くの稜線はガス)

1日目  2日目  3日目

朝5時、昨夜とはうって変わって和風な朝食を食べた後、時差で食事が始まったUさんにご挨拶をするため、しばらく待ってみる。外へ出てみると朝焼けの山々が美しい。Uさんは双六から西鎌尾根を登って槍ヶ岳までの予定なので、ここでお別れ。

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槍ヶ岳シルエット
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鷲羽岳を振り返る
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さらば、三俣山荘
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ぱっとしない三俣蓮華岳も朝焼けで栄える
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出だしは槍穂がくっきりだったが・・

5時30分に出発し、まずは三俣峠までゆっくり登る。疲れが残っているのか、コースタイム通り。三俣蓮華岳へは登らず、巻き道ルートで双六小屋に向かうが、ここからは9年前の仕事山行中に土砂降りの中を歩いた記憶がある。黒部五郎方面から視界が全くないなか三俣蓮華にたどり着き、下降して巻き道を双六へ向かった。しかし「歩いた」という事実の記憶に過ぎず、脳内に残像はない。初めて歩くのとほぼ同じ条件で、「巻き道」の言葉が持つ安易さと現実のギャップから思うようには進まない。言葉に騙されると朝日岳の「水平道」と同じことになる。一本休憩を入れて双六小屋に7時35分。水晶山頂で会った双六スタッフが小屋前に出ていたので、挨拶する。すでに笠ヶ岳に立ち向かう気力が少しづつ萎えているが、ガスが南の谷から流れてきて、笠ヶ岳方面に濃いガスが乗っかっているのを見るとさらに減退する。双六小屋で手ぬぐいとコーヒーを注文し、8時に出発。とりあえず弓折分岐まで歩き、そこで笠ヶ岳を目指すか、鏡平方面に降っていくか最終判断することにしたが、自分の気力が上がってこないし、稜線のガスは移動しそうにない。

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双六谷からガスが上がってきた
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双六小屋の向こうの鷲羽岳、さようなら

笠ヶ岳を目指すとすれば、結構アップダウンのある道を頑張らないといけない。行く手は視界が悪い。展望があり過ぎるのも気持ちを挫くことがあるが、展望がないとどこを歩いていても同じ、別にここじゃなくてもいいことになってしまう。もう一つ、笠ヶ岳山荘ではいままで以上に水不足のはずだ。テント場で水が汲めるならいいが、小屋で買うとなると考えてしまう。自分自身に都合よく、これは雨をもたらす兆候だ、風も湿っぽいし、ガスも風で吹っ切れるレベルじゃない、と解釈した。決定。下山だ。笠ヶ岳、また来るよ。

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弓折分岐まで来たら直進ではなく、←に誘われて左へ
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本日最後の槍

9年前に下痢ピー状態でトイレに駆け込んだ記憶だけが残っている鏡平山荘に9時30分、たまたま隣に座った単独のおば様と話しながら、ついに禁断の毒水・400円缶コーラに手を出す。おば様曰く、昔は飯豊なども含めよく歩いたが、今回は鏡平に来て、周囲の自然を見ることが目的。山頂ばかりを目指さず、そういう山歩きってステキだと思う。

小池新道を降る。何だか、下山を決めたら調子が上がってきた。右手を見ると、笠ヶ岳方面は一定の標高以上が完全にガスっていて、しかも黒っぽい雲も近づいている。これは予感通り雨だ。そうに違いないと決めつけた。

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稜線上の雲は厚くなり、沢の上部も怪しくなってきた

小池新道は岩のガラガラ道に見えて、実は道普請が完璧だ。岩伝いに階段を下りる要領で歩けばよく、岩の表面がフラット。シシウドが原10時30分、秩父沢出合の水で顔を洗い、左俣林道に出る直前でも顔・首を洗ってサッパリ。わさび平小屋で12時になったので、最後の贅沢としてそうめんとリンゴを買って昼食とする。35分も休憩してしまった。あとはひたすら林道を歩いて新穂高ロープウェイのバス停に13時25分着。

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最後の贅沢にわさび平小屋名物のそうめんとリンゴ

完全ではなかったが、十分に歩いた。スマホのデータによれば、24日が12.7km、25日が25.8km、26日が28.3km。飯豊に次ぐ距離となった。よく歩いた。足の親指の腹に小さなマメができたようだ。
北アルプスの小屋で売っている手ぬぐいと軽食・飲み物にもよく手を出した。まるで高速SA・PAごとに立ち寄って飲食するかのように立ち寄って金を使った。ゲットした手ぬぐいは、烏帽子・野口五郎・水晶・双六の4種類。三俣山荘と鏡平は見つからなかったか、また他日手に入れることにする。贅沢の限りを尽くした山行だった。

新穂高13時46分発のバスを平湯で乗り継ぎ、松本に向かうが、事故渋滞があって松本BT着が1時間遅れ。大糸線に乗れたのは18時。大町に19時に着き、駅前のラーメン屋で妥協して夕食を食ったらちょうど雨が降ってきた。松本へのバスの中で雨雲レーダーの推移をみたら、14時ころ笠ヶ岳山頂に雨雲があったようで、きっと降ったに違いない。濡れずによかったし、27日により強い雨の中笠新道を降りに使っていたらエライことになっていたと思う。予感が当たって今回はラッキーだった。

一日早く降りたけれど疲れたし、雨の降りも激しいので、松川村の立ち寄り湯「すずむし荘」と道の駅をまた利用させてもらい、27日の朝に帰宅することにした。夜はずっと雨が降っていて車のルーフをたたく音がうるさかった。夜、槍ヶ岳に向かうはずだったUさんも雨の予報を知って新穂高温泉へ下山されたことをメールで知った。また、27日朝には飯豊でご一緒したIさん母娘と安曇野市内で再会することができ、楽しい一時を過ごすことができた。

今年の夏の登山はこれで終了。縦走中に「秋はどこに登るんだ?」と散々聞かれたが、秋は皆が集中するから登山するとしてもメジャー所は行かない。むしろ自転車の季節だ。そして冬が来ればスキーの季節。へそ曲がりは裏の季節になると無性にスキーがしたくなる。
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北ア・雨から退避(2日目)

8月25日 快晴

1日目  2日目  3日目

5時30分開始の朝食前に出るものが出た。これでトイレ待ち時間を浪費せず、食後すぐに歩き出せる。今日の行程は水晶岳ピストンを含めコースタイム10時間なので、朝6時に出てもコースタイム通りなら16時になってしまう。15分だけだが6時より早く歩き始められたのは嬉しい。烏帽子小屋、5時からの朝食だとなお嬉しいんだが、山の中で立派な食事をさせてもらえるだけありがたく思わないと。

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手前に赤牛岳、奥に薬師岳
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烏帽子小屋、ありがとう
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三ツ岳に登って行く

キャンプサイトを抜けて左手に池を見て、三ツ岳に登っていく。山頂まで登山道が通じているわけではないが、烏帽子小屋から標高差が300mほどある。餓鬼岳や大天井岳、そして槍ヶ岳がくっきり見え、快晴だ。最高の天気をプレゼントしてくれたのだが、ひなたに出ると早朝から暑い。自分の影などを撮影しながら登って行く。岩陵帯と砂礫帯を交互に歩くような快適なルートで、野口五郎小屋に7時50分到着。小屋の少し手前で5時に出発したUさんをロックオン。さらに小屋でSさんと会う。野口五郎小屋は布団干しの真最中だったが、個人的に集めている手ぬぐいを買い、小屋オリジナルのアイス(ごろりんアイス)を食べた。朝からアイスクリームというのは初めての経験だが、とても美味しい。野口五郎岳山頂(2,924m。鷲羽岳と全く同じ)は全く尖ったところのない茫洋とした山だが、ここがこの山旅の最高の天気となった。Uさんに証拠写真を撮っていただく。

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槍が現れた
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自分の影を撮ってみる
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立山も見える
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稜線向こうに左から富士山、甲斐駒、北岳、仙丈か?
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どっしりとした野口五郎岳
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水晶岳の脇にはカール状地形があることに気付く
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野口五郎岳から槍に向かうUさん

野口五郎岳を後にすると、次第に尾根が痩せてくる。岩陵を時にはよじ登りながら歩くようになり、ペースは落ちる。最低鞍部の東沢乗越は2,734mなので、野口五郎から200m近く降ったことになる。それを過ぎると今までの白い花崗岩から赤茶けた砂礫の急登になり、息がかなり上がってくる。水晶小屋には10時40分に到着したが、かなりバテた。水晶岳に歩き出す前に、お約束の手ぬぐいと800円のおしるこを注文して食べる。これで午後のエネルギーの足しにはなるはずだ。11時ちょうどにザックを小屋裏にデポして水晶岳に向かう。晴れているので山頂に立つ人がよく見える。前半はなだらかなハイキングルートで、山頂に近づくとハシゴ、岩場のトラバースなどとなる。30分で山頂に着いた。双六小屋のスタッフという若いお兄さんと、関西弁の精悍なおじさん3人で山頂にいるとそれでもういっぱいなくらい狭い。先が長いので頂上の標柱を写して10分で山頂を後にした。双六スタッフは休暇で高天ケ原温泉に行った帰りというが、この日の宿泊を水晶小屋に予定していたらしい。水晶はたぶん混むよ、と言ったら渋い顔をして考えを改めることにしたらしい。彼は結局三俣山荘を経由して一日早く双六に戻った。関西弁のおじさんは神戸から来た方で、山頂から先に降りていったが、その足取りが軽くて早い!彼も水晶小屋情報を聞いて私と同じ三俣山荘を宿泊先に変更したが、同じルートを彼が先行して歩く中、ワリモ岳の登りで私の視界から消え、私より45分も早く三俣山荘に到着していた。後で聞いたら、六甲山全山縦走往復(!)を夜に(!!)やるらしい。来月は北鎌尾根を登るらしいし、相当な強者であった。

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東沢乗越には地蔵さんが・・
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つまらない証拠写真だが、素朴な標柱

水晶小屋に戻る途中、高校生の大きな団体とスライドするときにUさんと遭遇した。水晶小屋に戻ると、Sさんがこれから水晶岳をピストンするところだった。彼は雲の平に行く予定で、私とはもう会わないことになるので、別れの握手をガッチリ交わした。学生最後の夏を登山で謳歌して、すばらしい。就職して忙しくなっても、続けていって欲しいと願う。

水晶小屋を12時15分に出発、遠くからはなだらかな歩きやすいトレイルのように見えるが、足下が不安定な岩が目立ち、疲れも溜まってきて歩きにくい道をワリモ分岐まで30分歩き、残るワリモ岳と鷲羽岳にとりかかる。しかし疲れたので登り始めで早速10分休憩。その間に遠くに見えていた六甲全山往復おじさんは前方の5人組を抜き去って視界から消えた。急な登りをクリアして、再び鞍部に降り、鷲羽岳頂上にアゴを突き出しながら到着したのが13時35分。疲れがドッと出るのと同時に、今日はもう登らなくていいんだ、という安堵が湧いてきた。もう三俣山荘は手の届きそうな場所に「見える」(実際は標高差400m、自己タイムで40分下降しなくてはならない)ので、長く休憩して、14時ジャストに下山を始めることにした。山頂に長く滞在できることは、天候コンディションがいいという証だ。

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マイナーな山頂。この上に立とうと思う人は稀かな?
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やはり、鷲羽岳は美しい
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マイナーなワリモ岳だって振り返れば立派だ

14時下山にかかる。ザレた急坂を慎重に降っていく。14時45分、三俣山荘着。烏帽子小屋からちょうど9時間かかった。10時間コースを9割の時間で歩けたのだから上出来だ。自分へのご褒美としてサイフォンコーヒーを注文した。

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鷲羽岳頂上から鷲羽池を見下ろす。ガスが上がってきている

三俣山荘は水が豊富だと聞いていたが、小屋内では今年の雪不足の影響で節水モード。トイレも洗面所もいくつか使用禁止にしてある。水は歩いて3分の幕営地まで汲みに行く。ついでに汗まみれの頭も洗った。2.5リットルのハイドレーション用の水と、スポーツ飲料粉末を入れる0.5リットルのナルゲンボトルを満たし、とりあえず笠ヶ岳への8〜9時間ルートに耐えられる準備はした。小屋の前で六甲全山往復おじさんのさりげない自慢話を聞いて、翌日の私の予定を告げたら、彼も笠ヶ岳に行く来になったらしい。六甲全山往復おじさんなら、おそらく昼には笠ヶ岳山荘に着けるだろう。そんなことを思っていたら、16時を回ってUさんが黒部源流ルートを経由して到着した。お互い頑張ったね、と激励する。

問題は26日の天候だ。出発前の予報では、26日いっぱいは持つが27日が曇りのち雨の予報だった。三俣山荘の衛星放送テレビに常時表示されているデータ放送の予報も大きく変わりはないが、25日のピークが長く続くはずはないだろう。迷走台風もあるし・・

夕食は鹿肉のスパイシーシチューがメインだった。山奥でこんな食事にありつけるとは。この夏、避難小屋で粗末な食事ばかりしてきたのでどんなものも贅沢に思えてしまう。ご飯のおかわりだとか、食後のお茶が美味しいことがありがたい。この日の夜は20時までUさんと話し込んだ。お互い単独同志だからなのか、かなりプライベートなことまでお互いにうち明けての話になった。
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北ア・雨から退避(1日目)

久しぶりに北アルプスに踏み込むことにした。前回北アルプスに来たのは何年前だろう?おそらく、仕事山行で折立〜新穂高温泉を歩いて以来、9年ぶりということになろうか。

1日目  
2日目  3日目

以前のエントリでも書いたが、今年は悔いなく山を歩きたいと思い、飯豊と裏銀座+笠ヶ岳を歩こうと半分冗談めかして述べた。飯豊はウィッシュリストのNo.1だったので最もいい時期に歩いたが、それから3週間近く経って裏銀座にも行きたくなった。激込みになる「山の日」から始まる旧盆を避けて、20日過ぎの天候を睨んでいたが、台風が過ぎた25・26日あたりが良さそうだと思った。

計画は山中3泊。立派な山小屋が点在する北アルプスだから、テントは持たず軽い荷物で長距離歩くことにした。1日目は信濃大町からタクシーで高瀬ダムに入り、ブナ立尾根を登って烏帽子小屋か、時間に余裕があれば野口五郎小屋まで。2日目は烏帽子からなら三俣山荘、野口五郎からなら双六小屋、3日目は笠ヶ岳山荘、という計画にした。

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裏銀座地図(その1

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裏銀座地図(その2

ザックはいつものバルトロ75ではなく、スキーザックのターギー45。マット・シュラフを持たなくてもいいし、食料も行動食だけでいい。ずいぶん軽くなった。ただし、稜線歩きで水がふんだんに使えないはずなので、合計3リットルは担いでいく。最近、ファーストエイド用具を充実させて持っていくようにしているが、今回は飯豊に持っていったセットに加えて、以前使っていたショートストックを持っていくことにした。最近は歩きにストックを使わなくなっている私だが、イザというとき(ケガのとき)の添え木代わりとして使うつもりで持参した。幸いなことにずっとターギー45の中に収まっていてくれた。

さて、現実は表題通り、なんとなく予報より早く雨が降り出す予感がして、弓折分岐から笠ヶ岳への道と下山に使う予定だった笠新道は断念することにした。これが吉と出た。

8月24日 曇り後晴れ
前日夜に松川村の道の駅で車中泊し、早起きして信濃大町駅前のタクシー会社に着き、そこで車を預かってもらった。事前に交渉していたのだが、タクシーを使えば預かり料金は発生しない。素晴らしいサービスだ。当日朝の相乗り客はなく、私一人で高瀬ダムまで利用したのでタクシー代は8,200円。飯豊に比べれば多少安いもんだし、七倉でタクシーを乗り換えなくても済む。七倉では登山届を出さなくてはならないが、これも自宅で書いて持参したので無駄な時間を使わず、6時30分に高瀬ダムから歩き始めることができた。トンネルを潜り、不動沢にかかるつり橋を渡り、濁沢の幕営地を通過して6時55分にブナ立尾根に取りつく。「北アルプス三大急登の1つ」などと言われるが、さほどでもない、というコメントをウェブ上でよく見る。確かに大汗はかくがサクサク登れてしまう。登りながら理由を考えたが、それは登山道の整備が行き届いているから急登に感じない、ということだと思う。飯豊のワイルドな登山路を歩いた後でブナ立尾根を歩いた身としては強く感じる。急登なのに急登に感じさせない登山道の整備をされている方々に頭が下がるのである。

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高瀬ダムから
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不動沢のつり橋
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いよいよブナ立尾根へ

烏帽子小屋まで要所要所でカウントダウンの番号が置かれていて、頻繁に携帯で通過時間のメモを取っていったが、2箇所で5分程度の休憩を取りつつ烏帽子小屋に着いたのが10時30分。ダムからちょうど4時間、登山口からは3時間30分ほどで登ってしまった。しかも気圧が変動していて実際の標高よりも高度計の数字がだいぶ低く表示されたので、小屋の屋根が見えたときは拍子抜けだった。ブナ立尾根の途中で先行していた七倉山荘前泊組の方々をかなり抜いてしまった。休憩時にそのうちの数名の方と言葉を交わした。そのうち一人が女性単独のUさん、もう一人が若い男性で幕営山行のSさんだった。彼らとは縦走路で前後して歩き、楽しい会話を交わしながら途中で別れた。

烏帽子小屋にはちょっと早く着きすぎた。前日に予約を入れてあったし、この日の午後の天気予報は良くなかったので、野口五郎小屋まで進むことは心理的にはばかられ、宿泊受付をする前に烏帽子岳を往復することにした。最初はガスっていて何も見えなかったが、烏帽子岳の特徴的な岩峰を登って頂上に着き、ひとり大岩の上でマッタリしていたら視界が開けてきた。そこへ後続のUさんやSさんがやってきた。Uさんは岩登りが苦手らしいが、最終目的地は槍ヶ岳だという。槍の穂先に登る不安を隠さないところが率直でかわいらしい(年上らしいけど)。Sさんはいつもニコニコしている好青年で、私が座っていた大岩の上でかなり長い時間のんびりしていたようだ。

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烏帽子頂上の岩峰(標柱はあるが岩峰の上はちょっと厳しい)
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ニセ烏帽子から振り返る

小屋に戻りながら全貌をあらわした烏帽子の岩峰を撮影して、小屋に戻ったのが12時30分。小屋の中や外でのんびり午後を過ごした。天気は予報に反してむしろ良くなっていく。赤牛岳や薬師岳まで見通すことができるまでになった。烏帽子小屋の周りは花崗岩の砂が敷き詰められているが、毎日掃き清められて枯山水のような地面になっているし、小屋の前に花が咲いていてとても清潔感がある。古くて素朴な造りだが、とことん近代化された小屋とはまた違った趣でいい山小屋だと思った。キャンプサイトも奥行きがあってとてもいい感じだ。この日の夜は宿泊人員に余裕があってありがたかった。耳に入ってくる情報によると、宿泊客の中の多くの方が翌日の宿泊を水晶小屋にしているらしい。しかし16時を回ってツアー10余名が入ってきて、かれらも翌日は水晶小屋泊りだということを聞き及び、動揺が走る。私は水晶小屋に泊まるつもりはないので関係はないのだが、あらかじめ予約を入れていたUさんたちは気が気ではない様子。頑張って三俣山荘まで行った方がいいですよと言ったら、Uさんは弁当をもらって朝食前に小屋を出るという。小さな水晶小屋に団体ツアーが宿泊するとなると、個人で予約を入れている人にも影響が及ぶ。泣きを見るのは団体でなく個人だというのが、不条理である。

一方で、とても個性的なルート選択をされている方も見受けた。北アルプスで最もシブい七倉・船窪・不動・南沢を歩いてこられた方もいた。北アルプスって、ルートが豊富だから自分なりの一筆書きができるのが魅力なんだなと思う。他の山域だと縦走路は自ずと定まってしまうが、北アルプスなら温泉をつなぐ縦走だとか、工夫を凝らしたループ状のルートを考えれば、車で登山口に乗りつけてデポしておいても十分楽しめる。

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小屋の前の花畑
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薬師岳方面に若干雲が残る

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飯豊連峰主稜線全山縦走(最終日)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ


8月3日

最終日。下山の前に朳差岳をピストンする可能性を残した。言い回しが微妙なのは、身体の疲労を感じていたのと、食欲が湧かないのがネックになっていたから。とりあえず頼母木小屋から大石山まで行って天候を観ながら判断だね、とIさんと話してから6時30分に小屋を後にした。同宿した千葉からの単独男性は一足先にサブザックで朳差岳を目指して行った。

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飯豊連峰地図(その3)
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朝焼け
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山頂直下に小屋が見える朳差岳(右)と鉾立峰(左)
2016-08-03-06.30
最後にお世話になった頼母木小屋

30分で大石山の分岐まで達してしまう。昨晩から今朝にかけては、「宿題の1つも残しておいた方がまた飯豊に来る理由ができる」などと言っていたけれど、いざ大石山から朳差岳へのトレイルを見ると、若干の体調不良でも行きたくなる。新潟ファミリーも本当は朳差岳まで行くつもりだったらしいが、お子さんたちが強く下山を主張してご両親も折れたそうだ。特にお父さんは本当は朳差まで行きたかったのに残念。千葉の単独男性が大石山から稜線を下っているのも見えた。
2016-08-03-06.54
大石山近くから振り返る
2016-08-03-06.56
イブキジャコウソウの群落

意を決して大型ザックをデポし、またウエストバッグを斜め掛けして朳差に向かう。Iさんの方が元気があって先行して歩いていく。一番いやらしかったのが朳差手前の鉾立峰(1572m)への登り。いったん1420mまで下ってからの急登に喘ぐ。7時45分到着。鉾立峰の頂上に立てれば、あとは標高差80mほど下ってゆるゆる登れば自動的に朳差小屋とそのすぐ先の頂上にたどり着く。8時10分に山頂に着いたら、ガスが晴れて少し明るくなった。山頂から伸びる登山道が2本、大石ダムに向かう権内尾根と、通行止めになっている大熊尾根が見えた。大熊尾根の方には大きめの池も見える。胎内市の市街地方面に開けた谷の出口も見え、うっすら日本海の海岸線も見えた。

2016-08-03-08.10
朳差岳山頂から朳差小屋

これには大満足。20分ほど山頂に滞在して、朳差小屋内部も閲覧させてもらい、小屋前のベンチで少し休んでから大石山に戻る。小屋に泊まっても水場までの道が滑りやすいらしいので泊まらなくて良かったかも。
大石山には9時20分に戻り、30分ほど大休止して足の松尾根の下山ルートに進入した。Iさん母娘は母が大石山で娘を待っていたので体力・気力ともに十分なようで、先に下山開始してもらった。

あと標高差1000mの下山だが、狭くて岩場もある尾根をこの疲れた身体で無事に降りられるだろうか?やや不安を抱きながらも下山にかかる。9時50分歩き出し。アップダウンが若干あり、狭い尾根なのでロープを張った箇所がいくつも続く。誤れば相当下まで滑落しそうだ。実は飯豊の主稜線よりも足の松尾根の方がよほど危険が待ち構えているように思った。蒸し暑い中、4〜5人の登山者とスライドする。よくぞこの尾根を登る気になると思う。と同時にもう一度この尾根を登って朳差岳まで行く気にはならないよなと思う。つくづく今日朳差岳に行っておいて良かった。
2016-08-03-11.28
足の松尾根(崩壊や落石もあり、2箇所ほど迂回路があったが迂回路も滑りやすい)
2016-08-03-11.34
狭い岩場

時間にすれば、下山開始9時50分、水場の分岐近くで10時35分、狭い岩場を抜けた標高800m姫子の峰で12時ちょうど、足の松登山口に12時53分、となり、標準コースタイムの3時間40分よりも40分早く降りたことにはなるが、気が遠くなるほど足の置き場を慎重に選ばなければならない辛い下山だった。

2016-08-03-12.50
緊張した尾根が終わってブナの巨木が迎えてくれた

登山口の広場の日陰ででひとしきり休憩し、まだ13時台なので乗り合いタクシーには頼らずに奥胎内ヒュッテまで林道と舗装路を歩く。すぐに水場があったので、ここで登山靴の汚れを落とし、頭から清水を被り、タオルを絞って持ち帰り用の水を水筒に詰める。さっぱりした。林道から舗装路に出てからは奥胎内ダム建設のための工事車両が頻繁に行き交う道路脇を1時間弱歩いて奥胎内ヒュッテにたどり着いた。午前中に下山した新潟ファミリーに出迎えてもらった。一足先に登山口から歩き始めたIさん母娘も無事に到着。これでこの山旅はコンプリート。歩いた総距離はスマホによれば13km(31日)+16.5km(1日)+18.7km(2日)+22km(3日)の合計約70kmにも及んだ(直線距離だと45kmほど)。朝日連峰の総距離が52km程度なので、それを上回る距離となった。やはり飯豊連峰は東北の横綱である。

奥胎内ヒュッテの大浴場で4日分の汗を流し、ソフトクリームを食べてコーラを飲んだが、体重は5kgも減っていた。ひもじかった学生時代の体重に近くなった。暑さと体力低下による疲れと食欲減退が原因だと思うが、体重が落ちすぎだ。無理は禁物である。
Iさん母娘とタクシーに相乗りして中条駅まで向かった。料金は9000円弱。弥平四郎に車を回収に行かなくてはならないIさんと新発田駅で別れ、新潟駅を経由して新幹線で上野に戻った。長岡の花火大会当日で新潟県内は浮かれていた。上野から通勤列車に乗るのはもう面倒くさく、ものすごく久しぶりに上野駅から自宅までタクシーを使った。東京でタクシーに乗ることはまずないが、ご褒美としてたまにはいいでしょう。

