奥久慈へ

11月19、20日を使って吐月工房氏と茨城方面へバイクツーリングに行ってきた。
紅葉を愛でるツーリングのはずだったが、そこまで美しい紅葉は見られなかった。
やはり時期と場所を選択しないと紅葉はむずかしい。すでに会津の紅葉は盛りを過ぎて、冬型の気圧配置になりつつあって、冷たい雨模様だ。

集合場所は利根川と江戸川が分かれる関宿城。ちょうど10時に合流して、利根川を渡り茨城県境町から県道を走り繋いで下妻市へ。ここからは県道131号で桜川市へ抜け、高峯を越える県道286号で茂木町へ。ツインリンクもてぎの東側で国道123号に出て、私の好きな細道を走って那珂川を大藤橋で渡り、大木須へ。以前1人で入ったそば長山は混んでいたが、少し待って蕎麦にありついた。12時代後半から13時半ばまで食事に費やしてしまった。ここからが初見の道路で本番だ。

いったん北上して国道293号を南下、ガソリンスタンドで吐月工房氏が給油、県道234号、232号で国道461号まで北上、東に向かって常陸大子へ出る。袋田の滝の少し南で奥久慈パノラマライン林道へ進入し、細道屈曲路を堪能する。午後も後半に突入。大円地の駐車場でトイレ休憩して振り返ると、奥久慈男体山の絶壁が仰げる。

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男体山の絶壁

再び細道屈曲路を走って県道322号に出る。地図上では直線的だが、渓谷沿いの細道で砂利も浮いている。この細道を走りながらSiriと「しりとり」をやってみるが、Siriはなかなか繋げるのが難しい外来語を突っ込んでくるし(始める前にしりとりは得意だと自慢してくる)、こちらが答えた単語について「その言葉は使えません」と拒絶してくるので次の言葉がなかなか思い浮かばず、しりとりは終わってしまう。主人の言葉をしりとりの言葉として採用しないとは、なかなか高飛車なやつ(女性の声)だ。やつは「言葉が聞き取れません」とか何とか言ってこちらの要求を拒絶したり、走行中で画面を見られないのをいいことに「こちらが見つかりました」などと画面を見て選択するように促してくるのがいやらしい。

そうこうしているうちに県道29号で常陸太田市に出て、国道293号から県道156号で国道6号に出た。もう日暮れで暗くなってきた。このあとはずっと国道6号を北上するのかと思いきや、音声ナビは県道61号(山側道路)で日立市街地を迂回するように案内してきた。この道が日暮れ後は街灯もなくて暗い。しかも車の走行スピードが高くて緊張する。ようやく常陸多賀駅前に出たのはちょうど17時頃。日暮れが早い!

ビジネスホテルにたどり着いて投宿し、昼食の蕎麦がずっしり腹に残っているので夕食はコンビニ飯となった。

20日、茨城県から下道でひたすら南下。国道6号から海沿いを走って東海原発脇を通り、阿字ケ浦、大洗と南下して、鹿島臨海鉄道に沿った県道141号を南下して鉾田から北浦の東側を通過。県道50号から神栖市筒井で県道44号線に乗り換え、あとは千葉県に入ってひたすら県道44号を進む。道の駅くりもとで休憩と軽い昼食とし、そのまま西進。成田空港をくぐり、国道408号から国道464号へ。千葉ニュータウンのど真ん中を快走して鎌ケ谷から船橋へ。ここは道が狭く信号の間隔が短いので渋滞が発生する。京葉道路の花輪インターにたどり着いて初見の道は終わる。
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大洗海岸の駐車場にて

国道357湾岸道路を使って市川塩浜へ。吐月工房氏とはここで解散。あとは江戸川区のわが家はすぐだ。今回は集合場所も解散場所も近くて申し訳なかった。本当は房総半島を横断して金谷で解散の予定だったのだが・・・

あぶくま高原から茨城笠間へ

久しぶりのソロツーリング。動画もあるが、動画編集が間に合わないのでとりあえず文章と写真だけ。動画編集してアップロードしました


栃木県北部の別宅アパートへの往路として、茨城県の広域農道(筑波山東麓のフルーツライン、笠間から常陸大宮市までのビーフライン、常陸大宮市から北茨城市までのグリーンふるさとライン)を走り繋いでから福島県塙町、棚倉町を経て栃木県那須町へ抜けるルートを想定していた。
しかし、出発の日曜日午前中まで東京は雨で、筑波山近辺も昼まで小雨が続くことがわかったので、逆ルート、つまり初日の日曜日は東北道を使って高原山を矢板から八方ヶ原で塩原温泉へ越え、別宅で1泊した後、栃木県北部から福島県南部へ、福島県から茨城県北部へ細道県道で抜けてから広域農道で笠間まで南下することにした。結果、小雨に遭ったのは川口JCTあたりから岩槻あたりまでで済んだ。

29日、12時からW800で首都高から東北道へ。最初は80km/hでゆったりと、追い越しが必要になった場合だけもう少し速度を上げ、エンジンの振動に慣れてきたらアベレージを上げて走った。途中大谷PAで昼食を食べ、矢板まで約1.5時間ほど。
勝手知ったる道路でしばらく北上して、リンゴ農家が何軒かある道から県民の森方面へ。ちょうど矢板リンゴがテレビで取り上げられていたので、数軒は午後には売り切れ臨時休業となっていた。テレビってまだまだ侮れない。

県民の森までワインディングを駆け登り、県民の森の中の道を走るが、例年きれいな紅葉があまりきれいでなく、色を帯びるのが遅い。これも猛暑の影響だろうか。秋になって寒暖差があまりなかったからかもしれない。
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栃木県県民の森のキャンプ場駐車場にて

そのまま下山するのは惜しいので、「山の駅たかはら」のある八方ヶ原まで駆け上がる。標高は1,000mちょっとで、15時を回っているのでだいぶ寒い。山の駅たかはらの駐車場の紅葉も進んでいないので、そのままUターンして、県道56号で塩原温泉方面へ下る。こちらの方が交通量は少なく、しかしカーブはタイト。残念な紅葉を左右に分けつつ、塩原温泉へ下って国道400号を那須塩原市街へ。翌日の長い無給油ルートを考え、給油してから別宅へなだれ込んだ。しばらく忙しくて立ち寄れず、2ヶ月ぶりの来訪である。家賃を考えるともったいない使い方をしている。まあ冬にはもっと頻繁に来ることになるだろう。

30日朝、寒さを避けてゆっくり8時過ぎに別宅出発。今まで走ったことのない道路を走り繋いで那須町東部へ。伊王野から県道60号で戸中峠を越えて福島県棚倉町へ。この県境越え県道60号が細道屈曲路で良かった。さらに棚倉町から国道289号で水郡線沿いに南下、塙町に入り、鋭角的に左折して県道27号へ。那倉川の渓谷沿いの細い県道を詰めていき、交通量がほとんどない国道349号と合流したらまもなくあぶくま高原美術館があるところ。ここが今日の第一の目標地点。少しバイクを降りて休憩し、先へ向かう。すぐに国道から県道27号が離れるので、県道に乗って北茨城市へ。角のように福島県に食い込む小川地区までかなり急な下りが続く。小川集落には福島県側から流れてくる四時川が流れ、そのまま福島県のいわき市方面へ流れている。水系は福島県といってもいい秘境であろう。小川集落を通過して、和尚山の中腹を走り花園渓谷沿いに走って水沼ダムへ。ダムの下でグリーンふるさとラインの終点分岐が出てくるので、右方向へ転じてあとはひたすらこの広域農道をトレースする。

広域農道はたしかに片側1車線の立派な道で高速で移動が可能だ。でも「広域農道」と言っている割には農地が少なく、人工林の間を屈曲路で抜けていく感じ。道路沿いに集落は少なく、山の中腹の標高200m〜400mあたりを高速コーナーで抜けていくような道だ。あまり走っていても面白いとは言えない道だった。
それは常陸大宮から「ビーフライン」を名前を変えても変化がなかった。牧場でも点在しているのかと思ったのだがそういう感じはあまりせず、ソーラーパネルがあちらこちらに設置されているのでは興ざめになってしまう。
快適に走っている間に笠間にたどり着いてしまった。1箇所だけ道を間違えて国道123号を南下してしまった時に修正のため走った県道246号は集落の間を縫う道でなかなか楽しかった。
私は基本的に山越え県道、県境越え県道、できれば細道の方がワクワクするという変態になってしまったようだ。
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県道246号沿いのコスモス畑脇にて

笠間市総合公園でビーフラインも終了。国道50号に出る直前で13時なので蕎麦屋で昼食をとり、国道50号で桜川市を西へ。筑波山西側を走るいつもの県道131号に乗って南下。桜川、下妻、常総、野田と走り繋いで、この夏ハイエースのドアミラーを破壊した農道を走って江戸川を玉葉橋で越えて、江戸川右岸ルートで快適に走って江戸川区へ。給油したらほぼ300kmで11.6Lだった。25.6/Lの燃費である。

さすがに一日で下道300kmのツーリングは腰に来る。ヘロヘロになって帰宅し、翌日の仕事はゾンビ状態だった。

灼熱ソロツーリング・栃木県北〜会津〜下越

今年の夏は暑すぎてツーリングに向かない。お盆を過ぎるとだんだん涼しくなるはずなんだが全くその傾向なし。しびれを切らせてソロツーリングに出かけた。今回もオール下道、先日点検とプラグおよびエアクリーナー交換を行ったW800で約1,000km走った。4回給油して燃費は30km/L弱。レギュラーガソリン仕様なので山間部でなければ180円台前半/Lだった。それにしてもガソリン高すぎだよ・・

経路は以下の通り。
21日 自宅〜栃木県北部の別宅まで。江戸川右岸〜関宿〜結城〜上三川〜宇都宮東部〜塩谷町の尚仁沢名水パーク〜県道63号〜国道121号〜県道19号(日塩もみじライン)〜塩原温泉〜別宅。宇都宮の国道4号上でオドメーター10,000kmに達した。
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ようやく2年で10,000km達成(すぐさまコンビニに駐車して撮影)

22日 別宅〜国道400号〜塩原温泉〜国道121号〜
栃木・福島県境越え〜会津田島〜昭和村〜国道401号喰丸トンネル先から県道32号〜三島町滝谷〜県道366号〜国道252号〜麻生大橋〜県道343号〜国道400号〜西会津町〜国道49号〜県道384号〜国道459号〜福島・新潟県境越え〜阿賀町〜JR磐越西線三川駅〜県道14号〜新発田市〜県道202号〜国道290号〜県道402号〜胎内市〜国道7号〜村上市〜国道345号〜笹川流れ〜越後寒川駅(最北端。折り返し)〜国道345号〜国道7号〜胎内市ビジネスホテル泊。
この日、新潟県など日本海側で軒並み気温37度、38度をマーク。
福島県から新潟県に入った途端に標高を下げたせいか暑くなり、道路脇の気温表示が37度となっていた。新発田、胎内、村上、笹川流れも同様だった。
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スノーシェッドを抜けてたどりついた三島町滝谷の集落
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新発田市の外れから見上げた二王子岳(もう暑さにやられている)
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笹川流れから粟島を臨む(写真はさわやかだが実際はチョー暑い)
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JR羽越本線・越後寒川駅(となりの自販機でコーラ購入、一気飲み)
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南国のような白砂だが・・
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暑すぎて海に沈む夕陽は撮れなかった(夕暮れ時でも涼しさを感じない)
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23日 胎内市ビジネスホテル〜坂町〜国道113号〜新潟県関川村の荒川・JR米坂線に沿って遡上、
新潟・山形県境越え〜山形県小国町〜JR米坂線小国駅〜県道8号〜県道378号〜飯豊トンネルにて山形・福島県境越え〜JR磐越西線山都駅〜県道43号〜国道49号〜会津のべこの乳アイス牧場にてソフトクリーム休憩〜県道72号〜南方に雨雲発見、ファミリーマート北会津店からルート変更、国道401号〜会津若松市街〜県道64号〜国道49号〜会津レクリエーション公園〜県道376号で猪苗代湖西岸を南下、崎川浜湖水浴場で雨宿り〜国道294号〜勢至堂トンネルで天栄村〜県道292号、282号、岩瀬グリーンロード(旧白河街道)〜県道37号、281号にて白河市大清水交差点〜国道4号〜福島・栃木県境越え〜那須町〜那須塩原市別宅。

ニュースではこの日も日本海側は酷暑と告げていたので、逃げるようにして山形県へ向かい標高を上げた。県道8号線を走っている時に少し体が楽になった。
しかし会津盆地は標高が低く、再び暑さを感じる。雨雲レーダーとにらめっこ、猪苗代湖方面へ逃げるが途中でつかまった。レインウェアは着ることなく雨から逃走に成功。
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JR米坂線・小国駅(小国駅〜今泉駅は1年前の豪雨により現在も不通、代替バスが運行)
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飯豊トンネル(山形・福島県境)30年前はこんな立派なトンネルはなく、この道の東に五枚沢林道というハードな未舗装林道があった(1度だけXLR250で走破した。今も林道はあるらしいが・・)
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JR磐越西線・山都駅
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午前10時過ぎから乳幼児連れの親子に交じり、初老の男も独りソフトクリームを喰う(べこの乳アイス牧場にて。溶けやすくて急いで食べた)。駐車場に導水されている伏流水がありがたい。
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猪苗代湖へ雨雲から逃げてきた・・だが追ってきた
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猪苗代湖畔の湖水浴場でついに小雨に捉まる。幸いなことにこの後は別宅まで降雨なし
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24日 小雨の中別宅から南下、県道を走りつないで真岡経由で筑西市・八千代町・境町(国道294から八千代町経由の道は初めて走行)〜境大橋で野田市関宿〜江戸川右岸道路を南下。

今回のツーリングはざっくり言えば、栃木県北部から会津の細道をつないで新潟県下越へ下り、気温35度以上の灼熱地獄の中、笹川流れのハイライト部分を午後一番暑い時間帯に往復した(酷暑の地域へ突っ込むなど頭が悪いツーリング)。
翌日、胎内市から山形県の朝日連峰と飯豊連峰の中間の谷に入り、飯豊連峰の東端を大規模林道で越えて会津へ戻り、会津盆地を縦断、雨雲を発見して下郷村経由で白河へ下る最短ルートを断念し、猪苗代湖西岸から天栄村・西郷村を経由して白河南部から栃木県へ、といったルートをとった。
細道・峠越えを連続するので、一日に走行した距離はなるべく300km未満に抑えた。
アバウトだが21日が240km、22日が330km、23日が260km、24日が160km。ほぼ1,000kmとなった。下道オンリーでここまで長いツーリングは若いころオフロードバイクに乗っていた時以来で実に久しぶりだ。
最大の敵は暑さで、タンクバッグに保温・保冷水筒を入れて信号待ちなどで飲むことがあった。いままではハイドレーションシステムを利用していたが、これは水がぬるいし、ホースの味がしてまずい。それに比べればだいぶ向上した。それというのも、フルフェイスだとアゴ下からホースを突っ込むことになる(アゴの形状により入らない場合も)が、今年は夏のツーリングのためにジェットヘル(アライVZ-RAM)を購入したのだ。空気の取り込みと抜けも素晴らしかった。まだ内装の馴染みが弱くタイトなので、長く走っていると無性に脱ぎたくなる衝動に駆られる。そういうときは無理せずバイクを停めてヘルメットを脱ぐようにした。耳の圧迫感はいままで使用してきたショウエイEX-ZERO、アライRAPIDE-NEOに比べて少ないのがいい。
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わがW800のタンクカラー、濃紺にラメが入っているVZ-RAM(この「グラスブルー」はカタログになく偶然発見)

GoProによる走行撮影もあちこちで行った。今回、いままでの試行錯誤の結果、バーハンドルに取り付けるマウントと、タンクバッグ内のモバイルバッテリーからの給電にした。首にかけるネックレス式の物も新調して持っていったが、かえってスイッチが押しにくそうなので使わなかった。走っていると結構カメラが振動でブレるのだが、それなりの動画が撮れている。タンクバッグ内にはモバイルバッテリーがあり、それが電源。ピンマイクはタンクバッグのなるべく風が当たらない自分の腹との間にクリップで挟んだ。GoProに内蔵するバッテリーは持ちが悪く、熱暴走につながるらしいので使用を控え、モバイルバッテリーからの給電にしたが、録画を停止後自然にモニターが消えてから、次に録画ボタンや電源ボタンを押しても立ち上がらない。モバイルバッテリーからの給電コード(USB-C)を抜き差しして再起動させる他なかった。もうこのGoProも7blackというモデルで古いので、雨が降らない限りはフタを開けてアクセサリを繋ぎながら走っている(壊れてもいいやと思っている)が、本体そのものに問題が大きく、だましだまし使っていくのはもう限界。
DJIのOSMO ACTION 4が出たばかりだが、こちらの方がGoProにあるさまざまな問題をクリアしているらしい。自分の使い方なら一つ前の3でもいいのではないだろうか?冬のスキーのことも考えると欲しくなってきている。
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走行動画撮影スタイル

今回のツーリングの動画(走行中の前方を映しただけだが、エンジン・排気音付き。11分)をアップしておく。イントロだけはタイムワープの画像で作成している。

上信県境・初夏の高原ツーリング

吐月工房氏と示し合わせて18日・19日に埼玉西部〜群馬西部の高原ツーリングに出かけた。宿泊地は長野県の上田市駅前ビジネスホテル。オール下道で約580kmのツーリングとなった。

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四阿山麓の高原とキャベツ畑(嬬恋村)

17日の帰宅途中でW800の駐輪場に寄り、バイクを入れ替える。駐輪場はすでに蒸し暑く、バイクを入れ替えるだけで汗だくになる。エストレヤの屋外駐輪場に一晩W800を置くことにした。その方が朝の準備の一手間が無くなる。

翌18日朝、荷物を持ってW800に括り付けて走り始める。今回は貴重品の入ったウエストバッグ、GoPro撮影用機材の入ったタンクバッグに加え、小ぶりのシートバッグを持参した。1泊なので下着の着替えと宿に着いてから外出用に穿くハーフパンツのみ。通勤時の不意の雨降り用の嵩張る雨具をコンパクトなバイク専用雨具に入れ替えた。これらをシートバッグに入れて持っていく。大きなダッフルバッグは今回は使わない。

朝6時30分に出発し、蔵前橋通りから国道254号に乗って北西方面へ。都内は空いていて快適なのだが、埼玉県に入り新座市に入ると道が混み出した。国道463号、埼玉県道126号で狭山市へ。音声ナビの通りに走って飯能市で国道299号に乗り、一路秩父方面へ。ツーリングバイクが多くなってきた。多くはマスツーリングだが、車列を前にした私を先頭にしてソロライダーが5台ほど連なってしまった。それも秩父市に出たところで解消。ちょうど9時20分ころなのでコンビニに立ち寄ってゼリーを買い求めてすすり、集合場所の秩父鉄道和銅黒谷駅に9時37分到着。ほぼ予定通り。吐月工房氏も10分ほど後に到着し、一緒に走り始める。

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秩父鉄道・歴史ある木造駅舎の和銅黒谷駅

皆野町の県道44号から13号で神川町へ。国道462号で西に向かい神流湖を眺めつつ奥に向かう。昔、みかぼスーパー林道へ走りに来たことを思い出す。塩沢峠へ登り詰めて県道46号で群馬県の甘楽町へ。標高を下げると暑くなってくる。道の駅甘楽をやり過ごした先にある蕎麦屋で昼食。昼食後、うだるような暑さの中を出発。
上信電鉄上州福島駅を通過して、富岡市の丘陵地帯を北へ縦断して榛名山の麓にたどり着き、県道28号で榛名湖へ。また涼しくなった。榛名湖畔で休憩。観光客が多い。午後の一番暑い時だったので横になりたいくらい。頭もぼーっとしてきている。県道33号で倉渕へ下山して国道406号、県道54号で二度上峠へ。路面がいまひとつな上に、なんだか暑さにやられてしまってリズムが取れない。のんびり安全に走って頂上を越え、そのまま北軽井沢へ。県道235号で北軽井沢の森の中を走って嬬恋村へ。北軽井沢の喫茶店で休憩したくなったが、何処で止まるべきか考えているうちに通過してしまった。こういうのが多いのだ。
県道235号から「つまごいパノラマライン」という農免道路を走る。キャベツ畑の中を通る道で、一面のキャベツとゆったりした丘陵のような斜面が北海道のようだ。もちろん涼しくて快適。
一度道を間違って湯ノ丸方面へ走ってしまったが、Uターンして国道144号に乗り直して菅平方面、上田市へ下る。

夕方の上田はそこまで暑くなく、外の空気も乾いていて快適だった。

19日、月曜日の通勤ラッシュをかいくぐりながら東御市へ向かい、湯ノ丸スキー場経由で嬬恋村に戻る。湯ノ丸スキー場前で休憩、「つまごいパノラマライン」沿いの雄大な景色とキャベツ畑を堪能しつつパルコールスキー場まで行き、さらに奥に入って小休憩。県道112号で吾妻線沿いの国道144号に戻り、一時方向ミスをしつつも修正して県道235号から北軽井沢へ。涼しくて快適。
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ルピナス属の花がきれいだった

国道146号で軽井沢町へ入り(平日なのに観光客があふれる中軽井沢で渋滞あり)、国道18号の旧碓氷峠を快適に下って横川で釜めしを昼食とした。標高が下がって暑くなってきた。
昼食後は松井田・富岡・吉井の丘陵地帯を県道を使って東西に横断し、上信電鉄西山名駅へ。バイクを停める場所がないので路肩に停めてここで解散。

私は利根川・江戸川沿いに帰るべく、藤岡から17号に乗って南下、1車線で流れが滞ってきたので適当に左折して県道45号、59号、60号を使って栗橋へ。国道4号から五霞へ行き、あとは江戸川沿いの埼玉県道を使って小岩まで。18時にバイクを入れ替えてエストレヤで帰着。東京はそこまで暑くなくて助かった。

今回のツーリング動画(5分30秒。今回はGoPro画像がタンクバッグばかりとらえてしまい、一部のみエンジン音付き動画になっている。その他はドラレコMUFU V30から取り出した動画で音はカットし、安っぽいBGMを付けている。画像があまりキレイではなく、揺れるので注意)

仕事山行・茨城県大子町で低山縦走

3月の仕事山行は、紆余曲折の結果茨城県大子町での3日間低山ハイクとなった。
この山行計画が浮上してきて初めて知ったのだが、大子町とその周辺市町村の低山地帯に「
北茨城ロングトレイル」という最近流行のロングトレイルが作られている。
将来的には全長320kmというロングルートが完成するそうだが、現在はその一部が歩けるようになっている。およそ八溝山系の竜神峡から奥久慈男体山を経て袋田の滝、最終的には水郡線下野宮駅(茨城県内最北の駅)まで通じるものだ。

今回はこのトレイルのほんの一部を3日間にわたって歩いた。
あいにく2日目の午後から予報通り強い雨となり、雨中の下山を余儀なくされ、3日目は狭く急な岩稜の尾根を縦走するのは困難となって縦走路を横切るような登山に切り替えた。茨城県は関東の一県だが、水戸から水郡線に乗って大子町までたどり着くには特急を使っても3時間はかかってしまう。大子町のすぐ北は福島県、西は栃木県であり、公共交通機関を使っての日帰り山行は困難である。今回は月居温泉白木荘という宿に2泊した。

3月22日
春らしい天気で東京では桜も満開に近づきつつある中、特急「ときわ」を使って水戸駅へ。そこで少年たち16人と合流して水郡線へ。乗客のほとんどは地元高校生だが、彼らも常陸大宮駅前後でほとんどが下車してしまい、袋田駅に到着する頃の車内はだいぶ空いてきた。久慈川沿いに線路は走っていて車窓のほとんどは川が占めている。
袋田駅はログハウスのいい感じの駅舎で、そこから袋田の滝へ向かって車道を歩く。最初に観光地見学から始まった。

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袋田駅
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糸を引くような袋田の滝

袋田の滝は見学料金が300円で、トンネルを使って滝の面前まで出ることができる。もうさすがに氷結はしていない。滝の下のつり橋を渡って対岸の古びた茶屋の前後に月居山への急登が始まり、ここから登る。つり橋側の急な階段は500段近くあるそうで、茶屋の先の登山路から登って行く。1時間も経たずに山頂(404m)に着き、軽く休憩後に宿泊先方面へ下山。里山らしい生活感のあるトレイルをしばらく歩いたら宿に着いた。
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月居山山頂部
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白木荘(見かけで判断してはいけない)

3月23日
当初の予定では袋田駅まで歩いて1駅南下し、上小川駅から奥久慈男体山へ登る予定だった。これだと登る途中で雨に降られる可能性が高い。予報は昼過ぎから降り出し、夜にかけて止むことなくしっかり降るそうだ。
宿の方からのアドバイスでルート変更し、舗装された林道で北東側から男体山(653m)に登ることにした。宿からほとんど交通量のない町道が白木山方面へ延び、常陸太田市の持方という集落を経て竜神峡方面へ向かっている。持方集落に出る手前、白木山と男体山の鞍部から何本か男体山への登山道があり、その一本を使って登ることに。雨が降っても降らなくても舗装林道は距離と時間が稼げる。男体山はある方向には岩稜が連なっていて険しいが、この方面からだと鎖などを使って登る必要がない。里山だけあっていくつも登山道があるのは選択肢が増えてよい。
結局8時に宿を出発して11時30分に山頂着。雨雲がどんどん北上してくるので遠望は効かず、暗い雰囲気。山頂で短時間で食べられるアルファ米を作って食べ(従来品は20分くらいかかるが今回食べたものは水筒から熱湯を注げば3分でできる)、山頂を後にする。下山ルートは男体山の北に延びる稜線を歩き通して宿の近くへ下山するというもの。最初は常陸太田市との市町境を歩き、途中から422mの三角点を目指して北上する。
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男体山山頂から北茨城の丘陵地帯を遠望(今にも降りそう)

12時30分ころから予報通り雨が降り始め、だんだん足下の泥がまとわりつくようになってくる。トラバース道は崩れやすく、あまり歩かれていないようなので尾根通しなのか巻道なのか判然としない部分も出てくる。また、この一帯は表土が2m程度しかないようで、過去の大雨や台風の爪痕として斜面の土とともに根こそぎ大木が倒れている場所に複数回出くわした。大木が倒れた跡には斜面に岩盤が見えたり、土が残っていても急下降を強いられて大変歩きにくい。無名低山歩きの難しさを知らされた。
宿には15時ころたどり着いたが、雨具とザックカバーはグショグショなので、タオルで雨具とザックカバーの水分を拭き取って、ザックカバーを裏返してその中に雨具を入れて建物の中に持ち込むように指示。体が冷えたので温泉はありがたかった。
ここの月居温泉、近所にゴルフ場ができた時に掘り当てたものだそうだが、ゴルフ場はつぶれ、源泉からの40度の湯は今のところこの日帰り温泉兼宿泊施設だけに来ているようだ。この近辺の居住者が維持管理をしているようで、古びた建物で部屋も年季が入ってはいるが快適で、食事の量が多く満足できた。

3月24日
当初の予報よりは上方修正されて雨は上がったが、北茨城ロングトレイルを計画通り下野宮駅まで縦走するのは難しそうだ。新しく作られたばかりのトレイルで、巻道などが整備されていないので20回ほどのアップダウンを強いられるらしい。しかも最高峰の生瀬富士(410m)だけでなく、縦走路には礫岩の狭く急な岩稜があちこちに見られるみたいだ。生瀬富士山頂から袋小路のように数十メートル延びる岩稜は「茨城のジャンダルム」などと言われている。滑ったらアウト。
実際にトレイル整備をしているという人が前日たまたま温泉に立ち寄っていて、トレイルを雨後に歩くのは危険なので止めて欲しいと言われたそうだ(同僚の言)。
そう言われて計画通り強行するのは得策ではないので、次善策を少年たちのリーダーに知恵を授けた。生瀬富士を通る縦走のトレイルを山頂直下の鞍部で横切るような登山道が地形図に書かれているのでそれを辿ってみよう、もし楽に抜けられて時間が余れば、袋田駅西側の鷲ノ巣山(400.4mの三角点)のピストンを加えよう。
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宿を出て雨上がりの町道を歩いていく

結局そのアドバイス通りのルートを辿ることにした。しかし低山歩きは思い通りには行かない。
8時、宿を後にして生瀬富士を左手に見ながら町道を歩き、アップルラインといわれている農免道路との交差点直前から地形図上描かれている登山道に入ろうとした。しかし、畑の中の柔らかいあぜ道しかなく、幅5mくらいの川があって橋は架けられていない。当然徒渉ができるほど浅くはない。
近所の人に道を訊ね、アップルライン側から支流を渡る橋を使って山すそへ。入り口に「生瀬富士登山道(立神口)」と書かれた細い杭があった(杭はゆっくり歩いていないと見落とすほどみすぼらしい)。少年たちは橋を渡ってすぐ林業者の作業道のような道に入っていこうとしたが、すぐにそんな道を登山道に使うはずはないので、引き返してもうしばらくコンクリの軽トラ一台分くらいの道幅の道路を歩き、墓地の間を抜けていくトレイルに進む。これが正解。近所の人が「左・左へとルートを取れ」と言っていた意味がここで飲み込めた。このへんから時々パワーバーの黄色いテープが枝に巻かれていた。やや広めの尾根の最下部を回り込むと深めの谷(小川だが)があり、川を渡ると川が三方から合流しているので先頭はルートを見失ったが、最後方から見ていたら一つの谷の方向にパワーバーの黄色テープが見え、そちらに誘導する。その後もパワーバーテープに誘導されて登山道に乗った。あとはひたすら谷を詰めて鞍部に出るのみ。無名低山は古い登山道の情報がそのまま地形図に残っていて、新しい登山道が情報として反映されていないことがよくある。登山口に特に多く、ここが難しい。

鞍部から生瀬富士山頂までは200mしかないが、3日間の重いザックを背負って急な岩稜を登るのは断念し、ここまでしっかりルートファインディングして登ってきたことで登頂以上の成果があったことにする。
さて下山。地形図では鞍部から2方向の下山路があり、できれば尾根伝いに袋田小学校と郵便局のあるところへ降りたかった。しかし稜線の崖を巻いて尾根に乗るであろうルートは落ち葉が深く、通行を妨げるために人為的に置かれた太い枝もあり、尾根筋には地形図にあらわれない大岩が見える。おそらく廃道に近いのだろう。ウェブで前日ルート情報を探ったが、すでに10年間歩かれた記録がない。諦めて袋田温泉方面へ直線的に下山するルートを選択して歩いた。このルートも最初は激下りで、雨後の地面は緩く泥とともに靴が滑っていく角度だ。信頼度の低い古いロープも設置されている。

結局11時ころ下山完了、袋田駅まで歩く。帰りの列車を15:31発から一本早めて13:58に切り替えたので、朝は登る予定に入れていた鷲ノ巣山はあきらめて駅前で行動食を食べて2時間30分ほど列車を待つことにした。
ヒマな2時間ではあったが、昼過ぎにはパラパラと雨が降ったりしたので登山を強行せずよかった。目的の列車に乗ると、水戸駅で特急「ひたち」に乗り換えれば最寄り駅着は17時過ぎ。東京は雨が降っていた。

奥会津・紅葉ツーリング

11月を迎えて、紅葉のピークを観に行きたくて奥会津の昭和村・金山町に向かった。
5日の土曜日午後に仕事終了後、W800に乗って北へ向かう。この日は別宅に転がり込んで泊まる予定。14時に出発したが、茨城・栃木県境あたりで日暮れとなり、途中で遊んでいくことは不可能だ。だからといって国道を走るのはイヤだ。栃木県道61号と25号で大田原市佐久山まで出るが、もう真っ暗でどこを走っているのか、次のカーブは右なのか左なのかもよくわからないまま、音声ナビに従って走行する。19時ころ別宅着。別宅近くで給油(159円/L)

翌朝、7時30分に別宅出発。かなり気温低下している。別宅近くで10℃を割るくらいか。県道305号でマウントジーンズ那須スキー場まで上がり、那須連峰の中腹をウネウネと甲子温泉方面にのびている県道290号(旧有料道路)に入って紅葉を愛でながら走るが、路面がかなり悪い道路だということを忘れていた。バイクのタイヤは容易にアスファルトの割れ目に取られてしまう。新甲子温泉に出て、国道289号で下郷町方面へ一直線に登って行く。

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県道305号から那須連峰を見上げる

長い甲子トンネルを越えたら下郷町の背後にある全山紅葉した山々が見えるのだが、気温が低い。道路脇の気温表示が4℃、3℃などと出ている。別宅から出てくる時にバックカントリースキーの登りで着るウインドブレーカーをプロテクターの上から着てきた(上半身は下着、プロテクター含め革ジャンまで5枚着用)がそれでも寒い。ネックウオーマーもbuffともう一枚フリースのバラクラバを被っていた。グローブはやはりバックカントリースキーの登りではめるBDの古い「トルク」をしてグリップヒーターを稼働させた。

下郷町から福島県道131号、346号を走って国道400号の戸赤へ。この県道沿いの山々が一番朝日に映えて美しい紅葉だった。国道400号で標高を上げ舟鼻トンネル前後になると標高が高くなりすぎて紅葉のピークは過ぎている。片側交互通行の信号が複数個所あってしかもヘアピンカーブなので下りにくい。途中で国道から離れて大芦集落方面へ。ここももう少し前なら美しく感動的な紅葉だが、既にピークは過ぎているようだ。大芦集落から矢の原湿原へ向かう。

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福島県道346号沿いの山の色づき

矢の原湿原はアマチュアカメラマンがこの時期殺到するが、この日は時間が早いせいかあまり多くはなかった。ちょうど10時である。そそくさと写真を撮って下山。昭和小学校から再び国道400号で金山町方面へ。玉梨温泉手前の渓流沿いの紅葉がとてもキレイだったがバイクを止めるチャンスを逃した。金山町の会津川口駅までは出ずに、手前で沼沢湖方面へ右折(県道237号)。すぐに急斜面のカーブ連続になり、フェアリーランドかねやまスキー場を右手に見ながら高原状の場所に出た。しばらく走って沼沢湖畔キャンプ場前へ。バイクを停めて湖畔を少しだけ散策。11時前だ。
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矢の原湿原
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沼沢湖
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会津宮下駅

再びバイクにまたがって只見線の会津宮下駅へ。国道のスノーシェッドのすき間が只見線を俯瞰する撮影ポイントになっているようで、撮り鉄が何人も列車通過を待ちかまえていた。只見線は一日に数本しか走らないから一日がかりだ。
会津宮下駅前で写真を撮って、国道252号を三島町方面へ走り、県道32号に右折。西山温泉方面へ向かう。西山温泉の更に奥からおびただしい水蒸気が上がっているが、どうやら地熱発電を行っているようだ。事前に知っていれば近くまで行ったものを。

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県道32号沿いの風景

県道32号を道なりに走っていくと、博士山の裾野を北から西へ大きく回り込んでいく。博士山は実はボリュームの大きな山だ。昭和村の小野川集落へ来ると博士山の南西にあたる。せっかくだから博士山トンネルが完成する前に峠の頂上まで登っておこう。会津美里町との町村境まで駆け上がってUターン。この峠も博士山登山口になっており、車が一台止まっていた。スキーで登った時はもう少し下の狭い尾根から登ったはずだが、バイクの走行ではどこから登ったのかよくわからなかった。

12時を回った。昭和村のどこかで新蕎麦でも食べようと思ったが、旧喰丸小学校にはイチョウの黄葉を見に多くの車が止まっていたし、再び戻った大芦集落内のファーマーズカフェにも車が複数台止まっていてすぐに食べられそうにない。
ええい、と思って国道401号新鳥居峠へ突入した。新鳥居峠は道路幅も狭く、落ち葉が積もっているのでスピードはなかなか出せない。まもなく冬季閉鎖になる峠だ。そんな峠なので対向車はほとんどない。中腹で自転車のランドナーの写真を撮っているおじ様たちに出くわす。おそらく紅葉と愛車の写真を撮りに来たんだろう。峠を越えるつもりなのかどうなのか、ちょっとわからない。以前自分が自転車でこの峠を越えた時はヘバヘバになり、その前の舟鼻峠、その後の駒止峠の3峠を越えるのは至難の業だった。

新鳥居峠の南会津町側に高清水自然公園があるのだが、管理棟が閉鎖になっているとの表示があって断念。そのまま南郷スキー場前に下山し、国道289号で道の駅「きらら289」へ。ここで昼食。ざる蕎麦とミニわらじカツを食べる。ツーリングの途中でこんなにガッツリ食べると胃がもたれるのだが、忘れていた。近くにバイクツーリングでやってきたらしい初老の男女3人組が食べていたが、長く走るというよりは写真と食事がメインのようだ。食後温泉には寄らず(なぜならこれからも冷えるから)、トイレによって出発準備をしようと思ったら3人組の中の女性に声を掛けられた。東京東部にお住まいで、W800caféに普段は乗っているそう。福島の郡山までW800caféで往復し、郡山でBMWのカフェレーサーに乗り換えてきたらしい。どういう人なのかよくわからないが、W800caféの走行距離は4万キロ近くになっているらしいし、BMWのカフェレーサーに乗るなんてなかなかのライダーだと思われる。彼女は高速によく乗るようで、エンジンの振動を抑える工夫もされているようだが、私は高速にはなるべく乗らず県道ばかり走っていること、振動は気にならないことなどを伝えたら少し驚いていた。W800でエンジン振動が気になるなら他のバイクに乗った方がいいのでは?と思ったが口には当然出さなかった。まあ人それぞれだから・・

駒止トンネルを越えてだいくらスキー場の紅葉を愛でようかなと思ったが思ったほど美しくなく(午後だからだろうか?)、観音沼森林公園に立ち寄って道の駅下郷に出て再び国道289号で白河に出て国道4号で南下。
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観音沼森林公園駐車場から会津田島方面
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観音沼

甲子トンネルからフューエルランプが点灯し、那須町で給油(164円/L)、黒磯を過ぎたら国道がノロノロになったので適当なところで左折して大回りして別宅へ。16時過ぎに到着。この日の走行距離は約320km。

月曜日、朝バイクを拭き上げてから8時30分出発。県道25号、61号を使って益子町の西で国道294へ。筑西市から再び県道を使って境町、野田市関宿へ。あとは宝珠花橋で江戸川を渡って江戸川右岸道路を使って江戸川区小岩へ。13時過ぎ無事自宅着。

夏の東北登山・船形山

夏の最後のあがきとして宮城・山形県境の船形山に単独で登山に行った。
今年はできれば船形山と秋田・岩手県境の和賀岳に登りたかった。しかし秋田の大雨のニュースを聞いて諦めていた。妙高への仕事山行の後、すぐにお盆期間に入ってしまい、往復の道路も渋滞が見込まれ、泊まるところもなかなか見つからない。結局、お盆過ぎに計画はずらしたが、バイクツーリングを優先したのでなかなか天気予報を参考にしてもいい日にちがない。ようやく、8月29日は曇りベースで降水確率10%と知って船形山のみ狙って出かけた。

出発は28日の日曜日。船形山近くの大衡村の4号線沿いのビジネスホテルを予約して、一人で車を運転して北上した。行きは常磐道経由。仙台までは常磐道の方が若干近いようだ。往路日曜日、復路平日になり、高速料金は割高になるので、南東北エリアのETC周遊割引(東北観光フリーパス)を直前に申し込んだ。今回のルートだと、いわき勿来から富谷までの往路と、泉から白河までの復路の通常高速料金は8,000円ほどになるが、周遊チケットだと6,100円になる。

常磐道や国道6号をを宮城県まで北上するのは原発事故以来2度目で、
初めは2015年5月連休中、事故以後3年か4年経って国道6号線が使えるようになってすぐだった。今回はもう少し内陸の高速で通過するが、富岡から南相馬までの高速周辺では田んぼが荒地になってソーラーパネルがびっしり配置されていた。住宅には人が住んでいる気配は薄く、まだまだ原発事故から復興していないことは明らかだ。地震後たった1週間程度激化した原発からの放射能漏れが10年以上も爪痕を残している。今後もこの状況は長く続くだろう。
原発を再開しようとする人々はこの周辺地域を見て何を思うのだろうか?国土を汚してまで電気は必要なのか?

