飯豊連峰主稜線全山縦走(1日目)

福島・山形・新潟三県にまたがる飯豊連峰の主稜線をすべて自分の足で踏破してみたいという願望は何年も前からあった。2013年に南ア悪沢・赤石・聖の縦走をしたときに、次は飯豊全山縦走と公言していた。しかし諸事情があってなかなか有言実行にはならなかった。特に15年はひと夏ボランティア的な仕事のために全滅だった。

今年こそ!と思わせてくれたのが新潟胎内市がJRとタイアップして作成したポスター。最寄り駅の階段の途中にもう数ヶ月張ってある。残雪の飯豊連峰北部の山の連なりと巻き道のない登山道が私を誘ってくれた。数種類の写真が掲載されたポスターが作られたようだが、どのポスターの写真も素晴らしいのだ。

山中3泊あれば福島県側から新潟県胎内市に抜けられそうだ。宿泊できる避難小屋はほぼ管理人が入っているし、主稜線上には7つの避難小屋があって、よりどりみどりである。切合(きりあわせ)小屋、梅花皮(かいらぎ)小屋、できれば最後に朳差(えぶりさし)小屋に宿泊するつもりで計画を立て、週間天気予報をにらみながら7月30日に自宅を出ることにした。

現実は以下の通りの行程となった。
30日 自宅〜会津若松
31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ
   中条駅までタクシー、JRで自宅
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飯豊連峰地図(その1)

30日は新幹線と磐越西線の快速列車を使って会津若松に夕方入り、駅前のビジネスホテル泊。会津盆地は暑く、午後の天気も不安定なようだ。

7月31日
朝4時30分起きしてATPテニス・トロント大会の実況を第1セットだけ見て後ろ髪を引かれながら5時28分会津若松発新潟行きの列車に乗った。当然車内はガラガラ。6時12分に野沢駅に着き、予約しておいたタクシーで弥平四郎集落のさらに奥の祓川登山口に向かった。格安のオンデマンドバスが弥平四郎集落まで走るのだが、早朝で運行時間にはまだ早く、なるべく朝のうちから登って稜線上の小屋にたどり着きたいので、ここは金に糸目をつけずタクシーである。

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磐越西線の列車内で

北アや南アなどと違って、東北の山はアクセスが悪く、それが計画上のネックになっている。東北の山の大関クラスである朝日連峰もアプローチが不便。横綱クラスが飯豊だろうと思われるが、こちらも登山口まで、下山口からの交通が不便で、スルーハイカーはいろいろと工夫をされているようだ。車をどこかにデポするのも、自転車や原付バイクを下山口にデポするのも、単独で登ろうと思っている私にはとても面倒くさい。それに、タクシーを使うと1万円くらい消費してしまうのが勿体ない、という考えもあるが、私は登りたい山に行くのに1万円は決して高くないと思っている。

ということで約1時間タクシーの中で運転手さんに西会津町の奥まった集落のいわれや実情を教えてもらいながら、最奥の弥平四郎集落を抜けて狭い未舗装林道を走り、祓川登山口に到着。タクシー運賃は約9500円だった。オンデマンドバスで来たら歩かねばならない林道をカットできた。

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祓川登山口

7時20分、祓川登山口で登山届を投函して出発。稜線に出るには登山道が2本あるが、水場があり、最初の斜度が緩めの新長坂コースを歩き始めた。まず沢を渡るために標高差20〜30m下り、渡って少し登ると祓川山荘が左手にある。屋根にブルーシートがかけてあり、雨漏りがひどいのかも知れない。水はふんだんに使えるらしいので、初日にこの祓川山荘に泊まる登山者もいるようだが、単独でこの小屋に泊まる気は起きなかった。

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祓川山荘

登山道は斜登行する感じで松平峠まで上がっていく。十森というところで小さな沢があったが、この日は水がきれいとはいえなかったのでスルー。松平峠からは低木帯になって日差しがきつく、標高差300mを一気に登るので休み休み高度を稼いでいく。日曜日なので、下山する登山者とすれ違う。なるべく明るく話しかけて情報をもらう。
疣岩分岐でちょうど11時。ほぼコースタイム通りか。しかし暑過ぎてバテた!疣岩山山頂までのペースがゆっくりになり、山頂で休憩、さらにその先でも休憩を取ってしまった。三国小屋到着が12時40分。20分の大休止を取る。登り初めは本山小屋まで行って宿泊しようかと思ったが、どうやら1つ手前の切合小屋泊の方がよさそうだ。

疣岩山から前後して歩いていた母娘と会話を交わす。祓川から尾根に直登するコースで登ってきたとのことで、長野県松本市からいらしたというIさん母娘だ。私の郷里にかなり近いので話が合い、切合小屋まで前後して歩くことになった。彼女たちは1週間の休暇を利用して飯豊に来たそうだが、コース検討の結果、大日岳あたりまでのピストン山行を考えていたらしい。私の計画を話したら、奥胎内に下山して羽越線の中条駅までタクシーで出ることは全く想定していなかったようで、山形県の小国町に下山して米坂線を使おうにも便数がなくて結局スルーハイクは諦めて登ってきたとのこと。しかしその手があったかということで、以後下山して列車に乗るまでご一緒することになった。単独行の私としては、同じコースを歩き通す仲間ができたので心強い限りだ。

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疣岩山から見えた飯豊本山

三国小屋から川入に下る剣が峰は歩きにくそうだ。弥平四郎から登って正解だった。切合小屋に向かう道中にはハシゴが設置されていたりしたが、小屋到着は15時だった。大きな小屋なので、宿泊客も日曜日の割には多く、天気もいいのでグループごとに屋外でくつろいでいる。私とIさん母娘は1階の入口に一番近い場所をあてがわれた。暗くてヘッドランプなしには物の整理整頓ができない。16時頃からアルファ米とみそ汁の夕飯を作って食べ、早々に寝所に落ち着いた。この夜、たまたま20時過ぎに一度起きたので、期日前投票をしてきた東京都知事選の結果を知る。今後もあんまり東京都は変わりそうにない。
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ガスってきた中、切合小屋到着

切合小屋では食事提供もされるとは聞いていたが、かなり多くの人が小屋の食事を取っているように見受けた。しかしその大半は翌日も大日岳まで離合するツアー客だったようだ。飯豊といっても多くの人が登頂を目指すのは飯豊本山までか、足を伸ばして最高峰の大日岳までのようで、切合小屋に宿泊して翌日荷物を軽くして本山往復とか、大日まで往復して再び切合小屋泊というパターンが多いようだ。連峰の半ばまで行けば静かな山歩きができるということだが、その通りにやかましくも厚かましい20人のツアー客も大日岳で引き返していった。