ついに飯豊連峰を全て自力で歩き通すことができ、嬉しい。一日だけ天気がすぐれなかったが、宿題は残してこなかったと思っている。しかしもうこんなハードな縦走はしばらく避けたい。飯豊ならば、今度は主稜線ではなく、新発田の湯の平小屋のような麓の避難小屋を使って温泉に入りに行きたいものだ。
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飯豊連峰主稜線全山縦走(3日目)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ

8月2日

御西小屋での朝は誰かの騒音に起こされることもなく、ごく常識的に始まった。シリアルとスキムミルクとはちみつでホットシリアルが朝食のメインとなった。今日は飯豊北部の主稜線を北に向かって縦走していく。御西小屋に泊まっていた同宿者たちはそれぞれのルートに向かっていく。1階の男性2名は大日岳を往復するらしい。夫婦で来られている2組の方は飯豊本山方面へ引き返す。女性3名組は丸森尾根か梶川尾根を使って小国町へ下山するので門内小屋あたりまで行きたいそうだ。外でテントを張っていた新潟のファミリーも門内小屋でテント泊の予定だとこの日の縦走路で聞いた。私もIさん母娘もまずは梅花皮(かいらぎ)小屋を目指し、時間を見て門内小屋あたりまでは行きたいところだ。

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飯豊連峰地図(その2)

飯豊のコースタイムが書かれた登山地図のタイムも場所や自分が背負う荷物によって実際のコースタイムと大きく異なることがある。この日は地図上のコースタイムよりもかなり早く歩き進めることができた。ただし、飯豊の縦走路は巻き道という発想がなく、すべてのピークを通過しているので、甘く見てはいけない。

5時30分に御西小屋を出て、天狗の庭(6時)、御手洗の池(6時40分)と進んでいく。雪渓の最上部を通らざるを得ない個所は確か1ヵ所だったが、軽アイゼンを装着しなくても普通に歩ける。だが滑落される方もいるようなので慎重に歩を進める。御手洗の池のような池塘は稜線近くにも、登山道の下方にも多く見られるようになり、そこかしこにお花畑が広がっている。特にチングルマの群落が見事。
2016-08-02-06.27.15
雪渓上部を歩く
2016-08-02-06.43.39
御手洗の池
2016-08-02-07.47.47
群落

7時ころから軽いひと雨が降ってきた。雨具を着て、でもベンチレーションジッパーをほぼ全開にして歩く。烏帽子岳と梅花皮山頂ではジプロックに入れた携帯電話を外に出せないほどになった。しかし下って梅花皮小屋で休憩させてもらった9時前後には小降りになり、北股岳もよく見えるようになってきた。梅花皮小屋の管理人のおじさんは「泊まっていけ」とおっしゃるが、まだ午前中も浅い。今シーズンは石転び沢のルートが危険なので、直接梅花皮小屋へ登ってくる登山者が激減しているらしい。小屋は立派だし、トイレは水洗、小屋から30mで治二清水がドバドバと出ているのだから、稜線上にあって至れり尽くせりの小屋だ。山形県小国町が管轄する唯一の小屋が梅花皮小屋だ。「今度来たときは是非泊まらせて」と言い残して北股岳に登り始めた。

2016-08-02-08.29.34
北股岳
2016-08-02-09.03.05
ありがたくおいしい、治二清水
2016-08-02-09.32.24
石転び沢にあまり雪がない

北股岳頂上は北上縦走する登山者にとって最後の2000m峰。昨夜御西小屋でテントを張っていた新潟ファミリー(両親と中・高生の男兄弟4人)とはここまで休憩時に会話を交わしていたので、この山頂でファミリーの記念写真のシャッターを切らせて頂いた。息子2人と縦走をするというのも、わが家にとってはもう遠い過去の話になってしまった。遠い目になる。親子でこんなハードな縦走ができたらずっと記憶に刻まれるだろう。
2016-08-02-09.32.36
タカネナデシコ
2016-08-02-09.55.19
北股岳頂上には鳥居あり、鳥居に向かってくる参道は現在廃道に・・

門内岳までの下り基調の登山路脇は「ギルダ原」などと言われているようで、高山植物の宝庫らしいが、あまり天候も良くないし、それまでにお腹いっぱいになるくらい花を見てきたのでさほどの感動を生まない。門内小屋前で休憩させてもらったら、管理人さんがちょうど交替の日で、引き継ぎをやっていた。屋根が壊れて雨漏りするので天候回復を待ってヘリが資材を上げるらしい。なかなかいいおじさんたちだ。まだ11時前半なので、Iさんとさらに足を伸ばして頼母木(たもぎ)小屋まで行くことにした。Iさんのお母さんはもう70代らしいのだが、荷物を軽量化して1本ストックでスタスタ進んで行くのを見ると実年齢よりも相当若く見える。時には大荷物を担いだ娘さんが休憩を取れなくて困るくらい健脚だ。母娘が互いに協力しあって縦走を成し遂げるというのもいいなと思う。門内小屋でテントを張る予定だった新潟ファミリーもテント設営をやめて先に向かっている。

さて、頑張って午前中に相当長い距離を縦走してきたが、ついに12時直前から雨が本格的に降り出した。ちょうど梶川尾根との分岐点、「扇の地紙」というところから地神山、頼母木山、頼母木小屋までの時間にして1時間30分、大粒の雨がフードをたたき、登山道は小沢と化し、遠いけれども雷鳴もあって森林限界以上にある山頂部を通過するときは緊張した。前を行く新潟ファミリーは今まで追いついたり視界の中に入っていたのに、急にペースが上がって息子たちの姿が見えなくなった。すれ違った登山者の情報によると一人のお子さんが雨具なしで歩いていたという。それで小屋まで急いだようだ。後方のIさん母娘の姿もあまりよく見えなくなった。もう休憩を取っている余裕はなく、一度樹林帯を出る前にカミナリを気にして数分座り込んだが、ほぼ一気に頼母木小屋になだれ込んだ。13時15分到着。水がドバドバ流れる流し台の前で新潟ファミリーと無事を確認しあう。Iさん母娘も無事に小屋にたどり着いた。皆疲れ果てて小屋になだれ込む。先に小屋に入っていた一人の男性がとても気さくでいい方だった。丸森尾根をこの日に登ってきて、翌日は朳差岳をピストンして南下するという千葉からの男性だった。

ザックから靴から前身びっしょりで、小屋内で濡れ物を干すのが大変だった。もう3日目のウェアは自分の汗で臭く、何かの拍子で臭いが立ちのぼってくる。さらに豪雨で靴の中を濡らしてしまった。スパッツを装着する手間を惜しんでしまったのだ。毎日中敷は外して乾かしているが、それでも追いつかない。明日最終日は濡れ靴を履かなければならない。最終日なので臭い靴下は予備のものに替えるが、濡れ靴に新しい靴下というのが辛い上に、濡れ靴の中の足はふやけてマメもできやすくなる。山行中雨に遭っても靴の中を極力濡らさないというのは常に気にしてはいるが、心の余裕がないと難しい。
2016-08-02-14.21.34
頼母木小屋の流し台(まだ雨の影響で水が濁っている)
2016-08-02-15.34.07
出した後はペダルを漕ぐことで微生物に空気が送られるしくみ

この日の頼母木小屋宿泊者は上記の男性1名に門内小屋方面から北上してきた我々7名に加え、夕方になってたどり着いた関西弁の3名の高年男女の11名。余裕を持って泊まれた。夕方になって雨が止み、携帯をつなぐと翌日は曇りベースらしい。雨さえ降らなければ朳差岳のピストンはできそうだが、そろそろ体力が落ちてきて食欲もあまり湧かなくなってきた。夕飯はアルファ米とみそ汁ではなく、カップラーメンにした。
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飯豊連峰主稜線全山縦走(2日目)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ

8月1日

切合小屋の朝は早かった。というのも、隣近所のことを省みず暗いうちからガチャガチャと音を立てて準備する人が多過ぎたからだ。近くには熊鈴を鳴らして平気な人もいた。登山者のマナーは守って欲しい。

山でご来光を見るのは何だか変な習慣だと私は思っていて、歩き始めてから縦走路でご来光を見るならわかるが、山頂や小屋前で見なければならない必然性は感じない。夏だったら日の出とともに起きて朝食を作り食べて出すものを出してパッキング完了とともに歩き始めればいいと思っている。歩き始めは当然明るくなってから。十分時間はある。

2016-08-01-05.21
朝日連峰を遠望
2016-08-01-05.30
大日岳方面
2016-08-01-05.39
雪渓も出てきた(前を行くIさん)

5時30分に小屋を出発。ツアー団体が先行していてその最後尾に追いついてしまったので、最後尾のガイドが「追い抜きますか?」と聞いてくれたが、とりあえず彼らが休むだろう草履塚山頂で抜かせてもらうことにした。ところがツアー客は山頂の登山道の真ん中にザックを置いて座り込むので困る。ガイドが道を空けて下さいと言っているが反応が鈍い。20人もの大所帯でこちらにも不満はあるが、押し殺して先行する。御秘所の手前で団体を抜くことができただけありがたい。

草履塚を下ってすぐに姥の前。姥権現の地蔵さんが祀られている。女人禁制だった時代に禁を破った女性が石に変えられたという場所だが、姥権現のお姿が印象的。そしてすぐに御秘所。飯豊本山に向かう登山路の中の難所の岩場だ。とはいえ、鎖もついているし、このくらいの岩場ならばあちらこちらにもある。いまのルートは御秘所を通過するルートの中でも一番易しいルートなんだろう。ただ、昔の草履履きでは相当苦労したはずだ。御秘所の通過ルートによっても御利益が違ったらしい。とりあえずこれで私も会津で一人前の男として見られることになったはずだ(もう元服年齢よりも相当上だが)。
2016-08-01-06.12
姥権現
2016-08-01-06.13
御秘所の岩場

あとは御前坂をエッチラオッチラ登れば2000mを越え、本山小屋下の幕営地を過ぎて本山小屋と飯豊山神社奥宮だ。7時20分に到着。味気ない建物で、本山小屋が混雑するときには社殿の中にも登山者を入れるらしい。一応、お参りはして、御朱印を切合小屋の領収書裏に捺してきた。本山小屋で赤い手ぬぐいを買う。団体ツアー客が登ってきたのでそそくさと先に進む。

2016-08-01-07.13
本山小屋下のテン場

2016-08-01-07.51
イイデリンドウが咲いていた
2016-08-01-07.54
飯豊本山山頂はガスで展望なし

ここから先は斜度が緩くなる。ガスってきてしまったが、飯豊本山(2105m)、駒形山(2038m)を越えて緩く下っていく。御西岳(2012m)のあたりになると人はめっきり減り、高山植物が豊富になる。御西小屋には9時20分に到着。20分ほど休んで、重いザックを小屋脇に置き、大きめのウエストバッグを肩から斜め掛けして大日岳を目指す。ガスが濃くなってきたので雨具は必携だと思われた。ここまで前後してきた長野のIさんの娘さんと2人で歩き始めたが、例の団体ツアーが意外に早く御西小屋に着き、先行している。文平の池が見えるあたりでまた抜かせてもらい、急登をあえぎながら登る。荷が軽いのでまだマシだ。コースタイムは2時間だが、重荷がないので1時間ちょっとで山頂に着いた。山頂には2人がいただけで、山頂の標柱と三角点が何故か若干低いところにあった。しばらく休憩していたら、団体ツアーが大騒ぎしながら登ってきた。まずガイドの声がうるさい上に、客の一人が標柱の裏で座っている私に、「写真を撮りたいからどいてくれ」と言う。ムカッときたが大人しく譲ってやった。彼の撮影する大日岳の頂上標柱の写真はさぞかし芸術的なんだろう。是非どこかの写真展にでも発表してもらいたいものだ。
Iさんと団体ツアー登山について少し離れた場所でさんざん文句を言ってこき下ろした。
2016-08-01-10.48
大日岳山頂もガスだとこんなもんですが、芸術的写真が撮れるのか?
2016-08-01-11.36
大日岳から戻る途中の文平の池2016-08-01-12.06
御西小屋に戻ってきた

12時過ぎに御西小屋に戻り、宿泊手続をする。切合小屋が2500円、御西小屋は2000円と額が異なるが、これは飯豊主稜線の小屋の管轄が福島・山形・新潟と異なり、市町村によっても異なるからだろう。今まで盲腸のように稜線上にのみ伸びた福島県を歩いてきたが、ついに県境を越えた。御西小屋は新潟県阿賀町の所管らしい。割り当てられた寝床の番号は8番だったが、普通にマットを敷くと7番までの人で8番はおろか9番くらいまで埋まってしまう。午後何人も客が来るとオイルサーディン状態になるのは必定なので、皆で祈るが、果たして我々の後に入ったのは男性2人で、1階を割り当てられた。4時を回った頃に私が勝手に判断して11番に移ったので、他の方々も多少は余裕ができたかも知れない。御西小屋の水場は若干遠く、かなり降りないとならなかった。トイレは飯豊の小屋の中でも最悪で、たった2箇所でポットン&ペーパーなしだった。築10年の新しい小屋なのにトイレに工夫がないのはおかしい。阿賀町に改善を望みたい。

この夜、ラジオで九重親方の訃報を知る。がんと闘っていることは以前から知っていたので覚悟はしていたが・・・千代の富士は現役時代も親方になってからも毀誉褒貶のあった人だが、私らが高校生の時に他の大関候補をごぼう抜きにして出世したのが印象的だった。高校のクラスでは女子も含めて相撲人気があった。北の湖に次いで千代の富士もか。隆の里はすでに亡くなり、北天佑も早くに亡くなってしまったし、あの時代の力士たちは短命だったなあ・・
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飯豊連峰主稜線全山縦走(1日目)

福島・山形・新潟三県にまたがる飯豊連峰の主稜線をすべて自分の足で踏破してみたいという願望は何年も前からあった。2013年に南ア悪沢・赤石・聖の縦走をしたときに、次は飯豊全山縦走と公言していた。しかし諸事情があってなかなか有言実行にはならなかった。特に15年はひと夏ボランティア的な仕事のために全滅だった。

今年こそ!と思わせてくれたのが新潟胎内市がJRとタイアップして作成したポスター。最寄り駅の階段の途中にもう数ヶ月張ってある。残雪の飯豊連峰北部の山の連なりと巻き道のない登山道が私を誘ってくれた。数種類の写真が掲載されたポスターが作られたようだが、どのポスターの写真も素晴らしいのだ。

山中3泊あれば福島県側から新潟県胎内市に抜けられそうだ。宿泊できる避難小屋はほぼ管理人が入っているし、主稜線上には7つの避難小屋があって、よりどりみどりである。切合(きりあわせ)小屋、梅花皮(かいらぎ)小屋、できれば最後に朳差(えぶりさし)小屋に宿泊するつもりで計画を立て、週間天気予報をにらみながら7月30日に自宅を出ることにした。

現実は以下の通りの行程となった。
30日 自宅〜会津若松
31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ
   中条駅までタクシー、JRで自宅
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飯豊連峰地図(その1)

30日は新幹線と磐越西線の快速列車を使って会津若松に夕方入り、駅前のビジネスホテル泊。会津盆地は暑く、午後の天気も不安定なようだ。

7月31日
朝4時30分起きしてATPテニス・トロント大会の実況を第1セットだけ見て後ろ髪を引かれながら5時28分会津若松発新潟行きの列車に乗った。当然車内はガラガラ。6時12分に野沢駅に着き、予約しておいたタクシーで弥平四郎集落のさらに奥の祓川登山口に向かった。格安のオンデマンドバスが弥平四郎集落まで走るのだが、早朝で運行時間にはまだ早く、なるべく朝のうちから登って稜線上の小屋にたどり着きたいので、ここは金に糸目をつけずタクシーである。

2016-07-31-05.55
磐越西線の列車内で

北アや南アなどと違って、東北の山はアクセスが悪く、それが計画上のネックになっている。東北の山の大関クラスである朝日連峰もアプローチが不便。横綱クラスが飯豊だろうと思われるが、こちらも登山口まで、下山口からの交通が不便で、スルーハイカーはいろいろと工夫をされているようだ。車をどこかにデポするのも、自転車や原付バイクを下山口にデポするのも、単独で登ろうと思っている私にはとても面倒くさい。それに、タクシーを使うと1万円くらい消費してしまうのが勿体ない、という考えもあるが、私は登りたい山に行くのに1万円は決して高くないと思っている。

ということで約1時間タクシーの中で運転手さんに西会津町の奥まった集落のいわれや実情を教えてもらいながら、最奥の弥平四郎集落を抜けて狭い未舗装林道を走り、祓川登山口に到着。タクシー運賃は約9500円だった。オンデマンドバスで来たら歩かねばならない林道をカットできた。

2016-07-31-07.16
祓川登山口

7時20分、祓川登山口で登山届を投函して出発。稜線に出るには登山道が2本あるが、水場があり、最初の斜度が緩めの新長坂コースを歩き始めた。まず沢を渡るために標高差20〜30m下り、渡って少し登ると祓川山荘が左手にある。屋根にブルーシートがかけてあり、雨漏りがひどいのかも知れない。水はふんだんに使えるらしいので、初日にこの祓川山荘に泊まる登山者もいるようだが、単独でこの小屋に泊まる気は起きなかった。

2016-07-31-07.36
祓川山荘

登山道は斜登行する感じで松平峠まで上がっていく。十森というところで小さな沢があったが、この日は水がきれいとはいえなかったのでスルー。松平峠からは低木帯になって日差しがきつく、標高差300mを一気に登るので休み休み高度を稼いでいく。日曜日なので、下山する登山者とすれ違う。なるべく明るく話しかけて情報をもらう。
疣岩分岐でちょうど11時。ほぼコースタイム通りか。しかし暑過ぎてバテた!疣岩山山頂までのペースがゆっくりになり、山頂で休憩、さらにその先でも休憩を取ってしまった。三国小屋到着が12時40分。20分の大休止を取る。登り初めは本山小屋まで行って宿泊しようかと思ったが、どうやら1つ手前の切合小屋泊の方がよさそうだ。

疣岩山から前後して歩いていた母娘と会話を交わす。祓川から尾根に直登するコースで登ってきたとのことで、長野県松本市からいらしたというIさん母娘だ。私の郷里にかなり近いので話が合い、切合小屋まで前後して歩くことになった。彼女たちは1週間の休暇を利用して飯豊に来たそうだが、コース検討の結果、大日岳あたりまでのピストン山行を考えていたらしい。私の計画を話したら、奥胎内に下山して羽越線の中条駅までタクシーで出ることは全く想定していなかったようで、山形県の小国町に下山して米坂線を使おうにも便数がなくて結局スルーハイクは諦めて登ってきたとのこと。しかしその手があったかということで、以後下山して列車に乗るまでご一緒することになった。単独行の私としては、同じコースを歩き通す仲間ができたので心強い限りだ。

2016-07-31-11.13
疣岩山から見えた飯豊本山

三国小屋から川入に下る剣が峰は歩きにくそうだ。弥平四郎から登って正解だった。切合小屋に向かう道中にはハシゴが設置されていたりしたが、小屋到着は15時だった。大きな小屋なので、宿泊客も日曜日の割には多く、天気もいいのでグループごとに屋外でくつろいでいる。私とIさん母娘は1階の入口に一番近い場所をあてがわれた。暗くてヘッドランプなしには物の整理整頓ができない。16時頃からアルファ米とみそ汁の夕飯を作って食べ、早々に寝所に落ち着いた。この夜、たまたま20時過ぎに一度起きたので、期日前投票をしてきた東京都知事選の結果を知る。今後もあんまり東京都は変わりそうにない。
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ガスってきた中、切合小屋到着

切合小屋では食事提供もされるとは聞いていたが、かなり多くの人が小屋の食事を取っているように見受けた。しかしその大半は翌日も大日岳まで離合するツアー客だったようだ。飯豊といっても多くの人が登頂を目指すのは飯豊本山までか、足を伸ばして最高峰の大日岳までのようで、切合小屋に宿泊して翌日荷物を軽くして本山往復とか、大日まで往復して再び切合小屋泊というパターンが多いようだ。連峰の半ばまで行けば静かな山歩きができるということだが、その通りにやかましくも厚かましい20人のツアー客も大日岳で引き返していった。
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朝日連峰縦走

今年の夏の仕事山行は、朝日連峰主稜線の縦走となった。
東北地方は海の日を過ぎても梅雨が続き、例年雨中山行になるのだが、今年は雨には降られず、私が関わった4日間のうち後半2日は見事に晴れた。初めて歩く山域だったので本当は山形入りした20日のような快晴であって欲しかったのだが、それは贅沢というものだろう。

計画は以下の通り。通常は山中2泊だそうだが、総勢15人の大所帯で亀脚の少年もいたので無理せず山中3泊となった。
20日 新幹線で山形入りして左沢からタクシーにて古寺鉱泉泊。
21日 古寺鉱泉から古寺山・小朝日岳を経て大朝日岳山頂、大朝日小屋泊。
22日 大朝日小屋から西朝日岳、竜門岳、寒江山を経て狐穴小屋泊。
23日 狐穴小屋から以東岳、オツボ峰を経て大鳥池キャンプ場にてテント泊。
24日 大鳥池から泡滝ダムへ下山、タクシーにて鶴岡駅へ。鳥海山に向かう少年たちから離脱、帰京。

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朝日連峰地図(その1 古寺鉱泉〜竜門山)
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朝日連峰地図(その2 寒江山〜大鳥池)

20日 左沢駅で少年たちと合流すべく、昼12時過ぎに上野を出る新幹線つばさの指定席を取ったのだが、各駅列車で先行する少年たちの列車が朝方の地震による若干の遅延や少年の荷物トラブル、乗り換えミスなどが重なり、合流の時間を合わせるため新幹線指定席の変更を2度も行う羽目になってしまった。指定席の変更は1回目は券売機でできるが、2回目はみどりの窓口で一度払い戻し手続きをした上で買い直さないといけないというルールをこのトラブルのおかげで初めて知った。最寄りの駅のみどりの窓口は数年前に廃止されてしまい、隣駅まで行かないと手続きができない。最寄り駅の駅員による私の切符紛失というしょーもないミスのお陰で、貴重な時間を無駄に費やす。なんとか13時台の新幹線に変更できて、あとはスムーズに左沢駅までたどり着いた。

タクシーからは朝日連峰の主稜線がスッキリ見え、期待が膨らむ。古寺鉱泉(標高680m)に到着したのはもう19時過ぎで、それから食事の準備をさせ、重いくせに貧弱な食事(今どき生米を飯盒で炊く)が始まった。古寺鉱泉は食事がいいとの評判があるそうだが、今回は素泊まり&どうせ翌日から汗まみれなので風呂にも入らず、避難小屋泊とたいして変わらない宿泊形態だった。しかし古寺鉱泉のご主人には少年教育も含めて大変世話になり、また個人で泊りに来たいと思う。

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古寺鉱泉(左手に登山路がのびる)

21日 朝からガス。例によって準備が遅れ出発も遅れた。稜線にたどり着くまでひたすら登りが続くが、山慣れていない年少の者のザックの形がいびつで、とても気になる。体力も根性も不十分で、ひたすら悲鳴を上げながら歩いているのだが、実はパッキングが杜撰で、嵩張る衣類などを圧縮せずにザックに入れているし、雨蓋に重い物をひたすら詰め込んでいるのでザックの重心が不安定で振られているという事実を本人は知らない。その都度年長の者が修正し指導し、ザックの中身を分け持って負担を軽減してやっているが、本人は余り感謝の態度を示せず、年長の者がしだいにイライラしてくる。また、歩く速度も年少者に合わせるので、頻繁に休憩を入れねばならず、コースタイムはおろか、その2倍近く時間がかかってしまう。古寺山(標高1500m)までの登りが特にいやらしかった。水場はそこまでに2箇所あったが、下部の一服清水は豊富に出ていた。上部の三沢清水はちょろちょろ。大朝日小屋に突き上げる最後の急登手前に銀玉水があり、こちらはさらに豊富に水が出ていた。大朝日小屋前には水場はないので、途中の銀玉水で補給するか、小屋を出て数分の金玉水を汲みに行かねばならない。

そんなこんなでガスガスの中、約9時間かかって大朝日小屋にたどり着いた。幸い、大朝日小屋の管理人の方が2階のまとまったスペースを割り当てて下さり、快適に過ごすことができた。この小屋は大勢の人が泊まるためだろうが、床にテープで一人分のスペースが仕切ってある。ステンレスのトレーを使えば小屋内でバーナーを使えるというのもありがたかった。トイレは小屋の中にあり、ポットン式で紙は別のボックスに入れる山ではごく常識的な方式だった。この日の宿泊者は我々も含めて40人弱だろうか。百名山ハンターは古寺鉱泉や朝日鉱泉から日帰りまたは大朝日小屋一泊で下山してしまうようで、ここから先は静かな山歩きになった。