宮城県に入ると低平な平野を北上する。津波が襲った地域だ。そのまま常磐道は仙台東部道路となり、仙台南部道路、仙台北部道路で仙台の街は囲まれている。左方向に高いビル群が見られ、そこが仙台の中心街だということがわかる。晴れているが気温は24度前後で、快適そうだ。仙台は夏涼しいし冬雪は降らないし、東北地方随一の都市になるのは当然だろう。できれば仙台近辺に一度でいいから住んでみたい。
高速は多賀城を過ぎて利府JCTで北部道路に入り、でっかい郊外型スーパーを横目に内陸に入っていく。富谷インターで高速を降りて国道4号を北上する。富谷市から大和町、大衡村で午後4時30分。時間に余裕があるので反対車線に見かけたGSで燃料を満タンにする。ここまでだいたい380km、スムーズだった。

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登山ルート

ホテルで和朝食を食べて朝7時少し前に車で旗坂キャンプ場にある、升沢コース登山口まで移動。1時間弱かかる。登山届はアプリ「コンパス」を使って電子申請。登山口で出そうとすると圏外のことが多いので、ホテルのWi-Fiを使って出発前に提出しておいた。

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ふもとの道路から船形山の特徴的な稜線を見上げる。

さて、ここからコースタイム片道4時間以上の船形山登山開始である。登山口には30番の丸い赤看板があり、ここから登って行く。登山口は標高566m、750mまで山腹を斜行していき、稜線に乗る。ちょっと急な部分と平坦な部分を交互に歩くことになり、体には優しいが、ヌタ場のようになった部分もあり、そこに渡された板が半ば腐っているので閉口する。全体的にワイルドな登山道で、笹や小枝の下草刈りがあまり行われていないようだ。

途中、三光の宮というところで寄り道して泉ヶ岳方面を展望する。天気はすっかり快晴である。標高1,200mあたりでトラバースして、升沢避難小屋に出る。内部は快適そうな避難小屋で、泊まってみたい小屋だ。トイレに寄らせてもらい、おがくずでバイオ処理するレバーハンドルを回した。
小屋を出るとすぐに沢に降りる。ここからは沢の中が登山道であるが、沢も分岐しているのでどの沢を登るべきか最初悩む。ピンクテープが頼みだが、雨が降って増水すれば小屋から上へは登りにくくなる。沢の水は登山道も兼ねているので飲む気にはならないが、冷感タオルを冷やして首に当てるにはいい。しかし流れの脇の岩が滑る。沢を跨いで右岸・左岸を選ばねばならず、滑って転ぶ危険性がある。

沢を詰めて急坂を登るとどこがそうなのか理解に苦しむが「千畳敷」といわれるところ。ここから先も半ヤブ漕ぎになるが、もう山頂避難小屋が見えているので慌てずに済む。船形山山頂(1,500m)には11時30分着。登り初めが7時45分だったので4時間を切った。山頂には山形県側や最短コースの大滝野営場からのルートが集まっている。
山頂避難小屋内部も一瞬だけ見せてもらい、小屋脇の日陰でパンの昼食。ペットボトルで買ってきたカフェオレが美味しい。山頂直下から私の前を歩いていた人は避難小屋の管理をされている方のようで、もう一人に解説をしている。あまりに天気が良く、鳥海・月山・朝日連峰・飯豊連峰・蔵王連峰などが見渡せ、泉ヶ岳方面のはるか彼方には太平洋も見えるほどの天気なので、思わず声をかけた。あと1ヶ月ほどすると山頂部から紅葉が始まってとても美しいのだそう。そんな時期にもう一度来てみたいが、秋は休みが取りにくい。

船形山登山の様子を2分弱のスライドショーにしてみた。

蛇ヶ岳(1,400m)を経由して下山しますと彼らに告げて、12時に歩き出す。しかしイヤな予感は当たるもので、今までの登山道でも半ヤブ漕ぎだったので、人が歩かない蛇ヶ岳方面はもっとヤブが濃いことになる。覚悟はしたものの、下りで足元が見えないのは危険だ。蛇ヶ岳までは枝に額をぶつけ、ヤブで見えない足元がぐらついた。蛇ヶ岳から1,200mあたりのトラバース道へまっすぐに下る沢筋ルートは本当に慎重に歩かないとコケる。足元が見えずに転びそうになったこと数回、登山靴が泥だらけになった。
トラバース道に降りれば登ってきた道なので少しは安心できるが、ロングコースなので脚にダメージが来ている。特にヒザの奥。だましだまし歩いて、しかし休憩はせず、15時に駐車場着。電波が弱くて下山届けをすぐに出せず、かなり下ったところから提出。ちょうどその道を車で下っている時に、道路脇に子グマ発見。人生60年近くなって、ついに野生のクマを見てしまった。子グマらしく体格は小さいが、そうなるとすぐそばに母グマがいるはずだ。それは一番危ないパターン。クマは慌てて道路脇の草むらに逃げていったが、登山道で出会ったらどうだっただろう。クマ鈴を慣らし、時々鋭い口笛を吹いてはいたが・・

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登山口に戻ってきた。山頂は1番、登山口が30番。親切なのか、おせっかいなのか?私は役立ちました。

この日は近くの台ヶ森温泉(立ち寄り500円)で汗を流し、東北道泉インターから高速に乗って白河まで。途中、蔵王や安達太良山がよく見えた。吾妻連峰だけは上部に雲がかかっていた。あだたらSAで夕食。白河で高速を降りたのは、区間外料金を払いたくなかったから。往きはいわき勿来まで遠いので下道を使わずずっと高速でエリアに入ったが、復路は一気に東京に戻らず、別宅で一晩寝てから帰るつもりだった。別宅から東京までは下道ベースで高速道路はごく短い間しか使わない。首都圏発着の周遊割引(2日間で10,500円。これは私にとっては割高)を買わなかったのもそれが理由。そのため福島県内で高速を降り、4号線で栃木県に入った。別宅着は20時30分。

翌日、いつもの下道で谷和原インターまで。
ああ、これで私の夏は終わった・・

夏の屈曲路ツーリング(栃木〜福島〜新潟〜長野〜群馬)

今年の8月は安定した天候が続かず、梅雨への逆戻りのような天候が続いてしまった。
夏のツーリング計画は大きく青森まで北上しようかと大風呂敷を拡げたのだが、新潟県北から秋田にかけての集中豪雨(激甚災害指定になりそうだ)があって、そう気楽に出かけられる気配もなくなった。さらに新型コロナ蔓延による感染者の激増。今までのいくつかの波の中で最大になっている。

こんな中、ツーリングなんていう不要不急の遊びをするのはどうなんだろうと思いつつも、まとまった休みが取れるこの時期だからこそ行きたくもなる。天候を見計らって、いつものように規模を縮小して、東北南部の福島県会津地方と新潟県中越・上越地方までめぐる屈曲路祭り第2弾を敢行した。昨年夏も吐月工房氏にご同行頂けたが、今年も二人旅。
【概要】
8月20日に各自自宅を出て北関東で前泊、21日午前中に合流して日光市最北部から出発、福島県南会津町、昭和町、金山町、只見町を経て六十里越え(国道252号)で新潟県へ。入広瀬から山古志の狭隘屈曲路を抜けて小出にでて魚野川をさかのぼり六日町のビジネスホテルで宿泊。
8月22日は、六日町から国道253号(上沼道)で松代、国道403号、県道13号で上越市大島区、安塚区をめぐり、道の駅「ふるさとやすづか」へ。その後屈曲狭隘国道405号で松之山温泉スキー場・マウンテンパーク津南スキー場経由で長野県へ。栄村、野沢温泉町を経由する県道502号(旧奥志賀林道)を走破して志賀高原へ。志賀高原からは国道292号志賀草津道路で県境越え、群馬県草津町へ。さらに六合村で流れ解散、私は中之条町、渋川市、前橋市を経由して宿泊。
8月23日に前橋から自宅までの約140kmを、高速道は使わず、幹線国道の17号、50号、122号、4号も極力避けて利根川・江戸川沿いの群馬・埼玉県道を走り繋いで戻ってきた。
走行総距離は約870km
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【以下レポート】
8月20日
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茂木町の七曲隧道

エストレヤからW800に乗り換えて午前9時出発。江戸川沿いの埼玉県側県道を北上、宝珠花橋で江戸川を千葉県側に渡り、関宿で利根川を渡る。茨城県境町から下妻市経由で大和駅。ここで定番の休憩。静かな駅でトイレもあり自販機もある。益子からグリーンコリドール(農免道路)で茂木町へ。走りたかった細道隧道がある。国道123号から左折、舗装林道にある七曲隧道をくぐって中川小学校へ。那珂川を渡り、私の定番道路「茂木細道県道サーキット」の中心を貫く山越え道を通り、小木須から県道12号線へ北上、県道12号で那須烏山。コンビニで遅く軽い昼食を食べていたらポツポツ雨。国道294号で北上するが、向かう方面が薄く雨でけぶっている。案の定雨が強くなる。別のコンビニ駐車場でレインウェアを着る。モンベルストームバイカー初おろし。なかなか優秀。レインウェアはツーリング中この場面でしか着ることはなかった。
また今回のツーリングでは、暑さもあってハイドレーションシステムの導入を図った。ヒップバッグとしてパタゴニアのステルス・ヒップ・パックを買い、バッグの下に水筒を収納できるネットがあるのでそこへ0.5Lのフレックスウォーターバッグ、あるいは0.35Lのモンベル製ナルゲン風ボトルを入れた。ホースはSOURCE社のコンバーチューブを用い、肩に斜め掛けするストラップを這わせてマグネット(これ優秀!)で固定。信号待ちが長い場合に給水ができた。ぬるい水だが仕方ない。

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ステルス・ヒップ・パック11

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コンバーチューブ(ペットボトル、ナルゲンボトル、シグボトルに対応)

以後は順調に別宅まで。別宅でエンジンが冷え、小降りになった頃に跳ね上げた水で真っ白になったマフラーを軽く水で洗う。その後も雨は降り続いたが、走っていなければ雨で車体が真っ白に汚れることはない。
この日の
走行距離197km。別宅近くのGSで給油、7.0L。28.1km/L。

8月21日
宇都宮のビジネスで宿泊した吐月工房氏から連絡あり。待ち合わせの上三依塩原温泉口駅に到着するのは10時前後だろうと推定して別宅を9時に出発。尾頭トンネル内の濡れた路面で昨日の洗車が元の木阿弥に。無事10時に上三依塩原温泉口駅で合流。

国道121号(400号兼ねる)で会津田島、そのまま400号線で昭和村。道の駅でトイレ休憩。何台かバイクツーリングの人がいる。GB350の単独の人、単独女性ライダーはMT-03か。我々もその後国道400号で金山町へ。昭和温泉しらかば荘から先は未踏の道路だ。ひなびた玉梨温泉を横目に見つつ、国道252号で只見町方面へ。ここは前年秋に単独で走った道路。JR只見線とたびたびクロスしながら大塩の炭酸場で炭酸水を飲み小休憩。只見線が再開通したら訪れたいところだ。只見町で昼食にしようとするが、コンビニもわずか1軒のみで田子倉ダムの駐車場にある物産販売所でおにぎりとキノコ汁を食す。

六十里越(国道252号)。のんびりとダム湖脇の屈曲路を走り、早そうな車は先に行かせる。峠近くで片側交互通行、信号待ち6分。確か六十里越えは昔オフロードバイクで新潟県側から福島県側に走ったことがあるはず。
新潟県側に入り、入広瀬へ下っていく。かなり標高を下げたが、音声ナビがなんの指示もしてくれず、こちらも上条駅を見落としたため、国道290号に右折するポイントを通過して小出近くまで下ってしまう。吐月工房氏が給油して引き返す。入広瀬手前まで戻るのは馬鹿馬鹿しいので、気を取り直して国道352号線で山古志方面へ。山古志は今回のツーリングのハイライトエリア。二人とも未経験の場所に踏み込む。事前に計画していた山古志を走るルートの半分程度だが、県道24号、23号を走る。非常に山深く、谷も深い。中越地震で集落が孤立したり、川沿いの住宅が泥に半分埋まった光景を思い出した。あちこちに点在する集落をつなぎながら右往左往するが、県道23号沿いに下ってきたら立派な住宅の1階部分が埋まっている災害の遺産が2棟、橋の上から見えた。
ちょっと衝撃的な地区だった。その後魚野川沿いに国道17号の旧道や並行する道を使って六日町へ。六日町のビジネスホテルに17時到着。掛け流し温泉付きの新しいホテルで快適。
この日の
走行距離250km。六日町17号沿いGSで給油、9.6L。26.0km/L。

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山古志の高台から向こうに集落が見えるがその間に谷がある
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震災復興館「郷見庵」から見る埋没家屋(川は芋川)
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木籠メモリアルパーク石碑前にて

8月22日
走行距離が長いので朝8時出発。国道253号(自動車専用道路で無料提供されている上沼道)で十日町市へ。そのまま松代へ抜けるが、断続的に出てくるトンネルが長すぎ、トンネル内照明も暗いので、目が慣れない。
渋海川に沿って253号を離れ国道403号で星峠方面を目指し、一度谷に下ってから狭隘路の県道13号で403号をショートカット。2桁ナンバーの県道なのに道幅は軽トラ専用、しかも冬季通行止め。道の駅「雪のふるさと安塚」(月曜日休館日)の脇の日陰で休憩。次は国道405号で狭隘路を堪能する。十日町市の田麦立という集落で2軒の茅葺き家屋を観察。昨年は逆コースでここにたどり着いたが、写真をおさめることをしなかった。1軒はカヤの吹き替え作業中。もう1軒は洗濯物が干されていて生活感がある。この豪雪地帯で茅葺きを維持している家屋はここだけだ。405号は山間部の小さな集落を繋ぎ、集落間は小さな峠を越えて行く。集落近くは棚田になっているが、峠が近づくと棚田の名残を残す荒れ地になっている。限界集落の典型例であるが、その風景は心を打つ。
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道の駅やすづか前で日陰休憩
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田麦立の茅葺き家屋(葺替え中)
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田麦立を後にする

松之山温泉スキー場を右手に見つつ津南方面へ右折、峠の短いトンネル手前で通ってきた十日町市と上越市の市境一帯を俯瞰する。山古志ほど深い谷はなく優しい地形だが、こういう風景は新潟の山奥でしか見られない。
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松之山集落から上った山腹にある棚田

トンネルを越えて右折、マウンテンパーク津南方面を下る。そのまま国道117号へ。森宮野原の道の駅さかえで休憩、この先長野県道502号(旧奥志賀スーパー林道)に入ると県境を越えて草津まで行かないとガソリンスタンドはないので、吐月工房氏が燃料補給。その後千曲川の対岸から県道502号に突入。延々と上って野沢温泉スキー場の中腹へ。その間、すれ違うバイク、車はほとんどない。
野沢温泉スキー場の上部やまびこゲレンデから毛無山の裏側へ回り込んで、標高をあまり上げもせず下げもせず山腹をトラバースしていく道路になる。ブナ林の中、快調に走れるが、どこかで休みたい。なかなかいい場所がなく、県道502号の起点から奥志賀高原までの中間点を過ぎて路肩でようやく休憩。502号線トータルの距離が栄村平滝駅近くの起点から奥志賀まで60km弱もある。
木島平村方面への分岐近くのカヤの平キャンプ場へは寄らず、直接奥志賀高原を抜けてプリンスホテルが夏期休業中の焼額、一ノ瀬、高天原へと走る。風が急に強くなった上に、高天原で道路上の気温表示が19度と表示されていた。メッシュジャケットではとても寒い。3つの長いトンネル内も震え上がるほど寒い。志賀高原山の家のレストランで昼食休憩して、メッシュジャケットの内側にウィンドブレーカーを着込む。

13時再出発。今度は国道292号(志賀草津道路)で県境越え。最高標高は2200mほど。県境を越えてから群馬県側は濃いガスが流れていて視界が効かないので、ゆっくり走る。峠を降り切ったところで小休憩。
草津からはベルツ通りで温泉街を北から回避して国道292号で六合村へ。ハンセン病患者を隔離収容してきた重監房資料館はいつか立ち寄りたいところ。木陰の屈曲路を下って切明温泉から野反湖まで分断され未完成の国道405号と合流する。合流点手前に映画「男はつらいよ」のロケ地となった旧バス停がある。六合村から群馬県道55号に左折、吐月工房氏とはここで走りながら流れ解散。私は暮坂峠を越えて沢渡温泉、中之条町へ。国道353号で渋川、国道17号で群馬総社と新前橋の間にあるホテルへ。最後の1泊となる。
この日の
走行距離280km。ホテル近くのGSで給油。10.41L。26.9km/L。

8月23日
前橋から東京まで南下するだけなので、高速道路は使わない。結局このツーリング全体で高速道路は一切使わなかった。上越線を越えて高崎へは行かずになんかしようと思っていたが、JRの事故があったらしく、踏切を渡れず、結局交通量が多い17号で高崎を経由して埼玉県へ。音声ナビの調子が悪く、そのままだらだらと17号を走っていたら本庄市まで来て県道45号線を発見。17号から左に逸れて東に向かう。羽生、栗橋、五霞方面へ向かってから利根川・江戸川沿いを南下したいのだ。
県道45号で熊谷市の妻沼聖天へ、そこから59号で羽生、60号で栗橋、国道4号から県道268号で五霞へ。
ここからは江戸川右岸をひたすら南下すればよい。13時過ぎに駐輪場着、W800の洗車はせず、自宅には14時前に着。
この日の
走行距離142km、小岩で給油。4.5L。31.6km/L。東京を離れれば燃費は26〜30km/Lになる。

追記
ツーリング2日後にプロの洗車に委ねた。オドメーターは6500kmに達しようとしているが、どうもリヤタイヤのセンターが減って溝がない。タイヤ交換しなくてはならないが、ダンロップK300GPは高い・・
近々リヤタイヤ交換(ついでにチェーンのグレードアップとフロントブレーキパッドの点検)の予定。

日帰り奥会津・弾丸紅葉ツーリング

文化の日の天気がいいらしい。代わりに次の週末から週明けにかけて広く雨が降る予報だ。
そろそろ栃木県北部や福島県会津地方の紅葉もいい感じになってきたらしいので、出かけるかどうか逡巡していた。祝日1日を使えるのだが、前日帰宅後に別宅までバイクで高速移動するのは気が進まないし、祝日の翌日はまた早出で勤務しなければならない。

結局前日の夕暮れ後に首都高の帰宅・帰社渋滞に突っ込むのはイヤで、祝日当日に出ることにした。
だがいろいろと準備に時間はかかる上に、エストレヤでW800の駐輪場に走り始めようと思ってからW800のキーと駐輪場のキーを自宅に忘れてきたことに気づく始末で、エストレヤに乗ってキーを取りに戻ったりしていたから、W800での出発は7時を回っていた。

首都高、東北道に乗っていくが、岩槻あたりで軽い渋滞が起こる。路肩に接触事故らしきことを起こした乗用車2台があって、警察の現場での事情聴取が行われていた。その見物渋滞である。見物による渋滞ってのはとても腹が立つ。こちらは事故など起こさぬように走るのみだ。速度は80km〜100kmだが、あまりスピードを出すと長く走れないので、90km程度で走行車線を走っていく。
前方に似たようなバイクが居るなと思ったらトライアンフ。圏央道から合流してきたバイクは明らかにW650。せっかくなのでWどうしで一緒に大谷PAまで走った。あちらもちょっとは意識していたみたい。他の車から見れば仲間同士のツーリングに見えるはず。

大谷PAでトイレ休憩、孤独なのでトイレを済ませたらすぐに出発、矢板インターで降りて県道を北上し、県道272号線で寺山ダム方面に向かっていく。矢板北PAのスマートインターから降りれば272号はすぐだった。アクセス道路も整備されていた。これは失敗。

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県民の森にて

県民の森にたどり着き、キャンプ場まで屈曲路を走る。キャンプ場のカエデが赤くなっていて青い空に映えている。すぐにまたバイクにまたがり、県道56号で「山の駅たかはら」を目指す。目の前にハーレー3台、その前に車が数台。標高を上げると寒くなってくる。前方の車はほとんど「山の駅たかはら」で休憩するか、その先の「おしらじの滝」駐車場で停まるので、そこから先は一人旅になる。ヘアピンカーブをクリアすると、鹿股川の谷全体が紅葉に彩られていてハッと息を飲む。紅葉を愛でに来た人があちこちに車を止めている。

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県民の森キャンプ場にて

そのまま下って、塩原温泉街方面と塩原元湯方面の分岐で塩原元湯方面を選択、しばらく走ると大沼公園への分岐が右にあるので大沼へ立ち寄る。トイレ休憩も兼ねる。以前ぐるっと池を散策したことがあるので、今回はパス。家を出る時は那須塩原から北へは行かないと告げてきたが、ここまででそれなりの紅葉が見られたのだから、奥会津へ行けばもっと奇麗に違いない。1時間ほど走ればたどり着けるので、行ってみることにする。大沼からは走ったことのない道で日塩もみじラインの塩原側に乗って、そのまま塩原まで下る。ここもあちこちのカエデ、モミジが真っ赤に染まっているので、いつもなら通過する所に駐車列ができていた。

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大沼近くの紅葉は終わりに近づいていた

国道400号、121号で快走して会津田島でトリップメーター270km。給油を促す点滅が始まっていた。これは点滅してもまだ5Lは残っているので、あと100kmくらいは楽に走れるが、会津田島を離れると給油所も多くないので入れる。なんとレギュラーがリッター176円もした。これは車が必需品のこの地域にとって大きな影響を残す。暫定税率はもう見直した方がいい時期に来ている。でももう50年も暫定といいつつ無くならないんだよなぁ・・

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舟鼻峠からの緩い下りワインディング

会津田島からは国道400号で昭和村へ。舟鼻峠の紅葉は見頃で、もうすぐ散ってしまいそう。ここに来るまでも、落葉のシャワーを浴びてきた。昭和村の大芦集落へ緩いワインディングで下って、昭和の森キャンプ場近くの紅葉を愛で、再び400号に戻る。喰丸小学校はおそらく観光客が来ているだろうからパス。矢の原湿原へ上り返す。そこの駐車場にあるバイオトイレに立ち寄る。もう12時を回ったが、これで朝からトイレ3回目だ。寒い証拠。

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ワインディングを下り、もうすぐ大芦集落。山が紅葉で彩られている。

矢の原湿原でパラパラ雨が降ってきて、だんだん本格的になってきた。今日はカッパを持たずに走ってきて、防水性の高い革のジャケットとパンツとブーツなのでそのまま走る。天気は悪くなく、すぐに止むだろうと思い込んで国道401号、新鳥居峠の登りにさしかかったら、また雨足が強くなってきた。ヘルメットのシールドに水滴が増えていくが、森の中の狭い屈曲路なのでそこまで濡れない。どこかでヘルメットを取って休憩したいし、雨が降らなければ昭和村の中で昼食を摂りたかったのだが、これでは無理だ。

新鳥居峠の昭和村側はとても紅葉が美しかった。交通量が少なくて冬季閉鎖されるが、好きな峠の一つだ。ここも谷全体が紅葉している。

長い新鳥居峠の屈曲路をクリアしてピークを越え、下りの途中で高清水自然公園方面へ右折してみた。ここまでの間に複数人のライダーがカッパを着ていたのを見たが、こちらはそれどころじゃない。でも公園へのトラバース路は森林が途切れるので雨が直接当たる。せっかく初めて行く高清水自然公園なのに、森林内を散策することもできなかった。せめて管理棟裏の清水を飲みたかった。

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雨が降る高清水自然公園にて。紅葉と愛車W800。本当に絵になるバイク。

南郷スキー場を経て、雲行きを見ながら会津田島まで国道289号で戻る。それが一番早い。駒止トンネル近辺まで小雨はあり、田島側に下る時もパラパラ降ってはいたが、革ジャンが濡れるほどではない。濡れた革ジャンは走りながら乾かしているので、重いし寒い。

田島から下郷を経て甲子トンネルを越えるか、来た道を戻って塩原温泉を抜けるか走りながら悩むが、どちらも雨は上がっていそうだ。塩原温泉の中が渋滞していなければ、確実に塩原まわりの方が早い。まだ時間も午後2時台だから大丈夫だろう。塩原温泉の旧道を走って公共のトイレに立ち寄る。寒いので4度目。
心配した渓谷沿いの国道も流れていて、ちょっとだけショートカットして別宅には寄らず、矢板方面へ。箒川を渡って国道4号に乗り、いつものように国道294号方面(東)へ流れずに、4号で南下することにした。さすがに3時を回ったので、何か腹に入れないとと思って大田原の野崎のコンビニでお菓子を買って胃に流し込む。単独ツーリングは停まらない、お昼食べない、無駄な距離走るの3拍子が揃ってしまうし、今日のようににわか雨に出会うとさらに急ぎの走りになってしまって大人としての余裕がなくなる。
コンビニで買って食べたお菓子は胃の中でぐるぐるした。


下道をひたすら南下
4号線でずっと走るのは芸がないので、宝積寺で408号に乗り換えて真岡を目指した。408号は途中で制限速度80km区間が出てくるが、その区間の手前(北)の清原工業団地前後が片側2車線あるのに信号待ちで流れないというボトルネックになっている。うち1カ所は立体交差の工事が進んでいて、将来的には宇都宮から来る新造路面電車とともに機能的な道路になりそうだが、清原工業団地を抜けたところの交差点は2車線のうち1車線しか直進できず、右折レーンから信号直前に直進レーンに割り込んでくる車が多いため、ボトルネックになっている。またハマりそうになったので、バイクの機動力を生かして直前で左折して回り込んでみた。

あとはもう暗くなってくるので素直に408号から294号でひたすら南下する。どこかで高速に乗ろうかと思ったが、あちこちで渋滞して東北道も常磐道もすごいことになっているようだ。したがって最後まで下道を選択。294号を南下しすぎてしまい、水海道から右折して鬼怒川を渡り、いつものツーリングコースで野田方面を目指すが、いつものように走ると絶対に野田市内で時間を喰うと思い、かねてからの迂回路で野田市街を南から迂回して玉葉橋で江戸川を渡ろうとした。しかし、暗さもあって道を間違い、柏・流山を経て流山橋で江戸川を渡れた。三郷駅近くから江戸川右岸道路で江戸川区小岩まで。自宅着は8時だった。

いい紅葉を見ることができた。満足満足。W800の走行距離は約560km。日帰りツーリングとしては最長になった。燃費は相変わらず26km/L。ガソリン価格の高騰はタンク容量の小さいバイクにも及びつつある。

今回は休憩もろくに取らず走ったので、体へのダメージが大きかった。まず、帰路内股が痛くなった。
翌日、体全体が怠かった。寒い中走ったので体もこわばった。いいことが一つもない。大人のツーリングをしないといけない。体はジジイなのに心はガキだ。

高原山・那須連山一周ツーリング

台風一過、日曜日から安定した晴天が続きそうなので、単独でツーリングしてきた。

走ってきたのは栃木県の高原山の山麓にある県道63号と、旧日塩もみじラインである県道19号、国道400号、121号、289号、旧那須甲子道路である福島県道・栃木県道290号、那須高原を走る栃木県道17号、266号、30号と53号で那須塩原駅まで。日帰りはもともとするつもりなく、日曜日は別宅に転がり込んだ。

国道4号宇都宮バイパスの途中から北上して、音声ナビに従って県道63号線の尚仁沢湧水近くの県民の森駐車場に出てから左折。湧水公園を過ぎると交通量がほとんどなくなり、地図上で見た以上に高低差が大きくつづら折れの連続になる。路面もガタガタでブレーキングもやりづらく、あまり面白い道ではなかった。
それに対して旧日塩もみじラインは道幅も広く、路面もいいほうで、標高1000m以上の紅葉がはじまった屈曲路は快適で楽しい。

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エーデルワイススキー場の駐車場入り口から。若干色づき始めている。

今回、平野の気温が上がるので、先日買ったヘンリービギンズの長袖プロテクターを半袖化繊Tシャツの上に着て、その上から山スキーの上りで着ている前面防風メンブレンが入り、袖の内側と背面はジャージー素材というウィンドブレーカーを着た。標高が高くなると風が冷たくてちょっと寒い。こうなるだろうことを意識してライディングジャケットも持ってきたのだが、ガタガタ震えるような寒さではないので強行してしまった。那須甲子道路でも同様だったが着替えが面倒で替えなかった。
全体として1000m以上の高地では紅葉が徐々に進んでいて、黄色が強くなってきている。登山すればもっと鮮やかな紅葉が見られるだろう。登山口の駐車場はだいたいどこも満車に近かった。

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塩原元湯へ

ハンターマウンテン塩原を過ぎても旧日塩もみじラインに乗っていると知った道になってしまうので、塩原新湯から元湯の方へ向かってみた。4軒ほどの温泉宿があり、そこを通過すると少々走りやすくなる。国道400号に出て、塩原温泉街の方へは行かず、上三依方面へ。尾頭トンネルをくぐって国道121号に合流して、会津田島方面へ北上。田島で燃料を入れ、そば屋で昼食にしようと思ったら駐車場がいっぱいだった。下郷方面へ走り、コンビニでやや遅いおにぎり昼食とする。下郷町からは甲子温泉への快走山岳国道の289号で福島県西郷村へ。無料化した旧那須甲子道路で再び標高1000m以上に上がっていく。この道、交通量が多く、特にセンターライン(黄色)をまたいで車を抜かしていく無法ライダーが多い。なるべくこういう輩は先に行かせ、前後に車やバイクを見ないで単独で走るようにした。旧白河高原スキー場の道路脇から赤面山方面への登山客の車が縦列駐車している。
茶臼岳や北温泉方面に上がる道はパスして、県道17号線で下っていくが、日曜日午後なので渋滞している可能性があり、県道266号にエスケープ。那須塩原市に入り、板室温泉を経由して那須塩原駅前を通って国道4号へ。別宅には15時過ぎに着いた。
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なす高原自然の家前の那須高原駐車場にて

別宅に置いてある次男の電子レンジ(12kg)を近くの宅配便営業所へ持ち込んで発送するのが今回の別宅での最大のミッション。W800のタンデムシートに電子レンジの段ボール箱を括り付けるのは骨が折れたが、何とか送ることができた。

翌月曜日は朝から帰路につくが、快走路の県道52号、国道294号で南下した上で烏山大橋を越えて茂木町へ。また県道171号と超隘路の274号を走り、国道123号に出てはが野グリーンコリドール(広域農道)で益子。あとはいつもと同じく桜川市、下妻市を経てから南下して鬼怒川、飯沼川、利根川を越えて野田市へ。いつものように野田市街を通って野田橋を渡るのではなく、帰路渋滞しがちな野田市街を迂回する茨城県道7号で南側から迂回して玉葉橋で江戸川を渡ってみた。結果はなかなか流れるいいコースだが、平日日中は大型車が多すぎる。日曜日だともっと減るとは思うのだが。

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筑波山とそば畑(ようやく白い花が満開を迎えた)

江戸川土手下の快走ルートは、あちこちで水が滲み出していてバイクの下回りがそれで汚れた。もう手が入らない一角に乾いた土がうっすら付いたままになっている。

上信越エリア屈曲路祭り

「不要不急の外出」として、3日間のツーリングに行ってきた。
決行するにあたってはだいぶ逡巡した。普段、単独の日帰りツーリングではコンビニでしか人と向き合うことはなく、まず会話もない。ガソリンスタンドも極力セルフ式を選んでいるので人との会話はない。
今回は宿泊先の人と最小限の会話が必要になるが、濃厚接触には至らない。おそらく濃厚接触者は同行してくれる吐月工房氏のみだと思われる。ともに2回のワクチン接種を済ませて2週間以上経過している。
W800を手に入れてから、夏の間にどこかへ泊まりがけでツーリングに行こうというつもりには二人ともなっていた。雨天が多かった8月だが、ここへ来て平日3日間が晴れる予報になった!標高の高いところへ短時間でも涼しい思いをしに行きたい。
リスクを承知で行くなら今行かずしていつ行くのか?「不要不急」を判断できるのは本人だけだと五輪担当大臣は言っていたからな・・

宿泊先は1泊目が志賀高原のスキーの定宿、2泊目は渋川市のビジネスホテル。
メインは涼しさを求めて標高の高い草津から志賀高原のワインディングと荒涼とした毛無峠、志賀高原から秋山郷への細い屈曲路、津南町から頸城丘陵を縫うようにして走る強烈な屈曲路のみの3ケタ国道と雪深い農村地帯、そして魚沼スカイラインである。全走行距離は700km強。

26日、吐月工房氏と上信電鉄山名駅で落ち合う。10時集合の約束をして、首都高・東北道・圏央道・関越道とすべて高速で行けば早く到着できたものを、高速に飽きて東松山ICで下に降り、国道254に乗ってしまったのが失敗だった。この国道には頻繁に信号があり、ゴーストップの繰り返しで時間を浪費する。結局10分以上遅れて到着。小さな木造駅舎前をバイクツーリングの待ち合わせに使う人は多分いないが、道の駅のような人が集まるところで合流するよりは好きだ。自販機もあれば、トイレもあり、待合室もある。
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上信鉄道山名駅

その後県道を走り繋ぎ、鼻高橋で碓氷川を渡って国道18号に乗り、すぐに県道137号に移って榛名山麓を走り、最終的には県道126号で榛名湖まで。ここまででも十分に屈曲路を走れる。平日の榛名湖(標高1100mほど)は涼しいが人は少なめで、西岸の無料駐車場で短い休憩。県道28号線で吾妻線郷原駅近くまで下って、国道145は走らず吾妻川対岸の県道を走る。途中で長い吾妻峡トンネルがあり、中はひんやり涼しいのだが路面が濡れていて滑りそう。しかも雨は降ってないのに路面からタイヤがすくい上げる飛沫でフェンダーなど下回りが真っ白になった。雨の中を一度も走っていないので、初めてツーリングで汚すことになり、多少ガッカリ。ツーリングの泥はねは勲章なのはわかるけど・・

