北ア・雨から退避(3日目)

8月26日 晴れ(笠ヶ岳近くの稜線はガス)

1日目  2日目  3日目

朝5時、昨夜とはうって変わって和風な朝食を食べた後、時差で食事が始まったUさんにご挨拶をするため、しばらく待ってみる。外へ出てみると朝焼けの山々が美しい。Uさんは双六から西鎌尾根を登って槍ヶ岳までの予定なので、ここでお別れ。

2016-08-26-05.15
槍ヶ岳シルエット
2016-08-26-05.21
鷲羽岳を振り返る
2016-08-26-05.22
さらば、三俣山荘
2016-08-26-05.23
ぱっとしない三俣蓮華岳も朝焼けで栄える
2016-08-26-06.24
出だしは槍穂がくっきりだったが・・

5時30分に出発し、まずは三俣峠までゆっくり登る。疲れが残っているのか、コースタイム通り。三俣蓮華岳へは登らず、巻き道ルートで双六小屋に向かうが、ここからは9年前の仕事山行中に土砂降りの中を歩いた記憶がある。黒部五郎方面から視界が全くないなか三俣蓮華にたどり着き、下降して巻き道を双六へ向かった。しかし「歩いた」という事実の記憶に過ぎず、脳内に残像はない。初めて歩くのとほぼ同じ条件で、「巻き道」の言葉が持つ安易さと現実のギャップから思うようには進まない。言葉に騙されると朝日岳の「水平道」と同じことになる。一本休憩を入れて双六小屋に7時35分。水晶山頂で会った双六スタッフが小屋前に出ていたので、挨拶する。すでに笠ヶ岳に立ち向かう気力が少しづつ萎えているが、ガスが南の谷から流れてきて、笠ヶ岳方面に濃いガスが乗っかっているのを見るとさらに減退する。双六小屋で手ぬぐいとコーヒーを注文し、8時に出発。とりあえず弓折分岐まで歩き、そこで笠ヶ岳を目指すか、鏡平方面に降っていくか最終判断することにしたが、自分の気力が上がってこないし、稜線のガスは移動しそうにない。

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双六谷からガスが上がってきた
2016-08-26-08.05
双六小屋の向こうの鷲羽岳、さようなら

笠ヶ岳を目指すとすれば、結構アップダウンのある道を頑張らないといけない。行く手は視界が悪い。展望があり過ぎるのも気持ちを挫くことがあるが、展望がないとどこを歩いていても同じ、別にここじゃなくてもいいことになってしまう。もう一つ、笠ヶ岳山荘ではいままで以上に水不足のはずだ。テント場で水が汲めるならいいが、小屋で買うとなると考えてしまう。自分自身に都合よく、これは雨をもたらす兆候だ、風も湿っぽいし、ガスも風で吹っ切れるレベルじゃない、と解釈した。決定。下山だ。笠ヶ岳、また来るよ。

2016-08-26-08.57
弓折分岐まで来たら直進ではなく、←に誘われて左へ
2016-08-26-09.20
本日最後の槍

9年前に下痢ピー状態でトイレに駆け込んだ記憶だけが残っている鏡平山荘に9時30分、たまたま隣に座った単独のおば様と話しながら、ついに禁断の毒水・400円缶コーラに手を出す。おば様曰く、昔は飯豊なども含めよく歩いたが、今回は鏡平に来て、周囲の自然を見ることが目的。山頂ばかりを目指さず、そういう山歩きってステキだと思う。

小池新道を降る。何だか、下山を決めたら調子が上がってきた。右手を見ると、笠ヶ岳方面は一定の標高以上が完全にガスっていて、しかも黒っぽい雲も近づいている。これは予感通り雨だ。そうに違いないと決めつけた。

2016-08-26-10.32  2016-08-26-11.15
稜線上の雲は厚くなり、沢の上部も怪しくなってきた

小池新道は岩のガラガラ道に見えて、実は道普請が完璧だ。岩伝いに階段を下りる要領で歩けばよく、岩の表面がフラット。シシウドが原10時30分、秩父沢出合の水で顔を洗い、左俣林道に出る直前でも顔・首を洗ってサッパリ。わさび平小屋で12時になったので、最後の贅沢としてそうめんとリンゴを買って昼食とする。35分も休憩してしまった。あとはひたすら林道を歩いて新穂高ロープウェイのバス停に13時25分着。

2016-08-26-12.17
最後の贅沢にわさび平小屋名物のそうめんとリンゴ

完全ではなかったが、十分に歩いた。スマホのデータによれば、24日が12.7km、25日が25.8km、26日が28.3km。飯豊に次ぐ距離となった。よく歩いた。足の親指の腹に小さなマメができたようだ。
北アルプスの小屋で売っている手ぬぐいと軽食・飲み物にもよく手を出した。まるで高速SA・PAごとに立ち寄って飲食するかのように立ち寄って金を使った。ゲットした手ぬぐいは、烏帽子・野口五郎・水晶・双六の4種類。三俣山荘と鏡平は見つからなかったか、また他日手に入れることにする。贅沢の限りを尽くした山行だった。

新穂高13時46分発のバスを平湯で乗り継ぎ、松本に向かうが、事故渋滞があって松本BT着が1時間遅れ。大糸線に乗れたのは18時。大町に19時に着き、駅前のラーメン屋で妥協して夕食を食ったらちょうど雨が降ってきた。松本へのバスの中で雨雲レーダーの推移をみたら、14時ころ笠ヶ岳山頂に雨雲があったようで、きっと降ったに違いない。濡れずによかったし、27日により強い雨の中笠新道を降りに使っていたらエライことになっていたと思う。予感が当たって今回はラッキーだった。

一日早く降りたけれど疲れたし、雨の降りも激しいので、松川村の立ち寄り湯「すずむし荘」と道の駅をまた利用させてもらい、27日の朝に帰宅することにした。夜はずっと雨が降っていて車のルーフをたたく音がうるさかった。夜、槍ヶ岳に向かうはずだったUさんも雨の予報を知って新穂高温泉へ下山されたことをメールで知った。また、27日朝には飯豊でご一緒したIさん母娘と安曇野市内で再会することができ、楽しい一時を過ごすことができた。

