2月のスキー

2月上旬にひっさしぶりにインフルエンザに罹ってしまった。土曜日の午後に悪寒がして、日曜日は寝込み、月曜日に診察に行ったら見事に罹っていた。土日はもちろん、祝日も雪を見ずに無為に過ごした。

祝日明けから仕事に復帰したが、その週末は暖かくて関東はおろか山沿いでも雨の予報。雪が降るという月曜日にどうしてもスキーがしたくて日帰りで会津高原高畑へ行った。しかし、雪はたいして降らず、圧雪車のつくったコーデュロイ模様のガリガリのアイスバーンだ。ターンするたびに足裏にバイブレーションを感じる。長く練習しても面白くないので午前中で上がった。

インフルエンザによる体力の低下を危惧しながら、翌週末のインフィールドツアー「厳冬期の高谷池ヒュッテツアー」に参加するべく、金曜の午後に妙高に向かった。最初は車中泊の予定だったが、年末お世話になっている「宿なごみ荘」にご厄介になった。持っていこうと思っている水やお湯の確保もこれでできる。

今回の装備は、厚手シュラフ(圧縮してもザックの3分の1くらいスペースを食う)、マット(避難小屋に布団がありマットは使用せず)、支給された1日目晩飯と2日目朝飯など、行動食2食分、非常食、防寒着(上下化繊の中綿ウェア)、防寒小物(腹巻き、ビーニーなど)、小屋内で履くネオプレン製オーバーソックス(ホムセンで数百円のもの。テントシューズを持ってきた人が多かったが、そのまま長靴は履けるし十分だった)、コッヘル、武器、ガスカートリッジ小、ガスヘッド、ヘッドランプとLEDランタン(後者はスマホ充電器にもなる。アマゾンで購入)、グローブ2双(結局厚手のものはほとんど使用せず)、スコップ・ゾンデ棒・ビーコン(私のものは相当古い)、雨に備えてザックカバー、スキーシール、カメラ(よせばいいのに大きいミラーレスを持っていってしまった)、水2.5リッター(重かったが美味しい水が飲めた)、350mlの魔法瓶、携帯トイレ、地図・コンパス、携帯電話、財布、お肌ケア用品やシールワックスなどなどを50リッターのグレゴリー・ズールーというこれまた古いザックに押し込んでいった。カメラやシールは取り出しやすいようにと8リットルのウエストバッグに入れてザックに巻き付けたりしたが、重量配分がおかしくなるので結局中に突っ込んだ。やはりザックは1つの方がよい。このズールーというザックはショルダーベルトの形状があまりよろしくない。50〜60リッターのスキーにも使えるザックが欲しい。また、ヘルメットはザックにネットで括りつけられるように工夫していったが、ずっと雪が降っていたこともあり、かさばるのでハイクアップ時も被っていた。

ツアー当日の土曜日午後から雨の予報。夜半に雪に変わるとかなり降って高谷池から帰ってこれない可能性がある、とのことで大谷ヒュッテ宿泊に変更になった。大谷ヒュッテは南地獄谷にある無人避難小屋で、内部は快適、トイレも使えるのでいいのだが、滑るコースは何度も行っているし、小屋自体に宿泊するのも2度目だから新鮮味はない。登る前は、これで携帯トイレを使わなくて済む、と安堵していたのだが・・・・

土曜日の朝、杉ノ原スキー場からゴンドラとリフトを乗り継いで標高1,850mのゲレンデトップに出て、シールを装着。ゲストは8名、ガイドとお手伝いが3名の計11名でハイクアップ。雪がちらついて南風が強い。最初の沢には雪が少なく、のっけから大変な思いをする。皆さんテレマークの方はO1などハイクアップモードが着いているビンディングで、そのモードのないO2ビンディングは私だけ。ATスキーの方はみなTECHビンディング。斜登行のキックターン時にその違いが出てしまう。インフルエンザによる体力低下、ノドの渇き、シールが効かない雪などの影響もあって、登りのスピードが追いつかない。結局、しんがりで三田原山山頂に着き、これからのことが思いやられる。

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これからハイクアップ

まず南地獄谷へと外輪山の内側にドロップイン。今まで何度か外輪山の内側へ滑り込む。ここは過去何度もパウダーでいい思いばかりしてきたが、今回はクラスト雪だ。沢状地形に入ったらスラフは流れるし、横転も数回した。ゲストの一人が中腹でコケて逆さになり、片方の板が雪に埋もれて自力ではい出せないのを見かねて傍まで寄ってスキーを掘り出してあげた。谷底に何とか降りて振り返ってみたらテレマーク組は皆同時にコケている状態だ。皆さん結構上手い人なのに、どうしたことだ・・

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同時にやっつけられた・・(南地獄谷源頭部)

その後、妙高山の裾を斜登行することなく、南地獄谷に沿って滑り降りた。だんだん滑りづらくなってきて、しかも急斜面。右手は谷で左手は崖。滑るスペースは狭い。横滑りでクラスト・アイスバーン化した斜面を降りていくが、ゲストの一人が谷川に数メートル滑落(幸い無事だったが)した後は皆に緊張感が走り、大谷ヒュッテを目の前にしての横滑りはとても厳しかった。

大谷ヒュッテに着いたのは午後もまだ浅い時間帯。雪の状態が悪過ぎて誰も荷物を置いて滑りに行こうとはせず、小屋ライフに突入、夕ご飯のずっと前から雪を溶かしてはつまみを温め、各自持ってきた酒を飲むという状態に。標高1,800mの避難小屋で人には言えない阿鼻叫喚のヨッパライの世界が午後8時過ぎまで続き、ネジがとれてしまった人も現れたので就寝。夕方からは予報通り激しい雨が屋根をたたいていた。

明けて日曜日、降っているのは雪には変わったが大した量になっていない。雪が積もるまで待ちながら、それでも11時近くになって出発。最終的に前山の滝沢尾根を滑ってAKAKANに出るため、光善寺池近くまでハイクアップ。前日よりは少し登れるようになった気がするのだが、感覚として両足カカトにマメができている気がする。天狗堂あたりまで登り、これでシールのご厄介にはならないで済むと思ったが、滑り始めがまた薮の濃い急斜面で横滑りオンパレード。少し開けたところに出たら、なんと北地獄谷に嵌まりそうなところだった。ガイド中野君の指示で再度シール装着、横滑りをした斜面をはい上がる。最後はスキーを外してツボ足で登り、やっと正しいルートから滝沢尾根に滑り込んだ。尾根へのトラバースはまだよかったが、滝沢尾根のクラスト雪にも泣きが入った。テレマークターンはおろか、アルペンターンもろくにできず、ボーゲン&斜滑降&キックターンばかりだ。全員全く何もさせてもらえない雪にため息をつきながら、尾根の末端に何とかたどり着き、ゲレンデに出た。ゲレンデの雪は硬くて硫安を蒔いていると思われ、ここでも荷が重いのでテレマークターンはほとんどせず、アルペンターンで滑り降りた。下山15時30分。皆疲労の色が隠せない。

ツアー後にもう一泊させてもらおうと思っていたのだが、山で悪戦苦闘した翌日にゲレンデで練習する気にはならず、なごみ荘でお風呂をいただいて帰路についた。あんなに天気が悪かったのに関越道の渋滞がなかなか解消せず、甘楽PAでエース号寝台で少し横になって、結局北関東道と東北道で帰宅した。

ともかく足腰がだるい。カカトのマメもいつものツアーのお約束。でもやはり病み上がりのツアーは日帰りにすべきだったか?