長野原でドラッグストアに立ち寄り、コンビニで昼食を買い求めて屋外で食べ、道の反対側のGSでガソリン補給。ガソリンは162円/Lと高かった。少し先の草津町のT字路近くにあるGSが渋峠を越えて志賀高原に向かう国道の最終GSである。今回の計画ルートだと志賀高原から秋山郷を抜けて津南町までGSはないと思われる。津南から先に進むとおそらく松代(まつだい)までGSはないはず。GSは適切なタイミングで寄らないと山岳県境近辺では貴重だ。
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今回の装備

午後、草津から国道299で草津白根山を登り始める。まもなく目の前にはダンプ1台のみとなったが、センターラインはイエローだし、ブラインドカーブが多くて危険だから抜けない。ダンプは中腹の工事現場までだろうと思ってペースを合わせてゆっくりと走り、涼しさと景観を楽しみながら上がっていったら、ダンプの行き先は万座温泉だった。国道から自分たちが行こうとする万座方面にダンプが曲がった時に絶望した。
曲がってすぐ路肩に寄せて、ダンプとの距離を置いてゆっくり追いつかないように屈曲路を下り始めた。しかし途中で追いついてしまう。仕方なく万座温泉までダンプの後ろに付いた。

それにしても、数年前に草津白根山が噴火して、3年ほど前に志賀高原から草津へ降りた時は通るには通れたが規制が強かった。今年は規制らしい規制が見られない。草津白根山の警戒レベルが下がったため、4月の開通時に通行の時間規制や車種規制も無くなったらしい。したがってバイクや自転車でも通行可能になった。ただし、白根山手前のレストハウスや駐車場は閉鎖中だった。

万座を通過して、毛無峠に向かう。長野県境に沿って須坂方面への県道466を走るが、もうカーブミラーは完備されていないし、路肩から草や枝が張り出している。道幅も細く、舗装林道と同レベルである。須坂市に入ってすぐ左折して県道112号を走り、舗装が途切れた少し先の県境まで。上昇気流の冷却によってガスが発生しやすい毛無峠は珍しく晴れていた。
毛無峠に始めて来たのは30年以上前。オフロードバイクで須坂から湯沢林道(現在でも未舗装)を登ってきてたどり着いた。その後も1〜2回ほど来ただろうか?群馬県側に小串硫黄鉱山がかつてあり、硫黄を運ぶための索道の錆びた鉄柱だけが須坂方面に点在している。小串鉱山跡には集落もあったようで、何かで読んだか見たりしたことがあるが、ゲートがあって容易には群馬県側には入れない(ウェブ上にもさまざまな記録がある)。峠に大きな木はなく、上昇気流を利用して、今はラジコングライダー愛好者の聖地になっているようだ。かつてだったら考えられないほどの車が峠に停車してあった。また、御飯岳、破風岳、土鍋山の登山者もいた。いつか車で来て歩いて登ろうと思っていた場所ではあるのだが、地形図を見ると御飯岳からトレイルが南に延びて、パルコール嬬恋のゲレンデトップにある裏倉山、四阿山、菅平の東の根子岳まで登山道があるらしい。
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毛無峠

しばし休憩して、午後3時ころ万座方面へ戻る。志賀草津道路に戻って、平日で混んではいないので「国道日本最高所」の路側駐車場に立ち寄り、その後渋峠スキー場ボトムの渋峠ホテル前、横手山ドライブイン前を通過して下りにかかる。屈曲路の連続で陽坂まで下り、左手の熊の湯スキー場、右手の前山サマーリフトを見て平床の噴泉、猫の額のような木戸池キャンプ場、田の原湿原、三角池などを見ながら下っていく。蓮池で今日のツーリング終了。コロナの影響で空いてはいるが、個人客のみ受け入れているホテルのホスピタリティはいつものように満点だった。
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草津白根山方面
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芳ヶ平方面(春先は道路からスキーでドロップできる)
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日本国道最高地点

27日、9時に宿を出発。奥志賀方面に向かうが、長袖のジャージを化繊Tシャツの上、メッシュジャケットの下に着てきたのに、ジャイアントスキー場をくぐるトンネルでもう寒い。清水名水公園で水を汲み、道中の飲み物とする。いつもながら美味しい水。
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W800のタンクを上から撮影してみた

オフシーズンのため、高天ケ原も一ノ瀬もホテルが閑散としている。焼額はプリンスホテル自体が閉まっている。スキーシーズンにならないと採算が取れず、開けないのだろう。奥志賀高原から道幅が狭くなる。かつての「奥志賀スーパー林道」である。30年以上前のオフロードバイクツーリングでは、少し先から未舗装だったはず。カヤの平へも、秋山郷の切明温泉へも、未舗装の砂利道を走らないとたどり着けなかった。もうこの道は全舗装、県道502号、別名「北信州もみじわかばライン」である。ただ交通量は非常に少ない。

走っていると、ローラースキーでクロスカントリーのサマートレーニングをやっている集団に出くわす。かなり若く、10代とおぼしき少年少女が多いので、ひょっとしたら飯山あたりの高校でクロカンが強く、鍋倉山へ部員たちがホイホイと登って行く(かつてプライベートでスキー登山に行ったら出くわした)高校かも知れない。彼らとすれちがってから、カヤの平まで足を伸ばしてみた。以前来た時も思ったが、静かでいいキャンプ場だ。何日間かここでのんびりキャンプ生活してみたい。カヤの平でもローラースキーヤーが2名いて、帰路ものすごいスピードでバイクの前をスケーティング滑走してくれた。たぶん時速40kmは出ていたはずだ。彼らの肩から二の腕にかけての筋肉の美しさはすばらしい。ひょっとしたら日本でもトップのクロスカントリースキーヤーなのかもしれない。同じスキーヤーたるもの、ここまではいかなくても、夏でもスキーのことを考えてインラインスケートなどでトレーニングすべきだが、傾いて曲がるところしかバイクとスキーは共通点がないし、エンジンの力で前進しているていたらくだ。
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カヤの平キャンプ場

雑魚川林道へ。かつてのハードな砂利道もきれいな舗装路に変身した。しかし高度感はかなりある。よく昔長い砂利道を通り抜けたものだ。屈曲路につぐ屈曲路を経て、秋山郷の最奥にある切明温泉に至る。途中、正面の大岩山と左手の鳥甲山の大岩壁が圧倒的。ここからは国道405号(中之条町〜上越市。切明温泉〜野反湖は未完成)だが、国道とは名ばかりで狭くて急カーブ、急坂が連続する道が津南町近くまで続く。前倉橋のあたりが特に凄い。秋山郷には集落はところどころにしかない。津南町に入って渓谷が広くなってようやく道路幅も広くなってくる。そのまま国道117を横断して津南駅で休憩。11時である。駅のトイレに立ち寄って、再び国道405号をキューピットバレイスキー場方面へ。津南駅裏の踏切を渡ってからの国道405号は車一台分の道幅しかなく、屈曲路の連続(七曲り)で頸城の丘陵地帯を越えていく。小さな集落が出てきて田んぼが道路脇にあるとホッとするが、田んぼが作れるほどの集落を過ぎるとすぐに上り基調となって集落から離れる。次の集落まではまた心細く狭い屈曲路となる。松之山天水島、松之山スキー場、松之山天水越あたりまではまだ集落が大きめだが、大厳寺高原から来る道を分けると三方峠の道になる。昔も今も、大厳寺高原と国道405の分岐には迷う。国道の標識もなければ道幅は共に狭い。

十日町市浦田地区の渋海川に沿った小さな集落の2棟は茅葺きで、生活している人がいる。周りには手入れされたきれいな田んぼと小さな神社があり、特に印象に残った。写真は撮らずじまいだった。その後すぐに渋海川を渡って方向転換し、峠道となる。そんなことの繰り返しで、国道405号を走っていると方向感覚がおかしくなり、どこにいるのかも把握できなくなる。ようやくキューピットバレイスキー場の方から下ってくる国道403号(新潟市〜松本市)と合流して「雪だるま物産館」に12時過ぎに着いた。ちょっとした道の駅のような施設。ちょうどその一角にある蕎麦屋が営業していたので、雪むろで蕎麦粉を貯蔵した雪むろ田舎そば(1,330円)を堪能した。

午後は少しこの国道を北に下り、高田方面に向かう405号を見送って、403号で松代(まつだい)方面に向かう。大合併した上越市の地籍だが、道路幅は405号よりも太くなったが、屈曲路は凄い。見どころは星峠の棚田。棚田はもちろん405号沿いにもたくさんあった。しかし星峠の棚田は谷が開けていて非常にスケールが大きく、見栄えがする。心無い見学者が絶えないようだが、真夏の平日午後では見学に来る人も少なく、暑いので写真を撮ったらすぐに離れてしまう。我々はじっくりと眺めて休憩を兼ねた。
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星峠の棚田

ここからは比較的快走できるルートになる。松代を過ぎて延々と長いトンネルを何本も越えて十日町市街に至り、ここで給油。W800は10L補給して、草津から300kmほど。30km/Lを達成。信号がなければかなり燃費は伸びる。

十日町から魚沼丘陵を越えるが、魚沼スカイラインを走りたく、旧国道253号の八箇トンネルを抜けた八箇峠入口で魚沼スカイラインの部分的通行止めを確認。八箇峠入口から魚沼スカイラインを全線通過することはできない。ムイカリゾートスキー場のボトムを通過し、シャトー塩沢スキー場の近くをかすめ、栃窪峠で魚沼スカイラインに乗る。展望台で魚沼地域全景を眺めて、南に走り、十二峠から石打へ。渋川到着は19時ころになりそうだ。

ここからは国道17号で新潟・群馬県境を越える。一般道ではこの1本しかない。スキーで通り慣れたルートをバイクで走っていくと、かぐらあたりのトンネル内は大変涼しい。三国トンネルは新トンネルがほぼ完成したようだ。三国峠の屈曲路を下り、湯宿温泉近くの道の駅「たくみの里」で休憩。ここの道の駅は空いていてよろしい。その後は国道に戻らず、県道36号線でダイレクトに渋川に向かう。渋川市街の道で再び激混みの国道17号に戻って予約したビジネスホテルにたどり着く直前、黒い雨雲が垂れ込めてきた。到着時はかろうじて晴れていたが、チェックインしたのちに雨が降ったようだ。バイクは屋根の下に停めさせてもらうことができた。
この日は疲れて早々に寝た。

27日、ほぼ各自で南下して自宅を目指す。もう9時の関東平野はかなり暑い。
私は、利根川を越えるまでは国道17号上武バイパスを使い、埼玉県道45号、59号、60号を使って栗橋で国道4号に出て、久喜から再び県道で南東の五霞、幸手を通過して新4号バイパスに乗り換え、道の駅庄和から県道42号、野田橋西詰、江戸川沿いの信号の無いルートを南下した。三郷あたりでフューエルランプが点灯して、GSの無い江戸川沿いの道を南下した。実際は余裕で、10L近く消費すると残りが5L程だが、点滅はしてしまう仕様らしい。渋滞がなければ残り5Lで100km以上は走れる計算だ。
松戸と葛飾区の境で金町から環七方面に向かったが国道6号線の左側にはGSはなく、環七沿いのセルフで給油。275kmで10Lちょうど。無事午後1時に駐輪場に到着。バイクの洗車はとりあえず明日だ。まずは汗と排気ガスで汚れた衣類を洗濯する。

久しぶりに大きなツーリングになった。暑さは辛かったが、ほとんど屈曲路の連続で、全走行距離は700km以上となり、充実したものになった。何となく、冬はスキー場が点在するエリアで道路が冬季閉鎖されるところをたどった感がある。
秋にもできれば遠くへ行きたいものだ。

CB650Rをレンタル・茨城県快走ツーリング

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八溝山地のすばらしい田園風景

金曜日の夜、ホンダのレンタルバイクページ、
HondaGOHPをさまよっているうちに、CB650Rのレンタルを軽い気持ちで予約してしまった。
2日後の日曜日は久しぶりに気持ちよく晴れそうだし、5月いっぱいまでにレンタルすれば3000円引きというクーポンがあったのも背中を押した。

前から650ccクラスのバイクは気になっていて、スズキSV650、ヤマハXSR700もレンタルして乗ってみたい候補だったが、よりによって
唯一の4気筒エンジンのホンダを一番最初に選んでしまった。とはいえCB650Rはホンダ専門のレンタル(Honda-GO)でないと借りられず、以前W800をレンタルした「レンタル819」には外車も含め各社のバイクがあるのに、CB650Rのレンタル車はない。

予約してしまってから、前日13時までに(これを過ぎるとキャンセル料100%!)キャンセルしてもいいかな?と逃げ道を作っていた。4気筒バイクは過去に所有したことはあるが、実はあまり好きではない。
甲高いエンジン音がどうにも苦手だ。だから電動バイクのあのヒューンという悲鳴のような音も馴染めない。ドコドコいってある程度振動があるバイクの方が好きなので、スズキのV型2気筒やヤマハの直列2気筒に惹かれていた(だがあくまでも、本命は空冷2気筒エンジンのカワサキW800スタンダードである)。
でも乗ってみなければ本当のところはわからない。ということでキャンセルはせずに当日を迎えた。

自宅からバスで30分、ホンダドリーム葛西店まで行き、予約開始の10時30分少し前から乗り始める。
シートは前方を絞ってあるものの、高さが810ミリあって結構不安。完全フラットな場所なら問題ないが、信号待ちで轍の凹んだ所に足を置くとつま先立ちになる。車重はほぼ200kg。エンジン幅はとても狭く、タンク下を覗き込まないとエンジンを見ることができない。エンジンの下部も横に張り出さない。4気筒なのにまるで2気筒のようなエンジン幅だ。スタート直後、マシンのパワーに圧倒される。低速がスカスカという訳ではないようで、実用域でのパワーは有り余っている。甲高い音を上げてエンジンの回転数が上がる。思わずこちらも甲高い叫声(パウダースキーと同じ高揚感)がでてしまう。慣れないうちに暴れさせると大変だし、あちこちでパトカーが取り締まっているので、ソロリソロリと環七を南下。湾岸道路との交差点で左折してすぐに右レーンから首都高湾岸線に乗る。そのまま東関東道で終点の潮来まで、まずは高速走行である。

本日のいでたちは、晴れで気温が高くなる可能性があったので、今年初めてのメッシュジャケット(メーカーはアーバニズム)。背中のフヤフヤパッドを取り除き、下にコミネのプロテクターベストを着用。胸・脇腹・脊髄のハードプロテクターが装着できる。ジャケットには肩と肘のプロテクターを残しておく。ベストの下には化繊の厚手長袖と下着として化繊の薄手Tシャツ。午前中の高速走行ではやや寒かった。
下半身はパワーエイジのポロン材質膝プロテクターを装着してその上から先日ネットで買ったコミネのメッシュレザーパンツ。このパンツ、サイズは32インチLサイズだが、最近ウエストが成長しつつある私にはかなりきつかった。返却やむなしかと思ったが、革靴の皮革を伸ばすムース(コロニルストレッチ)を腰回りに吹きつけてなすりつけ、しばらく我慢しつつ履いていたらだいぶ革が伸びた。まだ前ボタンを掛けるときはキツさを感じるが、だいぶ馴染んできたみたい。膝パッドも付属していたけれど、タイトなズボンにはまだ厳しくてサポーター型のインナーパッドを装着した。
靴下はトレッキング用ウール靴下(スマートウール)、ライディングブーツはライトグリーン色の軽登山靴(モンチュラ。ゴアテックスを謳っているが左足のみずぶ濡れになる)。

さて高速走行。最初はおそるおそる80kmで巡航、慣れてきたらそれ以上出してみる。
ネイキッドなので風圧は大きいが、安定性は非常に高い。最高出力は97馬力という怪物バイクだが、そんな出力を出す余裕はないし自分には不必要。したがってエンジンの回転数はあまり上げず、4000回転ほどで80〜100km巡航する。メーターに目を落とすとデジタル表示の数字が目まぐるしく変わる。昔乗っていたXR250BAJAのメーターは先駆的な液晶デジタル表示だったが、デジタル表示の目まぐるしさは好きになれない(四輪でもハイエースはアナログメーター)しかし優秀なのは路面の縦溝をモノともしないところと、6速80kmからシフトダウンしなくても、6速のまま追い越し車線に移ってしっかり加速していくところだ。成田空港を過ぎると車線も2車線となり、虫の高速アタックを受けてゴーグルに虫がへばりつく。甲虫だと結構ショックがある。もうそういう季節か・・大栄PAではヘルメットを被ったまま小休止して、腰用のバンテリンサポーターを巻く。これがあると長距離でも腰の疲れが出にくい。利根川を渡り潮来インターで下道へ下りる。

空いている県道を快走するために茨城県道50号線で北上。周辺に何もない県道だが、どんどん北上できる。
茨城空港近くまで北上して、県道8号線で南側から回り込む。12時30分。県道360号線との交差点にコンビニがあり、そこであんパン・クリームパンとカフェラテで軽い昼食。13時から県道360号線を北上して、空港前の交差点で左折、空港アクセス道路の県道359号で東へ。国道6号を突っ切り、常磐線の羽鳥駅で小休憩。県道140号線と42号線で石岡市の恋瀬小学校前を経由してすぐ左折、県道42号線の道祖神峠に登る。今日唯一の峠らしい峠だ(昼を食べたコンビニから道祖神峠麓の恋瀬までは音声ナビを使用)。遠く前方に1台車が先行しているので車間をかなり開けて走っていたが、もう1台その前を走っていて、頂上近くで追いついてしまった。下りは2台の車を先行させ、軽自動車を後ろに従えて3速〜4速エンジンブレーキフル稼働でゆっくり降る。もう少し攻めたかったけど、路面も滑りやすそうな要素があったし、何しろレンタルバイクだから慎重を期す。こういうバイクはライダーをイケイケ・攻撃的にするからよろしくない?
最大限抑えて走ったつもりだが、それでも
右左折直後の立ち上がりでスロットルを開くと、加速が素晴らしく、病みつきになる。
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常磐線羽鳥駅近くにて。スパルタンなフォルムである。

北関東道をくぐって県道109号線に左折し、水戸線の稲田駅まで行ってトイレ休憩。この道はずいぶん前に自転車で道祖神峠から下ったことがあるはずだ。初秋で、栗を拾って持ち帰った記憶がある。
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水戸線稲田駅横の駐車場で。集合管が印象的
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排気量はシュラウドカバーに控えめに表示

稲田駅からは国道50号を突っ切り、県道289号を使って北西方向へ。石切場があちこちにあって、道路幅も狭くなるし、ダンプがよく通る道なのか、路面が悪い上に降雨の跡があって走りにくい県道だ。だんだん馴染んだ風景になってきて、先日の舗装林道走破のツーリングの入り口になった桜川市総合運動公園まで下りてきて右折。国道50号の一つ北の道を西へ向かい、桜川筑西インターのすぐ西側にある道路で北関東道をくぐれば、あとはいつも使っている水戸線大和駅からのルートに乗ったことになる。

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県道289号線にて。田植え後の田んぼと筑波山方面の低山ををバックに。

南下開始は14時30分ごろだったか?大和駅には寄らず、県道148号、131号で筑西市明野を通過して国道294号も横断、下妻市役所から県道357号をひたすら南下。関東鉄道に平行する道だが、電車は見えない。美妻橋で鬼怒川を渡って、県道123号、134号、水海道ゴルフクラブの脇を通って県道3号に乗り、あとは利根川を渡って野田市を通過して野田橋を渡れば江戸川右岸ルートに乗れる。ところが野田市内が結構渋滞。時間の余裕はあるので多少は構わないのだが、渋滞の中で次第にエンジン熱が気になりだす。

平均燃費計も表示できるので時々注視していたら、一時24km/L近くまで行ったのに渋滞で23.5km/Lまで落ち込んだ。
やはり4気筒は燃費が悪い。この排気量なら、ツーリングでは30km/Lくらいはたたき出して欲しい。それにしてもメーター表示の操作が複雑すぎていまひとつである。
マフラーが短くて穴が上を向いているのでエンジンサウンドが大きく聞こえる分、無駄にエンジン回転を使っているような気になってしまう。そしてもう4時間以上、220kmほど走りづめなので、お尻が痛くなってきた。
CB650Rのシートは
お尻の位置の自由度が狭い。そしてサスペンションが硬めなので路面の衝撃をよく拾う。さらにバックステップなので立ち上がって姿勢を直すこともやりにくい。こういうバイクはヒザと下肢が深く曲がる分、長く乗ると脚の血行が悪くなりそう。教習所でちょっとだけ乗ったCB400SFも同じポジションだ。
ようやく操作に慣れてきたのに(
それでも最後までトラクションコントロールの味付けがよく解らず、クラッチミートも時々失敗した。1速から2速へのシフトアップ時にすっぽ抜けてニュートラルで空回しということも数回あった)、疲労がたまるのはよろしくない。レスポンスがよくてスロットルを少しひねるとエンジン回転がぐーんと暴力的に上がるのも疲労を蓄積する原因だ。マイルドなエンジンで余裕の走りができるのが大排気量車の魅力だと思うのだが・・

野田橋西詰までの渋滞をようやく左折で回避して、あとは江戸川に沿って埼玉県側の信号のない県道をひたすら走るだけ。ホンダドリーム店に着いたのは17時20分ころ。
全走行距離は274km。直前に入れたガソリンは9.76Lで燃費はメーターの表示で24kmに届かなかった(満タン法だと27.6kmだが、何故こんなに差がでるのだろう?)。面白いけどW800より確実に疲労感が残るバイクだった。

それにしてもこの日は日曜日ということもあって多くのバイクとすれ違い、同走した。印象に残ったのはCB650Rと瓜二つなCB125R(後ろからついてきた)、大和駅からの南下県道で同走したCB1100(乗り手の服装がスニーカー&ジャージで、リッターバイクに乗るには相応しくなかった・・空冷大排気量エンジンなのに残念)、そして江戸川右岸を南下するときに同走したエストレヤ(淡い青色、大きな風防を付けていた(旭風防よりも大きく見えた)。同じ足立ナンバーで、ライダーのウェアは完璧だった)。やはり
エストレヤはかわいくていいバイクだな、と後ろから見ていて思った次第だ。

極力接触回避のソロツーリング(茂木町の山間林道)

朝6時30分に出発、蔵前橋通りから江戸川右岸沿いの快走ルートで北上。
出発後約1時間で野田橋を渡る。橋の手前の右折渋滞がなくて快適。
県道3号線で野田市を横断したら、東武野田線愛宕駅近くが高架化され、昨年まで地面を走っていた線路の手前で一旦停止する必要がなくなった。そのまま利根川を渡って茨城県に入り、県道58、134、123で国道294までたどり着き、精米センターの所で左折する。常総市は陽光子友乃会の兜のような本部建物と、石下の豊田城天守閣(江戸時代に城があったわけではない)が遠くからでも目立ち、キッチュで一種異様な雰囲気がある。国道294号はいつもより交通量が少なめで、車の流れに乗るため無理して速度を出すことなく北上できた。下妻市で右折して県道131に乗り、筑西市明野を経由して県道148で水戸線大和駅まで行って休憩。ここまで100キロ弱、出発から約2時間40分程度。
大和駅は私が筑波山の近くを通って下道を北上するとき必ず立ち寄ってしまう休憩スポット。駅としては何もない無人駅だ。

トイレ休憩して、交通量が多い国道50号にはすぐに乗らず、岩瀬駅方面へ向かってから国道に出て水戸方面に右折、まもなく桜川市総合運動公園近くで左折。筑波山や加波山はすでに後方だが、より低い里山がここから北に広がっている。そこにある舗装林道を縫いながら茂木町と城里町の県境近くを北東方向に縦断して、常陸大宮市の御前山ダムまで向かうのがツーリング前半の目的。

さらに那珂川の北には、栃木県茂木町・那須烏山市の境界近くに細い県道・市町道が縦横に走っていて、小さな山越えの舗装林道も数多くある。まる一日走れ、非常に興味深いエリアだが、なぜか注目はされない。ツーリングマップルにも特にコメントが見つからない。要するに「穴場」である。

茨城・栃木県境に高峯という山があり、この山中を抜ける平沢林道をまず抜ける。最近の雨と風のせいで路面に小枝が散乱していたり、雨水が路面を流れていくときに堆積した落ち葉が多く、路肩に堆積している状態なので、タイヤをトレースさせるスペースが不十分で、ふいに太めの枝が転がっているようなこともあり、慎重に走らざるを得ない。上っていく道すがら展望台が2個所ほどあるが、葉が茂り始めて展望はあまり効かないので、そのまま山越えして県道286に乗る。少し北に下って、最初に現れる深沢集落ですぐに右折して林道小貫深沢線へ。後方にバイクが1台いたが、彼は直進していった。
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深沢集落から南を望む
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一山越えた小貫集落(やや谷が広くなった)

深沢集落から一旦南下してから東に向かいつつ屈曲路が始まる。さきほどの林道と同じように落葉などが多く、日差しがなくて暗い道。小貫集落で左折して逆川(さかがわ)沿いに北上し、県道1号線(宇都宮笠間線)に合流して2kmほど走り、「いい里さかがわ館」手前で右折。このときもツーリングバイク2台が後方についていたが、彼らは直進。林道に入るオンロードバイクは無いようだ。ここから長い林道が始まる。まず右折したのは林道辰沢線の入り口。「上飯(いい)」という知名だ。だから「いい里」なんだろう。林道を抜けたところにある集落は「並柳」。

山が全体的に低いので、屈曲路もそんなに長くは続かない。山越えした「並柳」で分岐を見落としてしまったが、Uターンして「ミツマタ群生地」の方に向かい、分岐で山側に上って行く。これが林道高田新田並柳線。本日一番長い林道になり、途中に派生林道もあるが、基本的に轍がしっかりした方を選択しつつ、分岐で右方向に向かう。落ち葉と小枝が多くてどちらが本線か悩む所もあったし、路面の凹部に泥が堆積していて、うっかりオンロードタイヤで踏むと滑る。一度はコケそうになって脚で支えた。エンジン前部と前輪フェンダーが巻き上げた泥で汚れ始めた。

10時30分ころ屈曲林道が終わり、高田新田集落。Y字の交差点を右方向へ2度ほど曲がると道は2車線となり、県道51号線になる。川に沿って北東方向に進むと、ツインリンクもてぎ東ゲートの看板が見えて、県道291号が左方から合流してくる(青梅集落)。直進すると県道番号は291になって桧山川沿いを御前山ダム方面に向かうが、道路幅が狭かったり太くなったりを繰り返す。以前ハイエースで逆方向に走ったことがあるが、こんなに道幅の変化が激しかっただろうか?

御前山ダム脇には駐車場もあるが、ある程度埋まっていたのでスルーして県道39号で那珂川を渡り、国道123号を左折。茂木方面に戻りつつ、那珂川を渡り返す手前で右折して山内パーキングで休憩。ルート確認。すぐ県道171号で北上せず、県道338号から231号、北上する番号の無い道路を北上して県道171と274の合流ポイントまで出ることにする。相変わらず風は強く、路面に緑色の葉っぱが堆積している。この季節に緑のまま落葉する木は何だろうか?

順調に番号無し道路に入ったが、右のルート入口に何故か大量の雪があった。ここにこんなに雪があるはずはないのだが・・そこで左ルートで上っていく。「あじ彩」という店のところで右ルートと合流。そのまま河又という集落でクロスする県道171と274を横断、木須川を渡る。
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河又集落近くの棚田

小さな木須川が茂木町と那須烏山市の市町境。県道171で小木須郵便局方面に向かい、すぐ先で右折・左折して小木須川沿いに北上。県道12号を横断してさらに北上し、軽トラ1台分くらいの道幅の道路を進むが、田んぼを挟んで左右に道路が分かれた。右方向には路上に田植えのための軽トラが何台も止まっていた上に、左方向が直進的だったので左を選択したら、まもなく左の斜面に沿った砂利道になってしまった。エストレヤは砂利道でもそこそこ走れるのだが、水たまりがあちこちにあって、その縁を速度を落として走っても泥をはね飛ばしてバイクの下回りが真っ白になってしまう。右ルートはずっと舗装されているようだがしだいに距離と高低差も出てきて、どこかでUターンすることを考え始めたが、最終的には合流して舗装路になった(ただし軽トラ1台分の道幅であることは変わりなし)。同時に田んぼがなくなって林道になり、小山を越えて最終的には県道29号に合流した。
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那須烏山市横枕(こいのぼりが泳いでいた)
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下回りが泥だらけになる前のエストレヤ(これでもそれまでの林道で落ち葉がフレーム前部に付着)

ここからは幹線県道や国道を走りつないで北上する。県道29号を西に向かい那珂川のほとりに出て、国道294に出て車の流れに乗って北上。なかがわ水遊園近くで国道400号に乗り換えて大田原市へ。北西から吹いてくる風が強烈で、しかも山おろしの風なので冷たい。

西那須野の別宅に着いたのが12時過ぎ。近くのコンビニで買ったお昼を食べる。人との接触はこのコンビニと帰りに立ち寄った有人ガソリンスタンドのみ。
西那須野の別宅に泊まってもよかったのだが、夕食や朝食の心配をしなければならず、外に出れば人と接近する。せっかく天気はいいので14時に東京に帰ることにした。帰路は狭隘路には入らず、ライスラインから佐久山、県道52号で那珂川町、那珂川を渡って馬頭から那珂川左岸を南下、県道27号線で最後は屈曲路を楽しみ、県道338号線で茂木町市街へ入り、はが野グリーンコリドール(広域農道)で益子へ。益子からは県道41号、148号で再び水戸線大和駅へ。しばし休憩の後、下妻、県道357、136、20、3号で野田まで。野田橋で6時少々前。あとは江戸川右岸の快走ルートをひたすら南下。
19時前に到着した。全走行距離は往路200km、復路185kmで385km。
一日中バイクに乗っていたのでクラッチを握る左手が辛くなり痛くなった。

群馬南西部ツーリング

ツーリングの連チャン。
吐月工房氏とスキーにするか、バイクツーリングにするか相談してバイクツーリングに決定。
3月31日に藤岡のビジネスホテルに前泊し、翌日群馬県内を走り、その日のうちに帰るという昨年秋と同じ準日帰りツーリング。私は全日W800で房総に行った翌日なので、連日走行ということになった。

31日は藤岡へ行くだけなので、午後出発。群馬県南部まで距離にしたら130kmほど、高速を使えば2時間以内で行かれるが、非力なエストレヤで高速に乗る地獄は味わいたくなく、17号線のような幹線国道も使いたくなく、交通量が少なく信号も少ない県道を選択して走ると3時間以上かかる。よって午後も早く13時30分に出発。いつも装着しているサイドバッグの他に、ホテルの部屋まで容易に持ち込めるシートバッグを載せていく。レンタルバイクではバイクを乗り換える関係でデイパックを背負っていったが、背中に長く背負って長い距離バイクに乗るのは疲れる。

ルートは、いつもの北上ルートで江戸川右岸スーパー堤防下の快走ルートで野田橋を経て、埼玉県道42号線で茨城県五霞町へ(途中、「道の駅庄和」で休憩)。工業団地旧国道4号に出て、栗橋から埼玉県道60号線で利根川右岸沿いを西に向かおうとしたが、途中で音声ナビがルートを変更して国道125号に誘導しようとしたので、抗って県道60号に乗り(乗ったと思ってもリルートによる復帰誘導をしばらく無視しないといけないので厄介)、信号が少なく交通量が少ない快適な県道を羽生→行田→熊谷→深谷→本庄とつないでいく。初めて走った県道だが、これはツーリング向き。畑や田んぼと広い空を眺めながら快走できる。上里町で国道17号に出て、県境を越えれば高崎市、すぐに藤岡市となる。17時過ぎに到着。約3時間半かかった。

17号線に乗ってあと10kmほどというところ(上里町)で給油したら、距離120kmで3.24リットル入った。37km/L。ツーリング燃費は都内通勤燃費よりもリッターあたり約10kmは上がる。
吐月工房氏も18時ころ到着。

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堤防沿いは菜の花と桜が満開で、右に黄色、左にピンク色の世界だった
これは利根川沿いの農道にて


翌朝、放射冷却で気温10度を割っている。寒いので標高を挙げて妙義・榛名・赤城方面へ向かうのはやめて、吐月工房氏の先導で西へ向かう。もちろん、幹線国道などは使わず、マニアックな県道を走りつないでいく。群馬県道173号、175号、71号、177号、46号。とりわけ甘楽町の秋畑から富岡に向かう県道192号(秋畑富岡線)がすごかった。全面通行止めの看板が出ているのだが、Uターンも辞さず登っていったら軽トラックが上から下りてきて、路肩が半分崩れ落ちている場所を普通に通過したらピーク(藤田峠というらしい)に出て、ピーク下の一軒家の前からは軽トラックしか走れない幅のコンクリ舗装となった。20%はあろうかという急下降で、落ち葉や小石が路面に堆積・散乱している状態。ものすごい県道である。県道192号線については、「険道」としてマニアが通行レポートをアップしている。

何とかトラブルなく下りて、国道に出て道の駅下仁田で休憩。
その後県道45号で南牧村を経て上野村へ。上野村に向かう県道のルートは新しく作られた道らしくループ状の弧を描き、長い湯ノ沢トンネルの中はとても寒かった。

上野村の道の駅で12時となり、昼食。そばを食べて、国道299号から国道462号をつなぎ、八高線児玉駅で終了。まだ午後浅いが、それぞれ帰路につく。

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児玉駅前にて。単コロツーリング一応終了

私はまた利根川・江戸川沿いの快走県道を走るべく、本庄市へ向かって往路と同じ道に乗り、17時ころ自宅到着。自宅近くのガソリンスタンドに立ち寄り、給油したら、朝出たホテルから東京のガソリンスタンドまで260kmほどで、消費ガソリンは6.9リットルだった。なんと38km/Lをたたき出した。これは今まででエストレヤ最高燃費。比較的平地が長く信号待ちが少なかったせいか?
この燃費は大排気量車、多気筒エンジンでは絶対に出ない。まして、ハイオク指定の輸入車では絶対できない芸当だ。

バイク・自転車ツーリングに最適なシーズンが来たが、すでに小さな虫も出てきて、ヘルメットシールドやジャケットにぶつかってシミを作る季節にもなってきた。

カワサキW800の試乗・レンタル

大型自動二輪免許が手に入ったので、まずはお金をかけずバイクに乗る。一番はディーラーでの「試乗」だ。

カワサキW800シリーズ(ほとんどこれ以外に関心がない)にターゲットを絞りこみ、都内と千葉県の各店舗で2日間にわたって試乗を手配した。今どきはwebで申し込み手続し、折り返しディーラーからメールや電話が来て日時を確定させる方式だ。結局、W800streetを足立区のディーラーで、caféを同日に松戸と練馬のディーラーで試乗できた。caféの試乗日(3月最終土曜)は国道6号で激しい渋滞があったために2軒のハシゴで丸一日費やしてしまった。
道路が混んでいて、存分に走れるわけではなかったが、共通する空冷バーチカルツイン773ccのエンジンフィールを味わうことはできた。排気音も含め非常にいいエンジンだ。単気筒エンジンのバイクを所有して乗る機会が今まで多かった(4気筒エンジンは今まで一台だけ)が、ツインエンジンの独特さは味わいがある。

W800シリーズは4種あり、無印スタンダード、アップハンドルのstreet、前傾姿勢になるスワローハンドルのcafé、そして最後発のメグロK3となる。
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W800スタンダード

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W800street

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W800café(いずれもカワサキモーターサイクルHPより)

メグロは全く関心がないし試乗車は全くないので除外。無印スタンダードが最も興味あるバイクだがこれも試乗車は都内になく、よってstreetとcaféの試乗となった。結論は、どちらも狙いのツーリング用途には少し合わない。早く無印スタンダードに乗りたい(試乗に松戸へ行ったついでに流山にW800スタンダードの中古があると知ってわざわざそこまでおもむいて跨がったのは収穫だった)。

そうなるともう一択である。乗車時間が短い試乗を遠いディーラーに行ってすることは断念し、料金は高いが一日乗りまくれるレンタル(丸一日で1万7000円ほど)に切り替えて無印スタンダードに乗ることにする。
善は急げ、でレンタル819お台場店にW800スタンダードの8時間レンタルを申し込む。3月30日の予約がとれた。惜しむらくは店舗開店が11時と遅いことだ。もっと朝早くから借りられたらいいのに・・

レンタル当日、11時開店直前にレンタル819お台場店に到着し、手続きをして11時15分ころW800スタンダードに乗り始める。お台場から国道357で東京港をくぐり(昔は湾岸道路は13号地で行き止まりだったなあ。画期的トンネルで、首都高よりもスムーズに抜けられた)大井南ICから首都高湾岸線に乗る。バイクで高速を走ること自体が久しぶりだが、ETCで料金所を通過するのは初めてだ。昔のように小銭を料金所で出さずに済むのはありがたい。川崎浮島からこれまた久しぶりにアクアラインに進入。高速道路での風圧は結構なものなので、最初は時速80kmでそろそろと、慣れてきたら90〜100kmまで出してみるが、それ以上は無理。風圧に耐えられない。せめてメーターバイザーくらいあるといいのにな。

館山道で富津竹岡まで。二輪だと軽自動車と同料金で、近々半額になるらしいから財布に優しい。アクアライン、連絡道、館山道いずれも3ケタ料金だった。竹岡で内房の国道を南下して磯料理を食べようと思っていたが、目当ての店は休みで、そのまま金谷に行って食事どころを物色したところ、結構沢山の観光客が来ていて、大きな食堂は待たされそう。駐車場の反対側の小さな金谷食堂に入ったら、アジフライ定食が比較的早く出てきた。アジフライ2枚半がメインの定食で1,300円。結構いい値段だが、美味しかった。


竹岡にて(ボディカラーは黒く見えるがダークグリーン)

昼食後も国道127号を南下して、富浦から海沿いの県道に入って北条海岸沿いの道路を南下、そのまま洲崎方面へ。お台場でトイレに寄ってきたのになぜか頻尿気味。波左間あたりの公衆トイレに立ち寄る。洲崎灯台を右手に見て、そのまま通過して平砂浦方面へ。交通量がぐっと減って非常に走りやすくなった。快走して国道410号と合流、野島崎灯台方面へ。再び尿意をもよおしてRVパーク南房総白浜のトイレに立ち寄る。

ここからは安房グリーンラインで北上したかったのだが、分岐を見つけられずそのまま千倉まで国道410号を走り、線路沿いの県道で九重まで。九重から安房グリーンラインに乗り、道なりに北上して長挟街道へ。いったん鴨川方面に右折して、すぐに金束から県道88号線で峠越え。道路幅はかなり細くなって、ふた昔前の房総半島の標準的な道路が残っていた。国道456号に乗り換えて、狩野山の東側から県道92号線で北上、16時になったので時間に余裕を持ってバイクを返却すべく、君津インターから館山道に乗った。アクアラインには乗らず、館山道、東関東道、首都高を乗り継いで戻る。途中市原SAでトイレ休憩とナビでの到着時間計測。すでに16時30分で、いつもの穴川渋滞があるのでお台場まで2時間かかるらしい。
蘇我あたりから渋滞が始まり、少しすり抜けてみるが、覆面パトカーが赤灯を点滅させて走っていたのでその目の前からおとなしく走ることにした。ゆっくり流れているし、2速半クラで足はつかずに走れる。

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内陸北上中


W800スタンダードはハンドルの高さがちょうどよく、エストレヤよりも若干低くてハンドル幅が広い感じ。一番体にしっくり来るポジションだ。高速での時速100kmまでの加速は申し分なく、一般道ではもちろん時速60kmに達する時間は早くてトルク感のある加速が楽しめる。シフトチェンジをサボっても気持ちよく走れるのがツーリング向き。エストレヤよりは確実に重く210kgはあるが、取り回しは重くないしUターンも楽だ。ただし、借り物なので立ちゴケしないようにおっかなびっくり扱ってしまったところはある。飛ばし屋さんには物足りないかもしれないが、私としては申し分のないマシンだということがわかった。欲しい!

