家族山行・尾瀬燧&至仏山

この夏は登山ばかりしている。仕事山行、夫婦山行ときたら、最後は家族山行である。とはいえ、連れて行くのは高校1年生の次男のみ。
ターゲットは南アルプス南部の「東海フォレストランド」ゴールデンコースである荒川三山と赤石岳3泊の幕営山行であったが、直前に自家用車の決定的不具合が見つかって今年も断念した。このコースの起点になる畑薙第一ダムまでの季節運行路線バスが、今年は夏前の台風の影響で運行していないので、鉄道とバスでのアプローチも不可能なのである。

登山の時は各地の天候などをにらんで第一候補とは全く違う山域に2つ3つの代替プランを予備に持つようにはしているが、数年前にも実行できずリベンジを考えていた南ア南部から代替プランに移行するには気持ちの切りかえが必要だった。ようやく前夜に決定したのが今回のコース。公共交通機関でアプローチしやすい。燧ケ岳も至仏山も私にとってはスキー登山の対象で、今まで複数回スキーでのみ登っているのだが、無雪期に登山靴で登るのは初めてである。

19日 大清水〜三平峠〜尾瀬沼(幕営)
20日 尾瀬沼〜燧ケ岳〜見晴〜山ノ鼻(幕営)
21日 山ノ鼻〜至仏山〜鳩待峠

比較的交通機関が空く19日の日曜日を利用して出発。新幹線と在来線を利用して沼田から路線バスで大清水に11時過ぎにたどり着く。冬から春にかけてたびたび自家用車で通る道を路線バスに揺られて延々と移動していくのは新鮮だったが、さすがに距離が長いだけに3人だと運賃がかさむ。バスの中には尾瀬ハイカーらしき客も少なく、最後はわが家の貸し切りバスになる。

P8190341
大清水ゲート
P8190343
三平峠で汗だく
P8190346
尾瀬沼と燧ケ岳

大清水でも大型ザックを背負った登山者は皆無で、三平峠方面から下山してくる軽快でお洒落な尾瀬散策者ばかりである。さすがに山ガール風ファッションが多く、年齢的にも若い人が多い。1時間の林道歩きを経て登山道に入り、あえぎながら三平峠を越えて尾瀬沼に向かう。大清水からの標高差は約500m。軽装ならダラダラ歩いているうちにいつのまにか達成する標高差だが、峠に詰めていく登りは重量級ザックだとキツイ。14時過ぎ、尾瀬沼着。尾瀬沼ヒュッテでキャンプ手続きをしたら、
キャンプでも予約が原則だと言われた。尾瀬で小屋泊に予約が必要なことは知っていたが、全国どこでも早い者勝ちの山中の幕営地で予約が必要とは!オートキャンプ場じゃあるまいし、ちょっとあり得ない発想である。

幕営は場所(ウッドデッキ)が全部で20数箇所あり、受付の早い方から好きな場所をとれるという方式である(なぜか場所とりだけは早い者勝ちで、予約したとしても到着が遅ければ好きな場所は取れないのでは?)。わが家は11番を確保したが、隣との距離が近過ぎた。当日は奥の方のサイトががら空きだったので、そちらにして個室気分を堪能すべきだったと思った。ウッドデッキは当然ペグを打てないので、ガイラインでウッドデッキ付属の金属リングにテントを固定する。わが家の4人用エスパースではデッキに余裕がなくなり、ちょっと設営はしにくかった。林間のサイトで台風でも来ない限りはテントが飛ばされる心配はないので、デッキへのテント固定は不必要とも言える。なお、2人用テントならウッドデッキが余り、食事や昼寝などに広々使えて快適そうであり、他のキャンパーがちょっと羨ましかった。

山中にあって珍しく豪勢なサイトだが、残念ながら水場とトイレは歩いて公衆トイレを利用しないとならない。飲料用の水場は公衆トイレ入口に設置されている。これは不便で、なぜ
こんなウッドデッキの立派なサイトを公共工事として作りながら、もう一つサイト近くに水場と小さなトイレを作れなかったのか理解に苦しむ。管理の問題だろうが、サイト代一人800円も取るのだからそのくらいは何とかして欲しい。でなければサイト代を他の山域と同じく500円程度にすべき。尾瀬は至るところで工事が行われているのが普通だが、河川工事と同じくこうやっていじくり回して利用者に不便なものを提供しているケースがあるように思える。例えば尾瀬沼公衆トイレ内の手洗い場は都会で見るような高級な材料を使っているが、不必要ではないか?見晴でもキャンプサイト周辺が工事対象になっていて今年はキャンプ不可になっていたが、サイト自体の工事だったのだろうか?ひょっとして工事後は尾瀬沼と同じようなサイトが提供されることになるのだろうか?

