山猫アウトドア備忘録

最近はたまにしか外で遊べない男の備忘録です

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東北巡業登山旅行(その5・天元台から西吾妻山)

8月5日(土) 晴れときどき曇り

米沢から天元台スキー場を目指す。体調若干回復傾向の女房のリハビリトレッキングで、天元台から標高差の小さい西吾妻山一帯を歩くつもりだ。

9時、天元台のロープウェイには初めて乗ったが、設置年が我々の生年と同じらしく、あちこち老朽化した施設に同情を禁じえない。だがまだまだ現役感は強い。
ロープウェイを降りると、やはり「天元台」という名前にふさわしい台地が広がっていて、高校生の陸上部が練習をしている。スポーツ合宿の宿泊先としては最高の場所だろう。


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西吾妻山一帯

長めのリフトを3本乗り継いでいく。機械のおかげで、リフト終点では標高1800mを越えている。ここで9時50分。ただし、ここまでの乗り物代はスキー場一日券の価格に近い。もう中大巓までは標高差150mほど。山頂へのルートがない中大巓の標高は、天元台ロープウェイの設立年と同じであった。

まずは人形石まで視界の利かない樹林帯の道を斜登行し、人形石に10時30分、そこから南の西吾妻山との鞍部である大凹(おおくぼ)へ降っていく。この下り道の景色が良く、高山植物も豊富だ。大凹ではきれいな水が出ていた。
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人形石

標高1900mあたりで凡天岩・天狗岩に向かって登るようになり、少々疲れた頃に平坦な岩場に出る。11時30分、凡天岩で行動食摂取も兼ねた休憩を取る。
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ワタスゲが多い
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池塘の周りにワタスゲの楽園

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ゆったりした風景
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西吾妻小屋は利用するのによさそうな感じ

天狗岩の社から西吾妻小屋、西吾妻山頂(展望全くきかず)、天狗岩と1時間弱かけてゆっくり周回し、その後は大凹を経由してリフト乗り場に戻った。13時45分、リフトで下山にかかる。女房の疲れ具合を見ながらのトレッキングだったが、まあまあ歩けるようにはなってきたか?

午後は裏磐梯へ移動。我々には似つかわしくない高級リゾートホテルに投宿。温泉に癒される。最後になって、左腰に張りを覚え、足がむくむようになってきた。日曜日に磐梯山登山を考えていたが、日曜日は登山客が殺到するし、磐梯山ならまた東京から出てきても苦にはならないので計画は延期とし、日曜日は別の場所へ移動してライトトレッキングするか、渋滞を避けて素直に帰京するかの選択とする。
結局、五色沼散策も東吾妻山でのトレッキングもせず、猪苗代湖畔の道路、天栄村・白河への国道、そして4号線を走り繋いで高速道路を全く使わず帰宅した。

今回の車を使った山行は、気楽だった。まだまだ東北には登っていない山々がある。森吉山はもちろんのこと、焼石岳や和賀岳などだ。それらは今回のようなロープウェイやリフトなどはなく、もっとアプローチが長い山なので、厳選して慌てず騒がず登ることにしたい。
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東北巡業登山旅行(その2・早池峰山と森吉山)

8月2日(水) 晴れ
朝5時から準備を始め、早池峰山の登山ベースとなる岳地区を過ぎ、6時に河原の坊の駐車場に着く。先着している車が3台ほど。この先県道が小田越まで伸びていて、そこが早池峰山への最短ルートになるが、小田越には駐車場がないらしい。したがって30分ほど舗装路歩きが入る。

6時15分に舗装路を歩き始め、30分で小田越到着。登山道に入っていく。早池峰ではトイレ対策として簡易トイレ持参(なければ購入)が勧められているが、すでに大きい方は道の駅で済ませてきたし、小は発汗が大量な上に我慢もできるので私は持たない。
最初は樹林帯の中を歩き、木道もあったりして整備されている。まもなく岩だらけの道になり、樹木はなくなって朝の日差しが強烈に降り注ぐトレイルになる。標高1400mあたりから増えてくる岩は蛇紋岩で、大変滑りやすい岩だ。登山靴で踏まれて摩耗しているところは特に滑りやすく、尾瀬の至仏山と同じだが、至仏山に比べ登山客が少ないからか、摩耗した岩は少なく滑ることもあまりなかった。
標高1800あたりから稜線に乗る最後の登りで鉄梯子が出てくるが、さほど恐ろしい障害物ではなく、河原の坊を出てちょうど2時間、8時15分に山頂到着。信仰対象の山なので立派な祠があり、お参りすることで敬虔な気持ちになれる。10分後、下山開始。山頂にある避難小屋は計画的に利用することはできないが、なかなか立派な作りだ。登山口にも避難小屋がいくつかあるようで、複数人で来たら利用価値がありそうだ。
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早池峰山で出会った花々
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イブキジャコウソウ

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タカネナデシコとナンブトウチソウ?
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ナデシコは好きな花だな
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大味になってしまったハヤチネウスユキソウと手前にまたタカネナデシコ

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岩稜帯になる
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鉄梯子2箇所
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山頂の避難小屋
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一等三角点

小田越まで戻って、監視員と言葉を交わしたが、早池峰山一帯でバッジや手ぬぐいを買えるところはなさそうだ。百名山のひとつなのに、この商売気のなさはすごい。地元の人が信仰の山として大事にしてきて、山を儲けの道具として見ていないということなんだろうか?麓の宿に泊まってみれば真相がわかるだろう。
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舗装路を下りながら山を仰ぎ見た

10時に駐車場に戻り、再び移動開始。この日は移動距離が長くて、次の森吉山は不安要素が強い。
とりあえず道の駅「はやちね」に戻ってトイレと飲み物補給の休息。しかし「日本一静かな道の駅」を謳っている割に建物の前で大音量で女性歌手の歌が流されている。看板に偽りありなので、先を急ぐ。道幅の狭い折壁峠を越えて紫波町に下り、東北道を使って盛岡までワープ。ずんぐり、どっしりした岩手山を眺めながら国道46号線で田沢湖方面へ。田沢湖北岸でiPadのカーナビアプリが現在地をロストしたために大回りして国道105号線にようやく出た。

秋田内陸縦貫鉄道と平行する105号線もかなり田舎の国道で、交通量が少ない。先日の豪雨の影響なのか、片側交互通行箇所も頻繁にある。縦貫鉄道が走っているところは残念ながら見られず、腹も減ったので旧西木町上桧木内の紙風船館で総菜を買って昼食とする。その後も、縦貫鉄道の駅の看板はあっても、道路沿いに集落が見られないところをひたすら走り抜けて、北秋田市に入り、荒瀬という集落からUターンするように阿仁スキー場に向かっていく。阿仁スキー場は聞いたことはあるが、こういう地形の中に存在するということは実際に来てみて実感した。冬に田沢湖方面から気楽に来れるような場所になく、北秋田市、大館市、能代市あたりのローカルスキー場のようだ。
14時に阿仁スキー場に着いてみると、なかなか立派なゴンドラが動いている。早速ゴンドラに乗ろうとしたが、14時出発では森吉山までの往復は無理だという。ゴンドラ乗車時間が20分、山頂駅から森吉山山頂までの歩行時間が1時間20分で、往復すれば3時間以上かかってしまう。ゴンドラの最終運行時間に間に合わないことになる。ちょっと私の見込みが甘かったようだ。しかしせっかく来たので、途中の石森までは行ってみることにした。石森は14時45分着。
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石森から眺めた森吉山は素晴らしかった。雪のある時期にスキーで登ったら気持ちがいいだろう。石森からすぐ先に見える森吉避難小屋を見学して、ゴンドラで下山した。15時12分。森吉山には行かれなかったものの、手ぬぐいだけはゲットしておいた。
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石森から眺めた森吉山
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森吉避難小屋

さて、ここから翌日のための移動。もう105号線を田沢湖まで戻ることは非現実的であり、北秋田市、五城目町を経由して秋田自動車道で一気に県南部へワープすることにして、いったん北上し、一気に南下する。
由利本荘市内のホテルの予約ができたので、暑くて寝られない車中泊は避けることができる。由利本荘市街が近づいてくると、鳥海山がくっきりと見える。その秀麗さは、山形側から見た鳥海山以上だと思う。

明日は今回の東北巡業のメイン、鳥海山登山。翌日の朝食はコンビニで調達、夕食は周辺に食堂がないのでホテル内の和食レストランで親子丼を食べる。
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東北巡業登山旅行(その1・栗駒山)

8月だ。今年は昨年のような長い体力勝負の縦走ではなく、気ままに車で移動しながら登山をしようと考えていた。行き先は大きく北海道と行きたいところではあるが、北海道では移動がメインになってしまう可能性があり、もっと身近に感じられる山々をめぐるために東北にした。北海道の山は西日本の山ほどではないが、強い関心が向かない。しょせん私は中部日本と東北日本をベースに生きてきた人間である。

緻密に計画を立てたわけではないが、アバウトな脳内プランをもとに目的の山々を巡ることができた。結果的には素晴らしい旅ができたと思う。

概要は以下の通り。
8月1日 東京から東北自動車道で北上、栗駒山登山と早池峰山近くへの移動、車中泊。
8月2日 早池峰山登山の後、岩手から秋田へ移動、阿仁スキー場ゴンドラを利用し森吉山登山(途中まで)
     由利本荘市のホテルへ
8月3日 矢島(祓川)の登山口から鳥海山登山、月山近くへの移動、車中泊。
8月4日 志津登山口から月山登山、蔵王温泉ロープウェイへ移動、蔵王熊野岳トレッキング
     女房と合流し米沢のホテルへ
8月5日 天元台ロープウェイを利用して女房と西吾妻山登山、裏磐梯のホテルへ。
8月6日 欲張って磐梯山登山を計画したが、激混みの日曜日ということもあり、そのまま帰京。


8月1日(火) 仙台以北で晴れ
発車時刻の決まった公共交通機関に乗るわけではないので、出発は極めてアバウト。
適当に45リットルのザックに必要な品をたたき込み、日帰り登山なので25リットルのサブザックも突っ込み、登山靴をぶら下げてサンダルで移動開始。一応、テントも持っては行ったが、結局使わなかった。そのかわり、忘れ物に後から気付いた。とりあえず登山には大きな支障はなかった。

東京の天候は曇りで、雨が降り出しそう。東北道北上中も断続的に雨に降られた。仙台以北になるとようやく晴れてきてほっとするが、すでに運転疲れが出ている。
一関インターで東北道を降り(高速料金9500円!)、須川高原温泉方面へ向かう。そろそろ保険として車に燃料を入れておきたいが、インターから西の国道342号線にはスタンドが一軒もなかった。須川温泉までは細い峠道だったが、着いてみると広めの駐車場があって安心する。13時に到着して、登山靴に履き替え、登山開始。須川温泉一帯は硫黄泉がふんだんで、宿の脇を流れている川がすでに温泉だ。温泉を起点に周回ルートを取ろうと思ったが、途中で下山中のグループとすれ違った時に昭和湖経由の方が風もあり景色もいいのでオススメと言われ、素直に従った。
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ルート。名残ヶ原、昭和湖、稜線、山頂、1573mピーク近くを経て往路を戻った。

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須川高原温泉の豊富な湯量

硫黄ガスが漂う昭和湖を経由して天狗平へ直登して宮城・岩手県境稜線に出、稜線を東に進めば栗駒山山頂(1626m)だ。登山口から1時間30分。帰りは天狗平からちょっとだけ秋田県境寄りに緩く登って景色を堪能したのち、同じ道を引き返して16時に須川温泉に下山。
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栗駒山頂から北側を見る。まだ雪田がある

なお、今回の山行は行き当たりばったりになる可能性があるので、登山届はスマホのアプリ「コンパス」を用いて登山前日や直前に提出した。緊急連絡先にもメールが送られ、登山計画と下山完了が通知される。なかなか便利なものだ。いちいち紙で提出するよりはスマートだと思う。

汗だくの化繊Tシャツや日焼け防止のアームカバー、汗を吸った速乾性タオル、ウールの靴下などにファブリーズを吹きかけて車内で乾燥させつつ、移動開始。連日の登山はこれの繰り返しであった。

山道を一関インターに向かって国道342号線を降っている途中、湧き水がふんだんに出ている場所があり、迷わず汲んでそれを飲みながらのドライブになる。一関インター近くで給油(軽油でも108円程度と高目)して、国道4号線や北上川の左岸にある県道を走りつつ、平泉町・奥州市・北上市・花巻市と北上する。花巻市で夕食にしようと思って探すがいつの間にか市街地を通り過ぎてしまい、少し戻ってファミレスで夕食を摂り(夕食を楽しむ感じではなく摂取する感覚)、コンビニで翌日の朝食と行動食を手に入れて、花巻空港で北上盆地から離れて山道へ入っていく。旧大迫町に入り、早池峰ダムを目の前にする道の駅「はやちね」がねぐらとなる。トイレもきれいで、泊まっている車も皆無で快適だった。
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北ア・雨から退避(3日目)

8月26日 晴れ(笠ヶ岳近くの稜線はガス)

