夏の東北登山・船形山

夏の最後のあがきとして宮城・山形県境の船形山に単独で登山に行った。
今年はできれば船形山と秋田・岩手県境の和賀岳に登りたかった。しかし秋田の大雨のニュースを聞いて諦めていた。妙高への仕事山行の後、すぐにお盆期間に入ってしまい、往復の道路も渋滞が見込まれ、泊まるところもなかなか見つからない。結局、お盆過ぎに計画はずらしたが、バイクツーリングを優先したのでなかなか天気予報を参考にしてもいい日にちがない。ようやく、8月29日は曇りベースで降水確率10%と知って船形山のみ狙って出かけた。

出発は28日の日曜日。船形山近くの大衡村の4号線沿いのビジネスホテルを予約して、一人で車を運転して北上した。行きは常磐道経由。仙台までは常磐道の方が若干近いようだ。往路日曜日、復路平日になり、高速料金は割高になるので、南東北エリアのETC周遊割引(東北観光フリーパス)を直前に申し込んだ。今回のルートだと、いわき勿来から富谷までの往路と、泉から白河までの復路の通常高速料金は8,000円ほどになるが、周遊チケットだと6,100円になる。

常磐道や国道6号をを宮城県まで北上するのは原発事故以来2度目で、
初めは2015年5月連休中、事故以後3年か4年経って国道6号線が使えるようになってすぐだった。今回はもう少し内陸の高速で通過するが、富岡から南相馬までの高速周辺では田んぼが荒地になってソーラーパネルがびっしり配置されていた。住宅には人が住んでいる気配は薄く、まだまだ原発事故から復興していないことは明らかだ。地震後たった1週間程度激化した原発からの放射能漏れが10年以上も爪痕を残している。今後もこの状況は長く続くだろう。
原発を再開しようとする人々はこの周辺地域を見て何を思うのだろうか?国土を汚してまで電気は必要なのか?

宮城県に入ると低平な平野を北上する。津波が襲った地域だ。そのまま常磐道は仙台東部道路となり、仙台南部道路、仙台北部道路で仙台の街は囲まれている。左方向に高いビル群が見られ、そこが仙台の中心街だということがわかる。晴れているが気温は24度前後で、快適そうだ。仙台は夏涼しいし冬雪は降らないし、東北地方随一の都市になるのは当然だろう。できれば仙台近辺に一度でいいから住んでみたい。
高速は多賀城を過ぎて利府JCTで北部道路に入り、でっかい郊外型スーパーを横目に内陸に入っていく。富谷インターで高速を降りて国道4号を北上する。富谷市から大和町、大衡村で午後4時30分。時間に余裕があるので反対車線に見かけたGSで燃料を満タンにする。ここまでだいたい380km、スムーズだった。

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登山ルート

ホテルで和朝食を食べて朝7時少し前に車で旗坂キャンプ場にある、升沢コース登山口まで移動。1時間弱かかる。登山届はアプリ「コンパス」を使って電子申請。登山口で出そうとすると圏外のことが多いので、ホテルのWi-Fiを使って出発前に提出しておいた。

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ふもとの道路から船形山の特徴的な稜線を見上げる。

さて、ここからコースタイム片道4時間以上の船形山登山開始である。登山口には30番の丸い赤看板があり、ここから登って行く。登山口は標高566m、750mまで山腹を斜行していき、稜線に乗る。ちょっと急な部分と平坦な部分を交互に歩くことになり、体には優しいが、ヌタ場のようになった部分もあり、そこに渡された板が半ば腐っているので閉口する。全体的にワイルドな登山道で、笹や小枝の下草刈りがあまり行われていないようだ。