お台場でレインボーブリッジを渡ってしまう間違いをしたが、無事18時30分に返却完了。お店のお兄さんに「ご購入検討されていますか?」と聞かれ、首肯したら、「お金出してでも所有する価値のあるバイクですよ」と言われてしまった。

前日光山地の林道群

また吐月工房氏とバイクツーリングをした。かなり冷え込んできたのだが、幸いに週末の気温が高め。それぞれの自宅から同じくらいの距離の場所として、足利から日光までの間にある前日光山地の林道をつないで北上するツーリングを計画してみた。

前日光山地は南北に山が連なり、河川は東西に流れているので、稜線が東に張り出していて、川も東流している。県道は川に沿って奥深くまで入り込んでいて、バイクで足尾側の国道122号に至る道路は県道15号の粕尾峠しかない。この地域の林道はほぼ舗装され、道幅は狭いが一般車が通れるようになっている。足利から松田湖近くまで上がり、長石林道・近沢林道・牛の原出原林道・大荷場木浦沢林道・前日光林道・河原小屋三の宿林道を走りつないで滝が原峠を下れば日光清滝に至る。帰りは国道122号で大間々方面へ南下するが、細尾峠の旧道や草木湖の東側の屈曲路を通れば楽しい。私は大昔にオフロードバイク、さらに数年前に自転車で実踏済みだが、何度走っても楽しい。2020年11月現在、大荷場木浦沢林道と河原小屋三の宿林道が昨年台風の影響で通行止めと栃木県から公表されており、これを迂回すれば時間をロスするため、日の短い11月半ばということもあり、一部のみ走ることにして足利のビジネスホテルに前泊した(吐月工房氏も同ホテルに投宿)。

日曜日の朝、寒いのでゆっくり出発。足利市内からまず馬打峠を越える。初っ鼻の峠から道幅が狭く、以前自転車で逆から越えた時よりも狭く急に見えた。その後長石林道突入。上からアドベンチャーツアラータイプのバイクが降りてきてすれ違う。上部では自転車のヒルクライマー2名を抜く。道が狭いのでもし車が上がってきたらと慎重に通過。キノコ採りなのか、数台の軽自動車が途中に駐車していた。最後は猟犬とおぼしき犬を路上で追いかける羽目になった。

県道に出て飛駒集落に下るが、この県道も屈曲路の連続で林道と大して変わりがない。飛駒集落の紅葉は一帯で一番きれいに見えた。飛駒からの県道201号線に向かう近沢林道は峠部分がトンネルで、すんなり通れた。県道201号線を山に向かってしばらく走ると牛の原出原林道が右から出ているはずだが、入り口で通行止めになっていた。早くも予定が崩れる。県道201号はさらに奥に延びているようだし、たくさんのバイクがそちら方面に向かうので一応行ってみるが、すぐ先で紅葉カメラマンたちと滝見物の人たちが車やバイクを停めていて、肝心の奥山に延びる道路は閉鎖されていた。そそくさと後にする。

結局下に下って県道202号線で出流の石灰採掘場を経て、県道32号線で大越路トンネルを抜けて県道15号線へ。出流に向かってくるたくさんの車は蕎麦目当ての車だろう。11時台だ。
県道15号線の途中で11時30分をまわり、日光方面への北上を諦め粕尾峠を越えることにした。峠への上りでスポーツカーを露払い役にするが、車間は空けていたのに道を譲られ、スピードアップせざるを得なくなった。峠からの下りでまた露払い役の車を見つけて適度な間隔を保って下った。峠をギンギンに攻めるつもりはないし、十分快適なスピードなのでこれでいい。それでも一般的なドライバーの車よりバイクの方が峠では速い。狭い道路の峠では、露払いの車がいると前方への注意が軽くなるので楽だ。

足尾駅前が団体さんで混んでいたので、通洞駅まで行って軽く休憩、しかし昼食は軽く草木湖あたりで摂ることにしてさらに南下。草木湖ドライブインの駐車場はかなり密な状態だった。ここでコンビニ軽食。その後122号を下っても面白くないし時間も若干あるので、小平座間林道という東京と神奈川の地名を合わせたような道に入ってみる。Googleマップでは県道334号と記されていたのだが、どうやら林道と県道334号がシームレスにつながっているようだ。草木湖側の入り口は大変わかりにくい。しかも林道に入ると交通量がほとんどなく、地元猟友会の人たちの軽自動車を見かけただけ。山深い感じがして、路上には落石と落葉が入り交じっていて区別がつきにくいし、路面に青ゴケも見られてスリップが怖い。かなり慎重に走った。おかげで上半身がやや固まり気味になって疲れた。上半身は脱力していないときついカーブがを抜けるごとに疲労が蓄積していく。
みどり市に下っていくとやたら県道334号の標識が出てきて人家も現れるが、大間々の国道に合流するまで寂れた道が続いた。

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走行途中に撮影をしなかった。紅葉もそれほどではなかったし。解散場所の大間々駅
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年季の入った吐月工房氏のSR。ここまで乗ってくれるオーナーのバイクは幸せだ。

大間々駅前のコンビニ駐車場で2時30分解散。それぞれ帰路につく。私は122号から50号、県道使って国道354号、茨城県五霞町で利根川を渡って江戸川右岸を南下。しかし5時40分頃に野田橋の交差点で事故渋滞があって長い車列に捕まってしまった。今から思えばUターンして事故現場を迂回すればよかったが、直進はできるものと思い込んでいたら事故現場は交差点の先で、南下する車は警官に右左折を強制されていた。暗いので誘導の動きがわからない。その上事故現場の先から北上する車も流しているので信号近くなっても一向に車が進まないのにイライラした。結局6時過ぎに野田橋交差点から千葉県側に橋を渡り、流山方面に南下して県道326(今上橋とでもいうのかな?)で埼玉側に戻って江戸川右岸の南下を続けた。給油もあり、自宅着が7時20分。日が暮れると体感温度が下がるのだが、走行している間にやって来る寒さに備えるのは走行中のバイクの場合非常に難しい。

会津・昭和村紅葉ツーリング

11月1日、吐月工房氏と会津で紅葉を愛でるツーリングに行った。東北の紅葉を見に行きたいとのことで、別宅アジトが福島県に近い私にお誘いがかかった次第。

前日の10月31日午後、仕事を終えてから出発。寒暖差が激しいので、オーバーパンツまでは履かないが安物のライディングジーンズの下に薄いタイツと膝上丈のウールソックスに同じ高さのウィンドシールド素材のオーバーソックスを仕込み、ブーツはエンジニアブーツを考えたけれど、脱ぎ履きの面倒さを考え、くるぶしまでの軽登山靴(通勤時は雨用)にした。上半身も人工皮革のライディングジャケットの下にウィンドシールド素材の入ったジャケット(スキー登山の時に登りでアウターにしている中間着)を着た。グローブも寒暖1双ずつ。

予報は晴れなのでレインウェアとなるものは上半身は持たず、下半身にはパドリングパンツのくるぶしガスケットを切り落としたものを。15Lのシートバッグを括りつけて、通勤に使っているデイパックを背負って出発。昼過ぎの東京だと汗をかくくらい。

筑波山北部へ行った時と同様、江戸川右岸の土手下道を快走して野田橋を千葉県側に渡った。ここだけ唯一軽い信号渋滞が発生していた。今回は野田橋で江戸川左岸を北上して、Googleナビの音声に従って国道294に乗り、前回と同じところで茨城県道131号、148号を使って水戸線の大和駅まで。前回はここまで来た。大和駅でトイレを借りて、さらに北上。国道50号を越えて、県道41号で栃木県に入り、益子駅手前まで。その後は栃木県道255号、338号、61号などを使ってJR烏山線の鴻野山駅まで。途中、離合が難しい道幅もあった。鴻野山駅手前で線路を越えて、さくら市、大田原市方面へ。13時に自宅を出て別宅アジト到着が17時。道幅2mの道路なども通るので、渋滞は発生しないし走っていてとても快適だが、時間はかかる。16時を回ると日が傾いてきて寒さが沁みるようになる。南下ならともかく、北上しているので東京で薄汗をかいたウェアリングだが厳しくなってくる。もう少し防寒対策をした方がよかったのか?

翌日、放射冷却で冷え込んだ。集合は8時30分に塩原温泉への屈曲路手前にある道の駅なので日が昇って少しずつ気温も上がってくると淡い期待を持つが、朝バイクのシートの結露がすごかった。

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道の駅で集合

吐月工房氏と合流して、塩原温泉経由で会津をめざす。塩原温泉街の見通しのいい場所で、対向車の軽ワンボックスがすーっと右折してきたのであやうくぶつけられるところだった。左によけて回避できたが心臓が高鳴った。軽ワンボックスがようやく停った時にはこちら車線の左側余地は普通車の車幅より狭かった。こちらは直進で普通に40kmくらいで走っているのに、運転者はバイクとの距離を正確に測れなかったのか?全く悪びれた表情も見せていない高齢者だったが、かなり危険だ。

尾頭トンネル辺りの気温は5度。寒いが、紅葉は1週間前よりも色づいてきれいになっていた。国道121号を北上すると、やや交通量もあり、道の駅たじまの駐車場が満車だった。寒いけどスルー。荒海あたりで国道から阿賀川の左岸に渡り、交通量が全くない道路を気持ちよく北上。そのまま直進すると南会津病院の横を通って国道400号で昭和村まで一直線。

舟鼻トンネルまでの谷あいの道路の紅葉を眺めつつ、トンネルを越えたところで1回目の休憩。峠を風が吹き抜けていて長く休憩する場所ではない。峠近辺ではすでに落葉しているようだ。オフロードバイクの集団が舟鼻峠旧道に強引に侵入していた。旧道は車両通行止めでゲートがあるのだが、隙間を縫って侵入していた。

舟鼻峠の下り中腹から大芦集落への道路に入って緩い下りの緩いワインディングを楽しむ。この道は最初に自転車で来た時から気に入っている。紅葉の季節は特に美しい。大芦集落で右折して昭和の森キャンプ場(このあたりの紅葉がとてもきれいだった)の脇を抜けて喰丸集落へ。喰丸から博士峠方面へ。冬季ゲートまでしか入れなかったが、周辺の色づきはとてもよく、日の光に当たって輝いていた。峠まで上れても舟鼻峠と同じく寒くて落葉していることだろう。

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博士峠上り口にて

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喰丸小学校旧校舎と大いちょう

戻って喰丸小学校の木造校舎と色づいた大いちょうを撮影して、矢の原湿原に行ってみる。駐車場があって、カメラと三脚を持ったオジサンたちが多数。ちょっと興ざめしたのでそこそこにして離れ、再び大芦集落へ降りる。ここから国道401号で新鳥居峠を上り下る。道が狭くスピードは出せないし、前方のラリーカーのような車がいるのでゆっくり距離を置いて走ればいいだろうと思っていたが、道を譲られてしまった。下の方では紅葉を愛でに来たり、玉川渓谷を見に来たり、藤八の滝を見に来た人がいたようだが、峠上部では対向車に遭わなかった。屈曲路を楽しんで、南郷スキー場に降りる。その後は国道289号で駒止トンネルを越えて田島に戻る。荒海で12時を回っていたので蕎麦を食べ、帰路につく。

すでに塩原温泉街の国道は渋滞中なので、国道121号を日光方面に南下。ワールドスクエア近辺は渋滞していたので、路側帯で停車して休憩して相談の結果、解散とした。吐月工房氏は日光方面から清滝を経て足尾・大間々を経て下道で帰路についた。私は鬼怒川に沿って南下することにし、上河内スマートインター方面に向かって氏家あたりでいったん4号線に乗って南下、宝積寺の交差点で408号線方面に行こうと思ったが交差点が混んでいたのでそのまま4号線で鬼怒川を渡ってから左折して上三川、下野方面へ。だんだん暗くなる。新4号にいったん乗って走るが、とうてい車の速いスピードに乗って走り続けるのはストレスが溜まるので、境町で利根川を渡って江戸川も渡り、右岸を南下した。野田橋を過ぎると往路で使った土手下の信号のない道路になるが、すでに真っ暗、ところどころスピードを抑えなくてはならない場所があるので飛ばさず騒がず南下を続けた。19時30分に自宅着。トータルで550km程度のツーリングだった。
これからは寒くて遠くへのツーリングは難しいなあ・・自転車と同じく、いいシーズンは限られてしまう。

筑波山麓蕎麦畑まで

もっぱら通勤に使ってきた250ccのバイクで、ちょっとした午前中ショートツーリングに行ってきた。高速を使わず、筑波山麓までの往復。先日、別宅から帰ってくる時に使った県道脇の蕎麦の花がとてもキレイだったので、桜川市の蕎麦畑まで再訪した。往復200km弱。
今のところ、雨でも往復30kmほどの通勤に毎日使っているが、ようやく涼しくなってきたので遠乗りにも使ってみようと思い始めた次第。

ルートは、高速を使わないので江戸川の堤防下の道路を野田まで北上して、江戸川・利根川・鬼怒川を渡って国道294号に乗り、石下の天守閣を横目に見ながら北上、常総市から筑西市へ入って国道を東にそれて筑波山を右手から後方にしつつ、JR水戸線の大和駅まで行った。さらに北上すれば国道50号を越えて栃木県の益子町方面へ行くこともできるのだが、午前中の天気はいまひとつで気温も低く寒かった。途中、コンビニで短い休憩をしたのみ。

江戸川沿いの道路はガード下で離合ができない狭い部分もあるが、信号が少なくて快調に北上できる。野田市の愛宕駅までだいたい40分で着いてしまった。帰路も同じ江戸川沿いのルートを使ったが、飲んだコーヒーの利尿作用でトイレに寄りたくなり、燃料も底を尽き始め、我慢の走行となった。バイクは快調だったが、途中のコンビニで休んだ後にイグニッションスイッチをひねってONにするとセルモーターが回ってエンジンがかかるという不思議な変調が起こった。車みたいだ。その後時々信号待ちでキーをOFFにして試してみたが、走行しつつ何度か信号待ちで試していたら直った。何なのだ?

筑西市から桜川市にかけて点在する蕎麦畑の花はまだ白く盛りだった。
バイクも乗り出しオドメーターが160kmだったが、
ようやく1600kmを越えた。慣らし運転の距離はこなしたので、これから徐々にエンジン回転数を上げて使っていくつもり。
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一面の蕎麦畑

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前方、山頂部が雲に覆われた筑波山

火打山で返り討ち

どこも混みあうお盆は避けて、再び登山のチャンスを狙っていた。しかし8月末は天候が不安定になる。
いつものことだが、最初はビッグな計画を、次第に現実的に縮小していく。

今回は女房念願の雲の平行きが最初にあり(山小屋3泊)、白馬三山縦走(山小屋2泊)、御嶽山慰霊山小屋1泊登山となり、結局8月前半に考えていた妙高・火打に落ち着いた。しかも、小屋泊まりではなく、妙高高原に連泊して日帰りの計画。どちらにしても日帰りは肉体的にかなり負担が大きいことは覚悟の上。
結果は、火打山日帰り往復で脚が削られて妙高山は割愛。最終日は午前中天気が持ったので、いもり池の周りを散策して終了して、埼玉県の加須まで下道ドライブになってしまった。情けない限りだが、火打山の登山道往復約20kmを日帰りで往復するだけでもかなり厳しかった。

今回の登山の様子を描いた短編動画(約2分30秒)

8月25日、日曜日に移動。8月最後の日曜日ということで、スカイケーブルの動き出す時間が30分早いらしく、この日に妙高山往復を考えた。しかし早朝に起きて時間を気にしながら移動するのは女房連れでは難しく、結局ゆっくり出発。それでも時間を持て余してしまうので、戸隠で蕎麦を食べ、腹ごなしに散策する。戸隠神社奥社参道近くを避けて無料駐車場から散策路を歩いたが、木道が部分的に閉鎖されていて、随神門まで大回りして戻ってきた。やたらとクマに対する警戒の看板が出ていてビビる。妙高近辺はあまり晴れていなかったと聞いて登山せずによかったと思う。

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戸隠神社随神門

妙高高原の宿はいつも冬に厄介になっている宿。盛りだくさんの食事と温泉が嬉しい。翌朝の朝食をおにぎりにしてもらい、早朝出発で笹ケ峰に上がることにした。

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朝の妙高山

8月26日、30分のドライブで笹ケ峰に至り、登山口前の駐車場から6時50分に歩き出す。登りは順調で、十二曲りもクリアし、その後の急登もこなして、富士見平経由で高谷池ヒュッテに10時20分着。順調である。このコース、夏に歩くのは22年ぶり(小学1年生の長男を連れて高谷池ヒュッテ1泊登山)で、スキーで登ったのも10年以上前になる。すっかり登山道は整備されて、木道や階段が大半を占めるようになっていた。

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天狗の庭手前にて

高谷池ヒュッテの増築工事は知っていたが、今までの建物と同じ規模の建物が接続するとは知らなかった。この日、資材を運搬するために頻繁にヘリが笹ケ峰と往復していた。20往復以上はしていたのではないか?

ヒュッテから天狗の庭を経て火打山頂に向かう。天狗の庭はいつ来ても素晴らしい場所だ。このような湿原・池塘・草原と岩のコントラストを見ながら歩けるというのは、妙高山にはなく、火打山のアクセントになっている。ライチョウ平までは急で息が上がり、山頂までヒュッテから標高差300m強なのにやけに時間がかかる。12時15分に山頂着。最初は他に登山者が1名だけで、静かな山頂だった。雲が周囲にあって、日本海はおろか近くも臨めない。20分ほど休憩して、12時40分に下山開始。

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天狗の庭から

下山の木製階段がダメージとなって蓄積していった。ヒュッテまではまだ順調だったが、富士見平からの急下降で女房が遅れた。私も珍しくヒザ裏に痛みを感じるようになった。十二曲りの頭まで富士見平から45分くらいを要し、十二曲りの下りでも時間を食った。黒沢を渡ってからは斜度が緩くなって緩い木製階段になるので楽だと思い込んでいたが、脚に疲労がたまっている上にヒザ裏が痛いので、すべり止めの横板を拇指球で捉えると足首の曲り具合が鋭角的になり、それがよくないのかヒザ裏に一歩一歩痛みが走る。女房も同じような症状だったようだ。

久しぶりの登山というなら納得もいくが、人一倍とは行かないものの、6月に塔ノ岳日帰り(標高差1,200m)、7月に秋田駒・焼山・八幡平に登り、8月に志賀高原を歩いてきているわけで、ここに来てヒザ裏痛というのは何故なのか?考えられるのは木製階段のダメージくらいしかない。

17時過ぎに登山口へ戻ってきた。高谷池ヒュッテ泊まりの方がよほど楽だが、仕方なかろう。
登山地図での計測では往復16.3km(携帯の計測では20.3km)、歩数は35,000歩にも達していた。獲得標高差は1,300m以上である(単純には登山口と山頂の標高差は1,100m)。一日で35,000というのは近年稀な数値だ。翌日以降も左ふくらはぎに筋肉痛が残った。宿の階段を登るのも降りるのも最初は苦労した。

もうスカイケーブルを使ったとしても、獲得標高差1,200m、登り始めから山頂までずっと急登が続く妙高山日帰り往復を翌日やるのは無茶だ。早々に諦めた。
夏の登山はこれにて終了。秋は休日に登山者が集中するし、遠くへは行かず関東で登るか、自転車に乗ることにしよう。

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ボロボロになった登山翌日、いもり池から

志賀高原3daysトレッキング

7月に東北へ行ったので、今年は東北登山行脚は行わず、信越方面へ出かけることにした。

スキーでよく行くようになった志賀高原でのトレッキングが軽めで女房連れには良いかと思い、2〜3日志賀高原で歩いて、その後余力があって天気がよさそうなら久しぶりに火打・妙高に登ってみるかと思ったのだが、3日間の志賀高原トレッキングで堪能した。志賀高原でのトレッキングなんて軽いと思い込んでいたが、岩菅山などは本格的な登山になるし、池めぐりをしても相当な歩数を稼ぐことになる。毎日ヘトヘトになって宿へ戻ってきた。ベースの標高が1,500m以上というのが志賀高原のメリットで、そこから2,000m以上のピークに向かうことができる。絶対的な標高は2,300m台で高くはないが、『百名山』にも入っていないので登山者が少なくてありがたい。

また、ルートはピストンにせず、ループにした。初日の硯川駐車場は下山した横手山スキー場ボトムと近い。
中日は一の瀬のホテル群手前の広大な駐車場にした。ここなら高天ヶ原に近く、下山後もあまり歩かない。3日目は宿にクルマを置いて最初から最後まで徒歩で。ガッツリ歩くのでその夜延泊し、翌日帰路についた。

志賀高原でのベースは、冬と同じ宿。非の打ち所のない宿で、夏(冬もか?)の志賀高原にありがちな団体客を受け入れていない。館内は清潔で食事も中年には適量で美味しいし、温泉もよい。何よりスタッフのサービス精神が素晴らしい。もうリピーターである。周辺のホテルや一の瀬のホテルは、Wアカデミーの中学受験組に占拠されていた。ホテルとしてもその方が儲かるんだろうね・・

今回は文章主体ではなく、動画と静止画で3日間のトレッキングを綴ってみたい。動画サイトは外部のgopro plusサイトである。リンクを辿ってみて欲しい。以下の距離と歩数はスマホのデータによる。

初日 8月4日 熊の湯スキー場近くの硯川駐車場〜渋池〜志賀山〜裏志賀山〜四十八池〜鉢山〜草津峠〜横手山スキー場ボトム 13.1km、19,500歩。

中日 8月5日 一の瀬駐車場〜高天ヶ原スキー場サマーリフト〜東館山〜寺小屋スキー場〜寺小屋峰〜金山沢の頭〜ノッキリ〜岩菅山〜ノッキリ〜アライタ沢出合〜上条堰に沿って一の瀬ファミリースキー場ボトム 16.7km、26,200歩。

3日目 8月6日 蓮池スキー場〜京大ヒュッテ〜信大自然教育園〜三角池〜田の原湿原〜木戸池〜(雨)〜ひょうたん池〜渋池〜四十八池〜大沼池〜(雷雨)〜林道〜清水名水公園〜車道で志賀高原山の駅 19.3km、28,300歩。

8月7日に帰路についたが、湯田中に降りるのがイヤで横手山から草津方面に向かった。噴火のおかげで292号線が通行止めで万座ハイウェイを使わないといけないかと思っていたが、駐停車禁止という条件で292号線で草津市街まで降りることができた。

仕事山行 秋田駒・八幡平・裏岩手縦走

夏の仕事山行は秋田駒、秋田焼山〜八幡平〜裏岩手縦走路〜岩手山となった。
「なった」というか、リーダーにかなりの示唆をしてこのルートに絞り込んだ、といった方が正しい。
最近は自分でルートを探し出す能力も低下しつつあるようだ。最初は岩手山に登り裏岩手縦走路を八幡平まで辿ってから盛岡・田沢湖経由で秋田駒に行く、などと言っていたが、盛岡〜田沢湖間のJR各駅停車が極めて少ないので計画に無理があるとつっ返したりしているうちに、私が考えていた、上記の順番で歩くルートに落ち着いた。
しかも今回、珍しく新幹線を使って田沢湖駅まで直行したが、団体割引券の手配を私がすることになり、旅行業者に10日ほど前に慌てて頼み込んだ。人数が欠けると面倒なので、かなり厳格に人数確定をやらざるを得なかったが、確定した後から別の便で合流したいなどという我がまま勝手な発想の若者がいて閉口した。当然、言い分を聞いて団体から外したりはしない。

東京駅に早朝集合して新幹線に乗り込み田沢湖駅に着くまでは緊張感が抜けなかった。

7月21日、田沢湖駅から乳頭温泉休暇村のキャンプ場に向かい、2泊でテントを設営する。休暇村本館から2kmも離れている上に、管理者がほとんど来ず、オートキャンプサイトも日曜日にはほとんどカラの状態で、だだっ広いキャンプ場のはじっこで生活した。2日目に探索してみるとコインシャワーを発見し、利用した。温泉が豊富な山域だが、結局入湯したのは松川温泉だけであった。

7月22日、キャンプ場から徒歩で笹森山を経由して秋田駒に登った。笹森山までの登山道は半ヤブ漕ぎ状態で下草払いが行われていない。2時間以上格闘して笹森山と湯森山の縦走路に出た。あとは八合目小屋まで降り、一般的なハイキングルートで男女岳に登った。山頂では近くに岩手山・八幡平・焼山・森吉山が見え、遠くに岩木山や八甲田も見えるくらいだったが、男岳を諦めて横岳経由で下山している時にスコールにやられた。登りでエネルギーを消費したので帰りは八合目小屋からバスで下山。ちょっと軟弱な登山から始まった。翌日未明、かなり激しく雨が降り、濡れたままのテントを片づけるのが億劫であった。
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登山道途中から乳頭山と笊森山
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ニッコウキスゲ
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八合目小屋へ下る
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男女岳山頂から阿弥陀池を見下ろす
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ハクサンボウフウ
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コマクサ
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秋田駒をバックにコマクサ

7月23日、朝4時30分起きで朝食を軽く摂ってテント撤収、アルパこまくさまで約3km歩いて移動。田沢湖往きの始発バスが7時13分アルパこまくさ発なのだ。何とかバスに乗って、田沢湖駅で15分待ちで玉川温泉行きバスに乗る。1,400円、2時間をかけて玉川温泉に移動し、10時に玉川温泉の噴気孔とあちこちで寝そべる湯治客を見ながら秋田焼山に登る。これも登山口からすぐに半ヤブ漕ぎになる。しかもコンクリート階段が結構続いている。昔は玉川温泉から登られていたのかもしれないが、現在は後生掛温泉の方からの登山道の方が明瞭だ。頂上直下で激しい雨に降られ、レインコートを上下とも着る。焼山の山頂部はかなり神秘的だった。避難小屋も新しくて快適そうだが、水場がなく小屋の規模も小さい。毛せん峠を経由して後生掛温泉に下山できたのは17時。コースタイムの倍近くかかったのは、いちばん弱いメンバーに歩調を合わせたり、しょっちゅうほどける靴ひもの結び直しなどに時間がかかったから。
いいかげん靴ひもくらい結び方を覚えて欲しい。全般的に小中学生が靴ひもを毎日結んで出かけるような生活をしていないからこういうことになるのだろう。球技の部活なんかやっていれば毎日靴ひもと付き合わなければならないはずだが。一日中歩いてもほどけない結び方できないものだろうか。最近では動画サイトでも靴ひもの画期的な縛り方は見られるのに、肝心な動画を見ずしてどうでもいい動画ばかり見ている。この日、スライドする登山者は皆無だった。
レインコートを着っ放しだったので蒸れて上半身はグッショリ、下半身も異臭を放っていた。
後生掛温泉を横目に裏からキャンプ場に行こうとしたら途中で橋が落ちていて迂回せざるを得なかった。ビジターセンターの女性職員やたまたまノルディックウォーキングをしていた女性に案内されて大沼キャンプ場へ。もう夕方でひっそりしていたが、ソロのおじさんキャンパーが一人、車中泊と思しき男性が一人いた。
客が少ないので、管理棟のすぐ下のオートキャンプサイト2区画が4,000円となり、14人で使用したので一人頭280円程度で済んでしまった。センターハウスの部屋も使えて便利。ただし熊対策として食糧管理などは厳重だった。濡れたテントは到着が遅かったために完全乾燥できず。

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玉川温泉から
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大きな矢印型の池は硫黄分濃度が濃く、シューシューと噴気孔の音がする

7月24日、後生掛温泉から八幡平への登山路を歩く。秋田県側のアスピーテラインはバスが週末しか通らず、平日なので交通量もまばら。後生掛温泉の噴気孔を横目に硫黄臭を嗅ぎつつ、大深温泉へのトレイルを歩く。焼山登山道に比べはるかに歩きやすい。大深温泉でいったんアスピーテラインに出て、まもなく登山道に入る。最初は急登だが、だんだん緩くなってくる。しかし火山特有の大岩が露出した登山道は、都会っ子にとってはかなりバランスを要求されるらしく、足取りが急に鈍くなった。彼ら若者の苦手は、急下降と岩場である。さらにスコールがあり、慌ててレインウェアを着る。
レインコート内が蒸れ蒸れになってズボンやシャツがグッショリ濡れるころ、八幡平山頂に到着。ガスっているし山頂のイメージとはかけ離れる場所なので感慨はない。しかし秋田駒の男女岳の山頂と20mほどしか標高は変わらない。
この日は計画を変更して大深山荘まで脚を伸ばさず(大深山荘の収容人数がネック)、八幡平山頂の陵雲荘で宿泊。ハイカーの方がトイレに立ち寄るのだが、幸いなことに宿泊者は現れず、ゆったり使えた。濡れたフライシート、グラウンドシートなども干すことができた。しかし14人で避難小屋に入るとさすがに暑い。夜は寝苦しかった。
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似たような光景だが後生掛温泉から
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八幡平の八幡沼と陵雲荘
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木道沿いにワタスゲがおびただしい

7月25日、大深山荘で待っている同僚とバトンタッチして松川温泉に下山する。朝5時30分に陵雲荘を出てレストハウスの水道で水補給して裏岩手縦走路に入る。何年か前に女房と二人で歩いた時は天気が最高だったので、あまり面白くはない。大深山荘に10時台にたどり着き、11時20分に同僚に託して下山。ニッコウキスゲがとてもきれいだった。
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ガスの八幡平を後にする
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これは?高山植物の名前が覚えられない・・

12時45分に松川温泉へ下山できた。松川荘で昼食を食べ、別の宿で風呂に入って体を清めた。硫黄臭がする湯温の高い風呂で、体に硫黄臭がまとわりついた。14時45分発の長大な路線バスで盛岡駅まで移動し、17時台の新幹線で帰宅。
肉体的にも疲れがあって、加齢を感じるが、精神的に若人の付添は疲れる。
しばらく縦走やりたくない気分。

18東北巡業登山旅行(その4・阿仁ゴンドラから森吉山)

8月4日(土) 晴れ・曇り
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森吉山地図

朝8時に美郷町の宿を出て、農道と105号線を使って森吉山阿仁スキー場へ。2時間強かかった。角館から105号線を使ったアプローチは遠くて時間がかかり、女房は車酔い。10時30分頃ゴンドラ乗り場にたどり着いて、ゴンドラ往復券(大人1名1800円)を買い求めてゴンドラに乗る。二人分だと財布に響く。11時10分頃ゴンドラを降りて歩き始める。昨年時間切れで途中までしか行かれなかった森吉山のリベンジである。
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雲が垂れ込めてきた森吉山
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ニッコウキスゲ
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ヤマブキショウマ
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トイレ工事中の阿仁避難小屋

15分ほどで昨年の到達点である石森、そこから山頂に向かって右手へ。避難小屋は立派で、屋外トイレの新設工事中。資材が小屋のそばに置かれていた。ゆったりした登山道を登って12時20分山頂着。ゴンドラを使って10時以降に登ってきた登山客が子供や団体も含めて20名ほどか。さすがに登りやすい山である。前日の焼石岳とは事情が異なる。
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山頂

風もやや強いので山頂直下のベンチで風をよけて行動食を摂り、30分ほど休憩して下山にかかる。まっすぐゴンドラ駅には降りず、森吉神社と敷設の避難小屋を見学する。女房は冠岩の隙間を通ってみたらしいが、私は避難小屋内部の整備状況に関心があった。避難小屋は広くて床も新しく、何よりトイレが充実している。トイレは飯豊の門内小屋で見た自転車ペダル漕ぎによるおがくずと汚物を混ぜるタイプのものだが、合理的で悪臭もせず、いい設備だった。しかし、森吉神社の避難小屋とトイレ増設中の阿仁避難小屋の距離が近過ぎないか?歩いたら20分程度だ。冬のことなどを考えたら避難小屋は複数あって決して悪くはないが。
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冠岩
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神社の立派な避難小屋
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小屋内部
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自転車漕ぎトイレ

ゴンドラ駅14時15分。機械力で下山。せっかくなのでヒバクラ岳方面へも脚を伸ばしたかったが、またの機会に。

日曜日から雨になるらしい。移動してどこに行くか悩んだが、もう山登りを連日続けるにも疲れてきた。岩手県の北上市のビジネスホテルがたまたま取れたので、北から五城目まで回り込んで秋田自動車道でワープ。昨年末の単独スキー場行脚の途中で宿泊した北上市のホテル近くのスーパーで買い物、ついでに夕食も済ませる。
さすがに疲れ、泥のようになって寝る。

8月5日(日) 雨
朝から雨なので、登山はせず、震災後初めて三陸沿岸を通って車窓から状況を監察することにする。
国道107号線で大船渡へ。盛駅に寄ってみる。三陸鉄道南リアス線は来ているが、JR大船渡線はBRTというバスだ。ほとんど復興しているように見えるが、津波によって更地になっている場所は多く、津波がきた場所には必ず標識が立っている。防波堤や河川の土手のかさ上げなど土木工事がすごい。
もっともすごかったのが陸前高田だった。平地はまたかさあげ工事の途中で、巨大な防波堤が築かれ、かつて中心街だったところにはまだほとんど建築物がない。
気仙沼まで行くと大船渡と同じような景観があり、陸前高田の違いが際立つ。
南三陸町はプレハブの商店街が有名になったが、「さんさん商店街」に立ち寄ってみた。ちょうど豪雨が降り始めた時分だったが、観光客は多く、プレハブの店が繁盛していた。ちょっとお高めの海鮮丼を雨宿りしながら食べ、津波被害を撮影した写真館に立ち寄って記憶を呼び覚ます。
大谷海岸の道の駅に震災前に立ち寄ったことがあるが、震災以来道のつき方も変わってしまい、三陸自動車道が延伸したりしたので、今回はどこが道の駅なのかよくわからないままに通り過ぎてしまった。おそらく、海水浴をしている家族を見かけたあたりだったのだろう。
三陸自動車道で石巻を通過し(高速からは震災の名残は何も感じない)、仙台東道路、仙台南道路を経由して東北道に乗り、結局郡山のビジネスホテルへ。日曜日夕方に無理矢理東京方面へ車を走らせても、渋滞にハマるだけである。
ホテルは駅から遠くインターに近い場所だったが、ホテル近くに隠れ家のようなレストランを見つけて夕食とする。