1日目  2日目  3日目

朝5時、昨夜とはうって変わって和風な朝食を食べた後、時差で食事が始まったUさんにご挨拶をするため、しばらく待ってみる。外へ出てみると朝焼けの山々が美しい。Uさんは双六から西鎌尾根を登って槍ヶ岳までの予定なので、ここでお別れ。

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槍ヶ岳シルエット
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鷲羽岳を振り返る
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さらば、三俣山荘
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ぱっとしない三俣蓮華岳も朝焼けで栄える
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出だしは槍穂がくっきりだったが・・

5時30分に出発し、まずは三俣峠までゆっくり登る。疲れが残っているのか、コースタイム通り。三俣蓮華岳へは登らず、巻き道ルートで双六小屋に向かうが、ここからは9年前の仕事山行中に土砂降りの中を歩いた記憶がある。黒部五郎方面から視界が全くないなか三俣蓮華にたどり着き、下降して巻き道を双六へ向かった。しかし「歩いた」という事実の記憶に過ぎず、脳内に残像はない。初めて歩くのとほぼ同じ条件で、「巻き道」の言葉が持つ安易さと現実のギャップから思うようには進まない。言葉に騙されると朝日岳の「水平道」と同じことになる。一本休憩を入れて双六小屋に7時35分。水晶山頂で会った双六スタッフが小屋前に出ていたので、挨拶する。すでに笠ヶ岳に立ち向かう気力が少しづつ萎えているが、ガスが南の谷から流れてきて、笠ヶ岳方面に濃いガスが乗っかっているのを見るとさらに減退する。双六小屋で手ぬぐいとコーヒーを注文し、8時に出発。とりあえず弓折分岐まで歩き、そこで笠ヶ岳を目指すか、鏡平方面に降っていくか最終判断することにしたが、自分の気力が上がってこないし、稜線のガスは移動しそうにない。

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双六谷からガスが上がってきた
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双六小屋の向こうの鷲羽岳、さようなら

笠ヶ岳を目指すとすれば、結構アップダウンのある道を頑張らないといけない。行く手は視界が悪い。展望があり過ぎるのも気持ちを挫くことがあるが、展望がないとどこを歩いていても同じ、別にここじゃなくてもいいことになってしまう。もう一つ、笠ヶ岳山荘ではいままで以上に水不足のはずだ。テント場で水が汲めるならいいが、小屋で買うとなると考えてしまう。自分自身に都合よく、これは雨をもたらす兆候だ、風も湿っぽいし、ガスも風で吹っ切れるレベルじゃない、と解釈した。決定。下山だ。笠ヶ岳、また来るよ。

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弓折分岐まで来たら直進ではなく、←に誘われて左へ
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本日最後の槍

9年前に下痢ピー状態でトイレに駆け込んだ記憶だけが残っている鏡平山荘に9時30分、たまたま隣に座った単独のおば様と話しながら、ついに禁断の毒水・400円缶コーラに手を出す。おば様曰く、昔は飯豊なども含めよく歩いたが、今回は鏡平に来て、周囲の自然を見ることが目的。山頂ばかりを目指さず、そういう山歩きってステキだと思う。

小池新道を降る。何だか、下山を決めたら調子が上がってきた。右手を見ると、笠ヶ岳方面は一定の標高以上が完全にガスっていて、しかも黒っぽい雲も近づいている。これは予感通り雨だ。そうに違いないと決めつけた。

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稜線上の雲は厚くなり、沢の上部も怪しくなってきた

小池新道は岩のガラガラ道に見えて、実は道普請が完璧だ。岩伝いに階段を下りる要領で歩けばよく、岩の表面がフラット。シシウドが原10時30分、秩父沢出合の水で顔を洗い、左俣林道に出る直前でも顔・首を洗ってサッパリ。わさび平小屋で12時になったので、最後の贅沢としてそうめんとリンゴを買って昼食とする。35分も休憩してしまった。あとはひたすら林道を歩いて新穂高ロープウェイのバス停に13時25分着。

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最後の贅沢にわさび平小屋名物のそうめんとリンゴ

完全ではなかったが、十分に歩いた。スマホのデータによれば、24日が12.7km、25日が25.8km、26日が28.3km。飯豊に次ぐ距離となった。よく歩いた。足の親指の腹に小さなマメができたようだ。
北アルプスの小屋で売っている手ぬぐいと軽食・飲み物にもよく手を出した。まるで高速SA・PAごとに立ち寄って飲食するかのように立ち寄って金を使った。ゲットした手ぬぐいは、烏帽子・野口五郎・水晶・双六の4種類。三俣山荘と鏡平は見つからなかったか、また他日手に入れることにする。贅沢の限りを尽くした山行だった。

新穂高13時46分発のバスを平湯で乗り継ぎ、松本に向かうが、事故渋滞があって松本BT着が1時間遅れ。大糸線に乗れたのは18時。大町に19時に着き、駅前のラーメン屋で妥協して夕食を食ったらちょうど雨が降ってきた。松本へのバスの中で雨雲レーダーの推移をみたら、14時ころ笠ヶ岳山頂に雨雲があったようで、きっと降ったに違いない。濡れずによかったし、27日により強い雨の中笠新道を降りに使っていたらエライことになっていたと思う。予感が当たって今回はラッキーだった。

一日早く降りたけれど疲れたし、雨の降りも激しいので、松川村の立ち寄り湯「すずむし荘」と道の駅をまた利用させてもらい、27日の朝に帰宅することにした。夜はずっと雨が降っていて車のルーフをたたく音がうるさかった。夜、槍ヶ岳に向かうはずだったUさんも雨の予報を知って新穂高温泉へ下山されたことをメールで知った。また、27日朝には飯豊でご一緒したIさん母娘と安曇野市内で再会することができ、楽しい一時を過ごすことができた。

今年の夏の登山はこれで終了。縦走中に「秋はどこに登るんだ?」と散々聞かれたが、秋は皆が集中するから登山するとしてもメジャー所は行かない。むしろ自転車の季節だ。そして冬が来ればスキーの季節。へそ曲がりは裏の季節になると無性にスキーがしたくなる。
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北ア・雨から退避(2日目)

8月25日 快晴

1日目  2日目  3日目

5時30分開始の朝食前に出るものが出た。これでトイレ待ち時間を浪費せず、食後すぐに歩き出せる。今日の行程は水晶岳ピストンを含めコースタイム10時間なので、朝6時に出てもコースタイム通りなら16時になってしまう。15分だけだが6時より早く歩き始められたのは嬉しい。烏帽子小屋、5時からの朝食だとなお嬉しいんだが、山の中で立派な食事をさせてもらえるだけありがたく思わないと。

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手前に赤牛岳、奥に薬師岳
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烏帽子小屋、ありがとう
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三ツ岳に登って行く

キャンプサイトを抜けて左手に池を見て、三ツ岳に登っていく。山頂まで登山道が通じているわけではないが、烏帽子小屋から標高差が300mほどある。餓鬼岳や大天井岳、そして槍ヶ岳がくっきり見え、快晴だ。最高の天気をプレゼントしてくれたのだが、ひなたに出ると早朝から暑い。自分の影などを撮影しながら登って行く。岩陵帯と砂礫帯を交互に歩くような快適なルートで、野口五郎小屋に7時50分到着。小屋の少し手前で5時に出発したUさんをロックオン。さらに小屋でSさんと会う。野口五郎小屋は布団干しの真最中だったが、個人的に集めている手ぬぐいを買い、小屋オリジナルのアイス(ごろりんアイス)を食べた。朝からアイスクリームというのは初めての経験だが、とても美味しい。野口五郎岳山頂(2,924m。鷲羽岳と全く同じ)は全く尖ったところのない茫洋とした山だが、ここがこの山旅の最高の天気となった。Uさんに証拠写真を撮っていただく。

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槍が現れた
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自分の影を撮ってみる
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立山も見える
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稜線向こうに左から富士山、甲斐駒、北岳、仙丈か?
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どっしりとした野口五郎岳
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水晶岳の脇にはカール状地形があることに気付く
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野口五郎岳から槍に向かうUさん

野口五郎岳を後にすると、次第に尾根が痩せてくる。岩陵を時にはよじ登りながら歩くようになり、ペースは落ちる。最低鞍部の東沢乗越は2,734mなので、野口五郎から200m近く降ったことになる。それを過ぎると今までの白い花崗岩から赤茶けた砂礫の急登になり、息がかなり上がってくる。水晶小屋には10時40分に到着したが、かなりバテた。水晶岳に歩き出す前に、お約束の手ぬぐいと800円のおしるこを注文して食べる。これで午後のエネルギーの足しにはなるはずだ。11時ちょうどにザックを小屋裏にデポして水晶岳に向かう。晴れているので山頂に立つ人がよく見える。前半はなだらかなハイキングルートで、山頂に近づくとハシゴ、岩場のトラバースなどとなる。30分で山頂に着いた。双六小屋のスタッフという若いお兄さんと、関西弁の精悍なおじさん3人で山頂にいるとそれでもういっぱいなくらい狭い。先が長いので頂上の標柱を写して10分で山頂を後にした。双六スタッフは休暇で高天ケ原温泉に行った帰りというが、この日の宿泊を水晶小屋に予定していたらしい。水晶はたぶん混むよ、と言ったら渋い顔をして考えを改めることにしたらしい。彼は結局三俣山荘を経由して一日早く双六に戻った。関西弁のおじさんは神戸から来た方で、山頂から先に降りていったが、その足取りが軽くて早い!彼も水晶小屋情報を聞いて私と同じ三俣山荘を宿泊先に変更したが、同じルートを彼が先行して歩く中、ワリモ岳の登りで私の視界から消え、私より45分も早く三俣山荘に到着していた。後で聞いたら、六甲山全山縦走往復(!)を夜に(!!)やるらしい。来月は北鎌尾根を登るらしいし、相当な強者であった。

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東沢乗越には地蔵さんが・・
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つまらない証拠写真だが、素朴な標柱

水晶小屋に戻る途中、高校生の大きな団体とスライドするときにUさんと遭遇した。水晶小屋に戻ると、Sさんがこれから水晶岳をピストンするところだった。彼は雲の平に行く予定で、私とはもう会わないことになるので、別れの握手をガッチリ交わした。学生最後の夏を登山で謳歌して、すばらしい。就職して忙しくなっても、続けていって欲しいと願う。

水晶小屋を12時15分に出発、遠くからはなだらかな歩きやすいトレイルのように見えるが、足下が不安定な岩が目立ち、疲れも溜まってきて歩きにくい道をワリモ分岐まで30分歩き、残るワリモ岳と鷲羽岳にとりかかる。しかし疲れたので登り始めで早速10分休憩。その間に遠くに見えていた六甲全山往復おじさんは前方の5人組を抜き去って視界から消えた。急な登りをクリアして、再び鞍部に降り、鷲羽岳頂上にアゴを突き出しながら到着したのが13時35分。疲れがドッと出るのと同時に、今日はもう登らなくていいんだ、という安堵が湧いてきた。もう三俣山荘は手の届きそうな場所に「見える」(実際は標高差400m、自己タイムで40分下降しなくてはならない)ので、長く休憩して、14時ジャストに下山を始めることにした。山頂に長く滞在できることは、天候コンディションがいいという証だ。

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マイナーな山頂。この上に立とうと思う人は稀かな?
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やはり、鷲羽岳は美しい
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マイナーなワリモ岳だって振り返れば立派だ

14時下山にかかる。ザレた急坂を慎重に降っていく。14時45分、三俣山荘着。烏帽子小屋からちょうど9時間かかった。10時間コースを9割の時間で歩けたのだから上出来だ。自分へのご褒美としてサイフォンコーヒーを注文した。

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鷲羽岳頂上から鷲羽池を見下ろす。ガスが上がってきている

三俣山荘は水が豊富だと聞いていたが、小屋内では今年の雪不足の影響で節水モード。トイレも洗面所もいくつか使用禁止にしてある。水は歩いて3分の幕営地まで汲みに行く。ついでに汗まみれの頭も洗った。2.5リットルのハイドレーション用の水と、スポーツ飲料粉末を入れる0.5リットルのナルゲンボトルを満たし、とりあえず笠ヶ岳への8〜9時間ルートに耐えられる準備はした。小屋の前で六甲全山往復おじさんのさりげない自慢話を聞いて、翌日の私の予定を告げたら、彼も笠ヶ岳に行く来になったらしい。六甲全山往復おじさんなら、おそらく昼には笠ヶ岳山荘に着けるだろう。そんなことを思っていたら、16時を回ってUさんが黒部源流ルートを経由して到着した。お互い頑張ったね、と激励する。

問題は26日の天候だ。出発前の予報では、26日いっぱいは持つが27日が曇りのち雨の予報だった。三俣山荘の衛星放送テレビに常時表示されているデータ放送の予報も大きく変わりはないが、25日のピークが長く続くはずはないだろう。迷走台風もあるし・・

夕食は鹿肉のスパイシーシチューがメインだった。山奥でこんな食事にありつけるとは。この夏、避難小屋で粗末な食事ばかりしてきたのでどんなものも贅沢に思えてしまう。ご飯のおかわりだとか、食後のお茶が美味しいことがありがたい。この日の夜は20時までUさんと話し込んだ。お互い単独同志だからなのか、かなりプライベートなことまでお互いにうち明けての話になった。
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北ア・雨から退避(1日目)