今年の夏の登山はこれで終了。縦走中に「秋はどこに登るんだ?」と散々聞かれたが、秋は皆が集中するから登山するとしてもメジャー所は行かない。むしろ自転車の季節だ。そして冬が来ればスキーの季節。へそ曲がりは裏の季節になると無性にスキーがしたくなる。

北ア・雨から退避(2日目)

8月25日 快晴

1日目  2日目  3日目

5時30分開始の朝食前に出るものが出た。これでトイレ待ち時間を浪費せず、食後すぐに歩き出せる。今日の行程は水晶岳ピストンを含めコースタイム10時間なので、朝6時に出てもコースタイム通りなら16時になってしまう。15分だけだが6時より早く歩き始められたのは嬉しい。烏帽子小屋、5時からの朝食だとなお嬉しいんだが、山の中で立派な食事をさせてもらえるだけありがたく思わないと。

2016-08-25-05.13
手前に赤牛岳、奥に薬師岳
2016-08-25-05.14
烏帽子小屋、ありがとう
2016-08-25-05.56
三ツ岳に登って行く

キャンプサイトを抜けて左手に池を見て、三ツ岳に登っていく。山頂まで登山道が通じているわけではないが、烏帽子小屋から標高差が300mほどある。餓鬼岳や大天井岳、そして槍ヶ岳がくっきり見え、快晴だ。最高の天気をプレゼントしてくれたのだが、ひなたに出ると早朝から暑い。自分の影などを撮影しながら登って行く。岩陵帯と砂礫帯を交互に歩くような快適なルートで、野口五郎小屋に7時50分到着。小屋の少し手前で5時に出発したUさんをロックオン。さらに小屋でSさんと会う。野口五郎小屋は布団干しの真最中だったが、個人的に集めている手ぬぐいを買い、小屋オリジナルのアイス(ごろりんアイス)を食べた。朝からアイスクリームというのは初めての経験だが、とても美味しい。野口五郎岳山頂(2,924m。鷲羽岳と全く同じ)は全く尖ったところのない茫洋とした山だが、ここがこの山旅の最高の天気となった。Uさんに証拠写真を撮っていただく。

2016-08-25-06.21
槍が現れた
2016-08-25-06.34
自分の影を撮ってみる
2016-08-25-06.36
立山も見える
2016-08-25-06.43
稜線向こうに左から富士山、甲斐駒、北岳、仙丈か?
2016-08-25-06.51
どっしりとした野口五郎岳
2016-08-25-08.24
水晶岳の脇にはカール状地形があることに気付く
2016-08-25-08.30
野口五郎岳から槍に向かうUさん

野口五郎岳を後にすると、次第に尾根が痩せてくる。岩陵を時にはよじ登りながら歩くようになり、ペースは落ちる。最低鞍部の東沢乗越は2,734mなので、野口五郎から200m近く降ったことになる。それを過ぎると今までの白い花崗岩から赤茶けた砂礫の急登になり、息がかなり上がってくる。水晶小屋には10時40分に到着したが、かなりバテた。水晶岳に歩き出す前に、お約束の手ぬぐいと800円のおしるこを注文して食べる。これで午後のエネルギーの足しにはなるはずだ。11時ちょうどにザックを小屋裏にデポして水晶岳に向かう。晴れているので山頂に立つ人がよく見える。前半はなだらかなハイキングルートで、山頂に近づくとハシゴ、岩場のトラバースなどとなる。30分で山頂に着いた。双六小屋のスタッフという若いお兄さんと、関西弁の精悍なおじさん3人で山頂にいるとそれでもういっぱいなくらい狭い。先が長いので頂上の標柱を写して10分で山頂を後にした。双六スタッフは休暇で高天ケ原温泉に行った帰りというが、この日の宿泊を水晶小屋に予定していたらしい。水晶はたぶん混むよ、と言ったら渋い顔をして考えを改めることにしたらしい。彼は結局三俣山荘を経由して一日早く双六に戻った。関西弁のおじさんは神戸から来た方で、山頂から先に降りていったが、その足取りが軽くて早い!彼も水晶小屋情報を聞いて私と同じ三俣山荘を宿泊先に変更したが、同じルートを彼が先行して歩く中、ワリモ岳の登りで私の視界から消え、私より45分も早く三俣山荘に到着していた。後で聞いたら、六甲山全山縦走往復(!)を夜に(!!)やるらしい。来月は北鎌尾根を登るらしいし、相当な強者であった。

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東沢乗越には地蔵さんが・・
2016-08-25-11.32
つまらない証拠写真だが、素朴な標柱

水晶小屋に戻る途中、高校生の大きな団体とスライドするときにUさんと遭遇した。水晶小屋に戻ると、Sさんがこれから水晶岳をピストンするところだった。彼は雲の平に行く予定で、私とはもう会わないことになるので、別れの握手をガッチリ交わした。学生最後の夏を登山で謳歌して、すばらしい。就職して忙しくなっても、続けていって欲しいと願う。

水晶小屋を12時15分に出発、遠くからはなだらかな歩きやすいトレイルのように見えるが、足下が不安定な岩が目立ち、疲れも溜まってきて歩きにくい道をワリモ分岐まで30分歩き、残るワリモ岳と鷲羽岳にとりかかる。しかし疲れたので登り始めで早速10分休憩。その間に遠くに見えていた六甲全山往復おじさんは前方の5人組を抜き去って視界から消えた。急な登りをクリアして、再び鞍部に降り、鷲羽岳頂上にアゴを突き出しながら到着したのが13時35分。疲れがドッと出るのと同時に、今日はもう登らなくていいんだ、という安堵が湧いてきた。もう三俣山荘は手の届きそうな場所に「見える」(実際は標高差400m、自己タイムで40分下降しなくてはならない)ので、長く休憩して、14時ジャストに下山を始めることにした。山頂に長く滞在できることは、天候コンディションがいいという証だ。

