栃木県北部まで下道で日帰り往復

土曜日は夕方まで仕事、日曜日の天気予報がとてもよかったので、久しぶりにW800で別宅までツーリングして月曜午前中に帰ってこようと思って朝出かけた。

エストレヤから乗り換えて7時に出発。下は革パン、ジャケットは春夏物のクシタニ・フィンジャケット(オレンジ)。午後は胸のベンチレーションを空けるくらい気温が上がった。

ルートはいつもの江戸川右岸(埼玉県側)の堤防側道を北上、いつもは関宿間での間に対岸に渡るのだが、今回は五霞町まで北上して旧4号に乗り、しばらく走って国道125号、茨城県道124号、県道23号を使って下館へ。50号には乗りたくなかったがしばらく乗って水戸線大和駅近くで左折して県道41号で再び益子へ。栃木県境のポケットパークでようやく休憩。ここまで約3時間。もう10時。明らかに長時間走りすぎである。
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茂木町にて
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一面菜の花
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栃木県はいま、桜も盛りである

その後、益子からはが野グリーンコリドール(広域農道)で茂木町に入り、よく走っている細道(馬門河井林道、県道231号、274号、171号)を走り繋いで那須烏山へ。あとは国道294号と県道52号で別宅へ。到着はほぼ12時。休憩1回だったので疲れもあるし、最後は生あくびが何度も出た。
近所を歩いて昼飯を確保し、別宅で溜まった投げ込みチラシを整理して軽く昼寝。

1時間ほど寝て腰を伸ばして、午後どうしようか考えていたら特にやることもないので、またバイクに乗って帰宅することにした。14時台に出ればオール下道でも所要時間5時間としてまあ7時には帰れるだろう。

ということで再びバイクに乗る。今日は写真もほとんど撮っていないし、動画に至っては古いgopro7をタンクバックに忍ばせていつでも撮影できるようにはなっているが、セッティングが面倒なので出していない。

帰りは大田原市佐久山から喜連川温泉、県道181号、156号で真岡市街へ出て国道294号に合流、道の駅にのみや手前で右折して鬼怒川を渡り結城市街へ入り、県道17号線で境町へ出た。フューエルランプがトリップメーター280kmで点灯したが、まだ100kmは走れる。しかし日曜日でガソリンスタンドは休みが多いため、境町のスタンドで給油。やはりみな同じことを考えるようで、私はすんなり給油できたが給油待ちができた。ラッキー。

関宿城を右手に見て、千葉県道17号(茨城県道と同じナンバー)を南下、宝珠花橋で江戸川を渡り江戸川右岸堤防下の道路をひたすら南下。宝珠花橋前後は渋滞したが、野田橋西詰の交差点は渋滞することなく通過。18時台にW800の駐輪場に到着。エストレヤに乗り換えて自宅に着いたのは19時ころだった。
ついぞ帰りは1度も止まって休むことはなかった。5時間乗りっ放し。これはさすがに疲れた。別宅で止まる予定で出かけたので、通勤時と同様にデイパック(平日とは違い弁当とコーヒーの入った魔法瓶水筒はなく、下着の着替えのみ入れていった。普段よりは軽いはずだが入れっ放しの物はそれなりに重量がある)を背負って乗ったことも疲れを誘発する原因だった。イザとなればバンジーコードでデイパックを括り付けるつもりだったのだが、つい面倒で怠ってしまった。

バイクで快適な季節がやってきたが、快適な期間は非常に短い・・

ステップソールで志賀高原池めぐりコース

3月31日はもうゲレンデへは出ず、バックカントリーへ向かった。昨年の同時期に単独で歩いて楽しかった鉢山〜池めぐりコース、さらに脚を伸ばして旧笠岳・旧木戸池スキー場を経て最後は蓮池・丸池・サンバレースキー場の少し上部にある湿原を目指す。この湿原まで来ればスキーで宿までたどり着ける。
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久しぶりのステップソール