8月6日(月) 雨・曇り
郡山から国道294号線をもっぱら使ってケチケチ一般道走行。栃木県に入る頃には雨が上がった。前日夜、山形県では豪雨に見舞われ、最上川ですら水位が危険になったらしい。
烏山、茂木と南下して、益子あたりから新4号バイパスに接近し、新4号バイパスを南下、五霞インターから圏央道・東北道を使って帰宅。東京は蒸し暑い。先日の広島・岡山・愛媛の豪雨災害で心配していた愛媛の友人から暑中見舞が届いていた。豪雨の直後、こちらからメールを出して心配を伝えたら、大変な思いをしたに違いないのに大丈夫だと返信してくれた。その彼がわざわざハガキで暑中見舞を送ってくれ、恐縮する。

18東北巡業登山旅行(その3・焼石岳東成瀬コース)

8月3日(金) 晴れ
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朝6時台にホテルを出て、空いた国道13号を北上、十文字から国道397号でジュネス栗駒スキー場方面へ。パークゴルフ場を過ぎてしばらく登ると左手に焼石岳登山口への林道分岐があり、比較的フラットな砂利道を数キロ進む。標高930mに駐車スペースがあり、登山口だ。すでに2台のクルマが駐車されているが、神戸ナンバーと滋賀ナンバー。ずいぶん遠くから遠征に来ている。

7時45分、登山開始。焼石岳登山は今回の東北巡業のメインだが、最初は岩手県側の中沼登山口か、つぶ沼登山口から登ろうと思っていた。しかし女房連れなのでなるべく短い登山ルートが好ましく、登山口の標高が高いほどありがたい。気づいてみると秋田県側の東成瀬村からのルートは好条件で、歩いている最中も変化があって飽きさせない。途中に避難小屋こそないが、結果的にこちらを歩いてよかったと思った。

登山者が極端に少ないので熊に警戒しつつ、歩き始める。まもなくすずこやの森ルートと合流し、大森山の中腹をトラバース。すでに岩手県に入っている。標高1050m前後だが、6合目くらいまでほとんど標高が変わらない登山道であり、歩きやすい。途中、5合目の「釈迦ザンゲ」で高台に登って視界を得られるが、ずっとブナの樹林帯である。
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釈迦ザンゲから西焼石岳方面

「釈迦ザンゲ」とはユニークな名前がついているものだが、そこからはゆっくりと標高を下げ、胆沢川に近づく。幅5m程度に細くなった胆沢川を3回徒渉する。最初は水が左から右に流れていたが、2回目の徒渉は右から左に流れている。3回目は左から右だ。沢が何本もあるみたいに感じられて頭が混乱してくるが、要するに川が蛇行しているところを串刺すように登山道が貫いていると考えると納得がいった。登山道に徒渉が入るのは変化があっていいが、増水時は渡れない。6合目は「与治兵衛」。胆沢川の水を秋田側へ引こうとした人物の名前だそうだが、いい名前だ。胆沢川から少し離れて尾根の上を登山道は延び、7合目「柳瀞」。ちょっとした広場があって小川もあり、浄水すればテント泊できそうだ。8合目が「長命水」。長命水はいい清水が2箇所からジャンジャンわき出ている。まもなく焼石沼があるが、過去にはこの辺で牛の放牧が行われていたらしい。電子地形図には沼のそばに建物が描かれているが、そんな建物はすでに撤去されて存在しない。沼の見学は下山時にして、平坦でお花畑になっている沼周辺を後にする。ようやく登りがきつくなってきて、9合目の焼石神社に詰めていく。登山道の脇には細くなった胆沢川の源頭部があるようで水の音がさかんにして、植物も豊富だ。樹林帯をすでに抜けているので日差しが強い。
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徒渉点
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ハクサンシャジン
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タカネナデシコ
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ヤマハハコ
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長命水

焼石神社で標高1430m。溶岩ドームのようになった焼石岳山頂に向かうルートは大きな岩の連続で歩きにくい。20分ほどで11時30分山頂着。山頂は3人ほど。休憩と行動食摂取。しばらくすると岩手側からおばさん3人組、さらに泉水沼の方から団体が登ってくるのが見えたので、11時50分には山頂から下る。同じ道の下りではなく、泉水沼方面に下り、東焼石岳方面への周回路を使って焼石神社へ散策する。登りに使った岩だらけルートを回避した。若干時間は要したが、焼石神社から下山する。焼石沼に近づくと、源頭部の沢水が一時的に集まっているだけなので水はきれいで浄水すれば飲めそうだ。沼のほとりは平坦地があって快適な幕営ができそう。
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山頂到着

長命水で帰りの水を汲んで長い下山ルートに入る。釈迦ザンゲで14時45分、登山口に降り立ったのが15時30分。東成瀬ルートを使った登山者がおそらく我々の他に4〜5人(先方に見かけるか追い抜かれた)、最後に作業者3名とすれ違っただけだった。静かで変化に富み、景色も良くて水も豊富、文句なしの登山路だった。こんな登山ルートを頻繁に歩ける秋田の人が羨ましい。
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泉水沼と山頂
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標高1500mに雪渓がまだ残っている
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焼石沼(正面のポコが焼石山頂)

駐車台数がゼロになった林道のどん詰まりから移動。横手市を過ぎて真昼岳のふもとの美郷町の公共温泉宿泊施設へ。久しぶりの和室でゆったり休んだ。真昼岳、和賀岳登山はまたの機会に。

18東北巡業登山旅行(その2・南蔵王連峰稜線歩き)

8月2日(木) 晴れ
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南蔵王地図(エコーラインの「ー」あたりから屏風岳往復)

朝、普通に食事をして8時に高畠駅を出て上山から蔵王エコーラインを刈田峠まで上がる。蔵王猿倉スキー場と坊平スキー場を横目に、夏用リフトを通り抜けて宮城県側に入り、刈田峠近くの路肩の駐車場に着いたのが9時過ぎ。結構時間がかかった。しかしもうここは標高1600m弱であり、下界が20度台から30度に達しようという中、20度ちょっとで大変涼しい。このままここで昼間読書などして過ごしたい衝動に駆られるが、登山の支度をして歩き始める。だいたい10時過ぎ(メモ取り忘れ)。とりあえず宮城県最高峰の屏風岳までのピストンである。
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肌触りのいいコケ

道路は刈田岳直下なので、本当の刈田峠までは登山道を下る。屏風岳までの縦走路はさほどアップダウンがないので磐梯山のような苦労はなかろう。まず刈田峠避難小屋を外から見学し、1530mの鞍部に下り、そこから1700m弱の前岳に登り、標高差30mほど下ってから1750m弱の杉ヶ峰に登る。1650m程度まで下降すると芝草平である。女房は体調がすぐれず、芝草平で行動食を食べて戻るというので11時30分に別れる。こういうことはあまりしたくないが、同じコースを戻るのだし、視界もよく分岐はないので大丈夫だろう。
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芝草平へ下っていく
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屏風岳山頂には誰もいず
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立派な木道があった

一人で芝草平を過ぎてペースを上げて屏風岳に12時着。山頂の三角点は1816mで、その手前の樹林帯のピークの方が数メートル高いようだ。行動食のパンをかじりながら東を見ると、蔵王町や村田町方面が見える。時間があれば南屏風や不忘山まで脚を伸ばしたいところだが、今回はここで終了し戻る。雲も湧いてきて、暗くもなって来た。芝草平では風が強く、ウインドブレーカーが欲しい。
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刈田岳頂上までジグザグに有料道路が通っている

駐車場に戻ったのは14時頃か(メモ取り忘れ)。先に帰ってきて車内ベッドで寝ていた女房の調子はあまりよくないようで、後部座席で横にさせながら移動開始。
蔵王エコーラインを戻って上山から東北中央自動車道に乗り、13号線と部分供用している自動車専用道を使って秋田県入り、湯沢市内のビジネスホテルに到着。夕方、湯沢駅前をぶらつくが、駅舎が新しいのに駅前商店街は寂れていて悲しくなる。なぜかトヨタのディーラーに付設された書店が意外にも売り場が広く、秋田の山を扱った無明舎出版の本
「ばりこの『秋田の山』無茶修行」をゲット。近くのスーパーで朝食を買い、ホテル内のレストランで夕食。明日はメインイベントの焼石岳である。

18東北巡業登山旅行(その1・磐梯山八方台コース往復)

今年も東北の山に行きたくて6日間の行き当たりばったり旅をした。東北の山はなぜか何度でも行きたくなる。仕事山行で各地の山を訪ねているし、個人的にも家族でお手軽登山をしたり、個人的にも16年夏に飯豊連峰縦走や17年夏の一人登山旅、18年春の山スキー旅をしてきた。今回は一人旅でなく、最初から最後まで女房連れの二人旅、今まで逃してきた山を4日間連続で登ってきた。概要は以下の通り。

8月1日 移動&磐梯山八方台コースピストン
8月2日 南蔵王連峰・屏風岳までピストン
8月3日 東成瀬コースで焼石岳ピストン
8月4日 阿仁ゴンドラを使って森吉山ピストン、北上市まで移動
8月5日 北上市から三陸沿岸を南下、郡山市まで移動
8月6日 帰京


昨年のような鳥海山ピストンや月山ピストンのような大きな日帰り山行がないのは、女房連れなのでなるべくライトな登山にしたかったのと、白山の仕事山行で疲れ気味だったことがある。しかし、昨年登り残した磐梯山に登れたし、最近あこがれていた焼石岳に登れたことも収穫だったし、昨年旅の積み残しだった森吉山の山頂に立てたことも嬉しかった。

毎日の宿泊は女房連れなので車中泊では疲れが取れないだろうと思い、その日その日にネットで安いビジネスホテルや公共の宿などを予約して宿泊した。もういい歳だし、運転疲れも出てくるので、車内ベッドではなくちゃんと休息が取れる方が結果的にはよかった。

8月1日(水)晴れ
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磐梯山地図(標高1194mの町村境から中ノ湯を経て頂上往復)

朝6時台に東京を出発。本当ならもっと早く出るべきだが、二人になるとそうも行かない。それでも9時台には磐梯山の西の肩を通る磐梯山ゴールドラインを登り、磐梯山の肩にあたる標高1200mの八方台に到着し、準備して10時直前に歩き始める。駐車場がいっぱいになっていることを恐れたが、平日なのでかろうじて駐車可能だった。
八方台コースはあまりにも短くお手軽コースなので、本当は裏磐梯スキー場から火口原からの急斜面を登って頂上を極め、中ノ湯から裏磐梯に戻るループコースを計画していた。しかし出発時刻が遅くなったことや女房にとっては久しぶりの登山(しかもこれから連チャン)となることから最短コースを選択。
中ノ湯まではウォーミングアップ、崩壊した中ノ湯の建物を横目に次第に急登になってくる。1630mの弘法清水で汗だくの顔を洗って水を汲み、弘法清水小屋でおいしいナメコ汁を注文して頂く。磐梯山は日帰りが原則なので小屋といっても売店だが、管理している女性は赤埴山直下まで延びる林道を使って毎日1時間程度かけて小屋まで登ってくるという。それはそれで大変な仕事だ。
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吾妻連峰(ここもいつか薮漕ぎ縦走しなくては)
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弘法清水小屋

弘法清水から山頂までのコースタイムは20分程度だが、登山道はさらに急になり、左方はかつての爆裂火口のガケになっている。山頂に着くと、ようやく猪苗代湖を見下ろすことができ、周囲の山々も遠望できた。飯豊連峰の稜線が雲で見えないが、残雪はしっかりと見える。登山口から標高差600m。
下山は弘法清水小屋からお花畑を経由して15時頃(メモを取っていなかったのでアバウト)下山する。
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猫魔ヶ岳の手前にアルツ磐梯、向こうに猫魔スキー場。背景に会津盆地と右手に飯豊山
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猪苗代湖。東北屈指のいいロケーションである。

汗だくの登山ウェアから着替えて車内で登山ウェアの消臭をして車内干しして移動開始。この日は檜原湖沿いから白布峠を越えて天元台を横目に米沢に入り、その北の高畠町の高畠駅に併設されたJR直営の宿に投宿。宿は安普請だが、駅に立ちより温泉が併設され、通勤・通学者とクロスしつつ風呂に入ったり食事をとったりしたのが新鮮であった。

仕事山行・白山加賀禅定道

例年の夏の仕事山行。今回は荒島岳と白山がターゲットで、2013年の同時期にも同じ山に行っている。ただし、13年は荒島岳のふもとの幕営地で雨に降られ、冬用フライシートをまちがえて持ってきたために1つのテントが漏水、白山では幕営できず、南竜ヶ馬場のケビンを借りるはめになり、さらに御前峰へのアタック途上で雷雨に遭って二度目のアタックで頂上を踏んだ。このような忌まわしい記憶(荒島岳ふもとでのアクシデントには私は立ち会っていない)がある。

それから5年経ち、例年になく早い梅雨明け、そして連日「烈暑」という条件の中、今回は白山からの下山にロングルート、加賀禅定道を選択した。白山は標高2702mの御前峰とその周辺の火口湖ばかりではない。御前峰だけに注目すれば、高山の中ではかなり短時間で山頂に立つことができ、お花畑もあちらこちらに見られるお手軽登山が可能だ。しかし白山の稜線は南北に長く、南の岐阜県西部や福井県東部から別山を経るロングアプローチが可能だし、北部は中宮温泉や岩間温泉、今回の一里野温泉などへ長い稜線を歩くこともできる。東西の横断も可能だ。多くは昔から修験のために使われてきたルートでもあるが、近代登山と昨今のマイカー登山の隆盛で南北の長いルートで人に出くわすことは稀である。そのぶん、なかなか手ごわいルートともいえる。

7月24日
朝いちの新幹線「かがやき501号」で金沢へ。金沢から登山口の市ノ瀬への路線バスもあるが、朝東京から新幹線でアプローチすると金沢駅6時・7時発の急行バスには乗れず、歩き始めが12時を回ってしまう。そこで、JRで金沢から小松まで行き、乗合タクシーに乗って1時間早く登山口にたどり着く。
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別当出合から砂防新道を登る

登り始めは11時20分。砂防新道という現在人気の最短ルートで登る。13年は雨の中の登山だった。その記憶も薄れていて、登り始めの石段の急登行が辛い。中飯場というところにトイレと水場があり、みな休憩するところだが、またそこからの登りがきつかった。バルトロ75を背負うのは6月の金峰山以来だが、今回は個人持ちの食料、水、バーナー、簡易浄水器まで背負っている。重い。最短のルートということは平坦地が少なく一本調子の登りであり、次に休憩するポイントの甚ノ助避難小屋までがとても長く辛い。コースタイムよりも時間を使ってたどり着いた。ここで大休止。幸い、午後になっても雨が降る感じはしない。甚ノ助避難小屋からしばらく登った南竜分岐からは20分のトラバースで南竜ヶ馬場の幕営地に着く。白山には大きな登山小屋が2箇所あり、一つは室堂センター(750人も泊まれるらしい日本屈指の山小屋。ただし幕営不可)、もう一つが南竜ヶ馬場(150人宿泊可。少し離れた場所にケビンが数棟、幕営地は広く水は豊富、高山植物に囲まれロケーション最高、しかしトイレ老朽化し強烈な臭い)がある。南竜ヶ馬場の幕営代は1泊300円と破格に安い。今どきの北アルプスあたりの幕営代は高すぎる。到着は15時だった。マイテント(カミナドーム2)を張ってくつろぐが、夕方までは暑い。
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お花がきれい(としか言えないのが悲しい)
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別山を望む
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崩壊しそうなトイレ棟を除けば天国のような南竜ヶ馬場の幕営地

7月25日
天気はよい。この日は朝5時30分に出発して御前峰とお池めぐり。サブザックや大型ザックの雨蓋だけで身軽に行動する。展望新道というルートで室堂まで登るが、途中によさげな水場が2箇所ほどある。高山植物が豊富で、高度を上げていくと植生も変わっていく。室堂が近くなるとかなり密度高くクロユリが咲いていたり、コバイケイソウやハクサンコザクラが目立つようになる。しかし高山植物の花の名前がいつまでたっても脳内で豊かにならない。歴史の人名はよく記憶できるのに、どういう訳だろう。
御前峰は数年前のようにガスることもなく、風も穏やかでよかった。剣が峰は登れないはずだが、山頂に立つ人が1名。御前峰から下り、剣が峰や大汝峰の間にある池をめぐって歩いていく。大汝峰の登りは岩場で、少年たちもあまり登りたくなさそうなのでパスして室堂センターへ下る。南竜ヶ馬場への帰路はトンビ岩コースを歩いたが、岩場の急下降部分が少しあって、翌日の登りに使うにはしんどそうだ。
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展望新道を歩く
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御前峰山頂から大汝峰方向を望む
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剣が峰はその名の通り
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私でもわかるハクサンコザクラちゃん

7月26日
いよいよ山頂部を越えて七倉山・四塚山方面へ縦走する。5時50分発。室堂までは年長者だけが持った水を回し飲みして耐え、室堂からは年少者も年長者も水を各自2L以上満タンにして歩く。なぜなら、加賀禅定道の水場に期待ができず、この日宿泊する奥長倉避難小屋にも水がないからである。私もかれこれ4L弱は背負った。ザックがずっしり。室堂で子供たちを連れて毎年白山登山をしているらしい40代と思しき女性ガイドから、私はもう45Lザックが限界だけど、百四丈の滝が見えるから禅定道はいい、と言われる。確かに幕営なしで禅定道を45Lクラスのザックで歩ければもっと軽快でベストだろう。70L以上のザックで歩く道ではないことは後にわかった。腰もついでに痛くなった。
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室堂センター
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2600mまで登る

御前峰の中腹を巻いて火口湖のある場所を通過し、大汝峰の西側の巻き道をたどる。昆虫研究をしているように見えた男性と会ってからは、誰一人ともスライドしないし、前後に登山者は全く見かけなくなった。御手水岩という岩があり、その脇には宿坊があったと思われる石垣の残骸があった。いまや白山北面にはあまり人が来ないようだ。七倉山への登りがとても辛そうに見える。これから尾根を下っていくのだがアップダウンはそれなりにあり、小ピークに登り下るルートが尾根が狭いゆえにすべからく直登・急下降なのである。重いザックでは辛いゆえんだ。四塚山で標高2500m。そこから2100m台へ下降していく。稜線上にある油池という水たまりから下方に水場があると標識に書かれているが、実際降り始めてみるとザレた急下降の道になったので諦めた。天池という稜線上の池は比較的大きめだが、ここで池の水を補給するにはかなり勇気がいる。もともと室堂から多くの水を運んで来ているので、いまさら補給したくもない。

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御手水岩(左端に窪みがあるが干上がりそう)
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天池と四塚山

天池に向かうトラバース道の途中に小さな雪渓が残っていて、斜度もあって雪も硬めなので少年たちには雪渓を下から巻くようにさせた。雪渓を私が横断してみるとやはり雪慣れていないとここは難しい。キックステップで足場をきちんと作れることが前提である。
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四塚山山頂のチングルマと塚(ケルン)
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写真中心部の小雪渓の横断は慎重に

標高2000mを割り込んで樹林帯になってきた。足下は借り払われた笹が落ちていて脚の置き場が見えにくく、下手をすると足をひねる。肩のあたりにも低木が迫っている。フラフラしながら1750mほどの奥長倉避難小屋になだれ込む。15時。他に宿泊者はないが、2階の引き戸が外れている。これは雨のときに吹き込みそうだし、これから冬になったら釘などで止めないと雪が入り込んで困る。我々では修繕できないので扉を立て掛けて窓を下半分カバーしておいた。台風で水浸しにならなければいいが。
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登山道から見える百四丈の滝
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奥長倉避難小屋

この日の夜は暑く、また食欲も湧かず、提供された夕食がノドを通らない者がいた。私も水をかけて流動食化しないとノドを通過しない。疲れがピーク。

7月27日
下山コースタイムは3時間強で、2ルートある。檜新宮参道は標高1000mから急下降があるのでパス。多少距離は長くなっても、加賀新道を使って一里野スキー場のゴンドラ駅近くまで下れば林道がある。林道の方が斜度は緩い。この日も樹林帯の中を狭い尾根をひたすら歩く。風もなくなり、汗が乾かないのでぐっしょり。6時から3時間かかって林道に下り立ち、ひたすら林道を歩く。ローカル色が濃いスキー場の中の迂回コースになっている林道を歩いて一里野のゲレンデボトムに着いたのが10時40分。11時オープンの温泉施設「天領」で汗を流して清涼飲料水をがぶ飲みし、13時30分のコミュニティバスに乗る。乗る間際、近所の民宿のおばさんが冷えたキュウリとトマトをおすそ分けしてくれた。野菜が全く摂れていなかったので最高のご馳走だった。

幸い、雨にたたられず縦走が終了した。加賀禅定道はタフな道だった。飯豊連峰の縦走路を思い出したが、白山の方が人影がなく、水場や避難小屋もない。もう好んで二度と行きたくはないルートの最右翼になってしまったが、今回歩き通せたことは幸いだった。

GW東北・鳥海山北面スキー

5月1日 晴れ 鳥海山北面滑降
朝7時に食事をとって、そそくさと宿を後にする。平日なのでそこまで駐車場は混まないだろうという予測はしているが、祓川第一駐車場に車を停めたい。幸いなことに駐車場が満車になっていることはなかった。フォレスタ鳥海からの30分ほどの道のりの最中、道路の両側に数mの雪壁がそびえていた。1000m前後の標高で、立山や乗鞍に匹敵するくらいの高さの雪壁が見られるのは稀だろう。
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帰路撮影

8時10分、駐車場から祓川ヒュッテの前に出てスキーで歩き始める。すでに遠くの斜面に大人数がへばりついているのがわかる。視界がよければずっと七高山山頂を見つめながら登るルートは、目標物との距離に心が折れそうになる可能性があるが、ゆっくりでも歩を進めれば山頂が少しずつ近づいてくる。ずっとポールが立てられているから少しくらい視界が悪くなっても安心ではある。
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祓川ヒュッテ手前から歩き始める

竜ヶ原湿原を歩くと最初のやや急な斜面である。夏は沢があるが、すべてフラットな雪斜面になっている。急な段を乗り越えながら女房を待ち、短い休憩を入れ、10時近くなって七ツ釜避難小屋近くに至る。避難小屋は半分くらい雪の上に出ていた。猿倉口方面からのポールがここで合流する。女房の状態はまあまあなので、励まして30分に一回くらい休憩を入れつつ、舎利坂の急斜面に取りつく。こちらも足のマメの状態が芳しくないのでゆっくり登るが、女房との距離は少しずつ離れるので、山頂で待つことにして12時30分に七高山山頂到着。15分遅れくらいで女房が到着。よくがんばった。標高差1000mのシール登行はきっと自信につながるに違いない。
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舎利坂に近づいてきた
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振り返ると下は絶景

風は強めだが、体から体温が奪われるほどではないので、女房の回復を待ちつつ13時20分まで大休止。山頂にいたスキーヤー、ボーダーの多くは滑り降りてしまったようだ。稜線上をスキーを担いで行者岳方面に向かう人もいるし、千蛇谷方面に滑っていきそうな人も直下に見える。新山に登っている人もいるが、スキーヤー・ボーダーではなさそうだ。
山頂で休憩する人が少なくなったからといって目の前で立ち小便をするのは罰当たりだ。せめて少し滑り降りてブッシュの陰でしろよ!女房は疲れていて視野が狭まり気付かなかったようだが、目の前でモロに見えてしまうから止めて欲しい(どこかの誰かさん!)。

13時20分、女房が一番緩いと思われるラインを滑ってから、ダイレクトに落ちていくラインで滑る。斜度30度弱だろうか。ザラメなので気持ちよくターンができるが、落石も見えたりして気は抜けない。女房と合流して、標高1950mあたりから登ってきたルートと絡んで滑る。クラックが目立つようになり、スキーを取られないように気をつかう。13時45分ころ、七ツ釜避難小屋近くまで滑ってきた。ここまで滑れば20分しか経っていない。
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滑りやすい!
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山頂をバックに

天気もいいし、女房もほぼ転倒なしにここまで滑ってきているので、お互い慎重にポールを絡めながら滑って、女房は祓川駐車場へ、私は猿倉口へと下山することにした。ずっと緩斜面で山頂直下に比べれば面白みはないが、滑走標高差が200mほど増すことになる。夏道を迂回するように経っているポールを横目に見ながら面白そうなラインを見つけようとしたが、全般的に緩斜面でいまひとつ。そのままドンドン滑ってしまい、標高1000mの猿倉駐車場にほぼ14時着。1時間30分、標高差1200mの大滑降だった。荷物整理してスキーの汚れを雪で落とし、スキーパンツとブーツを脱いでタイツ1枚で寝転がって女房が車で降りてくるのを待つ。30分ほど待って女房と合流した。
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いつものごとくゆっくりペース

フォレスタ鳥海で風呂に入り、再び鳥海町〜院内を経て、13号線で山形県の新庄に向かう。無料供用の自動車専用道路を使ったりして寒河江のホテルに18時30分着。道中、山形県も田んぼに手が入っていないことに気付く。宮城県はやはり暖かいのか?さすがに山形県はさくらんぼの木が花を付けて満開状態になっているのが印象的。
鳥海山登頂と滑降の達成感に溢れて興奮気味だが、とても疲れた。翌日2日は曇りから雨になる予報だ。鳥海山の豪快な滑降の後、途中までリフトを使い、雨の振り出しを気にしてちょっとだけハイクアップして滑るのは落差が大き過ぎる。視界もよくなさそうだ。月山は月山で別の楽しみを研究しよう。女房の疲れもさることながら、自分の足のマメもきつい。

月山は次回持ち越し。山形県内で少し観光してゆっくり帰ることに方針は決まった。

5月2日 曇り後雨 帰路
だるさが残る朝だが、いつものように早起きしてしまう。ゆっくり宿を出て、後ろ髪を引かれつつも、月山を遠めにも見られない天気では早々に諦めるのが賢明と考えて月山方面には向かわず山形市内へ。霞城の駐車場に車を停めて、霞城の櫓、お堀の中を走る山形新幹線、最上義光歴史館、山形美術館(ルオー展)を見学。ルオーの絵の展示点数が多く、飽きるくらい見た。
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城の堀を通る線路って珍しいのでは?
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御用画家ダヴィッドのナポレオンよいしょ絵と全く同じポーズの最上さん

11時台に山形市を離れ、米沢から大峠を通って喜多方へ。西吾妻方面や飯豊方面の雪が見えたが、鳥海のような圧倒的な雪の量はなく、わずかな残雪といった感じ。喜多方から飯豊連峰を振り返ると豊富に感じるが、例年ならもっと真っ白ではないだろうか。14時ころ喜多方でラーメンを食べて、さらに一般道で南下、会津若松から会津西街道121号線で走り慣れた会津田島を経て栃木県へ。ついでにそのまま日光まで南下し、日光宇都宮道路に乗る。佐野藤岡インターあたりから渋滞が伸びているので、大谷PAで仮眠、19時30分に再出発して帰宅した。東京も小雨が降っていた。

いやー、実に充実したGWのスキー行脚だった。もう今シーズンはこれで終わりにしてもよい、と思っているが、乗鞍行きたいよ病が発症するかもしれない。

GW東北・栗駒山スキー

例年GWの連休は仕事が入ってしまうのだが、今年は3〜5日に仕事がまとまった。しかも平日の1、2日に仕事がなく、29日から4日間連続で休みが取れた。GW前半は天気が持ちそうだということで、思い切って東北へ足を伸ばすことにした。

当初は一人で北上しようと思ったが、かぐらBCで復調の兆しある女房も行きたいとのことで二人で行脚することに。車中泊はさすがにキツイだろうと思い、栗原市築館、鳥海山麓、寒河江に宿を取った。取れたことすらラッキーだったかもしれない。ターゲットの雪山は、栗駒山(30日)・鳥海山北面(1日)・月山(2日)である。天気と疲労と充足感で月山はカットしたが、GWになっても早春の気配が濃厚な東北の山麓地帯を味わって無事ケガなく帰ってきた。以下、旅行記である。

4月29日 移動日
渋滞を避けて昼過ぎに出発。まだ東北道の事故渋滞が残っていたので、早々と浦和で高速を降りて新4号バイパスで北上し、矢板から東北道に乗った。関東北部は気温30度近くまで上昇して暑く、田植えが終わっている田んぼも多い。福島県中通り、宮城県を北上しても季節が逆戻りした印象は薄く、宮城県でも田んぼに水を入れた場所が目立つ。長者原SAで夕食を食べて、栗原市築館の小さなビジネスホテルに投宿。質素だが清潔感のあるホテルだった。

4月30日 晴れ 栗駒山BC
7時にホテルで出た朝食は、すべて自分のところで調理しているようで、業務用の食材をほとんど使わず手作りされたもので好感が持てた。いわかがみ平までは車で約1時間かかり、直下のゲートが開くのが9時なので、のんびり8時にホテルを出発。曇りがちで栗駒山を遠望することはできないが、かなり長距離(40km弱)を走って栗駒山に近づく。雪はまあまああるように見える。8時45分にゲート通過。すでにゲートは空いていて、いわかがみ平の駐車場に着いたら登山やスキー・ボードの人がハイクアップし始めるところだった。
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登り始め

われわれも9時20分ころ歩き始める。はじめレストハウスの左方に向かって登り始めたが、ブッシュが行く手を阻んでいそうなので右手に行き先を変え、小さな沢状地形の中へ入り込んでブッシュを避けた。トラックログもそこから始まっている。沢を右手に見ながら緩い斜面をハイクアップし、沢のヘリを歩かなければならないところではスキーを外したが、女房のペースと自分の足にマメができない程度のゆっくりペースで11時30分に山頂直下到着。スキーをデポしなくてはならない山頂はパスして、一人で東斜面を標高差100mほど滑ってみる。東斜面は開けていて気持ちがいい。登り返して12時20分。
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山頂へ直登

南側の急斜面にも雪が残っていて、そちらを滑った人もいてそそられたが、メインは明日の鳥海なので自重する。栗駒はだいぶ雪が解けてしまっているので、3月末か4月初め、道路の開通を待たずに下から一日かけて楽しんだ方が賢明に感じた。今年特有のことなのかもしれないが、この日はスキー・ボードよりもツボ足登山者の方が圧倒的に多かった。かなり軽装備の登山者も見かけた。

12時30分、女房と滑り始める。東斜面からつながっている沢状の雪原はほとんど滑られていないようなので、沢の源頭部に出てどこかで雪を繋いでトラバースして沢のヘリに上がればいいだろう。登りでスキーを外した箇所ではまたスキーを外し、ブッシュの中の緩斜面タラタラ滑りで13時20分に駐車場帰着。午後になると駐車場には雪を見に来た一般観光客が多くなっていた。
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雪はまあまあキレイ

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下部になるとさすがに汚れが・・

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トラックとデータ(登りの最大斜度がどうもおかしい)
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スキーを脱いでからのドライブが今日は長い。いわかがみ平からまた延々と南東に降り、国道457号線から47号線、鳴子温泉から108号線に乗って栗駒山塊を東→南→西と回り込み、オニコウベスキー場の東を通って鬼首トンネルを抜けて秋田県に入る。左の神室山地は険しくて残雪が見えるがとても急だ。

湯沢市の院内あたりはまだ雪どけ直後といった感じで、枝垂れ桜が美しく、道端にはスイセンが咲いている。早春に逆戻りだ。秋田ではまだ田んぼに全く手が入っていない。108号線で鳥海町に降り、600kmほど走ったので給油して、フォレスタ鳥海に投宿。鳥海山の祓川へ一番近い猿倉温泉の宿で、建物も立派なリゾートホテルだ。ホテルで登山届も提出できる。
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夕方、美しい鳥海山の懐へ

明日は鳥海山にチャレンジ。予報通り曇りから晴れになるのか?