夕食は各自尾西食品のアルファ米、おかずに西友のフリーズドライ食品(すでに消費期限切れ)。

20日
朝食はマルタイ棒ラーメン、女房はお茶漬け。
長英新道から燧ケ岳をめざす。なかなか高度が上がらない林間のトレイルを進むが、途中から斜度がきつくなってきて、俎嵓(まないたぐら)直下では岩だらけになった。春スキーの時には桧枝岐の御池方面から登ってきて、同じ斜面を滑るだけだったので、違う方向から登り詰めるのはちょっと新鮮だった。頂上からは会津駒がよく見える。あそこもスキーでしか登ったことがない山の一つだ。

P8200350
樹林帯をゆるゆる登る
P8200351
尾瀬沼と日光白根山が見えた
P8200353
俎嵓までもう少し
P8200354
最後の急登
P8200355
頂上直下

燧ケ岳は複数のピークが集中していて、俎嵓よりも柴安嵓(しばやすぐら)の方が10mほど高いので、そちらへ初めて行ってみる。春、雪がある時はアイゼンがないと登れないのではと思っていたが、鞍部への斜度も緩いし、スキーとシールでも登れそうだ。そしてこちらの方が山頂は広くてくつろげる感じ。尾瀬ケ原全景と至仏山がよく見える。

P8200358
尾瀬ケ原と至仏山

下山は見晴新道を使って高度を下げる。地形図からも一目瞭然だが、枯れ沢を降っていく急下降の道で、岩がゴロゴロしていて非常に歩きにくい。高度が下がっても一向にトレイルの状態が良くないなあと思っていたら、昨年の雨でかなりトレイルが痛めつけられたらしい。

P8200361
脚にくる

見晴でちょっと遅めの昼。原の小屋の休憩所でカレーを食べ、アイスコーヒーを飲む。山中でこんなことができるとは北アルプス並で贅沢である。
P8200363
昼食
P8200365
P8200366

あとは尾瀬ケ原を山ノ鼻に向かって1時間30分ほど歩くのみ。湿原に見るべきものもあまりない季節なので、黙々と歩く。湿原ハイカーの数も少ない方だと想像する。15時過ぎ、ちょっと雲行きが怪しいが、無事山ノ鼻着。至仏山荘でキャンプの手続きをして、ビジターセンター前の広場にテントを設営する。ここには
ウッドデッキはなく、予約制でもない。すでに2張ほどテントが張られているが、わが家の4人用テントを張れる場所も確保でき、トイレも水場も近くて言うことなし。贅沢を言えば、もう少し静かな場所にサイトがあればなおよい(小屋が近すぎる上に鳩待峠からのトレイルが目の前)。一日9時間よく歩いた。夕食はそれぞれアルファ米やにゅうめんとしたが、フリーズドライのおかず(極食の「イワシの梅煮」と「鶏肉のワイン煮込み」)がなかなかイケた。

P8200368
設営完了

17時を過ぎると至仏山荘に素泊まりしている女子中高生の飯ごう炊さんの声が響き渡る。統率がよく取れていて、青少年にありがちな「斜に構えたところ」が見られないのがさわやかだったが、翌朝4時過ぎからもリーダーが大きな声で下級生に指示をしているのに困り果てた。しかも女の子の声は高くて響くし、そもそもおしゃべりが多いから集団だとかなりうるさい。わが仕事山行の青少年=all♂ はみな無口なので比較してはいけないのだが・・朝のテンションは低く、音圧も相当低いはずである。尾瀬では北ア・南アのように早出の人は皆無なので、早朝は小屋泊の人もテントの人もあの声で私のように叩き起こされたのではなかろうか?至仏山荘の朝食は5時30分ころからであった。私らは隣のテントの5歳くらいの女の子が夜10時過ぎまで起きていたのに閉口していたので、この朝は完全寝不足である。

21日
気を取り直してラーメン朝食を摂り、6時40分に至仏山に取りつく。ここもスキーで滑るには快適な斜面なのだが、登山靴で歩くと一本調子のキツイ登りである。森林限界が低いので直射日光を浴びて暑く、蛇紋岩の岩は滑りやすく、木道階段地獄がひたすら続く。コースタイムは3時間、それなりの速さで登ったが、軽装ハイカーにはことごとく抜かれ、何度も休憩を入れては水分補給と気合注入しないと登れなかった。山頂でしばらくくつろいで山座同定などをして、10時から下山にかかる。スキーの時にまず感じないのは小至仏山までの歩きづらさ。雪の上をまっすぐトラバースできるスキーとは違って、蛇紋岩の稜線を忠実に辿らなければならない。小至仏からは木道も出てきて歩きやすくなり、順調に12時過ぎに鳩待峠着。8月平日の鳩待峠は一般車の乗り入れ規制が解除されるために、一般車がかなり駐車されている。登山道を降りてきていきなりこの風景には戸惑う。

P8210369
易しそうに見えるが・・
P8210372

P8210370
階段地獄
P8210371
ピークにて
P8210373

P8210374
タカネナデシコ?

