仕事キャンプで小豆島

2009年のMacBookではあまりに仕事が非効率なので7年ぶりに新しいMacBookを購入した。
今回はApple純正の整備済み品(ようするに中古品だがその質は新品同様)から13インチディスプレイのMacBook Pro(15年春発売のモデルなので最新。その中でも最もスペックのいいもの)を選択した。新品を買うよりも3万円は安かった。

前のMacBook Proからデータを移行して、ソフトを立ち上げてみるが、速いのなんのって。嬉しい。
で、試しにブログの記事をアップしてみることにした。前のマシンではブログ作成ソフトで作成したエントリだけでなくカテゴリーやらタグやらで分類されたファイルをまとめてアップデートすることができず、いちいちファイルを書き出して、呪文のような名前のファイルを探し出し、FTPソフトで一つ一つアップしていたというクソ面倒くささがあり、記事を書く気力すら失われた。おまけにDreamweaverも不可解な動きをしてうまくいかない(ソフトメーカーがとっくの昔に動作を保証していないので当然だが)ためにブログの記事作りはとてもイライラする作業だった。今回はどうだろう?



さて、春の仕事山行は山行ではなくて島巡りがもっぱらである。一応、山のある島へ行き、日帰り登山はするのだが、今回は瀬戸内海の小豆島での2泊のキャンプとなった。移動はフェリーと新幹線。高速バスは最近いろいろ問題があったし、JRの夜行快速も極めて少ない。若人が安く旅をするには本当に辛い時代になってしまった。新幹線ばっかり通せばいいってもんじゃないぞ!

若人と合流するために、大人の(交通費が支給される)私は新幹線で岡山まで行き、新岡山港から土庄行きフェリーに乗った。土庄は子牛のような格好をした小豆島の首筋の位置にあたる島内最大の町だ。昼食を観光センターで済ませ、1時間ほどバスを待ち、小豆島の路線バス(オリーブバス)で池田という集落まで行った。オリーブバスは3月20日に時刻表を改定しさらに料金まで改定したようで、どこまで乗っても300円という破格の運賃である。乗り換え時も乗り換えチケットをもらえば300円で済む。これは都バスなどでも参考にして欲しい。ちなみに、私は小銭を用意するのが面倒なので2日間フリーパスという券を購入した。1500円で二日間乗り放題だ。将商の距離を5回乗れば元が取れる。これが大変重宝した。

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新岡山港にて。瀬戸内海のフェリーは生活路線で味わいがある。

ちょうど小豆島と隣の豊島とミュージアムで有名な直島などで瀬戸内国際芸術祭が始まっていて、観光客は多め。若い女性2人組とか、カップルとか、若い人がバスに乗り込んでくる。バスの車窓から立派なホテルがいくつも見えて、観光の島なんだなと思う。そんなところで我々は極貧キャンプ生活である。

牛の形の小豆島の前脚の前の付け根にあたるところが池田集落で、そこから海岸線を20分ほど歩いたところがキャンプ場だ。三都半島といわれるところ(牛の前脚部分)へ入ると、バスはほとんど来ない。

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小豆島町は大阪場所で活躍した琴勇輝関の出身地となっている。

若人と合流してその日の午後はキャンプ場の近くをフラフラしただけで終わった。

翌日、バスを乗り継いで寒霞渓に向かった。小豆島の最高地点、星ヶ城まで歩いて登る。登山道というよりは奇岩を愛でながら歩く遊歩道があって、そこを歩いて登る。傾斜は結構あるし、普通の観光客はロープウェイで登ってしまうので歩いている人は見かけない。途中で猿の群れが騒いでいた。ロープウェイ乗り場の標高300mから歩いて600mのロープウェイ頂上を経て、820mの星ヶ城までだいたい1時間40分ほどだったと思う。頂上の烽火台の石組が素晴らしかった。

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奇岩と穏やかな海
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星ヶ城頂上の烽火台

下山は景色を楽しむためにロープウェイに乗った。軟弱な山行だが、乗っているときの自動アナウンスで、このロープウェイができたのは私が生まれたのと同じ年、同じ月だということが判明して妙に親近感を持った。ともに老朽化しているが、まだ人生半ばだ。

バスでキャンプ地に戻ったのが13時頃で、ヒマを持て余したのでバスのフリーパスを有効に使って無駄にバスを乗り継いでみた。島の最も東北にある福田港までバスに乗って車窓から絶景を眺め、折り返して途中下車して坂手港へ行き、夕方の閑散とした港町を歩いた。国際芸術祭のオブジェも発見した。帰路にまた下車して夕食を食べ、キャンプ場に19時頃戻る。小豆島の食堂は昼が中心で夕方から夜にかけて営業している店を探すのが難しい。若人も最初は外食すると言っていたのだが、結局食事処を見つけられずにお土産として売っていたそうめんをゆでて食っていた。

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坂手港にあったオブジェ。ゆっくり回っていた。

最終日は北風が吹いて寒かった。テントを順調に撤収して池田まで歩き、バスに乗って土庄フェリーターミナルまで移動して岡山までフェリー、その後新幹線である。なかなか時間がかかるもので、東京にたどり着いたのは夕方であった。