近そうで遠い重倉山

3月25日(日)晴れ インフィールド・重倉山ツアー

宿泊先の目の前の道の駅で7:30集合。昨年の粟立山に参加した2名のメンバーが共に参加、全体で7名のゲスト参加となった。ガイドも含めてテレマーク3名、ATスキー5名、スプリットボード1名の混成部隊で、西野谷集落の外れの標高265m地点を8時出発。

林道に沿って重倉川を詰めていく。重倉川は支流も含めてスノーブリッジがなく、帰りは苦労させられそうだ。林道が重倉川から離れて高度を上げて行く折れ曲がりポイントまで来ても対岸に渡れないため、そのまま林道を登っていく。林道は距離がある割に高度が稼げない。昨日長距離を歩いた脚のダメージが徐々に出てくる。足のマメもダクトテープを貼ってワセリン状のジェルを塗り込んで対策はしてきたが、脱げないブーツの中で悪化していっていることは明らかである。
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林道から

550mで林道から離れて尾根に取りつき、922mピークと869mピークの中間に出る。922ピークでシールを外して北面を滑るが、雪面が硬くてターン時にずらしながら滑るしかない。標高800mの沢で再びシール装着、重倉山山頂まで標高差200m弱を登る。これが辛かった!
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奥に大毛無山、手前に粟立山とその北方の稜線
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今日はノーマルスキーで
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922mピークにて
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硬い北斜面を滑る

山頂で13:20。実に標高差800m弱を5時間かけて登った。疲労蓄積だけでなく、日差しの強さもダメージを大きくした。
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山頂でくつろぐ

13:35から滑降開始。雪庇は大きくないが、無雪期ならガケになっている斜面を滑る。南東面で雪が重く、テレマークターンは試みてもうまくいかず、2コケしたのでアルペンターンで滑る。NTNなのでアルペンターンは山でもお得意だ。594mの尾根突端までは20分で滑ってしまう。
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山頂直下のいい斜面
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いい感じで滑ってこれた
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昨年粟立山に登ったお二人。共にATスキーでとても上手

そこから重倉川の左岸に下降していくが、沢沿いに降りてから林道の屈曲点までのわずかな距離の中にさまざまなトラップが潜んでいた。狭くて急なクライムダウンポイント2箇所、飛び石づたいの沢横断2箇所、急斜面のトラバース、スキーを外してのツボ足登行など、合計で1時間以上格闘した。
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沢の出合で川を渡る。SLが岩を投げ込んで足場を作ってくれた
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こんな感じで場所を選ばないと川を渡れない

その後は登りで使った林道をタラタラと滑り降りるだけ。15:45着。
コマーシャルツアーなのでトラックのある地形図は表示しない。データのみ掲載する。
かなりヘビーなツアーだったことがわかる。
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足のマメのダメージも大きく、もう十分滑ったので、日曜日の高速割引を使って帰ることにした。月曜日も時間的な余裕はあるが、足のケガをこれ以上ひどくしたくない。道の駅あらいで大相撲千秋楽を聞いて、ご褒美に回転寿司を食べ、関越道の渋滞はPAで寝てやり過ごすことにして帰路につき、甘楽PAで2時間ほど睡眠。22時30分頃起きたら渋滞は解消していた。練馬から外環には乗らず、新目白通り、靖国通りを経て帰宅。日付が変わっていた。

信越トレイル・ステップソール縦走

3月24日(土)晴れ 信越トレイル・ステップソール縦走

朝7時45分、ほくほく線の虫川大杉駅に駐車し、あわてて最後の準備をして8時ジャストのシャトルバスに乗る。他に地元の小学生レーサーが二人。20分ほどでスキー場に着き、9時のゴンドラ稼働開始まで待機。登山届はパトロールに提出するつもりだったが、パトロールの人が不在で、チケット売り場でゴンドラ1回券(1,000円)を購入する際に事情を説明して受け取っていただく。

ゴンドラは予定通り9時過ぎに動き出し、さっそく山頂停留所駅(965m)へ。ロープの一角に警告の看板があり、そこがエリア外への出口になるようだ。シールをあらかじめ貼ったスキーを履いてロープ外に出ようとしたら、おじさん二人に声をかけられた。ルートを簡単に説明したら、シールというものを見るのが始めてのようで、説明した。しかし今回、シールは最初の登りでしか使わない予定だ。あとはアップダウンの回数が多過ぎていちいちシールなど脱着していられない。G3ファインダーのウロコの登坂力で機動的に歩くつもり。出発は9:20。
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ゲレンデからの出口右手に雪崩デブリ。真ん中の小尾根を登る

平坦な場所がロープ外にもあるが、菱ヶ岳の崖が迫っていて雪崩のデブリもあるので一般客が近づける場所ではないようだ。デブリを避けて小さな尾根の上から登ったつもりだったが、トラックデータを見ると尾根と尾根の間の小さな沢を登ったようだ。稜線に上がったのが9:50、標高1100m。シールのままで1150mのピークに登る。10:10、シールを剥がして滑降に移ろうとするが、思ったより急斜面だ。標高差80m程度だが、最初からコケていたのでは先が思いやられるし、自分一人しか頼れないので、コケないよう慎重にターンして1075mまで。雪質はいいようだ。黄砂もないし、昨日までの雨が霧氷になったりわずかな積雪になっていたようで、雪面はキレイ。
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美しい雪面と霧氷が着いた木々
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黒姫・天狗原&金山・妙高・火打。手前に伸びているのが関田山脈
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最初に滑った斜面

ここからはステップソールのウロコを効かせて歩く。県境の稜線ピークではなく、若干長野県よりのピーク直下をトラバース気味に歩いていく。1131mピークの直下で10:40。右手下方に無木立の湿原が見えた。湿原に向かって滑り、そのまま沢状地形を歩いて野々海池へ。池の上の一番長いところを一直線に歩く。時間は11時前後で、ここまでの距離は3.5kmほど。野々海池を渡りきったところにキャンプ場の施設があり、その近くの日陰で休憩。行動食を摂取。バウムクーヘンやらワッフルやらドライトマトやナッツなど、普段はあまり食べないものばかりで、水がないとノドを通りにくい。暑くなることを見越して水分はハイドレーション・チュウチュウ仕様にしてあるのと、別立てでスポーツドリンクのペットボトル500mlの合計1.5リットルを担いだ。日が高くなってきて池の真ん中では日差しを遮れないので、水分を欲する。暖かい飲み物はこの天候だと要らない。
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野々海池を横断

休憩後、三方岳に向かって緩やかな斜面を登る。三方岳手前の1140mピークのブナ美林を静かに歩いていたら、案の定甲高いエンジン音が聞こえてきた。関田山脈名物のスノーモービル(スノーバイクも数台見かけた)軍団だ。一台ずつバラバラにやってくるので三方岳山頂直下まで何台もすれ違った。彼らはすれ違いざまに会釈はするのだが、トレースを見ると相当な急斜面をフルスロットルで駆け上がるのでその爆音が轟いて興ざめになる。2ストロークだから余計うるさい。まあ、あちらも一人でスキーで歩いているヤツがいるとは思ってもいないだろうし、他人に迷惑をかけないようにこのエリアに入ってきたのだろうから、常識は踏まえた方なのかもしれない。それに、彼らの爆音で冬眠から目覚めた熊などは現れないだろう。
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三方岳を通過。稜線のギャップは大きい

三方岳はピークを踏まず、12時に通過。天水山までに小ピークが3つあるが、滑りやすいところはすべてモービルのトレースが刻まれていた。仕方ないが、迷うことはない。ピークはなるべく巻くが、鞍部までの斜面は予想以上に急で、鞍部の尾根の右手(長野県側)は沢で左手(新潟県側)はガケになっているところもあり、ルート取りに気を遣う。そんなこんなで天水山山頂に12:50分着。ここは新潟県側の斜面がなかなかよろしい上に県境の尾根は地形図からの想像以上に滑りにくそうなので、モービルのトレースを見ながら新潟県側にいったん滑り、トラバースして鞍部に出る。1043mピークの手前の鞍部で13:00、そろそろ疲れが出てきた。目の前の斜面を登る気力が薄れてくる。うまく下山できれば14:20森宮野原駅発の飯山線に乗れるかも、という淡い期待も出てくる。こういう皮算用がよくない。
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天水山から津南方面が見える
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尾根通しで滑ると間違ったピークに行ってしまう

1043mピークから尾根を滑って967mピークに向かわなければならないところ、その手前の枝尾根の末端に行ってしまう。GPSで確認して修正。尾根が広がり、下り基調になるのでルートファインディングを頻繁にしないと危険だ。広がった尾根をあまり右手に寄らないように滑る。左に寄り過ぎると無印良品のキャンプ場が見える。尾根が延びているが、駅は遠のいてしまう。幸い、杉や広葉樹は疎林で視界はいい。標高750mあたりで作業道と交錯しながら標高を下げる。杉林が密林になってきて、その下にあるはずのため池は上から見渡せない。慎重に高度を下げて、ため池脇の作業道に出た。これでもう安心。下の三角形のため池から道路幅が広がるが、そこまで除雪は進んでいた。14時だ。道路を歩いていたのでは遅くなるし、雪壁のある道路を横断することも難しい。降っていく道路の左側の雪を拾いながら下降してくのが賢明かと思い、県境を出入りしながら一箇所だけスキーを脱いだものの、滑り降りた限界が地図上トラックのゴール地点。頑張れば下の学校裏手まで滑れたかもしれないが、標高360mまで滑れたので十分だ。関田山脈の長野県側は標高が高い分、雪が比較的残っているのではないか?
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ため池で振り返る

すでに14:15。列車に乗るのは無理。舗装路面で荷物をすべて下ろして休憩。森宮野原駅で上下線の列車がすれ違う時に鳴らした警笛が聞こえた。のんびり舗装路を神社まで歩き、国道117号線に出て森宮野原駅にたどり着く。14:45だった。
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国道から駅(スキーの右の楕円形の無雪の土地にホーム)を見る
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駅についたが時間が中途半端

さて、虫川大杉駅までどうやって公共交通機関を使ってたどり着くか?14:20の後の飯山線は16:54で、実に2時間以上待ち時間がある。そんなに待てない。次善の策として、15:10発のバスで越後湯沢駅まで出て、そこからほくほく線に乗って行くという手がある。いかにも無駄な遠回りで料金も2,000円以上と、列車のみの乗り継ぎに比べ倍額になってしまうが、こちらの方が50分早く着く。
ということで、バスを待つ間、電子登山届け「コンパス」の下山届を出して女房に下山を知らせたり、キューピットバレイに電話で下山報告をしたり、予定変更で単独行で入山するとメールした吐月工房氏にメールしたりと各方面に連絡をしてバスに乗り込んだ。

好天に恵まれ、雪質も良く、キューピットバレイの営業終了直前というタイミングをつかまえて行動開始を早くしたために、ほとんどピンチなくコンプリートできた。一方、全行程12km強で、対策はしていたもののやはり足の内側くるぶし下にマメができた。体力が続かないこともあるが、これができてしまうとそう何日も連続してスキーで山に登る気力が失せる。

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信越トレイルデータ。登りは少なく下りが多め、しかしスピードは遅い
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信越skier春の雪調査(計画とアプローチ)

3月になって急に気温が上昇し、すっかり春めいてきた。個人的にはもう少し長く冬であって欲しいのだが、春には春前期のマゾヒスティックな悪雪滑降という楽しみ?もある。

少し前から練っていた個人的計画に、信越トレイルのステップソールスキー縦走があった。まだ歩いたことのない最東部の野々海池や三方岳・天水山を経て森宮野原まで降りるルートだ。ワンウェイの行ったきり縦走なので、単独では難しいと思っていたが、上越市の菱ヶ岳山麓にあるキューピットバレイスキー場の送迎シャトルバスとゴンドラを有効に活用すれば、車2台は必要なく、飯山線とほくほく線を使って車を回収できそうなことがわかった。

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未踏の地だし、やはり一人では心細いなあと思いつつ、インフィールドの中野さんにルートの現実性を打診してみたら、リクエストツアーとして取り上げてくれた。私の計画に加えて、前日長野県側の鍋倉高原からキューピットバレイまで抜けるルートも浮上し、二日間のステップソールスキーの旅(22日はキューピットバレイのコテージ泊の計画)に昇格した。他の参加者が2名見つかったものの、現実にはそう上手くは行かず、22日、23日ともに雨で中止となった。晴れていたとしても、キューピットバレイのゴンドラが動いていたかどうかは不明である。

上記の計画に加えて25日の日曜日にインフィールドの矢代山地・重倉山ツアーにも申し込んだため、23日と24日の宿泊先も確保した。24日が晴れならば、一人で当初の計画のルートを歩くつもりだ。

ステップソールツアーが中止になったのだが、23日夜の宿泊先は確保しているので、23日午後に東京を出て宿泊先に向かった。上信越道を使うとずっと高速に乗ることになるが、平日で料金も高いので関越で塩沢石打まで行き、国道353号線で清津峡を経由するルートを取った。もう路面に雪はない。

十日町と津南の間で国道117号線に合流してから、森宮野原駅までは10km強なので往復してみることにした。その後国道353号線、253号線でほくほく線の虫川大杉駅に向かい、翌日の駐車スペースを確認して直江津経由で宿泊先のビジネスホテルに向かった。翌日は行動を早くすれば虫川大杉駅8時発のシャトルバス第1便に乗れそうだ。
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森宮野原駅前で昭和20年、この天辺までの積雪があった

信越トレイル単独行の記事と重倉山ツアー参加の記事は別立てとする。

17東北巡業登山旅行(その5・天元台から西吾妻山)

8月5日(土) 晴れときどき曇り

米沢から天元台スキー場を目指す。体調若干回復傾向の女房のリハビリトレッキングで、天元台から標高差の小さい西吾妻山一帯を歩くつもりだ。

9時、天元台のロープウェイには初めて乗ったが、設置年が我々の生年と同じらしく、あちこち老朽化した施設に同情を禁じえない。だがまだまだ現役感は強い。
ロープウェイを降りると、やはり「天元台」という名前にふさわしい台地が広がっていて、高校生の陸上部が練習をしている。スポーツ合宿の宿泊先としては最高の場所だろう。


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西吾妻山一帯

長めのリフトを3本乗り継いでいく。機械のおかげで、リフト終点では標高1800mを越えている。ここで9時50分。ただし、ここまでの乗り物代はスキー場一日券の価格に近い。もう中大巓までは標高差150mほど。山頂へのルートがない中大巓の標高は、天元台ロープウェイの設立年と同じであった。

まずは人形石まで視界の利かない樹林帯の道を斜登行し、人形石に10時30分、そこから南の西吾妻山との鞍部である大凹(おおくぼ)へ降っていく。この下り道の景色が良く、高山植物も豊富だ。大凹ではきれいな水が出ていた。
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人形石

標高1900mあたりで凡天岩・天狗岩に向かって登るようになり、少々疲れた頃に平坦な岩場に出る。11時30分、凡天岩で行動食摂取も兼ねた休憩を取る。
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ワタスゲが多い
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池塘の周りにワタスゲの楽園

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ゆったりした風景
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西吾妻小屋は利用するのによさそうな感じ

天狗岩の社から西吾妻小屋、西吾妻山頂(展望全くきかず)、天狗岩と1時間弱かけてゆっくり周回し、その後は大凹を経由してリフト乗り場に戻った。13時45分、リフトで下山にかかる。女房の疲れ具合を見ながらのトレッキングだったが、まあまあ歩けるようにはなってきたか?

午後は裏磐梯へ移動。我々には似つかわしくない高級リゾートホテルに投宿。温泉に癒される。最後になって、左腰に張りを覚え、足がむくむようになってきた。日曜日に磐梯山登山を考えていたが、日曜日は登山客が殺到するし、磐梯山ならまた東京から出てきても苦にはならないので計画は延期とし、日曜日は別の場所へ移動してライトトレッキングするか、渋滞を避けて素直に帰京するかの選択とする。
結局、五色沼散策も東吾妻山でのトレッキングもせず、猪苗代湖畔の道路、天栄村・白河への国道、そして4号線を走り繋いで高速道路を全く使わず帰宅した。

今回の車を使った山行は、気楽だった。まだまだ東北には登っていない山々がある。森吉山はもちろんのこと、焼石岳や和賀岳などだ。それらは今回のようなロープウェイやリフトなどはなく、もっとアプローチが長い山なので、厳選して慌てず騒がず登ることにしたい。

17東北巡業登山旅行(その2・早池峰山と森吉山)

8月2日(水) 晴れ
朝5時から準備を始め、早池峰山の登山ベースとなる岳地区を過ぎ、6時に河原の坊の駐車場に着く。先着している車が3台ほど。この先県道が小田越まで伸びていて、そこが早池峰山への最短ルートになるが、小田越には駐車場がないらしい。したがって30分ほど舗装路歩きが入る。

6時15分に舗装路を歩き始め、30分で小田越到着。登山道に入っていく。早池峰ではトイレ対策として簡易トイレ持参(なければ購入)が勧められているが、すでに大きい方は道の駅で済ませてきたし、小は発汗が大量な上に我慢もできるので私は持たない。
最初は樹林帯の中を歩き、木道もあったりして整備されている。まもなく岩だらけの道になり、樹木はなくなって朝の日差しが強烈に降り注ぐトレイルになる。標高1400mあたりから増えてくる岩は蛇紋岩で、大変滑りやすい岩だ。登山靴で踏まれて摩耗しているところは特に滑りやすく、尾瀬の至仏山と同じだが、至仏山に比べ登山客が少ないからか、摩耗した岩は少なく滑ることもあまりなかった。
標高1800あたりから稜線に乗る最後の登りで鉄梯子が出てくるが、さほど恐ろしい障害物ではなく、河原の坊を出てちょうど2時間、8時15分に山頂到着。信仰対象の山なので立派な祠があり、お参りすることで敬虔な気持ちになれる。10分後、下山開始。山頂にある避難小屋は計画的に利用することはできないが、なかなか立派な作りだ。登山口にも避難小屋がいくつかあるようで、複数人で来たら利用価値がありそうだ。
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早池峰山で出会った花々
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イブキジャコウソウ

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タカネナデシコとナンブトウチソウ?
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ナデシコは好きな花だな
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大味になってしまったハヤチネウスユキソウと手前にまたタカネナデシコ

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岩稜帯になる
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鉄梯子2箇所
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山頂の避難小屋
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一等三角点

小田越まで戻って、監視員と言葉を交わしたが、早池峰山一帯でバッジや手ぬぐいを買えるところはなさそうだ。百名山のひとつなのに、この商売気のなさはすごい。地元の人が信仰の山として大事にしてきて、山を儲けの道具として見ていないということなんだろうか?麓の宿に泊まってみれば真相がわかるだろう。
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舗装路を下りながら山を仰ぎ見た

10時に駐車場に戻り、再び移動開始。この日は移動距離が長くて、次の森吉山は不安要素が強い。
とりあえず道の駅「はやちね」に戻ってトイレと飲み物補給の休息。しかし「日本一静かな道の駅」を謳っている割に建物の前で大音量で女性歌手の歌が流されている。看板に偽りありなので、先を急ぐ。道幅の狭い折壁峠を越えて紫波町に下り、東北道を使って盛岡までワープ。ずんぐり、どっしりした岩手山を眺めながら国道46号線で田沢湖方面へ。田沢湖北岸でiPadのカーナビアプリが現在地をロストしたために大回りして国道105号線にようやく出た。

秋田内陸縦貫鉄道と平行する105号線もかなり田舎の国道で、交通量が少ない。先日の豪雨の影響なのか、片側交互通行箇所も頻繁にある。縦貫鉄道が走っているところは残念ながら見られず、腹も減ったので旧西木町上桧木内の紙風船館で総菜を買って昼食とする。その後も、縦貫鉄道の駅の看板はあっても、道路沿いに集落が見られないところをひたすら走り抜けて、北秋田市に入り、荒瀬という集落からUターンするように阿仁スキー場に向かっていく。阿仁スキー場は聞いたことはあるが、こういう地形の中に存在するということは実際に来てみて実感した。冬に田沢湖方面から気楽に来れるような場所になく、北秋田市、大館市、能代市あたりのローカルスキー場のようだ。
14時に阿仁スキー場に着いてみると、なかなか立派なゴンドラが動いている。早速ゴンドラに乗ろうとしたが、14時出発では森吉山までの往復は無理だという。ゴンドラ乗車時間が20分、山頂駅から森吉山山頂までの歩行時間が1時間20分で、往復すれば3時間以上かかってしまう。ゴンドラの最終運行時間に間に合わないことになる。ちょっと私の見込みが甘かったようだ。しかしせっかく来たので、途中の石森までは行ってみることにした。石森は14時45分着。
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石森から眺めた森吉山は素晴らしかった。雪のある時期にスキーで登ったら気持ちがいいだろう。石森からすぐ先に見える森吉避難小屋を見学して、ゴンドラで下山した。15時12分。森吉山には行かれなかったものの、手ぬぐいだけはゲットしておいた。
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石森から眺めた森吉山
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森吉避難小屋

さて、ここから翌日のための移動。もう105号線を田沢湖まで戻ることは非現実的であり、北秋田市、五城目町を経由して秋田自動車道で一気に県南部へワープすることにして、いったん北上し、一気に南下する。
由利本荘市内のホテルの予約ができたので、暑くて寝られない車中泊は避けることができる。由利本荘市街が近づいてくると、鳥海山がくっきりと見える。その秀麗さは、山形側から見た鳥海山以上だと思う。

明日は今回の東北巡業のメイン、鳥海山登山。翌日の朝食はコンビニで調達、夕食は周辺に食堂がないのでホテル内の和食レストランで親子丼を食べる。

17東北巡業登山旅行(その1・栗駒山)

8月だ。今年は昨年のような長い体力勝負の縦走ではなく、気ままに車で移動しながら登山をしようと考えていた。行き先は大きく北海道と行きたいところではあるが、北海道では移動がメインになってしまう可能性があり、もっと身近に感じられる山々をめぐるために東北にした。北海道の山は西日本の山ほどではないが、強い関心が向かない。しょせん私は中部日本と東北日本をベースに生きてきた人間である。

緻密に計画を立てたわけではないが、アバウトな脳内プランをもとに目的の山々を巡ることができた。結果的には素晴らしい旅ができたと思う。

概要は以下の通り。
8月1日 東京から東北自動車道で北上、栗駒山登山と早池峰山近くへの移動、車中泊。
8月2日 早池峰山登山の後、岩手から秋田へ移動、阿仁スキー場ゴンドラを利用し森吉山登山(途中まで)
     由利本荘市のホテルへ
8月3日 矢島(祓川)の登山口から鳥海山登山、月山近くへの移動、車中泊。
8月4日 志津登山口から月山登山、蔵王温泉ロープウェイへ移動、蔵王熊野岳トレッキング
     女房と合流し米沢のホテルへ
8月5日 天元台ロープウェイを利用して女房と西吾妻山登山、裏磐梯のホテルへ。
8月6日 欲張って磐梯山登山を計画したが、激混みの日曜日ということもあり、そのまま帰京。


8月1日(火) 仙台以北で晴れ
発車時刻の決まった公共交通機関に乗るわけではないので、出発は極めてアバウト。
適当に45リットルのザックに必要な品をたたき込み、日帰り登山なので25リットルのサブザックも突っ込み、登山靴をぶら下げてサンダルで移動開始。一応、テントも持っては行ったが、結局使わなかった。そのかわり、忘れ物に後から気付いた。とりあえず登山には大きな支障はなかった。

東京の天候は曇りで、雨が降り出しそう。東北道北上中も断続的に雨に降られた。仙台以北になるとようやく晴れてきてほっとするが、すでに運転疲れが出ている。
一関インターで東北道を降り(高速料金9500円!)、須川高原温泉方面へ向かう。そろそろ保険として車に燃料を入れておきたいが、インターから西の国道342号線にはスタンドが一軒もなかった。須川温泉までは細い峠道だったが、着いてみると広めの駐車場があって安心する。13時に到着して、登山靴に履き替え、登山開始。須川温泉一帯は硫黄泉がふんだんで、宿の脇を流れている川がすでに温泉だ。温泉を起点に周回ルートを取ろうと思ったが、途中で下山中のグループとすれ違った時に昭和湖経由の方が風もあり景色もいいのでオススメと言われ、素直に従った。
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ルート。名残ヶ原、昭和湖、稜線、山頂、1573mピーク近くを経て往路を戻った。

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須川高原温泉の豊富な湯量

硫黄ガスが漂う昭和湖を経由して天狗平へ直登して宮城・岩手県境稜線に出、稜線を東に進めば栗駒山山頂(1626m)だ。登山口から1時間30分。帰りは天狗平からちょっとだけ秋田県境寄りに緩く登って景色を堪能したのち、同じ道を引き返して16時に須川温泉に下山。
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栗駒山頂から北側を見る。まだ雪田がある

なお、今回の山行は行き当たりばったりになる可能性があるので、登山届はスマホのアプリ「コンパス」を用いて登山前日や直前に提出した。緊急連絡先にもメールが送られ、登山計画と下山完了が通知される。なかなか便利なものだ。いちいち紙で提出するよりはスマートだと思う。

汗だくの化繊Tシャツや日焼け防止のアームカバー、汗を吸った速乾性タオル、ウールの靴下などにファブリーズを吹きかけて車内で乾燥させつつ、移動開始。連日の登山はこれの繰り返しであった。

山道を一関インターに向かって国道342号線を降っている途中、湧き水がふんだんに出ている場所があり、迷わず汲んでそれを飲みながらのドライブになる。一関インター近くで給油(軽油でも108円程度と高目)して、国道4号線や北上川の左岸にある県道を走りつつ、平泉町・奥州市・北上市・花巻市と北上する。花巻市で夕食にしようと思って探すがいつの間にか市街地を通り過ぎてしまい、少し戻ってファミレスで夕食を摂り(夕食を楽しむ感じではなく摂取する感覚)、コンビニで翌日の朝食と行動食を手に入れて、花巻空港で北上盆地から離れて山道へ入っていく。旧大迫町に入り、早池峰ダムを目の前にする道の駅「はやちね」がねぐらとなる。トイレもきれいで、泊まっている車も皆無で快適だった。

北ア・雨から退避(3日目)

8月26日 晴れ(笠ヶ岳近くの稜線はガス)

1日目  2日目  3日目

朝5時、昨夜とはうって変わって和風な朝食を食べた後、時差で食事が始まったUさんにご挨拶をするため、しばらく待ってみる。外へ出てみると朝焼けの山々が美しい。Uさんは双六から西鎌尾根を登って槍ヶ岳までの予定なので、ここでお別れ。

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槍ヶ岳シルエット
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鷲羽岳を振り返る
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さらば、三俣山荘
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ぱっとしない三俣蓮華岳も朝焼けで栄える
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出だしは槍穂がくっきりだったが・・

5時30分に出発し、まずは三俣峠までゆっくり登る。疲れが残っているのか、コースタイム通り。三俣蓮華岳へは登らず、巻き道ルートで双六小屋に向かうが、ここからは9年前の仕事山行中に土砂降りの中を歩いた記憶がある。黒部五郎方面から視界が全くないなか三俣蓮華にたどり着き、下降して巻き道を双六へ向かった。しかし「歩いた」という事実の記憶に過ぎず、脳内に残像はない。初めて歩くのとほぼ同じ条件で、「巻き道」の言葉が持つ安易さと現実のギャップから思うようには進まない。言葉に騙されると朝日岳の「水平道」と同じことになる。一本休憩を入れて双六小屋に7時35分。水晶山頂で会った双六スタッフが小屋前に出ていたので、挨拶する。すでに笠ヶ岳に立ち向かう気力が少しづつ萎えているが、ガスが南の谷から流れてきて、笠ヶ岳方面に濃いガスが乗っかっているのを見るとさらに減退する。双六小屋で手ぬぐいとコーヒーを注文し、8時に出発。とりあえず弓折分岐まで歩き、そこで笠ヶ岳を目指すか、鏡平方面に降っていくか最終判断することにしたが、自分の気力が上がってこないし、稜線のガスは移動しそうにない。

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双六谷からガスが上がってきた
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双六小屋の向こうの鷲羽岳、さようなら

笠ヶ岳を目指すとすれば、結構アップダウンのある道を頑張らないといけない。行く手は視界が悪い。展望があり過ぎるのも気持ちを挫くことがあるが、展望がないとどこを歩いていても同じ、別にここじゃなくてもいいことになってしまう。もう一つ、笠ヶ岳山荘ではいままで以上に水不足のはずだ。テント場で水が汲めるならいいが、小屋で買うとなると考えてしまう。自分自身に都合よく、これは雨をもたらす兆候だ、風も湿っぽいし、ガスも風で吹っ切れるレベルじゃない、と解釈した。決定。下山だ。笠ヶ岳、また来るよ。

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弓折分岐まで来たら直進ではなく、←に誘われて左へ
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本日最後の槍

9年前に下痢ピー状態でトイレに駆け込んだ記憶だけが残っている鏡平山荘に9時30分、たまたま隣に座った単独のおば様と話しながら、ついに禁断の毒水・400円缶コーラに手を出す。おば様曰く、昔は飯豊なども含めよく歩いたが、今回は鏡平に来て、周囲の自然を見ることが目的。山頂ばかりを目指さず、そういう山歩きってステキだと思う。

小池新道を降る。何だか、下山を決めたら調子が上がってきた。右手を見ると、笠ヶ岳方面は一定の標高以上が完全にガスっていて、しかも黒っぽい雲も近づいている。これは予感通り雨だ。そうに違いないと決めつけた。

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稜線上の雲は厚くなり、沢の上部も怪しくなってきた

小池新道は岩のガラガラ道に見えて、実は道普請が完璧だ。岩伝いに階段を下りる要領で歩けばよく、岩の表面がフラット。シシウドが原10時30分、秩父沢出合の水で顔を洗い、左俣林道に出る直前でも顔・首を洗ってサッパリ。わさび平小屋で12時になったので、最後の贅沢としてそうめんとリンゴを買って昼食とする。35分も休憩してしまった。あとはひたすら林道を歩いて新穂高ロープウェイのバス停に13時25分着。

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最後の贅沢にわさび平小屋名物のそうめんとリンゴ

完全ではなかったが、十分に歩いた。スマホのデータによれば、24日が12.7km、25日が25.8km、26日が28.3km。飯豊に次ぐ距離となった。よく歩いた。足の親指の腹に小さなマメができたようだ。
北アルプスの小屋で売っている手ぬぐいと軽食・飲み物にもよく手を出した。まるで高速SA・PAごとに立ち寄って飲食するかのように立ち寄って金を使った。ゲットした手ぬぐいは、烏帽子・野口五郎・水晶・双六の4種類。三俣山荘と鏡平は見つからなかったか、また他日手に入れることにする。贅沢の限りを尽くした山行だった。

新穂高13時46分発のバスを平湯で乗り継ぎ、松本に向かうが、事故渋滞があって松本BT着が1時間遅れ。大糸線に乗れたのは18時。大町に19時に着き、駅前のラーメン屋で妥協して夕食を食ったらちょうど雨が降ってきた。松本へのバスの中で雨雲レーダーの推移をみたら、14時ころ笠ヶ岳山頂に雨雲があったようで、きっと降ったに違いない。濡れずによかったし、27日により強い雨の中笠新道を降りに使っていたらエライことになっていたと思う。予感が当たって今回はラッキーだった。

一日早く降りたけれど疲れたし、雨の降りも激しいので、松川村の立ち寄り湯「すずむし荘」と道の駅をまた利用させてもらい、27日の朝に帰宅することにした。夜はずっと雨が降っていて車のルーフをたたく音がうるさかった。夜、槍ヶ岳に向かうはずだったUさんも雨の予報を知って新穂高温泉へ下山されたことをメールで知った。また、27日朝には飯豊でご一緒したIさん母娘と安曇野市内で再会することができ、楽しい一時を過ごすことができた。

今年の夏の登山はこれで終了。縦走中に「秋はどこに登るんだ?」と散々聞かれたが、秋は皆が集中するから登山するとしてもメジャー所は行かない。むしろ自転車の季節だ。そして冬が来ればスキーの季節。へそ曲がりは裏の季節になると無性にスキーがしたくなる。

北ア・雨から退避(2日目)

8月25日 快晴

1日目  2日目  3日目

5時30分開始の朝食前に出るものが出た。これでトイレ待ち時間を浪費せず、食後すぐに歩き出せる。今日の行程は水晶岳ピストンを含めコースタイム10時間なので、朝6時に出てもコースタイム通りなら16時になってしまう。15分だけだが6時より早く歩き始められたのは嬉しい。烏帽子小屋、5時からの朝食だとなお嬉しいんだが、山の中で立派な食事をさせてもらえるだけありがたく思わないと。

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手前に赤牛岳、奥に薬師岳
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烏帽子小屋、ありがとう
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三ツ岳に登って行く

キャンプサイトを抜けて左手に池を見て、三ツ岳に登っていく。山頂まで登山道が通じているわけではないが、烏帽子小屋から標高差が300mほどある。餓鬼岳や大天井岳、そして槍ヶ岳がくっきり見え、快晴だ。最高の天気をプレゼントしてくれたのだが、ひなたに出ると早朝から暑い。自分の影などを撮影しながら登って行く。岩陵帯と砂礫帯を交互に歩くような快適なルートで、野口五郎小屋に7時50分到着。小屋の少し手前で5時に出発したUさんをロックオン。さらに小屋でSさんと会う。野口五郎小屋は布団干しの真最中だったが、個人的に集めている手ぬぐいを買い、小屋オリジナルのアイス(ごろりんアイス)を食べた。朝からアイスクリームというのは初めての経験だが、とても美味しい。野口五郎岳山頂(2,924m。鷲羽岳と全く同じ)は全く尖ったところのない茫洋とした山だが、ここがこの山旅の最高の天気となった。Uさんに証拠写真を撮っていただく。

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槍が現れた
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自分の影を撮ってみる
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立山も見える
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稜線向こうに左から富士山、甲斐駒、北岳、仙丈か?
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どっしりとした野口五郎岳
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水晶岳の脇にはカール状地形があることに気付く
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野口五郎岳から槍に向かうUさん

野口五郎岳を後にすると、次第に尾根が痩せてくる。岩陵を時にはよじ登りながら歩くようになり、ペースは落ちる。最低鞍部の東沢乗越は2,734mなので、野口五郎から200m近く降ったことになる。それを過ぎると今までの白い花崗岩から赤茶けた砂礫の急登になり、息がかなり上がってくる。水晶小屋には10時40分に到着したが、かなりバテた。水晶岳に歩き出す前に、お約束の手ぬぐいと800円のおしるこを注文して食べる。これで午後のエネルギーの足しにはなるはずだ。11時ちょうどにザックを小屋裏にデポして水晶岳に向かう。晴れているので山頂に立つ人がよく見える。前半はなだらかなハイキングルートで、山頂に近づくとハシゴ、岩場のトラバースなどとなる。30分で山頂に着いた。双六小屋のスタッフという若いお兄さんと、関西弁の精悍なおじさん3人で山頂にいるとそれでもういっぱいなくらい狭い。先が長いので頂上の標柱を写して10分で山頂を後にした。双六スタッフは休暇で高天ケ原温泉に行った帰りというが、この日の宿泊を水晶小屋に予定していたらしい。水晶はたぶん混むよ、と言ったら渋い顔をして考えを改めることにしたらしい。彼は結局三俣山荘を経由して一日早く双六に戻った。関西弁のおじさんは神戸から来た方で、山頂から先に降りていったが、その足取りが軽くて早い!彼も水晶小屋情報を聞いて私と同じ三俣山荘を宿泊先に変更したが、同じルートを彼が先行して歩く中、ワリモ岳の登りで私の視界から消え、私より45分も早く三俣山荘に到着していた。後で聞いたら、六甲山全山縦走往復(!)を夜に(!!)やるらしい。来月は北鎌尾根を登るらしいし、相当な強者であった。

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東沢乗越には地蔵さんが・・
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つまらない証拠写真だが、素朴な標柱

水晶小屋に戻る途中、高校生の大きな団体とスライドするときにUさんと遭遇した。水晶小屋に戻ると、Sさんがこれから水晶岳をピストンするところだった。彼は雲の平に行く予定で、私とはもう会わないことになるので、別れの握手をガッチリ交わした。学生最後の夏を登山で謳歌して、すばらしい。就職して忙しくなっても、続けていって欲しいと願う。

水晶小屋を12時15分に出発、遠くからはなだらかな歩きやすいトレイルのように見えるが、足下が不安定な岩が目立ち、疲れも溜まってきて歩きにくい道をワリモ分岐まで30分歩き、残るワリモ岳と鷲羽岳にとりかかる。しかし疲れたので登り始めで早速10分休憩。その間に遠くに見えていた六甲全山往復おじさんは前方の5人組を抜き去って視界から消えた。急な登りをクリアして、再び鞍部に降り、鷲羽岳頂上にアゴを突き出しながら到着したのが13時35分。疲れがドッと出るのと同時に、今日はもう登らなくていいんだ、という安堵が湧いてきた。もう三俣山荘は手の届きそうな場所に「見える」(実際は標高差400m、自己タイムで40分下降しなくてはならない)ので、長く休憩して、14時ジャストに下山を始めることにした。山頂に長く滞在できることは、天候コンディションがいいという証だ。

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マイナーな山頂。この上に立とうと思う人は稀かな?
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やはり、鷲羽岳は美しい
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マイナーなワリモ岳だって振り返れば立派だ

14時下山にかかる。ザレた急坂を慎重に降っていく。14時45分、三俣山荘着。烏帽子小屋からちょうど9時間かかった。10時間コースを9割の時間で歩けたのだから上出来だ。自分へのご褒美としてサイフォンコーヒーを注文した。

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鷲羽岳頂上から鷲羽池を見下ろす。ガスが上がってきている

三俣山荘は水が豊富だと聞いていたが、小屋内では今年の雪不足の影響で節水モード。トイレも洗面所もいくつか使用禁止にしてある。水は歩いて3分の幕営地まで汲みに行く。ついでに汗まみれの頭も洗った。2.5リットルのハイドレーション用の水と、スポーツ飲料粉末を入れる0.5リットルのナルゲンボトルを満たし、とりあえず笠ヶ岳への8〜9時間ルートに耐えられる準備はした。小屋の前で六甲全山往復おじさんのさりげない自慢話を聞いて、翌日の私の予定を告げたら、彼も笠ヶ岳に行く来になったらしい。六甲全山往復おじさんなら、おそらく昼には笠ヶ岳山荘に着けるだろう。そんなことを思っていたら、16時を回ってUさんが黒部源流ルートを経由して到着した。お互い頑張ったね、と激励する。

問題は26日の天候だ。出発前の予報では、26日いっぱいは持つが27日が曇りのち雨の予報だった。三俣山荘の衛星放送テレビに常時表示されているデータ放送の予報も大きく変わりはないが、25日のピークが長く続くはずはないだろう。迷走台風もあるし・・

夕食は鹿肉のスパイシーシチューがメインだった。山奥でこんな食事にありつけるとは。この夏、避難小屋で粗末な食事ばかりしてきたのでどんなものも贅沢に思えてしまう。ご飯のおかわりだとか、食後のお茶が美味しいことがありがたい。この日の夜は20時までUさんと話し込んだ。お互い単独同志だからなのか、かなりプライベートなことまでお互いにうち明けての話になった。

北ア・雨から退避(1日目)

久しぶりに北アルプスに踏み込むことにした。前回北アルプスに来たのは何年前だろう?おそらく、仕事山行で折立〜新穂高温泉を歩いて以来、9年ぶりということになろうか。

1日目  
2日目  3日目

以前のエントリでも書いたが、今年は悔いなく山を歩きたいと思い、飯豊と裏銀座+笠ヶ岳を歩こうと半分冗談めかして述べた。飯豊はウィッシュリストのNo.1だったので最もいい時期に歩いたが、それから3週間近く経って裏銀座にも行きたくなった。激込みになる「山の日」から始まる旧盆を避けて、20日過ぎの天候を睨んでいたが、台風が過ぎた25・26日あたりが良さそうだと思った。

計画は山中3泊。立派な山小屋が点在する北アルプスだから、テントは持たず軽い荷物で長距離歩くことにした。1日目は信濃大町からタクシーで高瀬ダムに入り、ブナ立尾根を登って烏帽子小屋か、時間に余裕があれば野口五郎小屋まで。2日目は烏帽子からなら三俣山荘、野口五郎からなら双六小屋、3日目は笠ヶ岳山荘、という計画にした。

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裏銀座地図(その1

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裏銀座地図(その2

ザックはいつものバルトロ75ではなく、スキーザックのターギー45。マット・シュラフを持たなくてもいいし、食料も行動食だけでいい。ずいぶん軽くなった。ただし、稜線歩きで水がふんだんに使えないはずなので、合計3リットルは担いでいく。最近、ファーストエイド用具を充実させて持っていくようにしているが、今回は飯豊に持っていったセットに加えて、以前使っていたショートストックを持っていくことにした。最近は歩きにストックを使わなくなっている私だが、イザというとき(ケガのとき)の添え木代わりとして使うつもりで持参した。幸いなことにずっとターギー45の中に収まっていてくれた。

さて、現実は表題通り、なんとなく予報より早く雨が降り出す予感がして、弓折分岐から笠ヶ岳への道と下山に使う予定だった笠新道は断念することにした。これが吉と出た。

8月24日 曇り後晴れ
前日夜に松川村の道の駅で車中泊し、早起きして信濃大町駅前のタクシー会社に着き、そこで車を預かってもらった。事前に交渉していたのだが、タクシーを使えば預かり料金は発生しない。素晴らしいサービスだ。当日朝の相乗り客はなく、私一人で高瀬ダムまで利用したのでタクシー代は8,200円。飯豊に比べれば多少安いもんだし、七倉でタクシーを乗り換えなくても済む。七倉では登山届を出さなくてはならないが、これも自宅で書いて持参したので無駄な時間を使わず、6時30分に高瀬ダムから歩き始めることができた。トンネルを潜り、不動沢にかかるつり橋を渡り、濁沢の幕営地を通過して6時55分にブナ立尾根に取りつく。「北アルプス三大急登の1つ」などと言われるが、さほどでもない、というコメントをウェブ上でよく見る。確かに大汗はかくがサクサク登れてしまう。登りながら理由を考えたが、それは登山道の整備が行き届いているから急登に感じない、ということだと思う。飯豊のワイルドな登山路を歩いた後でブナ立尾根を歩いた身としては強く感じる。急登なのに急登に感じさせない登山道の整備をされている方々に頭が下がるのである。