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大朝日小屋にたどりつく

小屋で落ち着いてから大朝日岳山頂に空荷で行ってみた。ガスは晴れそうで晴れなかったし、山頂は遠くから見るようなピラミッドのてっぺんのような狭さはなくてまあまあ広かったが、眺望がないのではどこに行っても同じだ。17時近くに小屋に戻った。小屋で相撲中継を聞こうと思ったのだが、小屋の中に入ると電波の状態が思わしくなく、外ではつながる携帯も小屋内では圏外になってしまう。相撲を聞くのは諦め、携帯に蓄積しておいたポッドキャストを聞きながら寝た。ちなみに、標高が1800mしかないことを考えてシュラフは20年くらい前に買ったゼロポイントのインナーシュラフ(クローアップシーツ)だけを持っていった。小屋内は暖かく、特に支障はなかった。

22日 寝坊したわけではないのに、大朝日小屋の出発もおそらく最後の方になった。大人数で要領が悪いので時間がかかる。天候はガスによる霧雨状態だ。私はロングスパッツを装着してレインウェアの上着だけ着たが、小屋の外に出てきた少年たちは無防備で、他の登山客から刈り払いも十分じゃないからレインウェアは着た方がいいよとアドバイスされている始末。朝露で靴の中が濡れるとなかなか乾かなくて往生するということを未経験の少年も多いし、経験していてもすぐに忘れるタイプの者が多いので、全体的に想像力が足りない。まあそんなもんだよね、少年(特に男の子)は。
小屋の外でまたザックを開けてレインウェアを装着し、年少の者は自分自身でザックを背負えないし、靴ひももまともに結べないありさまなので、さらに出発が遅れる。しっかし、今まで長く見てきた少年の中でも、靴ひもがまともに結べない少年は初めてかも知れない。

少年たちは水を豊富に消費するので、歩き始めてすぐに金玉水で水を補給する。ザックなんて下ろさずに補給すれば無駄な時間のロスはないのだが、皆ザックを下ろして休憩モードである。中岳(標高1812m)・西朝日岳(1814m)あたりはピークで1800m台に乗るが、アップダウンは標高差にして100mほど。晴れていれば気分も乗ろうというものだが、景色が見えない上に、私は最後尾なのでストップが多くてそちらの方が辛い。朝日連峰は標高が2000mに満たないので、もっと樹林帯の多い山域かと思っていたが、前日の銀玉水から先はほとんど北アルプスや南アルプスの稜線を歩いているようだ。ハイマツ帯や花崗岩の岩、高山植物の豊富さなど、実際の標高に見合わないスケールがある。縦走路のアップダウンも南アルプスのようなすごさ(標高差300mダウン、400mアップなど)はないが、縦走路から見る谷の深さ、そこまでの斜度は想像以上で、見下ろす雪渓もあちらこちらにあり、東北の悠然とした山の雰囲気とはずいぶん違う。

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西朝日岳方面へ

西朝日岳を大きく下って登り返すと竜門山(1688m)で、竜門小屋の管理人の方が刈り払い作業をしていた。竜門小屋の前で休憩(もう12時近くになっていた)を取り、1600m近くまで下って寒江山(1695m)に登り返す。ここも鞍部から山頂まで標高差100m程度なのだが、登りになると年少者のペースがガクンと落ち、全体的にスローダウンしてなかなか捗らない。我々を抜かしていく登山者はほぼ皆無で、すれ違う人も単独者が2〜3人なので、幸いどこで休憩を取っても迷惑にはならない。それだけ山深く、百名山ハンターのピストン山行とは無縁の世界だということだ。

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ハクサンシャジン
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ウスユキソウ
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チングルマ

北寒江山(標高1658m)に登り詰めれば、この日の登りは終わり。三方境(1591m)で進路を左にとり、砂礫の道を下って狐穴小屋にたどり着く。歩きながら朝日連峰の主稜線縦走路から四方に延びる支脈の登山路も多いことに気付かされた。北寒江山からは相模山を経て新潟県村上市の三面にのびる稜線上のルートがあるし、三方境からは天狗角力取山なんていう名前の山を経て山形県西川町に下るルートがある。竜門山からは日暮沢ルートがあり、大朝日岳に突き上げるルートも四方八方からある。しかし以東岳からは大鳥池を経て泡滝ダムまでルートは決まってしまう。狐穴小屋から先はエスケープルートがないということだ。

狐穴小屋には先客が一人もいなかった。管理人の方は非常に気さくな方で、具志堅用高の髪をロン毛にして茶髪にしたような風貌だ。ソーラーパネルを解体中の以東小屋から分けてもらって無線機を充電していたり、翌日も以東小屋から廃材を分けてもらいに背負子・長靴・ヘルメットのいでたちで颯爽と稜線を駆け抜けていった。一月以上も奥深い山中で自炊しながら小屋の管理をするのは大変なことだ。

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狐穴小屋と周辺

狐穴小屋周辺は水が非常に豊富で、おのおの清水を使って身体を冷やし汗を流した。小屋のトイレも水洗でロールペーパーは流せる。小用をしても驚くほど水が流れるので驚くが、排泄物と汚染水はどのように処理されるのだろうか?気になる。夕方、泡滝ダムから登ってきたという単独者が2人小屋に入ったが、それでこの日の夜は終了。1階に少年たちが、2階に私と同僚、後から来た単独者の4人が寝た。この日は小屋内で相撲中継が聞けた。というか、管理人がラジオをかけっぱなしにしていたので聞こえる。13日目、稀勢の里が3敗目を喫し、管理人とともに悔しがる。ちなみに携帯は窓の外に持った手を出せばつながる。

23日 朝から快晴である。1500mの狐穴小屋から1771mの以東岳がドーンと見えるが、あの高さまで少年たちは苦労するだろうなと思うと少し気が重い。北にはイメージよりややピラミダルに見える月山と、その向こうに鳥海山である。目の前の稜線からは滝雲がガンガン流れている。歩き始めて振り返ると大朝日岳の△が遠くに見え、ずいぶん歩いたことを実感する。左手方向にはうっすらと市街地が見えるが、おそらく村上市だろう。かすかに海岸線も見える。
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以東岳
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滝雲の向こうに月山
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鳥海山
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縦走路を振り返る(奥の小さい△が大朝日岳)
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ミヤマリンドウ

やはり以東岳までいくつかのアップダウンがあり、年少者のへばりに合わせるので苦労する。ジリジリと熱くなってきた。狐穴小屋の管理人さんに抜かれ、あっという間にかれはケシ粒のようになってしまった。以東岳から歩いてくる登山者とすれ違うが、やはり数人。以東岳山頂には11時頃到着、約4時間を要した。以東小屋の解体工事はヘリで資材を運んでいるので、頻繁にヘリがやってくる。
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以東小屋解体工事
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大鳥池が見えた

ここからはオツボ峰を通る稜線迂回ルートで大鳥池に下る。「山と高原地図」では以東岳山頂からオツボ峰まで30分と書かれているが、アップダウンと岩場とザレた右下がり斜面のトラバースが多くて、とてもコースタイム通りには行かない。オツボ峰を越えると伸びやかな広い稜線になって歩きやすくなる。あとは尾根の下降。それでも一部は急下降な部類で、直登ルートを下ったらどうなるんだろうかと思う。14時過ぎに大鳥池のタキタロウ小屋着。キャンプ指定地がここにはあるので、今までザックの容積を狭めていたテントが初めて活躍する。おそらく個人山行だったら1回しか使わないテントは持たず、最後まで小屋泊だろう。テン場は一面草地で、風も弱く張りやすくてよいのだが、時間帯が暑い時間帯なので日陰を探すと難しい。

今回持ってきたテントはおニューのテント、カミナドーム2である。今までのメインテント、エアライズ2は20年近く使ったし、2年前の神津島で潮を被ってから勝手がよくなくなっていた。いろいろ悩んだ結果、今まで使ってきたメーカー(アライテント、ダンロップ、BD、ヘリテイジ、MSR、ニーモなど)のものでなく、敢えて新参テントを購入することにした。持っていくときに他メーカーのテントと間違えないことも重要である。これから長く使っていくつもりで、その中で長所と短所を見極めていきたい。今回、入口が短辺側から長辺側になったことが最大の違いで、外気を入れやすいがその分虫も入りやすい。エアライズ2とサイズには大きな変化はない。ただしカミナドームの方がテント頂点の傾斜が緩くなっていてテント内部では空間が広く感じるということと、室内にループが多くあって半濡れ物をカラビナを使ってぶら下げるのに都合がいいということ、テントを固定するガイラインの自在が蓄光プラスチックであるということが今までに気付いた変化だろうか。
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大鳥池に映る以東岳の一部

24日 下山である。今までのコースタイムオーバーを折り込んで6時出発としていたが、案の定準備に時間がかかり6時40分出発となった。おかげで9時30分に予約していたタクシーに10時過ぎまで待ってもらうことになってしまった。
下山路は初めつづら折れの下降で、いたるところに水場があって冷たい水を飲むことができる。沢のレベルまで降りると斜度が緩み歩きやすくなるが、ところどころで豪雨による崩壊地があって安楽ではない。つり橋が2箇所あるが、やや貧弱であった。少年たちが最後までケガなく降りきれるか心配は尽きなかった。不安要素が最も大きい年少者は転んで大泣きしていたが、もう年長の少年たちは鬼軍曹となって励まし続け、最後まで自分のザックを背負わせた。エライ。

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水浴びしたくなる滝

無事下山し、またまたタクシーを使うしか公共交通機関で訪れた者にとっては手段がない。朝日連峰はこんなに素晴らしい山なのに、バス便が減らされ、廃止に追い込まれている。タクシーを使えば左沢駅からも鶴岡駅からも軽く1万円を超えてしまう。近年は学生のパーティ登山もめっきり減り、中高年の少人数登山や単独者が中心なので、学生に比べれば余裕があるとはいえ、個人でタクシー代を負担するのは非常にきつい。山ブームとはいえ、人が多く集まるのはごく一部の山だけだ。東北の朝日連峰や飯豊連峰など、一部に百名山を含むがそれ以外は本当の山好きしか行かないような山域は今後もますますアクセスしにくくなっていくだろう。スルーハイクを試みる場合には登山口まで、また下山口からの交通手段が最大のネックになる。考え込んでしまう。

しかし、行きたいという欲求はなかなか抑えきれない。この夏、近いうちに(8月初め)飯豊連峰の主稜線縦走を山中避難小屋3泊で考えいている。今度は一緒に行ってくれる友達もいないので、単独になる。会津若松・喜多方あたりから弥平四郎登山口へのアクセスは野沢駅からのタクシーを利用することにしようと思っている。おそらく1万円前後するはずだ。下山は奥胎内を考えているが、午後の乗り合いタクシーを利用して下山口から奥胎内ヒュッテに行くとしても、奥胎内ヒュッテから中条駅までのバス便はない。またタクシーで大枚はたいて移動しなくてはならない。財布は寒くなるが、行きたいものは行きたいのである。
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三岩岳・窓明山 直登と急下降

1週間前の安達太良山で筋肉痛が出なかったので、気を良くして翌週単独で登山することにした。筋肉痛が出なかったのは下りの大部分をロープウェイに頼ったからに相違ないのだが、現金なものでやる気だけは出てしまった。そろそろ、今まで行きたくても行かれなかった山は日和らずに行くことにしたいと思い始めるまでに至った。今年の夏は飯豊全山縦走か北ア裏銀座+笠ケ岳のどちらかをやってしまいたい気分である。

で、今まで行くことを繰り延べてきた山の第一弾は南会津町の三岩岳である。いつかスキーで登って滑りたいとずっと思っていたし、会津高原高畑スキー場をマイゲレンデにしている関係で行くたびに見つめている。そんな山に無雪期に登ったらどうなのか?無雪期の三岩岳登山もここのところずっと頭の中にあった。昨年の夏に仕事山行が尾瀬で、その帰りに登ってしまおうかと思っていたが、仕事は仕事として終わらせてまっすぐ帰ることにしたので繰り延べにしていた。

さて、地形図や先達のブログなどを見ると登山道がとても急らしい。標高差約1200mの三岩岳登山道だが、2本の登山路のうち、「国体コース」「旧道」などと言われている尾根コースが容赦ないようだ。できればこの道を選択したくはないが、問い合わせてみたら「新道」「黒檜沢コース」は何年か前の出水の被害で橋が流されて以後整備が行われていないらしい。一方で国体コースの方は6月26日の山開きに備えて数日前に整備がされているという。それではキッツイ登りのコースを歩いた方が無難だ。

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今回の装備は日帰り山スキー用の30Lザック(ドイター・フリーライダー30。最近加水分解でコーティングが剥がれてきている)。ツェルトやロングスパッツ、軽アイゼン(雪があったとしても少ないことはわかっていたので4本爪)なども持っていったが、雨具も含め使うことがなかった。急登に備えてプラティパスに2Lの水を入れていき、ハイドレーションシステムを用いたが、結局水は1L飲み、梅味のついたペットボトル飲料を500ml飲み干した。ピンチの状態が全くなかったので、ザックは行動食を取り出す以外に塗り直しの日焼け止めと虫よけハッカ油を取り出すだけしか用がなかった。

足回りは軽登山靴で、荷が軽いのでアディダスのテレックスファストRミッドを使った。この登山靴、ゴアテックスで軽量なのだが、シューレースがクイックレースで、登りはいいとしても下りでつま先を余らせて足首を締め込むのを怠り、下山途中でつま先が痛くなった。下山途中でしっかり締め込んでみたが、それでも急下降ではつま先に余裕がなく、足首を思いっきり締め込むと足首が痛くなり、歩いている途中で微妙なゆるみもあるようだ。靴底のグリップはとてもいいのだが、手でヒモを縛れた方が自分にはしっくり来る。



土曜日の夜に自宅を出て、道の駅「番屋」で車中泊する。真っ暗でろくに車も通らない中山峠を下って11時前に到着したら、駐車場には多くの車が止まっていた(釣りだろうか、登山だろうか?)。何とか1台分のスペースを見つけ、窓に目張りをして眠った。

翌朝5時起きして朝食とトイレを済ませ、登山口に向かう。会津高原高畑スキー場を過ぎて、閉鎖されてしまった「窓明の湯」への入口に登山届のポストがあるので届けを投函し、国体コースの登山口に近い路側帯まで戻って駐車、6時15分から歩き始めた。黒檜沢コースならば登山届けポストのあるシェードの上から始まる。

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登山口

すぐに急登が始まり、斜度が緩くならないまま高度を稼いでいく。無線中継アンテナでちょっとだけ斜度が緩んだが、急登は繰り返す。三岩岳の三ツ岩がときどき見えるが、まだまだ高度差は大きく、しだいにふくらはぎとアキレス腱が痛くなってくる。

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写真で見るより実際は急に感じる
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三ツ岩展望

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ところどころに金属板の案内がある

7時35分に沢コースとの合流点にたどり着いた。ここから緩くなるかと思いきや、1700mまではキツイ直登だ。ときどき登山道脇の曲がった木の幹に腰掛けて短時間の休憩を取りつつ、急登をこなし、湿原があらわれた。ハクサンコザクラの群落があった。1800mを少し越えた避難小屋にたどり着いたのは8時55分。ここまで標高差1000m強あったが、3時間かからなかった。上出来だ。まだ山開き前だからなのか、小屋には施錠してあり、外のベンチで行動食を食べる。ハエやブヨがまとわりついてうるさい。そこそこにして三岩岳山頂を目指した。ときどき息を整えないと厳しい。ここまで飛ばし過ぎたか?

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避難小屋手前の湿原
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避難小屋

三ツ岩が目の前に迫り山頂はもうすぐかと思ったら、もう少し高度を稼がないと山頂には着かないようだ。山頂には9時30分着、先行者が2名いた。
山頂からは大戸沢岳や会津駒、中門岳がよく見え、残雪もまだらにあるのが見える。近そうなのだが、夏道はない。たぶん会津駒山頂は混んでいるだろうが、三岩岳は静かな山だ。日曜日にこれだけ歩いて2名にしか会わないとは。

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大戸沢岳への稜線と会津駒
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三岩岳山頂のプレートは素朴そのもの

風で身体が冷えるので、行動食を食べて先行者が下り始めた後に自分も下りに入る。登ってくる人1名とすれ違った。彼もここまで全く人に出会わなかったらしい。避難小屋のすぐ上にある窓明山への分岐を折れ、踏み跡がやや少ない稜線を下る。山頂で会った先行者2名はここまでに抜いてしまった。下りきったら木道のある湿原だ。上からは池も見えたのだが、登山道はその脇を通ってはいないようだ。ワタスゲが咲いていたので写真におさめ、登りにかかる。稜線上にルートがあるのだが、ところどころ右側がザレて崩壊しており、少し慎重になる。標高差120mを登りきったら下山ルートとの分岐点で、窓明山山頂はそのすぐ上にある。振り返ると三岩岳がどっしりと構えている。窓明山山頂着は11時ちょうど。アンパンとパウンドケーキを食べて休憩するが、途中で抜いた人がいっこうに来ない。一人で山頂を独占するのは気分がいいが、寂しい。
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ハクサンコザクラ
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窓明山方面の稜線
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イワカガミに似てますが何ですかね?
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木道に沿ってワタスゲ
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なんだかとても鮮やかな色のツツジ
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三岩岳を振り返るとどっしり

下山にかかる。窓明山に向かう過程で尾根の斜度はわかったのだが、あまりにまっすぐ下っているので思った以上に急下降である。会津駒も尾根道が急だけれど、ここまで急ではない。三岩岳と窓明山にはつづら折れの登山道がほとんどなく、下りは登山靴のつま先を余らせて足首できつく靴ひもを縛らないとつま先を痛めてしまう。山頂で締め込んだはずなのだがもう痛い。尾根道が標高の高い方から笹・ブナ・松の樹林帯なので、幸い岩も少なく脚とヒザに優しい道なのだが、この急下降はさすがに参る。

家向山は地形図によると山頂まで行かずに手前のピーク直下の1490mあたりで巻き道になるはずなのだが、高度計は1500mを越えていた。そして登山道は手前の1520mピークを通過していたように思えた。1420mの鞍部からちょっと登ればトラバースなどと高を括っていて、結局標高差100m以上を登らされて息も絶え絶えだ。家向山への分岐など全く気付かなかったが、あとから振り返ってみるとトラロープが張られた向こう側がそのようで、山頂へは行かれないらしい。

その後も斜度は急になったり緩んだり。比較的斜度が緩み倒木が脇にあるようなところで腰を下ろすのだが、ザックを下ろすと熊鈴が鳴らなくなり、いつ熊が出てくるかと心の隅でおびえているので、あまりじっくりと休憩ができない。そのうちまた急下降になり、ますます休めない。家向山から巽沢山まで30分、巽沢山から国道まで30分と案内板にはあったが、コケないように歩幅を小刻みに下るので30分で下れるほど甘い道ではない。結局40分近くはかかる。

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巽沢山の三角点

最後に巽沢山山頂でちゃんと腰を下ろして休み、細い尾根の急下降にかかった。カニ歩きでないとこなせないような下山路で、右脚の外側の筋が痛くなってきた。これから帰りの運転もあるのに〜!国道を通る車やバイクの音が近づいてきて、でも高度計の数値を信じればまだもう少しあるだろうなと思っていたら国道が見えた。最後にやっと申し訳程度のつづら折れとなり、崩壊地を右手に見ながら降りたら国道脇の伐採箇所に出た。国道を200mほど歩けば駐車ポイントだ。到着13時。7時間で歩ききった。高度計は気圧が下がってきたために実際より高く表示していたようだ。家向山手前で見た標高と地形図の食い違いもそういうことだったのかも知れない。確かに窓明山からの樹林帯の下降では若干暗く感じていた。雨雲も出てきている。雨が降る前に終えることができてとてもラッキーな山行でもあったようだ。

帰りは冬の高畑スキー場からの帰りと同様に湯ノ花温泉で200円の共同湯に浸かった。いつも入浴券を買っている星商店前のスペースに何台もの車が駐車していて状況が冬とはだいぶ違う。星商店のお母さんに聞いたら七ヶ岳の山開きがあったそうで、下山後に湯ノ花温泉に立ち寄る人が多いそうだ。積雪期には渡れない渓流を木橋で渡って、今回は初めて「石湯」に入った。もちろん、シャンプーやボディーソープは置いていない。汗を湯で流して浸かるだけ。湯温は結構熱かった。道の駅「番屋」で蕎麦をおやつ代わりに食べ、中山峠に向かったら峠は雨になった。予報よりも早く天気が崩れているようだ。

いつもの西那須野塩原インターから東北道に乗ったが、北関東道とのジャンクションで軽い渋滞、佐野SAから先が激しく渋滞しているようなので、佐野SAから下道に降りた。藤岡から渡良瀬遊水池の脇を通って茨城県の五霞町を通り、新4号バイパスを使ったらスムーズに流れていた。そのまま4号線を千住まで走って帰宅は8時過ぎ。右脚は固まっていた。今回はどうやら筋肉痛が出そうだ。さらにアームカバーの上からヒジの裏を刺したブヨのかゆみはしばらく引きそうにない。ある意味くまタンには出会うよりもブヨの方がいやらしいかも知れない。
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あだたら山ふたたび

ひさしぶりに安達太良山に仕事山行で登った。この山の最初の登山は子連れで一番易しいルート(ロープウェイから山頂、くろがね小屋経由で奥岳温泉へ下山)を使い、2度目は仕事山行でその逆ルートを登り、ロープウェイを使わずに降りた。

3度目の登山は塩沢温泉から僧悟台を経由して箕輪山と鉄山の間の笹平という鞍部に登り、稜線を鉄山から安達太良山に歩き、下りはバスの時間からロープウェイを使った。少し縦走っぽい歩きになり、風景の変化も大きいいいルートだと思ったが、肝心の安達太良山山頂部分だけがものすごい人出で閉口した。

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11日土曜日のお昼までの仕事を終え、新幹線を使って郡山経由で二本松まで。ここで朝から各駅を使ってたどり着いた青少年7名と合流。17時28分の塩沢温泉行きバスに乗り、塩沢温泉青木荘で素泊まり。布団で寝られるのはありがたいが、4,000円ほどかかるので、温泉にはしっかり入らせてもらった。夜中、なぜかとんでもない時間に一人の少年の携帯アラームが鳴り、それをいつまでも止めない上に、夜中に何度もアラームがなって同じ状況を繰り返したのでほとんど寝られなかった。普段はラジオで耳栓をするのだが電波が入らず断念していたので、大変苦痛。やはりテントの方が夜は平和だ。

早朝4時起きでカロリーの低い朝食(ロールパン1個と粉末スープ)ではもちろん不足なので持参したパンケーキをひとつ食べ、5時前に出発。塩沢温泉スキー場のベースを横切ってすぐに沢を渡り、急登に入る。体調の悪い少年もいたのでゆっくり休憩を取りながら高度を上げ、1100mくらいまでくると斜度がゆるくなる。僧悟台の緩斜面に入った。そのまま1400mくらいまでゆるゆると登り、一つ尾根を越えるとあとは2〜3本ほどの沢をトラバースして雪田を横目に見つつ、稜線上の笹平となる。樹高が低くなったので日が当たって大変暑くなった。

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僧悟台から振り返ると雲海が
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少雪の冬だったのに標高1600m弱の部分に雪田が残る

鉄山までは笹平から標高差100mで、一つ台地を越えると広々したガレ場の向こうに鉄山避難小屋が見え、磐梯山や秋元湖、吾妻連峰などがよく見えるようになった。休憩をはさんで鉄山山頂に達し、山頂を巻くように右手に沼の平を見ながら歩けばどんどん安達太良山の山頂部「乳首」が近づいてくる。ガスも出ていなくて、直下のくろがね小屋もよく見え、天気は上々だ。

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鉄山避難小屋(トイレなし、水なしだが20人くらいは入れそう)
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火山活動の痕跡が色に現れる沼の平の向こうに磐梯山が見えた
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鉄山を振り返る
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乳首といわれる安達太良山頂

しかし、山頂直下の肩にたどり着いたらものすごい人の数だ。さらにロープウェイ方面から続々と登ってくる。たった2回しか来てはいないが、過去にこんなに山頂が混んでいたのを見たことはない。最近の登山ブームのせいなのか、ロープウェイを使うと簡単に登れる山だからなのか?
山頂に行く気は失せ、少年数名が証拠写真を撮りに登ったのみで下山にかかった。

下山しながらも多くの団体さんとすれ違う。茨城県からの中学生の団体は特にすごい数だった。
普段はロープウェイのような機械力に頼らないのがモットーなのだが、いかんせん奥岳温泉から岳温泉まで下るバスが11時台に1本と14時台に1本しかない(そのくせ「シャトルバス」ってどういうこと?)。スキー場を歩いて下山すると11時台のバスには間に合わない。私などは14時台のバスに間に合うように歩いたらいいのではないかと思うのだが、計画を立てるとそれに固執してしまうのか、少年たちはロープウェイで下山する方を選択した。スキー場を延々降りるのは確かに苦痛だし、面白くはない。まあ仕方がないところか。

ロープウェイで下山すると暑く、岳温泉はさらに暑く、二本松駅前は暑さのピークだった。バスではあまり寝られない私だが、さすがに昨夜のアラーム事件でうたた寝してしまう。帰りの新幹線でも眠くて、せっかくザックから取り出した本も読めなかった。下山が早かったので、半分寝ているうちに夕方17時前に帰宅できた。それにしても少年たちのバスや列車の切符購入の手際の悪さは毎度あきれるし、せっかく日が長い時期に山へ行ったのだからもう少し自然を楽しんで帰ってきたらどうだろうと思う。
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仕事キャンプで小豆島

2009年のMacBookではあまりに仕事が非効率なので7年ぶりに新しいMacBookを購入した。
今回はApple純正の整備済み品(ようするに中古品だがその質は新品同様)から13インチディスプレイのMacBook Pro(15年春発売のモデルなので最新。その中でも最もスペックのいいもの)を選択した。新品を買うよりも3万円は安かった。

前のMacBook Proからデータを移行して、ソフトを立ち上げてみるが、速いのなんのって。嬉しい。
で、試しにブログの記事をアップしてみることにした。前のマシンではブログ作成ソフトで作成したエントリだけでなくカテゴリーやらタグやらで分類されたファイルをまとめてアップデートすることができず、いちいちファイルを書き出して、呪文のような名前のファイルを探し出し、FTPソフトで一つ一つアップしていたというクソ面倒くささがあり、記事を書く気力すら失われた。おまけにDreamweaverも不可解な動きをしてうまくいかない(ソフトメーカーがとっくの昔に動作を保証していないので当然だが)ためにブログの記事作りはとてもイライラする作業だった。今回はどうだろう?