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マイナーな山頂。この上に立とうと思う人は稀かな?
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やはり、鷲羽岳は美しい
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マイナーなワリモ岳だって振り返れば立派だ

14時下山にかかる。ザレた急坂を慎重に降っていく。14時45分、三俣山荘着。烏帽子小屋からちょうど9時間かかった。10時間コースを9割の時間で歩けたのだから上出来だ。自分へのご褒美としてサイフォンコーヒーを注文した。

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鷲羽岳頂上から鷲羽池を見下ろす。ガスが上がってきている

三俣山荘は水が豊富だと聞いていたが、小屋内では今年の雪不足の影響で節水モード。トイレも洗面所もいくつか使用禁止にしてある。水は歩いて3分の幕営地まで汲みに行く。ついでに汗まみれの頭も洗った。2.5リットルのハイドレーション用の水と、スポーツ飲料粉末を入れる0.5リットルのナルゲンボトルを満たし、とりあえず笠ヶ岳への8〜9時間ルートに耐えられる準備はした。小屋の前で六甲全山往復おじさんのさりげない自慢話を聞いて、翌日の私の予定を告げたら、彼も笠ヶ岳に行く来になったらしい。六甲全山往復おじさんなら、おそらく昼には笠ヶ岳山荘に着けるだろう。そんなことを思っていたら、16時を回ってUさんが黒部源流ルートを経由して到着した。お互い頑張ったね、と激励する。

問題は26日の天候だ。出発前の予報では、26日いっぱいは持つが27日が曇りのち雨の予報だった。三俣山荘の衛星放送テレビに常時表示されているデータ放送の予報も大きく変わりはないが、25日のピークが長く続くはずはないだろう。迷走台風もあるし・・

夕食は鹿肉のスパイシーシチューがメインだった。山奥でこんな食事にありつけるとは。この夏、避難小屋で粗末な食事ばかりしてきたのでどんなものも贅沢に思えてしまう。ご飯のおかわりだとか、食後のお茶が美味しいことがありがたい。この日の夜は20時までUさんと話し込んだ。お互い単独同志だからなのか、かなりプライベートなことまでお互いにうち明けての話になった。

北ア・雨から退避(1日目)

久しぶりに北アルプスに踏み込むことにした。前回北アルプスに来たのは何年前だろう?おそらく、仕事山行で折立〜新穂高温泉を歩いて以来、9年ぶりということになろうか。

1日目  
2日目  3日目

以前のエントリでも書いたが、今年は悔いなく山を歩きたいと思い、飯豊と裏銀座+笠ヶ岳を歩こうと半分冗談めかして述べた。飯豊はウィッシュリストのNo.1だったので最もいい時期に歩いたが、それから3週間近く経って裏銀座にも行きたくなった。激込みになる「山の日」から始まる旧盆を避けて、20日過ぎの天候を睨んでいたが、台風が過ぎた25・26日あたりが良さそうだと思った。

計画は山中3泊。立派な山小屋が点在する北アルプスだから、テントは持たず軽い荷物で長距離歩くことにした。1日目は信濃大町からタクシーで高瀬ダムに入り、ブナ立尾根を登って烏帽子小屋か、時間に余裕があれば野口五郎小屋まで。2日目は烏帽子からなら三俣山荘、野口五郎からなら双六小屋、3日目は笠ヶ岳山荘、という計画にした。

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裏銀座地図(その1

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裏銀座地図(その2

ザックはいつものバルトロ75ではなく、スキーザックのターギー45。マット・シュラフを持たなくてもいいし、食料も行動食だけでいい。ずいぶん軽くなった。ただし、稜線歩きで水がふんだんに使えないはずなので、合計3リットルは担いでいく。最近、ファーストエイド用具を充実させて持っていくようにしているが、今回は飯豊に持っていったセットに加えて、以前使っていたショートストックを持っていくことにした。最近は歩きにストックを使わなくなっている私だが、イザというとき(ケガのとき)の添え木代わりとして使うつもりで持参した。幸いなことにずっとターギー45の中に収まっていてくれた。

さて、現実は表題通り、なんとなく予報より早く雨が降り出す予感がして、弓折分岐から笠ヶ岳への道と下山に使う予定だった笠新道は断念することにした。これが吉と出た。

8月24日 曇り後晴れ
前日夜に松川村の道の駅で車中泊し、早起きして信濃大町駅前のタクシー会社に着き、そこで車を預かってもらった。事前に交渉していたのだが、タクシーを使えば預かり料金は発生しない。素晴らしいサービスだ。当日朝の相乗り客はなく、私一人で高瀬ダムまで利用したのでタクシー代は8,200円。飯豊に比べれば多少安いもんだし、七倉でタクシーを乗り換えなくても済む。七倉では登山届を出さなくてはならないが、これも自宅で書いて持参したので無駄な時間を使わず、6時30分に高瀬ダムから歩き始めることができた。トンネルを潜り、不動沢にかかるつり橋を渡り、濁沢の幕営地を通過して6時55分にブナ立尾根に取りつく。「北アルプス三大急登の1つ」などと言われるが、さほどでもない、というコメントをウェブ上でよく見る。確かに大汗はかくがサクサク登れてしまう。登りながら理由を考えたが、それは登山道の整備が行き届いているから急登に感じない、ということだと思う。飯豊のワイルドな登山路を歩いた後でブナ立尾根を歩いた身としては強く感じる。急登なのに急登に感じさせない登山道の整備をされている方々に頭が下がるのである。

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高瀬ダムから
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不動沢のつり橋
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いよいよブナ立尾根へ