久しぶりに北アルプスに踏み込むことにした。前回北アルプスに来たのは何年前だろう?おそらく、仕事山行で折立〜新穂高温泉を歩いて以来、9年ぶりということになろうか。

1日目  
2日目  3日目

以前のエントリでも書いたが、今年は悔いなく山を歩きたいと思い、飯豊と裏銀座+笠ヶ岳を歩こうと半分冗談めかして述べた。飯豊はウィッシュリストのNo.1だったので最もいい時期に歩いたが、それから3週間近く経って裏銀座にも行きたくなった。激込みになる「山の日」から始まる旧盆を避けて、20日過ぎの天候を睨んでいたが、台風が過ぎた25・26日あたりが良さそうだと思った。

計画は山中3泊。立派な山小屋が点在する北アルプスだから、テントは持たず軽い荷物で長距離歩くことにした。1日目は信濃大町からタクシーで高瀬ダムに入り、ブナ立尾根を登って烏帽子小屋か、時間に余裕があれば野口五郎小屋まで。2日目は烏帽子からなら三俣山荘、野口五郎からなら双六小屋、3日目は笠ヶ岳山荘、という計画にした。

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裏銀座地図(その1

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裏銀座地図(その2

ザックはいつものバルトロ75ではなく、スキーザックのターギー45。マット・シュラフを持たなくてもいいし、食料も行動食だけでいい。ずいぶん軽くなった。ただし、稜線歩きで水がふんだんに使えないはずなので、合計3リットルは担いでいく。最近、ファーストエイド用具を充実させて持っていくようにしているが、今回は飯豊に持っていったセットに加えて、以前使っていたショートストックを持っていくことにした。最近は歩きにストックを使わなくなっている私だが、イザというとき(ケガのとき)の添え木代わりとして使うつもりで持参した。幸いなことにずっとターギー45の中に収まっていてくれた。

さて、現実は表題通り、なんとなく予報より早く雨が降り出す予感がして、弓折分岐から笠ヶ岳への道と下山に使う予定だった笠新道は断念することにした。これが吉と出た。

8月24日 曇り後晴れ
前日夜に松川村の道の駅で車中泊し、早起きして信濃大町駅前のタクシー会社に着き、そこで車を預かってもらった。事前に交渉していたのだが、タクシーを使えば預かり料金は発生しない。素晴らしいサービスだ。当日朝の相乗り客はなく、私一人で高瀬ダムまで利用したのでタクシー代は8,200円。飯豊に比べれば多少安いもんだし、七倉でタクシーを乗り換えなくても済む。七倉では登山届を出さなくてはならないが、これも自宅で書いて持参したので無駄な時間を使わず、6時30分に高瀬ダムから歩き始めることができた。トンネルを潜り、不動沢にかかるつり橋を渡り、濁沢の幕営地を通過して6時55分にブナ立尾根に取りつく。「北アルプス三大急登の1つ」などと言われるが、さほどでもない、というコメントをウェブ上でよく見る。確かに大汗はかくがサクサク登れてしまう。登りながら理由を考えたが、それは登山道の整備が行き届いているから急登に感じない、ということだと思う。飯豊のワイルドな登山路を歩いた後でブナ立尾根を歩いた身としては強く感じる。急登なのに急登に感じさせない登山道の整備をされている方々に頭が下がるのである。

2016-08-24-06.26
高瀬ダムから
2016-08-24-06.42
不動沢のつり橋
2016-08-24-06.57
いよいよブナ立尾根へ

烏帽子小屋まで要所要所でカウントダウンの番号が置かれていて、頻繁に携帯で通過時間のメモを取っていったが、2箇所で5分程度の休憩を取りつつ烏帽子小屋に着いたのが10時30分。ダムからちょうど4時間、登山口からは3時間30分ほどで登ってしまった。しかも気圧が変動していて実際の標高よりも高度計の数字がだいぶ低く表示されたので、小屋の屋根が見えたときは拍子抜けだった。ブナ立尾根の途中で先行していた七倉山荘前泊組の方々をかなり抜いてしまった。休憩時にそのうちの数名の方と言葉を交わした。そのうち一人が女性単独のUさん、もう一人が若い男性で幕営山行のSさんだった。彼らとは縦走路で前後して歩き、楽しい会話を交わしながら途中で別れた。

烏帽子小屋にはちょっと早く着きすぎた。前日に予約を入れてあったし、この日の午後の天気予報は良くなかったので、野口五郎小屋まで進むことは心理的にはばかられ、宿泊受付をする前に烏帽子岳を往復することにした。最初はガスっていて何も見えなかったが、烏帽子岳の特徴的な岩峰を登って頂上に着き、ひとり大岩の上でマッタリしていたら視界が開けてきた。そこへ後続のUさんやSさんがやってきた。Uさんは岩登りが苦手らしいが、最終目的地は槍ヶ岳だという。槍の穂先に登る不安を隠さないところが率直でかわいらしい(年上らしいけど)。Sさんはいつもニコニコしている好青年で、私が座っていた大岩の上でかなり長い時間のんびりしていたようだ。

2016-08-24-11.44
烏帽子頂上の岩峰(標柱はあるが岩峰の上はちょっと厳しい)
2016-08-24-12.19
ニセ烏帽子から振り返る

小屋に戻りながら全貌をあらわした烏帽子の岩峰を撮影して、小屋に戻ったのが12時30分。小屋の中や外でのんびり午後を過ごした。天気は予報に反してむしろ良くなっていく。赤牛岳や薬師岳まで見通すことができるまでになった。烏帽子小屋の周りは花崗岩の砂が敷き詰められているが、毎日掃き清められて枯山水のような地面になっているし、小屋の前に花が咲いていてとても清潔感がある。古くて素朴な造りだが、とことん近代化された小屋とはまた違った趣でいい山小屋だと思った。キャンプサイトも奥行きがあってとてもいい感じだ。この日の夜は宿泊人員に余裕があってありがたかった。耳に入ってくる情報によると、宿泊客の中の多くの方が翌日の宿泊を水晶小屋にしているらしい。しかし16時を回ってツアー10余名が入ってきて、かれらも翌日は水晶小屋泊りだということを聞き及び、動揺が走る。私は水晶小屋に泊まるつもりはないので関係はないのだが、あらかじめ予約を入れていたUさんたちは気が気ではない様子。頑張って三俣山荘まで行った方がいいですよと言ったら、Uさんは弁当をもらって朝食前に小屋を出るという。小さな水晶小屋に団体ツアーが宿泊するとなると、個人で予約を入れている人にも影響が及ぶ。泣きを見るのは団体でなく個人だというのが、不条理である。

一方で、とても個性的なルート選択をされている方も見受けた。北アルプスで最もシブい七倉・船窪・不動・南沢を歩いてこられた方もいた。北アルプスって、ルートが豊富だから自分なりの一筆書きができるのが魅力なんだなと思う。他の山域だと縦走路は自ずと定まってしまうが、北アルプスなら温泉をつなぐ縦走だとか、工夫を凝らしたループ状のルートを考えれば、車で登山口に乗りつけてデポしておいても十分楽しめる。

2016-08-24-12.32
小屋の前の花畑
2016-08-24-14.48
薬師岳方面に若干雲が残る

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飯豊連峰主稜線全山縦走(最終日)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ


8月3日

最終日。下山の前に朳差岳をピストンする可能性を残した。言い回しが微妙なのは、身体の疲労を感じていたのと、食欲が湧かないのがネックになっていたから。とりあえず頼母木小屋から大石山まで行って天候を観ながら判断だね、とIさんと話してから6時30分に小屋を後にした。同宿した千葉からの単独男性は一足先にサブザックで朳差岳を目指して行った。

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飯豊連峰地図(その3)
2016-08-03-04.56
朝焼け
2016-08-03-04.57
山頂直下に小屋が見える朳差岳(右)と鉾立峰(左)
2016-08-03-06.30
最後にお世話になった頼母木小屋

30分で大石山の分岐まで達してしまう。昨晩から今朝にかけては、「宿題の1つも残しておいた方がまた飯豊に来る理由ができる」などと言っていたけれど、いざ大石山から朳差岳へのトレイルを見ると、若干の体調不良でも行きたくなる。新潟ファミリーも本当は朳差岳まで行くつもりだったらしいが、お子さんたちが強く下山を主張してご両親も折れたそうだ。特にお父さんは本当は朳差まで行きたかったのに残念。千葉の単独男性が大石山から稜線を下っているのも見えた。
2016-08-03-06.54
大石山近くから振り返る
2016-08-03-06.56
イブキジャコウソウの群落

意を決して大型ザックをデポし、またウエストバッグを斜め掛けして朳差に向かう。Iさんの方が元気があって先行して歩いていく。一番いやらしかったのが朳差手前の鉾立峰(1572m)への登り。いったん1420mまで下ってからの急登に喘ぐ。7時45分到着。鉾立峰の頂上に立てれば、あとは標高差80mほど下ってゆるゆる登れば自動的に朳差小屋とそのすぐ先の頂上にたどり着く。8時10分に山頂に着いたら、ガスが晴れて少し明るくなった。山頂から伸びる登山道が2本、大石ダムに向かう権内尾根と、通行止めになっている大熊尾根が見えた。大熊尾根の方には大きめの池も見える。胎内市の市街地方面に開けた谷の出口も見え、うっすら日本海の海岸線も見えた。

2016-08-03-08.10
朳差岳山頂から朳差小屋

これには大満足。20分ほど山頂に滞在して、朳差小屋内部も閲覧させてもらい、小屋前のベンチで少し休んでから大石山に戻る。小屋に泊まっても水場までの道が滑りやすいらしいので泊まらなくて良かったかも。
大石山には9時20分に戻り、30分ほど大休止して足の松尾根の下山ルートに進入した。Iさん母娘は母が大石山で娘を待っていたので体力・気力ともに十分なようで、先に下山開始してもらった。

あと標高差1000mの下山だが、狭くて岩場もある尾根をこの疲れた身体で無事に降りられるだろうか?やや不安を抱きながらも下山にかかる。9時50分歩き出し。アップダウンが若干あり、狭い尾根なのでロープを張った箇所がいくつも続く。誤れば相当下まで滑落しそうだ。実は飯豊の主稜線よりも足の松尾根の方がよほど危険が待ち構えているように思った。蒸し暑い中、4〜5人の登山者とスライドする。よくぞこの尾根を登る気になると思う。と同時にもう一度この尾根を登って朳差岳まで行く気にはならないよなと思う。つくづく今日朳差岳に行っておいて良かった。
2016-08-03-11.28
足の松尾根(崩壊や落石もあり、2箇所ほど迂回路があったが迂回路も滑りやすい)
2016-08-03-11.34
狭い岩場

時間にすれば、下山開始9時50分、水場の分岐近くで10時35分、狭い岩場を抜けた標高800m姫子の峰で12時ちょうど、足の松登山口に12時53分、となり、標準コースタイムの3時間40分よりも40分早く降りたことにはなるが、気が遠くなるほど足の置き場を慎重に選ばなければならない辛い下山だった。

2016-08-03-12.50
緊張した尾根が終わってブナの巨木が迎えてくれた

登山口の広場の日陰ででひとしきり休憩し、まだ13時台なので乗り合いタクシーには頼らずに奥胎内ヒュッテまで林道と舗装路を歩く。すぐに水場があったので、ここで登山靴の汚れを落とし、頭から清水を被り、タオルを絞って持ち帰り用の水を水筒に詰める。さっぱりした。林道から舗装路に出てからは奥胎内ダム建設のための工事車両が頻繁に行き交う道路脇を1時間弱歩いて奥胎内ヒュッテにたどり着いた。午前中に下山した新潟ファミリーに出迎えてもらった。一足先に登山口から歩き始めたIさん母娘も無事に到着。これでこの山旅はコンプリート。歩いた総距離はスマホによれば13km(31日)+16.5km(1日)+18.7km(2日)+22km(3日)の合計約70kmにも及んだ(直線距離だと45kmほど)。朝日連峰の総距離が52km程度なので、それを上回る距離となった。やはり飯豊連峰は東北の横綱である。

奥胎内ヒュッテの大浴場で4日分の汗を流し、ソフトクリームを食べてコーラを飲んだが、体重は5kgも減っていた。ひもじかった学生時代の体重に近くなった。暑さと体力低下による疲れと食欲減退が原因だと思うが、体重が落ちすぎだ。無理は禁物である。
Iさん母娘とタクシーに相乗りして中条駅まで向かった。料金は9000円弱。弥平四郎に車を回収に行かなくてはならないIさんと新発田駅で別れ、新潟駅を経由して新幹線で上野に戻った。長岡の花火大会当日で新潟県内は浮かれていた。上野から通勤列車に乗るのはもう面倒くさく、ものすごく久しぶりに上野駅から自宅までタクシーを使った。東京でタクシーに乗ることはまずないが、ご褒美としてたまにはいいでしょう。