さて、春の仕事山行は山行ではなくて島巡りがもっぱらである。一応、山のある島へ行き、日帰り登山はするのだが、今回は瀬戸内海の小豆島での2泊のキャンプとなった。移動はフェリーと新幹線。高速バスは最近いろいろ問題があったし、JRの夜行快速も極めて少ない。若人が安く旅をするには本当に辛い時代になってしまった。新幹線ばっかり通せばいいってもんじゃないぞ!

若人と合流するために、大人の(交通費が支給される)私は新幹線で岡山まで行き、新岡山港から土庄行きフェリーに乗った。土庄は子牛のような格好をした小豆島の首筋の位置にあたる島内最大の町だ。昼食を観光センターで済ませ、1時間ほどバスを待ち、小豆島の路線バス(オリーブバス)で池田という集落まで行った。オリーブバスは3月20日に時刻表を改定しさらに料金まで改定したようで、どこまで乗っても300円という破格の運賃である。乗り換え時も乗り換えチケットをもらえば300円で済む。これは都バスなどでも参考にして欲しい。ちなみに、私は小銭を用意するのが面倒なので2日間フリーパスという券を購入した。1500円で二日間乗り放題だ。将商の距離を5回乗れば元が取れる。これが大変重宝した。

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新岡山港にて。瀬戸内海のフェリーは生活路線で味わいがある。

ちょうど小豆島と隣の豊島とミュージアムで有名な直島などで瀬戸内国際芸術祭が始まっていて、観光客は多め。若い女性2人組とか、カップルとか、若い人がバスに乗り込んでくる。バスの車窓から立派なホテルがいくつも見えて、観光の島なんだなと思う。そんなところで我々は極貧キャンプ生活である。

牛の形の小豆島の前脚の前の付け根にあたるところが池田集落で、そこから海岸線を20分ほど歩いたところがキャンプ場だ。三都半島といわれるところ(牛の前脚部分)へ入ると、バスはほとんど来ない。

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小豆島町は大阪場所で活躍した琴勇輝関の出身地となっている。

若人と合流してその日の午後はキャンプ場の近くをフラフラしただけで終わった。

翌日、バスを乗り継いで寒霞渓に向かった。小豆島の最高地点、星ヶ城まで歩いて登る。登山道というよりは奇岩を愛でながら歩く遊歩道があって、そこを歩いて登る。傾斜は結構あるし、普通の観光客はロープウェイで登ってしまうので歩いている人は見かけない。途中で猿の群れが騒いでいた。ロープウェイ乗り場の標高300mから歩いて600mのロープウェイ頂上を経て、820mの星ヶ城までだいたい1時間40分ほどだったと思う。頂上の烽火台の石組が素晴らしかった。

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奇岩と穏やかな海
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星ヶ城頂上の烽火台

下山は景色を楽しむためにロープウェイに乗った。軟弱な山行だが、乗っているときの自動アナウンスで、このロープウェイができたのは私が生まれたのと同じ年、同じ月だということが判明して妙に親近感を持った。ともに老朽化しているが、まだ人生半ばだ。

バスでキャンプ地に戻ったのが13時頃で、ヒマを持て余したのでバスのフリーパスを有効に使って無駄にバスを乗り継いでみた。島の最も東北にある福田港までバスに乗って車窓から絶景を眺め、折り返して途中下車して坂手港へ行き、夕方の閑散とした港町を歩いた。国際芸術祭のオブジェも発見した。帰路にまた下車して夕食を食べ、キャンプ場に19時頃戻る。小豆島の食堂は昼が中心で夕方から夜にかけて営業している店を探すのが難しい。若人も最初は外食すると言っていたのだが、結局食事処を見つけられずにお土産として売っていたそうめんをゆでて食っていた。

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坂手港にあったオブジェ。ゆっくり回っていた。

最終日は北風が吹いて寒かった。テントを順調に撤収して池田まで歩き、バスに乗って土庄フェリーターミナルまで移動して岡山までフェリー、その後新幹線である。なかなか時間がかかるもので、東京にたどり着いたのは夕方であった。

仕事とは言え、たった2泊3日で帰ってくるのはもったいないと思える瀬戸内の島旅だった。
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年末登山と初滑り

12月20〜23日、仕事山行で琵琶湖のほとりのキャンプ場をベースに比良岳付近を歩き、湖畔を近江高島まで歩いた。

20日は各駅列車を使って移動。私だけ三島まで特急踊り子号を使わせてもらったが、あとは小刻みに静岡、浜松、豊橋、米原、山科で乗り換えてキャンプ場のある志賀駅に18時前に降り立った。もう日はとうに暮れ、青柳浜キャンプ場にたどり着いてからテント設営と夕食作りとなるが、琵琶湖畔は盆地地形だから冷気が湖畔まで下がってくるのか、寒い。所有シュラフの中で一番厚手の−15度対応にシュラフカバーをかぶせ、さらに3/4ダウンパンツと化繊インサレーションジャケットを着込んで寝た。夜半から雨が降り、朝起きたら結露が激しかった。
2015-12-20
踊り子号に乗るのは初めて

21日、雨なので軟弱に停滞するつもりでいたが、登山するというのでレインウェアを着込んで7時30分に出発。下山に琵琶湖バレイスキー場のゴンドラを使うことはできない(営業開始延期のため)ので、長い歩きになる。湖西バイパスをくぐったあたりで地図と道路のつき方が違い、少し悩む。その後は順調に荒川峠まで詰め、鳥谷山(1076m)への縦走路に入る。うっすら雪があり、足跡らしきものもあるがところどころ不明瞭な個所もあってルートファインディングに気を使う。葛川峠、比良岳の肩を経て木戸峠で少し遅い昼食タイム。目の前にスキー場の末端と止まったままのリフト、シーズン終了で閉鎖されたキャンプ場があって、とてもうら寂しい光景だ。そのままスキー場のコースを登って、ゴンドラ山頂駅のある打身山(1108m)にたどり着くが、スキー場は営業しておらず、ゴンドラの試運転が行われているのみ。ここで下山ルートがわからなくなる。「山と高原地図」のルート表示や地形図の表現がわかりにくく(相当拡大すればわかるが)、迷いに迷った揚げ句、ゴンドラの試運転をしている係の人を山頂駅内に入り込んで尋ねて下山ルートがわかった。リフト乗り場の脇に下山ルートがあったのだ。雨で視界も悪く、人工物があると余計ルートが見つからないことがあるが、その典型例だ。
下山途中に雨も止み、琵琶湖の風景を眺めながら下山した。幸いこの日は雨は降らず、テントの結露もほとんどなかった。
2015-12-21

22日、計画では蓬莱山に登る予定だったが、蓬莱山山頂自体がスキー場の末端にあり、また同じようなつまらないピークを踏むよりは、せっかく琵琶湖に来たのだから湖畔歩きをしてはどうかとアドバイスしたら、結局そういうことになった。若者たちは荷が軽いとペースが速く、味わって登るということができないから、たまには趣向を変えて風景や歴史的遺物を見ながら歩くことも重要だ。20kmくらいは歩けるだろうと、なるべく湖を右手に見られるルートで歩いた。志賀から近江舞子あたりまでは会社の保養施設や別荘、湖水浴客のための宿泊所が多く、歩いていて楽しいところだ。北小松駅あたりで一時雨が降り、駅舎内で雨宿りする。その後は山と湖岸が接近するのでどうしても国道沿いを歩かなければならないが、古い神社があったり、石仏像があったりして歴史を感じられる。13時近くにガリバーの銅像が立つ近江高島駅までたどり着いた。湖西に12月末を利用して仕事山行に来たのは二度目だ。その時の地図の発行年を見ると06年だから、もう10年前になる。確かその時は近江高島駅に降り立ち、ガリバー村という施設から山に入って広川をベースに武奈ヶ岳や堂満岳へ行ったような気がする。

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23日、帰京の日だが、帰りも各駅停車を乗り継ぐ予定なので朝5時起きで7時過ぎの列車に乗る。さすがに帰りも各駅停車では辛いので、同僚に後事を託し、岐阜までは同行したが私だけ岐阜駅に降り、岐阜の大学にいる次男坊と昼飯を食ってから新幹線で帰ることにした。新幹線「のぞみ」の自由席は混みそうなので、あえて「ひかり」の自由席を選択したが、それでも短時間で着いてしまった。人力旅行をした後の新幹線や飛行機は空しい。



26日、例年参加しているテレマーク仲間とのスキー合宿のため、妙高方面へ向かった。今年で合宿は20回目らしい。記念すべきそのシーズンインにあたって、雪がない。どこもかしこも雪が無く、北信・上越地域では志賀高原の一部、野沢温泉の上部、そして戸隠の一部、赤倉温泉スキー場のヨーデルゲレンデくらいしか開いていない。志賀・野沢はビッグゲレンデなので混むことが予想され、雪のあるピステまでの移動に相当な時間がかかることが予想される。赤倉のヨーデルも下からのアクセスリフトが動いているかあやしい。ということで、私の発案で戸隠スキー場に決定した。駐車場が目の前で、コースは2コースだけで人工雪だが、お昼にソバが食べられ、リフト券も50歳以上のシニア券が2300円というのがポイントだ。
滑り出してみると、子供のスクールからSAJのイントラ講習まで同じ人工雪の硬いねじれ斜面のコースに集中するので滑りにくい上にエッジが効かないのだが、初滑りの練習には十分だ。硬いバーンは足腰に来るので無理はせず、早くに昼を食べ、十分に休憩を取った。戸隠そばを食うつもりで来たのだが、あまりに空腹になってしまい、豚汁定食に浮気して失敗した。


26日夜にみなでフィギュアスケートを観ているうちに雪が降ってきた。期待が膨らむ。朝までに20〜30cmは降ったが、宿近くの池の平スキー場は下のリフト2本しか動かず、アカカンはゴンドラと上部1本しか動かない。5本のリフトを動かすという赤倉温泉スキー場に移動することにした。しかし、普段赤倉温泉スキー場の方へは足を伸ばさなくなってしまったので、駐車場の場所からリフトの場所、コースのつながり具合の情報に皆が暗い。ヨーデルゲレンデのメインコースはボーダーがところ構わず座っていて自由に滑れない。脇の新雪に入っても緩斜面過ぎ、たいして面白くはない。午前中はヨーデル上部の関見の短いリフトを使って各自練習した。
昼食の問題は大きかった。まだレストランが1ヵ所しか開いていず、ものすごい集中が起こっていた。あきらめて下へ行って温泉街で食べようと思っていたら、下山コース途中に一軒の店があり、ゆったり食事することができた。これは助かった。
雪の降り方もかなりのもので、15時に終わって自分の車にたどり着いたら、積雪量は15cmくらいだったが風による雪庇ができていた。できる限り雪は落としたのだが、帰りの高速道路で普通はすべて水になる雪が、東京に戻って給油がてら洗車機にかけた後もルーフに残っていた。東京もかなり冷え込んだということか。

やっとスキーシーズンが始動したが、まだまだ少雪でオープンできないゲレンデもある。今シーズンもマイゲレンデとする予定の会津高畑もその一つだ。せっかく9,800円という破格でシーズン券を買ったのに、まだ引き換えハガキと交換できないでいる。
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御岳山と日の出山

11月15日、朝は雨だったが、仕事で青梅の川井まで行かなければならなかった。気分は憂鬱。朝5時半に家をでないと予定時刻に間に合わない。

が、青梅に着いたら雨が上がり、9時過ぎに川苔山(川乗山)登山にかえて丹三郎コースから御岳山に向かって歩き始めたら、晴れ間も少しずつ見えてきた。御岳山頂上では東京都心方面の眺望ががバッチリ。
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御岳山神社から都心を望む

参道で「くるみそば」を食し、後事を同僚に託して12時45分から久しぶりに単独で歩いて下山する。御岳山から日の出山に向かい、軍畑駅まで歩いた。晴れ間も見えていたはずなのに稜線上で天気雨になり、虹を途中見た。

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谷間にかかる虹

日曜日なのに雨の予報だったせいか登山客も少なく、気分よく歩けた。15時に軍畑駅に着いたらちょうど青梅行きの電車がホームに入ってきた。ラッキーであった。

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軍畑大橋から多摩川上流を望む

先日、神保町の登山洋品店のリニューアルで破格に安かったメリノウールのインナーをメッシュ下着の上に着たが、なるほど身体は冷えにくかった。ただし、汗の乾きは化繊よりも遅い。これもカタログ通りだが。
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桜満開・運河カヤックなど

3月は年度末で忙しい上になかなか週末も空かず、吐月工房氏ご夫妻とかたしな高原でゲレンデスキーをやったのみで過ぎてしまった。なかなかうまくいかないものだ。

恒例の春の仕事山行(島巡り)は神津島。行きの船は揺れもせず快適だったが、初日夜に雷雨。翌日は天上山に登山。次第に風が強まってきた。夕方には強い西風で島の西海岸に面し波打ち際から30mほど、高低差も5mほどに張ったテントが揺さぶられ、最終日の朝起きてみたらフライシートに塩がベットリ霜のように張り付いていた。波しぶきが強い風に飛ばされてテントに吹きつけたようだ。
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天上山頂上にある「砂漠」

帰りの船は風を避けて島の東海岸から。そこへ島を横断して行くのに村営バスを使うのだが、バスが14人乗りのハイエースで、乗客が14人をわずかにオーバーした。観光協会の方が荷物用のワンボックスを出してくれ、そこに私ともう一人の男性が乗って事無きを得た。
3月末は島から出る学生の見送りが盛大に行われる。見送った学生たちがテープを投げるのはもちろんだが、男子学生の一人が桟橋から飛び込んだ。高さが3〜4mある桟橋からの彼の飛び込みはとても美しかった。
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多幸湾から見上げる天上山


仕事山行が終わって年度末の仕事を片づけたところで次男の引っ越し。彼もついに親元から巣立って行く日が来た。荷物も少ないし、彼が住む寮(借り上げアパート)も一度見ておきたかったので、ハイエースDXを借りて岐阜まで往復した。往路は雨がちだったが、帰りは快晴だった。中央道の西半分を久しぶりに走ったが、中津川あたりからは御岳や恵那山、飯田に抜けてからは南アルプスと中央アルプスが鮮明に見えた。一昨年縦走した荒川三山と赤石岳が白く輝き、塩見岳が南アルプスの中央で孤高を保っている。白根三山や仙丈ヶ岳も見えた。四半世紀前、女房は駒ケ根で働いていて、私も何度か駒ケ根にオートバイで行ったことがあった。懐かしさもあって駒ケ根インターで降り、天竜川を渡ってかつての女房の職場を見て、火山峠を越えて高遠へ向かった。天竜川の東側の河岸段丘から見る中央アルプスも絶景だった。そのまま杖突峠を越えて八ケ岳と甲斐駒、富士山を眺めながら再び中央道に乗った。

さて、タイトルの件だが、天気予報をにらんで4月2日に運河を漕ぐことにした。大横川の両岸の桜を見に行く。東大島駅に近い駐車場に行ったら、なんとオオタガキ氏とクーランマランの杉本氏が談笑していた。オオタガキ氏との再会は約1年ぶり。運河のナイトパドリング以来だ。杉本氏とはもっとブランクがある。オオタガキ氏は杉本氏のツアーに同行するつもりで天気を観てピンポイントで仕事を空けていらしたようだ。私が突然来たのでたいへん驚いていたが、ご一緒させていただくことにした。

久しぶりに荷室からカフナを引っ張り出し、縮んだ船体布に苦労しながら組み立てる。杉本氏はお客さんを引き連れて既に出発してしまったが、オオタガキ氏がありがたいことに待っていてくれ、同行二人となった。旧中川から小名木川を西に向かい、扇橋閘門をくぐって大横川へ。SUPで旧中川を出た方やゴムボートで漕いでいる方も見受けた。平日にしてはパドラーがいる。

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扇橋閘門から小名木川の東側を見る
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扇橋閘門。下町のパナマ運河。これがないとわが家も成り立たない。
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とはいえ、水門からのシャワーにはかぶり物必携。
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大横川の桜

帰りは扇橋閘門から横十間川を経て北十間川でお決まりのスカイツリー直下まで行って、北十間川を東南方向へ進んで墨田・江東・江戸川三区の境界を経由して旧中川を戻ってきた。だいたい3時間程度、距離は12kmくらいだろうか。

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戻る。
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桜並木とパドラー
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スカイツリー直下にて

天候もよく、風もそんなに強くなくてラッキーな一日だった。ただし、久しぶりのパドリングなので肩まわりがだるくなった。
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利尻・礼文再訪

7月21日から27日まで、4年ぶりに利尻・礼文を訪れた。天候に恵まれることはなかったが、さほどひどい天候でもなく、梅雨明け直後の本州から離れて大変涼しい1週間を過ごせた。

7月21日は移動日。出張なので経費節減で航空券の安い新千歳に入り、札幌でガスカートリッジを購入して高速バスで稚内へ向かった。鉄道とは違い、留萌あたりから豊富まで海沿いの道路を走るので景色に飽きない。2台のバスが出たが、空いている4列シートの2号車を贅沢に使わせてもらう。エゾシカが国道沿いで草を食んでいるのをみた。利尻富士を海の向こうにくっきりと見ることはできなかった。バスの乗客に日本語が全く喋れない欧米系の若いおねいさんが同乗していたが、稚内駅前と礼文島で会って少し言葉を交わした。
稚内に18時台に到着して、食事を済ませてから北防波堤ドームで幕営。4年前のような盗難事件には遭遇することなく済んだ。
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幕営禁止の北防波堤ドームですが・・

22日は朝からフェリーで移動。海が結構荒れていて揺れた。計画では23日を利尻富士登山に当てていたが、臨機応変に礼文島へまず渡る。香深フェリーターミナルは現在改築中。後ほど利尻島鴛泊フェリーターミナルが改築されて立派になっていたのに驚くが、礼文もまもなくそうなるのだろう。
路線バスで船泊近くにある九種湖キャンプ場へ行く。4年前は礼文島西海岸をカヤックで漕ぐため、私だけ民宿に泊まった。礼文も利尻も土地が痩せているので、ペグが刺さりにくい。雨も降ってきたし、風が強くてフライシートを固定しているペグはもげるしで、午後はテントの中でじっとしているしかなかった。

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九種湖キャンプ場

23日は雨こそ降らなかったが、霧が出た。風もややある。バスを乗り継いで南端の知床まで行く。前日荒れた海では見かけなかったアザラシをバスの中から発見、少しホッとした。金田ノ岬を回り込んだ空港下バス停までの東海岸でアザラシたちを見かけることができる。
さびれた漁村の知床から北上する。遊歩道がいい感じだが、桃岩近辺では霧。いったん道路に出て、礼文林道を北上し、三角山を右手にみながら下降、香深井手前で宇遠内方面に向かう。シングルトラックにはタイヤ跡が見られたが、宇遠内には果たしてトライアルバイクが一台あった。標高180mあたりまで登ってから海におりるルートなので、ちょっとした登山である。8時間コースの最後にあたるところを逆に歩いたことになるが、なかなかきつく、対向したハイカーは2人だけだった。

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知床集落(名の通り最果て感あり)

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桃岩遊歩道を北上するが・・ガス

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だいぶ晴れてきた。こちらから見るとまさに桃岩

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礼文林道から利尻富士が見えた

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白いタカネナデシコ

宇遠内には4年前カヤックで上陸したのだが、陸路からは初めてだ。寂れて車道もない漁村。数件の家はあるが、通年で住んでいるとも思えない。おじいさんが小さな漁船を操船して港から出ていった後は、人影を全く見なかった。8時間コースの「休憩所」の扉が開いてはいたが、店の人がいる気配もなかった。ここは秘境だ。

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宇遠内集落(ここまで来るには一苦労)
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海上タクシーに乗れるんだね・・

24日は礼文から利尻へ移動。利尻島の西側の沓形に上陸して、バスで利尻富士温泉まで行き、北麓キャンプ場まで歩く。4年ぶりの北麓キャンプ場だが、登山口にもなっているため、管理棟が新築されて立派なものになっていた。なんとトイレはウォシュレットで、シャワーもあるらしい。オートキャンプも可、とのことで、ありがたいけど贅沢すぎるのでは・・と思う。登山者用のキャンプサイトは礼文と同じく石だらけでペグが刺さらず、かといって張り綱を大きめの石に結びつけることもできない。地面の砂が飛んでいかないように養生シートを被せていたようだが、それがボロボロになってテグスのような糸が足に引っかかり、不快。それというのも、風が強いからだ。4年前は風があまり強くなかったのでそこまで神経質にはならなかった記憶がある。

25日、いよいよ利尻富士ピストン。5時30分ころ出発し、11時ころ登頂成功した。と簡単に書くが、北麓キャンプ場からの標高差は1,500mある。今回16人パーティだが、私以外は皆初登頂。相変わらず風が強く、山頂部にはガスがあって視界もよくない。9合目から先のザレた急斜面は、補修が進んでいるが、この山は明らかにオーバーユースである。登山道は北からの一般ルートと西からの沓形ルートがあるが、沓形ルートは最後にかなり危険なトラバースがあり、若くて登山慣れしていない者を連れて来るわけには行かない。結局ほとんどの人が北麓キャンプ場からのルートピストンを選択することになり、その結果登山道が荒れることになる。

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長官山あたりから山頂を見るが、雲は取れず・・
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お花畑と雪渓(北東方面)
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山頂の祠

14時過ぎに下山後、がんばって下のゆーにキャンプ場まで降りる。温泉施設が目の前、という便利さを選択した。利尻・礼文のキャンプ場には、当然のことだが外国人キャンパーやチャリダーキャンパーも見かける。キャンピング仕様の自転車はまじまじと見つめてしまう。自転車で北海道の百名山を巡るというつわものもいた。
この日の夕食はペミカンからシチューということだったが、ペミカンがやばい領域に入っていて、シチューが酸っぱかった。全員で腹を下したら帰れなくなるのに・・・結果同僚は軽く下痢したが、吐く者までは出なかった・・

26日、利尻島にも別れを告げる。鴛泊フェリーターミナルの立派さに驚く。今回、フェリーの中で「
島を愛する」(島望とファンタジック東京)というムード歌謡が流れていて、その歌詞とファルセットボイスに魅了されてしまった。ムード歌謡って、演歌じゃないんだね・・・
稚内駅もここ数年で立派になってしまった。天候が下り坂、午後から雨というので、チャリダーが駅に終結してくる。一人の若者が自転車を分解しているのを見ていたのだが、セオリーから全く外れた作業をしていたので、思わずアドバイスまでしてしまった。
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すっかりきれいになってしまった稚内駅

13時台の快速列車が出発するころにはすでに雨。北海道のどこに行っても雨からは逃れられないようだ。旭川でもう一泊公園キャンプの予定だったが、天候のこともあるし、利尻・礼文で気温に慣れた体で旭川は暑い。せっかく風呂に入ったのに今夜風呂に入れないのも厳しい。ということで偶然とれたビジネスに転がり込む。若者たちも深川で投宿した。旭川のジンギスカンは、酸っぱいシチューの後だけに大変美味しかった。

27日、札幌駅でも暑くてたまらない。羽田からの帰路、電車の乗客の少なさに気付き、いつも電車から見るテニスコートで誰もプレーしていないのを見る。暑すぎて何もできない。
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南ア・悪沢〜聖岳

久しぶりの更新になる。
乗鞍岳ラストスキー以降、家の近所で自転車を乗り回す日々が続いた。まるで中学生男子の無目的な自転車徘徊のようだが、ガニマタでゆっくり乗り回しているのではなく、千葉や埼玉まで視野に入れたサイクリングであった。また、7月は毎夜のごとくツール・ド・フランスの生放送を観戦していてそれ以外のことは考えられなかった。クリス・フルームは盤石だったが、新星キンタナの伸びや、さすがのペーター・サガンに期待したい。これらはいちいち別項でレポートすることもないので割愛。

夏の仕事山行は白山だった。最初は荒島岳に近い福井県側の登山口から避難小屋利用で北に縦走し、白山山頂を極めてから別当出合に下山する予定だったが、7月末の北陸は梅雨の末期で毎日雨が降り、白山に向かう前に少年たちのテントが雨漏りしてしまい、再度金沢から入山して南竜小屋のケビンを借りる方向で計画変更を余儀なくされた。私は移動途中にそれを知らされて急遽小松から乗合タクシーで別当出合に向かい、合流して入山したが、入山時の土砂降りには参った。しかも南竜ヶ馬場から軽装で山頂ピストンを試みたら山頂直下で土砂降り&落雷に見舞われ、這う這うの体でいったん退却、再度翌日ピストンを敢行し登頂を果たした。落雷が近づいた時は職を辞する覚悟をした。この山行もカメラを持たなかったので割愛。