途中、三光の宮というところで寄り道して泉ヶ岳方面を展望する。天気はすっかり快晴である。標高1,200mあたりでトラバースして、升沢避難小屋に出る。内部は快適そうな避難小屋で、泊まってみたい小屋だ。トイレに寄らせてもらい、おがくずでバイオ処理するレバーハンドルを回した。
小屋を出るとすぐに沢に降りる。ここからは沢の中が登山道であるが、沢も分岐しているのでどの沢を登るべきか最初悩む。ピンクテープが頼みだが、雨が降って増水すれば小屋から上へは登りにくくなる。沢の水は登山道も兼ねているので飲む気にはならないが、冷感タオルを冷やして首に当てるにはいい。しかし流れの脇の岩が滑る。沢を跨いで右岸・左岸を選ばねばならず、滑って転ぶ危険性がある。

沢を詰めて急坂を登るとどこがそうなのか理解に苦しむが「千畳敷」といわれるところ。ここから先も半ヤブ漕ぎになるが、もう山頂避難小屋が見えているので慌てずに済む。船形山山頂(1,500m)には11時30分着。登り初めが7時45分だったので4時間を切った。山頂には山形県側や最短コースの大滝野営場からのルートが集まっている。
山頂避難小屋内部も一瞬だけ見せてもらい、小屋脇の日陰でパンの昼食。ペットボトルで買ってきたカフェオレが美味しい。山頂直下から私の前を歩いていた人は避難小屋の管理をされている方のようで、もう一人に解説をしている。あまりに天気が良く、鳥海・月山・朝日連峰・飯豊連峰・蔵王連峰などが見渡せ、泉ヶ岳方面のはるか彼方には太平洋も見えるほどの天気なので、思わず声をかけた。あと1ヶ月ほどすると山頂部から紅葉が始まってとても美しいのだそう。そんな時期にもう一度来てみたいが、秋は休みが取りにくい。

船形山登山の様子を2分弱のスライドショーにしてみた。

蛇ヶ岳(1,400m)を経由して下山しますと彼らに告げて、12時に歩き出す。しかしイヤな予感は当たるもので、今までの登山道でも半ヤブ漕ぎだったので、人が歩かない蛇ヶ岳方面はもっとヤブが濃いことになる。覚悟はしたものの、下りで足元が見えないのは危険だ。蛇ヶ岳までは枝に額をぶつけ、ヤブで見えない足元がぐらついた。蛇ヶ岳から1,200mあたりのトラバース道へまっすぐに下る沢筋ルートは本当に慎重に歩かないとコケる。足元が見えずに転びそうになったこと数回、登山靴が泥だらけになった。
トラバース道に降りれば登ってきた道なので少しは安心できるが、ロングコースなので脚にダメージが来ている。特にヒザの奥。だましだまし歩いて、しかし休憩はせず、15時に駐車場着。電波が弱くて下山届けをすぐに出せず、かなり下ったところから提出。ちょうどその道を車で下っている時に、道路脇に子グマ発見。人生60年近くなって、ついに野生のクマを見てしまった。子グマらしく体格は小さいが、そうなるとすぐそばに母グマがいるはずだ。それは一番危ないパターン。クマは慌てて道路脇の草むらに逃げていったが、登山道で出会ったらどうだっただろう。クマ鈴を慣らし、時々鋭い口笛を吹いてはいたが・・

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登山口に戻ってきた。山頂は1番、登山口が30番。親切なのか、おせっかいなのか?私は役立ちました。

この日は近くの台ヶ森温泉(立ち寄り500円)で汗を流し、東北道泉インターから高速に乗って白河まで。途中、蔵王や安達太良山がよく見えた。吾妻連峰だけは上部に雲がかかっていた。あだたらSAで夕食。白河で高速を降りたのは、区間外料金を払いたくなかったから。往きはいわき勿来まで遠いので下道を使わずずっと高速でエリアに入ったが、復路は一気に東京に戻らず、別宅で一晩寝てから帰るつもりだった。別宅から東京までは下道ベースで高速道路はごく短い間しか使わない。首都圏発着の周遊割引(2日間で10,500円。これは私にとっては割高)を買わなかったのもそれが理由。そのため福島県内で高速を降り、4号線で栃木県に入った。別宅着は20時30分。

翌日、いつもの下道で谷和原インターまで。
ああ、これで私の夏は終わった・・

夏の屈曲路ツーリング(栃木〜福島〜新潟〜長野〜群馬)