ついに飯豊連峰を全て自力で歩き通すことができ、嬉しい。一日だけ天気がすぐれなかったが、宿題は残してこなかったと思っている。しかしもうこんなハードな縦走はしばらく避けたい。飯豊ならば、今度は主稜線ではなく、新発田の湯の平小屋のような麓の避難小屋を使って温泉に入りに行きたいものだ。
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飯豊連峰主稜線全山縦走(3日目)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ

8月2日

御西小屋での朝は誰かの騒音に起こされることもなく、ごく常識的に始まった。シリアルとスキムミルクとはちみつでホットシリアルが朝食のメインとなった。今日は飯豊北部の主稜線を北に向かって縦走していく。御西小屋に泊まっていた同宿者たちはそれぞれのルートに向かっていく。1階の男性2名は大日岳を往復するらしい。夫婦で来られている2組の方は飯豊本山方面へ引き返す。女性3名組は丸森尾根か梶川尾根を使って小国町へ下山するので門内小屋あたりまで行きたいそうだ。外でテントを張っていた新潟のファミリーも門内小屋でテント泊の予定だとこの日の縦走路で聞いた。私もIさん母娘もまずは梅花皮(かいらぎ)小屋を目指し、時間を見て門内小屋あたりまでは行きたいところだ。

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飯豊連峰地図(その2)

飯豊のコースタイムが書かれた登山地図のタイムも場所や自分が背負う荷物によって実際のコースタイムと大きく異なることがある。この日は地図上のコースタイムよりもかなり早く歩き進めることができた。ただし、飯豊の縦走路は巻き道という発想がなく、すべてのピークを通過しているので、甘く見てはいけない。

5時30分に御西小屋を出て、天狗の庭(6時)、御手洗の池(6時40分)と進んでいく。雪渓の最上部を通らざるを得ない個所は確か1ヵ所だったが、軽アイゼンを装着しなくても普通に歩ける。だが滑落される方もいるようなので慎重に歩を進める。御手洗の池のような池塘は稜線近くにも、登山道の下方にも多く見られるようになり、そこかしこにお花畑が広がっている。特にチングルマの群落が見事。
2016-08-02-06.27.15
雪渓上部を歩く
2016-08-02-06.43.39
御手洗の池
2016-08-02-07.47.47
群落

7時ころから軽いひと雨が降ってきた。雨具を着て、でもベンチレーションジッパーをほぼ全開にして歩く。烏帽子岳と梅花皮山頂ではジプロックに入れた携帯電話を外に出せないほどになった。しかし下って梅花皮小屋で休憩させてもらった9時前後には小降りになり、北股岳もよく見えるようになってきた。梅花皮小屋の管理人のおじさんは「泊まっていけ」とおっしゃるが、まだ午前中も浅い。今シーズンは石転び沢のルートが危険なので、直接梅花皮小屋へ登ってくる登山者が激減しているらしい。小屋は立派だし、トイレは水洗、小屋から30mで治二清水がドバドバと出ているのだから、稜線上にあって至れり尽くせりの小屋だ。山形県小国町が管轄する唯一の小屋が梅花皮小屋だ。「今度来たときは是非泊まらせて」と言い残して北股岳に登り始めた。

2016-08-02-08.29.34
北股岳
2016-08-02-09.03.05
ありがたくおいしい、治二清水
2016-08-02-09.32.24
石転び沢にあまり雪がない

北股岳頂上は北上縦走する登山者にとって最後の2000m峰。昨夜御西小屋でテントを張っていた新潟ファミリー(両親と中・高生の男兄弟4人)とはここまで休憩時に会話を交わしていたので、この山頂でファミリーの記念写真のシャッターを切らせて頂いた。息子2人と縦走をするというのも、わが家にとってはもう遠い過去の話になってしまった。遠い目になる。親子でこんなハードな縦走ができたらずっと記憶に刻まれるだろう。
2016-08-02-09.32.36
タカネナデシコ
2016-08-02-09.55.19
北股岳頂上には鳥居あり、鳥居に向かってくる参道は現在廃道に・・

門内岳までの下り基調の登山路脇は「ギルダ原」などと言われているようで、高山植物の宝庫らしいが、あまり天候も良くないし、それまでにお腹いっぱいになるくらい花を見てきたのでさほどの感動を生まない。門内小屋前で休憩させてもらったら、管理人さんがちょうど交替の日で、引き継ぎをやっていた。屋根が壊れて雨漏りするので天候回復を待ってヘリが資材を上げるらしい。なかなかいいおじさんたちだ。まだ11時前半なので、Iさんとさらに足を伸ばして頼母木(たもぎ)小屋まで行くことにした。Iさんのお母さんはもう70代らしいのだが、荷物を軽量化して1本ストックでスタスタ進んで行くのを見ると実年齢よりも相当若く見える。時には大荷物を担いだ娘さんが休憩を取れなくて困るくらい健脚だ。母娘が互いに協力しあって縦走を成し遂げるというのもいいなと思う。門内小屋でテントを張る予定だった新潟ファミリーもテント設営をやめて先に向かっている。

さて、頑張って午前中に相当長い距離を縦走してきたが、ついに12時直前から雨が本格的に降り出した。ちょうど梶川尾根との分岐点、「扇の地紙」というところから地神山、頼母木山、頼母木小屋までの時間にして1時間30分、大粒の雨がフードをたたき、登山道は小沢と化し、遠いけれども雷鳴もあって森林限界以上にある山頂部を通過するときは緊張した。前を行く新潟ファミリーは今まで追いついたり視界の中に入っていたのに、急にペースが上がって息子たちの姿が見えなくなった。すれ違った登山者の情報によると一人のお子さんが雨具なしで歩いていたという。それで小屋まで急いだようだ。後方のIさん母娘の姿もあまりよく見えなくなった。もう休憩を取っている余裕はなく、一度樹林帯を出る前にカミナリを気にして数分座り込んだが、ほぼ一気に頼母木小屋になだれ込んだ。13時15分到着。水がドバドバ流れる流し台の前で新潟ファミリーと無事を確認しあう。Iさん母娘も無事に小屋にたどり着いた。皆疲れ果てて小屋になだれ込む。先に小屋に入っていた一人の男性がとても気さくでいい方だった。丸森尾根をこの日に登ってきて、翌日は朳差岳をピストンして南下するという千葉からの男性だった。

ザックから靴から前身びっしょりで、小屋内で濡れ物を干すのが大変だった。もう3日目のウェアは自分の汗で臭く、何かの拍子で臭いが立ちのぼってくる。さらに豪雨で靴の中を濡らしてしまった。スパッツを装着する手間を惜しんでしまったのだ。毎日中敷は外して乾かしているが、それでも追いつかない。明日最終日は濡れ靴を履かなければならない。最終日なので臭い靴下は予備のものに替えるが、濡れ靴に新しい靴下というのが辛い上に、濡れ靴の中の足はふやけてマメもできやすくなる。山行中雨に遭っても靴の中を極力濡らさないというのは常に気にしてはいるが、心の余裕がないと難しい。
2016-08-02-14.21.34
頼母木小屋の流し台(まだ雨の影響で水が濁っている)
2016-08-02-15.34.07
出した後はペダルを漕ぐことで微生物に空気が送られるしくみ

この日の頼母木小屋宿泊者は上記の男性1名に門内小屋方面から北上してきた我々7名に加え、夕方になってたどり着いた関西弁の3名の高年男女の11名。余裕を持って泊まれた。夕方になって雨が止み、携帯をつなぐと翌日は曇りベースらしい。雨さえ降らなければ朳差岳のピストンはできそうだが、そろそろ体力が落ちてきて食欲もあまり湧かなくなってきた。夕飯はアルファ米とみそ汁ではなく、カップラーメンにした。
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飯豊連峰主稜線全山縦走(2日目)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ

8月1日

切合小屋の朝は早かった。というのも、隣近所のことを省みず暗いうちからガチャガチャと音を立てて準備する人が多過ぎたからだ。近くには熊鈴を鳴らして平気な人もいた。登山者のマナーは守って欲しい。

山でご来光を見るのは何だか変な習慣だと私は思っていて、歩き始めてから縦走路でご来光を見るならわかるが、山頂や小屋前で見なければならない必然性は感じない。夏だったら日の出とともに起きて朝食を作り食べて出すものを出してパッキング完了とともに歩き始めればいいと思っている。歩き始めは当然明るくなってから。十分時間はある。

2016-08-01-05.21
朝日連峰を遠望
2016-08-01-05.30
大日岳方面
2016-08-01-05.39
雪渓も出てきた(前を行くIさん)

5時30分に小屋を出発。ツアー団体が先行していてその最後尾に追いついてしまったので、最後尾のガイドが「追い抜きますか?」と聞いてくれたが、とりあえず彼らが休むだろう草履塚山頂で抜かせてもらうことにした。ところがツアー客は山頂の登山道の真ん中にザックを置いて座り込むので困る。ガイドが道を空けて下さいと言っているが反応が鈍い。20人もの大所帯でこちらにも不満はあるが、押し殺して先行する。御秘所の手前で団体を抜くことができただけありがたい。

草履塚を下ってすぐに姥の前。姥権現の地蔵さんが祀られている。女人禁制だった時代に禁を破った女性が石に変えられたという場所だが、姥権現のお姿が印象的。そしてすぐに御秘所。飯豊本山に向かう登山路の中の難所の岩場だ。とはいえ、鎖もついているし、このくらいの岩場ならばあちらこちらにもある。いまのルートは御秘所を通過するルートの中でも一番易しいルートなんだろう。ただ、昔の草履履きでは相当苦労したはずだ。御秘所の通過ルートによっても御利益が違ったらしい。とりあえずこれで私も会津で一人前の男として見られることになったはずだ(もう元服年齢よりも相当上だが)。
2016-08-01-06.12
姥権現
2016-08-01-06.13
御秘所の岩場

あとは御前坂をエッチラオッチラ登れば2000mを越え、本山小屋下の幕営地を過ぎて本山小屋と飯豊山神社奥宮だ。7時20分に到着。味気ない建物で、本山小屋が混雑するときには社殿の中にも登山者を入れるらしい。一応、お参りはして、御朱印を切合小屋の領収書裏に捺してきた。本山小屋で赤い手ぬぐいを買う。団体ツアー客が登ってきたのでそそくさと先に進む。

2016-08-01-07.13
本山小屋下のテン場

2016-08-01-07.51
イイデリンドウが咲いていた
2016-08-01-07.54
飯豊本山山頂はガスで展望なし

ここから先は斜度が緩くなる。ガスってきてしまったが、飯豊本山(2105m)、駒形山(2038m)を越えて緩く下っていく。御西岳(2012m)のあたりになると人はめっきり減り、高山植物が豊富になる。御西小屋には9時20分に到着。20分ほど休んで、重いザックを小屋脇に置き、大きめのウエストバッグを肩から斜め掛けして大日岳を目指す。ガスが濃くなってきたので雨具は必携だと思われた。ここまで前後してきた長野のIさんの娘さんと2人で歩き始めたが、例の団体ツアーが意外に早く御西小屋に着き、先行している。文平の池が見えるあたりでまた抜かせてもらい、急登をあえぎながら登る。荷が軽いのでまだマシだ。コースタイムは2時間だが、重荷がないので1時間ちょっとで山頂に着いた。山頂には2人がいただけで、山頂の標柱と三角点が何故か若干低いところにあった。しばらく休憩していたら、団体ツアーが大騒ぎしながら登ってきた。まずガイドの声がうるさい上に、客の一人が標柱の裏で座っている私に、「写真を撮りたいからどいてくれ」と言う。ムカッときたが大人しく譲ってやった。彼の撮影する大日岳の頂上標柱の写真はさぞかし芸術的なんだろう。是非どこかの写真展にでも発表してもらいたいものだ。
Iさんと団体ツアー登山について少し離れた場所でさんざん文句を言ってこき下ろした。
2016-08-01-10.48
大日岳山頂もガスだとこんなもんですが、芸術的写真が撮れるのか?
2016-08-01-11.36
大日岳から戻る途中の文平の池2016-08-01-12.06
御西小屋に戻ってきた

12時過ぎに御西小屋に戻り、宿泊手続をする。切合小屋が2500円、御西小屋は2000円と額が異なるが、これは飯豊主稜線の小屋の管轄が福島・山形・新潟と異なり、市町村によっても異なるからだろう。今まで盲腸のように稜線上にのみ伸びた福島県を歩いてきたが、ついに県境を越えた。御西小屋は新潟県阿賀町の所管らしい。割り当てられた寝床の番号は8番だったが、普通にマットを敷くと7番までの人で8番はおろか9番くらいまで埋まってしまう。午後何人も客が来るとオイルサーディン状態になるのは必定なので、皆で祈るが、果たして我々の後に入ったのは男性2人で、1階を割り当てられた。4時を回った頃に私が勝手に判断して11番に移ったので、他の方々も多少は余裕ができたかも知れない。御西小屋の水場は若干遠く、かなり降りないとならなかった。トイレは飯豊の小屋の中でも最悪で、たった2箇所でポットン&ペーパーなしだった。築10年の新しい小屋なのにトイレに工夫がないのはおかしい。阿賀町に改善を望みたい。