ということで本題だが、お盆過ぎの8月下旬に自転車で佐渡を一周するか、数年来の宿題の南ア南部縦走にするかかなり悩み、後者を選択した。結果的には、天候に恵まれ、二度に分けて考えていた山行が一度で済んでしまい、聖岳まで足を伸ばすことができた。これでようやく南アの3,000m峰は全制覇である。さらに、千枚小屋で一緒になり悪沢岳あたりから前後になって歩いていた単独登山者と交流を深めることができた。山で繋がる友人関係はとても嬉しい。

8月25日(日)移動日
雨の東京を後にして、静岡市葵区の畑薙第一ダムを目指す。9時発、雨のせいか渋滞ほとんど無く14時着。初めて新東名を走ったが眠い道で、静岡からの県道27号と60号は逆にすれ違いも難しい屈曲路で余裕もなくなる極端な往路だった。静岡からのアクセスの悪さが南ア南部の第一の関門だ。

予定通り14時30分の東海フォレスト送迎バスに乗る。14時に出た臨時便は満席だったが、定時のバスは6名しか乗っていなかった。登山の世界では有名だが、南ア一帯の樹林帯は東海パルプの私有地で、南ア南部登山のベースになる椹島(さわらじま)までの林道は一般車通行止、山小屋の管理を請け負っている東海フォレストの送迎バスに乗らないと林道の行程を短縮できない。このバスは林道を走る関係で営業バスではないので、バス乗車時に支払う3,000円はバス料金ではなく、椹島以降の山小屋の宿泊費の一部前払いである。この制度に対する意見はいろいろあるようだが、今回はテント山行でなくて登山小屋泊を選択したので私は抵抗感はなかった。

この日は移動日と割り切ったので椹島ロッジ泊。バスに同乗してきた同世代の男性Iさん(千葉県の同業者と判明)と同室で、4人部屋を2名で使えた。

8月26日(月)椹島ロッジ〜千枚小屋 5時間30分 曇り
朝6時、今回は赤石岳方面へ直登して聖岳を2泊でめざすというIさんと別れ、私は林道を少し奥へ進んで滝見橋から千枚岳方面への登山道へ分け入る。すぐにつり橋を渡り、尾根をめざす急登に入る。昨日バスで一緒だったテント泊夫婦やその他の登山者を追いかけていたのだがいつの間にか抜いてしまい、7時に鉄塔下、8時に小石下、9時に清水平で休憩を取る。いい調子だが、私の前方にいる2人の女性のペースがなかなかいいので引っ張ってもらっている感じ。10時ころ見晴台で2名の女性に追いついたが、2人パーティではなくそれぞれ単独で関西からこられた方のようだ。そのうちのお一人が最後までご一緒した和歌山のKさんだった。その後は3名で11時30分に千枚小屋着。まだ午前中なので先に進めるといえば言えるのだが、天気は曇りで稜線に立っても展望が望めないし、最初の計画通り千枚小屋で泊まることにする。他にまだ先客はないので、ヒマを持て余す。腹が減ったので昼食を頼んだり、手ぬぐいを買ったり、外に出てマッタリしたりしているうちに午後が過ぎていった。気温が低く、着込んでも寒い。そのうちだんだんと寝床が埋まってきて、団体客ツアーも来た。ツアーは事前に予約済みで別棟で宿泊なので特に気にならないのだが、少人数や単独者でほぼ70人となり満員だ。平日なのでもっとゆったりできるかと思いきや、予想を裏切られた。で、私の隣の備え付けシュラフに偶然やってきたのが、当日朝のバスで登ってきた(つまり私の3時間遅れで到着した)、Hさんだった。Hさんとも結果的には下山まで同行することになる。Hさんは一見スキンヘッドで強面の男性だが、実に社交的で明るくて楽しそう。だがその日はそんなに話し込むこともなくて、それぞれの翌日からの行動が主な話題だった。夕食は実に贅沢で、生野菜が食べられたのは嬉しかった。

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登山口
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すぐの吊橋
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新装千枚小屋外観
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まだ誰もこない

8月27日(火)千枚小屋〜百間洞山の家 8時間30分 曇りのち晴れ
久しぶりに山小屋に泊まり、テント泊とは勝手が違うので大事を取ってラジオをイヤホンで聴きながら眠りに落ちたが、外のトイレへの出入り口に近かったせいもあって何度か目覚めた。寝しなにHさんが4時に起こしてくれというので起こそうと思ったが、その必要はなかった。4時20分から朝食を摂った。外のトイレが5つほどしかないのでトイレ待ち大渋滞が予想されたものの、杞憂に終わった。しかも快便。スッキリして5時から登り始める。すぐに12名ほどの団体を抜かせてもらい、千枚岳山頂(2,880m)には5時35分着。和歌山のKさんは先行していて挨拶もそこそこに入れ違いになる。山頂で写真を撮ってもらい、ガレ場を下って丸山(3,032m)に登り返す。早朝のガレ降りは好きではないが、そんなに難しい場所でもないので慎重に通過。丸山は名前の通りのやさしい稜線の山で西隣の悪沢岳とは好対照だが、インパクトがまったくない山のくせに3,000m峰だ。6時20分着。確かここら辺りで和歌山のKさんに先行させてもらったような気がする。しだいに巨岩・奇岩が増えてきて、悪沢岳の頂上に到着、6時45分。なぜかガスの中を奇声を上げながら降っていくサルを見かけた。

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早朝の小屋(富士山見えず)
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まだ残っていた
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いかにも「悪」登場

山頂には先行していたHさんがいて、証拠写真を撮ってもらった。Hさんはここで太陽を見たいと思ってしばらく待っていたようだが、ガスの中で期待外れ、中岳方面へ先行した。私も少し休憩、Kさんが到着したころにゆっくり歩き始め、悪沢のガレ急降下に入った。ここがこの日の核心部である。かなりの急降下だったが、歩きながら稜線の北の方の視界が広がった。塩見岳・農鳥岳・間ノ岳が見える。いよいよ晴れてきた!
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左から塩見、間ノ岳、農鳥
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悪沢を振り返ると幻想的

最低鞍部(2,973m)に降りたって少しほっとしたのち、荒川中岳(3,083m)に登り返す。いよいよ登り降りの標高差がビッグな南ア縦走が本格ステージに入った。中岳避難小屋で8時、Hさんとも合流。ここから3人で赤石岳方面へ向かうことにするが、私はどうしても荒川前岳(3,068m)を踏んでおきたかったので分岐点から5分間だけ逸れ、西側の荒川大崩壊地をのぞき込んでからルートに戻った。

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ああ、登りか・・
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赤石登場
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大崩壊地

荒川小屋まで大きく降る。お花畑が広がっているが、夏も終わりに近づいて花の種類も少なくなってきているようだ。鹿よけの柵を4回ほど通り抜けて、こんな高山なのに丹沢のような風景に出くわして興ざめである。9時、荒川小屋着。「悪沢岳」とデカデカと漢字でプリントされた手ぬぐいを買う。手ぬぐいも一枚700円もするので、何枚も買っていては金がなくなる。もともと2泊の予定で予備としてプラス1泊分しか持ち合わせがない。

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赤石岳と荒川小屋
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着きました

大聖寺平に10時20分、なぜかネパール人のガイドを連れたジイサンがいた。しだいにつま先上がりになり、小赤石岳への急登が始まる。大聖寺平の最低鞍部からは300mの標高差。キツイ、苦しい、水が欲しい・・ようやく3,000m台に乗れば、ゆるい稜線歩きになって11時10分に赤石岳山頂到着。天気もいい、富士山・南ア北部・中央アルプスなど周囲の山々がすべて見渡せる、という好条件で、もう赤石小屋に降りたくなくなった。あまりにももったいない。同じように降るか前進するか悩んでいたKさんに、「今日は百間洞まで行きますっ!」と宣言したら、Kさんもその気になって聖岳をめざすことになった。幸い山頂ではうまくすると携帯が繋がるので家族にメールを一本入れる。Hさんは百名山ハンターなので、このまま光岳まで縦走するために前進あるのみなのだが、どうも聞いているとかなりコースタイムが私の地図と違うようで、ちょっと無理ではないかと思えてしまう。

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Kさん
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Hさん
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山頂到着

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聖君登場、兎君との鞍部が恐ろしか〜
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さすがに疲労の色が・・
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こぢんまりと百間洞山の家

赤石山頂から西に降り、12時30分百間平、13時30分に百間洞山の家着。またもかなり早めに到着できたようだ。もう小屋の標高は2,400mに近く、暑く感じる。百間洞山の家といえば、夕食に揚げたてのトンカツや蕎麦が提供されることで有名である。それを目当てに私とKさんは2食付きで申し込み、Hさんはそれを知らずに素泊まりにしてしまった。Hさんがその後悔しがったことは言うまでもない。
小屋で向かい側のスペースに大型ザックの若者が5人いた。聞けば三重大学のワンゲル部員で、テントポールのミスでこの日は小屋泊まりにしたという。楽しそうに「大貧民」をやっている若者を我々オッサンオバサン三人組はほほ笑ましく見ていたのだが、彼らとも椹島で再会することになる。

また、我々の隣に70代の男女が来た。聞けば日本百高山(富士山をトップにした100の高標高の山)のコンプリートが兎岳で達成ということらしい。どちらもユニークな人で、女性の小屋に対するクレームと、男性の驚異的な歩きの速さに驚かされた。この日の小屋も、ゆったり少人数で過ごせると思いきや、夕方近くになってぞろぞろ到着した人が現れ、千枚小屋から朝イチで抜かした宮崎県からの団体ツアーも11時間ほどかかって到着した。混んでいたせいか、70代の男女とシュラフ越しに触れあってしまったせいか、眠りが浅かった。

8月28日(水) 百間洞山の家〜聖岳登山口 11時間 晴れ
朝食4時、出発5時。Kさんと、もしお昼までに聖平小屋にたどり着けたら、そのまま椹島へ下山してしまおうということにする。Hさんはまだ茶臼岳から光岳への縦走の可能性を捨てきれないでいる。光小屋の予約までしているのだ。
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手前、中盛丸山。丸くないが・・
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富士朝焼け
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山の影
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いくつかのピークを越えてきた

まずは中盛丸山(2,807m)までのいきなりの急登。6時着。山の影が山頂の西側に見える。ここからアップダウンの連続である。150m降って小兎岳(2,738m)へ登り、少しくだって小ピークに登り返してまた100m近く下降、兎岳への急登に取りつく。7時30分、兎岳山頂着。70代のオジサン(恐ろしく速く歩いてオバサンを待っている)に先行して下降。ボロボロだが少し復活したらしい兎岳避難小屋を右手に見ながら、200m下降、飯田市側は崩壊地になっているので際どいコースだ。小さなピークは静岡市側に巻いて、赤いチャートが露出しているコルに出た。ここから聖岳山頂まで標高差400mの急登である。この山行最後の大登りだが、最初はかなりの急斜面&ガレ場で、どこに登山道がついているのかすらよくわからない。半分近く登って2,800m近くになると先が見えてくるが、見えているピークが山頂ではない。登り途中で一度休憩を入れて、9時30分前聖岳山頂(3,013m)着。やった!南アルプス3,000m峰コンプリート。Hさんはここで光岳までの縦走を断念した。小聖山頂で小屋に電話をかけてキャンセルし、椹島まで同行することになった。しかも帰りの毎日アルペン号までキャンセル。私の車に同乗してくれることになった。静岡駅まではKさんを送ることになったので、これは一種の珍道中である。
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左側は崩壊しています
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まだピークではない
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ついに登頂

下山。11時30分聖平小屋。東海フォレスト管理の小屋とは違う空気がそこにはあり、一度泊まってみたい気持ちもないではない。特に小屋前のテント場はとても快適そうだ。しかしまだ時間はある。ジュースを買って飲んで、長い下りに入る。最初はゆるくて小沢の近くを通る快適な道だったが、対岸に渡ってからは高巻きをしたりツヅラ折れの急下降がいつまでも続いたりして、ウンザリしてくる。樹相も何となく丹沢に似てきて、どうも面白くない。聖沢吊橋を渡ると、今度は桟橋の連続となるトラバース。ひたすらトラバース。標高1,500mになってからぜんぜん高度が下がらない。そのうち、下の方に緑の屋根と茶色の壁を持った人工物(小屋だね)が見えたような気になってくる。もちろん、一種の幻覚である。あまりに長いので出くわしたいものが林間に見えたりするのだが、もちろんそんなものはなく、おかしなことに三人とも同じような人工物があるように錯覚してしまった。
そんなこんなで16時、聖岳登山口に無事下山。このまま林道を椹島まで歩くことが一般的かもしれないが、まもなく定期便のバスが通るはずである。それを見越して待つ。果たして、乗客ゼロのバスが来て止まってくれた。ありがたや。林道歩きを端折って椹島ロッジに着いた。

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聖、さらばじゃ
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こんな快適なトレイルはわずか
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聖平小屋
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下山途中の吊橋

まず風呂である。脱衣所に入ったら、なんと三重大学ワンゲルの部員がいた。かれらもテントが使えないのでもう縦走ができず、かといって小屋泊まりでは最低5,000円は飛んでいくことになり、泣く泣く重いザックで赤石岳から下山したようだ。

この日は三人とも素泊まりにした。そのかわり、レストランで牛丼・カレーなどを思い思いに食べる。三重大学の学生は外のベンチで楽しそうに夕食。我々オジサンオバサンは彼らを話の種に馬鹿馬鹿しい話で盛り上がる。その後も消灯時までは部屋でバカ話をし、翌朝は5時過ぎから外のベンチで残った行動食を食べつつ朝食に振り替えた。すると三重大学の紅一点の女子学生(一回生!これぞ正真正銘山ガール)が恐る恐る我々の話に加わり、そのうち起き出してきた男子学生も交じって世代を超えた朝の井戸端会議になってしまった。これは面白かった。Kさんは口調がまるで実のお母さんみたいになってきた。

8月29日(木) 移動日 晴れ
8時のバスで椹島を後にする。まだ天気はいいが、週末は崩れそうだ。滅多に無いチャンスに登れた上、KさんやHさんのおかげで挫けずに聖岳まで完歩できた。でも、しばらく南アルプスは行きたくない。
KさんHさんをエース号に乗せ、白樺荘でアルカリ性の温泉に浸かり、静岡で昼食をとって、静岡駅でKさんと別れる。その後Hさんと男2人旅になり、東名高速を東京に向かった。
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仕事観光?瀬戸内大久野島&大三島

3月24日から27日まで、瀬戸内海に浮かぶ二つの島へ行ってきた。ちょうど「しまなみ海道」が走っているあたりの島だ。自転車の聖地にもなったしまなみ海道を自転車で走りたい誘惑はかなりあったのだが、今回は仕事ということで断念した。

24日は新幹線で福山経由忠海まで列車移動、そこで青少年たちと合流し、フェリーで目の前の大久野島に渡る。時刻表の関係で、ちょっと贅沢にマリンビュー瀬戸内というリゾート快速列車を一区間だけ使ってしまった。

2013-03-24-13.48.48車内も立派でした

大久野島は実は再訪である。毒ガス製造の島だったのだが、現在では島全体が休暇村となり、キャンプ場も付設されている。そこでキャンプ。ウサギが無数にいる島で、キャンプサイト回りは柵で囲まれているが、ウサギのフンのニオイが漂っていてどうもよろしくない。

2013-03-24-15.35.39手前はウサギの柵

翌日、午前中のフェリーで大三島に渡る。フェリーは非常に手際が良いのだが、大三島での到着港が島北部の寂れた盛港で、キャンプ場のある多々羅まで5kmほど歩くことになった。多々羅近くにもフェリー乗り場があるのに・・

2013-03-24-16.15.16瀬戸内海のフェリーは迅速

しまなみ海道の高速高架下にキャンプ場はあった。近くの道の駅で手続きをして、2泊した。瀬戸内の島は暖かいと予想してきたのだが、意外と寒くて夜は震えた。特に忙しいこともないのでマッタリした時間はラジオが友。iPadminiで読書(吉川英治の「宮本武蔵」青空文庫版)しても電池の残量が気になり、携帯でのインターネットラジオやワンセグテレビなども電池を食うので、大相撲春場所千秋楽結びの一番だけをワンセグテレビで見た。白鵬、充実の全勝優勝だ。しかも優勝インタビューで大鵬に対する黙とうを呼びかけていた。さすがだ。

で、電池食いのものはなるべく控えてシンプルに乾電池ラジオ。しかもNHK第1オンリー。ま、サッカーのヨルダン戦だけは民放で聞いたけど。特に旅先でのラジオはやっぱりすばらしいや。

26日は申し訳程度の登山。大山祇神社までバスで移動して、神社裏の安神山(267m)と鷲ヶ頭山(436m)の縦走。鷲ヶ頭山には車道と放送施設があって興ざめ。降りはかなり急な尾根道を下って入日の滝を見て、大山祇神社に戻った。大山祇神社も再訪ではあるが、由緒正しい神社なので宝物館に入る。入館料1000円だが、重要文化財や国宝の宝庫である。大半は武士たちから寄進された鎧や刀だが、国宝の銅鏡は必見である。

それにしても、全国の三島大社の総元締めで、古くから重要視されたこの神社がこの島のこの位置にあるのはなぜなんだろう。瀬戸内海の海上交通の要所であることや、楠の自然林があったことなどはわかるが、神社の置かれる位置には必ず必然性があるはずなのに、なぜか腑に落ちないところがある。神社の裏に岩だらけの安神山があるにはあるが、人が踏み込めないような神域になっているわけもないし、神社が占める土地の広さも狭く、神社の建物も特別なものではない。鹿島神宮とか、諏訪大社のように圧倒的とは言えないところがこの神社の不思議さだと思う。

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大山祇神社の楠(樹齢2600年?)
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「日本総鎮守」を名乗る割には小さな神社

この日の午後、青少年たちはレンタサイクルで生口島や伯方島へ行ったようだが、「何もない」と嘆きながら帰って来た。青少年は夕食に焼き肉パーティをやったようだが、中年には焼き肉はそんなに食べられん。早々においとました。

27日の撤収日、朝から雨が降り始めた。降り始めにテントを撤収したが、それでもフライが濡れてしまっていたためザックの中でテントなども濡れることを覚悟した。青少年たちは夜更かしが聞いたのか、ほぼ全員寝坊。バスの時間の関係で朝食抜きとなる。さらに、福山行きバスにすんでのところで乗り遅れた。
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仕事山行・西丹沢不老山

久しぶりに仕事山行。
今回は日帰りとしては自宅から遠い静岡・神奈川県境の西丹沢の不老山。標高は926mの低山ハイクだ。
新宿から小田急線、さらに松田から御殿場線で駿河小山駅に降り立つ。車窓からの富士山がデカイ。
9時10分集合だったのに、若人の2名が遅れ、出発は結局10時近くになってしまった。これでは新松田からバスで逆コースを歩いた方が良かったかもしれないが、下山してみたらバスは12時台から15時台まで一本もなかったので、むしろ集合時間を遅らせた方が賢明だった。

小山町では町の境界沿いのトレイルルートを整備しているようだ。不老山からも西に向かって1000〜1300mクラスの稜線がつながっていて、そちらにトレイルは続いている模様。だが、1300m近くでは積雪もありそうだ。

さて、あまり人影を見ない駿河小山駅から、鮎沢川の対岸の生土という集落に回り込み、国道246号の橋をくぐって登山道が始まる。地元の老人が作ったと見られる案内板にはいろんな蘊蓄が書いてあるのだが、それを読む時間も惜しんで若人たちは登る。余裕がないなあ・・地形図に書かれた沢の登行ルートではなく、急な階段で東側の尾根に上がり、494mピークへは稜線伝いに歩く。最初は急登だったが、稜線に乗ってしまうと杉林の中で土も砂混じりで滑らず、丹沢にありがちな鹿フェンスもなくて、気持ちのいい登山道だ。約2時間で頂上近くまで登り詰めて撮った富士山がこれ↓
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ここからもう少し歩くと不老山のピークだが、ピークからは眺望がない。すでに中高年のオジサンおばさんがベンチ・テーブルを占拠していた。他に登山者には会わなかったが、逆コースで登ってきたのだろう。ここで休憩して昼食とする。富士山の写真を見てもわかるように風が冷たく、樹上の雪が風で飛んできてダイヤモンダダスト状になり、汗があっという間に冷える。

下山にかかる。急下降だが休憩なしで河内川まで降り立つ。ここにはつり橋があり、6名が限界だと書いてある。若人はわざと橋を揺らすのだが、一番若い若人は怖がって渡りたくなさそうなので、最後に揺らさないように注意してから渡らせ、少し後から様子を見ながら声をかけてやった。南アルプスや北アルプスに行けばもっと長くて高いつり橋はあるぞ。

上に書いたようにバス待ち時間が約1時間。体が冷えてくるのでダウンを中に着込む。バスは空いていて快適で、うつらうつらしているあいだに新松田駅に到着。帰りの小田急でも眠りこけながら帰宅した。帰ったら18時を回っていた。長かったなあ・・
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仕事山行・雨の大山

夏以来の仕事山行で丹沢の大山へ行ってきた。
朝方に雨は上がるはずだったのだが、自宅出発の朝5時30分にはまだ小雨。傘は持ちたくなかったのだが、最寄り駅までで傘の役割は終わり、と思い折畳み傘を差していく。

7時30分、伊勢原駅で若人と集合して日向薬師(ひなたやくし)までのバスに乗る。
バスを降りてもまだ小雨である。仕方なくレインウェアの上だけ着込む。気温は低いのだが、歩けば当然暑い。しばらく舗装路を歩いて、8時過ぎに標高310m地点から登山道に入る。

九十九曲がりというジグザグ道を登り詰めて尾根に乗る。杉林の木の上から雨の滴が落ちてきて、ズボンまで水がかかる。どうせ止むからとレインウェアの下は穿かない。

尾根に乗ったらかなり快適な登山道になった。雨もどうやら止んだ。道にむき出している岩は少ない上に滑りにくく、土のトレイルはまるで舗装されたように真っ平ら。見晴台を過ぎるとそこからまた急登が始まる。山頂部はガスの中で、ガスに入ると再び雨が強く降ってきた。1250mの山頂には11時少し前に到着したのだが、雨・風ともに強い状態で、ケーブル方面から登ってきた人たちがたくさんいるのだがみんな阿夫利神社の境内で雨宿り。

とりあえず阿夫利神社(奥社)に参拝して、軽く昼食をとって下山にかかる。休憩15分で汗が冷えて寒さがこたえる。この雨の中、短パン半袖の軽装登山者が多くみられるのだが、よく諦めず登ってきたと思う。と同時に、早く下山しないと低体温症になるのでは?と心配になる。

下山コースは登ってきたルートを途中まで下り、900mあたりで登山者の少ない広沢寺温泉方面へ北尾根を辿っていく。案の定、雨は山頂部だけだった模様。このあたりによくありがちな、両側が絶壁になったヤセ尾根を辿って、唐沢峠で休憩。まだ12時だ。何年か前に仕事山行でこの北にある三峰山を歩いたが、その雰囲気に似てきた。

そこから東に向かう尾根を下り、不動尻へ。ここからは三峰山から下山した時のルートと同じで、舗装林道になる。ダラダラと舗装路を歩いて、13時50分ころ広沢寺温泉入口のバス停に下り立つ。デイパック一つなので結構速かった。

悪天で写真はありません。
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家族山行・尾瀬燧&至仏山

この夏は登山ばかりしている。仕事山行、夫婦山行ときたら、最後は家族山行である。とはいえ、連れて行くのは高校1年生の次男のみ。
ターゲットは南アルプス南部の「東海フォレストランド」ゴールデンコースである荒川三山と赤石岳3泊の幕営山行であったが、直前に自家用車の決定的不具合が見つかって今年も断念した。このコースの起点になる畑薙第一ダムまでの季節運行路線バスが、今年は夏前の台風の影響で運行していないので、鉄道とバスでのアプローチも不可能なのである。

登山の時は各地の天候などをにらんで第一候補とは全く違う山域に2つ3つの代替プランを予備に持つようにはしているが、数年前にも実行できずリベンジを考えていた南ア南部から代替プランに移行するには気持ちの切りかえが必要だった。ようやく前夜に決定したのが今回のコース。公共交通機関でアプローチしやすい。燧ケ岳も至仏山も私にとってはスキー登山の対象で、今まで複数回スキーでのみ登っているのだが、無雪期に登山靴で登るのは初めてである。

19日 大清水〜三平峠〜尾瀬沼(幕営)
20日 尾瀬沼〜燧ケ岳〜見晴〜山ノ鼻(幕営)
21日 山ノ鼻〜至仏山〜鳩待峠

比較的交通機関が空く19日の日曜日を利用して出発。新幹線と在来線を利用して沼田から路線バスで大清水に11時過ぎにたどり着く。冬から春にかけてたびたび自家用車で通る道を路線バスに揺られて延々と移動していくのは新鮮だったが、さすがに距離が長いだけに3人だと運賃がかさむ。バスの中には尾瀬ハイカーらしき客も少なく、最後はわが家の貸し切りバスになる。

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大清水ゲート
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三平峠で汗だく
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尾瀬沼と燧ケ岳

大清水でも大型ザックを背負った登山者は皆無で、三平峠方面から下山してくる軽快でお洒落な尾瀬散策者ばかりである。さすがに山ガール風ファッションが多く、年齢的にも若い人が多い。1時間の林道歩きを経て登山道に入り、あえぎながら三平峠を越えて尾瀬沼に向かう。大清水からの標高差は約500m。軽装ならダラダラ歩いているうちにいつのまにか達成する標高差だが、峠に詰めていく登りは重量級ザックだとキツイ。14時過ぎ、尾瀬沼着。尾瀬沼ヒュッテでキャンプ手続きをしたら、
キャンプでも予約が原則だと言われた。尾瀬で小屋泊に予約が必要なことは知っていたが、全国どこでも早い者勝ちの山中の幕営地で予約が必要とは!オートキャンプ場じゃあるまいし、ちょっとあり得ない発想である。

幕営は場所(ウッドデッキ)が全部で20数箇所あり、受付の早い方から好きな場所をとれるという方式である(なぜか場所とりだけは早い者勝ちで、予約したとしても到着が遅ければ好きな場所は取れないのでは?)。わが家は11番を確保したが、隣との距離が近過ぎた。当日は奥の方のサイトががら空きだったので、そちらにして個室気分を堪能すべきだったと思った。ウッドデッキは当然ペグを打てないので、ガイラインでウッドデッキ付属の金属リングにテントを固定する。わが家の4人用エスパースではデッキに余裕がなくなり、ちょっと設営はしにくかった。林間のサイトで台風でも来ない限りはテントが飛ばされる心配はないので、デッキへのテント固定は不必要とも言える。なお、2人用テントならウッドデッキが余り、食事や昼寝などに広々使えて快適そうであり、他のキャンパーがちょっと羨ましかった。

山中にあって珍しく豪勢なサイトだが、残念ながら水場とトイレは歩いて公衆トイレを利用しないとならない。飲料用の水場は公衆トイレ入口に設置されている。これは不便で、なぜ
こんなウッドデッキの立派なサイトを公共工事として作りながら、もう一つサイト近くに水場と小さなトイレを作れなかったのか理解に苦しむ。管理の問題だろうが、サイト代一人800円も取るのだからそのくらいは何とかして欲しい。でなければサイト代を他の山域と同じく500円程度にすべき。尾瀬は至るところで工事が行われているのが普通だが、河川工事と同じくこうやっていじくり回して利用者に不便なものを提供しているケースがあるように思える。例えば尾瀬沼公衆トイレ内の手洗い場は都会で見るような高級な材料を使っているが、不必要ではないか?見晴でもキャンプサイト周辺が工事対象になっていて今年はキャンプ不可になっていたが、サイト自体の工事だったのだろうか?ひょっとして工事後は尾瀬沼と同じようなサイトが提供されることになるのだろうか?