今年の8月は安定した天候が続かず、梅雨への逆戻りのような天候が続いてしまった。
夏のツーリング計画は大きく青森まで北上しようかと大風呂敷を拡げたのだが、新潟県北から秋田にかけての集中豪雨(激甚災害指定になりそうだ)があって、そう気楽に出かけられる気配もなくなった。さらに新型コロナ蔓延による感染者の激増。今までのいくつかの波の中で最大になっている。

こんな中、ツーリングなんていう不要不急の遊びをするのはどうなんだろうと思いつつも、まとまった休みが取れるこの時期だからこそ行きたくもなる。天候を見計らって、いつものように規模を縮小して、東北南部の福島県会津地方と新潟県中越・上越地方までめぐる屈曲路祭り第2弾を敢行した。昨年夏も吐月工房氏にご同行頂けたが、今年も二人旅。
【概要】
8月20日に各自自宅を出て北関東で前泊、21日午前中に合流して日光市最北部から出発、福島県南会津町、昭和町、金山町、只見町を経て六十里越え(国道252号)で新潟県へ。入広瀬から山古志の狭隘屈曲路を抜けて小出にでて魚野川をさかのぼり六日町のビジネスホテルで宿泊。
8月22日は、六日町から国道253号(上沼道)で松代、国道403号、県道13号で上越市大島区、安塚区をめぐり、道の駅「ふるさとやすづか」へ。その後屈曲狭隘国道405号で松之山温泉スキー場・マウンテンパーク津南スキー場経由で長野県へ。栄村、野沢温泉町を経由する県道502号(旧奥志賀林道)を走破して志賀高原へ。志賀高原からは国道292号志賀草津道路で県境越え、群馬県草津町へ。さらに六合村で流れ解散、私は中之条町、渋川市、前橋市を経由して宿泊。
8月23日に前橋から自宅までの約140kmを、高速道は使わず、幹線国道の17号、50号、122号、4号も極力避けて利根川・江戸川沿いの群馬・埼玉県道を走り繋いで戻ってきた。
走行総距離は約870km
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【以下レポート】
8月20日
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茂木町の七曲隧道

エストレヤからW800に乗り換えて午前9時出発。江戸川沿いの埼玉県側県道を北上、宝珠花橋で江戸川を千葉県側に渡り、関宿で利根川を渡る。茨城県境町から下妻市経由で大和駅。ここで定番の休憩。静かな駅でトイレもあり自販機もある。益子からグリーンコリドール(農免道路)で茂木町へ。走りたかった細道隧道がある。国道123号から左折、舗装林道にある七曲隧道をくぐって中川小学校へ。那珂川を渡り、私の定番道路「茂木細道県道サーキット」の中心を貫く山越え道を通り、小木須から県道12号線へ北上、県道12号で那須烏山。コンビニで遅く軽い昼食を食べていたらポツポツ雨。国道294号で北上するが、向かう方面が薄く雨でけぶっている。案の定雨が強くなる。別のコンビニ駐車場でレインウェアを着る。モンベルストームバイカー初おろし。なかなか優秀。レインウェアはツーリング中この場面でしか着ることはなかった。
また今回のツーリングでは、暑さもあってハイドレーションシステムの導入を図った。ヒップバッグとしてパタゴニアのステルス・ヒップ・パックを買い、バッグの下に水筒を収納できるネットがあるのでそこへ0.5Lのフレックスウォーターバッグ、あるいは0.35Lのモンベル製ナルゲン風ボトルを入れた。ホースはSOURCE社のコンバーチューブを用い、肩に斜め掛けするストラップを這わせてマグネット(これ優秀!)で固定。信号待ちが長い場合に給水ができた。ぬるい水だが仕方ない。

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ステルス・ヒップ・パック11

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コンバーチューブ(ペットボトル、ナルゲンボトル、シグボトルに対応)

以後は順調に別宅まで。別宅でエンジンが冷え、小降りになった頃に跳ね上げた水で真っ白になったマフラーを軽く水で洗う。その後も雨は降り続いたが、走っていなければ雨で車体が真っ白に汚れることはない。
この日の
走行距離197km。別宅近くのGSで給油、7.0L。28.1km/L。