この夜、ラジオで九重親方の訃報を知る。がんと闘っていることは以前から知っていたので覚悟はしていたが・・・千代の富士は現役時代も親方になってからも毀誉褒貶のあった人だが、私らが高校生の時に他の大関候補をごぼう抜きにして出世したのが印象的だった。高校のクラスでは女子も含めて相撲人気があった。北の湖に次いで千代の富士もか。隆の里はすでに亡くなり、北天佑も早くに亡くなってしまったし、あの時代の力士たちは短命だったなあ・・
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飯豊連峰主稜線全山縦走(1日目)

福島・山形・新潟三県にまたがる飯豊連峰の主稜線をすべて自分の足で踏破してみたいという願望は何年も前からあった。2013年に南ア悪沢・赤石・聖の縦走をしたときに、次は飯豊全山縦走と公言していた。しかし諸事情があってなかなか有言実行にはならなかった。特に15年はひと夏ボランティア的な仕事のために全滅だった。

今年こそ!と思わせてくれたのが新潟胎内市がJRとタイアップして作成したポスター。最寄り駅の階段の途中にもう数ヶ月張ってある。残雪の飯豊連峰北部の山の連なりと巻き道のない登山道が私を誘ってくれた。数種類の写真が掲載されたポスターが作られたようだが、どのポスターの写真も素晴らしいのだ。

山中3泊あれば福島県側から新潟県胎内市に抜けられそうだ。宿泊できる避難小屋はほぼ管理人が入っているし、主稜線上には7つの避難小屋があって、よりどりみどりである。切合(きりあわせ)小屋、梅花皮(かいらぎ)小屋、できれば最後に朳差(えぶりさし)小屋に宿泊するつもりで計画を立て、週間天気予報をにらみながら7月30日に自宅を出ることにした。

現実は以下の通りの行程となった。
30日 自宅〜会津若松
31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ
   中条駅までタクシー、JRで自宅
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飯豊連峰地図(その1)

30日は新幹線と磐越西線の快速列車を使って会津若松に夕方入り、駅前のビジネスホテル泊。会津盆地は暑く、午後の天気も不安定なようだ。

7月31日
朝4時30分起きしてATPテニス・トロント大会の実況を第1セットだけ見て後ろ髪を引かれながら5時28分会津若松発新潟行きの列車に乗った。当然車内はガラガラ。6時12分に野沢駅に着き、予約しておいたタクシーで弥平四郎集落のさらに奥の祓川登山口に向かった。格安のオンデマンドバスが弥平四郎集落まで走るのだが、早朝で運行時間にはまだ早く、なるべく朝のうちから登って稜線上の小屋にたどり着きたいので、ここは金に糸目をつけずタクシーである。

2016-07-31-05.55
磐越西線の列車内で

北アや南アなどと違って、東北の山はアクセスが悪く、それが計画上のネックになっている。東北の山の大関クラスである朝日連峰もアプローチが不便。横綱クラスが飯豊だろうと思われるが、こちらも登山口まで、下山口からの交通が不便で、スルーハイカーはいろいろと工夫をされているようだ。車をどこかにデポするのも、自転車や原付バイクを下山口にデポするのも、単独で登ろうと思っている私にはとても面倒くさい。それに、タクシーを使うと1万円くらい消費してしまうのが勿体ない、という考えもあるが、私は登りたい山に行くのに1万円は決して高くないと思っている。

ということで約1時間タクシーの中で運転手さんに西会津町の奥まった集落のいわれや実情を教えてもらいながら、最奥の弥平四郎集落を抜けて狭い未舗装林道を走り、祓川登山口に到着。タクシー運賃は約9500円だった。オンデマンドバスで来たら歩かねばならない林道をカットできた。

2016-07-31-07.16
祓川登山口

7時20分、祓川登山口で登山届を投函して出発。稜線に出るには登山道が2本あるが、水場があり、最初の斜度が緩めの新長坂コースを歩き始めた。まず沢を渡るために標高差20〜30m下り、渡って少し登ると祓川山荘が左手にある。屋根にブルーシートがかけてあり、雨漏りがひどいのかも知れない。水はふんだんに使えるらしいので、初日にこの祓川山荘に泊まる登山者もいるようだが、単独でこの小屋に泊まる気は起きなかった。

2016-07-31-07.36
祓川山荘

登山道は斜登行する感じで松平峠まで上がっていく。十森というところで小さな沢があったが、この日は水がきれいとはいえなかったのでスルー。松平峠からは低木帯になって日差しがきつく、標高差300mを一気に登るので休み休み高度を稼いでいく。日曜日なので、下山する登山者とすれ違う。なるべく明るく話しかけて情報をもらう。
疣岩分岐でちょうど11時。ほぼコースタイム通りか。しかし暑過ぎてバテた!疣岩山山頂までのペースがゆっくりになり、山頂で休憩、さらにその先でも休憩を取ってしまった。三国小屋到着が12時40分。20分の大休止を取る。登り初めは本山小屋まで行って宿泊しようかと思ったが、どうやら1つ手前の切合小屋泊の方がよさそうだ。

疣岩山から前後して歩いていた母娘と会話を交わす。祓川から尾根に直登するコースで登ってきたとのことで、長野県松本市からいらしたというIさん母娘だ。私の郷里にかなり近いので話が合い、切合小屋まで前後して歩くことになった。彼女たちは1週間の休暇を利用して飯豊に来たそうだが、コース検討の結果、大日岳あたりまでのピストン山行を考えていたらしい。私の計画を話したら、奥胎内に下山して羽越線の中条駅までタクシーで出ることは全く想定していなかったようで、山形県の小国町に下山して米坂線を使おうにも便数がなくて結局スルーハイクは諦めて登ってきたとのこと。しかしその手があったかということで、以後下山して列車に乗るまでご一緒することになった。単独行の私としては、同じコースを歩き通す仲間ができたので心強い限りだ。

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疣岩山から見えた飯豊本山

三国小屋から川入に下る剣が峰は歩きにくそうだ。弥平四郎から登って正解だった。切合小屋に向かう道中にはハシゴが設置されていたりしたが、小屋到着は15時だった。大きな小屋なので、宿泊客も日曜日の割には多く、天気もいいのでグループごとに屋外でくつろいでいる。私とIさん母娘は1階の入口に一番近い場所をあてがわれた。暗くてヘッドランプなしには物の整理整頓ができない。16時頃からアルファ米とみそ汁の夕飯を作って食べ、早々に寝所に落ち着いた。この夜、たまたま20時過ぎに一度起きたので、期日前投票をしてきた東京都知事選の結果を知る。今後もあんまり東京都は変わりそうにない。
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ガスってきた中、切合小屋到着

切合小屋では食事提供もされるとは聞いていたが、かなり多くの人が小屋の食事を取っているように見受けた。しかしその大半は翌日も大日岳まで離合するツアー客だったようだ。飯豊といっても多くの人が登頂を目指すのは飯豊本山までか、足を伸ばして最高峰の大日岳までのようで、切合小屋に宿泊して翌日荷物を軽くして本山往復とか、大日まで往復して再び切合小屋泊というパターンが多いようだ。連峰の半ばまで行けば静かな山歩きができるということだが、その通りにやかましくも厚かましい20人のツアー客も大日岳で引き返していった。
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朝日連峰縦走

今年の夏の仕事山行は、朝日連峰主稜線の縦走となった。
東北地方は海の日を過ぎても梅雨が続き、例年雨中山行になるのだが、今年は雨には降られず、私が関わった4日間のうち後半2日は見事に晴れた。初めて歩く山域だったので本当は山形入りした20日のような快晴であって欲しかったのだが、それは贅沢というものだろう。

計画は以下の通り。通常は山中2泊だそうだが、総勢15人の大所帯で亀脚の少年もいたので無理せず山中3泊となった。
20日 新幹線で山形入りして左沢からタクシーにて古寺鉱泉泊。
21日 古寺鉱泉から古寺山・小朝日岳を経て大朝日岳山頂、大朝日小屋泊。
22日 大朝日小屋から西朝日岳、竜門岳、寒江山を経て狐穴小屋泊。
23日 狐穴小屋から以東岳、オツボ峰を経て大鳥池キャンプ場にてテント泊。
24日 大鳥池から泡滝ダムへ下山、タクシーにて鶴岡駅へ。鳥海山に向かう少年たちから離脱、帰京。

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朝日連峰地図(その1 古寺鉱泉〜竜門山)
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朝日連峰地図(その2 寒江山〜大鳥池)

20日 左沢駅で少年たちと合流すべく、昼12時過ぎに上野を出る新幹線つばさの指定席を取ったのだが、各駅列車で先行する少年たちの列車が朝方の地震による若干の遅延や少年の荷物トラブル、乗り換えミスなどが重なり、合流の時間を合わせるため新幹線指定席の変更を2度も行う羽目になってしまった。指定席の変更は1回目は券売機でできるが、2回目はみどりの窓口で一度払い戻し手続きをした上で買い直さないといけないというルールをこのトラブルのおかげで初めて知った。最寄りの駅のみどりの窓口は数年前に廃止されてしまい、隣駅まで行かないと手続きができない。最寄り駅の駅員による私の切符紛失というしょーもないミスのお陰で、貴重な時間を無駄に費やす。なんとか13時台の新幹線に変更できて、あとはスムーズに左沢駅までたどり着いた。

タクシーからは朝日連峰の主稜線がスッキリ見え、期待が膨らむ。古寺鉱泉(標高680m)に到着したのはもう19時過ぎで、それから食事の準備をさせ、重いくせに貧弱な食事(今どき生米を飯盒で炊く)が始まった。古寺鉱泉は食事がいいとの評判があるそうだが、今回は素泊まり&どうせ翌日から汗まみれなので風呂にも入らず、避難小屋泊とたいして変わらない宿泊形態だった。しかし古寺鉱泉のご主人には少年教育も含めて大変世話になり、また個人で泊りに来たいと思う。

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古寺鉱泉(左手に登山路がのびる)

21日 朝からガス。例によって準備が遅れ出発も遅れた。稜線にたどり着くまでひたすら登りが続くが、山慣れていない年少の者のザックの形がいびつで、とても気になる。体力も根性も不十分で、ひたすら悲鳴を上げながら歩いているのだが、実はパッキングが杜撰で、嵩張る衣類などを圧縮せずにザックに入れているし、雨蓋に重い物をひたすら詰め込んでいるのでザックの重心が不安定で振られているという事実を本人は知らない。その都度年長の者が修正し指導し、ザックの中身を分け持って負担を軽減してやっているが、本人は余り感謝の態度を示せず、年長の者がしだいにイライラしてくる。また、歩く速度も年少者に合わせるので、頻繁に休憩を入れねばならず、コースタイムはおろか、その2倍近く時間がかかってしまう。古寺山(標高1500m)までの登りが特にいやらしかった。水場はそこまでに2箇所あったが、下部の一服清水は豊富に出ていた。上部の三沢清水はちょろちょろ。大朝日小屋に突き上げる最後の急登手前に銀玉水があり、こちらはさらに豊富に水が出ていた。大朝日小屋前には水場はないので、途中の銀玉水で補給するか、小屋を出て数分の金玉水を汲みに行かねばならない。

そんなこんなでガスガスの中、約9時間かかって大朝日小屋にたどり着いた。幸い、大朝日小屋の管理人の方が2階のまとまったスペースを割り当てて下さり、快適に過ごすことができた。この小屋は大勢の人が泊まるためだろうが、床にテープで一人分のスペースが仕切ってある。ステンレスのトレーを使えば小屋内でバーナーを使えるというのもありがたかった。トイレは小屋の中にあり、ポットン式で紙は別のボックスに入れる山ではごく常識的な方式だった。この日の宿泊者は我々も含めて40人弱だろうか。百名山ハンターは古寺鉱泉や朝日鉱泉から日帰りまたは大朝日小屋一泊で下山してしまうようで、ここから先は静かな山歩きになった。

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大朝日小屋にたどりつく

小屋で落ち着いてから大朝日岳山頂に空荷で行ってみた。ガスは晴れそうで晴れなかったし、山頂は遠くから見るようなピラミッドのてっぺんのような狭さはなくてまあまあ広かったが、眺望がないのではどこに行っても同じだ。17時近くに小屋に戻った。小屋で相撲中継を聞こうと思ったのだが、小屋の中に入ると電波の状態が思わしくなく、外ではつながる携帯も小屋内では圏外になってしまう。相撲を聞くのは諦め、携帯に蓄積しておいたポッドキャストを聞きながら寝た。ちなみに、標高が1800mしかないことを考えてシュラフは20年くらい前に買ったゼロポイントのインナーシュラフ(クローアップシーツ)だけを持っていった。小屋内は暖かく、特に支障はなかった。

22日 寝坊したわけではないのに、大朝日小屋の出発もおそらく最後の方になった。大人数で要領が悪いので時間がかかる。天候はガスによる霧雨状態だ。私はロングスパッツを装着してレインウェアの上着だけ着たが、小屋の外に出てきた少年たちは無防備で、他の登山客から刈り払いも十分じゃないからレインウェアは着た方がいいよとアドバイスされている始末。朝露で靴の中が濡れるとなかなか乾かなくて往生するということを未経験の少年も多いし、経験していてもすぐに忘れるタイプの者が多いので、全体的に想像力が足りない。まあそんなもんだよね、少年(特に男の子)は。
小屋の外でまたザックを開けてレインウェアを装着し、年少の者は自分自身でザックを背負えないし、靴ひももまともに結べないありさまなので、さらに出発が遅れる。しっかし、今まで長く見てきた少年の中でも、靴ひもがまともに結べない少年は初めてかも知れない。