仕事とは言え、たった2泊3日で帰ってくるのはもったいないと思える瀬戸内の島旅だった。

ステップソールで日光山王峠

2月末でようやくゲレンデ滑走日数が10日になった。2月末の日曜日に吐月工房氏ご夫妻とかたしなスキー場で滑ったが、ところどころ地面も露出しているような状態で、シーズン再末期の様相、しかも暖かい。

先日の妙高・南地獄谷も雪が少なかったし、ゲレンデも痛々しい状態では、スキー納めも例年よりかなり早くならざるを得ないだろう。長いアルバイトの末の山岳滑降は望めず、ゲレンデも再末期状態というなら、ここは雪が少なくても斜度がゆるくてもそれなりに楽しめるステップソールでゆるゆる遊ぶに限る。これなら多少地面が露出していようが、薮が若干うるさかろうが、それはそれとして受容できる。

ということで、3月最初の日曜日は雪があるのか疑心暗鬼ながら奥日光へ行くことにした。激(しい)渋(滞)のある関越道方面はイヤだ。

朝家を出たのは7時。いつもに比べてかなり遅いが、近いからいいのだ。でも東北道も車の数は多めで、中禅寺湖に出たら路線バスの後ろにつかねばならず、到着は9時半頃になってしまった。もっと来ているかと思いきや、クロスカントリーコース利用者の駐車場には他に自前のクロカンスキーを用意してこれから出発しようとする人の1台のみ。周囲の雪は少ない。道路はもちろん、戦場ケ原の草も顔を出していて、積雪量は10cmくらい、標高1400mのここ光徳で20cmくらいか。

準備をして、10時15分に歩き出す。ステップソールスキーはカルフ10thマウンテン、ブーツはスカルパT4。ビンディングはちょっと不安のあるテレブルドッグという一昔前の装備。まずはクロカンコースを歩き始める。雪も汚れているし、クロカン用トラックもないのであまり罪悪感無く歩ける。しかしすぐに飽きるので、林道の閉鎖ゲートから西側にトラバースして夏道に近いところを目指す。笹がたくさん出ているが、雪さえつながっていれば問題ないし、人が歩いていないところを歩く方が楽しい。一本沢を越えて尾根に乗って、夏道らしきトレイルを発見、登山道が棚のようになって雪がつながっているので最初は歩きやすかった。しかし、つづら折れを登って行くと雪が途切れ、スキーを外さないと歩けない。何度かスキーのつけ外しを繰り返す。こういうときステップインのテレブルドッグは手間がかからなくて楽だ。ただ、ビンディングの破損がネット上では報告されていて、こういうときに破損に至るのは困る。

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久々の板とブーツ

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登山道の斜度が少し急になってノーシールでは辛くなる頃、林道のカーブミラーが接近してきた。あとは林道をショートカットして峠頂上に至るだけだ。好き勝手にキックターンを交えて頂上に着いたのが11時30分過ぎ。ちょうど5人組のスノーシューでのおじさんハイキング組とすれ違った。彼らと同じく林道のすぐ脇の本当の峠頂上の広めの場所に陣取って昼食とする。



今回の昼食はカップラーメン。一応ガスも持ってきたのだが、「山専ボトル」の中に朝入れてきたお湯がまだ熱そうだったのでそれを使って食べた。やはり山頂で食べるラーメンは最高である。

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ぜいたく

帰りは峠直下のカラマツ林に入ってみたが雪質が生コン・クラストだったので早々に諦め、林道をタラタラと降る。峠でスノーモービルの爆音を聞いてしまったので彼らに追い抜かれないように。しかしスピードが出なくてストレスがたまる。再びクロカンコースに出て、まだ12時台だからもう少し歩いてみようと思ったが、やっぱりすぐに飽きてしまって、アストリアホテルの裏手に出て終了とした。ホテルのクロカンレンタルはこの時期になっても客が来ているようで、コース上ではほとんど見かけないが親子連れが歩き始めるところだった。

入浴料1,000円と破格に高いホテルの温泉大浴場だが、若干コースも歩かせてもらったのでお布施と思って入浴、硫黄臭のする日光湯本温泉を楽しんでゲル化し、帰路についた。往路と同じく日光宇都宮道路〜東北道ではあまりに芸がないので、慎重にいろは坂を下ってから足尾方面に向かい、足尾から県道15号線で鹿沼に抜ける粕尾峠を抜けた。一昨年日足トンネルの上を通っている旧道細尾峠と併せて自転車で登った峠だ。春先のせいか、路面は悪くて砂利が浮いていて、つづら折れ満載の峠だが、一台だけロードバイクで登っている人がいた。何だか車で峠を登ると斜度が自転車以上に急に感じられ、よくもまあこんな峠を人力で登ったものだと自分のことながらに感心した。

栃木インターから東北道に乗って18時に帰宅。東京は予報にない雨だった。
ライト級とは言え遊んできたのに、その夜はデビスカップのマレーvs錦織戦を朝3時まで観てしまった。惜しかった・・