烏帽子小屋まで要所要所でカウントダウンの番号が置かれていて、頻繁に携帯で通過時間のメモを取っていったが、2箇所で5分程度の休憩を取りつつ烏帽子小屋に着いたのが10時30分。ダムからちょうど4時間、登山口からは3時間30分ほどで登ってしまった。しかも気圧が変動していて実際の標高よりも高度計の数字がだいぶ低く表示されたので、小屋の屋根が見えたときは拍子抜けだった。ブナ立尾根の途中で先行していた七倉山荘前泊組の方々をかなり抜いてしまった。休憩時にそのうちの数名の方と言葉を交わした。そのうち一人が女性単独のUさん、もう一人が若い男性で幕営山行のSさんだった。彼らとは縦走路で前後して歩き、楽しい会話を交わしながら途中で別れた。

烏帽子小屋にはちょっと早く着きすぎた。前日に予約を入れてあったし、この日の午後の天気予報は良くなかったので、野口五郎小屋まで進むことは心理的にはばかられ、宿泊受付をする前に烏帽子岳を往復することにした。最初はガスっていて何も見えなかったが、烏帽子岳の特徴的な岩峰を登って頂上に着き、ひとり大岩の上でマッタリしていたら視界が開けてきた。そこへ後続のUさんやSさんがやってきた。Uさんは岩登りが苦手らしいが、最終目的地は槍ヶ岳だという。槍の穂先に登る不安を隠さないところが率直でかわいらしい(年上らしいけど)。Sさんはいつもニコニコしている好青年で、私が座っていた大岩の上でかなり長い時間のんびりしていたようだ。

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烏帽子頂上の岩峰(標柱はあるが岩峰の上はちょっと厳しい)
2016-08-24-12.19
ニセ烏帽子から振り返る

小屋に戻りながら全貌をあらわした烏帽子の岩峰を撮影して、小屋に戻ったのが12時30分。小屋の中や外でのんびり午後を過ごした。天気は予報に反してむしろ良くなっていく。赤牛岳や薬師岳まで見通すことができるまでになった。烏帽子小屋の周りは花崗岩の砂が敷き詰められているが、毎日掃き清められて枯山水のような地面になっているし、小屋の前に花が咲いていてとても清潔感がある。古くて素朴な造りだが、とことん近代化された小屋とはまた違った趣でいい山小屋だと思った。キャンプサイトも奥行きがあってとてもいい感じだ。この日の夜は宿泊人員に余裕があってありがたかった。耳に入ってくる情報によると、宿泊客の中の多くの方が翌日の宿泊を水晶小屋にしているらしい。しかし16時を回ってツアー10余名が入ってきて、かれらも翌日は水晶小屋泊りだということを聞き及び、動揺が走る。私は水晶小屋に泊まるつもりはないので関係はないのだが、あらかじめ予約を入れていたUさんたちは気が気ではない様子。頑張って三俣山荘まで行った方がいいですよと言ったら、Uさんは弁当をもらって朝食前に小屋を出るという。小さな水晶小屋に団体ツアーが宿泊するとなると、個人で予約を入れている人にも影響が及ぶ。泣きを見るのは団体でなく個人だというのが、不条理である。

一方で、とても個性的なルート選択をされている方も見受けた。北アルプスで最もシブい七倉・船窪・不動・南沢を歩いてこられた方もいた。北アルプスって、ルートが豊富だから自分なりの一筆書きができるのが魅力なんだなと思う。他の山域だと縦走路は自ずと定まってしまうが、北アルプスなら温泉をつなぐ縦走だとか、工夫を凝らしたループ状のルートを考えれば、車で登山口に乗りつけてデポしておいても十分楽しめる。

2016-08-24-12.32
小屋の前の花畑
2016-08-24-14.48
薬師岳方面に若干雲が残る

飯豊連峰主稜線全山縦走(最終日)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ


8月3日

最終日。下山の前に朳差岳をピストンする可能性を残した。言い回しが微妙なのは、身体の疲労を感じていたのと、食欲が湧かないのがネックになっていたから。とりあえず頼母木小屋から大石山まで行って天候を観ながら判断だね、とIさんと話してから6時30分に小屋を後にした。同宿した千葉からの単独男性は一足先にサブザックで朳差岳を目指して行った。

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飯豊連峰地図(その3)
2016-08-03-04.56
朝焼け
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山頂直下に小屋が見える朳差岳(右)と鉾立峰(左)
2016-08-03-06.30
最後にお世話になった頼母木小屋

30分で大石山の分岐まで達してしまう。昨晩から今朝にかけては、「宿題の1つも残しておいた方がまた飯豊に来る理由ができる」などと言っていたけれど、いざ大石山から朳差岳へのトレイルを見ると、若干の体調不良でも行きたくなる。新潟ファミリーも本当は朳差岳まで行くつもりだったらしいが、お子さんたちが強く下山を主張してご両親も折れたそうだ。特にお父さんは本当は朳差まで行きたかったのに残念。千葉の単独男性が大石山から稜線を下っているのも見えた。
2016-08-03-06.54
大石山近くから振り返る
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イブキジャコウソウの群落

意を決して大型ザックをデポし、またウエストバッグを斜め掛けして朳差に向かう。Iさんの方が元気があって先行して歩いていく。一番いやらしかったのが朳差手前の鉾立峰(1572m)への登り。いったん1420mまで下ってからの急登に喘ぐ。7時45分到着。鉾立峰の頂上に立てれば、あとは標高差80mほど下ってゆるゆる登れば自動的に朳差小屋とそのすぐ先の頂上にたどり着く。8時10分に山頂に着いたら、ガスが晴れて少し明るくなった。山頂から伸びる登山道が2本、大石ダムに向かう権内尾根と、通行止めになっている大熊尾根が見えた。大熊尾根の方には大きめの池も見える。胎内市の市街地方面に開けた谷の出口も見え、うっすら日本海の海岸線も見えた。

2016-08-03-08.10
朳差岳山頂から朳差小屋

これには大満足。20分ほど山頂に滞在して、朳差小屋内部も閲覧させてもらい、小屋前のベンチで少し休んでから大石山に戻る。小屋に泊まっても水場までの道が滑りやすいらしいので泊まらなくて良かったかも。
大石山には9時20分に戻り、30分ほど大休止して足の松尾根の下山ルートに進入した。Iさん母娘は母が大石山で娘を待っていたので体力・気力ともに十分なようで、先に下山開始してもらった。