夕食は各自尾西食品のアルファ米、おかずに西友のフリーズドライ食品(すでに消費期限切れ)。

20日
朝食はマルタイ棒ラーメン、女房はお茶漬け。
長英新道から燧ケ岳をめざす。なかなか高度が上がらない林間のトレイルを進むが、途中から斜度がきつくなってきて、俎嵓(まないたぐら)直下では岩だらけになった。春スキーの時には桧枝岐の御池方面から登ってきて、同じ斜面を滑るだけだったので、違う方向から登り詰めるのはちょっと新鮮だった。頂上からは会津駒がよく見える。あそこもスキーでしか登ったことがない山の一つだ。

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樹林帯をゆるゆる登る
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尾瀬沼と日光白根山が見えた
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俎嵓までもう少し
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最後の急登
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頂上直下

燧ケ岳は複数のピークが集中していて、俎嵓よりも柴安嵓(しばやすぐら)の方が10mほど高いので、そちらへ初めて行ってみる。春、雪がある時はアイゼンがないと登れないのではと思っていたが、鞍部への斜度も緩いし、スキーとシールでも登れそうだ。そしてこちらの方が山頂は広くてくつろげる感じ。尾瀬ケ原全景と至仏山がよく見える。

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尾瀬ケ原と至仏山

下山は見晴新道を使って高度を下げる。地形図からも一目瞭然だが、枯れ沢を降っていく急下降の道で、岩がゴロゴロしていて非常に歩きにくい。高度が下がっても一向にトレイルの状態が良くないなあと思っていたら、昨年の雨でかなりトレイルが痛めつけられたらしい。

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脚にくる

見晴でちょっと遅めの昼。原の小屋の休憩所でカレーを食べ、アイスコーヒーを飲む。山中でこんなことができるとは北アルプス並で贅沢である。
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昼食
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あとは尾瀬ケ原を山ノ鼻に向かって1時間30分ほど歩くのみ。湿原に見るべきものもあまりない季節なので、黙々と歩く。湿原ハイカーの数も少ない方だと想像する。15時過ぎ、ちょっと雲行きが怪しいが、無事山ノ鼻着。至仏山荘でキャンプの手続きをして、ビジターセンター前の広場にテントを設営する。ここには
ウッドデッキはなく、予約制でもない。すでに2張ほどテントが張られているが、わが家の4人用テントを張れる場所も確保でき、トイレも水場も近くて言うことなし。贅沢を言えば、もう少し静かな場所にサイトがあればなおよい(小屋が近すぎる上に鳩待峠からのトレイルが目の前)。一日9時間よく歩いた。夕食はそれぞれアルファ米やにゅうめんとしたが、フリーズドライのおかず(極食の「イワシの梅煮」と「鶏肉のワイン煮込み」)がなかなかイケた。

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設営完了

17時を過ぎると至仏山荘に素泊まりしている女子中高生の飯ごう炊さんの声が響き渡る。統率がよく取れていて、青少年にありがちな「斜に構えたところ」が見られないのがさわやかだったが、翌朝4時過ぎからもリーダーが大きな声で下級生に指示をしているのに困り果てた。しかも女の子の声は高くて響くし、そもそもおしゃべりが多いから集団だとかなりうるさい。わが仕事山行の青少年=all♂ はみな無口なので比較してはいけないのだが・・朝のテンションは低く、音圧も相当低いはずである。尾瀬では北ア・南アのように早出の人は皆無なので、早朝は小屋泊の人もテントの人もあの声で私のように叩き起こされたのではなかろうか?至仏山荘の朝食は5時30分ころからであった。私らは隣のテントの5歳くらいの女の子が夜10時過ぎまで起きていたのに閉口していたので、この朝は完全寝不足である。

21日
気を取り直してラーメン朝食を摂り、6時40分に至仏山に取りつく。ここもスキーで滑るには快適な斜面なのだが、登山靴で歩くと一本調子のキツイ登りである。森林限界が低いので直射日光を浴びて暑く、蛇紋岩の岩は滑りやすく、木道階段地獄がひたすら続く。コースタイムは3時間、それなりの速さで登ったが、軽装ハイカーにはことごとく抜かれ、何度も休憩を入れては水分補給と気合注入しないと登れなかった。山頂でしばらくくつろいで山座同定などをして、10時から下山にかかる。スキーの時にまず感じないのは小至仏山までの歩きづらさ。雪の上をまっすぐトラバースできるスキーとは違って、蛇紋岩の稜線を忠実に辿らなければならない。小至仏からは木道も出てきて歩きやすくなり、順調に12時過ぎに鳩待峠着。8月平日の鳩待峠は一般車の乗り入れ規制が解除されるために、一般車がかなり駐車されている。登山道を降りてきていきなりこの風景には戸惑う。

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易しそうに見えるが・・
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階段地獄
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ピークにて
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タカネナデシコ?

腹が減るはずだが下山直後は胃が小さくなっているのか、水で空腹感が出ないのかあまり食べる気はせず、そのままバスに乗って戸倉まで降りてしまう。戸倉で温泉に立ち寄って汗を流すが、寛げるスペースはなく、食事どころもなく、パンと牛乳を買って14時台の路線バスでまた延々と上毛高原まで。1時間新幹線に乗って上野に着くが、すでに帰宅ラッシュの時刻だ。そんな中で電車を乗り継ぐ気力はすでに無く、どうせ3人だからと上野からタクシーで帰宅する。スカイツリーが視野に入ってくると、「帰って来た感」が強まる。スカイツリーは近くに住んでいながらまだ行ったことはないが、そういう目印として刻みつけられてしまった。

今回、なんだか日帰り登山を連続してやったようなコースだったが、公共交通機関をフルに使っただけに「旅」感は強かった。そういう意味では南ア南部の「東海フォレストランド」へ自家用車でアプローチするよりはよかったのかも知れない。

また、久しぶりの登山(小6で塩見岳に登って以来)となった次男がだいぶ成長したのに驚いた。特に彼のために新調したグッズはなく、ザックは私のグラビティ69L(ウレタンコーティングが劣化しつつあって若干臭う)、靴は今まで10年間履いてきたスカルパ・ドルポGTXを与えたが、しっかり歩き通したし、もう高校生なので弱音は全く吐かない。これからは頼もしい登山パートナー(というか、力が落ちている我々のボッカに)になって欲しい。私は今回の登山を期に登山靴を新調した。仕事でも使わざるを得ない必需品なので、新調する権利はある。やはりスカルパのキネシスプロGTXである。内側がへたっていないので当然だが、足によくできていたマメは皆無だった。

自宅で体重を量ったら、岩手山直後と同じくかなり体重・体脂肪が落ちていた。ほとんど大学生時代と変わらなくなった。是非ともこれをキープしたいものである。
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夫婦山行・裏岩手縦走

先週の仕事山行に引き続き、女房と2泊3日の縦走。
車中泊とか、深夜バスで移動直後に登山というアプローチは女房が苦手とするところなので、ここは文明の利器「新幹線」を使って朝から移動し、昼から歩き始められる八幡平〜岩手山とした。このコースなら、朝7時上野発の新幹線と盛岡駅から八幡平頂上まで行く路線バスで12時直前に登山口に立てる。

これまた先週に引き続き「はやて」で9時20分に盛岡着、駅ビルで行動食の一部になるパンを購入して、9時47分発の八幡平頂上行きのバスに便乗。平日なので乗客は少なめで、我々と同じような重量級ザックを背負った人はいない。わずか1,320円という破格の値段で八幡平に到着し、藤七温泉方面に舗装路を少しくだって、12時チョイ過ぎに登山口から歩き始める。
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盛岡駅前にて

まず面前にある畚岳に立ち寄り、縦走路を一望する。天気は良く、標高1,500mクラスの平坦な縦走路である。今回の縦走路には大深山荘、三ツ石山荘の避難小屋があり、いずれも新しく立派な小屋なので、テントは持たなくてもよかったのだが、念のため2人用テントはザックに入れてきた。裏岩手縦走路の平坦ルートでは大した負担はなかったが、岩手山への急登ではかなり堪えた。


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畚岳に向かって歩き始める
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たおやかな尾根と縦走路

畚岳(1,577)からの秋田・岩手県境上の縦走路はところどころに湿原や池が点在し、ハイシーズンにも関わらずすれ違うハイカーもなく、快適そのもの。諸桧岳(1,516m)、嶮岨森(1,448m)を越えて行く。標高1,500m程度でも十分涼しいのだが、みんな梅雨明け直後でもっとメジャーな山域に行ってしまうんだろうね。縦走路から左手に藤七温泉を経由して松川温泉に向かう道路が見えるのはちょっと興ざめ。

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嶮岨森
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大変きれいな大深山荘

午後4時近くに大深山荘着。小屋に入ってみたら他に2組5名が先着していて下段のスペースを使用していたので、我々ははしごを使って上段を寝床とする。水は歩いて3分の湿原にこんこんと湧きだす水があり、不足はない。小屋の外にベンチもあり、ベンチでエスプレッソパスタを作って夕食とした。栃木から毎年のように孫を連れてきているという親子3代の同宿者はカップ麺をふんだんにもってきていた。もう一組は若い男性2名で、秋田駒方面から縦走してきたもよう。会話の少ない無口な青年たちであった。

翌朝、5時大深山荘を後にする。まず大深岳(1,541m)に登り、秋田駒方面への縦走路と別れ、最大の大下りを経て小畚岳(1,467m)に登り詰めると、360度の視界で東北の山々が見渡せた。三ツ石山(1,466m)から下って、三ツ石山荘には9時30分ころ到着。小屋の清掃をやっていたおじさん(地元のガイドさんらしい)に水場を訪ねたら、最近晴れが続いているので水は出ていないとの由。幸い水は潤沢にあるので、辞去しようと思ったら、おじさんが饒舌にしゃべり始めたので、少しつきあったが適当なところで先を急ぐ。大松倉山は狭い稜線で、学生6人くらいのグループとすれ違って大きく下る。

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遠くに秋田駒
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左手に岩手山。あそこまで歩く。
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地図を広げる
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まだ遊ぶ余裕がある
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三ツ石岳に登る
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網張温泉からの登山路と合流して、今までの静かな登山路は終わり。ここからは岩手山への登山ルートになる。犬倉山の巻き道が終わったところで水場があり、補給する。ここに水場があって助かった。その後は姥倉山の肩にとりつく非常に登りにくい階段をあえぎながら登り、地熱の高い危険地帯を通過して黒倉山を南から巻き、「切通」というお花畑コースと鬼ケ城コースの分岐点に至る。お花畑コースを選択するが、20ン年前に網張からピストンで登った時に比べてだいぶ道が荒れていた。

最後は1,450mあたりのお花畑から岩手山の肩(1,830m)に乗る標高差350mの急登。すでに大深山荘からの歩きで溜った疲れがドッと出て、非常にキツイ登りになった。15時30分過ぎ、あえぎながら岩手山の肩、不動平にたどり着いた。ここで思わず大休止。

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鬼ケ城の奇岩
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不動平避難小屋

不動平避難小屋に宿泊することも案の中にあったが、水は八合目小屋まで15分ほど下らないとないし、既に小屋の中にはザックがいくつも置かれていて、トイレの扉の開け閉めの時に派手な音がするので、どうせ水を補給するならと八合目小屋まで降りる。この小屋は夏季のみ管理人が常駐していて一人1,700円の有料だが、小屋の規模が大きいのとトイレが新しくきれい(簡易水洗!)なのと水が小屋の目の前でふんだんに使えるので、お金を落とす価値のある小屋ではある。当日、地元の小学生が岩手山登山でかなり泊まっていて、大盛況だったが、消灯の8時には子供も引率の大人もぱたっと静かになって、気持ちよかった。私はイヤホンでラジオのオリンピック女子サッカーを聴く。なでしこ、快勝である。

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立派な八合目避難小屋

最終日は岩手山山頂に登って焼走りコースを下山するだけなので、ゆっくり朝6時に出発。約1時間で山頂にたどり着いて、快晴の山頂ビューを楽しむ。コマクサも豊富に咲いていて、絶好の日和だ。遠く雪をいただいた鳥海山も見える。

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雲海
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信仰の山
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由緒ある三角点
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コマクサ
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平笠不動避難小屋(ここも快適そうだが水がない)
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岩手山北面

下山はひたすら長い苦行の道。標高差1,500mを降りて行くのだが、火山特有の小砂利の深い、滑りやすいルートであった。まるでパチンコ玉を床にばらまいた上を歩くようで、標高1,500mあたりからのコマクサ群生地を横切るトラバース気味の下りが滑りやすかった。さらに標高が下がるにつれ暑さが増す。最後は焼走り溶岩流の脇の広葉樹林帯の遊歩道のような快適な道になったのだが、もう体が限界にきていてそんな道でも辛くなっていた。11時30分、無事下山。歩いてすぐの「焼走りの湯」で汗を流し(体重が3kg以上減っていた)、昼食を食べ(しかしあまりこってりしたものは食べられない)、下山後お約束のコーラを飲んで、タクシーで大更駅まで移動する。JR花輪線は残念ながら本数が少ないので、盛岡行きの路線バスに乗って1時間かけて盛岡駅に到着。新幹線の待ち時間にソフトクリームなど食べて時間をつぶし、再び「はやて」にて無事帰京。

少し侮っていて、次の本格的縦走の前哨戦のように捉えていたのだが、岩手山登頂まで含めるとかなりのアルバイトになった。夫婦ともに足には肉刺ができたし、前哨戦どころでなくこれがこの夏一番の山行になったかも知れない。
もう私の登山靴も振り返ってみれば10年以上使っている。ソールは一度張り替えたが、それも接着面が少し危うくなってきて、そろそろ新しい登山靴が欲しいところ。仕事でも使うし、スカルパ・ドルポの後継モデルのキネシスプロあたりが欲しいところである。
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仕事山行・八甲田 次こそ雪のある時に

7月25日から29日まで、八甲田へ行ってきた。これが2度目の八甲田。だがいずれも無雪期である。

25日は移動日で酸ケ湯キャンプ場泊。雨であった。
26日は酸ケ湯〜毛無岱〜大岳避難小屋〜赤倉岳ピストン〜大岳〜仙人岱避難小屋。快晴。
27日は仙人岱避難小屋〜小岳〜高田大岳〜仙人岱避難小屋〜酸ケ湯キャンプ場。
28日はバスで焼山に移動、奥入瀬渓流遊歩道を銚子大滝まで。十和田湖畔の宇樽部キャンプ場泊。
29日は青森に移動、帰京。

やはり雪のある時に来てスキーをしたいのである。笑われるかも知れないがスキー歴ン十年の私の北限は鳥海山南面。北限を北上させたい。

夏は夏で、標高が低い割に雪渓が残っていたり、高山植物が咲き乱れていていいところである。
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井戸岳南面から大岳と大岳避難小屋を見下ろす

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井戸岳の雪渓とイワギキョウ

27日の高田大岳ピストンは、結構難儀した。小岳に登る途中からすでに下草の刈り払いが不十分なので、笹藪漕ぎ、ハイマツ漕ぎになる。足下が笹で見えない中を、雨で洗掘された溝のような登山道を踏みしめていかねばならない。小岳と高田大岳の鞍部の湿原に到達した時にはすでに急斜面の薮漕ぎに対する戦意が半分喪失していた(惰性で登ったけど)。コースタイムは仙人岱避難小屋から3時間だが、サブザックなのにコースタイム通りだった。しかも森林限界以上は強い南西風で、視界もよくなかった。苦行であった。ロープウェイから八甲田大岳、酸ケ湯に至るハイキングルートとのコントラストが著しく、気軽なハイカーには来て欲しくないという意思表示が感じられたくらいだ。そのくらいわざと下草刈りをサボっているのではないだろうか。
高田大岳の急斜面、春に滑りたいね〜。
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仕事山行・八丈島は寒かった

船中1泊、キャンプ2泊で八丈島へ仕事で行ってきた。私自身は3度目の八丈島。

竹芝桟橋を22時20分に出航する客船「さるびあ丸」に乗船、二等船室のカーペットでひたすら寝たら、朝9時過ぎに八丈島底土港に着く。砂浜はなく、岩礁帯に囲まれている八丈島の海は常に風が吹いており、沖には白波が立っている。それでもまだおとなしい方だ。外海に面し、断崖の続く八丈島や青ケ島でカヤックをやるのは無理である。伊豆七島でやれるとすれば、式根島・新島・神津島あたりだが、ここだって砂浜はほとんどなく、あってもサーフポイントばかりである。マリンスポーツはシュノーケリング、ダイビングという島。

初日は船酔いが抜けない若人もおり、登山はせず島内探索。5年前の春にも来たのだが、今回はレンタサイクルを調達して八丈富士を回る海岸沿いの道路をぐるっと回ってみた。島の北半分を回るルートはざっと22km。寄り道もしたので25km以上は走ったと思う。借りた自転車は6段変速がついたママチャリだが、6速のうちロー側4速までしか使えなかった。海岸沿いとはいえ、ママチャリには厳しいアップダウンが延々と続き、自転車を押して坂を登ることもあった。八丈に来る客船にはロードレーサーを積んできた人もいた。あれだったら楽しくサイクリングできそうなのだが、サイクリング中に彼らに遭遇することはなかった。

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緩くてもママチャリ泣かせの道
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八丈小島と相棒(サドルを思いっきり上げたのは言うまでもないが、空気圧が・・)

八丈小島を右手に見つつ、島の西側の八重根港まで走り、大賀郷の集落の中で「明日葉うどん」を食べて昼食とする。八丈のグルメは島寿司(づけの寿司を和辛子醤油で食べる)か、明日葉を用いた料理だ。以後島を出るまで貧弱な食事になる。

八丈島ではフリージア祭りをやっていたが、実はフリージアがほとんど開花していない状況。今年はそれだけ寒い冬だったと言うことか。少しは観光も、と思い直し、以前立ち寄ったことがある歴史民俗資料館と島の古民家を開放した「ふるさと村」へ寄ってみる。資料館は初めて八丈を訪れた時(10年以上前)とまったく変化なく、少しは変化と工夫をしてもらいたいと思う。ふるさと村ではおばさんにお茶をいただく。

夕方から北西風が強くなり、テント内でもかなり寒い思いをした。シュラフカバーを持たず三季用のダウンシュラフだけだったので、着込んで寝たのだが寒くて夜中に何度か起きた。管理が行き届いているのにサイト代無料の底土キャンプ場には、ワンポールの三角テントで寝泊まりしている父子がいたのだが、あれだと下からすきま風がすごいだろうなあと思う。後でわかったことだが、お父さんはさる山小屋の管理人の方だった。それを聞いて納得。

翌日朝も北西風強く、時折テントがひしゃげるくらいである。天気はいいので、三原山へ登山に行く。八丈島の北部には標高850mほどの八丈富士、南部には標高700mの三原山がある。登山自体はほとんど電波塔管理のための舗装道路で、ほんの一部が階段状の登山道なので、まったくワイルドさはない。山頂は案の定強風で、手がかじかんでくる。そそくさと下山する。下山途中に唐滝という滝に立ち寄り、樫立という集落で温泉(入浴料300円)に入って、キャンプ場に戻った。下山したら風が弱まった。この夜も冷え込んだ。出発時に読み始めた、「原発と権力」(山岡淳一郎著・ちくま新書)を読了。つづいて「吉原御免状」(隆慶一郎著)を再読。

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唐滝。落水量が少ないので、強風で水が巻き上げられている。

最終日、やっと春らしくなってきた。だが翌日からは雨の予報である。隣のワンポールテントの父子も島を離れるようだ。9時40分に出航が早まった「さるびあ丸」に乗船。沖に出ると往路よりも激しく揺れる。ローリングとピッチングが複雑に絡み合い、再後端の船底にある二等船室の揺れは激しかった。みなカーペットにへばりつく。昼まで御蔵島には到着しないので、寝る。お昼に起きて八丈のパン屋で買ってきたパンを噛り、読書。船内のテレビではBSだけが受信できる状況なので、大相撲春場所の中継を三段目から観戦。しかし、16時でBS放送は終了し、地上波になると言う。船は新島から大島へ北上中で、地上波は受信できない。

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さようなら、八丈島

そこで揺れまくる船の最上部デッキに出て、携帯ラジオで十両以降の中継を聴く。誰もデッキには出てきていない。船の船尾をみていると、盛んに当て舵しているのがわかる。風と波浪が強い。うねり2m〜3mといったところか。カヤックだったら確実に沈&漂流&死に至るような海況である。海は恐ろしい。

だが、大島を通過して房総の洲崎から勝浦にかけての海岸線が見えてきたら、急に波がおさまってきた。東京湾って、ありがたい。やがて三浦半島もしっかり見えるようになり、いつもカヤックで漕いでいる海岸線がしっかりと見えてくると、船は12ノット以下に速度を落とし、湾内航行して竹芝桟橋に到着。若人の中には船内で5度も吐いたという者もいた。
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仕事山行・陣馬山〜高尾山

仕事山行で貴重な10月の連休の一日を使ってしまった。

朝6時10分くらいの電車で高尾駅へ。バスで陣馬高原下まで乗り、そこから和田峠に向かって登り始める。サイクリングの集団がバスを下車したところや和田峠への道を走っている。いいなあ。

20分くらい歩くと車道から斜め左方向へ最近できた「新ハイキングルート」が伸びているので、そこから尾根に取りつく。汗だくになって9時40分くらいに陣馬山山頂着。頂上には2軒の茶屋があり、ハイカーでごった返している。富士山は見えない。山頂の人だかりを見て、今日歩くコースは予想通り人だらけだと実感する。若人が選んだコースなので、仕方がない。自分一人ならこんなコースは選ばない。

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陣馬山頂のモニュメント

それにしても「山ガール」が増えたこと。特に入門的な山域だからそうなんだろうと思うが、行きの電車の中でも、それ系の雑誌から飛び出してきたようなファッションの若い女性が隣に座っていたし、ハイキングコースにも多い。ついでに彼女たちにつきあってきたような若い男も多い。若い男向けの登山雑誌もあるからなあ・・

陣馬山からは明瞭な尾根をひたすら高尾山方面に向かう。明王峠、底沢峠、、堂所山、景信山、小仏峠、城山。峠はそうでもないが、山頂はひたすら人、人。そして高尾山に近づくにつれて道はより整備され、普段着の家族連れも多くなってきた。

先日の台風の影響で登山道に倒木があり、跨いだり潜ったり、積雪が多い山にあるような登山道と化している。高尾山は山頂に行くとすごいことになりそうな気配だった(山頂近くの道端で休んでいる人が非常に多かったので)、稲荷山コースを降ったのだが、倒木のおかげで登り、降りとも渋滞になった。降りは比較的速く通過できたのだが、倒木を通過してから登りの渋滞の列が延々と続き、まるで中央高速の週末上り渋滞がそのままここにやってきたような状態。