8月21日
宇都宮のビジネスで宿泊した吐月工房氏から連絡あり。待ち合わせの上三依塩原温泉口駅に到着するのは10時前後だろうと推定して別宅を9時に出発。尾頭トンネル内の濡れた路面で昨日の洗車が元の木阿弥に。無事10時に上三依塩原温泉口駅で合流。

国道121号(400号兼ねる)で会津田島、そのまま400号線で昭和村。道の駅でトイレ休憩。何台かバイクツーリングの人がいる。GB350の単独の人、単独女性ライダーはMT-03か。我々もその後国道400号で金山町へ。昭和温泉しらかば荘から先は未踏の道路だ。ひなびた玉梨温泉を横目に見つつ、国道252号で只見町方面へ。ここは前年秋に単独で走った道路。JR只見線とたびたびクロスしながら大塩の炭酸場で炭酸水を飲み小休憩。只見線が再開通したら訪れたいところだ。只見町で昼食にしようとするが、コンビニもわずか1軒のみで田子倉ダムの駐車場にある物産販売所でおにぎりとキノコ汁を食す。

六十里越(国道252号)。のんびりとダム湖脇の屈曲路を走り、早そうな車は先に行かせる。峠近くで片側交互通行、信号待ち6分。確か六十里越えは昔オフロードバイクで新潟県側から福島県側に走ったことがあるはず。
新潟県側に入り、入広瀬へ下っていく。かなり標高を下げたが、音声ナビがなんの指示もしてくれず、こちらも上条駅を見落としたため、国道290号に右折するポイントを通過して小出近くまで下ってしまう。吐月工房氏が給油して引き返す。入広瀬手前まで戻るのは馬鹿馬鹿しいので、気を取り直して国道352号線で山古志方面へ。山古志は今回のツーリングのハイライトエリア。二人とも未経験の場所に踏み込む。事前に計画していた山古志を走るルートの半分程度だが、県道24号、23号を走る。非常に山深く、谷も深い。中越地震で集落が孤立したり、川沿いの住宅が泥に半分埋まった光景を思い出した。あちこちに点在する集落をつなぎながら右往左往するが、県道23号沿いに下ってきたら立派な住宅の1階部分が埋まっている災害の遺産が2棟、橋の上から見えた。
ちょっと衝撃的な地区だった。その後魚野川沿いに国道17号の旧道や並行する道を使って六日町へ。六日町のビジネスホテルに17時到着。掛け流し温泉付きの新しいホテルで快適。
この日の
走行距離250km。六日町17号沿いGSで給油、9.6L。26.0km/L。

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山古志の高台から向こうに集落が見えるがその間に谷がある
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震災復興館「郷見庵」から見る埋没家屋(川は芋川)
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木籠メモリアルパーク石碑前にて

8月22日
走行距離が長いので朝8時出発。国道253号(自動車専用道路で無料提供されている上沼道)で十日町市へ。そのまま松代へ抜けるが、断続的に出てくるトンネルが長すぎ、トンネル内照明も暗いので、目が慣れない。
渋海川に沿って253号を離れ国道403号で星峠方面を目指し、一度谷に下ってから狭隘路の県道13号で403号をショートカット。2桁ナンバーの県道なのに道幅は軽トラ専用、しかも冬季通行止め。道の駅「雪のふるさと安塚」(月曜日休館日)の脇の日陰で休憩。次は国道405号で狭隘路を堪能する。十日町市の田麦立という集落で2軒の茅葺き家屋を観察。昨年は逆コースでここにたどり着いたが、写真をおさめることをしなかった。1軒はカヤの吹き替え作業中。もう1軒は洗濯物が干されていて生活感がある。この豪雪地帯で茅葺きを維持している家屋はここだけだ。405号は山間部の小さな集落を繋ぎ、集落間は小さな峠を越えて行く。集落近くは棚田になっているが、峠が近づくと棚田の名残を残す荒れ地になっている。限界集落の典型例であるが、その風景は心を打つ。
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道の駅やすづか前で日陰休憩
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田麦立の茅葺き家屋(葺替え中)
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田麦立を後にする