あと標高差1000mの下山だが、狭くて岩場もある尾根をこの疲れた身体で無事に降りられるだろうか?やや不安を抱きながらも下山にかかる。9時50分歩き出し。アップダウンが若干あり、狭い尾根なのでロープを張った箇所がいくつも続く。誤れば相当下まで滑落しそうだ。実は飯豊の主稜線よりも足の松尾根の方がよほど危険が待ち構えているように思った。蒸し暑い中、4〜5人の登山者とスライドする。よくぞこの尾根を登る気になると思う。と同時にもう一度この尾根を登って朳差岳まで行く気にはならないよなと思う。つくづく今日朳差岳に行っておいて良かった。
2016-08-03-11.28
足の松尾根(崩壊や落石もあり、2箇所ほど迂回路があったが迂回路も滑りやすい)
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狭い岩場

時間にすれば、下山開始9時50分、水場の分岐近くで10時35分、狭い岩場を抜けた標高800m姫子の峰で12時ちょうど、足の松登山口に12時53分、となり、標準コースタイムの3時間40分よりも40分早く降りたことにはなるが、気が遠くなるほど足の置き場を慎重に選ばなければならない辛い下山だった。

2016-08-03-12.50
緊張した尾根が終わってブナの巨木が迎えてくれた

登山口の広場の日陰ででひとしきり休憩し、まだ13時台なので乗り合いタクシーには頼らずに奥胎内ヒュッテまで林道と舗装路を歩く。すぐに水場があったので、ここで登山靴の汚れを落とし、頭から清水を被り、タオルを絞って持ち帰り用の水を水筒に詰める。さっぱりした。林道から舗装路に出てからは奥胎内ダム建設のための工事車両が頻繁に行き交う道路脇を1時間弱歩いて奥胎内ヒュッテにたどり着いた。午前中に下山した新潟ファミリーに出迎えてもらった。一足先に登山口から歩き始めたIさん母娘も無事に到着。これでこの山旅はコンプリート。歩いた総距離はスマホによれば13km(31日)+16.5km(1日)+18.7km(2日)+22km(3日)の合計約70kmにも及んだ(直線距離だと45kmほど)。朝日連峰の総距離が52km程度なので、それを上回る距離となった。やはり飯豊連峰は東北の横綱である。

奥胎内ヒュッテの大浴場で4日分の汗を流し、ソフトクリームを食べてコーラを飲んだが、体重は5kgも減っていた。ひもじかった学生時代の体重に近くなった。暑さと体力低下による疲れと食欲減退が原因だと思うが、体重が落ちすぎだ。無理は禁物である。
Iさん母娘とタクシーに相乗りして中条駅まで向かった。料金は9000円弱。弥平四郎に車を回収に行かなくてはならないIさんと新発田駅で別れ、新潟駅を経由して新幹線で上野に戻った。長岡の花火大会当日で新潟県内は浮かれていた。上野から通勤列車に乗るのはもう面倒くさく、ものすごく久しぶりに上野駅から自宅までタクシーを使った。東京でタクシーに乗ることはまずないが、ご褒美としてたまにはいいでしょう。

ついに飯豊連峰を全て自力で歩き通すことができ、嬉しい。一日だけ天気がすぐれなかったが、宿題は残してこなかったと思っている。しかしもうこんなハードな縦走はしばらく避けたい。飯豊ならば、今度は主稜線ではなく、新発田の湯の平小屋のような麓の避難小屋を使って温泉に入りに行きたいものだ。

飯豊連峰主稜線全山縦走(3日目)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ

8月2日

御西小屋での朝は誰かの騒音に起こされることもなく、ごく常識的に始まった。シリアルとスキムミルクとはちみつでホットシリアルが朝食のメインとなった。今日は飯豊北部の主稜線を北に向かって縦走していく。御西小屋に泊まっていた同宿者たちはそれぞれのルートに向かっていく。1階の男性2名は大日岳を往復するらしい。夫婦で来られている2組の方は飯豊本山方面へ引き返す。女性3名組は丸森尾根か梶川尾根を使って小国町へ下山するので門内小屋あたりまで行きたいそうだ。外でテントを張っていた新潟のファミリーも門内小屋でテント泊の予定だとこの日の縦走路で聞いた。私もIさん母娘もまずは梅花皮(かいらぎ)小屋を目指し、時間を見て門内小屋あたりまでは行きたいところだ。

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飯豊連峰地図(その2)

飯豊のコースタイムが書かれた登山地図のタイムも場所や自分が背負う荷物によって実際のコースタイムと大きく異なることがある。この日は地図上のコースタイムよりもかなり早く歩き進めることができた。ただし、飯豊の縦走路は巻き道という発想がなく、すべてのピークを通過しているので、甘く見てはいけない。

5時30分に御西小屋を出て、天狗の庭(6時)、御手洗の池(6時40分)と進んでいく。雪渓の最上部を通らざるを得ない個所は確か1ヵ所だったが、軽アイゼンを装着しなくても普通に歩ける。だが滑落される方もいるようなので慎重に歩を進める。御手洗の池のような池塘は稜線近くにも、登山道の下方にも多く見られるようになり、そこかしこにお花畑が広がっている。特にチングルマの群落が見事。
2016-08-02-06.27.15
雪渓上部を歩く
2016-08-02-06.43.39
御手洗の池
2016-08-02-07.47.47
群落