少年たちは水を豊富に消費するので、歩き始めてすぐに金玉水で水を補給する。ザックなんて下ろさずに補給すれば無駄な時間のロスはないのだが、皆ザックを下ろして休憩モードである。中岳(標高1812m)・西朝日岳(1814m)あたりはピークで1800m台に乗るが、アップダウンは標高差にして100mほど。晴れていれば気分も乗ろうというものだが、景色が見えない上に、私は最後尾なのでストップが多くてそちらの方が辛い。朝日連峰は標高が2000mに満たないので、もっと樹林帯の多い山域かと思っていたが、前日の銀玉水から先はほとんど北アルプスや南アルプスの稜線を歩いているようだ。ハイマツ帯や花崗岩の岩、高山植物の豊富さなど、実際の標高に見合わないスケールがある。縦走路のアップダウンも南アルプスのようなすごさ(標高差300mダウン、400mアップなど)はないが、縦走路から見る谷の深さ、そこまでの斜度は想像以上で、見下ろす雪渓もあちらこちらにあり、東北の悠然とした山の雰囲気とはずいぶん違う。

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西朝日岳方面へ

西朝日岳を大きく下って登り返すと竜門山(1688m)で、竜門小屋の管理人の方が刈り払い作業をしていた。竜門小屋の前で休憩(もう12時近くになっていた)を取り、1600m近くまで下って寒江山(1695m)に登り返す。ここも鞍部から山頂まで標高差100m程度なのだが、登りになると年少者のペースがガクンと落ち、全体的にスローダウンしてなかなか捗らない。我々を抜かしていく登山者はほぼ皆無で、すれ違う人も単独者が2〜3人なので、幸いどこで休憩を取っても迷惑にはならない。それだけ山深く、百名山ハンターのピストン山行とは無縁の世界だということだ。

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ハクサンシャジン
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ウスユキソウ
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チングルマ

北寒江山(標高1658m)に登り詰めれば、この日の登りは終わり。三方境(1591m)で進路を左にとり、砂礫の道を下って狐穴小屋にたどり着く。歩きながら朝日連峰の主稜線縦走路から四方に延びる支脈の登山路も多いことに気付かされた。北寒江山からは相模山を経て新潟県村上市の三面にのびる稜線上のルートがあるし、三方境からは天狗角力取山なんていう名前の山を経て山形県西川町に下るルートがある。竜門山からは日暮沢ルートがあり、大朝日岳に突き上げるルートも四方八方からある。しかし以東岳からは大鳥池を経て泡滝ダムまでルートは決まってしまう。狐穴小屋から先はエスケープルートがないということだ。

狐穴小屋には先客が一人もいなかった。管理人の方は非常に気さくな方で、具志堅用高の髪をロン毛にして茶髪にしたような風貌だ。ソーラーパネルを解体中の以東小屋から分けてもらって無線機を充電していたり、翌日も以東小屋から廃材を分けてもらいに背負子・長靴・ヘルメットのいでたちで颯爽と稜線を駆け抜けていった。一月以上も奥深い山中で自炊しながら小屋の管理をするのは大変なことだ。

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狐穴小屋と周辺

狐穴小屋周辺は水が非常に豊富で、おのおの清水を使って身体を冷やし汗を流した。小屋のトイレも水洗でロールペーパーは流せる。小用をしても驚くほど水が流れるので驚くが、排泄物と汚染水はどのように処理されるのだろうか?気になる。夕方、泡滝ダムから登ってきたという単独者が2人小屋に入ったが、それでこの日の夜は終了。1階に少年たちが、2階に私と同僚、後から来た単独者の4人が寝た。この日は小屋内で相撲中継が聞けた。というか、管理人がラジオをかけっぱなしにしていたので聞こえる。13日目、稀勢の里が3敗目を喫し、管理人とともに悔しがる。ちなみに携帯は窓の外に持った手を出せばつながる。

23日 朝から快晴である。1500mの狐穴小屋から1771mの以東岳がドーンと見えるが、あの高さまで少年たちは苦労するだろうなと思うと少し気が重い。北にはイメージよりややピラミダルに見える月山と、その向こうに鳥海山である。目の前の稜線からは滝雲がガンガン流れている。歩き始めて振り返ると大朝日岳の△が遠くに見え、ずいぶん歩いたことを実感する。左手方向にはうっすらと市街地が見えるが、おそらく村上市だろう。かすかに海岸線も見える。
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以東岳
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滝雲の向こうに月山
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鳥海山
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縦走路を振り返る(奥の小さい△が大朝日岳)
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ミヤマリンドウ

やはり以東岳までいくつかのアップダウンがあり、年少者のへばりに合わせるので苦労する。ジリジリと熱くなってきた。狐穴小屋の管理人さんに抜かれ、あっという間にかれはケシ粒のようになってしまった。以東岳から歩いてくる登山者とすれ違うが、やはり数人。以東岳山頂には11時頃到着、約4時間を要した。以東小屋の解体工事はヘリで資材を運んでいるので、頻繁にヘリがやってくる。
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以東小屋解体工事
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大鳥池が見えた

ここからはオツボ峰を通る稜線迂回ルートで大鳥池に下る。「山と高原地図」では以東岳山頂からオツボ峰まで30分と書かれているが、アップダウンと岩場とザレた右下がり斜面のトラバースが多くて、とてもコースタイム通りには行かない。オツボ峰を越えると伸びやかな広い稜線になって歩きやすくなる。あとは尾根の下降。それでも一部は急下降な部類で、直登ルートを下ったらどうなるんだろうかと思う。14時過ぎに大鳥池のタキタロウ小屋着。キャンプ指定地がここにはあるので、今までザックの容積を狭めていたテントが初めて活躍する。おそらく個人山行だったら1回しか使わないテントは持たず、最後まで小屋泊だろう。テン場は一面草地で、風も弱く張りやすくてよいのだが、時間帯が暑い時間帯なので日陰を探すと難しい。

今回持ってきたテントはおニューのテント、カミナドーム2である。今までのメインテント、エアライズ2は20年近く使ったし、2年前の神津島で潮を被ってから勝手がよくなくなっていた。いろいろ悩んだ結果、今まで使ってきたメーカー(アライテント、ダンロップ、BD、ヘリテイジ、MSR、ニーモなど)のものでなく、敢えて新参テントを購入することにした。持っていくときに他メーカーのテントと間違えないことも重要である。これから長く使っていくつもりで、その中で長所と短所を見極めていきたい。今回、入口が短辺側から長辺側になったことが最大の違いで、外気を入れやすいがその分虫も入りやすい。エアライズ2とサイズには大きな変化はない。ただしカミナドームの方がテント頂点の傾斜が緩くなっていてテント内部では空間が広く感じるということと、室内にループが多くあって半濡れ物をカラビナを使ってぶら下げるのに都合がいいということ、テントを固定するガイラインの自在が蓄光プラスチックであるということが今までに気付いた変化だろうか。
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大鳥池に映る以東岳の一部

24日 下山である。今までのコースタイムオーバーを折り込んで6時出発としていたが、案の定準備に時間がかかり6時40分出発となった。おかげで9時30分に予約していたタクシーに10時過ぎまで待ってもらうことになってしまった。
下山路は初めつづら折れの下降で、いたるところに水場があって冷たい水を飲むことができる。沢のレベルまで降りると斜度が緩み歩きやすくなるが、ところどころで豪雨による崩壊地があって安楽ではない。つり橋が2箇所あるが、やや貧弱であった。少年たちが最後までケガなく降りきれるか心配は尽きなかった。不安要素が最も大きい年少者は転んで大泣きしていたが、もう年長の少年たちは鬼軍曹となって励まし続け、最後まで自分のザックを背負わせた。エライ。

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水浴びしたくなる滝

無事下山し、またまたタクシーを使うしか公共交通機関で訪れた者にとっては手段がない。朝日連峰はこんなに素晴らしい山なのに、バス便が減らされ、廃止に追い込まれている。タクシーを使えば左沢駅からも鶴岡駅からも軽く1万円を超えてしまう。近年は学生のパーティ登山もめっきり減り、中高年の少人数登山や単独者が中心なので、学生に比べれば余裕があるとはいえ、個人でタクシー代を負担するのは非常にきつい。山ブームとはいえ、人が多く集まるのはごく一部の山だけだ。東北の朝日連峰や飯豊連峰など、一部に百名山を含むがそれ以外は本当の山好きしか行かないような山域は今後もますますアクセスしにくくなっていくだろう。スルーハイクを試みる場合には登山口まで、また下山口からの交通手段が最大のネックになる。考え込んでしまう。

しかし、行きたいという欲求はなかなか抑えきれない。この夏、近いうちに(8月初め)飯豊連峰の主稜線縦走を山中避難小屋3泊で考えいている。今度は一緒に行ってくれる友達もいないので、単独になる。会津若松・喜多方あたりから弥平四郎登山口へのアクセスは野沢駅からのタクシーを利用することにしようと思っている。おそらく1万円前後するはずだ。下山は奥胎内を考えているが、午後の乗り合いタクシーを利用して下山口から奥胎内ヒュッテに行くとしても、奥胎内ヒュッテから中条駅までのバス便はない。またタクシーで大枚はたいて移動しなくてはならない。財布は寒くなるが、行きたいものは行きたいのである。
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楽園へ・・(大島をウロウロ)

23日はツーリング最終日。もう漕がないが、帰りの準備&島内観光で締める。
午前中にレンタカーで湯湾岳展望台まで行き、滝めぐりをしながら大島の西海岸を北上して大浜海水浴場で軽く昼食、一足先に帰るbaron-papaさんのカヤックを郵便局で送り、名瀬でバスに乗るbaron-papaさんと別れる。


焼内湾全景。次第に雲が多くなってきた・・

マテリヤの滝

その後残った3人は再び大島西岸を南下、湯湾岳に近い宇検村の焼内湾の南岸を湾口まで下見のため行ってみる。大島南部の焼内湾や大島北部の笠利湾は、風が強かったり外海が荒れている時の代替プランを立てるのに有用な場所だからだ。


屋鈍海水浴場

いちばん西端の屋鈍(やどん。ポケモンにいたな)という集落まで行ってみる。養殖生け簀の多い焼内湾だが、ここまで来るとエメラルドブルーの美しい海となる。海水浴場と駐車場、トイレ・シャワーがあって完璧。湾の反対側にはハブ発祥の地とされる枝手久島が見え、島を一周してくるだけでも十分に楽しめそうだ。少し湾の奥に入ったタエン浜もよさげ。近くの郵便局でカヤックを発送すべく、再度カヤック収納バッグのパッキングをするが、ゆうパックの最大重量を越えていていてあえなく断念。名瀬に戻り、営業所からあらためてヤマト便で発送することにする。

この日の夜は名瀬市内の居酒屋で夕食。久しぶりのホテル宿泊で、疲れがどっと出た。

24日もYoshidaさんと大島北部めぐり。午前中にカサハラ氏と空港で別れ、あやまる岬、最北の笠利崎、笠利湾に沿ってカヤック出艇適地を探す下見の旅になった。最後に奄美パークで田中一村の絵画を見て終了。名残惜しいが奄美を後にする。


あやまる岬。北部東岸は平坦でリーフが多い。南部の瀬戸内町は山が迫りリーフは少ない。

笠利崎近くでパラグライダー愛好者のフライトを見る。

笠利湾も非常にきれい。

帰りのフライトは大阪伊丹経由。伊丹から羽田の飛行機の到着が若干遅れ、羽田着は夜10時。
折しも台風が複数発生し、北上してきていた。

奄美の旅、終了
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楽園へ・・(加計呂麻島を越える)

8月22日はヤドリ浜へ戻る。請島水道を東に向かい、諸鈍湾を突っ切り、諸鈍の集落でいったん上陸して、カヤックをバラさずにカートで引っ張り、加計呂麻島の北側の生間(いけんま)まで1kmちょっとの山越えだ。その後大島水道を北東に横断する。約23kmほど。


準備中。だいぶ荷物がこなれてきて、カヤックに入れやすくなってきた。

流されなければいいが・・

出てみると以外と流れを感じない。だがその後若干パドル重くなる。

珍しく貫通岩を発見するが、水路狭くて通過は無理(諸鈍湾口)。

久しぶりに真水を被る。

請島水道で若干の流れを感じ、大島海峡でも流れを考慮して進路を北にとった。とはいえ、核心部はカヤックを引っ張っての島越えだった。一日で最も暑い昼時にこの重労働をし、スポンソンの空気はあらかじめ3分の1ほど抜いておいたのだが、あえなく左スポンソンが生間の港で破裂していた。空気を入れてもすぐに抜けるので、大島海峡を漕ぎながら何度か空気をつぎ足してごまかした。でも、ほとんどパドリングには影響がなかった。さすがは安定したカフナである。