久しぶりに長く歩いたので、右ヒザが悲鳴を上げた。痛みに耐えて14時過ぎに高尾山口着。午後だというのにケーブルカーに乗る列がまたすごく、参道脇の土産物屋、そば屋などに並ぶ列がまたすごい。そそくさと解散の儀式を行って、まっすぐ帰路につく。どうせなら静かな山歩きを自分のペースでしたいなあ。今日のペースは若人たちのザックが小さかったのでハンディがなく、ハイペースで辛かった。

明日は内房でSUPである。
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仕事山行・鳥海山登れず

以前「梅雨明け」に書いたような日程で鳥海山へアプローチした。

往路は新潟経由で羽越本線で羽後本荘へ。羽越本線の特急「いなほ」では笹川流れを間近に見たかったのでわざわざ海側の席を確保した。羽後本荘から由利高原鉄道で終着駅・矢島へ。自宅最寄り駅から7時間の移動でたどり着いた矢島駅は途中の無人駅とは違い、新しく立派な駅舎だった。駅舎の中に観光案内所兼売店があり、70代くらいの女性が係を務めていたので、1時間後に到着する本隊のためにタクシーを呼ぶ相談をした。実はその女性は由利高原鉄道応援大使という肩書きで、その筋では結構有名人の佐藤まつ子さんという方だった。



矢継ぎ早にいろんな質問をされ、お菓子やらさくら茶をご馳走になる。初手からものすごい歓待ぶりだ。まつ子さんはわずか1時間の間に駅に立ち寄った地元の人と必ず会話をされ、由利高原鉄道と周辺観光の問題を鋭く指摘していた。鳥海山登山に対する羽後本荘市の姿勢にも注文があるらしい。確かに、山形県側のアピール度に対して秋田県側のそれは弱い感じがする。地元の振興のことを真剣に考えアイディアを絞り出しているまつ子さんには圧倒されつつも引き込まれてしまった。


帰りに見送られる。まつ子さんは常におしゃれ。

で、結局我々は14人なので、タクシー会社とまつ子さんの交渉の結果、マイクロバス1台で祓川までアクセスすることに。祓川登山口の最大の欠点は、矢島駅や羽後本荘駅から安い価格のバスがないことだ。タクシーを使うと1台数千円になってしまい、マイカー登山だとピストン山行になってしまう。

無事本隊と合流し、18時過ぎに祓川ヒュッテ着。ここまではよかった。


ヒュッテ前から

14人で祓川ヒュッテを独占できたのだが、翌日朝は土砂降りの雨。私と同僚はレインウェアを着込み登る準備万端なのだが、若人のリーダーが日和って結局この日は沈殿。朝祓川に着いたじいさんグループは土砂降りの中を登り始めたのに・・土砂降りの雨は午前中にいったん上がり、晴れ間も時折出てくる。もう少しで七高山山頂まで見えそうなところまでガスが上がる時もあったのだが、やはり天候は全体的に不安定で断続的な激しい雨があった。風も強い。山頂部では風速15mくらい吹くこともあるとの携帯での予報だ。沈殿と決まれば朝寝、読書、ラジオを漫然と聴くくらいしかない。ラジオは日中AM1局(NHK第2のみ。なぜ第1が受信できないのか?)、FM1局(FM秋田)しか受信できず、すぐにつまらなくなる。午後になるとやることもなくなり、晴れ間を見て一人でヒュッテの目の前にある竜が原湿原の散策路を一周歩いてみる。祓川神社ってのが地図には載っているが、トタン張りの物置ないしは作業小屋のような建物に過ぎず、鳥居ひとつない。
若人たちは沈殿と決め込んだら一歩も外へは出ない。少しでも歩いてみれば翌日のルートミスはなかったと思うのだが・・


一時的でも晴れ間が見えた。まだ雪渓が残っているのがわかる。

翌日は4時起きの5時出発。若人のリーダーが七高山・新山ピストンに変更したいというので判断を尊重して認めたが(ただし七高山までで許可)、サブザックを使う予定は組んでいなかったため持っていない者もいて、レジ袋に入れて出てくるような状態。だったら昨日無理しても登ればよかったのに。

歩き始めは湿原内のフラットな木道で、ピストン山行のような荷が軽い時には若人はペースも考えず(ペースだけじゃなく実は何にも考えてない)一歩目からズンズン進んでしまう。見る見るうちに後ろを歩く私たちと距離が離れ、祓川神社の小屋前に私が着いた時には若人の姿は見えなくなっていた。どうやら私が昨日歩いた湿原散策路へ何も考えずに折れたらしい。登山道は直進で、事前に地図を見ておけば普通は間違えようもなく、すぐ登りが始まって雪渓もあるので、彼らが正しい道を選択していれば傾斜が急になった場所でペースが落ち、雪渓でさらにペースが落ちるので目視できるはずである。

湿原散策路は周回路なので歩いているうちに方向がおかしいことに気づくはずだし、すぐに引き返してくるだろうと高をくくって神社前の分岐で待っていたのだが、いっこうに戻る気配がない。それでも20分くらいすれば祓川ヒュッテに戻るはずだから、まず問題はないと思ってのんびり構えていた。しかし待ち時間がだんだん長くなり、後から出発した中高年グループが雪渓を先行するのを見送る。ボーッと立って待っているので小さなブヨが顔周辺にまとわりつき、何箇所も噛まれる。ヒュッテが見える湿原まで何度か戻って目視してみるが若人の姿なし。

さすがにおかしいということで同僚が携帯で連絡をとってみる。幸い繋がるが、あちらは湿原にいるとの返答ばかり。小一時間経って、周回路に一箇所分岐があって「カラ滝」に向かう降りルートがあり、もしかしたらそれを降りてしまったのでは?と推測する。携帯でそれ以上先に進むのは止めて登ってきたルートを忠実に降りるよう指示し、迎えに行く。「カラ滝」への分岐を折れると足跡が複数あり、湿原状の薮漕ぎに近いルートになる。赤テープが頻繁に見られるのだが、地形図にも昭文社の登山地図にもルートは描かれていない。登山靴がドロドロになるような道を踏み分けて行くと高さ10mくらいの滝があった。滝の脇にケルンが積まれた広場で若人を待つ。5分くらいで無事合流。いったんヒュッテに戻るが時間はかなりロスしたので、登山を諦めさせる。


カラ滝


ちなみに迷い込んだ道は祓川ヒュッテのかつての管理人が開いた道で「康新道」といい、
上部では残っているが下部では廃道となり、上級者の薮漕ぎコースとなっているらしい。

そもそもどうしてこんな小学生でもしないようなミスをしでかすのか、あきれ返るばかりだが、若人自身にその原因を考えさせないとまたルートミスは起こる。「ルートミスを犯さない」ということを完璧に求めることは誰に対してもできないが、ミスを犯さないような事前の判断と行動は要求できるだろう。前日の晴れ間に偵察してみる、人工の構造物があるところで立ち止まって現在値確認、集団で注意力散漫なまま歩かない、ミスコースかもしれないと誰かが感じたら遠慮せずに意見して立ち止まって判断する、そのくらいは大人にアドバイスされるのではなくて自分たち自身で見いだして欲しいものだ。

ということで鳥海山はお流れ。またの機会に譲ることになった。スキーでも山頂まで到達していないので、今回は本当に残念。

鳥海山を下から回って吹浦へ。再び矢島駅で佐藤まつ子さんたちに熱烈に見送られる。朝日連峰からずっと若人につきあってきた同僚は秋田経由で帰路につく。お疲れさま。


由利高原鉄道「おばこ号」

吹浦では若人はキャンプ、私は軽量化のためテントも持参しなかったので駅前旅館に投宿。泊まった丸登旅館さんは昭和初期から登山客や海水浴客を受け入れてきた宿で、普通の民宿風だが料理は魚介尽くしで素晴らしかった。


贅沢過ぎます

翌日は若人を連れて酒田観光へ。酒田では無料のレンタル自転車を借りて山居倉庫や本間邸、美術館をめぐった。サドルも固着したママチャリなのが残念だが、最上川を越えて土門拳記念館まで行ってきた。映画「おくりびと」のロケ地にも立ち寄ってみた。観光スポット以外は街の中心街も閑散としていて、少し寂しげな酒田だった。


NKエージェント。元は割烹の建物だったらしい。

折しも新潟と福島は豪雨災害が拡大している。庄内はほとんど雨も降らず、隣接地域なのに申し訳ないくらい。帰路は新庄経由で初めて山形新幹線に乗った。新庄駅でもらった「神室連峰」のパンフレットはいつかの山行の時に役立ちそうだ。

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仕事山行・谷川岳

週間天気予報では雨という最悪の予報だったが、現地に行ってみると土曜日午後から晴れたようだった。非常にラッキー。

いつもなら登山口近くで前日幕営だが、幕営に必要な水、トイレが確保できそうもないので、この日は湯桧曽の素泊まり3,000円の宿、「
スキーヤーズプレイス」に投宿。主宰する龍太郎さんは競技スキーからバックカントリーに入っていったバリバリのスキーヤー。職場の同僚の親戚でもあり、今年初めに紹介されていた。大変親切にしていただき、来シーズンのスキーはここへも来て滑ろうと思っている。

さて、日曜日は午前中勝負の天候なので、省力化(あるいは横着)してロープウェイを使う。ロープウェイが上を通っているのに索道下の登山道を歩く、というのは大変難しい。誘惑には勝てないのである。


天神平からの谷川山頂はとても近く見える

で、天神平の標高1300mちょっとから歩き始める。天神尾根から山頂にアプローチするのはもうずっと以前にスキーを履いて登り、広い大斜面と熊穴沢からデブリの中をドロップインして以来。無雪期に登るのは実は初めてだったりする。

さすが百名山で登山道は整備されており、順調に高度を稼いで標高差600mを約2時間で登頂。肩の小屋直前には雪田を直登する箇所もあった。久しぶりの雪。雪があると何だか嬉しい。若者たちは雪慣れしていないのでおっかなびっくりだが、私は雪田・雪渓歩きは大好きである。ヒザに来ないのも嬉しい。


トマノ耳から西方面の稜線を眺める

トマノ耳、オキノ耳をとりあえず踏んで、周囲を見渡すと遠くの山々まで一望である。清水峠や白毛門まで馬蹄形縦走してみたいものである。
登山道にブヨが大量発生しているのがいただけない。腕を何箇所も噛まれ、ズボンの間から入り込んだ奴がふくらはぎまで噛んでいった。熊穴沢避難小屋の休憩では発狂したくなるほどたかってきたので、天神平まで慌てて退避する。


トマノ耳からオキノ耳


群馬側は厳しい岩と谷(マチガ沢だと思う)

下りもロープウェイ。降りてから一ノ倉沢まで車道歩きをするので、また軟弱な下山になったが、これも中年の私にはあり難い救いである。が、3kmほど車道をバスの発車時刻を気にしながら歩くのはきつかった。

何とか15時のバスに間に合い、上毛高原までバス移動、その後新幹線でビューッと移動して18時には自宅に着いた。前日夜に自転車屋からスポルティーフ完成の一報が入っていたので、なるべく早く引き取りに行きたかったのである。ヘロヘロになりながら自転車を引き取った。自転車のことはまた別のエントリで。

実は月曜日、朝から疲れがどっと出ていた。昼過ぎにはあちこち筋肉痛に加え、日焼けした首筋などヒリヒリしている。それでも夕方スポルティーフに少し乗った。嬉しくてたまらんぜよ・・
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比企丘陵歩き(仕事)

日曜日に仕事で比企丘陵を歩きに行ってきた。だいたい4時間程度の平地ハイキング。

東武東上線の東松山駅から歩きはじめ、吉見百穴を経由して丘陵地帯の道路を歩き、ポンポン山というヘンテコな名前のついた神社裏の岩場までたどり着いた。ちなみに標高は30mに満たない程度。確かに岩場の下で足を強く踏みならすとそれらしき音はするのだが、だからといってそんなに驚いたり感動したりするものでもなかった。ただ、丘陵の北東端に岩場があるため、東にのどかな田園風景が広がっていて眺めはいい。


吉見百穴。存在を知ってはいたが初めて行った。


ポンポン山前の神社。高負彦根神社という。8世紀初めからあるらしい・・


ポンポン山から東を眺める。

お昼を食べて、丘陵の東の崖に沿って南下し、久米田というバス停から東松山に戻る。
東京の東端の自宅からも東松山へは1時間30分くらいで、結構近いことがわかる。

本当は仕事絡みでなければ、BD-1で輪行して帰りは荒川に沿って南下して来たかったくらい。
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相模灘を一望

久しぶりに仕事山行へ行ってきた。目指すは箱根・明神ケ岳。

登山口までのアクセスは、小田原までJR、小田原から伊豆箱根鉄道で大雄山へ。この大雄山線というやつは初めて乗った上に、ついこの間までこの路線の存在すら知らなかった。のどかなローカル私鉄である。

大雄山駅

大雄山駅から駅名にもなっている大雄山最乗寺(道了尊)へ。バス代260円。スイカで全て済んでしまうのでキャッシュレスで行かれる。最乗寺の山門前はやや路面が凍っていて、一昨日と昨夜の降雪でこれからの登山が心配される。しかしお寺の境内は立派なもので、今から思うと参拝しておくべきだった。

境内の赤いゲタからハイキングルートが始まる。登山口の標高は300mちょい。雪はだいぶ解けかかっているが、鬱蒼たる杉林の中で泥道にはなっていない。順調に標高を稼ぎ、2本の林道を横切って670mあたりにある見晴し避難小屋へ。ここまで約1時間。小休憩して、少年たちに軽アイゼンを装着させる。トレイルが踏まれていて滑りやすいのと、せっかく持参したのにまだアイゼンを装着して歩いたことがない少年たちが多いため。積雪は次第に増えるが10cmほどなので、アイゼンなしでも登れるくらいではある。

それにしても、雪が降った直後なのに結構登っている人がいたのに驚いた。
展望が開けたところで振り返ると、相模湾が一望である。弓なりの海岸が三浦半島から湘南に続き、伊豆半島へと向かっている。絶景であった。冬型の気圧配置にしては風も弱めだったので、今日はカヤックで海に出るには最高だったかもしれない。

相模灘一望

12時20分ころ山頂着。箱根駒ヶ岳と富士山が眼前だが、残念なことに富士山の手前には雲がかかっていて朝列車から眺めたような全貌は拝めなかった。北側の裾野の向こうには南アルプス北部、少し間を置いて八ケ岳方面も見えた。

広い山頂

富士に雲が・・

貧相なコンビニおにぎりを頬張って下山にかかる。タブレット型のブドウ糖を行動食に補給したのだが、治療中で大穴が開いている左奥歯でうっかりかみ砕いてしまい、その瞬間に奥歯が欠けた。以前に大工事をした場所なので、もう歯の壁面が削られてペラペラになっていたのだ。しかも、先週型をとって明日被せものを付けて無事工事完了という直前のアクシデントだ。また治療は長引き、私の歯はさらに削られるに相違ない。昔と今の歯の治療はずいぶん違っているはずで、昔はむやみやたらに歯を削って穴を空けたので、中年になってそれら治療した歯が弱っている。ウチの子供は歯磨きもロクにしないくせに歯医者に行くと「優秀な歯」ということで帰されてくる。なんてこったい!

稜線から宮城野集落へ降りる分岐でアイゼンを外したが、宮城野集落まで登山道にはしっかり雪がついていた。下山14時30分。路線バスで箱根湯本へ移動するが、観光客でバスは満席、しかも湯本直前で国道1号線が渋滞、箱根湯本駅も観光客でごった返していた。これでは温泉に入ってゆったり帰る気力も失せ、帰路の時間を調べたら18時近くにならないと最寄り駅までたどり着けそうにないので、解散後すかさず列車に乗った。

今回は雪の上を歩いたので脚には大きな負担はなかったのが救いだった。
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久しぶりに山へ

夏の利尻山以来の山へ行った。もっとも、最近は仕事絡みでないと山に自分から行く気がしないので、非常にありがたい3時間の山歩きだった。

行ったのは奥多摩浅間嶺。朝5時台に自宅を出ても、登山口に到着したのは3時間後。遠い&眠い。しかし紅葉がきれいだった。でも今回写真はありません。

9時30分に小岩集落から登り始めたが、地形図の登山ルートはすでに廃道になっていて、稜線近くまで林道を歩いて20分ほど落葉の積もったトレイルを歩いたら903mの山頂直下の広場に出た。ちょっと休憩して、払沢の滝方面へ下山。傾斜は緩いが長めのトレイルで標高差600mあまりを降った。久しぶりで脚が軽く疲れ、ヒザも少々痛くなる。

12時30分に下山。そういえば今日から大相撲九州場所だ。慌てて帰宅するが、すでに注目の幕下上位は終了、十両の相撲が始まっていた。これから幕内取組みを観るぞ!
今場所白鵬の連勝記録はよほどのことがない限り更新されると思っている。豊真将が勝ち越して初場所三役になれるかどうか?そして混戦の幕下上位からだれが関取になるのか?目の離せない2週間が始まる。
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利尻山へ

7月24日の朝、3時に起床して4時20分に北麓キャンプ場を出発。
パーティは少年9人、大人2名の11名である。前日稚内でザックごと持ち去られた少年はもう一人の大人と靴サイズがたまたま合致したのでその靴を借り、サブザックなしで登る。見た目ほとんど登山シロートに見えてしまうが、登山靴だけはしっかりしているので(スニーカーにジーンズで登っている大人もいる)よく見ればそれとわかるはずである。

最初はゆるやかなすそ野を登るトレイルで、なかなか標高が上がっていかない。前日キャンプ場までの舗装路アプローチでバテていた最年少の少年の足取りは重い上、11人のパーティになると誰かの靴ひもが緩んだり、段差を越えるのに時間がかかったりして、他の中高年登山者にどんどん抜かれる。いつもはサブザックでのピストン山行はかなり速いペースで登ってしまうのだが、このくらいゆっくりだとこちらは疲れなくてよい。それにしても少し遅すぎる。

森林限界の標高はだいたい600m以上だろうか。しかし笹藪が高かったり、低木が伸びていて視界が開けることがなかなかない。そのうち低木の枝に頭をぶつけ、目から星が出ることしばしとなる。登りでも降りでもこんなに枝に頭をぶつける登山は過去になかった。

6合目の第一展望台(7時50分)で初めて視界が開け、目の前に長官山、背後に海を眺める。しばし休憩。やや北東風が強いか。すると後方からガイド付きの中高年登山パーティが登ってきたが、ガイドの名札を見たら利尻をベースに登山・シーカヤックガイドをしている渡辺さんだった。「先日テレビで見ましたよ」と声をかけたら気さくに礼文島西海岸の状況(特にどこから風が吹き抜けてくるか)を教えて下さった。船泊から元地のコースは一日で漕げるでしょうと教えてくれた。この中高年パーティにも抜かれる。

第一展望台から

6.5合目に簡易トイレブースがある。利尻登山は大雪山系と同じくトイレがなく、簡易トイレのビニール袋持参での登山が推奨されている。私も自分用に一袋持っていったのだが、使用せずに済んだ。何せ私は排便時間がほとんど決まっている、「6時30分〜7時の男」であり、しかも「二度○ソを頻繁にする男」なので、こうした早朝出発の山行では排便のタイミングが非常に気になるのである。この日は4時の排便で事足りたのでラッキーであった。利尻山ではその他に2ヶ所(避難小屋と9合目)簡易トイレブースがあった。

長官山の斜面を眺めながら登っていると、実にこの前衛峰がスキー向きの斜面を持っていることに気付く。登山道から見て右手の浅い沢あたりは山頂1,200mからのほぼ一枚バーンである。スキーするためだけに利尻に来る、というのはあまりに遠くて現実的ではないが、面白いのではないかと思う。

長官山

長官山山頂(1,218m、8時30分)でようやく8合目。その後平坦な尾根を少し歩くと小さな利尻山避難小屋。いままですべてのパーティに抜かれてきたので、最年少の少年にこの後登りきれるか尋ねてみる。ここまででも2歩歩いては立ち止まりため息をつくような状況だったうえ、この休憩で半べそをかいている状態である。ムリはさせずここで同僚に付き添ってもらってエネルギーを補充し、また歩けるようになったら9合目くらいまで登っておいで、と告げて二人を残す。あまりこういうパーティ分割はやりたくはないが、まだ少年には体力と根性が身に付いていないうえ、このままさらに険しい場所で11人が頻繁に立ち止まるのはまずい。もちろん、ここまで4時間以上何も食べずに登らせているパーティリーダーの計画にも問題がある。平地とは違って登山中は頻繁に間食させるべきであった。

ようやく山頂が・・

9名になってややスピードアップ。山頂に近づくにつれ、トレイルがざれて足場が悪くなる上、トレイルの右側がぱっくり崩壊している部分もある。オーバーユースで溝状になってしまったところもあって危険度は増す。2名〜3名で登っているパーティを今度はごぼう抜きして、10時20分に山頂着。山頂部で強い風が吹いていなくてよかった。
360°の視界が得られ、絶景である。

山頂直前

山頂の祠

北峰とローソク岩

11時少し前に下山開始、登りよりも危険を感じるザレ場の急坂を下り、再び避難小屋で最年少の少年たちと合流。聞けば体力回復して9合目まで登ったらしいが、「泣き言を言わない、ゆっくりでもいいから止まらない」という約束をして歩かせたら、意外といいペースで登っていたという。ということは体力不足なのではなく、精神力不足ということか。パーティの中に入ると弱気になってしまうというのは私としては初めてで、どうしたら皆とともに歩けるかわからない。

降りでも何度も枝に頭をぶつけ、小さなコブを作りながら無事14時ころ下山。振り返ってみるとこの日に登頂できたのは大変ラッキーであり、今夏の登山好適日の中でもかなりいい条件だったのではないかと思う。
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利尻・礼文の旅

今年の夏の仕事山行は利尻山登山と礼文トレッキングとなった。
24日に利尻山登山を無事済ませ、25日からはフリーにしてもらってその日の午後に礼文島西海岸をカヤックでソロツーリングした。しかし、26日からの道北の天気は悪く、それ以後ほとんど何もすることができなかった。

利尻登山と礼文カヤックツーリングの日の天気が最高だったのだから、達成感は非常にある。

このエントリでは利尻・礼文へのアプローチなどについて日録風に綴ってみる。

7月21日(水)
若い同僚と羽田発の飛行機で函館へ。北海道にしては暑く、黙っていても汗が吹き出てくる。
十数年ぶりの函館駅は新駅舎になり、駅前広場が広々していた。函館から特急「スーパー白鳥」に乗って長万部へ。長万部公園キャンプ場にて少年たちと落ち合う。キャンプ場は駅から4kmほど内陸に入った高速道路のそばだが、非常に静かでいい雰囲気だった。たまたまこの日の受付担当のおねいさんがてきぱきしていてなかなかの美人。夕方、少年たちがやってきてレトルトカレーの夕食となるが、食べている間にも蚊がわんさか体にまとわりついてきて閉口する。夜、ラジオを聴いていたら翌日からの天候は下り坂のようだ。週末の利尻・礼文の予報もよくない。先が思いやられる。夜半に雨が降った。
函館駅

スーパー白鳥

スーパー北斗

ファーストライト

7月22日(木)
長万部駅

長万部から予定より一本早い「スーパー北斗」にて札幌へ。車内販売のおねいさんが美人だったのでついコーヒーを注文してしまった。予定の列車だと札幌で駅から出ることも叶わない乗り継ぎだったが、約2時間の余裕ができたためにアウトドア用品店の秀岳荘本店へ。ヒザサポーターを忘れてしまったので、簡易なベルト式のものを一つ買う。2年前はここでガスボンベを買ったっけ・・昼食は駅ビルで海鮮の定食。これから食事が貧相になるのでしっかりいいものを食べておきたい。

サロベツ(3両編成)

昼過ぎの特急「サロベツ」に乗って稚内へ。約5時間の列車移動だ。旭川を過ぎるととたんに大自然のまっただ中を走るようになる。列車の行き違いやエゾシカの線路への乱入で時々ストップしつつ、午後6時過ぎに稚内着。当初、高台の公園キャンプ場へ移動する予定だったが、翌日のフェリー出発時刻が早く、移動の時間がもったいない上、小雨も降っていたのでライダーやチャリダーのように北防波堤ドームの下でテントを張ることにした。ドームの下まで雨が吹き込んでアスファルトが濡れていた。
今回、持参したのは亡き友人HBYの遺品のBDファーストライト。透湿性のあるエピック素材を使った黄色いシングルウォールテントだ。ポールがスリーブや吊り下げではなく、テント内部で突っ張るのが特徴。フロア素材がシルナイロンで弱いため、エアライズ用のフットプリントの上に設営する。だが暗い中で慌ててテントを設営したため、1本のポール先端でテントウォールとフロアを傷つけてしまった。アスファルトの上に設営したことも原因だ。気付いたのが夕食を食べて戻ってきてからだったので、小さな穴が空いてしまった。少々ガックリする。

北防波堤ドーム

7月23日(金)
この夜、防波堤ドームの脇の道を爆走するバイクや車があり、なかなか静かにはならなかった。そして、朝4時に起床してから少年たちの一人のザックが見当たらないという。どうやら夕食で不在の間か就寝してから車で乗りつけてザックを一つ持ち去った輩がいたらしい。幸い中には貴重品は入っていなかったが、ザックの中の登山靴と食糧が消えた。朝5時に派出所に少年と出頭して被害届を出すことにしたが、被害届を提出するとなると調書をとらなければならず、現場写真を撮る必要も出てくるので厄介なことになってくる。結局乗るフェリーを1本遅らせることになったが、調書は完全には取りきれなかった。被害届を出すか、簡易に遺失届にするかは礼文島から帰ってきてから結論を出すことにして、パトカーでフェリー乗り場に出港10分前に滑り込む。
警察にはザックの管理が甘いと言われ、まさにその通りではあるが、ザックごと持っていくという行為には新宿駅や東京駅でもお目にかかったことがない。札幌駅でも駅舎脇に2時間以上ザックを放置してまったくいじられた気配はなかった。当然山の中ではあり得ないことなので、油断があったことは事実だ。警察官が朝からねちっこく事細かに聞くのは仕事だからしょうがないだろうが、礼文から帰ってきた後の対応のそっけなさから振り返るとイヤらしい扱いだった(礼文から帰ってきたら列車に乗る前の3時間で調書の続きを取り、パトカーで送迎するとまで言っていたのに・・・)。

気を取り直してフェリーの人となる。北海道の離島を結ぶハートランドフェリーはきれいな新しい船を使っていて、料金も比較的安く(利尻・礼文への片道は2,000円強)、快適だ。

利尻島の鴛泊(おしどまり)に到着すると激しいタクシーの勧誘。それをかいくぐって北麓キャンプ場まで約4km歩く。全部舗装路だが標高差は200mある。少年たちの中の最年少の新人の足取りが重く、だんだん遅れが目立つ。大人は3人ついているので、次第にマイペースになってしまい、私が一番早くキャンプ場に到着したが、最後尾の新人とサポート役の少年らが到着したのは30分後だった。利尻登山が思いやられる。

テント設営。ファーストライトのキズが気になる。ここは連泊なのでこの間カラファテで買った前室を装着。快適なわが家になった。貧相な昼食の後、ポン山(444m)に登り、姫沼まで歩く。晴れたのでポン山からの利尻山が素晴らしく、海の眺めも最高である。姫沼までのトレイルはトラバースしながら涸れ沢を何本か横切るルートで、この島にはヒグマがいないから安心して歩けるが、人っ子一人歩いていないのでちょっと寂しいルートだった。



ポン山から利尻富士

ポン山から礼文方面

姫沼の逆さ利尻山

7月24日(土)
礼文が見えた

利尻登山。パーティ行動なのでまさに10時間近くの行動になった。登山の様子は別のエントリで。登山後、2kmほど下の温泉施設で汗を流す。テントで気象予報を見たら何と礼文島カヤックツーリングを予定していた26日、27日は曇りないし小雨で、南西風が強まるという。絶体絶命か?