7時ころから軽いひと雨が降ってきた。雨具を着て、でもベンチレーションジッパーをほぼ全開にして歩く。烏帽子岳と梅花皮山頂ではジプロックに入れた携帯電話を外に出せないほどになった。しかし下って梅花皮小屋で休憩させてもらった9時前後には小降りになり、北股岳もよく見えるようになってきた。梅花皮小屋の管理人のおじさんは「泊まっていけ」とおっしゃるが、まだ午前中も浅い。今シーズンは石転び沢のルートが危険なので、直接梅花皮小屋へ登ってくる登山者が激減しているらしい。小屋は立派だし、トイレは水洗、小屋から30mで治二清水がドバドバと出ているのだから、稜線上にあって至れり尽くせりの小屋だ。山形県小国町が管轄する唯一の小屋が梅花皮小屋だ。「今度来たときは是非泊まらせて」と言い残して北股岳に登り始めた。

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北股岳
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ありがたくおいしい、治二清水
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石転び沢にあまり雪がない

北股岳頂上は北上縦走する登山者にとって最後の2000m峰。昨夜御西小屋でテントを張っていた新潟ファミリー(両親と中・高生の男兄弟4人)とはここまで休憩時に会話を交わしていたので、この山頂でファミリーの記念写真のシャッターを切らせて頂いた。息子2人と縦走をするというのも、わが家にとってはもう遠い過去の話になってしまった。遠い目になる。親子でこんなハードな縦走ができたらずっと記憶に刻まれるだろう。
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タカネナデシコ
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北股岳頂上には鳥居あり、鳥居に向かってくる参道は現在廃道に・・

門内岳までの下り基調の登山路脇は「ギルダ原」などと言われているようで、高山植物の宝庫らしいが、あまり天候も良くないし、それまでにお腹いっぱいになるくらい花を見てきたのでさほどの感動を生まない。門内小屋前で休憩させてもらったら、管理人さんがちょうど交替の日で、引き継ぎをやっていた。屋根が壊れて雨漏りするので天候回復を待ってヘリが資材を上げるらしい。なかなかいいおじさんたちだ。まだ11時前半なので、Iさんとさらに足を伸ばして頼母木(たもぎ)小屋まで行くことにした。Iさんのお母さんはもう70代らしいのだが、荷物を軽量化して1本ストックでスタスタ進んで行くのを見ると実年齢よりも相当若く見える。時には大荷物を担いだ娘さんが休憩を取れなくて困るくらい健脚だ。母娘が互いに協力しあって縦走を成し遂げるというのもいいなと思う。門内小屋でテントを張る予定だった新潟ファミリーもテント設営をやめて先に向かっている。

さて、頑張って午前中に相当長い距離を縦走してきたが、ついに12時直前から雨が本格的に降り出した。ちょうど梶川尾根との分岐点、「扇の地紙」というところから地神山、頼母木山、頼母木小屋までの時間にして1時間30分、大粒の雨がフードをたたき、登山道は小沢と化し、遠いけれども雷鳴もあって森林限界以上にある山頂部を通過するときは緊張した。前を行く新潟ファミリーは今まで追いついたり視界の中に入っていたのに、急にペースが上がって息子たちの姿が見えなくなった。すれ違った登山者の情報によると一人のお子さんが雨具なしで歩いていたという。それで小屋まで急いだようだ。後方のIさん母娘の姿もあまりよく見えなくなった。もう休憩を取っている余裕はなく、一度樹林帯を出る前にカミナリを気にして数分座り込んだが、ほぼ一気に頼母木小屋になだれ込んだ。13時15分到着。水がドバドバ流れる流し台の前で新潟ファミリーと無事を確認しあう。Iさん母娘も無事に小屋にたどり着いた。皆疲れ果てて小屋になだれ込む。先に小屋に入っていた一人の男性がとても気さくでいい方だった。丸森尾根をこの日に登ってきて、翌日は朳差岳をピストンして南下するという千葉からの男性だった。

ザックから靴から前身びっしょりで、小屋内で濡れ物を干すのが大変だった。もう3日目のウェアは自分の汗で臭く、何かの拍子で臭いが立ちのぼってくる。さらに豪雨で靴の中を濡らしてしまった。スパッツを装着する手間を惜しんでしまったのだ。毎日中敷は外して乾かしているが、それでも追いつかない。明日最終日は濡れ靴を履かなければならない。最終日なので臭い靴下は予備のものに替えるが、濡れ靴に新しい靴下というのが辛い上に、濡れ靴の中の足はふやけてマメもできやすくなる。山行中雨に遭っても靴の中を極力濡らさないというのは常に気にしてはいるが、心の余裕がないと難しい。
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頼母木小屋の流し台(まだ雨の影響で水が濁っている)
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出した後はペダルを漕ぐことで微生物に空気が送られるしくみ

この日の頼母木小屋宿泊者は上記の男性1名に門内小屋方面から北上してきた我々7名に加え、夕方になってたどり着いた関西弁の3名の高年男女の11名。余裕を持って泊まれた。夕方になって雨が止み、携帯をつなぐと翌日は曇りベースらしい。雨さえ降らなければ朳差岳のピストンはできそうだが、そろそろ体力が落ちてきて食欲もあまり湧かなくなってきた。夕飯はアルファ米とみそ汁ではなく、カップラーメンにした。

飯豊連峰主稜線全山縦走(2日目)

31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ

8月1日

切合小屋の朝は早かった。というのも、隣近所のことを省みず暗いうちからガチャガチャと音を立てて準備する人が多過ぎたからだ。近くには熊鈴を鳴らして平気な人もいた。登山者のマナーは守って欲しい。

山でご来光を見るのは何だか変な習慣だと私は思っていて、歩き始めてから縦走路でご来光を見るならわかるが、山頂や小屋前で見なければならない必然性は感じない。夏だったら日の出とともに起きて朝食を作り食べて出すものを出してパッキング完了とともに歩き始めればいいと思っている。歩き始めは当然明るくなってから。十分時間はある。

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朝日連峰を遠望
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大日岳方面
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雪渓も出てきた(前を行くIさん)

5時30分に小屋を出発。ツアー団体が先行していてその最後尾に追いついてしまったので、最後尾のガイドが「追い抜きますか?」と聞いてくれたが、とりあえず彼らが休むだろう草履塚山頂で抜かせてもらうことにした。ところがツアー客は山頂の登山道の真ん中にザックを置いて座り込むので困る。ガイドが道を空けて下さいと言っているが反応が鈍い。20人もの大所帯でこちらにも不満はあるが、押し殺して先行する。御秘所の手前で団体を抜くことができただけありがたい。

