仕事山行・極寒の山中湖畔幕営山行

久しぶりに仕事山行に同行した。春は八丈島や神津島に行ったことが多いのだが、どうしても船の中で1泊が必要になるし、復路の船も朝出て夕暮れに竹芝桟橋着になってしまうため、大所帯では4日は必要になってしまう。

結果として富士山麓の山中湖畔の村営キャンプ場で2泊幕営して山中湖の南方と東方の山を歩く計画に落ち着いた。山中湖畔は標高1000m、周辺の山は1200m〜1300mである。お気楽ハイキングのコースになるが、ここのところの寒波襲来で厳寒の山行と幕営になってしまった。季節は全く春を感じられない3日間だった。

22日金曜日、8時台の通勤電車を乗り継いで高尾から中央本線の各停で大月へ。8時台にしては空いていて、過密ダイヤから来るゆっくり運転もひどくはなかったので順調に大月まで来れた方だ。が、しかし大月駅は外国人客でごった返していた。富士急行線のある1番線に向かったら、どうやら富士急の特急に乗る外国人が相当数いて、アナウンスで特急は満席で乗れない、と叫んでいる。こちらはもとより各駅停車で向かう予定になっているのだが、特急あずさから11時発の各駅停車に乗り換えたインバウンドの数がものすごく、1本遅らせることに。次の列車には早々に乗り込んで座ることができたが、発車直前には乗車率200%を越える勢いでインバウンドが乗り込んできた。ざっと見て日本人:外国人=1:9の割合である。欧米系の人もいれば、私のそばにはインドネシア人と思しき老若男女が立ち乗りしている。
発車しても途中の駅で乗客が減ることもなく、富士山駅で乗客をかき分けて大型ザックを抱えてやっとのことで下車。そんなに富士山周辺が外国人インバウンドの人気を集めているとは思いもしなかった。平日にこの混雑は経験したことがない。いや、かつて同じ3月下旬に北茨城まで各駅で移動していた時の上野〜水戸の混雑(これは梅なのかお彼岸なのか未だ不明。すべて日本人)以上だ。外国人の人々は香りのキツイ香水をつけるので、車内にそのニオイが充満してたまらない。

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大混雑から解放された富士山駅ホームから

富士山駅で下車して路線バスに乗り、山中湖の西側で下車、旭日ケ丘という湖南にある山中湖村村営キャンプ場まで大型ザックを背負って歩く。14名でぞろぞろ歩くのは観光地に溶け込まない。1時間くらい歩いて到着し、チェックインしてテントを張るが、フリーサイト代と利用料2日分で7,600円もした。今どきのキャンプ場はブームもあったので高いのはわかるが、一日で4,000円近く支払うのは高すぎないだろうか?

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残雪残るキャンプサイト

キャンプ場までの道中、路肩に解け残った雪が積まれていたが、キャンプ場にも残雪がある。今夜はかなり冷え込みそうだ。やれやれ。
粗末な夕食をあてがわれ、やることがないので18時台からほぼ全ての衣類を着込んで土踏まずに使い捨てカイロを貼り、ダウンシュラフとシュラフカバーに体をねじり込む。テント設営地が若干斜めになっていて体が安定せず、設営地選択に失敗した。日が暮れるとシンシンと冷えてきて、手袋をしないと寒い。夜中に何度も寒さで目が覚めてようやく朝を迎えた。

23日は日中雨の予報。水場で蛇口を捻ったら水道が凍結していた。テントも霜がついてフライシートの内側は結露している。さらに予報より早めに雨ではなく雪が降ってきた。これは雪中行軍だ。
旭日ケ丘の交差点で国道138号に沿って篭坂峠まで歩くのだが、歩道が途切れて危険な路側帯歩きになった。峠頂上から脇道に入り、墓地の中を通って登山道に入った。途中から残雪と新雪が混じりあうようになり、チェーンスパイクを装着。これが薄い新雪では雪と土がダンゴになるので極めて歩きにくい。残雪が多く残る北尾根では有効だったのだが。
立山(1,308m)の山頂には立たず、1,292mピーク、1,366mピークを越えて大洞山(1,383m)へ。雪は止まない。そのまま縦走して三国山(1,320mほど)でカップラーメンの昼食とする。湯はキャンプ場で沸かして魔法瓶に詰めてくるように指示したので雪と風の中でもスムーズに昼食が済んだ。黙っていれば山頂でガスに火をつけてなかなか湯が沸かないといった事態が想定できた。

ここまで順調だったので、翌日予定していた三国峠〜明神山〜切通峠〜高指山のコースを歩いたらどうかと提案、明神山まで登った。明神山山頂は樹木がなく草地なので風がもろに当たる。だいぶ疲れが出ているようなので、明神山からパノラマ台を経由して平野集落へ下山することにした。標高を下げると雪は雨に変わった。そのまま国道417号沿いを歩いて15時にキャンプ場着。雨が止んで日が差してきた。
この夜も粗末な夕食を食べてテントで冷えに苦しみながら寝たり起きたりしつつ朝を迎えた。ひもじくて悲しい二晩だった。

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23日に雪中行軍した山並み(24日撮影)

24日、曇りである。キャンプ場前から前日歩いたルートをバスでワープし、平野集落から山中湖北岸を歩いて初日にバスを下車したバス停まで歩く。
平野集落は40年前の大学生活を始める時に起こった悲劇の舞台でもあった。宿泊した民宿もまだ存在していたし、40年間と同じく湖水は冷たそうだった。夜、酒に酔って手漕ぎボートに乗って転覆した私の1年上級生が冷水で心肺停止して5人が亡くなった事件は、当時の写真週刊誌にかなり叩かれた。写真週刊誌は遺体の引き上げの瞬間も撮影して掲載していたように記憶している。今ならそんな報道は許されないだろう。下級生である我々は、黙り込むしかなかったが、翌年はこのようなイベントは上級生の自己満足に過ぎないから取り止めようということに落ち着いたと思う。思わず湖畔で合掌した。

今はサイクリングロードがつくられていて、ここを歩くと平坦で湖水に近いところを歩けるし、富士山が大きくそびえる姿、そのうち南アルプスの北岳・間ノ岳・農鳥岳、塩見岳、荒川三山、小赤石岳と赤石岳が真っ白く浮かんで見える絶景ポイントがある。途中の長池地区には駐車場があり、観光客が自撮り写真を盛んに撮影していた。

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ドーンと富士山
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南アルプス(右から北岳・間ノ岳・農鳥岳、真ん中に塩見岳、左に荒川三山)

山中湖西側のバス停から富士山駅を通るバスに乗り、往路と同じく中央本線で帰宅。大月から中央特快に乗れたため、スムーズに帰宅できた。
しかし自分が持つ装備もだいぶ経年劣化してきて、ザック(バルトロ75)は内側のコーティングが剥がれかかっているし、サブザックは同様に内側がボロボロでもう捨てるしかない。30年以上時々使ってきたシュラフカバーはシームテープが剥がれている。登山靴も2回ソールを張り替えたが、どうやらゴアテックスブーティの効果が落ちて雨水が爪先に滲みるようになってきてしまった。これは大々的に買い替えであろうか?ザックとブーツは不可欠だからなあ・・