腹が減るはずだが下山直後は胃が小さくなっているのか、水で空腹感が出ないのかあまり食べる気はせず、そのままバスに乗って戸倉まで降りてしまう。戸倉で温泉に立ち寄って汗を流すが、寛げるスペースはなく、食事どころもなく、パンと牛乳を買って14時台の路線バスでまた延々と上毛高原まで。1時間新幹線に乗って上野に着くが、すでに帰宅ラッシュの時刻だ。そんな中で電車を乗り継ぐ気力はすでに無く、どうせ3人だからと上野からタクシーで帰宅する。スカイツリーが視野に入ってくると、「帰って来た感」が強まる。スカイツリーは近くに住んでいながらまだ行ったことはないが、そういう目印として刻みつけられてしまった。

今回、なんだか日帰り登山を連続してやったようなコースだったが、公共交通機関をフルに使っただけに「旅」感は強かった。そういう意味では南ア南部の「東海フォレストランド」へ自家用車でアプローチするよりはよかったのかも知れない。

また、久しぶりの登山(小6で塩見岳に登って以来)となった次男がだいぶ成長したのに驚いた。特に彼のために新調したグッズはなく、ザックは私のグラビティ69L(ウレタンコーティングが劣化しつつあって若干臭う)、靴は今まで10年間履いてきたスカルパ・ドルポGTXを与えたが、しっかり歩き通したし、もう高校生なので弱音は全く吐かない。これからは頼もしい登山パートナー(というか、力が落ちている我々のボッカに)になって欲しい。私は今回の登山を期に登山靴を新調した。仕事でも使わざるを得ない必需品なので、新調する権利はある。やはりスカルパのキネシスプロGTXである。内側がへたっていないので当然だが、足によくできていたマメは皆無だった。

自宅で体重を量ったら、岩手山直後と同じくかなり体重・体脂肪が落ちていた。ほとんど大学生時代と変わらなくなった。是非ともこれをキープしたいものである。

夫婦山行・裏岩手縦走

先週の仕事山行に引き続き、女房と2泊3日の縦走。
車中泊とか、深夜バスで移動直後に登山というアプローチは女房が苦手とするところなので、ここは文明の利器「新幹線」を使って朝から移動し、昼から歩き始められる八幡平〜岩手山とした。このコースなら、朝7時上野発の新幹線と盛岡駅から八幡平頂上まで行く路線バスで12時直前に登山口に立てる。

これまた先週に引き続き「はやて」で9時20分に盛岡着、駅ビルで行動食の一部になるパンを購入して、9時47分発の八幡平頂上行きのバスに便乗。平日なので乗客は少なめで、我々と同じような重量級ザックを背負った人はいない。わずか1,320円という破格の値段で八幡平に到着し、藤七温泉方面に舗装路を少しくだって、12時チョイ過ぎに登山口から歩き始める。
P8020001
盛岡駅前にて

まず面前にある畚岳に立ち寄り、縦走路を一望する。天気は良く、標高1,500mクラスの平坦な縦走路である。今回の縦走路には大深山荘、三ツ石山荘の避難小屋があり、いずれも新しく立派な小屋なので、テントは持たなくてもよかったのだが、念のため2人用テントはザックに入れてきた。裏岩手縦走路の平坦ルートでは大した負担はなかったが、岩手山への急登ではかなり堪えた。


P8020005
畚岳に向かって歩き始める
P8020009
たおやかな尾根と縦走路

畚岳(1,577)からの秋田・岩手県境上の縦走路はところどころに湿原や池が点在し、ハイシーズンにも関わらずすれ違うハイカーもなく、快適そのもの。諸桧岳(1,516m)、嶮岨森(1,448m)を越えて行く。標高1,500m程度でも十分涼しいのだが、みんな梅雨明け直後でもっとメジャーな山域に行ってしまうんだろうね。縦走路から左手に藤七温泉を経由して松川温泉に向かう道路が見えるのはちょっと興ざめ。

P8020025
嶮岨森
P8020282
大変きれいな大深山荘

午後4時近くに大深山荘着。小屋に入ってみたら他に2組5名が先着していて下段のスペースを使用していたので、我々ははしごを使って上段を寝床とする。水は歩いて3分の湿原にこんこんと湧きだす水があり、不足はない。小屋の外にベンチもあり、ベンチでエスプレッソパスタを作って夕食とした。栃木から毎年のように孫を連れてきているという親子3代の同宿者はカップ麺をふんだんにもってきていた。もう一組は若い男性2名で、秋田駒方面から縦走してきたもよう。会話の少ない無口な青年たちであった。