草履塚を下ってすぐに姥の前。姥権現の地蔵さんが祀られている。女人禁制だった時代に禁を破った女性が石に変えられたという場所だが、姥権現のお姿が印象的。そしてすぐに御秘所。飯豊本山に向かう登山路の中の難所の岩場だ。とはいえ、鎖もついているし、このくらいの岩場ならばあちらこちらにもある。いまのルートは御秘所を通過するルートの中でも一番易しいルートなんだろう。ただ、昔の草履履きでは相当苦労したはずだ。御秘所の通過ルートによっても御利益が違ったらしい。とりあえずこれで私も会津で一人前の男として見られることになったはずだ(もう元服年齢よりも相当上だが)。
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姥権現
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御秘所の岩場

あとは御前坂をエッチラオッチラ登れば2000mを越え、本山小屋下の幕営地を過ぎて本山小屋と飯豊山神社奥宮だ。7時20分に到着。味気ない建物で、本山小屋が混雑するときには社殿の中にも登山者を入れるらしい。一応、お参りはして、御朱印を切合小屋の領収書裏に捺してきた。本山小屋で赤い手ぬぐいを買う。団体ツアー客が登ってきたのでそそくさと先に進む。

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本山小屋下のテン場

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イイデリンドウが咲いていた
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飯豊本山山頂はガスで展望なし

ここから先は斜度が緩くなる。ガスってきてしまったが、飯豊本山(2105m)、駒形山(2038m)を越えて緩く下っていく。御西岳(2012m)のあたりになると人はめっきり減り、高山植物が豊富になる。御西小屋には9時20分に到着。20分ほど休んで、重いザックを小屋脇に置き、大きめのウエストバッグを肩から斜め掛けして大日岳を目指す。ガスが濃くなってきたので雨具は必携だと思われた。ここまで前後してきた長野のIさんの娘さんと2人で歩き始めたが、例の団体ツアーが意外に早く御西小屋に着き、先行している。文平の池が見えるあたりでまた抜かせてもらい、急登をあえぎながら登る。荷が軽いのでまだマシだ。コースタイムは2時間だが、重荷がないので1時間ちょっとで山頂に着いた。山頂には2人がいただけで、山頂の標柱と三角点が何故か若干低いところにあった。しばらく休憩していたら、団体ツアーが大騒ぎしながら登ってきた。まずガイドの声がうるさい上に、客の一人が標柱の裏で座っている私に、「写真を撮りたいからどいてくれ」と言う。ムカッときたが大人しく譲ってやった。彼の撮影する大日岳の頂上標柱の写真はさぞかし芸術的なんだろう。是非どこかの写真展にでも発表してもらいたいものだ。
Iさんと団体ツアー登山について少し離れた場所でさんざん文句を言ってこき下ろした。
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大日岳山頂もガスだとこんなもんですが、芸術的写真が撮れるのか?
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大日岳から戻る途中の文平の池2016-08-01-12.06
御西小屋に戻ってきた

12時過ぎに御西小屋に戻り、宿泊手続をする。切合小屋が2500円、御西小屋は2000円と額が異なるが、これは飯豊主稜線の小屋の管轄が福島・山形・新潟と異なり、市町村によっても異なるからだろう。今まで盲腸のように稜線上にのみ伸びた福島県を歩いてきたが、ついに県境を越えた。御西小屋は新潟県阿賀町の所管らしい。割り当てられた寝床の番号は8番だったが、普通にマットを敷くと7番までの人で8番はおろか9番くらいまで埋まってしまう。午後何人も客が来るとオイルサーディン状態になるのは必定なので、皆で祈るが、果たして我々の後に入ったのは男性2人で、1階を割り当てられた。4時を回った頃に私が勝手に判断して11番に移ったので、他の方々も多少は余裕ができたかも知れない。御西小屋の水場は若干遠く、かなり降りないとならなかった。トイレは飯豊の小屋の中でも最悪で、たった2箇所でポットン&ペーパーなしだった。築10年の新しい小屋なのにトイレに工夫がないのはおかしい。阿賀町に改善を望みたい。

この夜、ラジオで九重親方の訃報を知る。がんと闘っていることは以前から知っていたので覚悟はしていたが・・・千代の富士は現役時代も親方になってからも毀誉褒貶のあった人だが、私らが高校生の時に他の大関候補をごぼう抜きにして出世したのが印象的だった。高校のクラスでは女子も含めて相撲人気があった。北の湖に次いで千代の富士もか。隆の里はすでに亡くなり、北天佑も早くに亡くなってしまったし、あの時代の力士たちは短命だったなあ・・

飯豊連峰主稜線全山縦走(1日目)

福島・山形・新潟三県にまたがる飯豊連峰の主稜線をすべて自分の足で踏破してみたいという願望は何年も前からあった。2013年に南ア悪沢・赤石・聖の縦走をしたときに、次は飯豊全山縦走と公言していた。しかし諸事情があってなかなか有言実行にはならなかった。特に15年はひと夏ボランティア的な仕事のために全滅だった。

今年こそ!と思わせてくれたのが新潟胎内市がJRとタイアップして作成したポスター。最寄り駅の階段の途中にもう数ヶ月張ってある。残雪の飯豊連峰北部の山の連なりと巻き道のない登山道が私を誘ってくれた。数種類の写真が掲載されたポスターが作られたようだが、どのポスターの写真も素晴らしいのだ。

山中3泊あれば福島県側から新潟県胎内市に抜けられそうだ。宿泊できる避難小屋はほぼ管理人が入っているし、主稜線上には7つの避難小屋があって、よりどりみどりである。切合(きりあわせ)小屋、梅花皮(かいらぎ)小屋、できれば最後に朳差(えぶりさし)小屋に宿泊するつもりで計画を立て、週間天気予報をにらみながら7月30日に自宅を出ることにした。