8時20分山の駅発、横手山スキー場(陽坂バス停。第2リフト乗り場脇)行きのバスに乗る。9時直前にバスを降り、準備して9時過ぎに横手山スキー場の緩斜面を滑り出す。右手にシングルリフトを見て少し下れば池めぐりコースの入口。妻はここでハーフシールを装着して歩き始める。私は1年ぶりに引っ張り出したステップソールG3finderXCDを履いている。明瞭な緩い登山道を歩くが、シール登行のペースが合わない。普段からセンター82ミリのK2トークバックが重いと言っているから、ハーフシールを付けるとさらに重くなるのだろう。
鉢山への登りはステップソールなのでジグを切っていくが、標高差約100mにしては時間がかかった。
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鉢山への登山道を歩いていく
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笠ケ岳をバックに

草津峠分岐あたりで10時50分、鉢山山頂で11時40分前後。積雪量は多めで、鉢山東の鞍部から夏道通りに滑り降りたのが12時20分ころ。鞍部から四十八池前まではV字状の沢になっているので横滑りが必須だが、左右がけっこう急斜面なので難しい。妻にはスキーを外してツボ足で降りてもらうことにした。昨年は雪が少なくて岩が出ていてそこだけスキーを外したが、今年は横滑りさえできればスキーを外さず何とかずり落ちてくることはできる。
この下降コース、もう少し尾根を利用して四十八池の北側に降りることができそうだが、次回は試してみよう。夏はトイレとして使われている建物と東屋があるが、やや風が強いので東屋に潜り込んで風を避け、昼食とした。
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鉢山山頂から横手山
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四十八池手前で昼休憩

この場所へ昨年たどり着いたのは10時45分だった。このペースだと熊の湯から先は難しい。国道脇の硯川温泉へ降り立ったところで終了することに決定。シャトルバスで出発地へ戻ることに変更した。
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渋池と横手山

その後、1,880mあたりの等高線に沿って鉢山の北側を回り込み、志賀山との夏道合流点に13時05分、渋池のほとりで13時35分。スマホに残されたバス時刻表だと14時10分横手山第一リフト始発と記されている。焦る。実際は14時20分発だったので間に合ったが、最後の滑りでハーフシールを付けている妻が遅れてバスに間に合わない可能性も出てきた。ハーフシールを付けたまま滑るか、外して滑るか自分で選択して欲しいと告げて先に滑り降りる。14時10分に軽ツアー終了。
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池めぐりコース地形図(最後の滑りの部分を誤ってカットしてしまった)

いい天気だったし積雪量もあったので熊の湯から先でどんなコースが取れるか少し期待していたが、また次回に期待しよう。何せ生コン雪でターンもままならず、昨年はテレマークターンができたところでもボーゲン、ステップ系ターンがいいところ。コケない分だけマシだが、脚の外側の筋を使って疲労した。ゲレンデスキーでは使わない部位だ。


それにしても志賀高原にはいつになく豊富な雪があるのに、人がたくさんいるところはレース会場やバッジテストの会場周辺のみ。熊の湯スキー場で滑っている人もまばらだし、4月1日からはサンバレー〜東館山は閉鎖になってしまう。残念だ。

シーズンラスト・志賀高原スキー

3月になってようやく自分の休みと定宿の空室カレンダーが一致したので志賀高原へ夫婦で行くことになった。志賀高原は3月下旬近くになってドカ雪が降り、一日で80cmも降ったらしい。普段ここまで降雪量はないスキー場でこんなに降るとリフト運行に支障が出たのではないかと思われる。その後もしばらく寒かったので雪質は保たれていることを期待したが、春の寒さがそんなに長くつづくはずもなく、完全な春スキーになった。朝は硬めのザラメ、しだいに緩んできてシャバ雪に転じる。脚のダメージは進んでいく。そんな中、29日の初日は奥志賀高原エリア券で、30日の中日は全山リフト券でサンバレーから奥志賀高原まで往復した。
最終日はステップソールに履き替えて横手山スキー場から鉢山めぐりをして旧前山スキー場までのライトツアー。これは別のエントリで書くことにする。

