仕事山行・雪の大菩薩嶺

仕事山行で青少年15人と山中1泊の冬季山行へ行った。

宿泊は大菩薩嶺中腹の福ちゃん荘。
最初の計画は2日目に丹波山方面へ向かうものだったが、ロングマイナールートだし北面、下山後のバスがほぼ1本に限定され、奥多摩駅から都心へもアクセスが悪いので却下。むしろ大菩薩峠から南の稜線を歩いて小金沢山、牛奥丿雁ヶ腹摺山、黒岳を経て湯ノ沢峠まで縦走するルートに変更した。こちらも長いルートだが、湯ノ沢峠までタクシーが上がる可能性があり、エスケープルートが2本ある。その後、12月11日以降路線バスが冬季運休になり、タクシーも天目山温泉から焼山沢沿いの林道を走れないことが判明し、最後は車道を長く歩く必要ができた。

21日朝、あずさ3号で塩山駅へ。青少年たちもすぐ目の前に座っていたのだが、都会っ子のせいか、電車から降りる動作がとても鈍く、塩山駅手前からデッキで待つということができない。結果、15人のうち約10名の目の前でドアが閉まり、山梨市駅まで乗り過ごすことになった。

通常なら折り返してもバスに間に合わないものだが、幸いなことに山梨市駅は2つ先で折り返し普通電車も待ち時間なく出たのでバスの発車時刻には間に合った。この状況には苦笑しかない。

路線バスの折り返し点である大菩薩嶺登山口で下車し、10時に登山開始。舗装路を歩いてから登山道に入り、丸川峠まで登り詰める。峠が近づくと積雪が増え、丸川峠から大菩薩嶺へ登り始めるところではスネくらいまでの積雪があった。チェーンスパイクではさらさら雪に対する効力が弱い。標準コースタイムも積雪がある中ではあまり参考にはならず、大菩薩嶺山頂は15時ころだったと記憶する。ここでようやく今日初めて3名の登山者と出会う。
img_3273
登り始め
img_3274
丸川荘前

視界の利かない山頂から雷岩へ移動して午後遅く夕暮れが近づいた富士山をバックに一同感激する。福ちゃん荘方面へ1時間弱下って本日の宿にたどり着く。5時間ほどの行程に6時間をかけた。
img_3277
どーんと富士山
IMG_3282
南アルプス方面

福ちゃん荘は大きな山小屋で、われわれのみが宿泊者だったので狭苦しい思いはせずに済んだが、館内もかなり冷え込んでいた。風呂にも入れる贅沢さがあったが、こう寒くて熱い湯に入る気力は湧かないので足湯だけさせてもらった。食事後、やることもないので早々に石油ストーブを消して廊下に出し、20時前に就寝してしまった。天気予報では夜半から朝にかけて降雪・降雨がある。2日目の行動は大きく変更せざるを得ないかも。

翌22日、朝はみぞれで、しだいに雨に変わってきた。標高1,700mで雨、わずかな電波を捕まえて雨雲レーダーを見ると静岡県方面から波状的に雨雲が近づいてくる。予報より雨は長く、おしまいの方が降りが激しいようだ。

まずは大菩薩峠の介山荘まで上がって状況を確認する。朝食後に軽い体調不良を訴える者もいたので、峠の状況によっては引き返すこともありえる。軽トラが通れるくらいの広い登山道を50分ほど登り詰めると峠だ。中里介山の「大菩薩峠」を読んだのはもう20年以上前だが、冬ではそんな読書のイメージを展開できるほどの余裕はなかった。そこそこ風もあり、視界もあまりよくない。すぐ南の熊沢山を登って石丸峠まで行き、そこから車道へ下山することにした。石丸峠から小金沢山方面に行くと何時に下山できるか読めないことと、体調不良者の足取り、長く歩くにしても車道の方が早く歩けることなどを考慮してのことだ。

IMG_3284
大菩薩峠

大菩薩湖上の小屋平というバス停前に下り、そこから舗装された車道を延々と歩く。道路も凍っていて雨で融けかかっているような状態。

道路に出た11時頃が最も激しい雨で、雨具の下と春スキー用のフーディニのハードシェルを着ていたが、あっという間に全身びしょぬれになった。今回、ザックはオスプレーのヴァリアント52を背負い、防水にインナーバッグを使った。降っても雪だと予想したのでザック外側は多少濡れるくらいで済むだろうと思ったのだが、雨になったのでザックカバーを持ってくるべきであった。レインウェアは春夏用で、体にフィットするファイントラックのエバーブレスフォトンのパンツは履いたが、ジャケットは寒さに耐えられない感じがしたのでハードシェルを持ってきた。これは正解だった。自分では着なかったレインウェアのジャケットは、何とレインウェアのジャケットだけ忘れた大馬鹿者に貸すことになった。山行にレインウェアを持ってこない大馬鹿者はこれで2例目である。山に来る資格なし。

12時30分にすずらん昆虫館前で予約しておいたジャンボタクシー2台に分乗して甲斐大和駅までたどり着いた時には雨は上がっていた。実にタイミング悪し。