現実は以下の通りの行程となった。
30日 自宅〜会津若松
31日 祓川登山口〜切合小屋(泊)
1日 
切合小屋〜御西(おにし)小屋〜大日岳ピストン〜御西小屋(泊)
2日 
御西小屋〜梅花皮小屋〜門内小屋〜頼母木(たもぎ)小屋(泊)
3日 
頼母木小屋〜大石山(荷物デポ)〜朳差岳ピストン〜足の松尾根〜奥胎内ヒュッテ
   中条駅までタクシー、JRで自宅
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飯豊連峰地図(その1)

30日は新幹線と磐越西線の快速列車を使って会津若松に夕方入り、駅前のビジネスホテル泊。会津盆地は暑く、午後の天気も不安定なようだ。

7月31日
朝4時30分起きしてATPテニス・トロント大会の実況を第1セットだけ見て後ろ髪を引かれながら5時28分会津若松発新潟行きの列車に乗った。当然車内はガラガラ。6時12分に野沢駅に着き、予約しておいたタクシーで弥平四郎集落のさらに奥の祓川登山口に向かった。格安のオンデマンドバスが弥平四郎集落まで走るのだが、早朝で運行時間にはまだ早く、なるべく朝のうちから登って稜線上の小屋にたどり着きたいので、ここは金に糸目をつけずタクシーである。

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磐越西線の列車内で

北アや南アなどと違って、東北の山はアクセスが悪く、それが計画上のネックになっている。東北の山の大関クラスである朝日連峰もアプローチが不便。横綱クラスが飯豊だろうと思われるが、こちらも登山口まで、下山口からの交通が不便で、スルーハイカーはいろいろと工夫をされているようだ。車をどこかにデポするのも、自転車や原付バイクを下山口にデポするのも、単独で登ろうと思っている私にはとても面倒くさい。それに、タクシーを使うと1万円くらい消費してしまうのが勿体ない、という考えもあるが、私は登りたい山に行くのに1万円は決して高くないと思っている。

ということで約1時間タクシーの中で運転手さんに西会津町の奥まった集落のいわれや実情を教えてもらいながら、最奥の弥平四郎集落を抜けて狭い未舗装林道を走り、祓川登山口に到着。タクシー運賃は約9500円だった。オンデマンドバスで来たら歩かねばならない林道をカットできた。

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祓川登山口

7時20分、祓川登山口で登山届を投函して出発。稜線に出るには登山道が2本あるが、水場があり、最初の斜度が緩めの新長坂コースを歩き始めた。まず沢を渡るために標高差20〜30m下り、渡って少し登ると祓川山荘が左手にある。屋根にブルーシートがかけてあり、雨漏りがひどいのかも知れない。水はふんだんに使えるらしいので、初日にこの祓川山荘に泊まる登山者もいるようだが、単独でこの小屋に泊まる気は起きなかった。

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祓川山荘

登山道は斜登行する感じで松平峠まで上がっていく。十森というところで小さな沢があったが、この日は水がきれいとはいえなかったのでスルー。松平峠からは低木帯になって日差しがきつく、標高差300mを一気に登るので休み休み高度を稼いでいく。日曜日なので、下山する登山者とすれ違う。なるべく明るく話しかけて情報をもらう。
疣岩分岐でちょうど11時。ほぼコースタイム通りか。しかし暑過ぎてバテた!疣岩山山頂までのペースがゆっくりになり、山頂で休憩、さらにその先でも休憩を取ってしまった。三国小屋到着が12時40分。20分の大休止を取る。登り初めは本山小屋まで行って宿泊しようかと思ったが、どうやら1つ手前の切合小屋泊の方がよさそうだ。

疣岩山から前後して歩いていた母娘と会話を交わす。祓川から尾根に直登するコースで登ってきたとのことで、長野県松本市からいらしたというIさん母娘だ。私の郷里にかなり近いので話が合い、切合小屋まで前後して歩くことになった。彼女たちは1週間の休暇を利用して飯豊に来たそうだが、コース検討の結果、大日岳あたりまでのピストン山行を考えていたらしい。私の計画を話したら、奥胎内に下山して羽越線の中条駅までタクシーで出ることは全く想定していなかったようで、山形県の小国町に下山して米坂線を使おうにも便数がなくて結局スルーハイクは諦めて登ってきたとのこと。しかしその手があったかということで、以後下山して列車に乗るまでご一緒することになった。単独行の私としては、同じコースを歩き通す仲間ができたので心強い限りだ。

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疣岩山から見えた飯豊本山

三国小屋から川入に下る剣が峰は歩きにくそうだ。弥平四郎から登って正解だった。切合小屋に向かう道中にはハシゴが設置されていたりしたが、小屋到着は15時だった。大きな小屋なので、宿泊客も日曜日の割には多く、天気もいいのでグループごとに屋外でくつろいでいる。私とIさん母娘は1階の入口に一番近い場所をあてがわれた。暗くてヘッドランプなしには物の整理整頓ができない。16時頃からアルファ米とみそ汁の夕飯を作って食べ、早々に寝所に落ち着いた。この夜、たまたま20時過ぎに一度起きたので、期日前投票をしてきた東京都知事選の結果を知る。今後もあんまり東京都は変わりそうにない。
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ガスってきた中、切合小屋到着

切合小屋では食事提供もされるとは聞いていたが、かなり多くの人が小屋の食事を取っているように見受けた。しかしその大半は翌日も大日岳まで離合するツアー客だったようだ。飯豊といっても多くの人が登頂を目指すのは飯豊本山までか、足を伸ばして最高峰の大日岳までのようで、切合小屋に宿泊して翌日荷物を軽くして本山往復とか、大日まで往復して再び切合小屋泊というパターンが多いようだ。連峰の半ばまで行けば静かな山歩きができるということだが、その通りにやかましくも厚かましい20人のツアー客も大日岳で引き返していった。