3月29日 奥志賀高原スキー場
朝の出発時は雨。走行するうちにしだいに激しくなり、甘楽PAでは土砂降り。しかし松代PAで早い昼食を取るころには雨は上がった。しだいに晴れ間も見えてくる。志賀高原への国道には雪がないが、その分荒れたアスファルトで商用車のマイカーでは乗り心地が悪い。奥志賀高原まで路面に雪はなく、12時台に到着。如何にも春スキーの陽気の中で準備してゲレンデに出る。この日は末尾9のつく日で奥志賀高原の日らしく、4時間券よりも一日券の方が100円だけ安いらしい。13時から3時間、16時までエキスパートコースと第3高速リフト沿いでひたすら滑る。
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エキスパートコース最下部から

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岩菅山と裏岩菅山
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アプリyukiyamaのデータ。画像に出ていないデータとしては、滑走距離17.9km、滑走時間2.9h。

3月30日 サンバレー〜奥志賀高原往復(レポートの最後に動画を埋め込んであります)
朝のうちにネットで全山一日券(シニア6,050円)を購入し、前日のリフト券を書き換えておく(リフト券の表の21ケタ数字を入力して購入記録とひも付ける)。こうするとリフト券のムダが出ない。始めてトライしたがこちらの方が現地リフト券売り場で買うより安いし、リフト券売り場窓口が最近減らされているので(例えば例年利用してきた丸池スキー場リフト乗り場の窓口は少し前から閉鎖されている)すぐ近くに窓口がない場合は便利。よく考えられたシステムだ。

ということで宿の裏手から滑り出し、丸池の第2ペア、丸池第1トリプルリフトに乗ってからサンバレーへ。雪があるのに3月いっぱいで閉鎖になってしまうのは惜しい。法坂第1クワッド(第1といっても今はこれしかない)に乗って、蓮池スキー場ボトムで国道をくぐる。ホテル五郎兵衛前でスキーを縫いで県道を渡り、志賀レークホテル裏でスキーを履いてつづら折れのコースでジャイアントへ。一度ジャイアントペアに乗って急斜面を1本滑り、西館山へ。西館山のリフトを2本乗り継いで山の反対側へは出ずに再びボトムに戻って今度はブナ平・東館山へ。ブナ平の伸びやかな緩斜面は帰りに取っておき、ブナ平ゴンドラと東館山ゴンドラを乗り継ぐ。スキーの脱ぎ履きが面倒くさいところだが、私はNTNビンディングでスキーブレーキがついているのでリーシュをいちいちつけなくていい分だけ楽。
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西館山スキー場にて

ブナ平ゴンドラではラッキーなことに旧式のゴンドラに乗ることができた。旧式ゴンドラは内部がユニットバスのようになっておらず、半月型のベンチが向かい合わせになっているだけ。実質2名乗車。扉の下部にはすき間があり、スマホくらいなら落とせばサヨナラできる。昭和感の強い乗り物で大好きだ。いまどき、4人乗りゴンドラなどという効率の悪い搬器でスキーヤー・ボーダーを運ぶのはここくらいしかないのではないか?

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ブナ平ゴンドラの扉のすき間
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東館山ゴンドラ内部