諸鈍に上陸

諸鈍〜池間をカヤック&荷物運びで2往復した。折角なのでデイゴ並木が見事な諸鈍を散策。

パックカートは2組。二人づつカヤックを運び、残り二人は荷物を運ぶ。

諸鈍に上陸したらほどなく駐在さんが原チャリに乗ってきた。理由はこれか?我々は見事に条件にハマっている。

不審な人、不審な船、行動もおかしい。ただ、ここでシーカヤックマラソンが行われ、認知されていることが唯一の救い。

背後の屋根は定期船待合所。裏の日陰で昼食を摂った。出艇準備中だが、スポンソンが破裂していた・・

これでツーリングは一応終了。しかし、スポンソンがすぐに補修できない状態になってしまったので、オプションツーリングは困難になった。Yoshidaさん、ごめんなさい。

この日は撤収の後、ヤドリ浜に置いてあったレンタカーで元ちとせの生まれ故郷、嘉徳(大島東海岸)へ行き、海岸でキャンプ。西側が山に遮られているので満天の星という訳には行かなかったが、東側の星がよく見えた。一番盛り上がったのは「便所サンダル」についての話題だった。

うら寂しい嘉徳の浜。砂の色が違う。

楽園へ・・(大島をウロウロ)
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楽園へ・・(ハンミャ島へ)

8月21日は請島と与路島の間、ハンミャ島まで。距離は12kmほどだが、キャーマ島の北側でシュノーケリングを楽しみ、移動途中で請島の集落である請阿室に立ち寄った。請阿室は非常に素朴な集落。店の看板もないので冷たいものを売っている商店がどこにあるかわからず、地元のおばちゃんたちが集まっているところで店の場所を聞く。港のすぐそばに1軒、民宿も兼ねた店が1軒あった。

その後港の待合所の日陰を利用して休憩と昼食。1晩目の夕食に使うはずだったレトルトご飯が余りそうだったのでここで食べる。港の横の上陸地は砂浜になっており、水のシャワーがスロープのところにあったので体の冷却のために浴びさせてもらう。


漕ぐ前の儀式

今日もいい天気


サンゴ礁にて


請阿室の海岸

古仁屋から定期船(せとなみ)も来る

サンゴの石垣

奄美はどこに行っても土俵がある

待合所の日陰で休憩


請阿室から請島水道を西に向かう。与路島水道から徳之島が見える。与路島水道に入ったとたん、カヤックのバウが左に向き始める。潮流が速い時で4ノット近くあり、流されるのだ。この日は小潮だったので慌てふためく必要はないが、ひたすら左スイープを繰り返して進路を北西にとるようにしないとハンミャ島から南に流されてしまう。なんとか流れをクリアし、ハンミャ島到着。先客がいたので全くの無人島ではなかったが、サンゴの白い砂の上で快適なキャンプ生活となる。夜、涼しくなって再び満天の星を眺めながら語り合った。


流されつつもなんとかハンミャ島に上陸

到着後の儀式

白いサンゴ砂の島でした

楽園へ・・(加計呂麻島を越える)
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楽園へ・・(キャーマ島へ)

8月20日、前日夕方に組んでおいたカヤックに荷物をパッキングし、いよいよ出艇。
前の晩に歓待してくれた方々に見送られて、大島海峡を東南方面に向かう。漕ぎ始めてすぐ、海上にウミヘビ発見。出艇時にも遠くでウミガメが泳いでいた。猛毒と聞く海ヘビは怖いが(実際はおとなしいらしい)、南国ムード全開である。


大島海峡の東の出口を臨む


準備整いました


加計呂麻島東の断崖を漕ぐyoshidaさん


今回初めてご一緒したbaron-papaさん

神ノ鼻を左手に見ながら、加計呂麻島の東部の断崖地帯を漕いで行く。奄美大島でも加計呂麻島でもそうだが、地盤が弱いのか、土砂崩れ・がけ崩れの爪痕があちこちに見られる。あまり断崖に近寄る気もしないし、洞窟も多くはないので、ドンドン漕いで行く。島の東海岸は普段荒れぎみだそうだが、この日はかなりおとなしい海況。若干のうねりと向かい風があるが、向かい風は適度に体を冷却してくれるのでありがたい。


絶妙なバランスによって穴ができている

前夜の影響で体調がすぐれないカサハラ氏の休憩を挟みながら、リーフに囲まれた中間点の徳浜に上陸。ここで長く休憩する。ケンムン茶屋(ケンムンは妖怪のこと)でかき氷など注文して食べていたら、福岡からきたという子供たちが引率されて来て、シュノーケリングを楽しみはじめた。カヤックに興味のある子がいくつか質問してきてくれて(特にビルジポンプが気になるらしい)、中年のおじさんとしてはとても嬉しい。


加計呂麻島の東端にある徳浜海水浴場





子供たちに負けじと我々も泳ぎ潜ってみるが、サンゴはかなりダメージを受けていて生きたサンゴが見当たらず、魚もそう豊富ではない(かわりに黒いナマコばかり)ので、ちょっとガッカリ。

長い休憩の後に、崎根鼻から請島水道を横断して木山(キャーマ)島へ。無人島のキャーマ島の西海岸でキャンプとする。南の島はガシガシ漕ぐよりも、途中でのんびり休憩やシュノーケリングを挟みながら漕ぎ、キャンプ地でマッタリするほうが楽しい。漕行距離は約16km。


請島をめざす


だいぶ近づいてきた


キャーマ島にて

夜が更けると満天の星で、星を眺めながら会話を交わす。

楽園へ・・(ハンミャ島へ)

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楽園へ・・(アプローチ)

8月19日、猛暑の東京から脱出する。とはいえ、カヤックの収納バッグを引きずり、パドルを抱え、ダッフルバッグを背負って行くので早朝にも関わらず夜逃げ同然の怪しい格好。さすがに混雑時の電車は社会的に迷惑なので、羽田まで女房に車で送ってもらうことにした。

早めに9時ころ出発カウンター前に行くと、すでにYoshidaさんが同じような格好で待ちかまえていた。その後、初めてお目にかかる
baron-papaさんが到着、最後にカサハラ氏が現れた。

すでにカヤックを奄美に送ってしまった
baron-papaさん以外の3人は乗る飛行機に荷物として預けるべく手続きを始めるが、カヤックバッグの重量が当然20Kgをオーバーしており、超過料金を支払う。ここまでは予想通り。私の超過料金は甘めに見てもらって11Kg、3,300円(1Kgあたり300円)であった。この金額はあらかじめ宅配便で送ってしまったほうが安い。うまくいけば(最近は重量制限が各社厳しいようではあるが)1,000円近く安くなる。ちなみに帰りは名瀬からヤマト便で送り返したが、飛行機に乗せた金額より若干安かった。



預けた3名はサイフに響く超過料金に、「こんなハズではなかった」「以前はもっと安かったのに」「ショック」と意気消沈するが、そこはリジッドカヤックを送る金額に比べればはるかに安いわけで、互いに慰めあって搭乗する。

急に暗雲が垂れ込めてきた羽田を後にし、昼過ぎには奄美空港に到着。日差しが非常に厳しい。ドピーカンの6日間の始まりであった。


暑い・・


昼食は奄美名物・鶏飯(けいはん)を食す

レンタカー(トヨタプロボックス)に3艇のカヤック収納バッグを積み込み、それぞれのキャンプグッズを満載して、奄美大島南端の瀬戸内町古仁屋へ。途中、国道沿いのホームセンター兼スーパーで買い出しをする。各自用意するのは3日分9食プラス4日目の朝食の10食分。大ざっぱに夜はレトルトご飯にレトルト丼の具、朝はパン、昼は東京から持ってきた煮込むだけのパスタということにして、そこに果物や野菜や魚肉ソーセージなどを付け加えることにした。それと、パドリング中の飲み物が不可欠なので、水出しできる紅茶パックとスポーツ飲料の粉末を購入。ともにスクイーズボトルがあれば飲みやすい。

古仁屋郵便局でカヤック収納バッグがさらに1つ増え、さらに冷たいものを買い足して、古仁屋の東方のヤドリ浜へ。海水浴場の裏手の無料キャンプ場だが、その夜はカサハラ氏の知り合いのカヤックガイドからの差し入れ、キャンプ場脇の知り合いのお店に招かれての宴会(故人を偲ぶ宴であった)で、のっけからディープな世界にはまりこんだ。


夕暮れの大島海峡

楽園へ・・(キャーマ島へ)
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楽園へ・・(準備編)

明日から1週間弱、東シナ海の楽園、奄美群島へ行ってくる。セタスツアーである。

おかげさまで恐れていた台風も今のところ発生しておらず、天気も上々、潮回りも小潮が3日ほど続き、風の予報も弱め。これがホントなら絶好のコンディションになる。

今回は宅配便でカヤックを送るのではなく、自分とともに飛行機に乗っていく。20kg以上の荷物は1kgあたり300円取られるらしいのだが、いったいいくら超過料金を払うことになるのか、戦々恐々としている。

ベース(相棒のカヤック)はより軽いカフナにしたが、トラベルパックに詰め込んだのは、普段常に入れているビルジポンプ・パドルフロート・コーモラントパドルに加え、スプレースカート、PFD、デッキバッグ(その中にシュノーケルグッズとレスキューグッズ少々)、一人用テント・ポール、クレージークリークの座イス、コッヘル・ガスヘッドなどである。すでにそれだけで収納パックはパンパン。予想重量は30kg弱。

あとはシアトルスポーツのロールダッフルS(36L)と剣道竹刀袋に入れたクラトワを持っていく。ダッフルの中には、スポーツマンブランケット(テントマットの他、カヤック組み立て・解体時のシートにもなる)、お着替えポンチョ(上陸時の服にもなり、テントの中では丸めて枕になる)、ヘッドランプ(相変わらず大ぶりな古いLEDランプのBDベクトラIQ)とコンパクトな懐中電灯、着替(濡れない時の服を1.5セット。下着に秘密兵器あり)、ファーストエイドキットや洗面具、携帯充電器やラジオなど電気関係の小物、自転車用保冷水筒(500cc)、地図、嗜好品、若干の食糧(奄美では手に入れにくいエスプレッソパスタ6食分とパワーバー、パワージェル2つづつ)くらいか。

山とは違って海辺の砂浜キャンプになるだろうから、マットやシュラフは不要。代替品で何とかする。本も持っていかない。奄美に行くからと先日、島尾敏雄(特攻隊員として加計呂麻島に赴任、加計呂麻出身のミホを妻とした)の「死の棘」を文庫で買って少し読み始めたら、あまりに凄まじい内容で、南の島にカヤック旅しながら読むにはふさわしくないと思った。この小説は行くまでに読み切る予定。

何日もかけてジワジワゆっくりと準備したが、忘れ物はないか不安。さらに向こうに行ってからアクシデントや参加者の足を引っ張るようなことをしでかさないか不安。天候の急変も不安。不安だらけ。ま、明日羽田に行って飛行機に乗っちゃえば全ては動き出す。なるようにしかならない。

今回、新たに買ったものは先日のカフナの快適性アップのための100円グッズくらいしか無いのだが、せっぱ詰まってからスノーケルを買ってしまった。もうこれ以上ものは持っていかない!と決意した直後である。すぐに翻意する情けなさだが、これで水遊びが楽しくなりそうだ。

ついでに、ブログ記事の訂正。先日の若狭内浦湾のエントリーで、高浜原発は停止中と書いたが、実際は4基の原子炉のうち2基は稼働している。

楽園へ・・(アプローチ編)
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山陰・若狭の旅(4・若狭内浦湾と彦根城)

朝、tsさんに指示された集合場所のヒロセオートキャンプ場の駐車場に到着。すでにtsさんは到着され、ウィスパーも組み立てが終わっている。ここは福井県の高浜町、内浦湾の最奥の入り江だ。京都府内の東舞鶴からはすぐなのだが、小さな塩汲峠を越えると若狭である。

今日はカサラノを組んで出艇する。2日間の山陰ツーリングで疲労が蓄積しており、特に手のひらにはパドルダコ、肉刺ができ、むくんでいる。tsさんは若狭から京都の海を堪能できるようなコースを設定してくれたのだが、疲労した私の身が持ちそうもないので、お願いしてライトツーリングに変更していただいた。



カサラノも順調に組み上がって8時前に出艇。湾口に向かって右手の岸沿いに進んでいくと、南方向からの吹き下ろし風に押されて進む。ダンノ鼻をかすめると右手奥に高浜原発がそびえている。原発関連施設が立ち並んでいるが、そのすぐ左手には音海という普通の漁村があり、この集落も出艇地も、原子炉から2kmも離れていない。若狭湾というのは入り組んだ美しい海岸線に14基もの原発がひしめいているらしい。いま現在は停止状態
(←これはまちがいです。8月半ば現在、高浜原発は4基中2基稼働しています)にあるが、こういう特殊な場所を漕ぐのは初めての経験だ。