松之山温泉スキー場を右手に見つつ津南方面へ右折、峠の短いトンネル手前で通ってきた十日町市と上越市の市境一帯を俯瞰する。山古志ほど深い谷はなく優しい地形だが、こういう風景は新潟の山奥でしか見られない。
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松之山集落から上った山腹にある棚田

トンネルを越えて右折、マウンテンパーク津南方面を下る。そのまま国道117号へ。森宮野原の道の駅さかえで休憩、この先長野県道502号(旧奥志賀スーパー林道)に入ると県境を越えて草津まで行かないとガソリンスタンドはないので、吐月工房氏が燃料補給。その後千曲川の対岸から県道502号に突入。延々と上って野沢温泉スキー場の中腹へ。その間、すれ違うバイク、車はほとんどない。
野沢温泉スキー場の上部やまびこゲレンデから毛無山の裏側へ回り込んで、標高をあまり上げもせず下げもせず山腹をトラバースしていく道路になる。ブナ林の中、快調に走れるが、どこかで休みたい。なかなかいい場所がなく、県道502号の起点から奥志賀高原までの中間点を過ぎて路肩でようやく休憩。502号線トータルの距離が栄村平滝駅近くの起点から奥志賀まで60km弱もある。
木島平村方面への分岐近くのカヤの平キャンプ場へは寄らず、直接奥志賀高原を抜けてプリンスホテルが夏期休業中の焼額、一ノ瀬、高天原へと走る。風が急に強くなった上に、高天原で道路上の気温表示が19度と表示されていた。メッシュジャケットではとても寒い。3つの長いトンネル内も震え上がるほど寒い。志賀高原山の家のレストランで昼食休憩して、メッシュジャケットの内側にウィンドブレーカーを着込む。

13時再出発。今度は国道292号(志賀草津道路)で県境越え。最高標高は2200mほど。県境を越えてから群馬県側は濃いガスが流れていて視界が効かないので、ゆっくり走る。峠を降り切ったところで小休憩。
草津からはベルツ通りで温泉街を北から回避して国道292号で六合村へ。ハンセン病患者を隔離収容してきた重監房資料館はいつか立ち寄りたいところ。木陰の屈曲路を下って切明温泉から野反湖まで分断され未完成の国道405号と合流する。合流点手前に映画「男はつらいよ」のロケ地となった旧バス停がある。六合村から群馬県道55号に左折、吐月工房氏とはここで走りながら流れ解散。私は暮坂峠を越えて沢渡温泉、中之条町へ。国道353号で渋川、国道17号で群馬総社と新前橋の間にあるホテルへ。最後の1泊となる。
この日の
走行距離280km。ホテル近くのGSで給油。10.41L。26.9km/L。

8月23日
前橋から東京まで南下するだけなので、高速道路は使わない。結局このツーリング全体で高速道路は一切使わなかった。上越線を越えて高崎へは行かずになんかしようと思っていたが、JRの事故があったらしく、踏切を渡れず、結局交通量が多い17号で高崎を経由して埼玉県へ。音声ナビの調子が悪く、そのままだらだらと17号を走っていたら本庄市まで来て県道45号線を発見。17号から左に逸れて東に向かう。羽生、栗橋、五霞方面へ向かってから利根川・江戸川沿いを南下したいのだ。
県道45号で熊谷市の妻沼聖天へ、そこから59号で羽生、60号で栗橋、国道4号から県道268号で五霞へ。
ここからは江戸川右岸をひたすら南下すればよい。13時過ぎに駐輪場着、W800の洗車はせず、自宅には14時前に着。
この日の
走行距離142km、小岩で給油。4.5L。31.6km/L。東京を離れれば燃費は26〜30km/Lになる。