東館山山頂からは寺小屋スキー場へ。下から見ていちばん左のコースはポールレッスンで閉鎖されていたので、残りの2本のコースを滑ってから再び寺小屋第1リフトで東館山山頂へ。連絡コースで高天ヶ原を1本滑り、クワッドリフトで最上部からスキーヤーズライトへ流れてタンネの森オコジョスキー場へ。ここは緩斜面だけど林間を滑るようで好きなスキー場。クワッドリフトに乗って先を急ぐように一ノ瀬ファミリースキー場へ。正面のコースはレッスン大会であちこちで団体が列をなして順番を待っていたり、一斉に滑り出して混雑している。あまりここは滑りたくないので、狙いはまだ今シーズン滑っていないパーフェクターコース。一気に休憩なく滑り降りる。空いていて良かったのと、アイスバーンになっていなくて良かった。ゲレンデボトムで妻と合流して、橋を渡り一ノ瀬ダイヤモンドクワッドに乗り、そのまま連絡ゲレンデとなっている山の神スキー場を滑って焼額山スキー場へ流れ込む。第2高速リフトに乗るが、脇のレストランは土曜日なのにシーズン終了の様相。西武は見切りが早いねえ・・しかし苗場スキー場ですらオーナーはすでに外資系の企業で西武は運営を任されているに過ぎないと聞いた。焼額も杉ノ原も西武(コクド)系列のように思い込んでいるが、オーナー会社の命令でレストランなどは早々に閉めているのかもしれぬ。焼額のプリンスはグリーンシーズンは営業してないからね・・

焼額はそこまで好きなゲレンデではないし、斜面の向きの関係か下部はストップ雪が多くなるので第2ゴンドラを省略して第1ゴンドラで山頂へ。ジャイアントスラロームコースを使って途中から連絡コースで奥志賀第6ゲレンデへ。ここのペアリフトもすでに搬器は何年か前からなく、実質クマ落としコースを滑ってこないと最上部から滑れないレイアウトになってしまった。子連れで来ていた時は良かったんだが・・

妻にも私にもやや疲れが出てきたので、レストラン・サンクリストフで休憩と昼食。付設のスキー用具店NORDを冷やかし(金と持って帰る袋があれば実際に買ってしまいたいモノを見つけられる)、奥志賀ゴンドラに乗って昨日も散々滑った奥志賀のメインゲレンデへ。妻は第3高速、第4ペア沿いで滑っているというので、一応志賀高原の再奥まで滑ってクイックターンすべくエキスパートコースを滑る。午後で気温も上がりシャバシャバなので滑りにくいが、一応クイックターンしてきた。第4ペアの最上部で合流して、連絡路をスケーティングして焼額へ。いまだかつてこんなに楽に最上部で奥志賀と焼額を繋げたことはない。雪量が多いせいでデコボコがなくなっていてスケーティングしやすいのだ。
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奥志賀高原ゲレンデトップから飛行機雲が2筋

焼額山頂からは元に戻るためにパノラマコース・白樺コースを滑り繋いで山の神リフトに滑り込みたかったのだが、白樺コースは閉鎖されていて唐松コースから回り込むしかなかった。その分、歩きとリフト乗り場への登りが増える。一汗かいてリフトに乗り、ダイヤモンドスキー場を滑って3本くらいしか支柱のない最短ペアリフトに乗って一ノ瀬へ。クワッドで山頂から裏手に回り込んで再び寺小屋。午後のケーキ&コーヒータイムを取り、寺小屋から東館山林間コースでブナ平へ。最後はつづら折れで辛い。ブナ平の伸びやかな緩斜面を滑った後もつづら折れ。最後にブナ平ゴゴンドラ下を直滑降でジャイアントのリフト乗り場まで滑り上る。しかし春の雪なので最後はスキーをハの字にして登らなければならない。多くの人はここで挫折する。テレマークスキーヤーは一応ノルディックスキーの一部だから、こういうちょっとした登りでカカト固定のアルペンスキーヤーに負けてはいけない。ヒールフリーの特性を活かし、その優れたところを見せつけないと・・(ほぼ意地、負け惜しみですが)
1人ジャイアントペアに乗って最後の一本としてジャイアントの急斜面を滑り、再びリフトに乗って蓮池方面へ。池の平バス停の下をくぐり、蓮池スキー場のリフト(16時過ぎですでに誰も乗っていない)に乗って丸池方面へ滑り込み、朝滑り出した宿の裏手へ。

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同じくアプリyukiyamaのデータ。焼額の一部と奥志賀高原が欠けている。その他のデータとしては、滑走距離36.9km、滑走時間7.5時間。日本のスキー場でも一日に30km以上滑って移動ができる。