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高瀬ダムから
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不動沢のつり橋
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いよいよブナ立尾根へ

烏帽子小屋まで要所要所でカウントダウンの番号が置かれていて、頻繁に携帯で通過時間のメモを取っていったが、2箇所で5分程度の休憩を取りつつ烏帽子小屋に着いたのが10時30分。ダムからちょうど4時間、登山口からは3時間30分ほどで登ってしまった。しかも気圧が変動していて実際の標高よりも高度計の数字がだいぶ低く表示されたので、小屋の屋根が見えたときは拍子抜けだった。ブナ立尾根の途中で先行していた七倉山荘前泊組の方々をかなり抜いてしまった。休憩時にそのうちの数名の方と言葉を交わした。そのうち一人が女性単独のUさん、もう一人が若い男性で幕営山行のSさんだった。彼らとは縦走路で前後して歩き、楽しい会話を交わしながら途中で別れた。

烏帽子小屋にはちょっと早く着きすぎた。前日に予約を入れてあったし、この日の午後の天気予報は良くなかったので、野口五郎小屋まで進むことは心理的にはばかられ、宿泊受付をする前に烏帽子岳を往復することにした。最初はガスっていて何も見えなかったが、烏帽子岳の特徴的な岩峰を登って頂上に着き、ひとり大岩の上でマッタリしていたら視界が開けてきた。そこへ後続のUさんやSさんがやってきた。Uさんは岩登りが苦手らしいが、最終目的地は槍ヶ岳だという。槍の穂先に登る不安を隠さないところが率直でかわいらしい(年上らしいけど)。Sさんはいつもニコニコしている好青年で、私が座っていた大岩の上でかなり長い時間のんびりしていたようだ。

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烏帽子頂上の岩峰(標柱はあるが岩峰の上はちょっと厳しい)
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ニセ烏帽子から振り返る

小屋に戻りながら全貌をあらわした烏帽子の岩峰を撮影して、小屋に戻ったのが12時30分。小屋の中や外でのんびり午後を過ごした。天気は予報に反してむしろ良くなっていく。赤牛岳や薬師岳まで見通すことができるまでになった。烏帽子小屋の周りは花崗岩の砂が敷き詰められているが、毎日掃き清められて枯山水のような地面になっているし、小屋の前に花が咲いていてとても清潔感がある。古くて素朴な造りだが、とことん近代化された小屋とはまた違った趣でいい山小屋だと思った。キャンプサイトも奥行きがあってとてもいい感じだ。この日の夜は宿泊人員に余裕があってありがたかった。耳に入ってくる情報によると、宿泊客の中の多くの方が翌日の宿泊を水晶小屋にしているらしい。しかし16時を回ってツアー10余名が入ってきて、かれらも翌日は水晶小屋泊りだということを聞き及び、動揺が走る。私は水晶小屋に泊まるつもりはないので関係はないのだが、あらかじめ予約を入れていたUさんたちは気が気ではない様子。頑張って三俣山荘まで行った方がいいですよと言ったら、Uさんは弁当をもらって朝食前に小屋を出るという。小さな水晶小屋に団体ツアーが宿泊するとなると、個人で予約を入れている人にも影響が及ぶ。泣きを見るのは団体でなく個人だというのが、不条理である。

一方で、とても個性的なルート選択をされている方も見受けた。北アルプスで最もシブい七倉・船窪・不動・南沢を歩いてこられた方もいた。北アルプスって、ルートが豊富だから自分なりの一筆書きができるのが魅力なんだなと思う。他の山域だと縦走路は自ずと定まってしまうが、北アルプスなら温泉をつなぐ縦走だとか、工夫を凝らしたループ状のルートを考えれば、車で登山口に乗りつけてデポしておいても十分楽しめる。

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小屋の前の花畑
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薬師岳方面に若干雲が残る

飯豊連峰主稜線全山縦走(最終日)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ


8月3日

最終日。下山の前に朳差岳をピストンする可能性を残した。言い回しが微妙なのは、身体の疲労を感じていたのと、食欲が湧かないのがネックになっていたから。とりあえず頼母木小屋から大石山まで行って天候を観ながら判断だね、とIさんと話してから6時30分に小屋を後にした。同宿した千葉からの単独男性は一足先にサブザックで朳差岳を目指して行った。

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飯豊連峰地図(その3)
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朝焼け
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山頂直下に小屋が見える朳差岳(右)と鉾立峰(左)
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最後にお世話になった頼母木小屋

30分で大石山の分岐まで達してしまう。昨晩から今朝にかけては、「宿題の1つも残しておいた方がまた飯豊に来る理由ができる」などと言っていたけれど、いざ大石山から朳差岳へのトレイルを見ると、若干の体調不良でも行きたくなる。新潟ファミリーも本当は朳差岳まで行くつもりだったらしいが、お子さんたちが強く下山を主張してご両親も折れたそうだ。特にお父さんは本当は朳差まで行きたかったのに残念。千葉の単独男性が大石山から稜線を下っているのも見えた。
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大石山近くから振り返る
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イブキジャコウソウの群落

意を決して大型ザックをデポし、またウエストバッグを斜め掛けして朳差に向かう。Iさんの方が元気があって先行して歩いていく。一番いやらしかったのが朳差手前の鉾立峰(1572m)への登り。いったん1420mまで下ってからの急登に喘ぐ。7時45分到着。鉾立峰の頂上に立てれば、あとは標高差80mほど下ってゆるゆる登れば自動的に朳差小屋とそのすぐ先の頂上にたどり着く。8時10分に山頂に着いたら、ガスが晴れて少し明るくなった。山頂から伸びる登山道が2本、大石ダムに向かう権内尾根と、通行止めになっている大熊尾根が見えた。大熊尾根の方には大きめの池も見える。胎内市の市街地方面に開けた谷の出口も見え、うっすら日本海の海岸線も見えた。

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朳差岳山頂から朳差小屋

これには大満足。20分ほど山頂に滞在して、朳差小屋内部も閲覧させてもらい、小屋前のベンチで少し休んでから大石山に戻る。小屋に泊まっても水場までの道が滑りやすいらしいので泊まらなくて良かったかも。
大石山には9時20分に戻り、30分ほど大休止して足の松尾根の下山ルートに進入した。Iさん母娘は母が大石山で娘を待っていたので体力・気力ともに十分なようで、先に下山開始してもらった。

あと標高差1000mの下山だが、狭くて岩場もある尾根をこの疲れた身体で無事に降りられるだろうか?やや不安を抱きながらも下山にかかる。9時50分歩き出し。アップダウンが若干あり、狭い尾根なのでロープを張った箇所がいくつも続く。誤れば相当下まで滑落しそうだ。実は飯豊の主稜線よりも足の松尾根の方がよほど危険が待ち構えているように思った。蒸し暑い中、4〜5人の登山者とスライドする。よくぞこの尾根を登る気になると思う。と同時にもう一度この尾根を登って朳差岳まで行く気にはならないよなと思う。つくづく今日朳差岳に行っておいて良かった。
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足の松尾根(崩壊や落石もあり、2箇所ほど迂回路があったが迂回路も滑りやすい)
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狭い岩場

時間にすれば、下山開始9時50分、水場の分岐近くで10時35分、狭い岩場を抜けた標高800m姫子の峰で12時ちょうど、足の松登山口に12時53分、となり、標準コースタイムの3時間40分よりも40分早く降りたことにはなるが、気が遠くなるほど足の置き場を慎重に選ばなければならない辛い下山だった。

2016-08-03-12.50
緊張した尾根が終わってブナの巨木が迎えてくれた

登山口の広場の日陰ででひとしきり休憩し、まだ13時台なので乗り合いタクシーには頼らずに奥胎内ヒュッテまで林道と舗装路を歩く。すぐに水場があったので、ここで登山靴の汚れを落とし、頭から清水を被り、タオルを絞って持ち帰り用の水を水筒に詰める。さっぱりした。林道から舗装路に出てからは奥胎内ダム建設のための工事車両が頻繁に行き交う道路脇を1時間弱歩いて奥胎内ヒュッテにたどり着いた。午前中に下山した新潟ファミリーに出迎えてもらった。一足先に登山口から歩き始めたIさん母娘も無事に到着。これでこの山旅はコンプリート。歩いた総距離はスマホによれば13km(31日)+16.5km(1日)+18.7km(2日)+22km(3日)の合計約70kmにも及んだ(直線距離だと45kmほど)。朝日連峰の総距離が52km程度なので、それを上回る距離となった。やはり飯豊連峰は東北の横綱である。

奥胎内ヒュッテの大浴場で4日分の汗を流し、ソフトクリームを食べてコーラを飲んだが、体重は5kgも減っていた。ひもじかった学生時代の体重に近くなった。暑さと体力低下による疲れと食欲減退が原因だと思うが、体重が落ちすぎだ。無理は禁物である。
Iさん母娘とタクシーに相乗りして中条駅まで向かった。料金は9000円弱。弥平四郎に車を回収に行かなくてはならないIさんと新発田駅で別れ、新潟駅を経由して新幹線で上野に戻った。長岡の花火大会当日で新潟県内は浮かれていた。上野から通勤列車に乗るのはもう面倒くさく、ものすごく久しぶりに上野駅から自宅までタクシーを使った。東京でタクシーに乗ることはまずないが、ご褒美としてたまにはいいでしょう。

ついに飯豊連峰を全て自力で歩き通すことができ、嬉しい。一日だけ天気がすぐれなかったが、宿題は残してこなかったと思っている。しかしもうこんなハードな縦走はしばらく避けたい。飯豊ならば、今度は主稜線ではなく、新発田の湯の平小屋のような麓の避難小屋を使って温泉に入りに行きたいものだ。

飯豊連峰主稜線全山縦走(3日目)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ

8月2日

御西小屋での朝は誰かの騒音に起こされることもなく、ごく常識的に始まった。シリアルとスキムミルクとはちみつでホットシリアルが朝食のメインとなった。今日は飯豊北部の主稜線を北に向かって縦走していく。御西小屋に泊まっていた同宿者たちはそれぞれのルートに向かっていく。1階の男性2名は大日岳を往復するらしい。夫婦で来られている2組の方は飯豊本山方面へ引き返す。女性3名組は丸森尾根か梶川尾根を使って小国町へ下山するので門内小屋あたりまで行きたいそうだ。外でテントを張っていた新潟のファミリーも門内小屋でテント泊の予定だとこの日の縦走路で聞いた。私もIさん母娘もまずは梅花皮(かいらぎ)小屋を目指し、時間を見て門内小屋あたりまでは行きたいところだ。

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飯豊連峰地図(その2)

飯豊のコースタイムが書かれた登山地図のタイムも場所や自分が背負う荷物によって実際のコースタイムと大きく異なることがある。この日は地図上のコースタイムよりもかなり早く歩き進めることができた。ただし、飯豊の縦走路は巻き道という発想がなく、すべてのピークを通過しているので、甘く見てはいけない。

5時30分に御西小屋を出て、天狗の庭(6時)、御手洗の池(6時40分)と進んでいく。雪渓の最上部を通らざるを得ない個所は確か1ヵ所だったが、軽アイゼンを装着しなくても普通に歩ける。だが滑落される方もいるようなので慎重に歩を進める。御手洗の池のような池塘は稜線近くにも、登山道の下方にも多く見られるようになり、そこかしこにお花畑が広がっている。特にチングルマの群落が見事。
2016-08-02-06.27.15
雪渓上部を歩く
2016-08-02-06.43.39
御手洗の池
2016-08-02-07.47.47
群落

7時ころから軽いひと雨が降ってきた。雨具を着て、でもベンチレーションジッパーをほぼ全開にして歩く。烏帽子岳と梅花皮山頂ではジプロックに入れた携帯電話を外に出せないほどになった。しかし下って梅花皮小屋で休憩させてもらった9時前後には小降りになり、北股岳もよく見えるようになってきた。梅花皮小屋の管理人のおじさんは「泊まっていけ」とおっしゃるが、まだ午前中も浅い。今シーズンは石転び沢のルートが危険なので、直接梅花皮小屋へ登ってくる登山者が激減しているらしい。小屋は立派だし、トイレは水洗、小屋から30mで治二清水がドバドバと出ているのだから、稜線上にあって至れり尽くせりの小屋だ。山形県小国町が管轄する唯一の小屋が梅花皮小屋だ。「今度来たときは是非泊まらせて」と言い残して北股岳に登り始めた。

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北股岳
2016-08-02-09.03.05
ありがたくおいしい、治二清水
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石転び沢にあまり雪がない

北股岳頂上は北上縦走する登山者にとって最後の2000m峰。昨夜御西小屋でテントを張っていた新潟ファミリー(両親と中・高生の男兄弟4人)とはここまで休憩時に会話を交わしていたので、この山頂でファミリーの記念写真のシャッターを切らせて頂いた。息子2人と縦走をするというのも、わが家にとってはもう遠い過去の話になってしまった。遠い目になる。親子でこんなハードな縦走ができたらずっと記憶に刻まれるだろう。
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タカネナデシコ
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北股岳頂上には鳥居あり、鳥居に向かってくる参道は現在廃道に・・

門内岳までの下り基調の登山路脇は「ギルダ原」などと言われているようで、高山植物の宝庫らしいが、あまり天候も良くないし、それまでにお腹いっぱいになるくらい花を見てきたのでさほどの感動を生まない。門内小屋前で休憩させてもらったら、管理人さんがちょうど交替の日で、引き継ぎをやっていた。屋根が壊れて雨漏りするので天候回復を待ってヘリが資材を上げるらしい。なかなかいいおじさんたちだ。まだ11時前半なので、Iさんとさらに足を伸ばして頼母木(たもぎ)小屋まで行くことにした。Iさんのお母さんはもう70代らしいのだが、荷物を軽量化して1本ストックでスタスタ進んで行くのを見ると実年齢よりも相当若く見える。時には大荷物を担いだ娘さんが休憩を取れなくて困るくらい健脚だ。母娘が互いに協力しあって縦走を成し遂げるというのもいいなと思う。門内小屋でテントを張る予定だった新潟ファミリーもテント設営をやめて先に向かっている。

さて、頑張って午前中に相当長い距離を縦走してきたが、ついに12時直前から雨が本格的に降り出した。ちょうど梶川尾根との分岐点、「扇の地紙」というところから地神山、頼母木山、頼母木小屋までの時間にして1時間30分、大粒の雨がフードをたたき、登山道は小沢と化し、遠いけれども雷鳴もあって森林限界以上にある山頂部を通過するときは緊張した。前を行く新潟ファミリーは今まで追いついたり視界の中に入っていたのに、急にペースが上がって息子たちの姿が見えなくなった。すれ違った登山者の情報によると一人のお子さんが雨具なしで歩いていたという。それで小屋まで急いだようだ。後方のIさん母娘の姿もあまりよく見えなくなった。もう休憩を取っている余裕はなく、一度樹林帯を出る前にカミナリを気にして数分座り込んだが、ほぼ一気に頼母木小屋になだれ込んだ。13時15分到着。水がドバドバ流れる流し台の前で新潟ファミリーと無事を確認しあう。Iさん母娘も無事に小屋にたどり着いた。皆疲れ果てて小屋になだれ込む。先に小屋に入っていた一人の男性がとても気さくでいい方だった。丸森尾根をこの日に登ってきて、翌日は朳差岳をピストンして南下するという千葉からの男性だった。

ザックから靴から前身びっしょりで、小屋内で濡れ物を干すのが大変だった。もう3日目のウェアは自分の汗で臭く、何かの拍子で臭いが立ちのぼってくる。さらに豪雨で靴の中を濡らしてしまった。スパッツを装着する手間を惜しんでしまったのだ。毎日中敷は外して乾かしているが、それでも追いつかない。明日最終日は濡れ靴を履かなければならない。最終日なので臭い靴下は予備のものに替えるが、濡れ靴に新しい靴下というのが辛い上に、濡れ靴の中の足はふやけてマメもできやすくなる。山行中雨に遭っても靴の中を極力濡らさないというのは常に気にしてはいるが、心の余裕がないと難しい。
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頼母木小屋の流し台(まだ雨の影響で水が濁っている)
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出した後はペダルを漕ぐことで微生物に空気が送られるしくみ

この日の頼母木小屋宿泊者は上記の男性1名に門内小屋方面から北上してきた我々7名に加え、夕方になってたどり着いた関西弁の3名の高年男女の11名。余裕を持って泊まれた。夕方になって雨が止み、携帯をつなぐと翌日は曇りベースらしい。雨さえ降らなければ朳差岳のピストンはできそうだが、そろそろ体力が落ちてきて食欲もあまり湧かなくなってきた。夕飯はアルファ米とみそ汁ではなく、カップラーメンにした。

飯豊連峰主稜線全山縦走(2日目)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ

8月1日

切合小屋の朝は早かった。というのも、隣近所のことを省みず暗いうちからガチャガチャと音を立てて準備する人が多過ぎたからだ。近くには熊鈴を鳴らして平気な人もいた。登山者のマナーは守って欲しい。

山でご来光を見るのは何だか変な習慣だと私は思っていて、歩き始めてから縦走路でご来光を見るならわかるが、山頂や小屋前で見なければならない必然性は感じない。夏だったら日の出とともに起きて朝食を作り食べて出すものを出してパッキング完了とともに歩き始めればいいと思っている。歩き始めは当然明るくなってから。十分時間はある。

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朝日連峰を遠望
2016-08-01-05.30
大日岳方面
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雪渓も出てきた(前を行くIさん)

5時30分に小屋を出発。ツアー団体が先行していてその最後尾に追いついてしまったので、最後尾のガイドが「追い抜きますか?」と聞いてくれたが、とりあえず彼らが休むだろう草履塚山頂で抜かせてもらうことにした。ところがツアー客は山頂の登山道の真ん中にザックを置いて座り込むので困る。ガイドが道を空けて下さいと言っているが反応が鈍い。20人もの大所帯でこちらにも不満はあるが、押し殺して先行する。御秘所の手前で団体を抜くことができただけありがたい。

草履塚を下ってすぐに姥の前。姥権現の地蔵さんが祀られている。女人禁制だった時代に禁を破った女性が石に変えられたという場所だが、姥権現のお姿が印象的。そしてすぐに御秘所。飯豊本山に向かう登山路の中の難所の岩場だ。とはいえ、鎖もついているし、このくらいの岩場ならばあちらこちらにもある。いまのルートは御秘所を通過するルートの中でも一番易しいルートなんだろう。ただ、昔の草履履きでは相当苦労したはずだ。御秘所の通過ルートによっても御利益が違ったらしい。とりあえずこれで私も会津で一人前の男として見られることになったはずだ(もう元服年齢よりも相当上だが)。
2016-08-01-06.12
姥権現
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御秘所の岩場

あとは御前坂をエッチラオッチラ登れば2000mを越え、本山小屋下の幕営地を過ぎて本山小屋と飯豊山神社奥宮だ。7時20分に到着。味気ない建物で、本山小屋が混雑するときには社殿の中にも登山者を入れるらしい。一応、お参りはして、御朱印を切合小屋の領収書裏に捺してきた。本山小屋で赤い手ぬぐいを買う。団体ツアー客が登ってきたのでそそくさと先に進む。

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本山小屋下のテン場

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イイデリンドウが咲いていた
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飯豊本山山頂はガスで展望なし

ここから先は斜度が緩くなる。ガスってきてしまったが、飯豊本山(2105m)、駒形山(2038m)を越えて緩く下っていく。御西岳(2012m)のあたりになると人はめっきり減り、高山植物が豊富になる。御西小屋には9時20分に到着。20分ほど休んで、重いザックを小屋脇に置き、大きめのウエストバッグを肩から斜め掛けして大日岳を目指す。ガスが濃くなってきたので雨具は必携だと思われた。ここまで前後してきた長野のIさんの娘さんと2人で歩き始めたが、例の団体ツアーが意外に早く御西小屋に着き、先行している。文平の池が見えるあたりでまた抜かせてもらい、急登をあえぎながら登る。荷が軽いのでまだマシだ。コースタイムは2時間だが、重荷がないので1時間ちょっとで山頂に着いた。山頂には2人がいただけで、山頂の標柱と三角点が何故か若干低いところにあった。しばらく休憩していたら、団体ツアーが大騒ぎしながら登ってきた。まずガイドの声がうるさい上に、客の一人が標柱の裏で座っている私に、「写真を撮りたいからどいてくれ」と言う。ムカッときたが大人しく譲ってやった。彼の撮影する大日岳の頂上標柱の写真はさぞかし芸術的なんだろう。是非どこかの写真展にでも発表してもらいたいものだ。
Iさんと団体ツアー登山について少し離れた場所でさんざん文句を言ってこき下ろした。
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大日岳山頂もガスだとこんなもんですが、芸術的写真が撮れるのか?
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大日岳から戻る途中の文平の池2016-08-01-12.06
御西小屋に戻ってきた

12時過ぎに御西小屋に戻り、宿泊手続をする。切合小屋が2500円、御西小屋は2000円と額が異なるが、これは飯豊主稜線の小屋の管轄が福島・山形・新潟と異なり、市町村によっても異なるからだろう。今まで盲腸のように稜線上にのみ伸びた福島県を歩いてきたが、ついに県境を越えた。御西小屋は新潟県阿賀町の所管らしい。割り当てられた寝床の番号は8番だったが、普通にマットを敷くと7番までの人で8番はおろか9番くらいまで埋まってしまう。午後何人も客が来るとオイルサーディン状態になるのは必定なので、皆で祈るが、果たして我々の後に入ったのは男性2人で、1階を割り当てられた。4時を回った頃に私が勝手に判断して11番に移ったので、他の方々も多少は余裕ができたかも知れない。御西小屋の水場は若干遠く、かなり降りないとならなかった。トイレは飯豊の小屋の中でも最悪で、たった2箇所でポットン&ペーパーなしだった。築10年の新しい小屋なのにトイレに工夫がないのはおかしい。阿賀町に改善を望みたい。

この夜、ラジオで九重親方の訃報を知る。がんと闘っていることは以前から知っていたので覚悟はしていたが・・・千代の富士は現役時代も親方になってからも毀誉褒貶のあった人だが、私らが高校生の時に他の大関候補をごぼう抜きにして出世したのが印象的だった。高校のクラスでは女子も含めて相撲人気があった。北の湖に次いで千代の富士もか。隆の里はすでに亡くなり、北天佑も早くに亡くなってしまったし、あの時代の力士たちは短命だったなあ・・

飯豊連峰主稜線全山縦走(1日目)

福島・山形・新潟三県にまたがる飯豊連峰の主稜線をすべて自分の足で踏破してみたいという願望は何年も前からあった。2013年に南ア悪沢・赤石・聖の縦走をしたときに、次は飯豊全山縦走と公言していた。しかし諸事情があってなかなか有言実行にはならなかった。特に15年はひと夏ボランティア的な仕事のために全滅だった。

今年こそ!と思わせてくれたのが新潟胎内市がJRとタイアップして作成したポスター。最寄り駅の階段の途中にもう数ヶ月張ってある。残雪の飯豊連峰北部の山の連なりと巻き道のない登山道が私を誘ってくれた。数種類の写真が掲載されたポスターが作られたようだが、どのポスターの写真も素晴らしいのだ。

山中3泊あれば福島県側から新潟県胎内市に抜けられそうだ。宿泊できる避難小屋はほぼ管理人が入っているし、主稜線上には7つの避難小屋があって、よりどりみどりである。切合(きりあわせ)小屋、梅花皮(かいらぎ)小屋、できれば最後に朳差(えぶりさし)小屋に宿泊するつもりで計画を立て、週間天気予報をにらみながら7月30日に自宅を出ることにした。

現実は以下の通りの行程となった。
30日 自宅〜会津若松
31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ
   中条駅までタクシー、JRで自宅
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飯豊連峰地図(その1)

30日は新幹線と磐越西線の快速列車を使って会津若松に夕方入り、駅前のビジネスホテル泊。会津盆地は暑く、午後の天気も不安定なようだ。

7月31日
朝4時30分起きしてATPテニス・トロント大会の実況を第1セットだけ見て後ろ髪を引かれながら5時28分会津若松発新潟行きの列車に乗った。当然車内はガラガラ。6時12分に野沢駅に着き、予約しておいたタクシーで弥平四郎集落のさらに奥の祓川登山口に向かった。格安のオンデマンドバスが弥平四郎集落まで走るのだが、早朝で運行時間にはまだ早く、なるべく朝のうちから登って稜線上の小屋にたどり着きたいので、ここは金に糸目をつけずタクシーである。

2016-07-31-05.55
磐越西線の列車内で

北アや南アなどと違って、東北の山はアクセスが悪く、それが計画上のネックになっている。東北の山の大関クラスである朝日連峰もアプローチが不便。横綱クラスが飯豊だろうと思われるが、こちらも登山口まで、下山口からの交通が不便で、スルーハイカーはいろいろと工夫をされているようだ。車をどこかにデポするのも、自転車や原付バイクを下山口にデポするのも、単独で登ろうと思っている私にはとても面倒くさい。それに、タクシーを使うと1万円くらい消費してしまうのが勿体ない、という考えもあるが、私は登りたい山に行くのに1万円は決して高くないと思っている。

ということで約1時間タクシーの中で運転手さんに西会津町の奥まった集落のいわれや実情を教えてもらいながら、最奥の弥平四郎集落を抜けて狭い未舗装林道を走り、祓川登山口に到着。タクシー運賃は約9500円だった。オンデマンドバスで来たら歩かねばならない林道をカットできた。

2016-07-31-07.16
祓川登山口

7時20分、祓川登山口で登山届を投函して出発。稜線に出るには登山道が2本あるが、水場があり、最初の斜度が緩めの新長坂コースを歩き始めた。まず沢を渡るために標高差20〜30m下り、渡って少し登ると祓川山荘が左手にある。屋根にブルーシートがかけてあり、雨漏りがひどいのかも知れない。水はふんだんに使えるらしいので、初日にこの祓川山荘に泊まる登山者もいるようだが、単独でこの小屋に泊まる気は起きなかった。

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祓川山荘

登山道は斜登行する感じで松平峠まで上がっていく。十森というところで小さな沢があったが、この日は水がきれいとはいえなかったのでスルー。松平峠からは低木帯になって日差しがきつく、標高差300mを一気に登るので休み休み高度を稼いでいく。日曜日なので、下山する登山者とすれ違う。なるべく明るく話しかけて情報をもらう。
疣岩分岐でちょうど11時。ほぼコースタイム通りか。しかし暑過ぎてバテた!疣岩山山頂までのペースがゆっくりになり、山頂で休憩、さらにその先でも休憩を取ってしまった。三国小屋到着が12時40分。20分の大休止を取る。登り初めは本山小屋まで行って宿泊しようかと思ったが、どうやら1つ手前の切合小屋泊の方がよさそうだ。

疣岩山から前後して歩いていた母娘と会話を交わす。祓川から尾根に直登するコースで登ってきたとのことで、長野県松本市からいらしたというIさん母娘だ。私の郷里にかなり近いので話が合い、切合小屋まで前後して歩くことになった。彼女たちは1週間の休暇を利用して飯豊に来たそうだが、コース検討の結果、大日岳あたりまでのピストン山行を考えていたらしい。私の計画を話したら、奥胎内に下山して羽越線の中条駅までタクシーで出ることは全く想定していなかったようで、山形県の小国町に下山して米坂線を使おうにも便数がなくて結局スルーハイクは諦めて登ってきたとのこと。しかしその手があったかということで、以後下山して列車に乗るまでご一緒することになった。単独行の私としては、同じコースを歩き通す仲間ができたので心強い限りだ。

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疣岩山から見えた飯豊本山

三国小屋から川入に下る剣が峰は歩きにくそうだ。弥平四郎から登って正解だった。切合小屋に向かう道中にはハシゴが設置されていたりしたが、小屋到着は15時だった。大きな小屋なので、宿泊客も日曜日の割には多く、天気もいいのでグループごとに屋外でくつろいでいる。私とIさん母娘は1階の入口に一番近い場所をあてがわれた。暗くてヘッドランプなしには物の整理整頓ができない。16時頃からアルファ米とみそ汁の夕飯を作って食べ、早々に寝所に落ち着いた。この夜、たまたま20時過ぎに一度起きたので、期日前投票をしてきた東京都知事選の結果を知る。今後もあんまり東京都は変わりそうにない。
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ガスってきた中、切合小屋到着

切合小屋では食事提供もされるとは聞いていたが、かなり多くの人が小屋の食事を取っているように見受けた。しかしその大半は翌日も大日岳まで離合するツアー客だったようだ。飯豊といっても多くの人が登頂を目指すのは飯豊本山までか、足を伸ばして最高峰の大日岳までのようで、切合小屋に宿泊して翌日荷物を軽くして本山往復とか、大日まで往復して再び切合小屋泊というパターンが多いようだ。連峰の半ばまで行けば静かな山歩きができるということだが、その通りにやかましくも厚かましい20人のツアー客も大日岳で引き返していった。

朝日連峰縦走

今年の夏の仕事山行は、朝日連峰主稜線の縦走となった。
東北地方は海の日を過ぎても梅雨が続き、例年雨中山行になるのだが、今年は雨には降られず、私が関わった4日間のうち後半2日は見事に晴れた。初めて歩く山域だったので本当は山形入りした20日のような快晴であって欲しかったのだが、それは贅沢というものだろう。

計画は以下の通り。通常は山中2泊だそうだが、総勢15人の大所帯で亀脚の少年もいたので無理せず山中3泊となった。
20日 新幹線で山形入りして左沢からタクシーにて古寺鉱泉泊。
21日 古寺鉱泉から古寺山・小朝日岳を経て大朝日岳山頂、大朝日小屋泊。
22日 大朝日小屋から西朝日岳、竜門岳、寒江山を経て狐穴小屋泊。
23日 狐穴小屋から以東岳、オツボ峰を経て大鳥池キャンプ場にてテント泊。
24日 大鳥池から泡滝ダムへ下山、タクシーにて鶴岡駅へ。鳥海山に向かう少年たちから離脱、帰京。

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朝日連峰地図(その1 古寺鉱泉〜竜門山)
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朝日連峰地図(その2 寒江山〜大鳥池)

20日 左沢駅で少年たちと合流すべく、昼12時過ぎに上野を出る新幹線つばさの指定席を取ったのだが、各駅列車で先行する少年たちの列車が朝方の地震による若干の遅延や少年の荷物トラブル、乗り換えミスなどが重なり、合流の時間を合わせるため新幹線指定席の変更を2度も行う羽目になってしまった。指定席の変更は1回目は券売機でできるが、2回目はみどりの窓口で一度払い戻し手続きをした上で買い直さないといけないというルールをこのトラブルのおかげで初めて知った。最寄りの駅のみどりの窓口は数年前に廃止されてしまい、隣駅まで行かないと手続きができない。最寄り駅の駅員による私の切符紛失というしょーもないミスのお陰で、貴重な時間を無駄に費やす。なんとか13時台の新幹線に変更できて、あとはスムーズに左沢駅までたどり着いた。

タクシーからは朝日連峰の主稜線がスッキリ見え、期待が膨らむ。古寺鉱泉(標高680m)に到着したのはもう19時過ぎで、それから食事の準備をさせ、重いくせに貧弱な食事(今どき生米を飯盒で炊く)が始まった。古寺鉱泉は食事がいいとの評判があるそうだが、今回は素泊まり&どうせ翌日から汗まみれなので風呂にも入らず、避難小屋泊とたいして変わらない宿泊形態だった。しかし古寺鉱泉のご主人には少年教育も含めて大変世話になり、また個人で泊りに来たいと思う。

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古寺鉱泉(左手に登山路がのびる)

21日 朝からガス。例によって準備が遅れ出発も遅れた。稜線にたどり着くまでひたすら登りが続くが、山慣れていない年少の者のザックの形がいびつで、とても気になる。体力も根性も不十分で、ひたすら悲鳴を上げながら歩いているのだが、実はパッキングが杜撰で、嵩張る衣類などを圧縮せずにザックに入れているし、雨蓋に重い物をひたすら詰め込んでいるのでザックの重心が不安定で振られているという事実を本人は知らない。その都度年長の者が修正し指導し、ザックの中身を分け持って負担を軽減してやっているが、本人は余り感謝の態度を示せず、年長の者がしだいにイライラしてくる。また、歩く速度も年少者に合わせるので、頻繁に休憩を入れねばならず、コースタイムはおろか、その2倍近く時間がかかってしまう。古寺山(標高1500m)までの登りが特にいやらしかった。水場はそこまでに2箇所あったが、下部の一服清水は豊富に出ていた。上部の三沢清水はちょろちょろ。大朝日小屋に突き上げる最後の急登手前に銀玉水があり、こちらはさらに豊富に水が出ていた。大朝日小屋前には水場はないので、途中の銀玉水で補給するか、小屋を出て数分の金玉水を汲みに行かねばならない。

そんなこんなでガスガスの中、約9時間かかって大朝日小屋にたどり着いた。幸い、大朝日小屋の管理人の方が2階のまとまったスペースを割り当てて下さり、快適に過ごすことができた。この小屋は大勢の人が泊まるためだろうが、床にテープで一人分のスペースが仕切ってある。ステンレスのトレーを使えば小屋内でバーナーを使えるというのもありがたかった。トイレは小屋の中にあり、ポットン式で紙は別のボックスに入れる山ではごく常識的な方式だった。この日の宿泊者は我々も含めて40人弱だろうか。百名山ハンターは古寺鉱泉や朝日鉱泉から日帰りまたは大朝日小屋一泊で下山してしまうようで、ここから先は静かな山歩きになった。

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大朝日小屋にたどりつく

小屋で落ち着いてから大朝日岳山頂に空荷で行ってみた。ガスは晴れそうで晴れなかったし、山頂は遠くから見るようなピラミッドのてっぺんのような狭さはなくてまあまあ広かったが、眺望がないのではどこに行っても同じだ。17時近くに小屋に戻った。小屋で相撲中継を聞こうと思ったのだが、小屋の中に入ると電波の状態が思わしくなく、外ではつながる携帯も小屋内では圏外になってしまう。相撲を聞くのは諦め、携帯に蓄積しておいたポッドキャストを聞きながら寝た。ちなみに、標高が1800mしかないことを考えてシュラフは20年くらい前に買ったゼロポイントのインナーシュラフ(クローアップシーツ)だけを持っていった。小屋内は暖かく、特に支障はなかった。

22日 寝坊したわけではないのに、大朝日小屋の出発もおそらく最後の方になった。大人数で要領が悪いので時間がかかる。天候はガスによる霧雨状態だ。私はロングスパッツを装着してレインウェアの上着だけ着たが、小屋の外に出てきた少年たちは無防備で、他の登山客から刈り払いも十分じゃないからレインウェアは着た方がいいよとアドバイスされている始末。朝露で靴の中が濡れるとなかなか乾かなくて往生するということを未経験の少年も多いし、経験していてもすぐに忘れるタイプの者が多いので、全体的に想像力が足りない。まあそんなもんだよね、少年(特に男の子)は。
小屋の外でまたザックを開けてレインウェアを装着し、年少の者は自分自身でザックを背負えないし、靴ひももまともに結べないありさまなので、さらに出発が遅れる。しっかし、今まで長く見てきた少年の中でも、靴ひもがまともに結べない少年は初めてかも知れない。

少年たちは水を豊富に消費するので、歩き始めてすぐに金玉水で水を補給する。ザックなんて下ろさずに補給すれば無駄な時間のロスはないのだが、皆ザックを下ろして休憩モードである。中岳(標高1812m)・西朝日岳(1814m)あたりはピークで1800m台に乗るが、アップダウンは標高差にして100mほど。晴れていれば気分も乗ろうというものだが、景色が見えない上に、私は最後尾なのでストップが多くてそちらの方が辛い。朝日連峰は標高が2000mに満たないので、もっと樹林帯の多い山域かと思っていたが、前日の銀玉水から先はほとんど北アルプスや南アルプスの稜線を歩いているようだ。ハイマツ帯や花崗岩の岩、高山植物の豊富さなど、実際の標高に見合わないスケールがある。縦走路のアップダウンも南アルプスのようなすごさ(標高差300mダウン、400mアップなど)はないが、縦走路から見る谷の深さ、そこまでの斜度は想像以上で、見下ろす雪渓もあちらこちらにあり、東北の悠然とした山の雰囲気とはずいぶん違う。