7月25日(日)

乗客の手から餌をもらうウミネコ

朝9時のフェリーで礼文島へ。10時過ぎに香深に到着し、ここで少年たちと別れ、仕事から解放される。予約していた民宿「ゆうなぎ」のおにいちゃんが運転する島内唯一のプリウス号で島の北部の集落、船泊へ。車に同乗しながら礼文島が南北に長い島だということをあらためて実感する。そして、利尻もそうだったかもしれないが、礼文島の東海岸には集落が点在しているものの、畑がほとんどない、ということに気付かされた。島民のなりわいは農業ではなく、漁業か会社勤務、自営業ということになるのだろう。庭先での家庭菜園さえ見かけられないのはどういうことだろう?
到着後、あらかじめ送っておいたカフナを組み立てる(ちなみに配送料金は「ゆうパック」で1,700円だった)。たとえ途中までしか漕げないとしても、この日の午後勝負である。その後のツーリングは別エントリで。

7月26日(月)
夜半から雨が降る。小雨にはなったが、予報通り南西風が吹き抜けてくる。次第に民宿の目の前の船泊湾にもウサギが飛び始める。前日に漕いでおいてよかったと胸をなで下ろす。が、この日はもうやることがない。トレッキングをこの強風と小雨の中で一人でやろうという気が湧かない。体も登山とカヤックで疲れている。

礼文神社参道から船泊集落

礼文神社

軽い散策に切り替えて、船泊集落から2kmほどの高山植物園へ。レブンアツモリソウやレブンウスユキソウを目の当たりにする。海岸べりではもう高山植物も終わってしまっているので、培養されたものとはいえ実際に目にすることができてよかった。その後、九種湖の周遊路を一人歩く。礼文にもヒグマはいないので、安心だ。少年たちがテントを張っているキャンプ場に近づいた時、胴長の小動物が目の前を横切った。テンかイタチであろう。キャンプ場は集落に隣接しているので、こんなところでお目にかかるとは思わなかった。


アツモリソウ(右)とウスユキソウ(左)

九種湖畔にポニーが1頭

いったん宿に戻り、近くの食堂でラーメンを食べてからカヤックを近くの郵便局で送り返す。民宿「ゆうなぎ」は出艇するにもカヤックを郵便局から送るにも30m程歩けばよいのでうってつけの場所にある。「ゆうパック」料金は、局員に食い下がったものの往路の安い料金にはならず、しかしなぜか160サイズに縮んで1,900円だった。

午後はさらに風が強まった。幸い雨は止んでいるので、船泊の東にある金田ノ岬までアザラシ君たちを見に行く。
船泊の海岸でウインドサーフィンをやっている方が一人いたので、それを見学がてら砂浜の穴あき貝を拾う。落ちている二枚貝の貝殻にはほとんどといっていいほどきれいな穴が空いている。調べるとツメタガイという巻き貝が二枚貝の殻に穴をあけて食べた跡なのだそうだ。穴にヒモを通せばペンダントになる。いい場所に穴が空いている貝殻を4つほど選んで拾った。砂浜を歩くと飛んできた砂で足元はおろか耳の中まで砂が入ってくる始末。

船泊湾に白波が立つ

寂しげな道路をひたすら歩き、岬を回ったら風が遮られており、案の定アザラシ君たちが浅瀬で風よけをしていた。しかしなんでアザラシたちは体をのけ反って休んでいるのだろう?人間なら筋肉が辛くて数秒しかできないポーズだ。


岩礁で休むバナナ姿勢のアザラシたち

7月27日(火)
海況はさらに悪くなる一方なので、朝一番のフェリーで稚内へ戻る。予報では利尻水道の波の高さ3m。確かに水道の真ん中では船がかなりローリングした。だが酔うほどではない。普段のカヤックでのロール練習の成果かもしれない。
YH桃岩荘の見送り

少年たちも同じフェリーなので、稚内警察へ出頭しようと電話で遺失届を出したいと話したら、パトカーでの送迎はなくなり、電話でコトは済んでしまった。かなり激しく雨が降っているが、ザックだけ宿泊予定のホテルに預かってもらい、中心街へ昼食に出かける。稚内の中央商店街はかなり寂しく、ロシア語の看板だけが目立つがロシア人はいない。やっと見つけた食堂で久しぶりに肉を食う。民宿泊まりでは毎食サカナベースだったのでちょっと嬉しい。その後また「サロベツ」に乗る少年たちと別れ、チェックインまでの2時間を潰すために駅前のシネコンで映画「必死剣鳥刺し」を観る。主人公トヨエツよりも吉川晃司の演技に魅かれた。
清潔なホテルに投宿、夕飯は道北の〆に寿司。天気がもう少し良ければサロベツ原野にでも足を伸ばすところだったのだが・・・

お約束の写真

寂寥感漂う商店街

7月28日(水)
ホテルでウダウダしてからオンボロの空港バスに乗り、12時発の便で羽田へ。市原上空から東京湾岸を飛んでいると、東京湾に白波が立っているのが見える。そしてスカイツリーがやけに目立つこと!
東京の殺人的な暑さに瞬殺された。
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幕営のお供に携帯ラジオ

私はテレビ世代なのでテレビもよく見るが、実はラジオ好きである。
学生のころはラジオなしには生きて行かれなかったし、今でも自宅で仕事する時は、J−WAVEをかけっぱなしでながら仕事をする。若者世代の携帯電話に相当する物が私にとってはラジオか・・?

いま巷で大流行、猫も杓子も持っているiPodはまだMac専用機だった頃初期型(5GB)をいち早く買って使っていたし、その後もう1台買い足したりしたが、ここ3年くらいとんと聞かなくなった。結局自分の持っているCDが尽きればいくら転送しても飽きが来る。iTunesのストアで曲をダウンロード購入したこともあるが、なぜか長続きはしない。
ラジオの方が新しい曲や古い曲も取り混ぜて放送してくれるから飽きが来ないし、トークが意外な発見を与えてくれたりする。通勤用のかばんの中に小型ラジオは常に忍ばせている。

そういうことで結局ラジオに帰ってくる。車を運転している時も基本はJ−WAVE。長野県の中野市から信濃町にかけてJ−WAVEがしっかり入る地域があることも知っている。関東ではたまにbayFMを聞いたり、インターFMを聞いたりするし、スキーで群馬や長野へ移動した時はFM群馬やFM長野だ。すでにカーラジオにはプリセットしてあったりする。また、深夜FMが面白くなくなるとNHK第一放送。移動しながら周波数をあまりいじらなくて済むのがいい。

ラジオのありがたみを一番感じるのはテント泊の時だ。先日の神津島のキャンプ地でも寝しなと早朝にNHK第一を聞いていた。夏、仕事山行で縦走中に大相撲名古屋場所を聞くのも楽しみ。気象通報を聞いて天気図を書くことは自分はしないが、夕方の地方ニュースで詳細な天気予報をやってくれるのは助かっている。

今まで登山などへ持っていった携帯ラジオにだいぶガタが来た。パナソニックのもので、FMステレオ受信ができるのでイヤホンが2つ。シンセチューニング(選局プリセット型)のラジオで重宝していたが、もうスピーカーから音は出なくなって久しく、巻き取り式のインナーイヤホンの片方は銅線がむき出しになり、ついにFMとAMを切り替えるジョグダイヤルがおかしくなってきた。神津島ではAMしか入らなかったので問題なかったが、帰りの船のデッキでJ−WAVEの「グルーブライン」を聞こうと思ってなかなかうまくバンドが切り替えられなかった。

もうそろそろ新しい携帯ラジオを買おうと思った。特段高い買い物ではない。しかし、いつもの癖で研究してしまう。受信感度(これが一番大切)への信頼という面では、ソニーやパナソニックの大手メーカーの方が信頼が置けそうだ。慣れてしまったのでアナログチューニングよりシンセチューニングの方がいい。移動先でエリアコードを変更するだけで選局の苦労がなくなる。短波は必要なし。テレビ音声は入ったほうがいいが、どうせあと1年ほどでアナログ放送はなくなるから無用になる。イヤホン内蔵型でもいいが、そこからまず壊れてくるのでこだわらない。なるべく小型で電池の持ち時間が長い物・・と考えてきた。

かなり逡巡したのち、
携帯ラジオでもカーラジオのようにオートチューニングができれば、県境の山などでもプリセットを変更せずに信号の強い局を探すことができるなあと思った。北アルプスや南アルプスではどちらの県の局も入るので、いちいちプリセットを変更するのはかえって面倒くさい。FMもAMもオートチューニングできる機種はソニーに1種類しかない。これで決まり、である。イヤホン内蔵型ではないが、好みのイヤホンで聴くことができる。曲のプリセットも手動で25局できる。

実はソニーからは「山ラジオ」という機種が出ている。平地のエリア別プリセットがあるほか、山域別のプリセットがあるタイプで、他には見られない。だが、専用プリセットされていても入らない場所では入らない物だし、値段が高い割に他の通勤用ラジオをなんら変わるところがなく、付属するケースがやたらでかい。あまりにベタなネーミングなのもちょっとね・・・ということで選択肢から外した。

←これ買いました

←「山ラジオ」。こっちの方が普通はそそる。

で、買ってきた。5,000円程度だった。素材がプラスチックで質感は全然ない。厚みも大きさも今まで持っていたラジオより一回り大きい。
はっきり言って安っぽい&ダサい。でも失敗ではなかっただろう。倍くらいの値段がするより薄型小型の通勤用携帯ラジオだって、作りは安っぽいのだ。付属のイヤホンはあまり耳に合わないようなので、カナル型のイヤホンを使う。東京で聞いている限りは感度のよさ悪さはわからないのだが、今度辺鄙なところへ持っていって試してみようと思う。

ちなみに、このくらい小さなラジオだったら本体に防滴処理がされていなくても、ジップロックに入れれば防水になる。

追記:私が買ったラジオにはオートオフ機構がついていませんでした。チューニングシステムからてっきりオートオフはついているものと思い込んでいましたが、これでは聞きながら寝入ってしまってもスイッチはオフにならない。うーむ、一長一短だなぁ・・
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神津島に雪が降るのだ3

31日、出港時間は10時30分なのに、若人たちから6時にたたき起こされる。テキパキ撤収すれば8時起床でも何とかなりそうなものだが・・

で、配給された朝食はバウムクーヘン1かけら。こういうことはよくあるが、それにしてもトホホである。事前の計画メニューではちらし寿司だったのに・・個人持ちのチョコレートを足して、インスタントコーヒーを淹れ、腹に流し込む。今回は日程が短いし、もう帰るだけなので何とかなるが、縦走の多い夏にこのレベルの食事ではカロリー不足でシャリバテしてしまう。

西風が強めなので「かめりあ丸」が到着する場所が変わると嫌だなあと思っていたが、8時、キャンプサイトにも鳴り響く島内放送で前浜海岸から出港とアナウンスがあった。いちいち東海汽船に問い合わせなくても定時にわかるのはありがたい。

予定通り「かめりあ丸」は10時に神津島着岸、10時30分には出港。全くのピストン運行なのである。東京での停泊時間も3時間弱だから、船員の方々はさぞ多忙だと思う。



さらば神津島


日中の航行なので、アイランドホッピングをデッキから楽しむことができる。式根島では学校の先生らしき方の転任に伴う見送り風景が見られた。こういう風景を見ると船旅っていいなとあらためて思う。



夕方、東京湾に入る頃デッキに出てみる。右舷方向に房総半島南部、左舷方向に城ケ島や三浦半島南岸が見えてきて、いつもカヤックから見慣れた風景があらわれ、何だか安心する。しかし大房岬沖を通るあたりから明らかに水が褐色を帯びてきた。いつもきれいだと思っている房総南部の海水にしてこの色である。外洋の海水がいかにきれいなことか。

そんな海にデッキからタバコの吸い殻を捨てるオッサンがいた。思わず「灰皿はすぐそこにあるだろう!」と怒鳴ってしまった。本当に船内の喫煙所と目と鼻の先なのである。オッサンはきょとんとしていた。きっと普段から吸い殻を海に捨てているんだろう。自分くらいどうってことなかろうという意識に違いない。デッキのフェンスから海にたたき込みたいくらいだ。しかし、同じようなことをするオッサンが多いらしく、別のオッサンもすぐそばでタバコをふかしていたのだが、ついぞ灰皿に吸い殻を捨てる場面は見なかった。捨てる瞬間を見ていないと注意もできないし、ずっと監視している訳にも行かないのでその場を離れた。こいつらには良心とか、規矩というものはないのだろうか。

富津岬沖の第一海堡、第二海堡(工事中)を間近に眺め、横浜のビルのシルエットとベイブリッジが見える。アクアラインの「海ほたる」を右手に、トンネル部分の空気抜きである「風の塔」を左手に見るころには羽田からの飛行機が四方に散っていくのが見え、日が落ちるとお台場脇をすり抜け、レインボーブリッジをくぐり、竹芝桟橋到着である。都会のど真ん中に着岸するのはドラマチックではあるが、何と東京は光に満ちあふれているのか。同じ都内の神津島の暗闇のキャンプ場からのギャップが著しすぎる。

横浜

「風の塔」と富士山

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神津島に雪が降るのだ2

29日夕方からの降雨と風で異様に寒く、夜中に何度も目覚めた。3季用薄手ダウンシュラフとシュラフカバーではしんどい寒さ。しかし、翌30日朝は予報通り快晴である。

標高570mの天上山トレッキングに出かける。標高0mからの登山なので、高尾山に登るのとはちょっと違う。前浜に面した集落まで来たら、天上山の上部が白い。若人たちは天上山特有の砂礫だと寝ぼけたことを言っているが、それは前日よく山を見ていないからだ。昨晩の冷たい雨はもしやと思っていたが、島民でも滅多に見ないという雪の中の登山となった。

白いのは雪


標高300mあたりからわずかに雪が出てきた。稜線直下では5cmくらいか。10合目まで達すると強風なので、千代が池まで降って風をしのぐ。表砂漠と言われる砂礫地ではグレーの砂礫と白い雪のコントラストが面白い。雪の上から足で踏むと、きな粉と砂糖をまぶしたような感じだ。

9合目あたり

山頂部に千代が池

枯山水のよう


「新東京百景展望地」からは伊豆諸島北部の島々が一列に並ぶ姿が見える。手前から式根島、新島、利島、大島。大島の三原山山頂部も当然白く、遠く富士山やうっすら見える南アルプスも白い。伊豆半島の低山で際立って白く見えるのは大室山だろうか。山腹が樹林帯ならばわずかな積雪で白くはならないが、大室山は草地だから、真っ白になるはずである。



東南方向には三宅島。これもまた雄山から噴煙を上げつつも山頂部は白い。そしてその南方には御蔵島。こんな絶景を東京都民は見ない手はない。

三宅島も山頂部が白い


標柱に雪がべっとり

山頂からの神津島集落中心部

降りは別ルートから下山。階段降りだが、だんだん右ヒザが痛くなってきた。以前から右ヒザは降りで痛いことがあったが、ここ2〜3年痛みは引いていた。ここのところバカのようにスケートをやり始めたことや、右ヒザを氷で打ったことが直接の原因であろう。スキーもあまりヒザにはよくないし(ただ登山よりは負担は軽い)、前日アスファルト上を延々歩いたのもよくなかった。若人たちは先行させて、マイペースで下山。

若人たちから支給される食事があまりに貧弱なので、集落で野菜炒め定食を食べた。午後はテントで読書&昼寝。夕食は若人らしく焼き肉ということだが、私は肉は遠慮したい。しかしご飯が炊けてまず肉から焼き始めた上、野菜は肉が焼けてから切り始める始末だったので、結局豚焼き肉とタレでご飯が終わってしまい、寒い中野菜が焼けるまで待つのも面倒くさく、早々にテント内へ。明日は帰れる。

つづく

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神津島に雪が降るのだ1

春の仕事(山行)は離島が多い。とはいえ、遠い所は日程的にも難しく、東日本にはこの時期快適にキャンプできる離島は少ないので、自然と伊豆七島のどれかになる。東京に住んでいても残念ながら普段意識することがないのだが、大島以南の伊豆諸島および小笠原諸島は東京都内である。

その中でも、島内に登り甲斐のある比較的高い山があるのは、神津島と八丈島。八丈は3年ほど前に行ったから、久しぶりに神津島行きとなった。

28日日曜日夜22時発の東海汽船「かめりあ丸」に竹芝桟橋から乗船。都会の中心から島渡りができるのは東京ではここだけで、行き先はすべて伊豆七島。今回は若人と同じ2等和室ではなく、私一人だけ特2等(寝台)にした。料金格差は船の装備(かめりあ丸は率直に言ってかなり年季が入っている上、食事事情やアメニティに乏しい)に見あっていないのだが、プライバシーは一応保てる。何せ往路は羽田沖で時間稼ぎをするので、大島までも8時間、神津島までは12時間かかる。プライバシーくらいは保ちたい。指定された寝台は2段になっているベッドの上段で、はしごの上り下りが面倒くさい上、船内暖房が効きすぎて室温が25度以上になっていた。備え付けの毛布を敷布団にしてもう1枚有料(100円)の貸し毛布を借りたのだが、貸し毛布を使う必要は全くなかった。

翌朝、大島到着のアナウンスでたたき起こされ、その後はゴロゴロしながら神津島到着を待つ。幸いなことに船の揺れは少ないまま、利島、新島、式根島に立ち寄って神津島前浜埠頭に到着。前回は風波の関係で島の東側の多幸湾に到着したため、生活道具の入った大型ザックを背負って丘越えしてこなくてはならなかったので、ほっと胸をなで下ろす。ここからなら沢尻海岸のキャンプサイトまで歩いて15分だ。埠頭にある「よっちゃーれセンター」(この建物も最近できたようだ)の観光協会でキャンプの手続きをして、総勢11名、ぞろぞろと海岸沿いの道路を歩く。若人の中には数年前の沢尻海岸キャンプを経験したものはいないので、何となく私が案内役になってしまう。

ついたキャンプサイトは夏は海水浴場になる入り江に面していて、海水は透明度が高い。サイトは草地で炊事棟と水洗トイレ棟(夏季はシャワーあり)があって最高のロケーションである。山側にはずっと以前に営業をやめて廃虚となったリゾートホテルの虚しい建物があるが、新しい老人ホームの建物もあり、トンネルを抜けると島内唯一の温泉保養センターもある。しかし我々が滞在していた期間は年度末のため、保養センターは閉館していた。ヒマで仕方なければ保養センターの風呂に入って時間を潰す、ということもできない。

沢尻湾


テント設営。今回も個人テントを持参してきた。今回は友人の遺品のBDファーストライトを使ってみたかったが、雨のことを考えるとやはり前室が欲しいので、今回はいつものエアライズ2を持ってきた。もう10年以上使っているはずだが、このテントは面白みや所有満足感は全くないかわり、実に丈夫なテントだ。キャンプ道具を詰め込んできたザックは、友人の遺品であるグレゴリーのパリセード。旧型のパリセードは持っているが、新型のパリセードの使い心地はどうかの調査も兼ねている。結論は当然ながら旧型よりも優秀。細かい工夫がなされている。まず、雨蓋が取り外せてウエストバッグになる所は旧型と同じだが、ファスナーの形状が一直線になって落とし物が無くなった。ショルダーハーネスがグレードアップし、チェストハーネスが可動式になっていた。ウエストベルトの両サイドに小物が入るポケット。背面のアイゼンなどを入れる薄いポケットの中にもう一つファスナーがあってそこからザック本体の中身にアクセス可能。旧型ではナルゲンボトルを装着できるスロットがザック脇にあったが、新型ではこれが格納できるようになっている・・・などなど。私はマイテントを担いで山行するスタイルが多いので、80リットルクラスのザックは欲しいのだが、友人から受け取ったアウトドアグッズの中でこのパリセードが最高に優れものである。

前浜海岸


この日の昼食は歩いて港まで戻り、「まっちゃーれセンター」2階の食堂で刺身定食を食べる。結局これが島に来て唯一の海産物を口にした食事だった。

刺身定食


食後はテントサイトを通過して島の北端近くまで道路を歩く。距離にして4kmくらいだが、海岸の様子を眺めながら1時間ちょっとの散歩である。西に突き出た岬を回るたびに強風に晒される。赤崎という磯場に遊歩道があって、観光パンフレットの表紙にもなっている。夏はさぞや楽しい海中プールだろうとは思うが、強風の春先では寂寥感が強いだけ。

赤崎から式根、新島を眺める


帰りはありがたくも自家用車に乗せてくださる方がいて、あっという間にキャンプサイトに戻ってきた。

夕方から冷たい雨。ラジオでは東名高速御殿場あたりでの降雪で大渋滞、箱根あたりの有料道路が軒並み閉鎖と言っていた。テントの中もかなり寒い。

つづく

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仕事山行・丹沢仏果山

遊びではないが、本当に久しぶりに登山に行った。9月に行った苗場山いらいである。
場所は丹沢の東側の前山のひとつ、仏果山。750m程度の低山で、冬以外はヒルの住み処だ。

本厚木駅からバスに40分近く乗り、半原の撚糸組合前バス停で降りる。おそらく10時40分ころ出発。神社が目の前にあって、神社の脇の沢の脇道を登っていくと、国道の橋をくぐって登山道になる。まず、705mの高取山へ登るべく登山道を歩く。うっすらと前夜降った雪がかぶっていて、1時間30分ほどで高取山山頂だが山頂部では5〜10cmの積雪があった。登山道は踏まれていて滑りやすいが、特に危険な箇所はなく、アイゼンなしでも登れてしまう。
ちょうど12時に着いた高取山山頂には展望台があって、西側には宮ヶ瀬湖が望める。高いところは意外と下界の音が響くもので、改造バイクの爆音がひっきりなしに聞こえてくるので山に入っている気がしない。

関東平野を臨む


30分ほど休憩するが、ドンドン体が冷えてくるので出発。アップダウンのある尾根を歩いて仏果山へ。尾根の降りでやや滑りがちになるので気をつけて歩く。

ベンチも雪をかぶる


仏果山山頂でも若干の積雪があり、ベンチやテーブルは凍っている。ここにも展望台があるが、眺める景色は同じなので、半原方面に向けて下山。標高500mまでは雪がついていたが、次第に雪はなくなり、泥道に変化。小さなエビノシッポが溶けて落下してくるので、上半身は常に濡れた状態になっている。

仏果山頂上の標柱


14時過ぎ、下山。バスの到着時間まで30分以上あったので、さっそく携帯のワンセグで女子モーグル決勝の模様を見る。上村愛子残念ながら4位。

その後路線バスに揺られ、本厚木駅から自宅に戻ったのはちょうど17時だった。

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