この日の動画。キャプションが「寺子屋スキー場」となっているが、正しくは「寺小屋」である。
寺小屋

仕事山行・極寒の山中湖畔幕営山行

久しぶりに仕事山行に同行した。春は八丈島や神津島に行ったことが多いのだが、どうしても船の中で1泊が必要になるし、復路の船も朝出て夕暮れに竹芝桟橋着になってしまうため、大所帯では4日は必要になってしまう。

結果として富士山麓の山中湖畔の村営キャンプ場で2泊幕営して山中湖の南方と東方の山を歩く計画に落ち着いた。山中湖畔は標高1000m、周辺の山は1200m〜1300mである。お気楽ハイキングのコースになるが、ここのところの寒波襲来で厳寒の山行と幕営になってしまった。季節は全く春を感じられない3日間だった。

22日金曜日、8時台の通勤電車を乗り継いで高尾から中央本線の各停で大月へ。8時台にしては空いていて、過密ダイヤから来るゆっくり運転もひどくはなかったので順調に大月まで来れた方だ。が、しかし大月駅は外国人客でごった返していた。富士急行線のある1番線に向かったら、どうやら富士急の特急に乗る外国人が相当数いて、アナウンスで特急は満席で乗れない、と叫んでいる。こちらはもとより各駅停車で向かう予定になっているのだが、特急あずさから11時発の各駅停車に乗り換えたインバウンドの数がものすごく、1本遅らせることに。次の列車には早々に乗り込んで座ることができたが、発車直前には乗車率200%を越える勢いでインバウンドが乗り込んできた。ざっと見て日本人:外国人=1:9の割合である。欧米系の人もいれば、私のそばにはインドネシア人と思しき老若男女が立ち乗りしている。
発車しても途中の駅で乗客が減ることもなく、富士山駅で乗客をかき分けて大型ザックを抱えてやっとのことで下車。そんなに富士山周辺が外国人インバウンドの人気を集めているとは思いもしなかった。平日にこの混雑は経験したことがない。いや、かつて同じ3月下旬に北茨城まで各駅で移動していた時の上野〜水戸の混雑(これは梅なのかお彼岸なのか未だ不明。すべて日本人)以上だ。外国人の人々は香りのキツイ香水をつけるので、車内にそのニオイが充満してたまらない。

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大混雑から解放された富士山駅ホームから

富士山駅で下車して路線バスに乗り、山中湖の西側で下車、旭日ケ丘という湖南にある山中湖村村営キャンプ場まで大型ザックを背負って歩く。14名でぞろぞろ歩くのは観光地に溶け込まない。1時間くらい歩いて到着し、チェックインしてテントを張るが、フリーサイト代と利用料2日分で7,600円もした。今どきのキャンプ場はブームもあったので高いのはわかるが、一日で4,000円近く支払うのは高すぎないだろうか?

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残雪残るキャンプサイト

キャンプ場までの道中、路肩に解け残った雪が積まれていたが、キャンプ場にも残雪がある。今夜はかなり冷え込みそうだ。やれやれ。
粗末な夕食をあてがわれ、やることがないので18時台からほぼ全ての衣類を着込んで土踏まずに使い捨てカイロを貼り、ダウンシュラフとシュラフカバーに体をねじり込む。テント設営地が若干斜めになっていて体が安定せず、設営地選択に失敗した。日が暮れるとシンシンと冷えてきて、手袋をしないと寒い。夜中に何度も寒さで目が覚めてようやく朝を迎えた。