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西朝日岳方面へ

西朝日岳を大きく下って登り返すと竜門山(1688m)で、竜門小屋の管理人の方が刈り払い作業をしていた。竜門小屋の前で休憩(もう12時近くになっていた)を取り、1600m近くまで下って寒江山(1695m)に登り返す。ここも鞍部から山頂まで標高差100m程度なのだが、登りになると年少者のペースがガクンと落ち、全体的にスローダウンしてなかなか捗らない。我々を抜かしていく登山者はほぼ皆無で、すれ違う人も単独者が2〜3人なので、幸いどこで休憩を取っても迷惑にはならない。それだけ山深く、百名山ハンターのピストン山行とは無縁の世界だということだ。

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ハクサンシャジン
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ウスユキソウ
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チングルマ

北寒江山(標高1658m)に登り詰めれば、この日の登りは終わり。三方境(1591m)で進路を左にとり、砂礫の道を下って狐穴小屋にたどり着く。歩きながら朝日連峰の主稜線縦走路から四方に延びる支脈の登山路も多いことに気付かされた。北寒江山からは相模山を経て新潟県村上市の三面にのびる稜線上のルートがあるし、三方境からは天狗角力取山なんていう名前の山を経て山形県西川町に下るルートがある。竜門山からは日暮沢ルートがあり、大朝日岳に突き上げるルートも四方八方からある。しかし以東岳からは大鳥池を経て泡滝ダムまでルートは決まってしまう。狐穴小屋から先はエスケープルートがないということだ。

狐穴小屋には先客が一人もいなかった。管理人の方は非常に気さくな方で、具志堅用高の髪をロン毛にして茶髪にしたような風貌だ。ソーラーパネルを解体中の以東小屋から分けてもらって無線機を充電していたり、翌日も以東小屋から廃材を分けてもらいに背負子・長靴・ヘルメットのいでたちで颯爽と稜線を駆け抜けていった。一月以上も奥深い山中で自炊しながら小屋の管理をするのは大変なことだ。

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狐穴小屋と周辺

狐穴小屋周辺は水が非常に豊富で、おのおの清水を使って身体を冷やし汗を流した。小屋のトイレも水洗でロールペーパーは流せる。小用をしても驚くほど水が流れるので驚くが、排泄物と汚染水はどのように処理されるのだろうか?気になる。夕方、泡滝ダムから登ってきたという単独者が2人小屋に入ったが、それでこの日の夜は終了。1階に少年たちが、2階に私と同僚、後から来た単独者の4人が寝た。この日は小屋内で相撲中継が聞けた。というか、管理人がラジオをかけっぱなしにしていたので聞こえる。13日目、稀勢の里が3敗目を喫し、管理人とともに悔しがる。ちなみに携帯は窓の外に持った手を出せばつながる。

23日 朝から快晴である。1500mの狐穴小屋から1771mの以東岳がドーンと見えるが、あの高さまで少年たちは苦労するだろうなと思うと少し気が重い。北にはイメージよりややピラミダルに見える月山と、その向こうに鳥海山である。目の前の稜線からは滝雲がガンガン流れている。歩き始めて振り返ると大朝日岳の△が遠くに見え、ずいぶん歩いたことを実感する。左手方向にはうっすらと市街地が見えるが、おそらく村上市だろう。かすかに海岸線も見える。
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以東岳
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滝雲の向こうに月山
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鳥海山
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縦走路を振り返る(奥の小さい△が大朝日岳)
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ミヤマリンドウ

やはり以東岳までいくつかのアップダウンがあり、年少者のへばりに合わせるので苦労する。ジリジリと熱くなってきた。狐穴小屋の管理人さんに抜かれ、あっという間にかれはケシ粒のようになってしまった。以東岳から歩いてくる登山者とすれ違うが、やはり数人。以東岳山頂には11時頃到着、約4時間を要した。以東小屋の解体工事はヘリで資材を運んでいるので、頻繁にヘリがやってくる。
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以東小屋解体工事
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大鳥池が見えた

ここからはオツボ峰を通る稜線迂回ルートで大鳥池に下る。「山と高原地図」では以東岳山頂からオツボ峰まで30分と書かれているが、アップダウンと岩場とザレた右下がり斜面のトラバースが多くて、とてもコースタイム通りには行かない。オツボ峰を越えると伸びやかな広い稜線になって歩きやすくなる。あとは尾根の下降。それでも一部は急下降な部類で、直登ルートを下ったらどうなるんだろうかと思う。14時過ぎに大鳥池のタキタロウ小屋着。キャンプ指定地がここにはあるので、今までザックの容積を狭めていたテントが初めて活躍する。おそらく個人山行だったら1回しか使わないテントは持たず、最後まで小屋泊だろう。テン場は一面草地で、風も弱く張りやすくてよいのだが、時間帯が暑い時間帯なので日陰を探すと難しい。

今回持ってきたテントはおニューのテント、カミナドーム2である。今までのメインテント、エアライズ2は20年近く使ったし、2年前の神津島で潮を被ってから勝手がよくなくなっていた。いろいろ悩んだ結果、今まで使ってきたメーカー(アライテント、ダンロップ、BD、ヘリテイジ、MSR、ニーモなど)のものでなく、敢えて新参テントを購入することにした。持っていくときに他メーカーのテントと間違えないことも重要である。これから長く使っていくつもりで、その中で長所と短所を見極めていきたい。今回、入口が短辺側から長辺側になったことが最大の違いで、外気を入れやすいがその分虫も入りやすい。エアライズ2とサイズには大きな変化はない。ただしカミナドームの方がテント頂点の傾斜が緩くなっていてテント内部では空間が広く感じるということと、室内にループが多くあって半濡れ物をカラビナを使ってぶら下げるのに都合がいいということ、テントを固定するガイラインの自在が蓄光プラスチックであるということが今までに気付いた変化だろうか。
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大鳥池に映る以東岳の一部

24日 下山である。今までのコースタイムオーバーを折り込んで6時出発としていたが、案の定準備に時間がかかり6時40分出発となった。おかげで9時30分に予約していたタクシーに10時過ぎまで待ってもらうことになってしまった。
下山路は初めつづら折れの下降で、いたるところに水場があって冷たい水を飲むことができる。沢のレベルまで降りると斜度が緩み歩きやすくなるが、ところどころで豪雨による崩壊地があって安楽ではない。つり橋が2箇所あるが、やや貧弱であった。少年たちが最後までケガなく降りきれるか心配は尽きなかった。不安要素が最も大きい年少者は転んで大泣きしていたが、もう年長の少年たちは鬼軍曹となって励まし続け、最後まで自分のザックを背負わせた。エライ。

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水浴びしたくなる滝

無事下山し、またまたタクシーを使うしか公共交通機関で訪れた者にとっては手段がない。朝日連峰はこんなに素晴らしい山なのに、バス便が減らされ、廃止に追い込まれている。タクシーを使えば左沢駅からも鶴岡駅からも軽く1万円を超えてしまう。近年は学生のパーティ登山もめっきり減り、中高年の少人数登山や単独者が中心なので、学生に比べれば余裕があるとはいえ、個人でタクシー代を負担するのは非常にきつい。山ブームとはいえ、人が多く集まるのはごく一部の山だけだ。東北の朝日連峰や飯豊連峰など、一部に百名山を含むがそれ以外は本当の山好きしか行かないような山域は今後もますますアクセスしにくくなっていくだろう。スルーハイクを試みる場合には登山口まで、また下山口からの交通手段が最大のネックになる。考え込んでしまう。

しかし、行きたいという欲求はなかなか抑えきれない。この夏、近いうちに(8月初め)飯豊連峰の主稜線縦走を山中避難小屋3泊で考えいている。今度は一緒に行ってくれる友達もいないので、単独になる。会津若松・喜多方あたりから弥平四郎登山口へのアクセスは野沢駅からのタクシーを利用することにしようと思っている。おそらく1万円前後するはずだ。下山は奥胎内を考えているが、午後の乗り合いタクシーを利用して下山口から奥胎内ヒュッテに行くとしても、奥胎内ヒュッテから中条駅までのバス便はない。またタクシーで大枚はたいて移動しなくてはならない。財布は寒くなるが、行きたいものは行きたいのである。

楽園へ・・(大島をウロウロ)

23日はツーリング最終日。もう漕がないが、帰りの準備&島内観光で締める。
午前中にレンタカーで湯湾岳展望台まで行き、滝めぐりをしながら大島の西海岸を北上して大浜海水浴場で軽く昼食、一足先に帰るbaron-papaさんのカヤックを郵便局で送り、名瀬でバスに乗るbaron-papaさんと別れる。


焼内湾全景。次第に雲が多くなってきた・・

マテリヤの滝

その後残った3人は再び大島西岸を南下、湯湾岳に近い宇検村の焼内湾の南岸を湾口まで下見のため行ってみる。大島南部の焼内湾や大島北部の笠利湾は、風が強かったり外海が荒れている時の代替プランを立てるのに有用な場所だからだ。


屋鈍海水浴場

いちばん西端の屋鈍(やどん。ポケモンにいたな)という集落まで行ってみる。養殖生け簀の多い焼内湾だが、ここまで来るとエメラルドブルーの美しい海となる。海水浴場と駐車場、トイレ・シャワーがあって完璧。湾の反対側にはハブ発祥の地とされる枝手久島が見え、島を一周してくるだけでも十分に楽しめそうだ。少し湾の奥に入ったタエン浜もよさげ。近くの郵便局でカヤックを発送すべく、再度カヤック収納バッグのパッキングをするが、ゆうパックの最大重量を越えていていてあえなく断念。名瀬に戻り、営業所からあらためてヤマト便で発送することにする。

この日の夜は名瀬市内の居酒屋で夕食。久しぶりのホテル宿泊で、疲れがどっと出た。

24日もYoshidaさんと大島北部めぐり。午前中にカサハラ氏と空港で別れ、あやまる岬、最北の笠利崎、笠利湾に沿ってカヤック出艇適地を探す下見の旅になった。最後に奄美パークで田中一村の絵画を見て終了。名残惜しいが奄美を後にする。


あやまる岬。北部東岸は平坦でリーフが多い。南部の瀬戸内町は山が迫りリーフは少ない。

笠利崎近くでパラグライダー愛好者のフライトを見る。

笠利湾も非常にきれい。

帰りのフライトは大阪伊丹経由。伊丹から羽田の飛行機の到着が若干遅れ、羽田着は夜10時。
折しも台風が複数発生し、北上してきていた。

奄美の旅、終了

楽園へ・・(加計呂麻島を越える)

8月22日はヤドリ浜へ戻る。請島水道を東に向かい、諸鈍湾を突っ切り、諸鈍の集落でいったん上陸して、カヤックをバラさずにカートで引っ張り、加計呂麻島の北側の生間(いけんま)まで1kmちょっとの山越えだ。その後大島水道を北東に横断する。約23kmほど。


準備中。だいぶ荷物がこなれてきて、カヤックに入れやすくなってきた。

流されなければいいが・・

出てみると以外と流れを感じない。だがその後若干パドル重くなる。

珍しく貫通岩を発見するが、水路狭くて通過は無理(諸鈍湾口)。

久しぶりに真水を被る。

請島水道で若干の流れを感じ、大島海峡でも流れを考慮して進路を北にとった。とはいえ、核心部はカヤックを引っ張っての島越えだった。一日で最も暑い昼時にこの重労働をし、スポンソンの空気はあらかじめ3分の1ほど抜いておいたのだが、あえなく左スポンソンが生間の港で破裂していた。空気を入れてもすぐに抜けるので、大島海峡を漕ぎながら何度か空気をつぎ足してごまかした。でも、ほとんどパドリングには影響がなかった。さすがは安定したカフナである。


諸鈍に上陸

諸鈍〜池間をカヤック&荷物運びで2往復した。折角なのでデイゴ並木が見事な諸鈍を散策。

パックカートは2組。二人づつカヤックを運び、残り二人は荷物を運ぶ。

諸鈍に上陸したらほどなく駐在さんが原チャリに乗ってきた。理由はこれか?我々は見事に条件にハマっている。

不審な人、不審な船、行動もおかしい。ただ、ここでシーカヤックマラソンが行われ、認知されていることが唯一の救い。

背後の屋根は定期船待合所。裏の日陰で昼食を摂った。出艇準備中だが、スポンソンが破裂していた・・

これでツーリングは一応終了。しかし、スポンソンがすぐに補修できない状態になってしまったので、オプションツーリングは困難になった。Yoshidaさん、ごめんなさい。

この日は撤収の後、ヤドリ浜に置いてあったレンタカーで元ちとせの生まれ故郷、嘉徳(大島東海岸)へ行き、海岸でキャンプ。西側が山に遮られているので満天の星という訳には行かなかったが、東側の星がよく見えた。一番盛り上がったのは「便所サンダル」についての話題だった。

うら寂しい嘉徳の浜。砂の色が違う。

楽園へ・・(大島をウロウロ)

楽園へ・・(ハンミャ島へ)

8月21日は請島と与路島の間、ハンミャ島まで。距離は12kmほどだが、キャーマ島の北側でシュノーケリングを楽しみ、移動途中で請島の集落である請阿室に立ち寄った。請阿室は非常に素朴な集落。店の看板もないので冷たいものを売っている商店がどこにあるかわからず、地元のおばちゃんたちが集まっているところで店の場所を聞く。港のすぐそばに1軒、民宿も兼ねた店が1軒あった。

その後港の待合所の日陰を利用して休憩と昼食。1晩目の夕食に使うはずだったレトルトご飯が余りそうだったのでここで食べる。港の横の上陸地は砂浜になっており、水のシャワーがスロープのところにあったので体の冷却のために浴びさせてもらう。


漕ぐ前の儀式

今日もいい天気


サンゴ礁にて


請阿室の海岸

古仁屋から定期船(せとなみ)も来る

サンゴの石垣

奄美はどこに行っても土俵がある

待合所の日陰で休憩


請阿室から請島水道を西に向かう。与路島水道から徳之島が見える。与路島水道に入ったとたん、カヤックのバウが左に向き始める。潮流が速い時で4ノット近くあり、流されるのだ。この日は小潮だったので慌てふためく必要はないが、ひたすら左スイープを繰り返して進路を北西にとるようにしないとハンミャ島から南に流されてしまう。なんとか流れをクリアし、ハンミャ島到着。先客がいたので全くの無人島ではなかったが、サンゴの白い砂の上で快適なキャンプ生活となる。夜、涼しくなって再び満天の星を眺めながら語り合った。


流されつつもなんとかハンミャ島に上陸

到着後の儀式

白いサンゴ砂の島でした

楽園へ・・(加計呂麻島を越える)

楽園へ・・(キャーマ島へ)

8月20日、前日夕方に組んでおいたカヤックに荷物をパッキングし、いよいよ出艇。
前の晩に歓待してくれた方々に見送られて、大島海峡を東南方面に向かう。漕ぎ始めてすぐ、海上にウミヘビ発見。出艇時にも遠くでウミガメが泳いでいた。猛毒と聞く海ヘビは怖いが(実際はおとなしいらしい)、南国ムード全開である。


大島海峡の東の出口を臨む


準備整いました


加計呂麻島東の断崖を漕ぐyoshidaさん


今回初めてご一緒したbaron-papaさん

神ノ鼻を左手に見ながら、加計呂麻島の東部の断崖地帯を漕いで行く。奄美大島でも加計呂麻島でもそうだが、地盤が弱いのか、土砂崩れ・がけ崩れの爪痕があちこちに見られる。あまり断崖に近寄る気もしないし、洞窟も多くはないので、ドンドン漕いで行く。島の東海岸は普段荒れぎみだそうだが、この日はかなりおとなしい海況。若干のうねりと向かい風があるが、向かい風は適度に体を冷却してくれるのでありがたい。


絶妙なバランスによって穴ができている

前夜の影響で体調がすぐれないカサハラ氏の休憩を挟みながら、リーフに囲まれた中間点の徳浜に上陸。ここで長く休憩する。ケンムン茶屋(ケンムンは妖怪のこと)でかき氷など注文して食べていたら、福岡からきたという子供たちが引率されて来て、シュノーケリングを楽しみはじめた。カヤックに興味のある子がいくつか質問してきてくれて(特にビルジポンプが気になるらしい)、中年のおじさんとしてはとても嬉しい。


加計呂麻島の東端にある徳浜海水浴場





子供たちに負けじと我々も泳ぎ潜ってみるが、サンゴはかなりダメージを受けていて生きたサンゴが見当たらず、魚もそう豊富ではない(かわりに黒いナマコばかり)ので、ちょっとガッカリ。

長い休憩の後に、崎根鼻から請島水道を横断して木山(キャーマ)島へ。無人島のキャーマ島の西海岸でキャンプとする。南の島はガシガシ漕ぐよりも、途中でのんびり休憩やシュノーケリングを挟みながら漕ぎ、キャンプ地でマッタリするほうが楽しい。漕行距離は約16km。


請島をめざす


だいぶ近づいてきた


キャーマ島にて

夜が更けると満天の星で、星を眺めながら会話を交わす。

楽園へ・・(ハンミャ島へ)

楽園へ・・(アプローチ)

8月19日、猛暑の東京から脱出する。とはいえ、カヤックの収納バッグを引きずり、パドルを抱え、ダッフルバッグを背負って行くので早朝にも関わらず夜逃げ同然の怪しい格好。さすがに混雑時の電車は社会的に迷惑なので、羽田まで女房に車で送ってもらうことにした。

早めに9時ころ出発カウンター前に行くと、すでにYoshidaさんが同じような格好で待ちかまえていた。その後、初めてお目にかかる
baron-papaさんが到着、最後にカサハラ氏が現れた。

すでにカヤックを奄美に送ってしまった
baron-papaさん以外の3人は乗る飛行機に荷物として預けるべく手続きを始めるが、カヤックバッグの重量が当然20Kgをオーバーしており、超過料金を支払う。ここまでは予想通り。私の超過料金は甘めに見てもらって11Kg、3,300円(1Kgあたり300円)であった。この金額はあらかじめ宅配便で送ってしまったほうが安い。うまくいけば(最近は重量制限が各社厳しいようではあるが)1,000円近く安くなる。ちなみに帰りは名瀬からヤマト便で送り返したが、飛行機に乗せた金額より若干安かった。



預けた3名はサイフに響く超過料金に、「こんなハズではなかった」「以前はもっと安かったのに」「ショック」と意気消沈するが、そこはリジッドカヤックを送る金額に比べればはるかに安いわけで、互いに慰めあって搭乗する。

急に暗雲が垂れ込めてきた羽田を後にし、昼過ぎには奄美空港に到着。日差しが非常に厳しい。ドピーカンの6日間の始まりであった。


暑い・・


昼食は奄美名物・鶏飯(けいはん)を食す

レンタカー(トヨタプロボックス)に3艇のカヤック収納バッグを積み込み、それぞれのキャンプグッズを満載して、奄美大島南端の瀬戸内町古仁屋へ。途中、国道沿いのホームセンター兼スーパーで買い出しをする。各自用意するのは3日分9食プラス4日目の朝食の10食分。大ざっぱに夜はレトルトご飯にレトルト丼の具、朝はパン、昼は東京から持ってきた煮込むだけのパスタということにして、そこに果物や野菜や魚肉ソーセージなどを付け加えることにした。それと、パドリング中の飲み物が不可欠なので、水出しできる紅茶パックとスポーツ飲料の粉末を購入。ともにスクイーズボトルがあれば飲みやすい。

古仁屋郵便局でカヤック収納バッグがさらに1つ増え、さらに冷たいものを買い足して、古仁屋の東方のヤドリ浜へ。海水浴場の裏手の無料キャンプ場だが、その夜はカサハラ氏の知り合いのカヤックガイドからの差し入れ、キャンプ場脇の知り合いのお店に招かれての宴会(故人を偲ぶ宴であった)で、のっけからディープな世界にはまりこんだ。


夕暮れの大島海峡

楽園へ・・(キャーマ島へ)

楽園へ・・(準備編)

明日から1週間弱、東シナ海の楽園、奄美群島へ行ってくる。セタスツアーである。

おかげさまで恐れていた台風も今のところ発生しておらず、天気も上々、潮回りも小潮が3日ほど続き、風の予報も弱め。これがホントなら絶好のコンディションになる。

今回は宅配便でカヤックを送るのではなく、自分とともに飛行機に乗っていく。20kg以上の荷物は1kgあたり300円取られるらしいのだが、いったいいくら超過料金を払うことになるのか、戦々恐々としている。

ベース(相棒のカヤック)はより軽いカフナにしたが、トラベルパックに詰め込んだのは、普段常に入れているビルジポンプ・パドルフロート・コーモラントパドルに加え、スプレースカート、PFD、デッキバッグ(その中にシュノーケルグッズとレスキューグッズ少々)、一人用テント・ポール、クレージークリークの座イス、コッヘル・ガスヘッドなどである。すでにそれだけで収納パックはパンパン。予想重量は30kg弱。

あとはシアトルスポーツのロールダッフルS(36L)と剣道竹刀袋に入れたクラトワを持っていく。ダッフルの中には、スポーツマンブランケット(テントマットの他、カヤック組み立て・解体時のシートにもなる)、お着替えポンチョ(上陸時の服にもなり、テントの中では丸めて枕になる)、ヘッドランプ(相変わらず大ぶりな古いLEDランプのBDベクトラIQ)とコンパクトな懐中電灯、着替(濡れない時の服を1.5セット。下着に秘密兵器あり)、ファーストエイドキットや洗面具、携帯充電器やラジオなど電気関係の小物、自転車用保冷水筒(500cc)、地図、嗜好品、若干の食糧(奄美では手に入れにくいエスプレッソパスタ6食分とパワーバー、パワージェル2つづつ)くらいか。

山とは違って海辺の砂浜キャンプになるだろうから、マットやシュラフは不要。代替品で何とかする。本も持っていかない。奄美に行くからと先日、島尾敏雄(特攻隊員として加計呂麻島に赴任、加計呂麻出身のミホを妻とした)の「死の棘」を文庫で買って少し読み始めたら、あまりに凄まじい内容で、南の島にカヤック旅しながら読むにはふさわしくないと思った。この小説は行くまでに読み切る予定。

何日もかけてジワジワゆっくりと準備したが、忘れ物はないか不安。さらに向こうに行ってからアクシデントや参加者の足を引っ張るようなことをしでかさないか不安。天候の急変も不安。不安だらけ。ま、明日羽田に行って飛行機に乗っちゃえば全ては動き出す。なるようにしかならない。

今回、新たに買ったものは先日のカフナの快適性アップのための100円グッズくらいしか無いのだが、せっぱ詰まってからスノーケルを買ってしまった。もうこれ以上ものは持っていかない!と決意した直後である。すぐに翻意する情けなさだが、これで水遊びが楽しくなりそうだ。

ついでに、ブログ記事の訂正。先日の若狭内浦湾のエントリーで、高浜原発は停止中と書いたが、実際は4基の原子炉のうち2基は稼働している。

楽園へ・・(アプローチ編)

山陰・若狭の旅(4・若狭内浦湾と彦根城)

朝、tsさんに指示された集合場所のヒロセオートキャンプ場の駐車場に到着。すでにtsさんは到着され、ウィスパーも組み立てが終わっている。ここは福井県の高浜町、内浦湾の最奥の入り江だ。京都府内の東舞鶴からはすぐなのだが、小さな塩汲峠を越えると若狭である。

今日はカサラノを組んで出艇する。2日間の山陰ツーリングで疲労が蓄積しており、特に手のひらにはパドルダコ、肉刺ができ、むくんでいる。tsさんは若狭から京都の海を堪能できるようなコースを設定してくれたのだが、疲労した私の身が持ちそうもないので、お願いしてライトツーリングに変更していただいた。



カサラノも順調に組み上がって8時前に出艇。湾口に向かって右手の岸沿いに進んでいくと、南方向からの吹き下ろし風に押されて進む。ダンノ鼻をかすめると右手奥に高浜原発がそびえている。原発関連施設が立ち並んでいるが、そのすぐ左手には音海という普通の漁村があり、この集落も出艇地も、原子炉から2kmも離れていない。若狭湾というのは入り組んだ美しい海岸線に14基もの原発がひしめいているらしい。いま現在は停止状態
(←これはまちがいです。8月半ば現在、高浜原発は4基中2基稼働しています)にあるが、こういう特殊な場所を漕ぐのは初めての経験だ。


高浜原発

湾口はこんなふうなのだが・・

その後は岸ベタで押回鼻から音海断崖へ。tsさんが「プチ隠岐」と呼んでいる断崖を右手に今戸鼻まで出て若狭湾の全貌を眺めてUターン。今度は内浦湾口を突っ切って正面崎に向かい、わずかに京都府に入って馬立島を反時計回りに周回し、再び正面崎近くまで戻って、最後は内浦湾の定置網を避けながら広瀬鼻を経由して戻ってきた。総距離は20km弱。
tsさんによるレポートは
こちらで。





途中、ゴロタの浜に上陸して少し早い昼食・休憩タイムとした。湾口からの出入りは、途中で風向きが変わって風に押され、楽ができた。しかしとにかく酷暑。最後にロールを数回やって、ちょっとひんやりしたが一瞬だけだ。舞鶴の予報では最高気温35度か36度というから、午後は早めに撤収したほうが身のためだろう。12時過ぎに出艇地に戻って装備を乾かしながら撤収。しばらくマッタリして、14時ころにtsさんと別れる。





この山陰・若狭の旅ではオオタガキ氏、tsさんに大変お世話になった。初見の海岸を無事漕げたのもお二人のおかげだ。いいツーリングをさせていただき、感謝。

再びクルマの一人旅になる。若狭の海岸沿いを走り、海水浴場の駐車場が満杯なのを横目に進む。小浜線に沿って走り、若狭街道で琵琶湖の西岸今津へ。琵琶湖を時計回りに回って8号線で彦根へ。今夜の宿は彦根駅前のホテル。日曜日は渋滞必至だし、京都府内に下宿している長男と合流して東京へ帰るのだ。

夜、食事がてら駅前の本屋を覗き、地方出版の本とひこにゃんグッズを買い求めたら、彦根城に行きたくなってきた。明日チェックアウト前に彦根城散歩だ。

ということで翌日は朝8時30分の開場を待って彦根城を見学。ほぼ一番乗りだったのでスムーズに回れた。国宝の城郭は姫路城、松本城、犬山城とこの彦根城4つである。圧倒的なスケールと存在感は姫路城にはかなわず、天守の大きさも姫路・松本城には劣る。私は特に郷里の松本城に対する思い入れはあるので、彦根と犬山はあまり関心がなかったが、実際に行って見るとさすがに徳川譜代筆頭の井伊家のシンボルである。小振りだが美しい。完全な平城ではなくて琵琶湖沿岸にある小山を利用しているので、櫓などと一体の建造物と捉えれば、平城の松本城よりも存在感は上回るかもしれない。


玉砂利にひこにゃん


石垣




城下の庭園(玄宮園)から眺めた天守はなかなかよい。

さて、見学が終わって汗だくでホテルに戻り、長男を拾って帰路につく。往路に使った東名はストレスが溜るので、迷わず中央道を選択し快走する。実は東京までの距離はさほど変わらない。駒ヶ岳のSAには立ち寄ったが、標高が低くなるにつれ休憩する気が失せ、結局16時に、先週とはかわって暑くなった東京下町に無事到着。

今年は「悔いなき夏」がテーマなのだが、十分な旅が楽しめた。

山陰・若狭の旅(3・浜坂〜大谷)

自然と早起きして出艇準備に取り掛かる。7時ちょっと前に出発。本日漕ぐのは、浜坂から岩美町の大谷まで。前日とほぼ同じくらいの20kmだが、またロックガーデンや洞窟でウロチョロしながら漕ぐと距離は少し長くなる。


朝の海はいいもんです

出発

山陰本線の駅でいうと、浜坂→諸寄→居組→東浜までは駅が海岸沿いにあるが、その先の岩美、大岩駅はだいぶ内陸だ。車は浜坂に置いていくので私はテントなど不要な装備は車において行くことにしたが、車の回収が面倒だ。

オオタガキ氏は過去に漕いだことのあるエリアとなり、次第に郷里に近づいているので土地勘もある場所で、私は付いていく感じ。コースは先日のような人気をあまり感じない海岸線ではなく、岩礁帯の岬と海水浴場がある浜が交互にあって人気も多くなる。まして週末の土曜日である。




虹が・・

まず東の洞門と西の洞門をカヤックでくぐる。迷路のようなロックガーデンを彷徨い、居組の港近くの島でいったん上陸して腰を伸ばし、泳ぐ。


大人の夏休み

東浜の海岸は条件によってはサーフエリアになるそうだが、今日は風も弱く波も立たず、とろんとしている。浦富海岸のロックガーデンがツーリングのラストを飾るハイライト。崖上の道路からデイキャンプグッズなどを持ち込んで思い思いに磯の観察に来ている人々がいる中をそろそろ漕いで、暑さに負けて船隠しのような洞門奥にカヤックを入れて再びシュノーケリング。結構多様な生物がウロチョロしているようで、海中を見ていて飽きない。


だいぶ岩の色合いが異なる。山陰ジオパークは飽きない。舟隠しの洞門の奥で。

浦富海岸の複雑なロックガーデン

すると、ポリ艇の集団が岩場にきていた。近くの網代港から出てきたカヤック体験のツアーらしい。挨拶だけ済ませて先に進む。網代の漁港の防波堤を内側から抜けるが、今まで漕いできた場所の水質がグッと落ちてしまったので閉口する。そのまま港に隣接した海水浴場に上陸。12時過ぎである。無事ツーリング終了。


郷里に向かって漕ぐ男は絵になる(砂丘が見える)

カフナや装備を干しながら、私は車の回収に向かう。海水浴場の駐車場管理の人たちに駅への行き方を聞くが、「歩いたら相当遠い」という漠然とした返答のみ。バス停でバスに乗れば岩美駅まで行かれるが、週末ダイヤで真っ昼間のバスはかなり待たないと乗れないだろう。頭に残っている地図の残像(ツーリング中に地図はオシャカになりました)を頼りに炎熱道路をひたすら歩く。2.8kmくらい離れた無人駅の大岩駅に到着するころには、暑さで死ぬかと思った。だが途中、田んぼの中に鷺の群れを見つけたのでよかったことにしよう。不思議なことに、漕いできた山陰海岸では海鳥が圧倒的に少なかった。洞窟でイワツバメ、時々トンビを見るくらいだった。

待ち時間15分で汽車に乗れ、浜坂駅まで戻る。駅からキャンプ場までまた炎熱地獄を歩くのは敬遠したかったのでタクシーを捕まえる。無事車を回収し、今日漕いだ海岸を眺めながら大谷に戻る。ありがたいことにオオタガキ氏が私のカフナも解体しておいて下さり、収納バッグに収めるだけで撤収完了。ご実家に向かうオオタガキ氏を岩美駅まで送り、別れる。

もう灼熱下でのパドリングで体にダメージが蓄積されているが、漠然ともう少し漕いで帰ろうかなと思い始めていた。明石のtelemarkstyle(ts)さんに連絡を入れ、無理を言って日曜日にご一緒していただくことにした。瀬戸内海方面は風が強いということで、京都あたりの日本海に移動することになる。こういう時クルマは気楽だ。

浜坂まで戻る間(東浜居組道路というトンネルが無料で通行できた)に夕立があり、国道9号線に乗ってからも湯村温泉で夕立に出くわした。ハチ北のスキー場近くを通り、福知山の手前から舞鶴に向かった。非常に快適な道路で、こういう道を法定速度で走っていると旅をしている感じがする。

午後に予約を入れた東舞鶴のビジネスホテルに投宿。

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山陰・若狭の旅(2・香住〜浜坂)

キャメル号に乗ってきたオオタガキ氏と6時30分に落ち合い、私の車で浜坂へ。山陰本線では鳥取から7駅分京都よりの兵庫県になる。

浜坂に置いた車は後ほど回収するつもりなので、なるべく駅に近いところに停める。さるおばちゃんの許可を頂いて事無きを得る。おかげで、浜坂からさらに4駅分京都よりの香住まで、8時台の列車に乗ることができた。これを逃すと10時台までないのだ。


気動車です。


香住の海岸のボードウォークでカフナを組み立てる。すぐ近くには業務用スーパーがあり、安く品物が手に入るようだ(オオタガキ氏談)。特に問題なく準備ができて、10時過ぎに出艇。相変わらずオオタガキ氏の装備は細かいところにさまざまな工夫がほどこされ、見るたびに感心する。



北東風がやや強めに吹き、崖近くでは少し乱れた波が立つが、カフナならむしろそのくらいの方が刺激があってよろしい。なるべく岸ベタで忠実に海岸線を辿り、見つけた洞窟や岩の間の水路には丹念に入ってみるが、あまりに多すぎて、写真を見てもどこがどこに相当するのか不明なものがあり、また岩が入り組み過ぎていて、実際漕いでいて何気なく通過してしまったところに見どころ(カヤック突っ込みどころ)があったりして、事前に直線的に測った距離よりも相当長く漕いでいる。


漕ぎ始めのころの洞窟


岩場に見事な松。その下にまた洞窟が・・


見事な柱状節理。岩の造形も少し漕ぐとだいぶ様相が変化する。


ちょうど昼くらいに餘部の旧鉄橋と新コンクリート橋が見えてきて、上陸し昼の休憩とする。上陸したところにはトイレがついた公園があり、飲み物の自動販売機もあって思わず気付け薬としてコーラを買ってしまう。

3分の1ほど残してある鉄橋が虚しい。



再び西に向かって漕ぎ始める。餘部からはしばらく集落も稀な「但馬御火浦(たじまみほのうら)」だ。今回のツーリングで最も北にあたる伊笹岬をまわり、香美町と新温泉町の境界にあたる鋸岬を越え、ほとんど唯一の集落といえる三尾の先の入り江で休憩。シュノーケリングを楽しむ。


その後もずっと海岸線に忠実に進み、入れる洞窟は入り、凝り固まった腰を海中に浮遊して伸ばしながらのんびりと浜坂に向かっていく。


16時過ぎに無事浜坂の海水浴場に到着し、キャンプを申し込む。まずテントを設営し、着替えてから食事に出かけ、刺身と煮魚中心の豪勢な夕食を食べた後、駅前の車を回収し、迷いながらもスーパーで無事買い出しを済ませる。大型スーパーは郊外にあるので車が使えてよかった。仕上げにキャンプ場裏にある立ち寄り温泉に入って本日終了。若者の嬌声や花火がうるさいということもなく、むしろ自分も含めテントで寝ているオッサンのいびきが轟く程度だった。

ここは宿泊もできるらしい。

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山陰・若狭の旅(1・鳥取砂丘)

鳥取を郷里にもつ、オオタガキ氏からのお誘いがあり、1泊2日で鳥取・兵庫の日本海沿岸をツーリングすることになった。

折しも台風9号・ムイファーが大東島から沖縄本島、先島諸島を通過する予報だ。その後中国大陸に接近していくものの、西日本の波・風予報はかなり厳しい方向のもの。初日は漕げても二日目は漕げないかもしれない、というイヤな予感から、二日目の代替案をお互いに抱えつつ、私はカヤックを2艇持っていくために自家用車で鳥取へ移動(当初はカフナ1艇を持ち新幹線と在来特急で移動する予定だった)。疲れる・渋滞あり・カネかかるの三重苦ではあるが、マイカーでの移動は気楽で自由だ。

首都高の早朝渋滞を極力避け(とはいえ東名の横浜町田で軽い渋滞)、静岡の由比あたりで太平洋の様子をチラ見し(でも静岡で結構深刻なピタ止まり事故渋滞)、新名神を使ってショートカットしながら京阪神へ。幸いスムーズに中国道に乗れ、佐用ジャンクションから無料供用している鳥取道へ。ずいぶん道路は繋がっていて、1ヶ所だけ下道を走るがストレスなく鳥取市へ。
生まれて初めて来た鳥取!

何と言ってもまずは砂丘でしょう、ということで市街地を通過して展望台駐車場へ。駐車場代は無料なのだが、砂丘に行くには300円のリフトに乗らんとイカン。なら近いところへというわけで近い駐車場に行ったら駐車料金が410円だった。


展望台から俯瞰

気温36度以上という暑い中での砂丘の上り下りは苦行の一言。便所サンダルで歩くが、足裏に砂が入ると熱い。熱中症に備えて帽子と飲み水は不可欠。砂丘の「馬の背」まで普通の男女が歩いていくので、鳥海山に登れなかったとはいえ、くじけては中年男がすたる。「馬の背」の頂上から海に向かう斜面は、スキーヤーには若干そそるものがあったが、この暑さでは戻ってくるのが辛い。ということでやられないうちに退散。ところが帰りのダラダラ坂が辛かった。


キツイ登りだけどここの砂は熱くなかった

雪だったらね・・

向こうのダラダラ坂の砂が熱くて辛い

「山陰海岸ジオパーク」の紹介施設で海岸の地図付きパンフレットがないか探すが見当たらず、鳥取市内へ戻る。駅前のホテルに投宿、翌朝着くオオタガキ氏を待つ。

失礼ながら山陰本線の列車は編成が短いのに、鳥取駅がやけに長大な建物であるのに驚く。駅前のデパートが19時で閉まってしまうのは悲しく、ギリギリセーフで翌日の行動食(パン)を仕入れる。ホテルの部屋で「無事着いたメール」などを送っていたら携帯の電池がすぐに消耗していくのがまた悲しい。

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