翌朝、5時大深山荘を後にする。まず大深岳(1,541m)に登り、秋田駒方面への縦走路と別れ、最大の大下りを経て小畚岳(1,467m)に登り詰めると、360度の視界で東北の山々が見渡せた。三ツ石山(1,466m)から下って、三ツ石山荘には9時30分ころ到着。小屋の清掃をやっていたおじさん(地元のガイドさんらしい)に水場を訪ねたら、最近晴れが続いているので水は出ていないとの由。幸い水は潤沢にあるので、辞去しようと思ったら、おじさんが饒舌にしゃべり始めたので、少しつきあったが適当なところで先を急ぐ。大松倉山は狭い稜線で、学生6人くらいのグループとすれ違って大きく下る。

P8030287
遠くに秋田駒
P8030037
左手に岩手山。あそこまで歩く。
P8030044
地図を広げる
P8030296
まだ遊ぶ余裕がある
P8030052
三ツ石岳に登る
P8030307P8030308

網張温泉からの登山路と合流して、今までの静かな登山路は終わり。ここからは岩手山への登山ルートになる。犬倉山の巻き道が終わったところで水場があり、補給する。ここに水場があって助かった。その後は姥倉山の肩にとりつく非常に登りにくい階段をあえぎながら登り、地熱の高い危険地帯を通過して黒倉山を南から巻き、「切通」というお花畑コースと鬼ケ城コースの分岐点に至る。お花畑コースを選択するが、20ン年前に網張からピストンで登った時に比べてだいぶ道が荒れていた。

最後は1,450mあたりのお花畑から岩手山の肩(1,830m)に乗る標高差350mの急登。すでに大深山荘からの歩きで溜った疲れがドッと出て、非常にキツイ登りになった。15時30分過ぎ、あえぎながら岩手山の肩、不動平にたどり着いた。ここで思わず大休止。

P8030313
鬼ケ城の奇岩
P8030314
不動平避難小屋

不動平避難小屋に宿泊することも案の中にあったが、水は八合目小屋まで15分ほど下らないとないし、既に小屋の中にはザックがいくつも置かれていて、トイレの扉の開け閉めの時に派手な音がするので、どうせ水を補給するならと八合目小屋まで降りる。この小屋は夏季のみ管理人が常駐していて一人1,700円の有料だが、小屋の規模が大きいのとトイレが新しくきれい(簡易水洗!)なのと水が小屋の目の前でふんだんに使えるので、お金を落とす価値のある小屋ではある。当日、地元の小学生が岩手山登山でかなり泊まっていて、大盛況だったが、消灯の8時には子供も引率の大人もぱたっと静かになって、気持ちよかった。私はイヤホンでラジオのオリンピック女子サッカーを聴く。なでしこ、快勝である。

P8030315
立派な八合目避難小屋

最終日は岩手山山頂に登って焼走りコースを下山するだけなので、ゆっくり朝6時に出発。約1時間で山頂にたどり着いて、快晴の山頂ビューを楽しむ。コマクサも豊富に咲いていて、絶好の日和だ。遠く雪をいただいた鳥海山も見える。

P8040071
雲海
P8040319
信仰の山
P8040331
由緒ある三角点
P8040335
コマクサ
P8040337
平笠不動避難小屋(ここも快適そうだが水がない)
P8040338
岩手山北面

下山はひたすら長い苦行の道。標高差1,500mを降りて行くのだが、火山特有の小砂利の深い、滑りやすいルートであった。まるでパチンコ玉を床にばらまいた上を歩くようで、標高1,500mあたりからのコマクサ群生地を横切るトラバース気味の下りが滑りやすかった。さらに標高が下がるにつれ暑さが増す。最後は焼走り溶岩流の脇の広葉樹林帯の遊歩道のような快適な道になったのだが、もう体が限界にきていてそんな道でも辛くなっていた。11時30分、無事下山。歩いてすぐの「焼走りの湯」で汗を流し(体重が3kg以上減っていた)、昼食を食べ(しかしあまりこってりしたものは食べられない)、下山後お約束のコーラを飲んで、タクシーで大更駅まで移動する。JR花輪線は残念ながら本数が少ないので、盛岡行きの路線バスに乗って1時間かけて盛岡駅に到着。新幹線の待ち時間にソフトクリームなど食べて時間をつぶし、再び「はやて」にて無事帰京。

少し侮っていて、次の本格的縦走の前哨戦のように捉えていたのだが、岩手山登頂まで含めるとかなりのアルバイトになった。夫婦ともに足には肉刺ができたし、前哨戦どころでなくこれがこの夏一番の山行になったかも知れない。
もう私の登山靴も振り返ってみれば10年以上使っている。ソールは一度張り替えたが、それも接着面が少し危うくなってきて、そろそろ新しい登山靴が欲しいところ。仕事でも使うし、スカルパ・ドルポの後継モデルのキネシスプロあたりが欲しいところである。