23日は日中雨の予報。水場で蛇口を捻ったら水道が凍結していた。テントも霜がついてフライシートの内側は結露している。さらに予報より早めに雨ではなく雪が降ってきた。これは雪中行軍だ。
旭日ケ丘の交差点で国道138号に沿って篭坂峠まで歩くのだが、歩道が途切れて危険な路側帯歩きになった。峠頂上から脇道に入り、墓地の中を通って登山道に入った。途中から残雪と新雪が混じりあうようになり、チェーンスパイクを装着。これが薄い新雪では雪と土がダンゴになるので極めて歩きにくい。残雪が多く残る北尾根では有効だったのだが。
立山(1,308m)の山頂には立たず、1,292mピーク、1,366mピークを越えて大洞山(1,383m)へ。雪は止まない。そのまま縦走して三国山(1,320mほど)でカップラーメンの昼食とする。湯はキャンプ場で沸かして魔法瓶に詰めてくるように指示したので雪と風の中でもスムーズに昼食が済んだ。黙っていれば山頂でガスに火をつけてなかなか湯が沸かないといった事態が想定できた。

ここまで順調だったので、翌日予定していた三国峠〜明神山〜切通峠〜高指山のコースを歩いたらどうかと提案、明神山まで登った。明神山山頂は樹木がなく草地なので風がもろに当たる。だいぶ疲れが出ているようなので、明神山からパノラマ台を経由して平野集落へ下山することにした。標高を下げると雪は雨に変わった。そのまま国道417号沿いを歩いて15時にキャンプ場着。雨が止んで日が差してきた。
この夜も粗末な夕食を食べてテントで冷えに苦しみながら寝たり起きたりしつつ朝を迎えた。ひもじくて悲しい二晩だった。

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23日に雪中行軍した山並み(24日撮影)

24日、曇りである。キャンプ場前から前日歩いたルートをバスでワープし、平野集落から山中湖北岸を歩いて初日にバスを下車したバス停まで歩く。
平野集落は40年前の大学生活を始める時に起こった悲劇の舞台でもあった。宿泊した民宿もまだ存在していたし、40年間と同じく湖水は冷たそうだった。夜、酒に酔って手漕ぎボートに乗って転覆した私の1年上級生が冷水で心肺停止して5人が亡くなった事件は、当時の写真週刊誌にかなり叩かれた。写真週刊誌は遺体の引き上げの瞬間も撮影して掲載していたように記憶している。今ならそんな報道は許されないだろう。下級生である我々は、黙り込むしかなかったが、翌年はこのようなイベントは上級生の自己満足に過ぎないから取り止めようということに落ち着いたと思う。思わず湖畔で合掌した。

今はサイクリングロードがつくられていて、ここを歩くと平坦で湖水に近いところを歩けるし、富士山が大きくそびえる姿、そのうち南アルプスの北岳・間ノ岳・農鳥岳、塩見岳、荒川三山、小赤石岳と赤石岳が真っ白く浮かんで見える絶景ポイントがある。途中の長池地区には駐車場があり、観光客が自撮り写真を盛んに撮影していた。

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ドーンと富士山
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南アルプス(右から北岳・間ノ岳・農鳥岳、真ん中に塩見岳、左に荒川三山)

山中湖西側のバス停から富士山駅を通るバスに乗り、往路と同じく中央本線で帰宅。大月から中央特快に乗れたため、スムーズに帰宅できた。
しかし自分が持つ装備もだいぶ経年劣化してきて、ザック(バルトロ75)は内側のコーティングが剥がれかかっているし、サブザックは同様に内側がボロボロでもう捨てるしかない。30年以上時々使ってきたシュラフカバーはシームテープが剥がれている。登山靴も2回ソールを張り替えたが、どうやらゴアテックスブーティの効果が落ちて雨水が爪先に滲みるようになってきてしまった。これは大々的に買い替えであろうか?ザックとブーツは不可欠だからなあ・・

久しぶりにプチツーリング

土曜日も月曜日も仕事なので、土曜日の仕事にはW800で出かけ、帰りに中央防波堤経由ゲートブリッジで帰宅した。日曜日はやや遅く8時に出発、いつもの江戸川右岸道路を北上して茨城県境町から東へ向かい、石下の城が視野に入ったところで南下、美妻橋で鬼怒川を渡り、野田橋を経由して再び江戸川右岸道路で帰ってきた。

江戸川右岸道路の菜の花はなんと2月末から咲いていたのだが、3月半ばになってもまだまだ堤防は黄色く彩られていた。