追記
ツーリング2日後にプロの洗車に委ねた。オドメーターは6500kmに達しようとしているが、どうもリヤタイヤのセンターが減って溝がない。タイヤ交換しなくてはならないが、ダンロップK300GPは高い・・
近々リヤタイヤ交換(ついでにチェーンのグレードアップとフロントブレーキパッドの点検)の予定。

仕事山行・妙高山と飯綱山

夏の仕事山行を3年ぶりに再開。とはいえ、大人数でテント泊縦走は困難なので、民宿で宿泊して2日間日帰り山行を行うことにした。

今年は結構大人数。24人の少年たちと帯同する同僚が2名。貸し切りバスではちょっと中途半端なので、新幹線としなの鉄道で往復するが、団体券の扱いが面倒である。このご時世、濃厚接触者や陽性者が出て同行できなくなると事前にみどりの窓口へ行って減員手続きをしないといけないし、現実に移動している最中にも有人改札で確認をしないと構内にも入れない。団体券という制度はJRにもしなの鉄道にもあるが、駅員はその制度に精通している者が少ないということを痛感した。責任を負う私としてはあまり気分は良くない。

登山の内容が重要だ。
8月2日、妙高山を燕温泉から登り、赤倉観光ホテルに下山する逆Y字型のルートを取った。燕温泉から源泉までコンクリート道が続くが、こちら20人を越える団体で、登山に不慣れな者がいて靴ひもがほどけたといっては渋滞してしまう。源泉で作業する男性から最後は怒られてしまった。
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光明滝
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称名滝

団体登山の難しさはその後も続いた。天狗堂から光善寺池、風穴と登って行くと、鎖場がある。ここの通過にどうしても時間がかかってしまう。三点支持で鎖に頼らず登る経験が不足しているので通過も遅い。ようやく山頂について、水を浸してきたアルファ米とレトルトカレーの昼食。私はカレーを温める時間がもったいなく、五目ご飯の賞味期限切れアルファ米とみそ汁にした。13時台には山頂から下山したかったが、結局14時すぎに山頂出発になってしまった。
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山頂のヤマハハコ

天狗堂から大谷ヒュッテ近くへ下って林道に出た時が17時。宿に現在地を知らせて、滝沢尾根を下りながら巻いてアカカンのゲレンデ、ホテルAコースに出る登山道を下っていたら、登山道にある木の洞に小型のスズメバチがいて刺激を与えてしまったらしい。最後尾の少年2名がハチに刺され、うち1名はズボンの上から刺されて大変痛がっている。しばらくすると気分も悪くなったというので、荷物を他の者が持ち、ゆっくり歩かせた。刺されていない20人あまりはゲレンデの中のコンクリートジグザグ道を下っていって観光ホテルで宿の送迎マイクロバスに乗れたが、ハチに刺された者は病院へ向かう。観光ホテル前に降り立ったのは18時を回って薄暗くなってきたころで、ヘッドランプを念のため最後は点灯させて歩いた。
妙高病院で無事診察ができ、そこまで重い症状ではないことがわかったが災難であった。

翌3日は本来戸隠大橋から黒姫山に登ってスノーパークへ下山する予定だったが、コースタイムが長く妙高山と同じ現象が起こりそうだったので、飯綱山に変更した。山頂にある飯綱神社の「一の鳥居」から9時ころ登り始める。長野市での登山である。ちょうど12時ちょっと前に山頂について、カップ麺の昼食。私は登りで最後尾についているので時々隊列が止まり、その時に右手中指にアブが噛みついて痛い思いをした。そのごアブに噛まれた部位は赤く腫れてむくんだようになってしまった。
下山は、西登山路を降りて「神告げ温泉」まで。15時ころ。無事に下山できてよかった。
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シモツケソウ
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飯綱山は信仰の山。あちこちに石仏がある

集団の「お世話」をする登山ではなく、自分で存分に楽しめる登山がしたくて仕事山行の後、東北巡業に回るのだが、今年はお盆前の東北の天候がよくない。登りたいのは宮城・山形県境の船形山と、岩手・秋田県境の和賀岳。山頂を踏むのに4時間以上登らないとならない奥深き山なのだが・・