高浜原発

湾口はこんなふうなのだが・・

その後は岸ベタで押回鼻から音海断崖へ。tsさんが「プチ隠岐」と呼んでいる断崖を右手に今戸鼻まで出て若狭湾の全貌を眺めてUターン。今度は内浦湾口を突っ切って正面崎に向かい、わずかに京都府に入って馬立島を反時計回りに周回し、再び正面崎近くまで戻って、最後は内浦湾の定置網を避けながら広瀬鼻を経由して戻ってきた。総距離は20km弱。
tsさんによるレポートは
こちらで。





途中、ゴロタの浜に上陸して少し早い昼食・休憩タイムとした。湾口からの出入りは、途中で風向きが変わって風に押され、楽ができた。しかしとにかく酷暑。最後にロールを数回やって、ちょっとひんやりしたが一瞬だけだ。舞鶴の予報では最高気温35度か36度というから、午後は早めに撤収したほうが身のためだろう。12時過ぎに出艇地に戻って装備を乾かしながら撤収。しばらくマッタリして、14時ころにtsさんと別れる。





この山陰・若狭の旅ではオオタガキ氏、tsさんに大変お世話になった。初見の海岸を無事漕げたのもお二人のおかげだ。いいツーリングをさせていただき、感謝。

再びクルマの一人旅になる。若狭の海岸沿いを走り、海水浴場の駐車場が満杯なのを横目に進む。小浜線に沿って走り、若狭街道で琵琶湖の西岸今津へ。琵琶湖を時計回りに回って8号線で彦根へ。今夜の宿は彦根駅前のホテル。日曜日は渋滞必至だし、京都府内に下宿している長男と合流して東京へ帰るのだ。

夜、食事がてら駅前の本屋を覗き、地方出版の本とひこにゃんグッズを買い求めたら、彦根城に行きたくなってきた。明日チェックアウト前に彦根城散歩だ。

ということで翌日は朝8時30分の開場を待って彦根城を見学。ほぼ一番乗りだったのでスムーズに回れた。国宝の城郭は姫路城、松本城、犬山城とこの彦根城4つである。圧倒的なスケールと存在感は姫路城にはかなわず、天守の大きさも姫路・松本城には劣る。私は特に郷里の松本城に対する思い入れはあるので、彦根と犬山はあまり関心がなかったが、実際に行って見るとさすがに徳川譜代筆頭の井伊家のシンボルである。小振りだが美しい。完全な平城ではなくて琵琶湖沿岸にある小山を利用しているので、櫓などと一体の建造物と捉えれば、平城の松本城よりも存在感は上回るかもしれない。


玉砂利にひこにゃん


石垣




城下の庭園(玄宮園)から眺めた天守はなかなかよい。

さて、見学が終わって汗だくでホテルに戻り、長男を拾って帰路につく。往路に使った東名はストレスが溜るので、迷わず中央道を選択し快走する。実は東京までの距離はさほど変わらない。駒ヶ岳のSAには立ち寄ったが、標高が低くなるにつれ休憩する気が失せ、結局16時に、先週とはかわって暑くなった東京下町に無事到着。

今年は「悔いなき夏」がテーマなのだが、十分な旅が楽しめた。
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山陰・若狭の旅(3・浜坂〜大谷)

自然と早起きして出艇準備に取り掛かる。7時ちょっと前に出発。本日漕ぐのは、浜坂から岩美町の大谷まで。前日とほぼ同じくらいの20kmだが、またロックガーデンや洞窟でウロチョロしながら漕ぐと距離は少し長くなる。


朝の海はいいもんです

出発

山陰本線の駅でいうと、浜坂→諸寄→居組→東浜までは駅が海岸沿いにあるが、その先の岩美、大岩駅はだいぶ内陸だ。車は浜坂に置いていくので私はテントなど不要な装備は車において行くことにしたが、車の回収が面倒だ。

オオタガキ氏は過去に漕いだことのあるエリアとなり、次第に郷里に近づいているので土地勘もある場所で、私は付いていく感じ。コースは先日のような人気をあまり感じない海岸線ではなく、岩礁帯の岬と海水浴場がある浜が交互にあって人気も多くなる。まして週末の土曜日である。




虹が・・

まず東の洞門と西の洞門をカヤックでくぐる。迷路のようなロックガーデンを彷徨い、居組の港近くの島でいったん上陸して腰を伸ばし、泳ぐ。


大人の夏休み

東浜の海岸は条件によってはサーフエリアになるそうだが、今日は風も弱く波も立たず、とろんとしている。浦富海岸のロックガーデンがツーリングのラストを飾るハイライト。崖上の道路からデイキャンプグッズなどを持ち込んで思い思いに磯の観察に来ている人々がいる中をそろそろ漕いで、暑さに負けて船隠しのような洞門奥にカヤックを入れて再びシュノーケリング。結構多様な生物がウロチョロしているようで、海中を見ていて飽きない。


だいぶ岩の色合いが異なる。山陰ジオパークは飽きない。舟隠しの洞門の奥で。

浦富海岸の複雑なロックガーデン

すると、ポリ艇の集団が岩場にきていた。近くの網代港から出てきたカヤック体験のツアーらしい。挨拶だけ済ませて先に進む。網代の漁港の防波堤を内側から抜けるが、今まで漕いできた場所の水質がグッと落ちてしまったので閉口する。そのまま港に隣接した海水浴場に上陸。12時過ぎである。無事ツーリング終了。


郷里に向かって漕ぐ男は絵になる(砂丘が見える)

カフナや装備を干しながら、私は車の回収に向かう。海水浴場の駐車場管理の人たちに駅への行き方を聞くが、「歩いたら相当遠い」という漠然とした返答のみ。バス停でバスに乗れば岩美駅まで行かれるが、週末ダイヤで真っ昼間のバスはかなり待たないと乗れないだろう。頭に残っている地図の残像(ツーリング中に地図はオシャカになりました)を頼りに炎熱道路をひたすら歩く。2.8kmくらい離れた無人駅の大岩駅に到着するころには、暑さで死ぬかと思った。だが途中、田んぼの中に鷺の群れを見つけたのでよかったことにしよう。不思議なことに、漕いできた山陰海岸では海鳥が圧倒的に少なかった。洞窟でイワツバメ、時々トンビを見るくらいだった。

待ち時間15分で汽車に乗れ、浜坂駅まで戻る。駅からキャンプ場までまた炎熱地獄を歩くのは敬遠したかったのでタクシーを捕まえる。無事車を回収し、今日漕いだ海岸を眺めながら大谷に戻る。ありがたいことにオオタガキ氏が私のカフナも解体しておいて下さり、収納バッグに収めるだけで撤収完了。ご実家に向かうオオタガキ氏を岩美駅まで送り、別れる。

もう灼熱下でのパドリングで体にダメージが蓄積されているが、漠然ともう少し漕いで帰ろうかなと思い始めていた。明石のtelemarkstyle(ts)さんに連絡を入れ、無理を言って日曜日にご一緒していただくことにした。瀬戸内海方面は風が強いということで、京都あたりの日本海に移動することになる。こういう時クルマは気楽だ。

浜坂まで戻る間(東浜居組道路というトンネルが無料で通行できた)に夕立があり、国道9号線に乗ってからも湯村温泉で夕立に出くわした。ハチ北のスキー場近くを通り、福知山の手前から舞鶴に向かった。非常に快適な道路で、こういう道を法定速度で走っていると旅をしている感じがする。

午後に予約を入れた東舞鶴のビジネスホテルに投宿。

山陰・若狭の旅その4へ
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山陰・若狭の旅(2・香住〜浜坂)

キャメル号に乗ってきたオオタガキ氏と6時30分に落ち合い、私の車で浜坂へ。山陰本線では鳥取から7駅分京都よりの兵庫県になる。

浜坂に置いた車は後ほど回収するつもりなので、なるべく駅に近いところに停める。さるおばちゃんの許可を頂いて事無きを得る。おかげで、浜坂からさらに4駅分京都よりの香住まで、8時台の列車に乗ることができた。これを逃すと10時台までないのだ。


気動車です。


香住の海岸のボードウォークでカフナを組み立てる。すぐ近くには業務用スーパーがあり、安く品物が手に入るようだ(オオタガキ氏談)。特に問題なく準備ができて、10時過ぎに出艇。相変わらずオオタガキ氏の装備は細かいところにさまざまな工夫がほどこされ、見るたびに感心する。



北東風がやや強めに吹き、崖近くでは少し乱れた波が立つが、カフナならむしろそのくらいの方が刺激があってよろしい。なるべく岸ベタで忠実に海岸線を辿り、見つけた洞窟や岩の間の水路には丹念に入ってみるが、あまりに多すぎて、写真を見てもどこがどこに相当するのか不明なものがあり、また岩が入り組み過ぎていて、実際漕いでいて何気なく通過してしまったところに見どころ(カヤック突っ込みどころ)があったりして、事前に直線的に測った距離よりも相当長く漕いでいる。


漕ぎ始めのころの洞窟


岩場に見事な松。その下にまた洞窟が・・


見事な柱状節理。岩の造形も少し漕ぐとだいぶ様相が変化する。


ちょうど昼くらいに餘部の旧鉄橋と新コンクリート橋が見えてきて、上陸し昼の休憩とする。上陸したところにはトイレがついた公園があり、飲み物の自動販売機もあって思わず気付け薬としてコーラを買ってしまう。

3分の1ほど残してある鉄橋が虚しい。



再び西に向かって漕ぎ始める。餘部からはしばらく集落も稀な「但馬御火浦(たじまみほのうら)」だ。今回のツーリングで最も北にあたる伊笹岬をまわり、香美町と新温泉町の境界にあたる鋸岬を越え、ほとんど唯一の集落といえる三尾の先の入り江で休憩。シュノーケリングを楽しむ。


その後もずっと海岸線に忠実に進み、入れる洞窟は入り、凝り固まった腰を海中に浮遊して伸ばしながらのんびりと浜坂に向かっていく。


16時過ぎに無事浜坂の海水浴場に到着し、キャンプを申し込む。まずテントを設営し、着替えてから食事に出かけ、刺身と煮魚中心の豪勢な夕食を食べた後、駅前の車を回収し、迷いながらもスーパーで無事買い出しを済ませる。大型スーパーは郊外にあるので車が使えてよかった。仕上げにキャンプ場裏にある立ち寄り温泉に入って本日終了。若者の嬌声や花火がうるさいということもなく、むしろ自分も含めテントで寝ているオッサンのいびきが轟く程度だった。

ここは宿泊もできるらしい。

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山陰・若狭の旅(1・鳥取砂丘)

鳥取を郷里にもつ、オオタガキ氏からのお誘いがあり、1泊2日で鳥取・兵庫の日本海沿岸をツーリングすることになった。

折しも台風9号・ムイファーが大東島から沖縄本島、先島諸島を通過する予報だ。その後中国大陸に接近していくものの、西日本の波・風予報はかなり厳しい方向のもの。初日は漕げても二日目は漕げないかもしれない、というイヤな予感から、二日目の代替案をお互いに抱えつつ、私はカヤックを2艇持っていくために自家用車で鳥取へ移動(当初はカフナ1艇を持ち新幹線と在来特急で移動する予定だった)。疲れる・渋滞あり・カネかかるの三重苦ではあるが、マイカーでの移動は気楽で自由だ。

首都高の早朝渋滞を極力避け(とはいえ東名の横浜町田で軽い渋滞)、静岡の由比あたりで太平洋の様子をチラ見し(でも静岡で結構深刻なピタ止まり事故渋滞)、新名神を使ってショートカットしながら京阪神へ。幸いスムーズに中国道に乗れ、佐用ジャンクションから無料供用している鳥取道へ。ずいぶん道路は繋がっていて、1ヶ所だけ下道を走るがストレスなく鳥取市へ。
生まれて初めて来た鳥取!

何と言ってもまずは砂丘でしょう、ということで市街地を通過して展望台駐車場へ。駐車場代は無料なのだが、砂丘に行くには300円のリフトに乗らんとイカン。なら近いところへというわけで近い駐車場に行ったら駐車料金が410円だった。


展望台から俯瞰

気温36度以上という暑い中での砂丘の上り下りは苦行の一言。便所サンダルで歩くが、足裏に砂が入ると熱い。熱中症に備えて帽子と飲み水は不可欠。砂丘の「馬の背」まで普通の男女が歩いていくので、鳥海山に登れなかったとはいえ、くじけては中年男がすたる。「馬の背」の頂上から海に向かう斜面は、スキーヤーには若干そそるものがあったが、この暑さでは戻ってくるのが辛い。ということでやられないうちに退散。ところが帰りのダラダラ坂が辛かった。


キツイ登りだけどここの砂は熱くなかった

雪だったらね・・

向こうのダラダラ坂の砂が熱くて辛い

「山陰海岸ジオパーク」の紹介施設で海岸の地図付きパンフレットがないか探すが見当たらず、鳥取市内へ戻る。駅前のホテルに投宿、翌朝着くオオタガキ氏を待つ。

失礼ながら山陰本線の列車は編成が短いのに、鳥取駅がやけに長大な建物であるのに驚く。駅前のデパートが19時で閉まってしまうのは悲しく、ギリギリセーフで翌日の行動食(パン)を仕入れる。ホテルの部屋で「無事着いたメール」などを送っていたら携帯の電池がすぐに消耗していくのがまた悲しい。

山陰・若狭の旅その2へ
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